あれは、かなり肌寒い日でした。
ある美容院を経営している女性から、夫の運勢をみてほしい との電話を受けて出かけたんです。
最寄りの駅に降り、送られたファックスの地図をみながら、 少し広い公園をぬけると依頼主の美容院が見えるはず。そう 思いながら、細い路地を歩きました。
ふと、エンジンをふかしたままの車が気になって、なかをの ぞくと競馬の新聞を顔にかぶった男が、シートを倒して寝て いました。きっと、夏なら、この人はここで車のエアコンを きかせながら寝ているのだろうと思いました。
目的の美容院は、大通りから少しそれた通りに面してあり、 もし写真をとったら、絵葉書の裏側にでも使えるような景観 です。店に近づくと、複数の人の笑い声が聞こえ、ドアを開 けると、この店の店長と思われる女性が、笑顔で出迎えてく れました。
彼女は、わたしを一目みて、美容のために来た客ではないと 察したようで、「占いの方?」と聞いてきます。わたしがう なづくと、彼女は近くの女の子にアイコンタクトをとり、 「どうぞ、こちらへ」といい、奥の事務所兼応接室に通して くれます。
彼女は、米倉正子さん。
すでに連絡を受けたので、彼女の生年月日と年齢は知ってい ます。でも、40代半ばと思えない若々しさです。四柱推命 でいう食神(しょくしん)という運命星をもつ女性は、いつ までも若くいられる。そんな教科書の一文を、地でいくよう な女性です。
お店のことは、あらかじめ、あの若い女の子にまかせる手は ずだったんでしょう。まだ、お客が何人かいるのに、何の躊 躇もなく、わたしへの応対に集中するつもりです。彼女は、 手慣れた感じで、ポットにあるコーヒーがカップに注ぎ、砂 糖やクリームと一緒にテーブルに並べます。わたしがお店に 入ってからここまで、流れるように、すべてが進行します。 きっと、仕事でも私生活でも、こんなふうに手際よく進めて いるのが、彼女の流儀なんでしょう。
わたしは、お天気の話などしながら、バッグからノート・パ ソコンを開き、ここの家族全員の命式表がみれるように準備 します。
もちろん、メインとなる命式表だけは、紙に印刷しますが、 毎月の運勢やほかの年の運勢をみるときには、パソコンを利 用する方が便利です。
彼女は、先生、おなか空いてません?と言いながら、チーズ ケーキも運んできます。一生懸命、わたしに対して笑顔をつ くりながらも、やや緊張しているのがわかります。わたしは、 ケーキを食べ終えてから、彼女の家族の命式表をみました。 まずは一人ひとりの性格など当てていく作業です。
多少の冗談をまじえながらも、家族一人ひとりの長所を言い 当てられると、母親としても、妻としてもうれしいのでしょ う。目頭が熱くなるようでした。
ちょっと意外かも知れませんが、個々人の性格や運勢を当て るのは、それほどむずかしくはないんです。
長い長い歳月をかけてとられた統計と分析があるのですから、 よほどヘンな占い師でなければ、少なくとも“当たらずとも 遠からずくらいにはなるのではないでしょうか。“当てる” のは、あくまで信頼を得るためです。ほんとうにむずかしい のは、その先にあります。
相談者の抱える問題を、いかに解決するのか?
