20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:神さまのお医者さん 作者:こりん

第1回   1.甲状腺腫瘍
 長男が幼稚園に入園した年の夏の頃、わたしの甲状腺に腫瘍があることが判明した。
左の頬あたりにできた肌荒れの原因を知りたくて、皮膚科を受診した。皮膚科医は内科の医者がするように、首のリンパ管を上から下へ触りながら、ギョッとした表情でわたしを見た。
「甲状腺が腫れてるけど気づかなかった?」と言いながら、わたしに手鏡を渡してくれた。
手鏡に、その甲状腺という腫れている場所を映してみた。
わたしもギョッとした。首の付け根にピンポン玉のようなものがくっついていた。
「今まで気づかなかったの?」と聞かれたが、あまりの衝撃で、小さな声で知らなかったと答えることしかできなかった。
 すぐにでも甲状腺の専門の病院へ行ったほうがいいと言われたが、甲状腺という言葉すら知らなかったわたしには、どうしてよいのかわからないので、どこの何科に行けばいいのか教えてもらった。
 このあたりで甲状腺の専門の病院はひとつしかないらしく、そこに行くことを勧められた。
 肌荒れのことは、ストレスだということで抗生物質と塗り薬を処方されたが、すぐ隣ににあった薬局へは寄らず帰宅した。たしかにストレスに満ちた毎日だったが、幼児と乳児を育てている母親としてはごくありふれた状態だと思えた。
忙しい子育てのさ中、時間をつくって皮膚科を受診したことは正解だった。
甲状腺があんなことになっていたとは、わたし一人では気づくことなんて無理だった。鎖骨の下にすっぽり納まっている塊を見つけるために必要なことだった。
 
 数日後、甲状腺の専門の病院へ行った。
内科の中に甲状腺を専門とする科があり、副院長がその担当の医者だった。
待合室は他の科の場所はほとんど誰もいないように思えた。甲状腺の患者が多すぎて、座れない人が別の科の待合室に座っているようだった。それは、遠く離れた場所に座っていても、こちらの甲状腺の科の動きにすべての人が反応しているからだった。

 時間通りではなく、かなり遅れて、わたしの診察になった。診察室の中は皆が目を合わせることもできないくらい忙しそうな雰囲気だった。
このような大きな病院を訪れたのは初めてであったが、他の患者たちの様子から、この流れの中での立ち振る舞いはすぐに理解できた。
 腫瘍が悪性か良性かを調べるために、太い針のついた大きな注射器を腫瘍に刺し、中身の液体を吸い出した。血の混ざったどろっとした液体が、注射器の中に少し溜まった。
 もっと吸ったら腫瘍がなくなるのではないのかなと、こころに過ったが、そんな単純なことならば、こんなことにはなっていないのだから、その念はすぐに消えていった。
 しかし、中身が液体だったことは想像の域を超えていた。石のような塊だと思っていたのに違ったのだ。
 腫瘍があると判明してからも、鎖骨の後ろ側に手を突っ込んで腫瘍を取り出し触るなんて怖くてできなかった。
 血液検査やレントゲンを撮って検査が終了した。2週間後に検査結果がでるので、そのころに予約をするように言われ、そのとおりにした。

 家に帰ってから、鎖骨の後ろから腫瘍を取り出してみた。取り出すというより鎖骨の際を押すと丸い玉が出てきて鎖骨の上に乗っかった。ぷにゅぷにゅして塊ではなく、つぶれない固めのゼリーのようだった。
 針を刺されたからか、自分で触りすぎたからか、だんだんと腫瘍部分がズキズキと痛みだし、それ以外のことが考えられないようになってしまった。
 わたしは、どんなときも図太くて平気な人だと、自分では思っていた。そう思っていたわたしが、すぐに病院に電話をして、腫瘍が痛むと訴えていた。
 針を刺しているから当たり前だと言われ、明日も痛むようなら受診するようにということだった。
 
 甲状腺の本には、甲状腺腫瘍のほとんどが良性だということが書いてあった。
 診察のとき、悪性か良性か調べてみないとわからないと言われた。医者の様子は、本当にどちらでもない、どちらも可能性が50パーセントという感じだった。たぶん良性だろうということは、全く思っていないように思えた。
 そうなると、わたしの中で悪性の可能性が99パーセントになっていた。

 なぜ、そう思うのか。わたしは今までの自分を振りかえると、そう思うしかなかった。
 わたしは決して善い人間ではなかった。善人という部分がひとつもない、悪の極みであるが、またそれを上手く隠すことのできる、したたかでずる賢い人間であると思っていた。
 こんな人間だから良性なわけがないと、それ以外のものなんてないと言えた。 

 悪性であれば、死はすぐその先にあるのだと思えた。
 生まれて初めて死というものを身近に感じた。そうすると、このまま死ぬわけにはいかないと思った。
 こんな醜い姿のまま死ねない。自分をどうにかしなければいけない。すぐにこんなことを思った。
 死の恐怖とか、子供たちを残して死ぬとか、そういういうことではなく、このままではいけない、この濁って澱んだ自分をどうにかしなくては、とこんなこと考える2週間だった。

 2週間後、検査結果を聞きに行った。
 良性だけど、ピンポン玉大の大きさで気道を圧迫しているということで、右葉を全摘出することになった。良性と判明しただけで、わたしの極悪の部分が許されたような気がした。その部分はもういいのだと、自分なりに解釈して、治療に向かうことができた。
 手術前に詳しい検査をしなければならにということで、そこでまた、言われるとおりに予約をした。
 丸1日かかる検査で、わたしよりも年上の女性とわたしよりも年下の女性とわたしの3人で、年上の女性が1番、わたしが2番、年下の女性が3番という順番で、いくつもの部屋を移動しながら、いくつもの検査を受けた。
 年上の女性とわたしは親しく話しをしていたが、年下の女性は不機嫌そうで、わたしたちにうんざりしているように思えた。それについて、わたしも年上の女性も寛大でいられた。なぜなら、わたしたち2人共がかつての自分のように思えたのだと思う。3人とも腺腫様甲状腺腺腫という病気で、年上の女性は右葉も左様も全摘出だと言っていた。わたしは右葉で、年下の女性も摘出するのだろう。
 3人だけだが、のんびりとかぼんやりとか、おおらかさや温かい雰囲気は感じなかった。鋭さ、不機嫌、陰気が見え隠れするような、そんな雰囲気の3人だと思えた。
 親しく話しをした女性とはテンポよく明確に心地よく話が弾んだ。わたしはこういう感じの人のほうが好感が持てる。
 いい気分で検査の1日が終わった。
 他にも同じ病名で甲状腺を切除した女性を知っているが、同じく勘の鋭い感じの人だった。
 後日、この病気になる人に共通する特徴はあるのかと主治医に聞いてみたが、は?という顔をされて、何も応えてはくれなかった。

 2週間後、検査結果を聞きに行った。問題なく手術を受けられる状態なので、手術の予約をするように言われた。1週間の入院が必要ということなので、長男と次男の面倒をみる母のことを考えると、1日中2人の世話をするよりは、1人が少しの間でも幼稚園に行っていてくれたほうがいいので、夏休みは避けたほうがよく、長男の運動会が終わってからが最も良い時期だと思えたので、9月の中旬以降に予約を入れた。


次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 1298