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作品名:千尋の百合 作者:さとのこ

第1回  
   序

 倭の国は、四季の彩り豊かな国。
百花競う春。娘達は笑いさざめき、頬染める春。
緑深き夏。汗を流す若人、力む夏。
錦の秋。天の恵み地の恵み、明日の命を繋ぐ秋。
色を無くす冬。人々は家の中に篭もり、天の真綿に包まれる冬。

時は飛鳥。国はまだ若く、血気盛んな男達が、国を作り、明日を作ることに燃えた時代。
産声を上げ、歩み始めた国は様々なことを吸収し、形を成し始める。
政事、宗教、風俗、文字、文学、都の造成に至るまで。あらゆるものが大陸からもたらされ、貪欲に吸収されていった。民は受け入れ、時に反発し、やがて一つの形を成す。
都が作られ、また壊され、血を流し悲鳴を上げながら天を見上げて背を伸ばす。
世界を知り、異国の文化を受け入れ、己を造り上げつつあった飛鳥人(あすかびと)。
詩歌を愛し、心のままに恋を歌った飛鳥人。
しなやかな若木の時代、飛鳥。

その飛鳥に、一人の皇子がいたことは、歴史の中ではほんの数行で書き記される事柄に過ぎない。けれど、彼がもう少し長く生き長らえることができたなら、時代は彼を忘れはしなかったことだろう。
彼は飛鳥そのものであったと証明されたことだろう。
持てる能力、力の限り生きることを許されなかったゆえに彼の名は歴史の渦の中に消え、儚く美しい生き様ゆえに、その名は詩歌の世界で輝いた。

飛鳥に生まれ、飛鳥に散った青年、大津皇子。悲劇の青年の物語が、時を経た今も人々を魅了して止まない。



橘の妻

  
唇に濃いめの紅。
紅花で薄紅に染めた爪。恋しい男を想えば頬も淡い朱に染まる。艶やかな黒髪はすべての色を引き立てるが、赤は格別。恋情の色。
最後に額に赤い花、花鈿(かでん)を描けば、恋する女の顔が完成する。
つつましく可憐な紅梅にも似た女。
におい立つ色香と高貴の身の気品とを身にまとい、微笑む女。
愛しい男の帰りを待つ、苦しくも幸福な時間が女の美しさを一層磨き上げているようだ。
唇から洩れる溜め息が熱い。
「今宵は、お帰りになるのかしら」
 男の訪れを待つことしかできないもどかしさと、他の女人のもとをおとなうかもしれない苦しさとに身を焼きながら、それでも女は唇に笑みを浮かべ続ける。
 男がどこに行こうと、どれほどの女を愛そうと、いずれは必ず自分のもとに帰ってくる。そんな自信が女にはある。それは男が持たせてくれたもの。
 女の男への思いには一寸の揺らぎもない。男の愛と信頼が自分のもとにあることも疑いようはない。
 だから、女は男を送り出せる。いつなりと、どこへなりと、誰のもとであろうとも。
細やかな幸福。けれどそれは揺るぎの無い自信となる。
愛しい男の、子を産んだ女。正妻として迎えられた唯一人の女。
女の指が傍らに眠る幼い我が子の顔に触れる。夫によく似た面差し。夫よりも甘く、ずっと愛くるしい顔立ちの我が子。
女の笑みが深くなる。
この子は、日を追う毎にお父様に似てくるよう。
澄んだ凛々しい眼差しも、通った鼻梁も、整った口元も、気の強さも優しさも、お父様の優れた気質をもそのままいただいて生まれてきた子。粟津王。
わたくしと大津様の絆の子。
粟津王、いつかあなたにも話してあげましょう。あなたのお父様が、どれほどの寂しさと悲しみを背負って生きてこられたのか。優れたるがゆえに、耐え忍ぶ日々を過ごさねばならなかったのか。
豊かな感性ゆえに優れた詩歌を作り、その感性の故に深いお嘆きをも抱かねばならなかったのか。

天智の大王の媛にして大津皇子の正妻、山辺(やまべの)皇女(こうじょ)。
彼の人はその死に様のみ後世に伝えられ、人となりが伝えられることは殆どない。歌人として名を成すこともなく、美しさを称えられることもない。
けれど、彼女が幸福な妻であったことと、その幸福ゆえに美しく微笑んでいたであろうことは推測できる。
命を捨てられるほどの恋をして、報われたのだ。幸福でないはずがない。二人とはいないであろう、優れた夫を持つ身の幸せを、愛される喜びをそっと抱きしめ、静かに微笑んでいたことだろう。
つつましく控えめでありながら、うちに情熱を秘めた女性。
大津(おおつ)皇子(のみこ)の人生を彩った花の中でも、もっともけなげに咲いた一輪の花。

山辺が幼い頃から使えてくれている、乳母がやんわりと尋ねる。
「お姫(ひい)さま、今宵も皇子さまはお帰りにならないのでしょうか。日も暮れてまいりました。夕餉のお支度はいかがいたしますか?」
 直接聞くには微妙な内容である為、あえて若い侍女ではなく、長く使えている彼女が伺いを立てに来たのだろう。
「そろそろお戻りになるころだと思うの。父帝様のお加減が芳しくないと仰せだったから、女人のもとにもあまりお通いにならないし、お疲れになっていらっしゃるはずだわ」
 すでに幾日も、大津皇子は帰らない。
 夫を待ち続ける日々。
 ただ、帰らぬだけならばいい。誰のもとで過ごそうと、いずれは私のもとにお戻りになる。
ただ、無事でいてほしい。無事に帰ってきてほしい。
それが妻の願い。
「ではお姫さま、もう少しお待ちするといたしましょう。今宵は鮎をお出しいたします。まだ水瓶の中で生きておりますから、いつでもお出しすることができます」
「大津様がお喜びになるわ」
 若く、食欲も旺盛な夫が新鮮な魚に舌鼓を打つ様を思い描き、山辺皇女は微笑んだ。 
  

歴史書の中に、大津皇子の子は一人しか記録されてはいない。
母は山辺皇女。名を粟津王という。
記録の少ない大津皇子の幼い息子は、さらに記録が少なく、その実在そのものが危ぶまれてもいる。
力強い祖父、文武に秀でた父を持つ幼子は、どのような気質の子供であったのだろうか。

