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作品名:悲しきウスバカゲロウ 作者:levelBooks

第3回   悲しきウスバカゲロウ#3
『三』

「あの子は、どうしちゃったのかねえ」
 母が言う。
「あの子?」
「結城さん家の女の子よ」
 麗子の姉、恵子のこと。
私や町村、河田と鎮守の森で遭難して、一昼夜山中をさまよった。

たった一人だけ帰ってこなかった。と、母は言った。

「孝ちゃん、何にも?」
 恵子という存在すら、私の記憶にはくっきりと無かった。
考えようと試みると、
その部分がはっきりと黒ずんだ穴のような感覚が、不思議だった。
あの、盆祭のあとが、ぽっかり抜けている、
そんな空洞感がある。
嫌な発汗。軽い耳鳴りもある。
「どんな子?」
 私はなにか、わずかでも糸口を探っている。
「どんな子って?」
「いや、その恵子って子」
 母は目を見開いて、呆れ顔した。

 暗い田舎道を車は走っていく。
スピードが幾分遅くなった。
母が、当時のことを話しはじめた。

 私が友人たちと見世物小屋に忍び込んだ翌日、
つまり、三日間の盆祭の、その二日目の夜、子供たちの行方が判らなくなった。
男子三人、女子二人。男の子は私と、町村と、河田。
女の子は、結城姉妹、つまり、恵子と麗子だった。
 盆祭の二日目の夜半過ぎ、最初に発見されたのは、
町村と河田だった。彼らが、残りの子供たちが、鎮守の森の上にいることを大人たちに告げた。
捜索隊が山に入る。
最初の二人が発見されてから一夜が明けて、
私と麗子、上社のさらに山上にある奥殿附近で憔悴しうずくまっているところを救助された。
だけど、恵子だけが帰ってこなかった。
麗子は衰弱して話をするどころではなく、
私は健常であっても、何を聞いても判らないと答えるだけだったんだと言う。

 翌日の日中、地元で鎮守さんと呼ばれる神社へと足を運んだ。
町村と待ち合わせをした。
彼は、大学は共に東京へ出たけど、地元へ就職をしていた。

五人の子供たちが一晩山中をさまよった事件は、大きな出来事だったと思う。それなのに、昨夜母から話を聞くまで、私の記憶はあんまりにも希薄だった。

 町村が来るまで、ぶらぶらと参道を独り歩いた。

すでに木の枝から枝へとボンボリが下がっていた。
明日から盆祭がはじまる。
もう組み立てられている出店も幾つかある。
舞殿の床を赤い袴を履いた巫女さん、おそらくアルバイトでやとわれた地元の女の子たちだろう、が雑巾がけをしていた。
舞殿から廊下が後方に伸びている。
そのさきに、銅板葺きの本殿がある。
暗い本殿の奥から、ぼんやりとした青い薄明かりがもれていた。

―刷毛で淡い色を付けていくようにして、
私の記憶にうっすらと彩色がされる。
          
本殿脇の砂利道を踏んで、建物の横に出た。
広広とした空間が広がっている。神木と云われる杉の大木が天に真っ直ぐ伸びる。
それは二本あって、間が二十メートルほど離れている。思い出したかのようにうなり始めるヒグラシの鳴き声。

ここだった。二十年前のあの頃、
ここに、見世物小屋のテントが張られていた。

 あの夜、つまり、へび男が折檻を受けていた夜、
あれから私たちは、とにかく一目散に家へと帰ったはずだ。

だから、私たちが遭難したというのは、あの夜じゃない。

町村と河田と、三人して参道を無我夢中で走った光景が、徐々に甦ってきた。
私は帰宅してすぐに、母親にひどく叱られた。
そんなこと、ついぞ思い出しもしなかったけど、
ふと、玄関で正座をしていたこと、記憶の底から、海中の泡みたいによみがえる。
私は、泣くことも、さっき見たばかりの見世物小屋のこと、口にすることも出来ず、ただ首を垂れている。
母の小言が終わるの、じっと耐えている。
居間から出てきた父が、もういいんじゃないか、男の子はそんなもんだ、みたいなこと口にした。
廊下を足早に去ろうとした私に、父は、明日は遅くなってはいけないよと言った。
 翌日、盆祭の二日目、母が言うには、この日から、私を含めた子供たちが失踪する。

―一体どうして?

