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作品名:神さまのお医者さん 作者:こりん

第2回   2.甲状腺右葉切除手術
 そして、手術の日を迎えた。手術は無事に終わったのだろう。無事に終わったことも告げられず、取り出した腫瘍を見ることもなかった。どんなものか見たかったのに、手術ってこんなものなのかと、患者が中心だと思っていたのに、患者であるわたしはモノのように流れ作業のように扱われていると感じ、少し残念に思った。
 麻酔が覚めるときから激しい嘔吐が始まった。
 手術の前日に入院したので、昨夜は何もない1日を過ごしていた。
 消灯後、病院内が静かになると、激しく嘔吐する音が聞こえてきた。
 1人ではなく、何人かの人が苦しんでいるようだった。深夜になると静かになり、眠ることはできた。
 今のわたしの嘔吐する音も響いているのだろうな。気になるだろうな。
 でも、止めようにも止まらなかった。
 すると、暗い部屋にペンライトを持った看護師がやってきた。
「気持ち悪いね〜」と言うと、いきなり右の上腕に注射して出ていった。
 注射後、上腕はズキズキと痛んだ。朝になると、右腕は自由に動かせなくなっていた。顔を洗う、歯を磨く、服を着替えることが困難な状態で、左手を使うしかなかった。

 こういうものが朝の回診というのだろうか、大人数で病室に白衣を着た人たちがやって来た。
 調子はどうかとかの言葉を交わした後、夜中に注射を打たれてからずっと痛みが残っていて、今朝になると腕が上がらなくなっていることを伝えた。
 手術を担当した外科医は隣の看護師からクリップボードを受け取ると、ペラペラとカルテらしきものをめくりながら、
「注射をした記録はないよ」と言った。
「若くて色白でぽっちゃりした感じの看護師さんで、日中は見かけたことがない人なんですが」
「そんな人いた?」と外科医は周囲の白衣を着た人たちに尋ねた。みんな同じように首を横に振っていた。
「麻酔が覚めるときには変なこと言う人、よくいるから」と、気にしなくていい、というような空気を押し付けてきた。忙しくて時間もないのだからこれ以上何も言うなという圧力を感じた。そして、白衣を着た人たちはぞろぞろと去っていった。

 麻酔が覚めるときではなく、完全に覚めていたし、ペンライトの光だけだったが顔も覚えていた。
 見ればこの人だとはっきり言える。
 患者という立場はこんなにもひ弱な存在として、ここに横たわっていなくてはならないのかと思った。
 強く訴えることなんてできるような状況ではなかった。わたしは、この人たちの世話にならなければならないのだ。黙ってこちらが引き下がるしかないのだ。
 退院するまでおとなしくしているしかなかった。命を預けているのだ、丁重に扱ってもらうためには、従順でなおかつ感謝の気持ちを前面に出している方が賢明だと思い、そのように振舞った。

 しかし、退院後も3カ月間は腕が上がらなかった。どういうことか知りたかったので、友人の看護師2人に聞いてみた。たぶん、吐き止めを注射したのだろうけど、皮下ではなく、神経か筋肉に注射したのかも、と、2人は怖れを抱くような表情をして顔を見合わせていた。
 上腕二頭筋と上腕三頭筋の間、上腕の外側で、わたしの身体で最も筋肉も脂肪もついていない場所に注射されたのだから、たぶん神経に刺したのだと思えた。

 退院後も経過観察のため、月に1回通院することになった。血液検査のために採血された後、内科医の診察を受けるのだが、大きな2台のパソコンが机の上にあり、手前の画面は見知らぬ人のカルテらしきもので、奥は予約の順番だった。パソコンの画面を交互に見てばかりで、わたしの方を全く見ない医者に、質問したりすれば、嫌な顔をされるのだろうと容易に想像できたので、採血のときに看護師に質問をした。
「先生に聞いて下さい」冷たく言われて終了。
  先生に聞けないから聞いているのに、血液検査の結果をなぜ教えてくれないのか、検査代金返せと叫びたくなったが、ここの病院の人間関係が読めたので、そこはグッと我慢した。

 3カ月くらいたった頃から、首の縫い目から透明な糸が一本ピンと飛び出してきた。これを見たとき、このミスを指摘してやろうと、これをきっかけに追い詰めてやろうとワクワクした気持ちになった。次の診察の予約が待ち遠しくてたまらなかった。

 待ちに待った診察の日。これを見てみろと言わんばかりに、透明な糸の存在を見せつけた。
「外科に行って」と、ただそれだけだった。
 こんな重大なミスを犯してどうするつもりなのか、と問い詰めたい気持ちだったが、確かにこれは外科のミスであると思えたので、素直に外科に行った。

