20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:狼と呼ばれた男たち 作者:やま

最終回   1
  「狼と呼ばれた男たち」 作 大山哲生

 慶応三年一月二十二日。京都の、とある民家。
 二人の男が頭をつきあわしている。そのそばで行灯の灯りがゆらゆらと揺れていた。
「だから伊藤さんは新選組を抜けると」
伊藤さんと呼ばれたのは、新選組参謀の伊藤甲子太郎である。伊藤は最近新選組に入った。彼の北辰一刀流の腕に近藤勇が惚れ込んだからであった。伊藤は、新選組の中では一番の理論派であった。
「そうだ、おれは水戸藩の出身で、勤王思想で育った。今の新選組は勤王の仮面をつけてはいるが、近藤勇のわがまま放題のやり方で堕落している。近藤を局長から引きずり下ろし、おれが局長となって新選組を真の勤王として立て直したいと思う」
「私もそう思います。伊藤先生のおっしゃられることは尤も」と相づちをうったのは藤堂平助であった。藤堂平助は二十歳。若いがめっぽう腕が立ち新選組八番隊の隊長に抜擢された男である。
「平助はどうだ」と伊藤は聞いた。
「私は、江戸の試衛館で近藤さんや土方さんと腕を磨いてきた。剣術の腕を生かせる場として京都にきて、新選組を結成した。私はここまでは何の不満もない。しかし、近藤さんは局長と名乗り、恐怖と恫喝で支配する場として新選組を作り替えた。だから今の新選組は真の勤王とはなっておらん。私はそこに我慢がならない。でもどうしてよいかわからん。伊藤さんにはなにかお考えがおありか」
「まかせておけ。おれにちゃんと考えがある」と伊藤はにやりと笑った。

 ある日、伊藤は新選組局長・近藤勇の前に出て「近藤氏、最近長州は幕府を恨んでおり、なにか計略をめぐらせているようだ。そこで、拙者は長州藩に間者(スパイのこと)として入り、内実を探ってみようと思う。そのためには新選組のおっては不便であるので、しばらくは同士と別居をせねばならん。ご貴殿は、この考えに同意してはもらえないだろうか」と言った。
 近藤は、伊藤の腹をすでに見抜いていたが、そしらぬ顔をしてこの申し出を受けた。
 この時、伊藤は藤堂平助ら十数名をつれていくと申し出、さらに「もう一人腕の立つ永倉新八か斉藤一を借用したい」と申し出た。
 永倉新八は二番隊隊長、斉藤一は三番隊隊長、ともに以前近藤のわがままぶりを会津藩に申し出たことがあった。伊藤はこの両名を新選組の不満分子と考え、どちらであっても必ず我が方につくという読みがあったのであった。
「それなら、斉藤をお貸し申そう」と近藤はいった。

 伊藤、藤堂、斉藤らは高台寺に移り住むことになった。伊藤ら十五名は表向きは孝明天皇の御陵を警備する御陵衛士と呼ばれることになった。
高台寺に移り住んで半年たったある日、伊藤は斉藤に「実は新選組を真の勤王とするために近藤勇を暗殺しょうと考えている」と打ち明けた。
 斉藤は「私も賛成だ。以前から近藤のわがままには我慢がならなかった。ただ、暗殺といっても大勢では目立つ。ここは拙者にまかせてはもらえないか。私は非人のかっこうをして新選組の門前に立ち、近藤が出てくる所を仕込み杖で倒す。ただ、相手もかなりの剣の腕なので拙者は差し違えるつもりだ。だから二度と戻らないかもしれない。そのときは伊藤氏、よろしく頼みたい」と言った。
 これを聞いた伊藤は痛く感服し「そのお覚悟はまさに武士の鑑である。わかった、近藤暗殺は斉藤氏にまかせよう」と答えた。

 暗殺予定の三日前、壬生寺の門前に一人の非人が立っていた。
門番は「こらこら、ここは新選組の屯所だぞ。おまえのような者が来るところではない。帰れ、帰れ」
「永倉さんにとりついでもらいたい」と非人はいった。
「何だと、貴様・・・・・・こ、これは斉藤隊長。すみません。すぐに永倉隊長を呼んできます」
 やがて現れた永倉は、その非人が斉藤一であることを見抜いた。二人が横の番小屋に入ると、斉藤が切り出した。「伊藤らと半年過ごしてやっとわかったことがある。かれらは近藤さんを暗殺する計画を持っている。実行は三日後だ」
 永倉は、この報告を聞いて驚いて「わかった。すぐに局長に伝える」と答えた。実は斉藤は近藤の送り込んだ間諜なのであった。
 永倉はその足で近藤の部屋を訪れた。

 この知らせを聞いた近藤勇は永倉に言った。「やはり。わしの思った通りだ。伊藤め、そういうことを考えていたのか。永倉よ、伊藤ら御陵衛士を全員殺害する。永倉も暗殺部隊に加わってもらいたい。ただし、藤堂平助は若くて腕もいいので殺すにはしのびない。藤堂はうまく逃がせ」
「わかり申した」と永倉は答えた。永倉は藤堂をかわいがっていたので、近藤のこの命令は大変ありがたかった。
 近藤は一計を案じ、伊藤甲子太郎に手紙を送った。内容は、かねてより要望のあった金子(きんす)三百両をお渡ししたいので、七条にある近藤の妾の家にとりにきてもらいたいという内容であった。
 これこそが、近藤が考えた罠なのであった。

