馬ってやつには生まれてこのかた乗ったことがない。せいぜい珍しいものにしたってMT車くらいだ。ポニーにだって乗ったことがないのだ。まぁ食ったことはあるが。つまりこれが人生の初体験ってわけだ。 「どうどう、落ち着けよ。取って食ったりしないからさ」 ヒヒンといなないて直立する馬を何とか宥めてようやく落ち着かせることに成功する。しかし、いまだに基地の外へは1歩も出られていない。 「くそ、見た感じ簡単に乗っていると思っていたけどな。思った以上に難しいぜ。おい動くな、馬刺にして食っちまうぞ」 ジョーは悪態を吐き悪戦苦闘して辛うじて馬の背に乗った。股の下で馬の鼓動が感じられる。車がブレーキを掛けられたままエンジンだけが鼓動している、そんな感じだったが問題は、この股下のやつは俺が今まで乗ってきたやつとは違って未知の存在で制御不能のような気がすることだ。 「よし、進め」 声をとりあえずかけてみるが馬は首を左右に振って周囲を何の気なしに見るだけで進む気配すら見せない。えーっとこんなときはどうすればいいんだ?映画なんかじゃ足で脇腹を蹴ってた気がするが・・・・。 「おい、何してる若いの。まだいたのか?」 後ろから唐突に声をかけられる。さっきの老人が怪訝そうな目付きでこっちを見ている。そりゃそうだ、軍人で、しかも馬を借りに来た奴がまさかは1度も乗馬をしたことがないなんて話普通じゃない。 「あー何でもない。はは、なんかこいつ気が荒くてな。もしかして暴れ馬ってやつかもしれない」 「暴れ馬だと?そいつは繁殖用にすらならない。いわゆる当て馬ってやつだ」 老人は口許を歪めて意地悪な笑いを浮かべる。畜生、ってことはとんだ駄馬を寄越したってことか、このジジーは。なめやがって。 「あれおかしいな。そうだな久しぶりだから慣れていないのかもしれない。まぁなんとかするさ。大丈夫だ」 軽く挙動不審状態だが、馬上からずり落ちないようにバランスを保ったまま後ろを見続ける。ある種滑稽ですらある。 「そうか、それならいいがない。だが、急いだ方がいいぞ。あと数分もすれば基地の門が閉門される。そうなったら基本的に出入り禁止だ」 「そうか、ありがとよ」 そう言って体の向きを前に戻すと馬上でジョーは思案する。取り合えず手綱を持って基地の外までは徒歩で行ってからそこから馬を使おうか、いやいっそ全力で走った方がいいのかも・・・・。 「何してるんだあんた?」 知らぬ間に後ろに老人が立っていた。相手の肩くらいの位置にちょうど馬のケツがくるくらいの高さと位置だ。 だが、すぐにジョーは異変に気がつく、いや、ジョーより一瞬速く他でもない馬自身がいななき前足を高くあげる。 「おいいったい何持ってるんだ?その手ぇ」 馬上からずり落ちないようにしつつも、懸命に抗議の声を上げる。 「何って調教棒だよ。動かないようなやつにはこいつで1発やればいいんだ。さぁ歯食いしばれ!」 歯ぁ食いしばれって誰のケツ叩く気だ、この老いぼれ!という言葉は風と共に吹き飛んだ。馬は、ケツに棒が触れるか触れないかくらいでそれこそ電流でも走ったかのように狂走した。基地のど真ん中を辛うじてぶら下がるように馬に乗って疾走する司令官などそうそう拝めるものではない。 「うおおお、どけどけどけ!!」 両手にトレーを持った新米兵士があっけに取られた顔で突っ立ている。恐らく外と交代なのだろう。しかし、基地に配属されて初めて見張りの任務で見る光景がこれとはむこうとしても完全に予想外だっただろう。 だが、1番予想外なのはまさにジョー自身だ。目の前には半分以上閉まりかけた門。下には制御しきれない暴れ馬。そこら中にに奇異と興味の目が飛び交っているが誰も何もしようとしない。しかし目の前にはもう避けられない距離にどうしようもなく情けなく口を半開きにした新兵。 「飛べ!!」 もうこうなったらやけだ、取りあえず大声を上げて目の前の兵士への注意と何とかこの必死さを下の馬が感じ取ってくれないかと思いながら声を張る。 馬は体の筋肉総てを使って涎をほどばしらせながら高々と宙を舞った。一瞬時間が停止したかのような錯覚に陥る。コマ送りで出来の悪いアクション映画を見ているかのように馬が大地を蹴った1歩目から宙に歩を進めるその瞬間、重力によって最高到達点から本来あるべき場所まで足が届くのを。 「どけっ!」 腰がそのまま消失したかのようにストンと尻餅をついて兵士がのけ反り道が開ける。馬の蹄が倒れた兵士の頭と同程度の高さで滑空しそのまま兵士は気を失った。 馬とジョーの全体重が再び重力に捕らえられて地面へ落下する。その重さが蹄の形をそのまま大地に刻み込むと更に加速する。わずかに開いた基地の正門を弾き飛ばしてジョーはそのまま一気に下山の道を駆け下りて行った。その音に気が付いてようやく食堂から出てきた兵士たちが見たものは地面にあおむけになって失禁して気絶している哀れな新兵の姿だった。
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