「粟津王、風が冷たくなってきましたよ」
 母の下に駆け寄る幼子の顔が少し泣きそうになる。
「もっと、あそびたい」
ふくれっ面のやんちゃな子。
束ねた伸ばしかけの髪が仔馬のしっぽの様にはねる。
母はふっくらとした頬に手のひらを添え、優しく言い聞かせる。
「今日は、父上様がお戻りになるそうですよ。お迎えをしなくてはね」
「ちちうえがっ?」
 途端にくりくりとした瞳を輝かせ、母の袖にしがみつく。
「もうあそばない。ちちうえ、どこ?」
「まだお帰りではありませんよ。お帰りになったらお父様に褒めていただけるように、夕餉を済ませて着替えておきましょうね」
「うんっ」
 幼い王子は小さなもみじのような手で母の裳を掴み、その日一日の出来事を一所懸命に話して聞かせるのであった。

 たくさん遊んだ粟津王は、おなかがいっぱいになると、程なく眠りについてしまった。
 遊び疲れた体は到底父の帰りまで意識を保つことができず、母の膝に顔を伏せて眠ってしまったのだ。寝ない、ちちうえをまつ、と散々ぐずった末に。
「お姫(ひい)さま、重うございましょう。粟津王さまを寝所までお運びいたしましょう」
乳母の言葉に山辺皇女は首を振る。
「もう少し、このままで。寒くはないでしょう。起きられるようなら皇子さまの顔を見せてやりたい。ずいぶんお会いしていないのですもの」
 優しい、母の顔で微笑む。

膝の上で眠る我が子の暖かさに微笑み、その寝顔に山辺は語りかける。
「……あなたの父上様、大津皇子さまは、今、たいへん苦しい時をお過ごしなのですよ。あなたもさみしいでしょうけれど、今は辛抱しなくてはいけませんよ」
父親によく似た幼い顔を見つめながら、山辺はふと思う。
幼い頃の大津さまは、誰にすがって泣いたのかしら。
幼くして母を亡くした大津皇子は、祖父である天智の大王に引き取られたと聞く。ともに引き取られた姉君さまはまだ、幼い。
いや、それとも、そんな年端もいかない頃から、お二人はより添っていらしたのだろうか。
切ない想いが胸を塞ぐ。

大津皇子様が姉君、大伯(おおくの)皇女(ひめみこ)さまと引き離されてしまわれたのは、十を僅かに過ぎたばかりの頃のこと。
 姉君さまは天武の天皇(すめらみこと)より伊勢の斎宮に任じられ、一人伊勢に赴かれた。神の花嫁として奉じられたことで、俗世との縁は断たれておしまいになった。愛する弟君と会うことも許されない。それは幼い大津さまにとって、決して拭い去ることのできない悲しみとなってしまったでしょう。
 花びら舞う春も、緑豊かな夏も、実り多き秋、凍える冬、ただ二人、寄り添って過ごされてきたお二人が、聖域と俗世とに引き離されてしまう。弟であるが故に、殿方であるが故に、会いに行くことさえ叶わない。
大津さまのお嘆きは、どれほどのものだったのでしょうか。
 姉君さまは、婿を迎えられる話があっても良いお歳の頃。愛らしく、賢いと名高い皇女様に、妻問いの申し出はそれこそ降るようにあったことでしょう。けれど、それゆえに、弟君からも俗世からも切り離されておしまいになった。
権力(ちから)のある後ろ盾を得ることを、警戒されたが故の人選、託宣であったと噂される。
 お気の毒な大津さま。
 もし、姉上様との別離の時にわたくしがお側にいることができたなら、決しておひとりで嘆かせるようなことはなかったものを。
 大切に、大切にこの胸に抱きしめて、衣で涙を拭って差し上げることができたのに。
 粟津王、幼いあなたの身にそのような悲しいことが起きてしまったら、と思うと、大津さまのお悲しみがこの身の中に湧き上がり、胸がつぶれそうな想いを抱くのです。

皇子様の父帝君さまは情(じょう)深い方ではあっても、異母(ごきょう)兄弟(だい)は多く、姉弟で父君の愛情を独占できるはずもない。母君を無くされたご姉弟を庇護する者もなく、天皇の代理という名のもとに、ただ一人、遥かな伊勢へと送られた姉君さまのご心痛は、如何ばかりであったことでしょう。心の拠り所を奪われておしまいになる、弟君にお心を残して。
広い宮に、頼る者も無く寄り添って生きてこられたご姉弟。
お二人の母君、太田皇女さまはすでに亡く、その親族は謀反の疑いの為、祖父であらせられる天智の大王さまに討ち滅ぼされてしまったと聞く。強力な後ろ盾を持たないお二人にとって、頼れる者はお互いの存在のみだったことでしょう。
ただひとり、頼れるはずであった母君の同母の妹である叔母上さまに、早々に政敵と見なされてしまったご姉弟が、ただ互いの掌のぬくもりのみを支えとしておいでになったであろうことは、想像するまでもない。
何をするにも、どこに行くにも離れることなく、時には活発な弟君の後を姉君が慌てて追いかけるようなこともあったことでしょう。お優しい姉君さまが母君さまの代わりになろうと、どれほど大津さまを慈しまれたのか。姉君さまのことを語る時の大津さまのお顔を見れば伝わって参ります。
粟津王がわたくしを見るように、姉君さまを見上げる大津さま。小さな手を広げ、抱きついてくる大津さま。笑顔も泣き顔も、きっと粟津王に瓜二つだったことでしょう。胸が痛みます。
今も大津さまのご気性は真っ直ぐで、その為にご自身を、時には周囲の者達を傷つけてしまうこともおありになる。それはご幼少の頃からお変わりないのではないでしょうか。
真っ直ぐな、傷つきやすいお心の幼い大津さま。母を無くした幼子のように、姉君を失ったことをお嘆きになった大津さま。
幼い大津さまの、小さな手に残る姉君さまの手の暖かさが、皇子様のご記憶から消え去ることはなかったのでしょう。
姉君、大伯皇女さまは、神の花嫁という名のもとに生きたまま葬られたようなもの。おそらくは婚姻により、庇護者となるものが現れないように、大津皇子様が強力な後ろ盾を得ることのないようにと、俗世から切り離されてしまったのだと大津さまはおっしゃっていらした。まだ、恋も知らぬままに。
十三の、花咲き初(そ)める頃のこと。

