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作品名:ミスティ 作者:やま

最終回   1
第113回古都旅歩き 創作
  「ミスティ」  作 大山哲生

湯川修三は憂鬱だった。修三は現在高校二年で大学受験はまだ先のことであるが、将来は文科系に進むか理科系に進むかで悩んでいた。
机の横のカレンダーを見つめる。でかでかとした「1967年」の文字の下に十月のカレンダーがある。
 今日は、十月二十六日。中間テストが終わって数日たつ。返されたテストはどれも悲惨なものだった。英語は55点でなんとか50点を越したが、物理や化学は25点前後。数学に至っては19点というものであった。
 ただでも頭の痛いところに持ってきて、あとひと月すれば期末テストがある。実に憂鬱なのであった。

 修三は、毎日、数学は夜の十一時過ぎから始めることにしていた。十一時になると、机の端のトランジスタラジオのスイッチをいれる。修三は深夜放送を聞きながら数学の勉強をすると決めていた。
 ある日、深夜放送で美しいピアノ曲が流れた。クラシック音楽でもなくジャズというふうでもない。数学の手をとめて音楽に聞き入った。
 音楽が終わるとアナウンサーが『エロルガーナーのミスティでした』という。そうか、今の美しい曲はミスティというのか。修三はしばらくその曲の余韻に浸っていた。
 万事こんなふうだから、数学の勉強ははかどらなかった。

 修三は日吉ヶ丘高校の二年二組。教室に入ると、池田和佳子が話しかけてきた。
「湯川君、昨日の深夜放送聞いた ?」
「ああ」修三はめんどうくさそうに答える。
「あのミスティっていう曲よかったよね。とってもロマンチックで」
「ああ」またも修三は面倒くさそうに答える。それだけ言うと池田は別に気を悪くする風もなく女子の仲間にもどっていった。池田は修三によく話しかけてくる。高校に入りたての頃は、周りに冷やかされたりしたが、最近では冷やかす者は誰もいない。
 だいたい、修三は池田和佳子が好きでもなんでもない。むしろ話しかけられるのが嫌だなと思うことの方が多かった。池田だって別に修三が好きというわけではないようだ。ただ、しゃべりやすいからしゃべりかけてくるだけである。
 男子と女子ではあるが、恋愛感情のない冷めた二人なのであった。
 修三と池田和佳子との出会いは中学二年の時にさかのぼる。

 中学二年の一月。三年を送る会で修三のクラスは出し物として寸劇をすることになった。
 修三は、出演するのは女子で男子は裏方という意見を述べた。クラスの男子は二十四名、女子は十九名。多数決に持ち込めば修三の意見が通るはずであった。
 このとき、強行に反対したのが池田和佳子であった。池田和佳子は何かの病気らしくて、少し学校を休んではまた普通に出てくるというのを繰り返していた。
池田は、出演は男子で裏方は女子という修三とは正反対の意見を述べた。池田は成績もよく頭がよく回る。池田は、出演が男子であることがいかにふさわしいか、裏方として女子はお化粧もできるしいかに適任であるかということを理路整然と述べるのであった。
 修三は、池田の意見に圧倒された。とてもじゃないが言い返せない。仕方がないので同じ主張をただ繰り返した。
 多数決をとると、かなりの差で池田の意見が通った。修三が頼みとしていた男子は数人が池田の側につき、さらに数人が棄権した。
池田は勝ち誇った口調で「湯川君、主役だよ。私がちゃんとお化粧してあげるから」
 修三はいつの間にか主役に祭り上げられていた。でも、悔しい思いをどこにもぶつけることができなかった。

 修三は腹がたって仕方がなかったけれど、決まったからには出演しなくてはいけない。
 寸劇の台本も修三がかいた。二人の男が病院と美容院をまちがえてたどり着くという筋であった。
 まず二人の男がタクシーで乗り付けるところからはじまる。
「全くよく揺れるタクシーだ。殺人的だったぜ」
「1500円のとこを100円にまけてもらったのがわるかった」と修三が言うと、見ている三年がどっと笑う。
 その後も劇はとどこおりなく進み、無事十五分の熱演が終わった。
 教室に帰ってくると、真っ先に修三を迎えたのが池田和佳子であった。
「湯川君、見直したよ。なかなかよかったよ」
修三は少しうれしい気持ちがした。しかし、池田のそのあとのひと言でまた腹が立った。
「やっぱり私の意見は正しかったよね」
 修三は、結局池田にのせられたような気がして気持ちがまたまたむしゃくしゃした。
 それからである、池田和佳子が修三にべたべたと話しかけるようになったのは。

 再び日吉ヶ丘高校、二年二組の教室。
 「ミスティっていう曲いいよね」と池田は話しかけてくる。池田は高校でも体の調子が悪いらしく、少し休んでは出てくるというのを繰り返していた。出てきた時は必ず修三に深夜放送のことを話にくる。池田和佳子が修三に深夜放送のことを話すようになったのは、以前に修三がなにげなく別の友人に、自分が深夜放送のファンであることを熱く語ったのを、池田和佳子に聞かれてしまってからであった。
 それからというもの、池田が学校に来ているときは一日一回は深夜放送のことを修三に話にくるようになったのであった。
 修三は相変わらず池田が好きでもなんでもなかったが、池田に話しかけられると、本当に修三を好きな女子が遠慮してしまうのではないかと密かにうぬぼれた。しかし、全くの杞憂であった。
 そんなことより、修三にとっては期末テストで数学をなんとかしないと落第するかもしれないという心配の方が大きかった。

