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作品名:鳳凰の茶釜 作者:やま

最終回   1
  「鳳凰(ほうおう)の茶釜」  作 大山哲生

時は元禄であった。
 徳川と豊臣の争いも遠い昔のことになり京都の町には落ち着いた日常が流れていた。
 ある日、京都の商人、万屋治平(よろずやじへい)は茶会を催した。茶会には万屋の友達を招いた。四人の客は万屋の離れにつくられた茶室にはいる。
 茶釜はシュンシュンと心地よい音をたてている。一同は、茶釜に目が釘付けになった。
「ほう」客の一人がうなった。
 その茶釜は左右に、広げようとしている鳳凰の翼をあしらっている。それは大変凝った作りで細部に至るまで非常にていねいな拵えなのであった。
 主人が茶を点て、客人は器を愛でながら茶を飲んだ。やがて主人は、茶釜に水を入れふたをした。茶釜はシュンシュンという音をやめ、静かになった。
 ここまでならどこにでもある茶会の風景である。
 客一同が驚いたのは次の瞬間であった。
『ピーン、ピヨーン、ピーン、ピヨーン』
「い、今の音はなんどすか」客の一人が聞いた。
「水琴窟どす」と万屋はすまして答えた。
「どこか近くに井戸でもあるんどすか」
「違います。この鳳凰の茶釜が鳴ってるんどす」
「えっ、この茶釜が水琴窟の音を出してるということどすか」
「そうどす」と万屋は答える。
 一同は絶句し、茶釜を見ながら耳を傾ける。『ピーン、ピヨーン、ピーン、ピヨーン』
「た、確かにこの茶釜どす」
「万屋さん、これは驚きました。私は今までいろいろな茶釜を見てきましたが、所詮装飾が少しこっている程度どした。しかし、水琴窟の音がする茶釜は初めてどす。驚きました」
 茶釜が冷め切ると、水琴窟の音はしなくなった。
「この釜は京釜どすか」と別の客が聞いた。
「そうどす。京都の小西左右衛門が作ったものどす。小西左右衛門はこの鳳凰の釜をひとつだけ拵えました。左右衛門はすでに亡くなっているのでこの世に鳳凰の釜はこれしかないのどす」

 この話はすぐに京都の町に広まり、時の帝の耳にも入った。
 ある日、万屋の店先に御所の使いがやってきた。
「お上が、鳳凰の釜を見たいとおっしゃっておられる。厳重な警備をつけるから、その釜をぜひ御所までお持ち願いたい」と言った。
 万屋は誠に恐れ多いことと一度は断ったが、使いはどうしてもということで引き下がらない。
 仕方がないので、万屋は精進潔斎して御所に鳳凰の釜をもって参上した。御簾の向こうには帝、周りには公家が大勢並んでいた。
 万屋は、汗をかきながら、茶釜に炭を足す。茶釜はシュンシュンと小気味よい音をたてる。三杯分の湯をくみ出す。
 釜がさめかかると、『ピーン、ピヨーン、ピーン、ピヨーン』と鳴りだした。
「おおっ」思わず帝も公家たちも声を上げた。
『ピーン、ピヨーン、ピーン、ピヨーン』
「水琴窟の音や」「そうや水琴窟や」と公家たちは驚きの声を上げる。
 帝は大変喜ばれ、万屋に褒美を手渡されたのであった。

