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作品名:とある中流男性の日常 作者:さとのこ

最終回   3
独りになりたい、自由になりたい、心がどんなに切望しても、逃げ出すことは出来ない。家族を捨て、どこか遠くに逃げて逃げて、見知らぬ街で朽ち果ててしまいたいなどと、考えてはいけない、いけないのだ!
 テレビのCMのようにして飲み干せば、一分とかからず無くなってしまうミニサイズの缶ビールを、惜しみながら一口ずつ飲んでいる。香も苦味もビールもどきとは格段に違う。
 本物のビールが飲みたいんだ。
 そう口に出すことはできない。声に出した途端、妻は好機を逃さず家計の説明を始めるだろう。二人分の保険が幾らで、預金はどれ位、子供達の進学に伴ってあとこれくらいは預金しておかなくては心もとない。節約、節約……。
 うっかりわがままを言ったが最後、ビールもどきの購入さえ節約されてしまうかもしれない。危ない、危ない。
 チビチビと飲んでいたビールはもう、ほとんど残ってはいない。けれど、最後の一口を飲み干すことができない。
 職場と違い、この辺りはほどほどに星が見える。田舎ではないが、都心からは離れている。私の家はマンションで、ローンが後十五年程残っていて、妻と共稼ぎで支払っている。当然、名義は共有。抵当権の債務者の欄には私の名前だけが記載されている。
 いつから、こんな風になってしまったのだろう。家にいても、職場にいても、通勤電車の中にいても、私は孤独だと感じている。それを話せる相手もいない。私と同じ境遇、立場の男はおそらく職場にも通勤電車の中にも、幾らでもいるだろう。それこそ、何千人単位で存在しているはずだ。
 何千人もの孤独。何千人分の溜息。
 孤独だと嘆きながら、独りになりたいと叫んでいる皮肉。
 誰かに何がしたいのかと問われても、逃げ出したいとしか答えられない不甲斐なさ。生活と人生に疲れた中年男の悲哀なんて、美しくも無ければ文学的でも哲学的でもない。ただただ鬱陶しく見苦しいだけだろう。今の時代なら『ウザイ』といったところか。

 テレビのアナウンサーが、鬱病になって自殺するサラリーマンが増えているといっていた。こんなことになる前に、相談に来て欲しかったとカウンセラーは言う。
 だけど、彼方達はわかっていますか? 彼方達のいるところに行くこと事態が恐ろしいんです。まるで自分は弱いと認めるようで、負けたことを認めるようで、自分は狂っていると言われてしまうかもしれないと思うと、もう、どうしても行く気にはなれないんです。
 そこがどんな場所なのかわからない。そこに行ったら何をされ、何を聞かれ、どんな目で見られるのかわからない。彼方達のいる所に行ったことで、今後周囲の人達の目に、家族の眼に、自分がどう映るのかわからない。わからないことが恐ろしい。
 そこに行ったら、代わりに金を払ってくれますか? 誰も私を責めない所に連れて行ってくれますか? 自分は無能で臆病で卑怯者だと、責め苛む自分自身の心の声を封じてくれますか?
 私の幼馴染は自殺しました。
彼は私より六歳年上で、成績も優秀。近所でも評判の頼れるお兄ちゃんのような存在でした。長じて彼はフリーのカメラマンになり、世界中を飛び回りました。大学時代の夏休み、彼は暇を持て余していた私を引きずり出し、信州へと連れ出してくれました。
『星を撮りに行くぞ。荷物持ちのバイトをさせてやる。ついて来い!』
 二人で列車に乗り、信州の夜空を見上げ、写真を撮りました。片思いに苦しみ、引きこもりがちになっていた私を心配してくれた優しい幼馴染でした。
 強くて自信家の彼が自殺するなんて、考えたこともありませんでした。
 中年に差し掛かった頃、彼は結婚し、写真屋を開きました。家庭を築く為に腰を落ち着けるのだと、少し寂しそうに笑っていました。もう、ひとりで遠くまで旅することもなく、愛用の機材は封印され、彼は『写真屋のおじさん』になっていました。
 彼はいつも笑っていたから、経営がうまくいっていないなどと思いもしませんでした。彼が潰れるはずがないと信じきっていたのです。
 少年の頃の憧れは、成長するにつれて嫉妬となり、自分は彼の様にはなれないのだと諦めたときから、段々疎遠になっていきました。親元に帰っても会いに行くこともなく、たまに会って立ち話をする。そんな程度の付き合いでした。だから、私が衝撃を受けるとは誰も思わなかったのでしょう。
私が幼馴染の死を知ったのは、彼の死後、半年も経ってからのことでした。
何かの用事で母に電話をしたときに、そういえば、と母が聞かせてくれたのです。そのときの私の状態を、どう説明すればいいのでしょうか。『え、本当に?』と言ったきり、私は絶句しました。頭の中が真っ白になってしまい、言葉が出なかったのです。自分でも意外なほどの衝撃でした。私にとって、重要ではありえないはずの人物だったはずなのに。
 母も、大した事ではないと思っていたのでしょう。その後二言三言会話して、電話を切りました。『最近多いそうだから、おまえも気をつけるんだよ』
 私の心のどこかに、彼への憧れが眠っていたのかもしれません。その彼が、自分よりもずっと強かった筈の男が、死を選んだ。死を選ばざるを得ない状況に陥った。私は、自分の未来にも、避け難い大きな空洞がぽっかりと開いて、自分を飲み込もうとしているかのような気がしていたのです。
 カウンセラーさん。私は、彼よりもずっと弱い。だから潰れることは無いのだと思います。カウンセリングを受けることで、それを免罪符のようにちらつかせる事だって出来ると思います。幼馴染と違い、自分は自殺するかもしれないと口にして、周囲の人を脅す事だって出来ると思います。私は軟弱な卑怯者です。それでよかったと思います。
 私は誰かに相談することも無く、独りで鬱々としては愚痴をこぼし、いずれ嵐が過ぎるのを待っています。それで大抵のことは済んできたし、他にとくに努力などしてきませんでした。面白みの無い人間かもしれませんが、痩せ我慢もしないですんでいます。
 幼馴染は独りで戦い、潰されました。私は戦わず、蹲って時が過ぎるのを待っています。
そうしてわたしは、幼馴染より年上になることができました……。