 十二月三日。数学の期末テストが終わった。修三としてはやるだけやったが、書けない所の方が多かった。次の日は試験休みであった。修三は、別に用事はなかったが自転車で高校に行った。無線部の部室をのぞくと二人来ている。しばらく話をして廊下に出ると、池田と会った。
「あ、湯川君も来てたんだ。私も華道部のことで来てみたらだれも来ていなくて今から職員室に部室の鍵をとりにいくところ」
「あ、そう」と修三はぶっきらぼうな返事をし、池田と別れた。
 数学のテストはやはりよくなかった。数学の教師が、レポートを提出したら助けてあげるからと言ってきた。修三は早速『数理哲学入門』という本を買ってきて、斜め読みをしてレポートを作成し提出した。
 こうして、あわただしく1967年が暮れたのであった。

 翌年、一月のある水曜日。
 修三が帰り支度をしていると、池田和佳子が「湯川君、放課後に東福寺に来てくれる。そこで待ってるから」と言ってきた。
 その日は部活動のない日であったので修三は言われるままに東福寺に行った。修三の通う日吉ヶ丘高校と東福寺は非常に近い。美術の時間には東福寺で写生する者もいたほどである。東福寺は京都五山の第四位の禅寺で、多くの塔頭をもっている大寺院である。
 池田は東福寺の巨大な三門の石段に腰掛けていた。
「あ、湯川君、来てくれたんだ」と池田はうれしそうに言う。修三は、一メートルほどあけて腰掛けた。
「こうやって湯川君とゆっくり話すのははじめてだね。ね、中学の時はおもしろかったね」
「ああ、あの寸劇のことか。あれは絶対に勝てると思ったが、池田さんの理屈がすごくて言い返せなかった」
「私、あのときは本当に腹がたったのよ。なんて勝手な意見をいう奴だろうって。こういう奴には天誅を下さなければってね。でもね、湯川君は負けたら潔く劇に出たでしょ。あれは女子の間でも意外だっていう意見が多かったの」
「そんなことは知らなかったな。ぼくにしたらいやいや出演しただけ」修三は答えた。
「ところで話って」と修三は聞いた。
池田は少しうつむくと「実はね、私明後日から入院するの」「盲腸かなにかで」「そんなんじゃない。お医者さんからは余命半年と言われている。だから、入院したらもう学校に戻ることはないし湯川君と話すこともないと思う。私は小さいときから病気がちでいつかこんな日がくるのではないかと思っていたんだ」と池田は涙を浮かべてつぶやくように言った。
 修三は絶句した。
「私ね、湯川君が弟みたいな気がしてた。私が話しかけて嫌がってるのもわかっていたよ。でも、湯川君が照れるのがおもしろくて話しかけてたんだ」
「へえー」と修三は間の抜けた返事をした。
 二人はしばし無言であった。静寂を破ったのは池田だった。
「じゃあ、帰るね。湯川君元気でね。入試がんばってね」と言うと池田は修三とは反対の方に歩き出した。
修三はなにか言わないといけないと思ったが口から出たのは「じゃあまた」という言葉だけだった。
 修三は帰りの道で、もっとしゃれた言葉があったはずだと悔やんだ。
 次の日から池田和佳子は学校に来なかった。毎日、べたべたと話しかけてこられるのは嫌だなと思っていたが、いざ池田がこれから学校にくることはないと思うと寂しかった。
九 
修三は、数学のレポートの甲斐あってか三年に進級することができた。池田和佳子のいない生活が三ヶ月続いた。いつも身近に居る人がいなくなるのは寂しいものだと痛感した。そして、修三は、あれほどいやがっていた池田であったが、池田和佳子のことを好きなことに気がついたのであった。今まで池田が身近すぎてわからなかったが、離れてみるとかけがえのない修三の理解者だったような気がする。
 修三は、池田和佳子への恋心を後悔とともに自覚したのであった。
 五月の連休のあけたころ、人づてに池田和佳子が亡くなったという話を聞いた。修三はその日をどう過ごしたがよく覚えていない。家に帰ると修三は泣きじゃくった。そしてノートに詩を書いた。『池田和佳子さん 大好きでした』と。

 修三は相変わらず深夜放送を聞いていた。次の日に深夜放送について話す人は永遠に居なくなったけれど、相も変わらず深夜放送を聞きながら数学の勉強をしていた。
 そのときアナウンサーが『では次は池田和佳子さんのリクエスト、エロルガーナーのミスティです。メッセージは、湯川君ありがとうということです』と言った。そのあとミスティのピアノ曲が流れてきた。
 修三はあふれる涙を拭こうともせず曲に聞き入った。
ありし日の池田和佳子を思い出しながら。

 


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