     ・・・・・
大津皇子の名は万葉集に数首の詩歌(うた)が収められている以外には、「懐風藻」と「日本書紀」に見ることができる。いずれの書にも彼の人となりは褒められるばかりで、悪しく書かれることがない。
豪放磊落。眉目秀麗。文武に優れ、人に慕われながら謙虚な一面も有り、欠けたところのない人物とされている。
謀反の意有りとして捕えられ、処刑された者を扱うとなれば、その扱いはそれなりに慎重にならざるを得ないと思われるが、「日本書紀」をして彼に対する否定的な記述はない。彼が当時の人達にどれほど愛され、その死を惜しまれていたのか、うかがい知ることができる。


 粟津王。 
何事も、過ぎたるは妬みを買うものというけれど、あなたのお父さま、大津皇子さまはあらゆる天賦の才に恵まれた稀有な方。幼くして、窮地に立たれた父君の元に馳せ参じ、共に戦場に立たれた武勇の誉れも高く、また武芸に優れ、豪胆。文才にも恵まれ、幾多の女人方と交わした恋歌からは、その類稀な感性の豊かさが滲み出ておいでです。
けれど、そのいずれの才よりも周囲の者達の溜息を誘うのは、その恵まれた体躯とご容貌の美しさ。気高く慈悲深く、臣を労わり民を慈しむお心の深さ。そこに在るだけで耳目を集める鮮やかな存在感にあるのだと思います。それこそは天より授けられ、人の意思では手に入れることの叶わない、人の上に立つ者の資質なのでしょう。
けれど、妻たる私は知っています。大津さまは天よりの恵みに頼ることなく、己が身を鍛錬し、一角の武人となられました。書を紐解き、知識を深め、内裏での立場を確かなものとされました。皇子としての誇りを胸に、一心にご自身を磨いてこられました。孤立無援ともいえる孤独の中で、知識と力を蓄えることだけが己の身を守り、その立場を強くしてくれることを、幼いうちに学び、実行してこられたのです。それは天皇の皇子としては当たり前のように求められ、けれどそのお立場ゆえに流されて果たせない、鉄の意志を必要とするような日常でもあるのです。
大津さまは父君天武天皇が武を奨励されたこともあり、鍛錬を欠かされることはありませんでした。太刀をとっても、弓でも槍でも負けることを知らず、馬も巧みに乗りこなされます。若く逞しい皇子様が愛馬と共に馬場を駆ける様は、さながら若鹿を見る思いがすると噂されるほど。いずれの体術も、大津さまは軽がるとこなすかに見せて、実はたゆまぬ努力の末に身につけられたのです。お父様がどれほどの努力家であるか、いつかあなたも知るでしょう。
大王の皇子であるとの誇り、己が立場の弱さを知るがゆえの憤り。そして身をもって大津さまを守る為に伊勢へと赴かれた姉君様の為にも、大津さまは強い力を求められたのです。
そうして、大津さまは比類無き武人におなりになりました。
けれど同時に、大いなる矛盾をも招いてしまいました。
もはや何者にも脅かされぬ、何一つ奪い取られることのない、強い立場と権力を求め、努力を怠らぬ稀代の貴公子。大津さまになびかぬ女はおらず、慕い寄る臣下も多く、寄せられる期待は高まるばかり。民は朗らかで情深い統治者を求め、内裏において大津さまの名は抜きん出たものになってゆきました。けれど、それは同時に、努力すればするほど政敵の目をも引きつけ、あらぬ疑いをも招きかねないことでもあるのです。大津さまにはすでに強大な政敵が存在しております。次代の天皇の座を脅かすと見なされることは、お命にも関わること。わたくしはどれほどあなたのお父さまの身を案じ、眠れぬ夜を過ごしたことか。
なのに豪胆な背の君は、そんな危ういお立場さえも笑い飛ばしておしまいになるのです。
「それで終わるというのなら、我が命運はそれまでのこと。だが、今の俺は頑是(がんぜ)無い幼子ではない。奪われて泣くだけの弱き者でもない。戦う為の力を蓄えてきたのだ。それ故に敵を招くというならそれでいい。己が力がいかほどのものか、存分に試させてもらうこととしようぞ」
 そう言って、不安に慄くわたくしを抱きしめてくださるのです。
黒髪に唇を寄せ、額の花鈿(かでん)にくちづけ、温かな腕の中に包み込んでくださる……。
「山辺(やまのべ)が不安に思うことは何もない。ここで静かに微笑んでいればいい。俺はどこに行こうとも、必ずここに帰ってくる。山辺の元に戻ってくる」
 恐れを知らぬかのような笑顔で、抱きしめてくださるのです。
 見目の美しさばかりではない、溢れ出る命の力の眩さこそが、人を惹きつけて止まぬこの方の本質であるのでしょう。

「まこと、橘の若木のような方」
 わたくしはひとりのときに、そう呟くことがあるのですよ。
 我が背の君は比類なくお美しく、豊かな才をお持ちの方。
香豊か。鋭い棘も円やかな実もその身の内に併せ持ち、邪なものを寄せ付けぬ清い心と凛々しいお姿の貴公子。真冬でさえも涸れることなき命の力に満ちた橘の若者。
大地の命を象徴するような、青々と茂る橘の、大津さまこそが化身のように思えるのです。
妻問いの宵に初めて大津さまに抱いた想いは、今もわたくしの中で変わることはありません。
わたくしの背の君は、生涯大津さまおひとり。
この肌も黒髪も唇も、すべてが大津さまのもの。
わたくしの瞳に映る殿方は、大津さまだけでいい。
大津さまだけが、わたくしの命……。
ああ、あなただけは例外にしなくてはいけませんね、粟津王。