その噂を聞いた各地の豪商が、連日連夜、万屋を訪れ、鳳凰の茶釜をぜひ譲ってほしいと言ってきた。中には、脅迫まがいに譲渡をせまる者もおり、万屋は頭を悩ませた。ついに二千両で譲ってほしいという豪商まで現れた。しかし、万屋は誰に対しても「お譲りはいたしまへん」と断り続けたのである。
 ある深夜のことである。万屋のまわりに十数名の男たちが集まっていた。頭と思われる男が刀を振り上げると同時に、男たちはどかどかと万屋の邸内に押し入った。
 しばらくは怒号や叫び声がしていたが、しばらくすると男たちは一斉に引き上げていった。
 夜があけると、万屋の庭は踏み荒らされ座敷に泥のついたわらじの跡が無数についていたのだった。幸い死者は出なかったが、女中連中はものも言えないほどおびえきっていた。
 万屋が邸内を調べてみると、百両近い金とあの鳳凰の茶釜がなくなっていた。
 万屋は大変気を落としたが、糸の商売の方は今まで通り続けたのであった。その後万屋は、災難よけのために屋敷の北東に小さな祠をしつらえて信心をしたのであった。
 それ以後、万屋の茶会ではありふれた京釜で茶を点てた。鳳凰の茶釜を知っている客たちは、懐かしそうにあの茶釜を話題にしたのであった。
 これ以後、鳳凰の茶釜を見た者はいなかった。

 昭和四十一年、京都大学教授の箸黒(はしぐろ)勝之助は研究室で調べものをしていた。遠くでは学生デモのシュプレヒコールがかすかに聞こえてくる。そこに部屋をノックする者があり、「どうぞ」と招き入れると史学科の学生、万谷政夫であった。
「先生、えらく深刻な顔ですね」
「そう見えるかね。最近、老眼でね。本を読むときはしかめっつらをするものだからそう見えたのかな」
「先生は、茶釜の研究をされているんですね」
「そう、まあ半分は趣味みたいなものだがね。今、気になっているのは鳳凰の茶釜と呼ばれるものだ」
「鳳凰の茶釜ですか」
「形がね、鳳凰が翼を広げる形にこしらえてあるらしい。なにより、湯がさめていく途中で水琴窟の音がするんだって」
「水琴窟ですか。それは珍しいですね」
「今、あれば国宝ものだよ」
「今はないんですか」
「いや、元禄六年に記された『京都茶釜百選』の中では、横綱として紹介されている。他の古文書を当たってみると、京の万屋という糸問屋がこの茶釜を所有していたが、盗賊に襲われてこの茶釜を奪われたらしい。万屋は敷地に祠を作って信心したが時すでに遅しというわけだ。以後、この鳳凰の茶釜は忽然と歴史から消えてしまうんだ」
「不思議ですね。盗賊が奪ったとしたら誰かに売ると思いますが」
「そうなんだ。ぼくがしかめっつらになるのもわかるだろ」そういって、箸黒は笑った。

 七月十五日。京都の町は最もにぎやかな、そして最も慌ただしい夜を迎える。
 祇園祭の宵山である。各鉾町には次の日に巡航する鉾や山が静かにそのときを待っている。鉾や山に乗っている町衆が笛や鉦をならして、祇園囃子を響かせる。無数の提灯に灯が入り、観光客も多数押し寄せる。
 箸黒は、万谷政夫の家にいた。万谷の家は古くからの屋敷で敷地には庫もある。場所は室町通り六角を上がったところで鉾町の真ん中である。宵山のざわめきが屋敷の中まで聞こえてくる。万谷が箸黒教授に「宵山にはぜひお越しください」と以前から案内していたのが、この日実現したのであった。
 箸黒は一風かわった宵山の楽しみ方をしたと大満足だった。

 あくる日から箸黒は研究室で再び古文書を調べ始めた。いくつかの古文書を調べたが、箸黒は行き詰まった。そのとき箸黒は万谷の言ったことを思い出した。「盗賊なら奪ったものを売るとかしますよね」
 盗賊が盗んだなら売って金にするのが普通だろう。売れば、他の誰かの手に移るわけであるから、その後の古文書に何らかの記述があるはずだ。
 歴史から忽然とこの茶釜が消えたというのは、どこか誰の目にも触れないところに保存してあるということか。箸黒は、箇条書きのメモを見ながら「あっ」と声をあげた。
 そうか、誰にも見つかることのない隠し場所があるではないか。箸黒は小躍りしたいような気持ちだった。しかし万屋という糸の問屋がどこにあったかということがまだわからない。現在京都にはそういう名前の問屋はない。
箸黒は最後の暗礁に乗り上げた。

