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作品名:悲しきウスバカゲロウ 作者:levelBooks

第4回   悲しきウスバカゲロウ#4
『四』

苦痛でいびつになった、汗みどろの男の顔。
呪わしい、目がそう言っている。
裸電球を仰ぎ見ている。
口元に赤黒い液体をこびりつけて、
男は一心に口元を尖らせ奇声を上げる。

あの晩、つまり、盆祭りの二日目の夜、
母の小言が終って部屋に戻ると、私の脳裏はへび男でいっぱいだった。
朝、目が覚めて、鳥の囀りの中で目を擦りながら、
それは、哀れな見世物男に対する憐憫にかわっていた。
      
 午後になって、町村と河田が遊びの誘いにきた。
三人で河原に行った。
魚採りをやる予定だったけど、
釣竿を放り投げたまま、石ころを投げていた。
何となく重苦しい空気があった気がする。
皆きっと同じことを感じているんだと思った。
いつもひょうきんな河田が、無理して声高に笑っても、
弾んだ会話が、全然長続きしない。
「孝ちゃんさ、日記つけてる?」
 石投げに飽きて、小さな流木を振り回していた町村が言った。
「昨日は書いてないや、帰り遅かったし」
 私はぶっきらぼうに答えた。
「昨日、おやじにすげえ怒られたよ」
 河田が言った。
 昨日、あの出来事は、日記にどうつければいいんだろうか?
三人で岩に腰掛けながら輪になっていた。
「あのへび男はさ、日記に書けないよね」
 とうとう、私が口にした。
「夢に出たよ」
 町村が言った。声が暗かった。
「寝小便したか?」
 河田は冗談で言い放ったが、町村が睨むのですぐに萎縮してしまった。
「あの人さ、捕まってんだよな、きっと。苛められてたもん」
 町村は悲しそうな顔する。
「助ける?」
 河田が言った。
 その言葉を合図に三人は額を寄せ合った。
「でもさ、どうやって?」
 私が言った。好奇心で、押し潰されるほど胸がときめいていた。
「やっぱり、昨日みたいに夜遅くなきゃ駄目だな、人がいないし」
「夜は駄目だよ」
 私は、昨晩の父の言葉を思い起こしていた。
「どうしてだよ?夜の方が人も少ないし」
 河田が言い返す。
彼も昨晩は両親にひどく叱られているはずだった。
「いや、逆に昼間の方が誰にも見つからないかもしんない、
見世物小屋が開くのは夕方だろう、
だったらその前の方がいいんじゃないかなあ」
 町村が言った。皆、しばらく思案顔に黙った。
その時だった。
「ねえ、なにやってんのお?」
 弾みのある女の子の声が背後にした。
「恵子には関係ねえよ、あっち行きな」
 私と河田に向かい合っていた町村が答えた。
二人の少女が、虫かごと網を持って立っている。

そう、恵子と麗子だった。

二人とも男に負けないくらい真っ黒に日焼けしていた。
私は恵子とはあまり面識がなかったように思う。
学年は同じだったけど、クラスが違かった。町村は、恵子と家が近く幼馴染だった。
「ねえ、なに?何か面白い作戦?」
 恵子は勝気な表情で話に割り込んできた。
妹の麗子は恥ずかしそうに姉の背後でこちらを窺っている。
「女には関係ねえよ、そっちこそ何やってんだ?」
 町村は立ち上がると、
恵子の携えていた虫かごの中を無造作に手にすると覗きこんだ。
「昆虫採集、麗ちゃんの自由研究、ね、麗ちゃん」
「そう、ウスバカゲロ探してる」
 麗子がはにかみながら言った。
「トンボだろ」
 町村が言う。
「違うの、トンボじゃなくてウ、ス、バ、カ、ゲロウ」
 麗子をかばうようにして恵子が答えた。
「トンボみたいなもんじゃん。だけどあれ、
もういないよ、休み前にいっぱい見たけど、もうみんな死んじゃったよ」
「いるもん、ウスバカゲロウはね、十月くらいまで羽化するって図鑑に書いてあったし、ね、麗ちゃん」
「うん、アリジゴクが大人になってね、ウスバカゲロになるの」
 麗子はうる憶えの知識、誇らしげに口にした。
「麗子ちゃん、そんなもんよりずっと面白いもんがあるよ」
 河田がおどけた調子で言う。彼は尻をはたきながら立ち上がった。
「馬鹿、言うな」
 町村が制す。
「なになに、教えて!」
 姉妹は興奮して飛び跳ねた。
「別にいいじゃん、人数多いほうがいいよ、なあ孝ちゃん」
 私は立って彼女たちに向き合うと軽く頷いた。
恐怖を払拭するには、出来るだけ賑やかな方がいいと思った。