大津さまには、わたくしの他にも当然幾人かの女人がおいでになります。戯れの恋を数え上げれば切りのないこと。香豊かな花に魅せられるのにも似て、夫を取り巻く才女佳人には枚挙に暇がありません。大津さまほどの方に惹かれるなという方が無理というもの。わたくしの心は少々苦しい思いもするけれど、それを責めてもいたし方のないこと。
いいえ、それどころか、数多の女人方のことさえも、大津さまは隠そうなどとは思いもせずにわたくしに語って聞かせてくださるのです。
いずこの郎女(いらつめ)はとても美しい、豊かな髪をお持ちだが、身につけた衣の色合いが、似合いでないことが惜しまれる、とか。
とある皇女の元を訪れたときに振舞われた清み酒(すみさけ)はまことに美味であったゆえ、山辺に土産としたいと申し出たが断られてしまった、とか。
女心を解さない方と笑ってしまうしかありません。
その皇女様にしてみれば、他の女人への手土産など以ての外、お気に召したのならばまたここをお尋ねください、といったところでしょう。
大らかに、朗らかに語って聞かせてくださるのです。私も微笑まずにはいられません。
大津さまは、梅の香を楽しむように、野の花の可憐な風情をいとおしまれるように、心惹かれる女人方を愛でておいでなのでしょう。
花々が日の光に惹き付けられるように、女達は大津さまを仰ぎ見るのでしょう。
恋を語る大津さまはとても楽しげで、煌く瞳は少年のよう。隠されるより、嘘をつかれるよりもずっと幸せ。わたくしの妬心など、いつの間にか解けてなくなってしまい、ただ、ただ大津さまの笑顔に見惚れてしまうのです。
 見つめるだけで恍惚となるような我が背の君。その最も間近に侍ることを許されたわたくしは、なんと幸福な女なのでしょう。
 粟津王、あなたもお父さまのような殿方になるのですよ。
 お父さまのように愛し、愛される優れた人になって、わたくしのように誰かを幸せにしてあげなさい。
 あなたはお父さまの子。誰よりも大津さまの血を色濃く受け継いでいる男の子。
夜風が、山辺の頬にかかる一筋の髪を揺らす。

大津さまはお心を偽ることがおできにならない。その真っ直ぐなお心の故に、わたくしの恐れていた事件が起きてしまいました。
異母兄、草壁皇子さまがお通いになっていらっしゃった石川郎女を、ご自分の妻となさってしまったのです。


   
 大津さまのお振る舞いが内裏を揺るがせるほどのことではなかったにしろ、廷臣達の眉を潜ませたのは間違いのないこと。草壁皇子さまは腹違いとはいえ実のご兄弟。当代の大后(おおきさき)様を母に持つ日嗣(ひつぎ)の皇子でいらっしゃるのです。そのご不興を買うなど他の者には考えられないことでしょう。
お二人の間に、次代の天皇の座を廻って無言の緊張が漂っていることは周知の事実です。
お二人共に天武の天皇の皇子。お年も近く、どちらの皇子様も、欠けることなき優れた気質をお持ちでいらっしゃいます。
大后(おおきさき)様を母に持つ草壁皇子さま。
豪胆な気質に勝る大津皇子さま。
わたくしも皇女という立場上、内裏の内のことも多少は伝え聞くことができるけれど、それに寄ると、お二人のどちらかを支持する者達で、内裏は二つに分かれてしまっているのだそうです。
公(おおやけ)には草壁皇子さまが次の天皇であるとされているけれど、その優れた資質の為、大津皇子様も間もなく政(まつりごと)に参加することを許されました。それは事実上、次代の天皇の候補の一人と目されたということ。
草壁皇子さまの母君にとっては許しがたいことでしょう。
天武天皇の大后(おおきさき)、鸕野(うのの)讃良(さらら)様。
夫に従い、共に戦場すらも駆け抜けたと言われる稀代の烈女。
賢さも気性の激しさも、並ぶ者なき天下第一の女性。
影から大津さまの姉君を伊勢へと追いやるように仕向けたと噂されるご姉弟の叔母君が、此度のことを見過ごしになるとは到底思えず、かといって、わたくしにできることなど何もなく、ひたすら大津さまの身に何事も起こらぬようにと祈るほかはありませんでした。
どうか、我が背の君がご無事でありますように。
これ以上おつらい思いもお寂しい思いもせずにいられますように。
わたくしの元に無事にお帰りくださいますように。
幾日も、幾晩も、わたくしは祈り続けたのです。


粟津王。二人の皇子様に愛される石川郎女とは、どのような女人なのかしらね。

『  あしひきの 山のしづくに 妹待つと
  我れ立ち濡れぬ 山のしづくに  』
 (訳 早朝の山の麓で貴女の訪れを待っていたら、朝露に濡れてしまいました。)
 と、大津さまが歌をお読みになる。
 先に通われた草壁皇子さまに遠慮され、郎女の家を訪れることは控えられたのでしょう。
石川郎女は
『 我を待つと 君が濡れけむ あしひきの
   山のしずくに ならましものを 』
 (訳 私を待つ貴方様を濡らしたあしひきの山のしずくになりたいものです)
 と返されたとか。
 石川郎女の当意即妙の才が、皇子様方のお心をひきつけるのでしょうか。
 詩歌の才に優れているとは言えぬわたくしには、とても真似ることはできません。このときだけは、大津さまのお心が石川郎女に占められてゆくことを、見ていることしかできなかった。
いかに口惜しくとも。
 草壁皇子さまも、
『 大名児を 彼方野辺に 刈る草の
    束の間も 我忘れめや 』
(訳 大名児(石川郎女)よ 遠く離れた野辺で刈っている萱の、束の間も私は忘れるものか)
と詩歌を送られたそうで、郎女を失った悲しみがたいそう深いものであることが伝わってきます。一人の女人を廻って、ご兄弟が争うとは、なんと悲しいことでしょう。それも、他にもご兄弟はいらっしゃるのに、よりにもよって草壁皇子さまと我が背の君、大津皇子さまが争われるとは。
何か、因縁めいたものを感じずにはいられません。大津さまが、草壁皇子さまの通う女人だからといって、故意に奪い取ろうとなさったとは思いたくない。あなたのお父さまは、そんな思惑で、人の心と命運を歪めてしまうような方ではありません。優しい方なのです。
ただ、激しい対抗心はお持ちだと思います。
草壁皇子さまにではなく、大后(おおきさき)さまに対して。

