頭を振って、額に指をあて一呼吸する。頭痛がする、思い出すなという警告なのか。しかし、疑問が生じる。
「思い、出す?」
何を。 トライは、歯がゆいこの”不可解な感情”に項垂れ、壁にもたれる。思い出さなければいけない気がしていた、何か大事な事を忘れている気がした。微かに舌打ちすると、振り払うように頭を振って部屋に入る。 自ずと思い出すだろう……トライは囲まれているアイラの元へ駆けつけると、いつものように手を取り甲に口付る。気がかりだが、焦っても仕方がない。 けれど、何かが警戒音を発している。”早く思い出せ、お前だけが頼りなのだ”と。トライは、誰かに頷いていた。
「さぁ、今日も剣技と乗馬を」
その夜、久し振りにトモハラと夕食の時間帯が重なった為、上機嫌でミノリは話しかけた。 ミノリの周囲に他のアイラ姫護衛の騎士達も集う、嬉しそうに、というかにやけている騎士達にトモハラは多少眉を顰める。緊張感がない、と叱咤したかった。
「へへ、今日さ、アイラ姫様に『好き』って言われたんだ」
照れくさそうに、顔を真っ赤にしながら、鼻をかきつつそう告げたミノリにトモハラは納得した。恋愛感情の好き、ではなさそうだが、それでもその単語は嬉しい。 思わず笑みを零すトモハラ、自分も心なしか嬉しくなった。その後口々に騎士達のアイラ姫に対する想いを延々と聴かされる羽目になったが、それでも飽きることなく頷き聴き続ける。こうして、仕えている主に対し思いを言い合えるのは良い事だと、トモハラは思った。 同時に国には蔑まれているアイラだが、騎士達は忠誠を誓っているのだと知り、安堵した。 ふと。 部屋が騒がしいので、ミノリの話を中断させ、トモハラは席を立つ。
「何?」 「宝石商が来てるんだとよ。トレベレス様とベルガー様が呼び寄せたそうだ。またマロー様に貢がれるのだろう。金持ちはすごいねぇ」
駆けつけてみれば、女達が悲鳴に近い声を出している騒ぎの中心に、悠々と宝石を買い漁っている二人の王子の姿があった。 一際大きな宝石を、珍しい色合いの宝石を。装飾が見事な髪飾りに、色とりどりの宝石を散りばめた首飾り。細かい細工の指輪と対の耳飾り、多種多様の宝石達。 そこに光が集中し、他よりも圧倒的に輝いている。恐ろしいまでの宝石の純度と輝きだった。 トモハラは、そっと近寄り宝石を眺めた。検討がつかない金額だ、マローがきっと好むものだろうが、手が出せない。ただ、指を咥えて二人の王子が宝石を購入する姿を見ているだけだ。 騒ぎを聞きつけて、マローもやってきた。到着するなり、王子達はマローに今し方購入した宝石を優雅に指し出し、自らマローの髪へ、指へ、首へと着飾らせる。 歓声を上げて大喜びのマロー、特に指の大きなブラックトパーズが気に入ったらしい。 トモハラは、じっと見ていた。興奮気味に顔を紅潮させて、大きな瞳をキラキラと輝かせて宝石を見つめるマローが愛しくて仕方がない。「ありがとうございます」と二人の王子にお辞儀をする仕草も、可愛らしい。 暫くして人々が去り、後片付けをしていた宝石商の元へ、トモハラは引き寄せられるように歩いていった。どうしても、あの笑顔を間近で見てみたかった。
「あの、一番安い宝石って、どれですか?」 「あぁ? 騎士様かい? ふぅむ……これかな、中流家庭向けの首飾りだよ」
トモハラの足先から頭部まで見つめ、微かに眉を顰めた商人だがお客に変わりはないと判断。買って貰えそうな宝石を一つ、みすぼらしいケースから取り出す。 それは、お世辞にも綺麗だとは言えない宝石だった。 トモハラが見ても判るのだ、輝きが少ない。加工が悪いのだろうし、そこまで純度が高いものでもないのだろう。色は薄緑の、本当に小さな宝石がついた首飾りだった。 とても、マローが喜びそうなものではない。あの王子達が購入していた宝石とは、月とすっぽんの差である。 しかし、トモハラはそれを購入した。宝石に違いはないのだ、自分の今の給料ではこれが精一杯である。これでもかなり無理をした、上機嫌で帰っていった商人に深く頭を垂れて、トモハラはそれを大切に懐に仕舞う。
翌日。 昼食時、いつもの様に王子二人に囲まれていたマローである。常に跪いてマローの傍にいるトモハラだったが、ドレスを着替えたいとマローが言い出したので、昼食もそこそこに衣裳部屋へと向かった。 当然王子二人はその場に待機し、トモハラはマローに付き添う。 ドレスを着替えている間も部屋の外で跪いて待っているわけだが、ドアが開きようやく出てきたマローに思わずトモハラは声をかけた。
「あの」
顔を上げて、通りかかったマローにそう告げれば。マローは最初身体を硬直させたが、ゆっくりとトモハラを見下すと不機嫌そうに小さく「何?」と返答する。 付き添いの女官たちが口々にトモハラに注意をしたが、それを気にも留めずにトモハラは昨夜購入した宝石を懐から取り出すと、跪いたまま両手で恭しく差し出した。若干、手が震えていた。 マローは不思議そうに首を傾げ、それを見た。
