完全に雲に隠れてしまった月、夜空に光はない。蝋燭の火が妖しく揺らめく中で、ベルガーは軽く残忍な笑みを浮かべた。
「そういえば、女王の遺言では姉に手をかけるとその時点で災いが降りかかるのであったな? 面白いから余興にあの姉姫でも私が殺めてみようか」 「お、おやめください、ベルガー様」
血相変えて鋭い悲鳴に近い声を出した家臣に、苦笑いして片手で制すベルガーは冗談だ、と首を振る。安堵の溜息を漏らしている家臣達を見て、瞳を細める。余程、ここの亡き女王が皆怖いのだろう。 ベルガーは更に紅茶をお代わりした、自分にここの茶葉が合っている様で、毎日何杯も飲んでいる。 確かにここ、ラファーガの女王の絶大な魔力の話を聞いていなかったわけではない。物心つき、他国への侵略こそが自分の使命だと思い始めていた頃、父からラファーガ国の女王の話を聞かされた。 魔女だと。 千里眼を持ち、女とて甘く見ると返り討ちに合う、と横暴な父が最も恐れていた人物だ。確かに、その魔女の娘らならば遺言通りの力を持ちえているのかもしれない。 だが、ベルガーは実際に女王の力をこの目で見たわけではなく、信じ難い。野心家の父親が女王の話となると人が変わったように怯え出すところを見ると、確かに満更嘘でもなさそうだ。過去にこっぴどく振られたのではないか、とも思っていたが。 室内の観葉植物に目をやったベルガーは、静かに立ち上がると徐にその葉に触れてみる。
「姉の髪が似たような色合いだった、な」
小声でそう呟いた、触りながら静かに瞳を閉じる。目まぐるしく表情が変化する姉、アイラ。 当初描いた人物とは、全く掛け離れたような姫になっていた。おどおどしているだけかと思えば、大胆に発言もする。姫らしくなく乗馬もすれば、剣も習い、しかして読書も好きだと。 トライと共にいたときに見せた、純粋な笑顔が、ベルガーは気がかりだった。何故気になるのかは自分でも解らないが、視界に入れば目で姿を追っていた。 視界に入るということが何を指すのか、ベルガーは薄々感じていたが敢えて口にはしない。自分が”目で探している”とは認めたくなかった。
「宝石やらを好む、女の欲の塊のような妹よりかは……確かに見ていて面白いかもしれないが」
緑の葉を見つめながら、何故か。胸が軽く痛んだ気がした。
その頃、部屋を出て自室へと戻っていたトレベレスは、家臣に酒を用意させている間、一人夜風に当たるべく庭に出ていた。 歌が聞こえてきたので、足を止める。上から降ってくる、綺麗な歌声の持ち主など解り切っている。 雲が晴れ、月が顔を出せば窓からしなりと伸びている腕が見えた。どうやらここは、姫君の部屋の真下のようだ。 樹にもたれかかり、静かにその歌に聞き入る。頬を撫でる風が心地良く、耳に流れる歌声は柔らかで暖かく、情がある。 不意に歌が止み、慌てたような声、そして慌しい足音にトレベレスは不審がり樹から離れた。 数分後。
「あ」
息を切らせて走ってきたのは、アイラだった。トレベレスを見つけるなり、恐縮そうに軽くお辞儀をすると、しゃがみこんで何かを探し始める。
「何か?」 「あ、いえ、その。指輪を、落としてしまったのです」
窓から出した腕を振った際に、指輪のサイズが合わなかったのかその時落下してしまったのだという。
……一人で捜しに来るとはなんとも無防備な姫だ、本来ならば他の者が捜しに来るだろうに。
物珍しくアイラを見ていただけのトレベレスだが、致し方なく手伝う事にした。突っ立っているだけでは、流石に気が引ける。
「大切な指輪なのか?」 「はい。トライ様から頂いた、本物のお花を加工してある、珍しい指輪なのです」
今にも泣きそうな顔をしてアイラはそう告げた、告げた瞬間にトレベレスの胸が跳ね上がる。一国の姫が、地面に這い蹲って何を捜しているかと思えば、宝石ではなく、花の指輪だと。おまけに、贈り主はトライだった。面白くなさそうに肩を震わすが、探すことをやめるわけにはいかない。 その指輪はすぐに、トレベレスが見つけた。 徐に右手でそれを摘み、拾い上げる。後方を微かに顔を動かして見れば、草の根分けてアイラが捜している。 思わず、手の中の指輪を握り潰そうかと思った。一瞬力を籠めて、正気に戻り慌てて止めた。トライが贈った指輪を自ら汚れながら捜す姫を見て、破壊衝動に駆られた