 教えられて行った場所は患者が出入りするような場所ではなく、廊下には誰もいないし、電気もついていない状態だった。全体的に古びた木の作りで、ここは改装されていないのだと思った。再度、内科に行き、看護師に事情を説明すると、どこかに電話をしてくれた。
 再び外科に行くと、診察室らしき部屋の中から古びた木の枠に磨りガラスの小さな窓をガラガラと開ける人がいた。
 担当の外科医は手術中だということで、しばらく待つように言われた。
 しばらくして、手術が終わった外科医がやって来た。
「あ〜本当だ〜、よくあるよ」と言って、糸の根元をハサミでちょきんと切って、
「これでもう大丈夫」と言って去っていった。
 こんな処置ならわたしにでもできる。糸の出ていた辺りを触ると、チクチクと切り口を手で確認できた。
 このまま一生、釣り糸を首から出したまま生きるのかと思うと、この処置が許せなかった。
 次回はもっと別の方法で処置するように言おうと決心した。

 そして、次の診察時、採血して、検査結果を聞くこともなく、次の予約をして、その後、外科で釣り糸の処置をしてもらう。釣り糸はこういう方法で処置するしかないということだった。体内でほどけているということではなく、何回か切っていると出てこないなるから安心するようにと言われた。
 最先端の治療をありがとうございます。と、去っていく外科医に、こころの中でお礼を言った。
 
 納得できない診察と処置を繰り返した。
 冬になり、気温が低下していくと身体が重くて動かなくなっていった。動く気はあるのに、身体が鉛のように重く、起き上がることが困難に感じるようになった。
 甲状腺を摘出したことによる、甲状腺ホルモンの機能低下になっているのではないかと思われた。
 血液検査の結果を知りかった。次回の診察で聞こうと決めた。もう黙っていられない状態になっていた。

 この病院は、ここに溢れる患者の流れを乱したり止めたりしてはいけないのだ。1人3分の持ち時間を超えぬよう患者同士が協力して努めている。申し訳ないが、今日だけは、わたしはそこから抜け出させてもらう決意をして診察室に入った。
 甲状腺の機能低下のような症状で苦しんでいること、今まで行った血液検査の結果をすべて見たい、と頼んでみた。
 パソコンの画面ではなく、初めてわたしの顔を見た内科医は、
「正常の範囲の中にあるから問題ないし、数値を見ても分からない」と言った。
 手術前の状態と、現在の状態を見比べたいと訴えたが、変わってないと突っぱねられた。
 わたしがしつこく食い下がると、この場から出て行ってくれと言わんばかりに、血液検査の結果は外科に渡したと言った。
「では、外科で見てきます」と、そこを離れ、外科へ向かった。
 外科の看護師に血液検査の結果があるのかと聞いてみると、そういうものは内科で管理しているということだった。
 そのとおりだろう。内科医はわたしを追い払いたかっただけなのだ。
 あの奥のパソコンの画面の流れは決して滞ってはいけないのだ。
 しかし、どうしても血液検査の結果を知りたいので、内科に戻って騒ぐよりも、次回こそ必ず手に入れてやろうと誓い、おとなしく帰宅した。

 次の診察時、外科には血液検査がなかったことを伝えた。再度、今までの血液検査の結果をすべて見せてくれるように頼んだ。
「ずっと正常の範囲で問題ない」と内科医は言った。
 正常の範囲といってもその幅は広い。その右端から中央に、または左端へと数値が変動したとき、身体に変化があるのではないかと聞いてみた。身体に超微量しか存在しない甲状腺ホルモンが、ほんの少し変動しただけでも感知できるのではないか、と自分の考えを伝えてみた。
 内科医は、机の上に置いてあったその日の血液検査の1枚と、机の前に貼ってあるレントゲン1枚をわたしに投げつけて、
「二度と来るな」と言った。
「一枚ではなく、全部下さい」と言ったが、看護師に抱えられて外に連れていかれた。
 待合室で看護師に、どうしても血液検査の結果が見たいから何とかならないかと訴えたが、無理だと言われた。今までこんなことを訴える患者はいなかったとも言われた。わたしはクレーマーのような扱いをされているようだった。何を言っても通じないとわかったので、静かに去ることにした。
 
