ジョーは執務室を出て階段を降りた。途中数人の若い兵士たちとすれちがったが軽く挨拶をして足早に建物の外へ出る。日はもうとっぷりくれている。 基地の内部でも方々で明かりが点り始めすっかり夜に向けて準備が始まっている。鼻孔をどこからか漂ってくるうまそうな夕飯の匂いが刺激した。だがジョーが向かう先は食堂ではない。まっすぐ向かった先はうまそうな夕飯の匂いとはある意味正反対の匂いが発せられる場所だ。 「ちょっといいか?」 ジョーは馬のいななきが聞こえる厩舎の中へ入って調教師に声をかけた。相手は老いた斜視の老人で背骨がすっかり曲がっている。老人は歪んだ視線をジョーに向けた。 「何か用か若いの?」 「おいおい何か用かはないだろ?俺が誰か分かってるのか?」 大袈裟に両腕を広げてジョーは顔をしかめる。だが老人は興味もなさそうにすっと視線をそらして飼い葉桶にもぐさを追加する。馬がそれを食らう音だけがその場を満たす。 「それで?」 ぐいっと老人は顔を上げてジョーに視線を合わせる。その堂々とした姿勢に若干気圧される。 「それでっていうのは?」 辛うじて沈黙を作らないように絞り出した言葉がまた間抜けだなっと内心自嘲する。相手は明らかにジョーをバカにしたようにため息を吐き言葉を継ぐ。 「おい若いのおちょくってるのか?こんな場所にそれもこんな年寄りにわざわざ喋りかけにくる奴がこの基地にいるか?なんの用事があるんだって聞いてるんだよ」 「馬を貸してほしい。2、3日で帰ってくる」 「2、3日だぁ?そいつは聞けない相談だな」 老人は顔をしかめた。よしわかった、こいつはほんとに俺が誰だかわかっていないみたいだ。それにしたって自分のボスの顔すらわからないなんてどーなってるんだ? 「なぜだ?そんなに愛馬が大事か?」 「愛馬だと?バカ言うんじゃない。誰がこんな大飯食らい・・・」 老人の言葉に反駁するかのように馬の方がヒヒントと鼻を鳴らした。 「だったら何で?」 「そりゃーおめー若いの、この基地での規則だからに決まってるだろ?許可も無しに好き勝手に軍馬を乗り回されたら困るんだよ」 「その許可ってやつは誰が出すんだ?」 「そりゃーおめー・・・・・・」 老人はしばし黙して考えながらようやく正しい答えに至ったようだ。 「そりゃここの責任者、ヨハネス・クーパーに決まってるだろ?いや待てよ。・・・・そいえば最近どっかのよそ者がやって来てここを仕切り始めたんだったな。たしか名前は・・・・ジョー、とか言ったか?まぁあったこともないから顔は知らんがな。顔を知らないと言えばそういえばお前も見ない顔だな。新兵か?」 「まぁそんなところだな」 「名前は?」 「ジョーだ、よろしく」 ジョーは手を伸ばしたが相手はただフンと鼻を鳴らしただけで馬の頭を撫で付けている。 「若いの、お前が何のために馬を使うのか教えてくれたらもしかしたら貸してやることもできるかもしれない」 「目的を教えろってか?」 ジョーはしばらく口を閉ざした。ここで権力を振りかざして強引に馬を奪っていくのは容易いが、それで目立つよりはうまくトークで切り抜ける方が無難じゃないか? 「あーそれなんだが急用があってな。今すぐ街の方へ行きたい」 「急用だと?なんだ親でも死んだか?」 調教師は無感動に吐き捨てた。その間馬の世話をする手を一切止めない。 「いや葬式じゃない。人に会いたいんだ」 死んだのは俺の方だ、そういうお決まりの突っ込みは入れずに冷静にジョーは返答する。 「ふん、親孝行くらいしてやるものだ、若いの。女か?長い基地生活にもう飽きが来たか?どうせ向こうも今ごろ新しい男作ってるさ。今日は盛大に振られてこい」 そう言っていつのまにか用意していた手綱をジョーに手渡してニヤっと笑みを浮かべた。盛大な勘違いをしているのはお前の方だろと心中突っ込んでジョーも笑みを返した。
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