大津さまは話してくださいました。
その夜、石川郎女は草壁皇子さまから贈られたお歌を胸に抱き、身も世もなく泣き崩れたそうです。無理もないことです。お歌からは、怒りよりも深い悲しみとお嘆きとが伝わって参ります。
草壁皇子さまに心惹かれたことも偽りのない真実だったのでしょう。皇子さまはお心の深い、お優しい方と聞き及んでおります。その穏やかなお心を寄せられることは、また別の喜びがあったことでしょう。石川郎女が感性豊かな女人であったのならばなおのこと。
けれど大津さまに出会ってしまっては、石川郎女が心変わりしてしまったとしても無理のないこと。眩い陽光の前に月の光が霞んでしまうようなもの。
大津さまは堂々と、真っ直ぐに女人を愛されます。それは恐ろしいまでに。
郎女は嘆いたそうです。

「なぜ、貴方さまに出会ってしまったのでしょう。わたしは幸せでしたのに。草壁皇子さまに愛されて、十分幸せだったのに。……貴方さまに会いさえしなければ、心迷うこともなかったのにっ」
 大津さまを憎んでいるかのような郎女の叫びだったそうです。
 平穏には暮らせない。もはや世間が許さないことは石川郎女にもわかっていたのでしょう。
 それでも大津さまの手を取らずにはいられなかった。いけないと思いつつ、なお止めることが出来ないのが恋心というものなのでしょう。ほんの少しの気まぐれが、取り返しのつかないほどの想いへと昇華してしまった。自身を破滅へと追いやりかねない恋に落ち、怯える石川郎女の苦悩はわたくしにも痛いほど分ります。同じ一人の殿方に、恋焦がれる身なのですから。
それでも、大津さまを拒むことなど出来ない。出来るはずがないのです。
「時を戻せるものなら戻したい。草壁さまと語らっていられたころに戻りたい。草壁さまを傷つけたくなどなかったのに」
 大津さまにすがりながら、草壁皇子さまを想って泣き続ける郎女。
「石川よ。それ以上嘆くな。もはや出会う前には戻れぬのだから。お前の瞳は俺を見つめ、この手は俺に触れた。共に過ごした時を忘れることは出来ないだろう」
 慰めるのではなく、諌めるのでもなく、淡々とただ事実を語る大津さまは、石川郎女の目にどう映ったのでしょう。酷薄に映ったのでしょうか。揺るがぬ強さと映ったのでしょうか。
 郎女は自分に触れる大津さまの手に頬をすりよせ、咽び泣くばかりだったそうです。
「郎女よ、お前は激しい女だ。恋をし、その想いを詩歌にすることでお前は輝く。いつか、俺と別れる日が来たとしても、お前はまた恋をするだろう。恋をして詩歌を詠み続けるだろう。 だが、今のお前は俺のものだ。俺はお前を離さない。お前は俺の腕の中で、俺だけを見つめていろ。そして血を吐くような詩歌を詠め」
「ひどい方。なぜ、今この時にこの想いが軽々しいものであるかの様な言いようをなさるのですか。この想いが永遠のものだと信じてはくださらないのですか。草壁さまの手を放したように、大津さまの手も軽々しく放してしまうとお思いなのですかっ」
 大津さまの袖にしがみつき、郎女は泣きながら大津さまに詰め寄ったそうです。わたくしには、郎女の激しさが羨ましく思えました。自身の美しさと才に自信があればこそ、大津さまに対してもなじることができるのでしょう。
「恋は、郎女の生きる糧。恋をして苦しむ程に、お前は輝きを増す女だ。だから俺はお前に魅かれた」
 いつかこの恋が終わる日が来ても、石川郎女はまた立ち上がって歩き続ける。そんな強さを持った女性なのでしょう。だから大津さまは石川郎女を愛さずにはいられなかったのでしょう。
妬ましいほどに、強く美しい女(ひと)。
「今、私を輝かせられるのは大津さまおひとり。どうか、この手を離さないでくださいませ」
恋の淵に落ち、苦しみもがく石川郎女の姿は、大津さまの眼には頼りなくいとおしいものに映ったことでしょう。

郎女の為に、大津さまは歌を詠んでいらっしゃいます。
『 大舟の 津守が占に 告らむとは
まさしに知りて 我が二人寝し  』
 (訳 港を守る占者に公にされることなど、承知の上で私達は共寝したのだ)

 ともすれば、開き直りともとられかねない内容です。不遜という者もいることでしょう。
 けれど、これが大津さまの愛し方なのです。
誰に咎められようと、責められようと、臆しも恥じもしない。愛ゆえに石川郎女を娶ったのだと、堂々と天下に遍く(あまねく)宣言していらっしゃるのです。
陽光の下、堂々と薫り高く立つ橘の若木のように。
わたくしには、このお詩歌には隠されたもう一つの意味があるような気がしてなりません。
愛したのは自分だと、奪ったのは自分だと宣言することで、本来なら矢面に立たされるはずの石川郎女をお庇いになられた。大切にお守りになられた。そんな気がするのです。
愛しいものを背に庇い、臆することなく愛を宣言する。天の下全てを敵に回しても、女を守り抜く雄。
こんな愛され方をして、心振るわせぬ女がいるかしら。
郎女も、滅ぶならば共に焼き尽くされたいと願ったことでしょう。
あらゆる女人が夢に見る最上の恋人。
粟津王、あなたの母もやはり女。わたくし以外の女人をお守りになる大津さまを想うと、嫉妬に胸を焼かれるような気がするのです。
それでも、溜息をついてしまう。
わたくしも、これほど激しく愛されたい。抱きしめられたい。
大津さま。あなたを愛さずにいられる女など、この世にいるのでしょうか。


草壁皇子さまは、大層お心深い、優しい方。そのご気質ゆえに、石川郎女の心変わりを責めるお気持よりも、お嘆きの方が大きかったのではないでしょう。
草壁皇子さまのお詩歌からは、そのまま皇子様のお人柄が伝わってくるようです。
草壁様も、心栄えの優れた素晴らしい殿方なのです。きっと、深くゆったりとした、包み込むような愛しかたをされる方なのではないでしょうか。お側にいるだけで心安らぐ、女が夢見るような貴公子。石川郎女が苦しんだのも頷けます。
けれど、時として、女は穏やかな安らぎよりも、力強く荒々しいものに惹かれることがあるのです。己が身を翻弄し、狂わせ、捕らえて離さない強い者。共に破滅することにすら甘美な誘惑を感じてしまう運命の恋人。まして自分を庇い、立ち塞がる広い背を見てしまったら、もう、心は離れようがありません。
草壁皇子さまが劣っていたわけではありません。誰が悪いのでもない。それが運命だったのでしょう。