「よお、久しぶり」
 背後からだった。町村だった。
子供の頃小柄だった彼も、今では人並以上に背がある。
会うのは、前に帰郷した時以来だから三年ぶりだった。
「どうしたよ、こんなとこに呼び出してさ、なんか風流だね」
「風流か?」
「なにも鎮守さんじゃなくてもさ、サ店でも行こうよ、」
町村が笑いながら言った。
「いつ以来かな?ここ来るの」
「中学ん時くらいかな、お化け屋敷があって」
 ああそうだ、思い出した。
見世物小屋は、あの遭難事件の年を境に来なくなった。
それで、中学生くらいまでお化け屋敷が興行していた。
もっとも、お化け屋敷には、私たちはもう見向きもしなくなっていたっけ。
「なあ町村、確か、小学三年くらいの時、」
私は言いながら、本殿の裏、覆いかぶさるように広がる山の方向いて、
「俺たちみんなで山ん中でさ、迷子になったの憶えてる?」
 町村の穏やかな表情、わずかにかげった。
「どうして?」
「つまり…」
 私は分けも判らず、
言いづらい話なのだと感じながらも、ことのあらましを彼に伝えた。
「だけどお前、ほんとに、憶えてないの?」
 私は町村の問いに首をかしげて答えた。
「じゃあ、やっぱり芝居じゃなかったのか」
「芝居って?」
「お前と麗子ちゃんが救助された時のことも憶えてない?」
「ああ」
「ほんとかよ」
 町村はあからさまに呆れてみせた。
「いや、全然憶えてないわけじゃなくてさ、
何ていうか、うっすらとね、断片的に光景はあるんだけど…」
 私なりに昨晩考えてみた。記憶の断片が、時間なんか無視して、無造作に脳裏に重なり合ってるだけだった。
「だから、鎮守さんで待ち合わせたってこと?」
「そうだよ、さっきだって本殿の廻りをうろついてたら、少しだけ思い出したよ」
 私は、見世物小屋があった場所を指差す。
「あの辺りだろう?へび女、へび男」
「あったあった、そうだけど、じゃあやっぱり芝居じゃないのか?」
「だから、芝居って?」
「記憶喪失、お前、救助された時、
何聞いても判らないって頭抱えてさ。何か俺たち悪いことした気がしてたし、それでお前、依怙地になって、何にも知らない振りしてるんじゃないかと…」
「そんな…」
 頭が、特に前頭部に、軽い痛みが走った。
「大丈夫?」
 町村が俯いた私の顔を覗き込む。
「思い出そうとすると、すぐこうなる」
 彼は半信半疑な目を見せた。
「信じられないか?」
「すぐには…」
「俺が、恵子の行方を知っている気がする」
 町村の目が大きく見開かれた。私は頭を、その痛みがぴきっと走る前のあたり、軽く抑えながら話を続けた。
「ちょっと協力してよ。駅で結城さんの妹に会ったの、
なんか意味深だし。結局そのせいで、このままじゃ、すんなり東京にも帰れない気がするんだ」
 二人とも、しばらく黙った。首筋から頭頂部にかけて、血流の音が聞こえる気がした。
神経が鋭敏になっているんだろうか。
蝉時雨がやんだ。建物に遮られて気づかなかったけど、頭上の杉葉の揺れで、風が強く吹いていると知った。
「まずどうすればいいんだろうか?」
 町村がぽつりと言った。
「お前の知ってることと、俺の知っていることを、こうして摺り合わせるみたいにして」
 私は両手を摺り合わせる仕草をしてみせる。
 
淡い二色の絵の具を混ぜ合わせるみたいにして、
微かな色合いが、
やがてはっきりとした色彩を帯びていく。

本当は、真実は、絶対にこの世の中から消えやしない。
積もったほこり払えば、はっきりする。記憶は、服の染みではなくて、石に深く刻まれた溝みたいだ。
【続く】


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