「見つかったか?」 「いえ。でも確かに、この辺りに落ちたのです……」
半泣きだ、涙で声が震えている。わざとらしく訊いてみたのはいいが、非常に手の中の指輪が重くなったような気がした。 トレベレスは咳を一つし、指輪を返そうとしたが、再び手を握り締める。
「また、買ってもらえばいいだろう。なんなら、オレが買ってやっても良いが」 「そういう問題ではないのです」
微かに頬を紅潮させ告げたトレベレスに、あっさりとアイラはそう返答する。 瞬時に怒りがこみ上げたのは、恥ずかしさからだ。勇気を絞って、というか、数分考えて出した自分の対応に、アイラが全く興味を示さなかった事が非常に腹立たしかった。トレベレスは、指輪を捜す振りをしながらそっと、胸の内ポケットにそれをしまいこむ。 返したくなかった。トライに対する対抗心も手伝ってだが、何よりアイラがその指輪を持つことが、非常に不愉快だった。 やがて、当然の事ながらミノリが駆けつけて来た。姫が一人で部屋を飛び出したのだ、追いかけてくるだろう。思ったより遅かったが。 後方からマローにトモハラ、そしてトライもついてきていた。 思わず舌打ちするトレベレスは、無造作に立ち上がるとアイラの腕を引っ張り、持ち上げて挑戦的にトライを睨み付ける。
「お姫様が、お前が差し上げた指輪を探して這い蹲ってらっしゃるが?」 「アイラ、捜さなくて良い。今は夜だ、明るくなったらオレが捜そう」
無表情で近づいたトライは、アイラを掴んでいたトレベレスの手を跳ね除け、その間に割って入りアイラに柔らかく微笑む。項垂れているアイラの髪をそっと摘んで、髪に口付けた。
「申し訳ありません……。落としてしまったうえに、見つけられなくて」 「いや、オレがサイズが合わないものを贈ったから、それが要因だろう。ともかく、朝になったら出てくる、そう落ち込むな。そこまで気に入ってもらえていたことが解り、オレは嬉しいがな」 「はい……。朝、捜します」
トライとアイラの間に、割り込めない空気が流れ始める。 傷心しているアイラに罪悪感を感じたトレベレスは、返そうかとも思ったのだが、トライの出現によってそのような気は全く失せた。冷めた瞳で二人を見つめていると、明るい声が聴こえてくる。
「トレベレス様がくださるような、大きな光る宝石でしたら、暗闇でも……ほら、こうして判りますのに」
マローは指輪を外して足元に落とす、それは月光によって眩く光り輝き、存在感を放っていた。満足そうに頷いたマローだが、それは地に落ち土で汚れた為、指に戻さずに捨て置いた。トレベレスに絡みつき、笑う。
「また、こういうステキな宝石を戴きたいですわ」
甘えた声でマローはトレベレスに宝石を強請る、腕に絡んで、頬を摺り寄せ、微笑む。 ギリリ、と歯軋りしたのはトモハラだった。隣でミノリが押さえようと軽く前に出て、トモハラの視界には入らないようにしたのだが、拳を痛いくらいに強く握り締め、黙って二人を見ている。 見たくない、けれども、見てしまった。もう、脳裏から離れない。 トレベレスとマローが歩いてこちらに来たので、ミノリは慌てて敬礼をしたのだが、トモハラは敬礼しつつも嫉妬と憎悪の視線でトレベレスを後方から睨み続けている。王子に嫉妬しても仕方がないが、マロー自身にトレベレスは興味を持っているのだろうか疑問に思った。 知ってか知らずか、トレベレスはなんら変わりなく通り過ぎ、マローと共に去っていく。トモハラはマローつきの騎士である為、同行しなければならない。 不安そうにトモハラの背中を見送るミノリ、トモハラが何かしないか、心配だった。平素冷静なトモハラだが、マローのことになると頭に血が上るのは、ミノリが一番知っている。
|
|