「少し、風が出てきたようね。乳母や、粟津王はもう今宵は目を覚まさないでしょう。寝所に運びましょう」
 我が子の重さで少し足がしびれてしまった山辺皇女に代わって、年若い侍女が粟津王の小さな体を抱き上げる。
 乳母が夜風は体に毒と、気遣わしげに問いかける。
「お姫(ひい)さまもお休みになりますか」
「いいえ、わたくしはもう少し、月を見ていましょう。こんな夜には、良い和歌(うた)を詠むことができるかもしれないわ」
 和歌を詠むことはあまり得意ではない皇女が、少しいたずらな顔で微笑んだ。

草壁皇子さまは、誰に似ておいでなのでしょう。儚いばかりにお優しい気質は、勇猛果敢な父君、天智の大王には似ていらっしゃらないように思います。気丈さで知られた母君、大后(おおきさき)様とも違うように思います。大后(おおきさき)様ならば、嘆くよりもお怒りを露わにされることでしょう。
思慮深く、心優しく、儚く涙を零される貴公子。草壁皇子さま。
ともすれば草壁皇子さまは、母君の同母の姉君、亡くなられた太田の皇女様の気質を受け継がれたのではないでしょうか。
かつて天武の天皇が、誰よりも深く愛されたというもう一人の先帝の皇女。
儚く、優しく、それゆえにお心を保つことがおできにならなかったという、大津さまの母君さま。
鸕野(うのの)讃良(さらら)大后(おおきさき)さまのお心に、今も暗い影を落とすとされる、早世された大津さまの母君さま。

 

   陽の皇子・月の皇子

 書簡に埋もれるようにして数刻を過ごしていた青年が、ようよう庫を後にした。
 乱れた髪を苛立たしげにかきあげ眉間を押さえる。
少し神経質そうな、繊細な面持ちの若君。
すれ違う臣は立ち止まり、礼を取る。その、なんという事のない振る舞いすらも、今は青年の溜息を誘う。まるで顔を背け、視線をそらされているかのように感じるのだ。
「気を使われすぎるというのも、煩わしいことだな」
 どうということはない、そんな素振りでいるつもりなのだが、周りからはそうは見えないらしい。
 手にした書簡を持ち直し、自室へと足を向ける。
 皇子として生まれ、皇子として生きる。
 誰もが羨む最高の出自。天皇の子。
 立場故に、誰よりも優れておらねばならず、誰にも負けてはならず、常に比較されて生きてきた。
 その重さに潰されそうになりながら。
「……私は、弱い」 
 人前では決して口にできぬ言葉。真実。
 ただ静かに暮らしたいと望むことは叶わない。
 自由に生きるなど許されるはずもない。
 牢獄のような宮城に生きる。
 母に庇い、護られて。
 けれど同じ宮城の中にあって、誰よりも輝く者がいる。
 大津。
 猛く気高く、雄雄しく美しい異母弟。
 孤独だった筈なのに、今はその優れた資質ゆえに支持する者を増やし、私に並び立つ者となった。
 大后(おおきさき)を母に持つ私の最大の政敵。
 昔から、そうだった。明朗快活な大津と比べられ、私の脆弱さと心弱さはより際立つものとなった。
 母の影に隠れる私と、独り大地に立つ大津。
 母の放つ光にかき消される影の様な私と、強大な母に正面から向かう大津。

 並み居る異母兄弟姉妹の中で唯一人、私の心を波立たせる男。

 その大津に、石川(いしかわの)郎女(いらつめ)を取られたことは、草壁皇子にとっては耐え難い屈辱であった。
和歌の才に優れた激しい女。
美しい郎女。
公然と奪われた。
 憎んでいないわけではない、と草壁皇子は呟いた。これほどの恥をかかされ、愛しい女を奪われて、心が燃えぬわけがない。けれど。
 その感情を露わにすることは、皇子の自尊心が許さなかった。
 そこまで大津の思惑通りに動かされることは許せない。
『 大舟の 津守が占に 告らむとは
まさしに知りて 我が二人寝し  』
 この歌に込められた深い意味を、聡明な草壁皇子は正確に読み取った。
「責めるならば我を責めよ」
 揺るぎない自信に満ちた一首の和歌ごときの為に、今や私はあやつの思惑通り、怒りも憎しみも石川郎女ではなく、大津一人に向けてしまっている。
 見事なものだ。凛と立つ大津の姿が見えるような気さえする。
 大津は世を煙に巻き、私の憎しみを己一人に向けさせ、背後に郎女を庇うことで、周囲の視線と非難を一身に集めてしまった。良くも悪くも注目を集めずにはいられない。そういう奴だ。
 計算なのか、偶然なのかは分らない。だが、私はいつもいつもあやつに煮え湯を飲まされる。器の大きさの違いを見せ付けられる。嫉妬も憎しみも歯痒さも、幼い頃から、事あるごとに繰り返し味わわされてきたもの。
 猛く、賢く、眉目に優れ、自信に満ちた異母弟、大津。
 なぜ、お前が弟なのか。

