廊下から聴こえる、怒気を含んだ声に数人が顔を上げた。騒がしいが無視して、話を進める。しかし、その声は近づいてくる。
「お言葉ですが!」
勢い良く、ドアが開かれる。 苛立ちながらトモハラは上官が止めるのも無視し、宰相達に直談判に来ていた。 恐れも怯みもせず、トモハラは真っ向から部屋に突入し、机を叩いて叫ぶ。宰相達は顔色変えずに、叱咤することもなく平然としていた。
「あの王子達、欲を出しすぎてはおりませんか!? 危険すぎます、我国の姫が狙われているではありませんか!」
背後から上官に羽交い絞めされ、そのままドアへと引き摺られて行くが、それでも勢いで腕を振り払い再び机を叩いた。荒い呼吸のトモハラとは両極端で、その場に居た者達は一言だけ、言い放った。
「あの王子達の誰かには、姫を差し出すつもりですよ」
トモハラに視線を移すこともなく、淡々と告げたその言葉。 これには上官は無論、駆けつけてきたミノリとて絶句である。一瞬室内は静まり返ったが、トモハラに静寂は破られた。
「なっ!?」
まさか下級騎士に返答するとも思わなかった、内容も衝撃だった。
「アイラ様を、ですけれど」
傍らの紅茶を啜りつつ、全く感情が籠められていない声で一人が呟けば。後方にいたミノリが唖然と、その光景を見つめる。青ざめ、口元を押さえる。 呪いの姫だから、厄介払いをしたいのだろうとは思う。しかし、いとも簡単に姫を渡す、という行為に身震いしざるを得ない。 貧困層ではなく、姫という身分でありながらもそのような待遇に、ミノリは脳を揺さぶられた。
「アイラ様を引き取って戴けそうなのは、水か風の国ですねぇ」 「出来れば最近不穏な噂を聞く、火か光の国に押し付けたかったのですが」 「マロー様は渡せませんから、アイラ様には頑張ってあの二人のどちらかを虜にしていただきます。顔はそこそこ綺麗ですから、身体でも使えば一度くらいなら……」
何の話をしているのだろう。 自国の姫の話をしている筈だった、けれども、内容は人身売買のようなものだ。一国の姫に”情婦のように振る舞い、何処かの王子と寝所を共にしろ”を強要しようとしているとしか思えない。
「あんたら、何考えてるんだ!?」
罵声と同時に、力任せに机を叩く。カップが揺れて、テーブルクロスに溢れた紅茶の染みが出来た。荒々しい呼吸のトモハラだが、変わらずその者達は冷静である。 たかが下級騎士程度だ、つまみ出しても問題がない。しかし、肝に命じさせるつもりなのか、誰もトモハラを摘み出さなかった。
「若き騎士、あの姫君達に惚れても無駄ですよ」
歯軋りして睨みを利かせているトモハラの後方で、身体を硬直させたミノリ。 『姫君達』と言ったのだ、トモハラだけではなくミノリもその対象に入っている。気まずそうにミノリは俯き軽く震えた、自分の恋心を知られていると知って赤面する。 だが、トモハラは怯まない。
「我国の者なら、噂くらい聞いたことがあるでしょう? マロー様は我国に繁栄をもたらす奇跡の姫君です。易々と他国に渡すわけにはいきません」 「アイラ様は災禍の姫、我国繁栄の切り札として他国を制圧する際にはもってこいの言わば兵器です。……そこの黒髪の騎士、あの姫にだけは近づかないように」
大きく唾を飲み込み、ミノリは僅かに後退した。誰にも打ち明けた事がなかった筈の姫への想いを、確実に知られている。赤面したミノリは震える手を必死で抑え、唇を噛み締めた。羞恥心が込み上げた、早くこの場から逃げ出したいがそうもいかない。
「姫ですよ……? 我国の姫君ですよ!?」
トモハラだけが威勢よく噛み付くように吼えた、が、子犬同然らしく皆冷ややかな視線を送るのみだ。今にも噛み付かんばかりのトモハラの勢いだが、全く動じない。
「良いではないですか、あなたの慕う姫君は我国に残るのですから」 「そういう問題では!」
