楽しい時間も束の間、翌朝二人は早々に引き離された。 アイラは過剰なほど香水を振りまかれ、顔を顰めたままドレスを着せられる。それは、胸が大きく露出されているデザインのものであった。 ミノリがアイラの護衛についたので始終ついて回っていたのだが、流石にその胸を強調した衣装には戸惑うばかり。当のアイラが全く気にしていないのが、幸いだ。珍しいドレスだ、とそんな感覚だった。 異性について知識がないアイラは、自分の肌を露出しても特に何も感じない。幼いながらに滑らかで柔らかそうな肌に、騎士達は胸を一瞬凝視したが直様気まずそうに視線を逸らす。アイラは不思議そうにそんな騎士達を見たが、元々自分と目を合わせる人間が少なかったので、気にしない。 化粧が派手な女性達が大勢居る部屋に案内されたアイラ、中からは多種の香水が入り混じり、思わず顔を顰める。 ミノリは外で待機することになったが、何が行われているか非常に気になった。落ち着かず、ミノリは始終足踏みをする。年配の騎士達は何が行われているかくらい、了承済みだった。 街から呼び寄せた娼婦達が、薄暗い部屋でアイラに”技術”を教えていた。評判の女達は熟年者が多い、生きていく為に身につけた各々の技を、何も知らない小娘に教えることは気が進まないが逆らえない。 男の魅了の仕方を丁寧に教える。身体にそっと寄りかかりベッドへ誘う仕草、さりげなく身体に触れ流し目を送る流れ。アイラは首を傾げつつ、それでも勉強は好きだったので、何の役にたつのか解らないまま、真剣に憶えた。 計画など、聞かされていなかった。これが何を示すかなど、知らなかった。
「身体を解し、癒して差し上げる技術です」 「解す? 癒し?」 「今来ておられる王子達とて、長旅でお疲れでしょう。寝所でして差し上げればお喜びになられるかと」 「そうなのですか」
全く、男女の閨事など知らないアイラ。教えられるままに、とても一国の姫とは思えないような技術を習わされる。確かに、他国には王子の正室になる為にこういった行為を率先して習う国もあるが、ラファーガ国にはこれまではなかった。 破滅に導く呪いの子を産む母親は、容姿は良くとも相手にされないだろう。だが、男とは欲望と本能に忠実、流れさえ掴めばこちらのもの。 それだけだ。 国の方針がそういうことなのだから、仕方がない。誰も止める者などおらず、アイラは律儀に数時間かけて寝所の作法を習った。 相手が望むように、振舞う。積極的な女が好きなのか、恥じらいを見せたほうが良いのか、それまでの会話と流れで対応を変えるようにと、習った。
「四人の王子様方は、淑やかな振る舞いを好むと思われます」 「そうなのですね、解りました。丁寧にやって差し上げれば良いのでしょうか?」 「そうですね、ですが時折物欲しそうな視線を送ることを忘れずに」 「物欲しそうな視線……難しいです」 「こういう視線です」 「……難しいですが、頑張ります」
部屋から出てきたアイラに一礼をし、ミノリは不安げに廊下の絨毯を見つめる。姫が穢れたような気がしていた。 項垂れているミノリに気づいたアイラが、そっと娼婦に耳打ちする。
「この騎士様もお疲れかしら、やってみてもいい?」 「なりません! 一応姫なのですから、王子だけお相手なさい」 「そうですか……」
何のことやら解らないミノリだったが、少し残念そうに歩いていったアイラを見ていると急に首を捕まれる。耳元で年配の女性に怒鳴られた。
「アイラ様に疲れていないか?、と訊かれたら断るように」 「は?」
疲れているが、姫にそんなことを訊かれて、『断る』とは意味が解らず。ミノリは怪訝に女性を振り返るが、鬼のような形相で立っている。その迫力に思わず尻込みし、言葉を失う。
「単刀直入に言うと、決して肌に触れないようにということです。ベッドに誘われても、ホイホイついていかないように」 「肌!? ベッド!?」
赤面したミノリを、鼻息荒く女は突き飛ばす。力が抜けて床に倒れ込んだミノリを一瞥すると、忌々しそうに吐き捨てた。
「あの姫……無駄に色香が多い。食虫花のごとく、見た目で男を引き寄せる能力を持っているようだね。呪いの子を産む為には手段を選ばないに違いない」 「は……」 「変な気起こすんじゃないよ! 我国からは絶対に交わる男を出してはいけないのだから」 「ま、まじ、わ!? まじわ!?」
ようやく意味を理解したミノリは全力で立ち上がると、アイラに追いつくべくその場を立ち去った。他の騎士たちはミノリを無視して警護にあたっていた。素知らぬ顔をしているが、皆、聴いていたし解っていた。 アイラの後姿を確認すれば、丁度窓から入った風で髪が舞い、白いうなじが露になる。思わずミノリは立ち止まった、瞳を細めて魅入る。偶然、ゆっくりと振り向いたアイラ。二人の視線が交差し、ミノリは思わず固唾を飲み込む。不思議そうにアイラは微笑むと、再び歩き出した。
「とても……手を出そうなんて、思えない」 「え?」
入る日差しは柔らかで、緑の髪を光らせる。若葉の瑞々しい色合いは艶やかで、見ていて心落ち着いた。優しい光を浮かばせる瞳と、熟れたさくらんぼのような唇が目を惹くが、見事なまでに整った顔立ちは一生忘れることができないだろう。 天上の宝のような気がしてきた、触れてしまえば、穢れてしまうような。 むしろ、触れられない。触れる前に消えてしまいそうだった。 ミノリは、深く一礼するとアイラに先を急がせた。「大丈夫だ」と胸を押さえる。「目の前の姫に触れられる男などいない」と言い聞かせる。恐れ多くて、触れられない絶対的な、”何か”を感じてしまうはずだ。 永遠の純潔、染み一つない純白。 誰にも穢される事なくこの姫は成長するはずだ、と。邪な者ですら、その神々しさで跳ね返してしまうだろう、と。 ミノリはそう願った、願っていた。 そっと近寄り、床に右膝をつく。アイラの手を取ることなく、腰の剣を床に置いて手を胸にあてる。
「貴女を、必ず護り抜くと誓います。貴女を悲しませるものを、遠ざけてみせます」 「え? ありがとう、ミノリ」
破滅の子を産み落とす緑の姉に心酔した、若き騎士。視線を床からアイラへと、向けてみれば。目の前の麗しい姫君は、いつものように眩しい笑顔でこちらを見つめていた。 決意を、胸に。 土の国、代々女王が君臨する膨大な魔力を持つその国の。……平民出身の若き、いや、幼き騎士は呪われた姫君を心に抱いた。 小さすぎる力では、姫を護れないだろう。呪われた姫は、見た目を餌にし他国の王子を誘惑し、翻弄して破滅の子を宿す。宿った子は、父親の国を破滅に追い込む。 ……緑の姫君は、他国へのトロイの木馬。 そんな姫を護るべく、ミノリは決意した。徹底的に、邪魔をしてやろうと。それくらいしか出来ない、思いつかなかった。 アイラは、不思議そうに微笑んでいた。 ミノリは、困惑気味に微笑んでいた。 『貴女に、守護を。穢されない麗しき花で居られるように、守護を』
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