彼女の夫は、いわゆる“髪結いの亭主”です。結婚後、上司 ともめてサラリーマンを辞めた後、長年定職にも就かず、ぶ らぶらしています。一応は美顔器の販売に出かけるという名 目ですが、近所の映画館で寝ているのを見かけたという人も いれば、きょうは公園の横に車をつけて昼寝してたと情報を 入れてくれるお客さんもいるそうです。
それで夕方になると、きょうもがんばったけど、全然売れな かったと、ケロっとした顔をして帰ってくる。彼女は何も知 らない顔をして、ご苦労さまと返事をして、いっしょにご飯 を食べるのです。彼女はそんな夫に、何も期待しないで今日 まできました。
ところが、そんな夫がついに変わったといいます。誰か知り 合いに話を持ちかけられ、3000万円の資金を借りて、美 顔器を販売する会社を立ち上げるというのです。
「あの人が変わるなんて信じられない!」 「いつか、こんな日がきてくれると信じてた!」
彼女は、夫の言葉を聞き、奇跡を目の当たりにする思いがし ます。でも、時間が経つにつれ、不安が彼女をおそいます。
「今までぜんぜん仕事をしてなかった人が、はたしてうまく 行くのかしら?」
そんな一抹の不安が脳裏をよぎり、お客さんのクチコミを通 じて、占い師のわたしに連絡がきたのです。
「先生、ウチの主人、そんなにうまく行くんでしょうか?」
「ご主人の流年ですが、すみません。ちょっと専門用語で…。 今年の節分あたりから、来年の節分ころまでの一年間の運勢 なんですが、敗財という比肩星が来てまして…、こういう字 を書くんですが、これが来ると、今までまったくヤル気のな かった人が。突然ヤル気になったりするんですよ」
「りゅうねん…ですか? じゃあ、一年間だけ、主人はヤル 気になったってわけですか?」
「はい。でも、おそらく敗財という星ですから、他人から仕 掛けられて、断り切れずに、じゃあ、やってみようと思った だけでしょう。たぶん、長くて半年、短ければ一ヶ月そこら で、ヤル気はなくなるかもしれません」
わたしは、彼女のご主人が会社を設立する契約日が、すでに 決まっているというので、その日をノート・パソコンを使っ て運勢を確認すると、その日は、ご主人にとって、敗財の年 の、敗財の月の、敗財の日と、最悪の一日です。おそらく、 何ヶ月もかからずに倒産の憂き目をみるので、もう止めるよ うアドバイスしてみてはいかがですか? そうお願いしたの です。
「やっぱりダメですかね、先生。でも、おそらく主人は、わ たしの言うことなんか聞かないと思います。それにあんなに ヤル気になった主人を見るのは、本当にひさしぶりで…うれ しくて応援しちゃったんです」
「わたしも、それは分かるんです。運の悪い人ほど、肝心な ときに、他人の話に耳を傾けないですからね」
「あの〜、先生。わたしの母親が、おまえの亭主は、本物の 『髪結いの亭主』だねと言ってたんですが、わたしにも問題 があるんでしょうか?」
「実は、奥さんの月柱に『比肩』という孤独な星がありまし て…。まあ、ここは数え35歳から50歳までの運勢をあら わすんですが、これがあると女性は、一人でがんばってしま うんです」
「ああ、それは分かります。主人と、それから店で勤めてい る娘に言われたんです。わたしは結局何でも、自分一人でや ってしまって、人に頼ろうとしているようで、だれにも頼ろ うとしないんだって…」
「そうです。たまには、ご主人も、奥さんに頼ってほしいし、 甘えてほしいのだと思いますよ」
その日、わたしたちはそんな話をして終わりました。翌日、 彼女は、ご主人に新しい仕事を止めるよう話しますが、占い 師のたわ言など聞く耳は持たないと嘲笑したそうです。
それから2ヶ月後、わたしは彼女から、ふたたび電話を受け ます。
予想どおり会社は倒産し、3000万円の借金は奥さんが、 こつこつ返すことになったそうです。彼女の親族も、近所の 人たちも彼女に同情して、もう離婚したら!とけしかける友 だちもいるそうです。でも、彼女は離婚しないつもりです。
「惚れた弱みですかね」わたしが、電話でそう話すと
「はい、あの人、本当にあきれて何もいえない人なんですけ ど、私、好きなんです。高校生のときから、ずっとなんです。 夜も眠れないくらい大好きで、わたしから結婚してほしいっ て、お願いしたんです。みんなには、主人がわたしにプロポ ーズしたことにしてくれてますけど…」
彼女は、最後に照れ笑いのような声で、あいさつして電話を 切りました。きっと、彼女の夫は、また、あの公園の車の中 で昼寝しているにちがいありません。
『縁は異なもの味なもの』
辞書で調べると、その意味は「男女の縁はどこでどう結ばれ る かわからず、不思議でおもしろいもの」と書かれています が、案外、あの家のご主人が、本当にしっかりしてしまった ら、逆に離婚の危険性は高まっていたのかもしれません。
夫婦のことは、その夫婦でないとわからない。それは、やは り真理ではないかと、占い師としては思うのですが…。
了
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