いけない。また幼馴染を思い出してしまった。
おかしなことだが、私は追い詰められるといつもなぜか幼馴染のことを思い出す。彼の様にはなりたくないと思いながら、いつか自分も同じ穴に陥るのではないかと密かに恐れている。彼ですら勝てなかった運命に、自分が立ち向かっても勝てるとは思えないからだ。
リストラ。自分は大丈夫といいきれるような自信も実績もなく、諦めることだけは年齢とともにうまくなり、逃れようもない運命の波が襲い掛かってくるのを怯えながら待ち続けている。表面だけ取り繕って、なんでもないような顔をして、精一杯見栄を張って。
……学生の頃から、私は何も変わってはいない。


 大学生の時、私は何のサークル活動もしていなかったが、落研に入りたかった。落研。落語研究会。私は漫才より落語が好きだったし、他人の注目を浴びてお客様に笑っていただけるのはとても楽しそうに見えた。サービス精神も今よりは旺盛だったと思う。何より、落語は漫才より知的に見えた。名人落語選集を高校生の時にこっそり買い、イアホーンで聞いていた。漫才では相方が必要だが、落語なら一人でもスターになれると思った。
 だが、生来の恥ずかしがりが災いし、落研に近づくこともできなかった。真剣に、楽しそうに活動に興じる落研のメンバーは、私の目には眩しく遠い星のような存在だった。内気で恥ずかしがり屋の私に、人前でしゃべることなどできるはずが無かったのだ。だから、落研の定期公演を聞きにいくこともしなかった。羨ましくて、悔しかった。
 程ほどの付き合いの友人はいたが、彼女はできなかった。積極的にコンパに出かけることも無く、たまにバイトをし、誘われれば一晩飲み明かし、一間のアパートで時間をつぶす。無気力を気取ることが、当時の私の精一杯のカッコつけだった。
 彼女はできなかったが、片思いの相手はいた。ひとみちゃん。もう、名前の漢字も忘れてしまったが、顔はぼんやりと覚えている。同じゼミを受けていた女の子。肩を覆う長さの髪も、短めのスカートも、えくぼのある笑顔も、私にとっては何もかもが好ましく、理想の女性だった。
彼女にとって私は、その他大勢の友達の一人に過ぎなかったろうが、私には、彼女の顔を見ることだけが唯一の楽しみだった。好きだと言いたかったが、言えなかった。彼女はいつも輝いて見えたから、薄暗い下宿でごろ寝している自分が近づいていいとは思えなかった。彼女もまた、手が届きそうで届かない、アイドルのような存在だった。
私の大学時代。青春の思い出というには、甘酸っぱさより苦さが少し際立っている。