 ふと向けた視線の先に梅の若木を見つけ、草壁皇子は溜息をつく。
 美しい石川の郎女の面影がよぎる。
 結い上げた鬢(びん)の艶やかさ。気の強さを感じさせるきつめのまなざし。少し勝気で、子供のように素直だった石川郎女。
 私を捨て、大津に走った郎女よ。お前は今幸福に酔っているのか。大津の腕の中で微笑んでいるのか。二人寄り添い愚かな私を笑っているのか。
 大津よ、今お前は幸福なのか。
 兄弟とはいえ、腹違いとなればその立場も思うところも違ってくるもの。まして自分と大津は歳も近く、常に比較され、競わされて育ってきた。憎しみの感情など湧き上がる前に胸に注ぎ込まれてしまっている。勝ち目のない競争を長年繰り返し、私の魂はすっかり磨り減ってしまった。怒りに震えることも稀になった。
 疲れ果て、怒るよりも嘆く方が楽になってしまったのか。
 大津よ。お前がそれほどに孤独でなければ、私はもっと強く、激しくお前を憎めたことだろう。孤独の中にあって、尚強い異母弟。幼いお前から最後の庇護者を引き離したのが、我が母でさえなかったならば、それを負い目に感じてさえいなければ、もっと激しく、たとえ敗れて討ち果たされる運命であったとしても、お前と正面から戦うこともできたろう。
 権力の酷さ、容赦の無さを目の当たりにしてしまってから、私の中に恐れが生まれてしまったのだ。

 大津皇子、最後の拠り所であった大伯皇女。
 奉じられた伊勢にて、今も身をもって弟を守り続ける斎宮(いつきのみや)。
 咲くことを禁じられた、百合の花にも似た儚いさだめの異母姉。
 芳香さえもうちに秘め、静かに祈りの日々を過ごす。
貴女のことがあってから、私は大津を真っ直ぐに見ることができなくなってしまった。

 草壁皇子は溜め息を一つつくと、背を伸ばして歩き始めた。己の心が安らかであろうとなかろうと執務は山積みであり、朝臣達は書簡を抱え待ち構えている。まだ日は高く、解放されるまでには数刻の忍耐を要するだろう。
 彼は王としての資質の有無はともかく、執政者としては無能と謗られることはなかったのである。
     ・・・・・

 ふつふつと湧き上がる憎悪の感情に、身悶えていたのは草壁皇子の実母、鸕野讃良大后である。
 天武天皇の大后(おおきさき)にして、片腕。女の身で政治にも通じ、戦場すらも夫と共に駆け抜けた女。齢を重ね容貌には陰りが見え始めてはいても、その覇気に衰えは見えない。
 今、そこにはいない誰かの姿を見ているかのように一点を見つめ、微動だにしない。
 きつく結い上げた髪が、今宵ばかりは不快感を更に煽る。つげの櫛を忌々しげに抜き取り、象牙の花の簪を払い落す。頭部を一振りすると、白髪が大分混じってしまった髪がばさりと肩に降りかかる。
 大陸の大国から取り入れられた色鮮やかな衣。豪奢な花の文様の絹の背子(からぎぬ)をまとっていても、彼女に嫋(たお)やかな風情は見られない。
 日嗣の皇子たる草壁に、泥を浴びせたも同然の振る舞い。然るべき罰を下さねばならぬ。身の程をわきまえぬ大津。
「なぜ、いつもいつも邪魔をするのか」
 身の程をわきまえぬ、憎き奴。日嗣の皇子の想い人と知ったなら、側近くに寄る事すら遠慮すべきであるものを。
 愛を独り占めせねば気がすまぬのか。
 姉上様の息子。
 姉上様。大海(おおあま)人様(さま)に愛された貴女への憎しみが、わたくしを駆り立てて止まないのです。貴女への嫉妬が、わたくしをこんなにも猛々しい女に変えてしまった。わたくしは今も、亡き貴女に挑み続けている。
 大海人皇子様のお心に、今も生き続ける憎い女。太田皇女。
 姉上様の残した者、姉上様の縁(よすが)となるもの、その全てを葬り去るまで、わたくしが安らぐ日は訪れまい。



 大津さまは遅くになって、無事にお戻りになりました。
「石川がようやく落ち着いた。山辺には心配を掛けたな。留守にしていた間、不安だったろう。すまなかった」
 すっきりとした長身、鍛えられたお体は武官のようでありながら、猛々しいご様子は見られない。知的でありながらお優しいまなざし。唐より取り入れられた朝服に身を包み、整った顔立ちに漂う高雅さは、稀代の貴公子と称賛されるにふさわしい。
 文官の朝服を纏いながら、お腰に太刀を佩いていらっしゃるのは文武どちらにおいても長じておいでになる為。
逞しい腕が広げられ、妻であるわたくしを招いてくださる。
「おかえりなさいませ、我が君」
 広い胸に抱かれ、常と変わらぬ大津さまのお顔を見て、わたくしもようやく安堵することができました。
 数日見なかっただけなのに、夫、大津さまの笑顔を見るだけで、やはりわたくしはときめいてしまいます。もう、これで安心なのだと、大津さまはご無事だったのだと、ようやく納得することができたのです。
 侍女達に、すぐに夕餉の膳を用意するように言いつけ、わたくしは大津さまのお着替えを手伝います。
 衣からあまり汗の匂いがしないことに、少々、軽いやきもちを焼きながら、けれどそんな素振りは少しも見せないように、大津さまに替えの衣を手渡します。どうやら郎女のところでも、きちんと大津さまのお世話はなされていたようです。
 そんな私の心中など、大津さまはお見通しなのでしょう。今宵は特にわたくしにお優しく接して下さるようです。