 伊藤は、しこたま酔っていた。「まあまあ、伊藤氏、もっと酒を」と近藤は胸中の毒を秘して自ら酒を勧める。
 ここは七条の妾宅。豪華な酒宴が繰り広げられていた。
 近藤も土方も足腰が立たないほど酔っている。歓待された伊藤はここに油断した。
「伊藤氏、三百両は用立てたもののまだ届かぬ。さすれば明日必ず高台寺にこちらから届けよう。この近藤も武士のはしくれ。二言はござらん」
 伊藤は「わかり申した。近藤氏、今宵は楽しうござった。金子の件は感謝する」と言うと外に出た。そして下男を数人連れて高台寺を目指して歩き始めた。
 その夜は、薄月夜であった。伊藤が七条通油小路にさしかかると、三人の刺客が現れた。「伊藤氏、お命頂戴する」と叫ぶや、一人が斬りかかった。伊藤も刀を抜いて応戦した。伊藤は酔いも手伝ってかじりじりと後ずさりした。そのとき、物陰からぬっと現れたもう一人の刺客に横から切られ即死した。
 三人は近藤の放った刺客であった。近藤は、伊藤が北辰一刀流の名手であることを考え、しこたま酒を飲ませてから襲ったのであった。

 伊藤の死骸を見て下男は高台寺に向かって走った。
刺客の一人は「伊藤の死骸を引き取りに御陵衛士たちがくる。こちらも応援を頼もう」そういうと壬生寺に走った。
 かくして、永倉新八を含む数十名の新選組の隊士は伊藤の死骸を遠巻きにし、物陰が隠れた。
 亥の刻をすぎようとするころ、女がちょうちんをもって伊藤の死骸に近づいた。御陵衛士の一味で様子を探りに来たのである。
「これはこれは、まあ伊藤はん、たいへんなことにならはって」と言うと引き返していった。ややあって、数名の御陵衛士が空かごをかついでやって来た。そのとき、隠れていた数十名の隊士が刀をふりかぶって飛び出した。

永倉は藤堂平助が来ないことを願っていた。永倉と藤堂平助は江戸の試衛館で剣術の腕を磨き合った仲である。永倉は年の若い藤堂を弟分と思っていた。藤堂平助がきたとしてもうまく逃がすつもりであったが、できれば来ないでほしいと永倉は思っていた。
果たして駆けつけた御陵衛士の先頭には藤堂平助がいた。真っ先にやあと切り込んだのは、永倉新八であった。永倉は藤堂とがっつりと刀のツバを合わせると、永倉は小声で藤堂に話しかける。
「平助、おれは切りそこなってつんのめるからその隙に逃げろ」
「そんなことをしたら」
「いくぞ、逃げろ」
「わかった」と藤堂は答える。
永倉は切り込む刀がはずれてつんのめる。その隙に藤堂は一目散に駆け出した。そのとき、事情を知らない三浦常三郎が「おのれ逃がすものか」と叫んで後ろから袈裟懸けに切り下ろした。藤堂平助はその場に倒れてやがて息絶えたのであった。
 こうして、伊藤の遺骸を引き取ろうと駆けつけた藤堂平助をはじめ数名の御陵衛士は、多数の新選組隊士に惨殺されたのであった。
 こうして、近藤勇の暗殺を企てた伊藤甲子太郎らの御陵衛士は離散した。
 藤堂平助を切った三浦常三郎は、藤堂に大恩のある身であった。命令とは言え大恩のある人を切ったと言うことで精神に変調をきたし、若くして亡くなった。
 しかし、このとき切ったのは御陵衛士のすべてではなかった。後日このことが近藤の運命を変えようとは誰も予想だにしなかった。

 その後新選組は時代の波に翻弄された。戊辰戦争では、大砲の前に剣術がなんの役にもたたないことを思い知らされた。近藤は江戸に帰り、江戸に入ろうとする新政府軍を迎え撃った。その後、近藤は新政府軍とらえられ「大久保大和」と偽名を使って逃れようとする。しかし、新政府軍の中に元御陵衛士がおり、近藤勇であることが見破られてしまった。近藤は打ち首となり、京都三条河原でさらし首となったのであった。
その後新選組はちりぢりになり、会津新選組、箱館新選組などが新政府軍と果敢に戦った。そして近藤勇に続き土方歳三も散った。
元号が明治と改まった。京都で壬生狼と恐れられた新選組はすでに跡形もなかった。
新選組の隊長で生き残ったのは斉藤一と永倉新八であった。
斉藤は警察官となった。警視庁に属し、西南戦争では西郷隆盛の軍と戦った。
永倉新八も生き残った。永倉は新選組のことを後世に知ってもらいたいとの思いから、『新選組顛末記』を書き残した。
今、京都の町の人々は新選組を懐かしんでいる。その乱暴さゆえに狼と呼ばれた男たちの生き様に思いを馳せるかのように。
そして、惨劇のあった七条油小路は今日も穏やかな日常が流れている。


■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 402