 深夜に戦闘ゲームでストレスを発散するようになったのは最近のことだ。それまではこれといって趣味は無かった。酒は好きだが浴びるほど飲むような金は無かったし、女遊びは金がかかる上に色々と厄介そうだ。何より私がもてるはずも無い。
 ギャンブルは、まったく私の性に合わない。付き合いでマージャンをすることはあっても、高額の賭けなどは絶対にしないし、そのことを同僚達も知っているので誘いもしない。 私は元来けちである。ついでに言えば、感性もひねくれている。
 たとえばである。パチンコで今日は何万円負けたが昨日は何千円買った。明日勝てれば帳尻が合う、といった考え方で納得することが出来ない。何万円のマイナスはあくまでマイナスであり、それはそのまま財布への打撃でしかない。隣の奴より玉が入ったとか入らなかったとか、幾ら勝ったとか負けたとか、そんな小さなことは私の眼中には無い。
 もし私がパチンコに嵌ったら、負けた場合の怒りは全て経営者に向けられることだろう。どれだけ利用者側が勝とうが儲けようが、それを遥かに凌駕する利益を経営している連中は受けているのである。パチンコ業界に不況なし。私は得をするのは好きだが、損をするのは大嫌いだ。そして、他人が儲けているのを見るのは非常に悔しくて腹が立つ。
 こんな私にギャンブルが出来るわけがない。
 私とて、いい年をした成人男子が真夜中にパソコンに向かうなら、戦闘ゲームよりもっと他に見るべきものがあるだろうと思う。もっと刺激的で熱く、悩ましいものがある。私はまだ四十代だ。涸れてしまうには早すぎるし、妻以外の女性に対する興味も十分ある。
 インターネットなら簡単なパソコン操作でいつだって閲覧できるのだ。出来るなら、私だってそっちが見たい。大量殺戮でストレスを発散した後、セクシーでグラマラスな女性に癒される。……理想的じゃないか。
だがしかし、そういったものを見るにはそれ相応の環境というものが必要になる。扉の閉まる部屋。自室。憧れの書斎といったようなものが。
我が家の唯一のパソコンは、居間にある。家族ならいつでも誰でも入れる場所。もし、年頃の娘に見られたら、妻に見つかってしまったら。……考えただけでも恐ろしい!
家族の中で、いっそう身の置き所が無くなってしまうだろう。息子は、理解してくれるかもしれないが。
男は、おそらく女性よりも繊細な感性をしているのだと思う。相手の全てを支配したいと思い、自分を誰よりも愛していると言われたいと願い、唯ひとりの男として求められたいと欲する。男の喜びは、女性の反応無くしては成り立たない。自分の感覚、快楽だけに熱中することなど出来ないのだ。
もし女性が、男の繊細さを試してみたいと思うなら、一言呟いてみればいい。
『へたくそ』
……想像しただけで、心臓が抉られるようだ。男の自尊心を打ち砕く、非情な弾丸のような言葉。一発喰らったら精神的な後遺症に悩まされかねない。
こそこそ後ろを気にしながら、物音に怯えながら、見つかってしまった場合などを考えながらでは、楽しく妄想することも出来ないだろう。
完全にひとりになれる空間無くして、ああいうものには夢中になれない。自室。書斎。今の時代ならコレクション・ルームといったところだろうか。私には収集しているものなどないから、やはり書斎がいい。
  