 凍てつくような冬の月を見上げ、大津さまは杯を傾けます。
「石川の家の庭には梅の若木があって、もうじき最初の蕾がほころびそうだった。山辺にも見せたいから、咲いたら一枝届けるように言っておいた」
「梅ならば、この庭園にもございますのに」
「石川が言うには、ことのほか香りの良い白梅なのだそうだ。山辺は白梅が好きだったろう? 頃合いの小枝があったら、髪に挿しても似合いそうだ」
 これだから、わたくしはつまらないやきもちなど焼けなくなってしまうのです。
他の女人と過ごしていても、時折わたくしのことを思い出してくださるのなら、わたくしよりもお心近くに他の女人を住まわせずにいてくださるのなら、わたくしはいつまででも大津さまの帰りを待つことができるのです。
これほどの方を、独り占めになどできる筈がない。少し悲しいけれど、それが事実なのです。
青白い月の光に照らされた大津さまの横顔は、どこは寂しげで悲しくて、高貴な中に孤独を感じさせるようで、わたくしは不安になり、空いている大津さまの左腕に掴まってしまいました。
「どうした、山辺。何も怖いことなどないぞ」
 わたくしの不安を察してくださった大津さまは、わたくしの肩を抱き寄せ、囁きかけます。
「月の光が山辺を怯えさせるのか。だが、何も恐れることなどないぞ。むしろ、恐れるべきは俺の方だろう」
「大津さまは月が恐ろしいのですか」
「恐ろしいな」
 いたずらな手がわたくしの髪に挿した櫛を抜き、髪を下ろしてしまいます。黒髪を指にからめ、軽く引いて私を引き寄せてくださいます。
「何でも、月には夫が女神から授けられた不老不死の薬を盗み飲み、仙女となった女が住んでいるという。ともすれば、月には女ばかりが住む宮があるのかもしれない。いつか山辺が俺に愛想を尽かし、月に逃げて行ったとしても、俺には後を追う術がない」
 ひどい大津さまは、心にもないことを言ってわたくしをおからかいになるのです。
「薄情なお言葉ですこと。わたくしは大津さまが月を目指して旅立たれるようなことがあったなら、煙になってでも後を追いますのに。女ばかりの宮になんて大津さまが入ってしまったら、きっと二度と返してはいただけませんもの」
 きっと仙女さまも、大津さまには心奪われておしまいになることでしょう。
 大津さまが楽しげに微笑んでくださいました。お顔から影が消えたようで、わたくしも少しだけ安堵いたします。
「これからしばらくは、石川の家に足繁く通うことになる。まだ大后様は油断できない。力のない郎女を、一人にしておくことはできないからな」
 夫のぬくもりに酔いながら、わたくしはうなずきます。
「どうか、お気をつけて。ご無事のお帰りを、わたくしはここでお待ちしております」
「山辺にはまた、寂しい想いをさせるな」
 夫の胸に顔を伏せ、そのぬくもりを感じていれば、わたくしの不安などすぐに解けて消え去ってしまうのです。こうして二人寄り添い、月を見あげることができるなら、不安も焦りも寂しさも、すべて忘れることができるのです。


 お心深く繊細な草壁皇子さま、豪胆な大津皇子さま。世間の者はそう噂いたします。確かに、書をこよなく好まれる、物静かな草壁さまと比べれば、大津さまは荒々しい気質が際たつようにも見えます。けれどそのお心は誰よりも深く、思いやりに満ちておいでです。
『  大舟の 津守が占に 告らむとは
まさしに知りて 我が二人寝し  』
 この一首の詩歌を以って石川の郎女を世の矢面からお庇いになられたように、不遜なまでの強情を装われたように、大津さまはそっと、胸の内を詩歌に込められたことがおありになります。
『  経てもなく 緯(よこ)も定めず 娘子らが
    織る黄葉に 霜な降りそね  』

 とてもお優しいお詩歌だと、家臣達は頷いておりました。童子のように清らかなお心でいらっしゃるのだと、侍女達は頬を染めておりました。
 紅葉を天の乙女が織る衣に喩え、冷たい霜よ降るなと謳っておいでなのです。美しい秋の景色に目を遊ばせ、冬の到来を前にその美しさを惜しむ詩歌。
なんと清清しいお詩歌でしょうか。
 けれど、わたくしは一度お読みした後、二度とこのお詩歌に触れることはできませんでした。静かな、美しい詩歌から伝わってくる大津さまの抱えるお寂しさ、孤独の深さが胸に染みて、涙が止まらなくなってしまったのです。
 この詩歌に隠されたもう一つの意味。
 このお詩歌は、遠い伊勢に封じられた姉君さま、大伯皇女さまを想い、詠まれた詩歌なのではないでしょうか。

『経てもなく 緯も定めず』とは、肉親との繋がりを絶たれ、婚姻という縁を結ぶことも禁じられたという意味。俗世を離れられた大伯さまを指しておいでとしか思えません。その大伯さまを花ではなく紅葉に喩えることで、鮮やかに色づきながら、実ることなく朽ちる日を待つ姉君様のお身の上を嘆かれたのでしょう。
『 霜な降りそね 』
 この一言に、大津さまはどれほどの想いを込められたのでしょうか。
「霜」は露を凍らせ、花々を凋落(ちょうらく)させるもの。
 姉君さまの若さ、美しさ、優れた気質を惜しまれる大津さまの、深いお嘆きがこの一言にすべて込められているように思えます。
公然と言葉にして嘆くことの許されない、幸薄い姉君さまのお身の上を、天よ哀れみたまえと祈りを込めて謳われた詩歌。
 どれほど姉君さまの身を案じてこられたのでしょうか。
幾度姉君さまの住まう伊勢の空を見上げられたのでしょうか。
優しい手のぬくもりや微笑に焦がれ、幾度大津さまはお泣きになったのでしょうか。
引き離されてから、十余年もの間。
 たった一人、唯一お心を分け合い、寂しさもつらさも共に耐え、共に生きた姉君さま。その姉君さまを奪われた心の傷は、今だ癒えてはいらっしゃらない。大津さまの心の奥底の涙は、まだ涸れてはいらっしゃらない。誰にも、わたくしにも、癒して差し上げることは叶わない。
 何という慟哭。
 そう気づいたとき、わたくしは、大津さまの最愛の女(つま)となることを諦めてしまいました。
わたくしは誰よりも大津さまのお心の側にいる。大津さまが見つめるものを、共に並んで見つめることができる。大津さまに寄り添い、時にはこの胸に抱きしめ、いとしい方を癒して差し上げることができる。だから、大津さまが誰に心惹かれ、愛されようとも、わたくしが動じることはない。
わたくしは誰よりも大津さまのお心の側にいる。けれど、大津さまのお心の中には、彼の女(かのひと)の面影が住みついてしまっている。
その女(ひと)は、競うどころか比較の対象にすらなれない特別な存在。
月の様に気高く、遥かな地で密やかに光り、大津さまを照らす。
その存在を知ってしまったら、もう他の女人方などいずれ消え去る儚い雪の様なもの。哀れみこそすれ、心を痛める甲斐すらも無い。
姉君さまを想い、心を痛める大津さまをそのまま抱きしめる以外、わたくしにできることはない。
そう、悟ってしまったのです。

 姉君、大伯皇女。
今も神の宮にて平安を祈り続ける神の花嫁。
決して結ばれることのない、永遠の女性。






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