 総合受付で清算した。ご意見箱が置いてあった。その横に小さな紙が備え付けてあった。
 今までの不満を書いてやろうかと思ったが、この備え付けの紙では到底書ききれるものではなかった。
 あの内科医は副院長であるから、何を書いても握りつぶせる立場なのだろう。無駄な時間をこれ以上過ごすことにうんざりしていた。すると、メラメラと巻き上がっていた怒りの炎は急速におさまっていった。
 静かにここを去るように諭すような、そんな気がわたしの周りを取り囲んでいるように感じた。何となくその気に、押されるように、静かにここを去ることにした。
 清算を待って座っている人たちが理解できなかった。こんなところで平気で居られるなんて、何を諦め何を求めているのだろうか、ひとりひとりが個人として確認できない塊に見えた。

 以前であれば、あのような出来事があった場合、怒り狂って治まらなかったと思えるが、今回はまるで何もなかったように、さっと脱ぎ捨てることができた。
 愉快なエピソードのひとつ、というようなくらいのもので、それを握りしめて許さん!とはならなかった。それよりも、自分の身体の状態をどうにかしなくてはならないということだけに目が向いていた。

 今の身体の状態を知らなければ何も始まらない。血液検査1枚では何もわからない。甲状腺を摘出する前よりも、甲状腺ホルモンの数値が下がっているのは確かだろうと思えた。いろいろと本を読んで少しは勉強したので、TSHはどうなっているのかとか、T3とかT4とか2種類あるホルモンのバランスのことも知りたかった。
 患者は馬鹿だから分からないと決めつけて何も知らせないなんて、いつの時代のことなのかと思ったが、今現在もこんなことが行われているのだ。
 甲状腺の専門の病院を探し、県外の有名な病院に行ってみた。混んでいて診察時間は5分というところで、今の状態は正常だということで診察は終わった。もう1つ、近くの糖尿病と甲状腺が専門の個人病院へ行ってみた。糖尿病の方が主なのだと謳ってはいないがそうだった。甲状腺ホルモンの血液検査の結果は専門的で難しいそうで、わたしの質問にはあまり答えてくれなかったが、わたしがチラージンを飲んでみたいと言ったら、すんなりと処方してくれた。

 帰宅してすぐに飲んでみた。1日1錠を飲み、これでやっと動けるようになると信じていた。
 3日くらい経つと、イライラ、カッカッとしてきた。生理前のそれよりも遥かに激しい状態になった。
 四六時中はらわたが煮えくり返るように、暴れ狂っていた。
 これは機能亢進になっているのではと考え、薬を1日半錠にしてみた。変わらず1日中暴れていないといけない状態だった。
 暴れるといっても表面はイライラして怒りっぽくなっているだけだが、わたしの中で、魔物か怪物が凶暴に、何もかもめちゃくちゃに破壊を繰り返すしているような、そんな気がしていた。
 半錠をさらに半錠にする気はなかった。化学合成された甲状腺ホルモンは、人間が創り出すものと同じではないのだ。こういうものに頼るのはやめることにした。

 フラワーエッセンスを販売している医院や漢方を扱う診療所に行き、そこを開業された医師に、レントゲンを投げつけられるまでの一連の出来事を聞いてもらい、主治医になってほしいと頼んでみたが、なぜかお二人とも元外科医で、甲状腺は専門ではないということで断られてしまった。
 なぜ外科医から今のような病院を開業したのかという理由は、直接は聞かなかったが、わたしの一連の訴えを辛抱強く聞いてもらっている最中に、その反応でとても深く理解できたと思えた。

 こんなに素晴らしいお医者さんもいるのだと、心底思った。
 断られたとき、突き飛ばされるような感じはしなかった。それはまるで、優しく背中を押し、くるっと回転させて、正反対の方向へ歩いていきなさい、と言われているみたいに感じた。

 数値で表すことのできない身体の不調を、数値でしか判断できない医者に頼っても理解されない。
 臓器を切り取りさえすれば完治、薬を出すだけで終わり、そんな医者には頼らないと決めた。
 そして、そういう世界から抜け出したような方々に頼ろうとしても、頼らせてもらえない。
 このような経験を重ねていたので、全身全霊で身を委ねるようなことは、どこか違うと感じていた。
 さらに、わたしが寄りかかっても倒れないものは、どこにも存在していないのではないのか、という考えが頭の片隅に浮かぶようになった。そう思うしかない経験ばかりだった。

 わたしの不調を理解することができるのはわたしだけ。わたしが救われたと思える感覚を得るには、わたしが判断していくしかない。だからこそ、わたしがわたしを救うしかない。
「もう何者にも頼らずひとりで歩んでいこう」とこころで誓った。


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