百科事典と世界地図帳が並べられた書棚。机の上にはノートパソコン。ファイルやノート類は引き出しにしまってある為、いたって簡素な机と椅子。息抜きの為のウィスキーやブランデーなどを置いておけるスペースがあれば嬉しいし、小型の冷蔵庫があればビールも冷やしておける。お茶やコーヒーは妻が淹れて運んでくれればいい。部屋に入る前には絶対にノックをすること。無断で勝手に入らないこと。家族に約束させなくてはならない。
小さくていい。狭くていい。誰にも邪魔されず、孤独と趣味に浸れる空間が欲しい。心の翼を伸ばせる時間。そんな時間を持ちたいと、ずっと思い続けてきた。
夢の書斎で、自分が何をしたいのかは決まっていない。けれどもし、そんな空間を持つことが出来たなら、それに相応しい趣味を持つようになるのではないかと思っている。何か知的な趣味、人に話しても恥ずかしくない楽しみをもてるようになるのではないだろうかと期待している。
理想と現実の違いとはこんなものだ。
私が実際に欲しがっているのは隠れ家だ。人目をはばかる趣味を誰にも邪魔されずに楽しめる場所。憧れの書斎とは似て非なるもの。おそらく、今本当に書斎をくれるといわれたとしても、せいぜい昼寝くらいの使い道しか思い浮かばないだろう。
 アパートでふて寝していた大学生の頃から、私は全然変わっていない。今も隠れ家を欲しがり、鬱々と日々を過ごしている。夢を持つことも出来ずに自分の中に閉じこもり、誰にも心から打ち解けることができない。私が今の時代に学生をやっていたら、引きこもっていたとしても不思議は無い。もっともあの時代、親は今よりも厳しかったから、働きもせずのうのうと家の中に篭もることなど許さなかっただろう。働かざる者、食うべからず。部屋に篭もって好き勝手している若造に、食事の用意などしてはくれなかったはずだ。

 食事。そういえば、腹が空いた。
 そろそろ家に帰らなくてはならない。別に一時間位帰宅が遅れたとしても、妻は心配などしない。残業や付き合いで遅くなることなどもはや日常茶飯事で、ともすれば早く帰宅する方が驚かれるかもしれない。『早かったわね。どうしたの?』と。
気楽でいい。
 それでも、私の分の食事は残されているし、温めて盛り付けてもくれる。妻も疲れているのだから、笑顔を期待するほうが間違っている。
 …いつから、妻の笑顔を期待しなくなったのだろう?
 子供たちが私から離れていったのは、いつ頃からだったろう?
 家庭が、居心地の悪いつまらない場所になったのは、いつからだった?
 ……私は、家族を愛していただろうか?

 家族の心が離れたから、私の居場所が無くなったのか。私が家族に関心を持たなかったから、家族は離れていったのか。
 子供達の成績に一喜一憂することも無く、まとわりついてくる幼い娘を鬱陶しく感じ、「疲れているから、後にしなさい」の一言で退けてきた。家族サービスはできれば逃れたい責務であり、枷だった。動物園も遊園地も、本当は行きたくなんかなかった。家で休んでいたかった。
 妻を『妻』としてではなく、『子供達の母親』と認識するようになったのは、いつだった?
 私が、悪かったのか?
(……………………あれっ?)
 衝撃に、自分が凍り付いているのがわかる。自己憐憫の波にどっぷり浸る為に公園に飲みに来たのに、まさか自己反省に押しつぶされることになるとは思いもしなかった。
 
 先日、私がささやかな家出を試みた際には、迎えに来た息子と語り合うことができた。それは本当に僅かな時間で、とても貴重で有意義なひとときだった。
 だが、翌日には息子は何もなかったかのように、いつも通りに無関心でそっけなかった。今ならわかる。あれは照れていたのだろう。青臭いけれど真摯な態度を見せたことに自分自身が怯み、なかったことにしようとしていたのだ。
 寝ずに待っていた妻と娘からは、嵐のような小言を食らった。
『どこいってたのよ、お父さん! お兄ちゃん、心配してずっとさがしてたんだからねっ。お母さんももうちょっとで外を見てくるって言ってたんだよ!』
『こんな時間までどこほっつき歩いていたのっ! 心配するじゃないのっ!』
 あんなに心配されるとは思っていなかったから、私は本当に驚いた。家の扉を開けるまで、妻と娘は先に休んでいると思っていたのだ。息子と語り合った数分と、妻と娘に叱られた二十分。これほど濃密な時間を家族と過ごしたことはない。
 翌日は全てがいつも通りだったから、前夜の事は夢だったのではないかと思った程だ。ろくな会話もない朝食。夕食。怒りっぽい妻と無関心な子供達。けれどそれらは、もしかしたら彼らなりの思いやりだったのかもしれない。私が気まずくならないように、わざと前夜のことには触れずにいてくれたのかもしれない。もしそうなら、子供達も本当に成長したものだと思う。私の内面などよりずっと大人びている。
 私は、何かを見落としていたのかもしれない。忘れていたのかもしれない。変わってしまったように見えて、実は何も変わってはいなかったのか。それとも、どこか見えない根底には変わらない何かが残っていたのか。
 足元の砂利、頬に当たる風、街灯の暗い光が意識の中に入ってくる。
 たとえ私が変わったとしても、世界は何も変わらない。私が明瞭かつ朗らか、脳天気な男になったとしても、周囲にはそれに付き合う義務は無い。私が死んだとしても、世界は私の為に葉っぱ一つ落としはしない。
 それでも、私が家庭を変えてしまったのかも知れない。
 家族に問い質しても、答えは得られないだろう。これは私の課題、命題だ。
 ああ、なんて厄介で面倒なんだろう。私が諸悪の根源であろうと無かろうと、どちらに転んでも事態は良い方向には転ばない。私の中に悪意は無く、ありのままの私でいたらこうなっていたのだ。確かに家族に対して無関心だったが、干渉しすぎる親をうちの子供達が喜ぶとは思えないし、妻だって束縛されることを望みはしないだろう。
私はどうするべきだったのだろう? どう生きてどう暮らすべきだったのだろう? 
悩んでも何も変わらない。それでも考えないわけにはいかない。
 私が、悪かったのか?