 結局、へび男を救助するという一大作戦は五人でやることになった。
多少誇張があったけど、
昨日からのこと、河田が面白おかしく姉妹に話した。
恵子と麗子の顔が恐怖をない交ぜにしながら、見る見る輝いていった。
 決行は夕方前、神社の境内にまだ人が集まらない時間と決まった。
「虫かごはおいてけよ、どうせ何にも入ってないんだろう」
 町村が言った。
「俺たちだって釣り竿おいてくんだ、作戦の邪魔になる」
 河田が放り投げてあった釣道具の方を指差した。
姉妹はその釣道具のとなりに、網とかごを、名残惜しそうにして置いた。

 五人は河原を後にすると、勇んで神社へと走り出した。
緑青に染まった大鳥居を抜ける。
まだ出店が出ていないせいだろう、参道を行き交う人は疎らだった。
見世物小屋の周囲も、まだ閑散としていた。
出店の準備をする男が二人、境内で竹箒を使う老人が一人いた。
河田が、集団でいるのは目立つと言い出した。
二班に分けるよう私が提案した。
二人が実際に小屋に入って救出、
あとの三人は逃避ルートに伏せて逃げ道を見張ることにした。
私と町村が、小屋に入る。
見世物小屋のすぐ前には恵子が張る。
上社へ続く石段の前に麗子、更に石段を上がり奥殿で河田が待つことになった。
「よし、行くぞ!」
 決行前に子供らは円陣を組んだ。
河田が震えた声を押し殺しながらかけ声をあげる。
皆が呼応した。
真っ白い歯が、黒い肌の中で映えていた。
 私と町村は、昨晩と同じように裏口から見世物小屋に入ることにした。
中にはあっけないほど簡単に入ることが出来た。

だけどどうだろう、
大人になってみれば、普通に疑問も沸く。
へび男はいつだってすぐに逃亡できる環境にいた。

 天井から張られている長い暗幕の隙間から、舞台の方を覗き込んだ。
舞台にも、客席の方にも、人影は見当たらない。
その奥で人の話し声がする。
突発的に下卑た笑い声が聞こえる。
団長の声だ。私はそちらの方を覗き込もうと、客席を突っ切って歩を進めていく。
「三次はどうだい?あのうす馬鹿?今日は失敗しないで済みそうかい?」
 男の声。
「よく言い聞かせたから」
 しわがれた女の声が答えた。
「また物投げられんのはごめんだねえ、」
 また、別の女の声がした。三人いる。
 私は奥の間を覗き込んだ。かなり近くまで、彼らに接近していた。心臓音が聞こえるほどに緊張が高まる。震える腕を制しながら、今一歩首を伸ばしてみる。
 部屋の全貌が見えた。
二人の女と、一人の男、机を囲んで雑談をしていた。
団長と、舞台で扇子を叩いていた女、それと、へび女に違いなかった。
へび女は、紺のスカートに白いブラウスを着ていた。
舞台では厚い白粉を塗って口紅を頬の中心くらいまで伸ばしていたけど、化粧気がなくて、見たところ近所のおばさんみたいだった。
煙草をぷかぷかさせながら、
時折、煎餅をつまんではばりばり音をたてて食べている。
へび男はどこにいるんだろう?
彼らが寛いでいる部屋を注意深く見渡したが見つからない。
ふいに、背後にいた町村が私のシャツを引っ張った。
「どうした?」
 振り向いて、私は目でそう聞いた。彼は顎で舞台の方を示した。
暑いのか、それとも別の理由か、
彼も私もいい加減に顔中から汗を流していた。
 へび男が、いた。さっき通り過ぎる際には全く気付かなかった。
男は舞台の隅、檻の中に蹲っていた。
スラックスに少しきつそうな白いTシャツを着ていたが、蓬髪と浅黒い肌ですぐにへび男と判った。
檻の中にはさらに小さな檻があり、その中に大蛇がとぐろを巻いていた。
へびは眠っているようにまるで動かない。
男も、全く動かなかった。