「何これ」 「マロー姫様のお気に召すか判りませんが、宝石商から購入いたしました。俺からの贈り物とさせてください」
首飾りである、貧相な宝石が装飾された。包装もされていない、程度の低い玩具のような首飾りだった。 暫しの沈黙の後、女官たちの大爆笑が廊下に響き渡る。外の木々に止まっていた鳥達が驚いて羽ばたいた、何事かと通りすがりの城人が集まってきた。
「たかが騎士ごときが、マロー様になんという無礼を。このようなもの、マロー様がおつけになるはずがないでしょう」
女官の言葉は、気にしない。叱られるのは、想定内だ。 トモハラはマローの声を待ち、ただ瞳を閉じて宝石を掲げている。
「……いらない。もっとおっきいの、欲しい。あたし、そんな貧相な宝石、似合わないもの」
呆れたような、冷めた口調でマローはそう告げるとトモハラの手に乗っていた宝石を右手でパシリ、とはたき、床に落とす。途端に歓声が女官達から上がった、当然だとばかりに。
「見くびらないで。あたし、お姫様なんだから」 「……申し訳、ありませんでした」
爆笑の渦の中、くすくすと周囲の中傷が聴こえる中。 トモハラは薄っすらと瞳を開いて宝石を見た、床に転がっている小さな宝石。軽く溜息を吐くと、それを拾い上げ痺れた脚に力を入れて立ち上がる。 別に、恥ずかしくなどない。すんなり受け取ってもらえるとは思っていなかった、少し期待してみただけだった。じっと、手の中の宝石を見つめる。
「もっと、稼がないと。マロー姫に相応しい宝石が買える様に、働かないと」
ぼそ、っと呟く。 それでも周囲の笑い声は止まらない、気にはしていないが、耳障りだ。 しかし、不意にそれが一斉に停止した。不審に思いトモハラがようやく顔を上げれば、目の前にアイラが立っている。 アイラの姿を見て、トモハラを笑っていた者達は何処かへと慌てて去って行った。不思議そうにトモハラが見つめると、アイラは目の前で静かにゆっくりと頭を下げ、そのまま低いトーンで声を漏らした。
「ごめんなさい、マローが酷い事を」
姉の謝罪だ、騎士に頭を下げる姫など見たことがないトモハラは顔面蒼白でアイラに近寄ると大急ぎで跪く。
「いえ、身の程知らずな俺の行動ですから。お気になさらず」
が、アイラはそのまま勢いよくしゃがみ込むと目線をトモハラと強引に合わせ、瞳の奥を探るようにじっと、見つめ続けた。マローとアイラは似ていないと思っていたトモハラだが、確かに間近で見れば似ているかもしれない……と思った。 といっても、マローに近づいたことなど過去に一度しかないが。 甘い香りと大きな瞳に、胸がどぎまぎした。 真っ直ぐに瞳を見つめ返してくるので、あたふたと視線を逸らすが、外しきれない。この目の前の姫が、マローだったら良いのに、と思いつつ咳をするトモハラ。
「あの、その宝石、どうするのですか?」
呆けてマローに見つめられている妄想をしていたトモハラだが、我に返った。握り締めているみすぼらしい宝石を、アイラが小首傾げて指している。 トモハラは軽く苦笑いしてから、自嘲気味に溜息を吐いた。
「売ろうかと。売って、また別の宝石を買う足しにします」 「では、私にそれを売ってくださいな」 「は?」
すっとんきょうな声を上げたトモハラの目の前で、アイラはいそいそと髪や腕、首についていた装飾品を外し始めた。大口開けてぽかん、としているトモハラにはお構いなしだ、外す事が出来るものを全て外して、ずっしりと重い宝石を差し出す。
「これで足りますか? 売ってください」 「いや、ええと」
唖然と、差し出された宝石を見つめる。誰が見ても、トモハラの小さな宝石の数十倍の価値がある宝石たちだった。 髪飾りはダイヤモンド、耳飾はサファイア、首飾りはエメラルド、腕輪はピンクトルマリン。絶句し、宝石に眼を落としているトモハラに困惑気味にアイラは項垂れる。つり合わない、と判断したらしい。
「部屋まで行ってくるので、待ってて頂けます? どのくらいあれば足りるのかがわから」 「いえいえいえいえいえいえ! 十分すぎます、戴き過ぎです」
強引にアイラはトモハラに宝石を手渡すと踵を返した、それを死に物狂いでトモハラが止める。 一つ、耳飾が床に落下したので、青褪めてそれを拾い上げるとトモハラは何故か哀しそうな顔をしているアイラに全てつき返した。 当然だ、姫からこんなに宝石を貰って、どうなるというのだろう。
「戴けません、お返しいたします」 「売ってくださらないのですか?」 「そういうわけではありませんが、姫様から宝石を頂く騎士など」 「そうですか、ならば」
互いに宝石を突き返していると、アイラがにっこりと不意に微笑んで、両手を背に隠した。当然宝石は派手な音を立て、床に全て零れ落ちていく。 慌てて拾い上げようとするトモハラだが、全て拾いきれるわけがない。落下し、床に四方に転がった宝石達を拾い上げたトモハラに、アイラは一言。