 手の温度に温められ、すっかり温くなってしまった最後の一口分のビールを飲み干し、立ち上がる。溜息を一つついて来た道を引き返す。両手で空き缶を軽くつぶし、資源ボックスに投入する。別に街の美化だのエコだのに真剣に取り組んでいるわけではないが、いつもお世話になっている公園に、ポイ捨てするのはためらわれるのだ。
 よれよれの背広、よれよれの男。これから二停留所分を歩いて家に帰る。傍目には何も変わらずに、けれど心の中に嵐を抱え込んで。
 今夜は、妻の顔がいつもと違って見えるだろうか。
 
  
エピローグ

 朝。いつもながら眠い目を擦り、いやいやながら起きだし、一番遅くに食卓に着く。朝食はいつも通りのトーストとコーヒー、サラダとスープと目玉焼き。妻は弁当を三つ作り、息子はガツガツと、娘はちんたら食事をしている。私の周囲や心境に多少の変化があったとしても、私の日常は変わらない。
 電車に乗ったらポジションを争い、手すりを奪い合う。若い女の側は避けろ。同性で固まっていればとりあえず安全だ。人生を賭けた戦い。負けるわけにはいかない。先日恐ろしい光景を目にしたばかりの私は、他の男達より必死に手すりにしがみつく。一本の手すりを五人の男達の手が握り締める。
(この手すりは私のものだ……っ)


 合併発表後、二週間たってから取締役社長は相談役へと退き、新たな経営陣が送り込まれてきた。どこからどういう報告がされたのかはわからないが、杉野部長が閉鎖寸前の北九州営業所に所長として赴任することになり、経営建て直しの陣頭指揮をとることとなった。北九州営業所は規模を縮小することが検討され、主力商品の取り扱いは本社に集中させることが決定している。奴の命運は風前の灯火だ。ザマアミロ。
 そして私はというと、意外なことに大きなプロジェクトに参加することになった。どこから伝わったものか、私のトラブル処理能力が高く評価されたらしい。また何かトラブルを押し付けられるのかと思えばうんざりするが、それに伴って僅かではあっても収入がアップするのは嬉しいことだ。
 ちなみに私が参加するプロジェクトの名は、『社内スリム化検討委員会』。備品や光熱費、残業代など、あらゆるものの節約を検討する。その中には人事部へ報告するような内容も含まれている。おかしなものだ。私はうだつの上がらない営業三課の万年課長であり、自身のリストラを恐れて戦戦恐恐としていた身だ。それが一月後には人事がらみの報告書を作成し、周囲の者達を戦線恐恐とさせている。人生、何があるかわからない。
 今後リストラが検討されるとしても、一応検討する側に属している私が切られる恐れはとりあえずない。数年後はともかく、現時点において私の身は安泰だ。
 部下達は以前より、愛想がよくなった。私の周囲には微笑みが増え、いくらか居心地が良くなった様な気がする。その笑みが多少卑屈なものであったとしても、私には関係ない。
部下達は私が『社内スリム化検討委員会』に参加していることを知って、自分の命運が私に握られているような錯覚をしているのだろう。馬鹿馬鹿しい。私個人にそんな権限があるわけがない。媚びたければ勝手に媚びろ。私の知ったことではない。
 安全な場所から恐れ慄いている連中を見ているのは、なんとも言えぬ快感だ。それはまるでゲームの中のキャラクター達を見ているのにも似て、思わず笑みを浮かべそうになる。
(さあ、戦え。殺しあえ。自分が生き残りたければ相手を蹴り落とせ。さもなければ生き残れないぞ…?)
 陰湿な快感に歪む顔を隠す為に、私は書類を読むふりをしてうつむく。
 就職氷河期を生き残ったツワモノ達が、そんな簡単に切り捨てられるわけがない。切られるとしたらそれはそいつ個人に問題があるからで、そんな奴の面倒をみる気はない。
「課長、販売実績のグラフができました。パソコンに転送してもいいですか?」
 部下の言葉に我に帰る。目の前に立っているのは、にっこりと微笑んでいる我が課のアイドル、小野美由紀だ。
「ああ、ご苦労だったね。ありがとう」
 私は、自分が依然と変わらぬ自分を演じられているか、多少不安に思いながら、鷹揚に笑って見せた。優越感を感じていることなど断じて悟られたくはない。
 いつも通り淡々と、飄々とした顔をしているだろうか。もう少しおどおどとした表情を浮かべた方がいいだろうか。颯爽とした顔など私には似合わない。
「今月は皆、随分がんばってくれたね。一課よりも成績がいいじゃないか」
 私の褒め言葉に全員が安堵の表情を浮かべるのを、初めて見た。