翌日、箸黒は研究室に出勤した。年期の入った鞄を机に下に置くと、いつものようにお湯をわかして番茶をいれる。箸黒は緑茶より番茶の方が好みだった。
机に向かうと「行き詰まった時は原点に返れ、か」とつぶやいて、もう一度『京都茶釜百選』を見た。横綱のところには「鳳凰の茶釜」とある。そのとき、疲れていたのか古文書をばっさりと落としてしまった。そのとき古文書にはさんであった一枚の小さな紙がはらりと落ちた。
 箸黒が拾い上げてみると『万屋 京・室町六角上ガル』と書かれている。「室町六角上ガルか。どこかで聞いたことがあったな。そうだ、万谷政夫の家だ。万屋が万谷の家なのか。
箸黒は電話の受話器を持ち上げてダイヤルに手をかけた。そのとき研究室をノックする者がある。万谷政夫であった。
「いやー、先生参りました。山鉾巡航も終わりました。鉾町は大忙しでした」
「お疲れさん。ちょうどよかった、いまから君の家に電話をしようと思っていたところなんだ。万谷君の家は古くから続く家だと聞いたが、江戸時代に何をしていたか聞いてないかな」
「さあ、それはわかりませんね」
 箸黒は古文書から落ちた紙切れを見せた。
「室町六角アガルと言えば確かにぼくの家です。そういえば敷地の北東には小さな庫があります」
「おそらく、君の家が昔の万屋であった可能性が高い。庫のあった場所には祠があったのではないかと思うんだ」
「あ、そうそう。父が近いうちに庫を建て替えるといっていましたよ」

 中秋の名月が話題になるころ、箸黒と万谷は万谷家の庫の取り壊し現場にいた。建物はすっかりとりはらわれて、今日は地下を掘る日なのであった。小型のショベルカーが地面の土を取り除いていく。1.5メートルほど掘ったが何も出てこない。
「万谷君、空振りだったかもしれないな」と箸黒は気落ちしたようすで言った。
 そのとき、ショベルカーが鈍い音をたてた。「何かあります」と操作している者が興奮して言う。掘り進めると大きな木の箱が出てきた。箸黒の胸は早鐘のように打った。木の箱は表面が腐ってはいるがなんとか原型をとどめている。
それを掘り出して、箱をこじあけると中からまた木の箱で出てきた。三重になった木の箱をあけると、布にくるまれたずっしりと重いものが出てきた。
「先生、これは」最後の布を取り除くと、見事な鳳凰の茶釜が出てきた。
「おお、鳳凰の茶釜だ。おおオ、三百五十年ぶりに姿を現したんだ。おおオ」と箸黒は声が裏返るほど興奮していた。

 箸黒はある茶道の家元にこの茶釜を持ち込んで茶を点ててもらった。客は箸黒、万谷、そして新聞社やテレビ局であった。
 華麗な手さばきで茶を点て、やがてシュンシュンという音がやむ。一同固唾をのんで見守っていると、『ピーン、ピヨーン、ピーン、ピヨーン』と水琴窟の音がしたではないか。カメラマンはただカメラを夢中で操作している。箸黒は感慨無量であった。
 次の日、鳳凰の茶釜はマスコミで世紀の大発見と最大級の言葉で報道された。国も国宝指定に動き出した。
エピローグ
 ある日の研究室。
「先生は、どうして鳳凰の茶釜があそこにあるとわかったんですか」
「万谷君の言葉だよ。盗賊なら普通は売るはずだ。何千両にもなるからね。売った形跡がないのは実際は盗まれていないのではないかと考えたんだ。つまり盗賊団は万屋の自作自演ではないかと」
「どうして自作自演なんかしたのでしょう」
「帝にお目にかけたほどの逸品なら当然各地の豪商がほしがる。それへの応対に嫌気がさしたんだろう」
「そこで祠の地下深くに茶釜を埋めた」
「そういうことだ」
 一息つくと二人は湯飲みの番茶をすすった。

 発見から五十年。数奇な運命をたどった鳳凰の茶釜は、京都のある博物館で静かに余生を送っている。


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