「落ちていた宝石を拾ったので、トモハラ、それらは貴方の物ですからね」 「は?」
くすくすと笑いながら、愉快そうにアイラは呆けているトモハラに近寄り、しゃがみ込んだ。
「お願いがあります、この城の姫から、騎士様へ。『貴方が持っている小さな緑の宝石がついた首飾りを、くださいな』」
そう言って、再び笑った。売ってもらえないのなら、命令して譲ってもらう貰うだけのこと。けれど、代金として宝石を受け取って欲しかった。 アイラはトモハラの手から、するり、とトモハラがマローに購入した首飾りを抜き取ると、満足そうに小さく微笑む。 未だに呆けたままのトモハラに小さく溜息を吐くと、アイラは再びしゃがみ込んで、じっと、トモハラを見つめる。静かに、語りかけるように、アイラは微笑んで唇を動かした。
「これは。トモハラがマローに買った、大切な物です。きっとその落ちていた宝石よりも、数百倍の価値があります。マローの為に、購入してくださったのでしょう? だから、私が。マローに届けてきます、正統な持ち主に、戻してきますね」 「え……」 「どんな宝石より、何よりも。最も想いが籠もった、素敵な贈り物ですよね。……ありがとう、トモハラ。貴方の想いは私が確かに、届けます」
アイラはそう告げると、柔らかく微笑んだまま立ち上がり、そのまま静かに立ち去った。 唖然と、その後姿と靡く髪を見つめていたトモハラ。ミノリが騒いでいた理由が、今、ようやくトモハラにも解ったのだ。 床に座り込んだまま、震える手を懸命に抑える。
「アイラ姫、貴女は」
まさか、自分の名を覚えているとは。そして、気遣ってくれるとは。トモハラはその場で、深く頭を下げると瞳を閉じる。 薄っすらと、笑顔を浮かべて、遠のいていくアイラに敬礼をした。アイラの優しさ、物への想いの汲み取り、巷で噂されている破滅の子を産む呪いの姫だとは、思い難い。 しかし、そんなことよりもトモハラは。 自分が購入した、みすぼらしい小さな宝石が、マローの手に渡るであろうことに、喜びを感じていた。それは、感謝されたものでもないし、喜ばれた事でもない。身につけてもらえないかもしれない、それでも。 微かに、期待していた。宝石に、必死に願をかけた。 所詮は一国の姫と平民出身の騎士だ、想いが通う事などあるわけがない。 けれども。 今後も騎士として傍に置いてもらうべく、災いが彼女に降りかかろうものならば死に物狂いで楯となり、護るべく。大好きな笑顔を絶やす事のないように、必死でマローを想って願いを封じ込めた。
「少し俺、気味悪いかも」
自嘲気味に笑った、そんなことをしなくとも、マローは誰からも護られるであろう。 けれども、真っ先に自分がマローを護りたいと、そう願う。それくらいならば、出過ぎた願いではないだろう、と。マローの為に死ぬのであれば、それはそれで本望である。 トモハラの目から見て、あの二人の王子はどうもいけ好かない。それが、あの宝石に願をかけた本当の理由かもしれなかった。
「マロー」 「どうしたの、お姉様」
部屋で受け取った宝石を瞳を輝かせて観賞していたマローに、後ろからアイラは声をかける。そっと両手で包み込みながら、トモハラが購入した首飾りを差し出すアイラ。 不思議そうにマローはそれを見ていた、首を傾げてじっと見つめている。
「これを。マローを護るように、願いがかけられた首飾りです」 「どっかで見たような……」 「大事になさい。ほら、綺麗でしょう? 小さいかもしれないけれど、光の輝きは劣っていませんよ。私には、一番輝いて見えます」 「そう? うん、でもお姉様がそう言うのなら、大事にするね。つけて」
マローは、なんとなくそれが、あの騎士が差し出してきた首飾りに似ているような気がして。けれども、まさかそれであるとは思いもよらずに。後ろを向いてアイラに首飾りをつけてもらうと、ドレスの下に隠す。 やはり、小さすぎて気に入らないのだが、自分を護る御守りのようなものだというのならば、こうして肌身離さずにつけておこうと思ったのだ。 トモハラの願いは、成就された。マローは身につけているのだ、トモハラからの首飾りを。
「マロー」 「ん?」
再び宝石観賞に入ったマローに、静かにアイラは髪を撫でつつ小さく溜息を吐きながら、眉を潜めた。天真爛漫でそこが可愛らしいが、他人の痛みを気にしないマロー。それでは王族はいけない、とアイラは唇を噛締める。
「もし。悪い事をしたと思ったのなら、謝りなさい。嘘をついてしまって、悪かったと思ったのなら。謝りなさい。後からでも構わないから、思えた時に謝るようにして」 「へ?」
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