「どうする?」
 町村が声を懸命に抑えて言った。
「どうするもなにも」私は一瞬思ったが、足が竦んでいた。
躊躇している間に、先にへび男に気付かれていた。
「だれだあ?」
 妙にまのびのした声を出した。
私たちは怯んで屈んだが、二人同時に目を合わせ、すぐにも覚悟を決めた。
立ち上がると舞台に飛び上がった。
「おじさん」
 私の、彼に対する第一声、近くで見てそのまま感じたことが口に出た。
先ほどまでは周囲が静かだったが、そろそろ境内に人が集まりだしていて、
あたりは声を掻き消すほど騒々しくなってきていた。
「誰だ、お前ら」
 へび男は立ち上がると私たちは見下ろした。
はるか頭上から声が聞こえてくる気がした。
「あんたを助けに来たんだ」
 町村が私の前に進み出た。その声は澄みきっていた。
いっぱしの英雄気分でいる。
「助ける?」
「そう、いやでしょ?こんなとこで虐められるの?だから、俺たち…」
「助けるって、ここから出られるってことか?」
「そうだよ」
 町村に変わって私が答える。
「ここを出てどうすんだ?」
「自由を手に入れるんだ!」
 町村は拳をつきあげた。私はあまり無警戒にして、
連中に気付かれることを危惧した。手早く彼を連れ出すべきだった。
「行こう!」
 私は言った。
「どこへだ?」
「とにかく外に出ようよ」
 躊躇しているへび男の腕を町村が掴んだ。
私も勇気を出して、もう一方の手を掴んだ。
その手は大きくごつごつして、汗で滑った。
むっとした体臭が体中にまとわりついてくる。
 そのまま三人で舞台を降りた。
背後の檻の中、ちらっと最後に見た。
蛇は起きだしていて首を擡げる格好で、
私たちの方を、じっと見つめていた。
 
戸外に出る。恵子が小屋の角で手招きしていた。
「走るぞ」
 町村がへび男を促がして一斉に走り出した。
 空の色はすでに西日に染まっていた。
鬱蒼とした杉林の中には所々に闇ができはじめている。
人影はいくつかある。
私たちは一気に上社まで続く石段を登り始めた。
「待ってよ!」
 恵子が後から息を切らせてついてくる。
「だれだ、あれは?」
 へび男は怯えて震えた声を出した。
町村が「仲間だ」と強い口調で返した。
 上社に上がる石段の頂上部に小さな人影が見えた。
麗子だろう。
私たちは社殿の背後に回って一息ついた。
「へび男さん、おっきいねえ」
 恵子が顎を大きく上げて言った。
麗子は姉の後ろで様子を窺っている。
へび男、それほど背丈があったわけではなかったような気がする。
ただ顔や手が大ぶりで、胸板が厚かった。
小さなTシャツははちきれんばかりに彼の胸を締め付け、
その形を露にしていた。
「どこへ行くんだ?」
 また、へび男は、誰に言うでもなく聞いた。
「自由な場所さ!」
 町村がまた拳を突き上げ声高に言った。
恵子と麗子は、訳が判っているのか、
奇声を上げて両手を大きく頭上に振った。
私はこの後どうするのか、そろそろ心配になっていた。
彼を犬や猫のように拾ったり捨てたり、
押入れにかくまったりなんて出来るわけなかった。
上社から更に山上へと続く石段を上がれば、
そこには鎮守の奥殿がある。

先に登っていった河田が待っているはずだった。
【続く】


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