 リストラは回避され、課長職のままとはいえベースアップがかない、私個人には予想外の喜ばしい現状に落ち着いている。こんな幸運は長く続くものではない。だから今は思いっきり幸運に酔いしれておこうと思う。私のような不運な人間は、ともすれば一生分の幸運を使い切ってしまったのかもしれないのだ。今喜ばずしていつ喜ぶ。
 我が家の食卓に、久々に大瓶のビールが饗された。本物のビールだ。私にとって、最高のご褒美である。冷蔵庫にまだ二本ビールが冷やされていることを確認しているので、私は安心して妻にも一杯勧めた。
 公園で隠れて飲むビールも旨いが、冷やしたグラスに注いで飲むビールはまた格別の味がする。透明なグラスの中、勢いよく盛り上がる真っ白な泡と琥珀色の液体。ビールは泡を立てたほうが断然旨い!
 息子の態度には取り立てて変化は無く、娘は少し優しくなったような気がする。相変わらず態度は冷たいが、先日、
「お父さん、肩にフケっ。気をつけないと会社の人に嫌われるよ!」
 言い方がきつくても、無視されるより何倍もマシだ。
 私はさりげなさを装い、提案してみる。
「母さん、今度の土曜日にでも居酒屋にいってみないか。昔と違ってなんだかメニューも豊富になったようだし、たまには母さんも休めていいんじゃないか?」
 私の言葉に家族の視線が集中する。慣れてないので、妙に緊張する。
「珍しいわね。どこか、おいしいお店でも知っているの?」
 少し嬉しげな妻の顔。おずおずと、隠しておいた新聞のチラシを取り出し、妻に手渡す。
「今朝の新聞に割引券がついていたんだ。このくらいの金額なら、私の小遣いで何とかできるし、味もまあまあだったよ」
 そのチラシはこの間飛び込んだ居酒屋のものだった。
「あら、いいわねぇ。パスタとかリゾットとか、洋風のものも多いのね」
「あたし、ポテト団子食べたい!」
「肉あるっ? 肉!」
 家族団欒計画進行中。目下のところ、取っ掛かりは成功のようだ。小遣いへの打撃は痛いが、私にも若干のへそくりくらいはある。
 私のせいで家族が変わってしまったのかもしれない。ならば私が変われば家族も変わるのかもしれない。確実性は低い。だが失敗したとしても、少なくとも自分自身への言い訳は成り立つ。
 一応、努力はしたんだ、と。
 いざという時には、息子が助けになろうとしてくれることがわかったし、深夜に帰宅した私を妻も娘も寝ないで待っていてくれた。それがわかっただけでも大収穫だ。
 私の日常は変わらない。だが、努力する余地があるだけ、私は幸運なのではないだろうか。
 

                                 終


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