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作品名:多宝塔の悲しみ 作者:やま

最終回   1
  創作「多宝塔の悲しみ」  作 大山哲生

昔、あるところに仏師がいた。
ある貴族が寺の建立を発願したのに伴い、丈六の阿弥陀如来像を彫り上げることになった。そのとき貴族からは阿弥陀仏の胎内に多宝塔を入れてほしいと言われたので、仏師は細工師の半谷(はんや)に彫金細工の多宝塔を作るよう依頼した。
 半谷は当世一の彫金の名人と言われた男であったが仕事がたて込んでおり、一番弟子の良谷(りょうや)に多宝塔を作らせることにした。良谷は彫金細工師として三十年あまり修行をし、親方に一歩もひけをとらないくらいのこれまた名人なのであった。
「良谷よ、こたび阿弥陀如来の胎内に一尺ほどの多宝塔を納めよとの依頼である。そなたの腕を見込んで、立派な多宝塔をこしらえてもらいたい」と半谷は言った。
良谷は少し驚いたが、目を伏せ声をくぐもらせながら「お受けいたします。良谷、腕をふるい立派な多宝塔をこしらえて見せます」と言った。
半谷は「おまえにならできる、たのんだぞ」と言うのが精一杯だった。

 阿弥陀像の胎内に多宝塔をいったん納めたら、その部分を木で覆い光背と呼ばれるものに像を密着させて安置する。だから、胎内のものは一切誰の目にも触れない。
 阿弥陀像は見えるから、人の口にのぼったり時には賞賛の対象となる。そのとき、胎内の多宝塔に思いをはせる人は皆無といってよい。
 良谷は、悶々としていた。一生懸命に多宝塔をこしらえても誰も見ることはないし、自分の名前が知られることもない。つまり、この多宝塔は、未来永劫誰も目にも触れず歴史の舞台から消えたままになるということである。
 長年、職人として腕をみがいてきた良谷にとっては、それは死ぬことより辛いのであった。いっそのこと、いい加減に作ろうかとも思ったが、それでは親方に恥をかかせることになる。
「おれが魂を込めて作った多宝塔を胎内に納めた時から、それはこの世にはなかったことになるのか」と良谷は嘆いた。
 良谷は、なんとも言えないやるせない思いで、槌をふるい多宝塔を作り始めた。作っている最中には、腹から一気に力が抜けるような寂しい思いが何度も襲ってきたのであった。
三 
三ヶ月が過ぎた。
 良谷は「俺のこしらえた多宝塔を多くの人に見てもらいたい。ともかくこの多宝塔を、歴史の表舞台に立たせてやりたい。それこそが、俺が三十年も修行をしてきた目的ではないか。作ってすぐに胎内の納めるのではこの多宝塔は誰にも知られないでおわる。それでは俺はあまりにも切ない」と思った。そう思えば思うほど悔しくて、情けなくて涙が止まらないのであった。
 また三ヶ月が過ぎた。
 良谷は「俺は自分のこしらえた多宝塔を多くの人に見てもらいたい、後世に残したいと思い続けて来た。しかし、それこそが、仏道で説く我欲という煩悩ではないのだろうか。誰が見ていなくとも、誰の目に触れなくとも自分の魂を注ぎ込んでこしらえるのが菩薩行というものかもしれない」と思い直した。こうして、良谷は多宝塔の一層目をこしらえた。細かい部分にまでこだわり、自分なりにとてもよい出来だと思った。
 また三ヶ月が過ぎた。
 良谷は「我欲は煩悩であろうと思うが、おれはこの多宝塔をなんのためにこしらえているのだろう。できた瞬間に海の底に沈めるようなものではないか。この多宝塔の屋根の細かい細工はなんのためか。この壁の細かい細工はなんのためか。おれは一体何をしているのだ」自問自答した。沈みこむ自分を支えることができない。
 そうこうしているうちに、多宝塔は極彩色の絵付けも終わりできあがった。それは思わず手を合わせたくなるほどありがたいお姿であった。
 良谷は、できあがった多宝塔を一人で眺めていた。それはあたかも自分の分身のように思えて来たのだった。もうすぐ、この多宝塔が誰知られることもなく歴史の舞台から消えてしまうと思うと、あふれる涙をこらえることができなかった。

 いよいよ、多宝塔を阿弥陀像に納める日が来た。
 できたばかりの阿弥陀像と多宝塔を前にして、仏師と半谷と良谷がいた。半谷は言った。「良谷よ、よくやった。この多宝塔は実によい出来じゃ。これを胎内に納めれば阿弥陀如来の霊験が高まること間違いなしじゃ」
仏師は、像の後ろに回ると小さな穴からうやうやしく多宝塔を入れた。さらにその上から穴と同じ大きさの木の板でふさいで、膠で固定した。その仏師は名人と言われるだけあって、穴をふさいだ痕跡は一切残さず、まるでもともとあった木のように見えたのであった。
 それは、良谷のこしらえた見事な多宝塔が誰の目にも触れず歴史から消えた瞬間でもあった。

 良谷は、一人になって泣いた。自分のこしらえたものが誰の目にも触れなくなったことに対する悲しみと、自分の作品を後世に残したいという我欲に対する自己嫌悪のまざった複雑な涙であった。
 しかし、いくら思い直してもあの多宝塔が痕跡すら残さず歴史の舞台から消え去ったことの悲しみは癒えなかった。どうしてか、どうしてこうなったのか、良谷は自問自答を繰り返すばかりであった。
 寺の落慶法要は、盛大に執り行われた。
 良谷は落慶法要に参列した。金堂の奥に見える阿弥陀仏は堂々たる存在感を漂わせていた。あの阿弥陀仏の胎内に自分が魂を込めた多宝塔が入っていると思うと、また悔しくて涙が出た。そして、落慶法要に参列している貴族や高僧は誰一人多宝塔のことを知らないのだと思うと、良谷は自分がそこにいることさえも場違いな気がしたのであった。

 一年が経とうとしていた。しかし、良谷はまだあのときの気持ちを吹っ切れないでいた。良谷は次第に無口になっていった。彫金への情熱はもう持てなかった。良谷は、自分が抜け殻のようになってしまったことを自覚していた。なにをしてよいかわからず、どう考えればいいのかもわからなかった。
 ある日、あの寺の前を通ったとき、金堂の奥にあの阿弥陀様が見えた。思わず、お堂に近づき手を合わせたとき、阿弥陀様が良谷を見て微笑んだように見えた。
 そのとき、良谷は大悟した。
「そうか、俺は自分の作った多宝塔が誰の目にも触れないことを嘆いていたが、あの阿弥陀様だけはわかってくださっている。そういうことだったのか。そうだ、阿弥陀様はわかってくださっているのだ」
 良谷は家に帰ると、親方への手紙を残して出家した。
 手紙には「阿弥陀様はわかってくださっている」と書かれていた。
 その後良谷によく似た坊様を京の町で見かけたと、人々は語り伝えたということである。


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