一人に掴みかかろうとしたトモハラを、硬直していた上官がようやく我に返って止める。再び羽交い絞めをし、慌ててそのままドアから連れ出した。 引き摺られ、室外に放り出されたトモハラだが、何度も何度もドアを叩いて抗議した。未だに震えているミノリには目もくれずに、必死にドアを叩いた。上官を殴り倒し、叫び続ける。 聞いてはいけないことを、聞いてしまった。まさかここまで姉姫アイラが、国家から疎まれているとは。 国家の重要人物達の本心を知ってしまった以上、もはや騎士ではいられないだろう。処罰が下され、下手したら街にも居られないかも知れない。……トモハラはそう覚悟した、ミノリとて同じ思いだった。 喉が嗄れるまで叫んだトモハラだが、ドアは開かない。 二人は心身ともに疲労しながらも、夜勤に戻った。他国の王子が四人も揃っているので、不眠不休で皆、城を警護している。勤務は絶対だ。 目は、醒めていた。二人の脳内を、アイラとマローの残像が過ぎる。 可哀想な、アイラ。何も知らない姫君は、他国に売られてしまう。”子を成す”という行為が何を指すのかくらい、ミノリとて知っている。王子達を思い浮かべ、ミノリは激しく頭を振るしかなかった。 気を許すと、王子達に押し倒されて泣き叫んでいるアイラが浮かんでしまう。 そんな様子のミノリを、心痛そうに唇を噛締めてトモハラが見つめる。好きな少女が、他の男のモノになるかもしれないと解れば。……誰だって気が狂いそうになるだろう。例え、報われない想いの相手であろうとも。 トモハラにはミノルに声をかけられる言葉など、見つけられない。 翌朝。 僅かな睡眠の後、宿直室にて張り紙を見つけた二人は息を飲んだ。
『下記の者、本日付で姫君の第二護衛に昇進。 トモハラ・マツリア ミノリ・カドゥン』
同僚達が喚いていた、当の二人は唖然とそれを見ていた。 姫君の第二護衛。 ほぼ側近だ、姫君の部屋の前までは近づくことが出来る。何処かへ出向くときは共に行ける、食事中も入浴中も外で護衛する……。異例の事態である。たかが平民の騎士ごときには、不釣合いな昇進だった。
「な、なんで?」
思わず言葉を濁して呟いたミノリ、トモハラは舌打ちすると壁を殴りつける。
「気に入らない!」
姫直々の護衛になれたことは正直嬉しい、しかし、昨夜の話を聞いてしまっては素直に喜べない。国の重要事項を知ってしまった以上、そぐわぬ様に働け、ということだろうか。 二人とて、アイラに纏わる不吉な噂を知らなかったわけではない。それでも遠目で見ている分にはそんな事は微塵も感じさせなかった、普通の女の子にしか見えなかった、アイラ。 それを。 同じ年頃の姫君を、娼婦のように王子の夜伽をさせるなど。そしてそんな計画を知らされて、護衛につけと。 つまり公然の計画なのだからアイラが王子の寝所に出向く際には、トモハラとミノリは護衛として御供し、その”最中”ドアの前で待たねばならない、ということだ。 身をもって、立場を解らせるつもりなのだろう。この上ない、屈辱である。
「ミノリ!」
足元がふらついて、壁に倒れ込んだミノリを抱き起こしたトモハラ。 ミノリの気持ちには、前から気づいていた。それは自分がマローを見ている様に、ミノリの視線の先にはアイラがいたからだ。自分を見ているようだった、目を向ければ誰でも気づく程に、ミノルはアイラを見つめていた。 好きなのか、焦がれているのか。羨望の存在なのかはともかく、そんな異性を黙って誰かに渡さねばならない。自分達は王子ではない、騎士とはいえただの一般市民だ。到底無理な望みだがもし、王子だったら。 姫君達と対等の存在であったら……あの二人を助けられたのに。ふと、二人の若い騎士はそう思った。 明らかに誰の目から見ても”工作があった”としか思えない二人の昇進ぶりだが、追及するものはいなかった。二人の騎士は、二人の姫君にお目通りが叶った。 それはその日の昼食後で、王子達と庭で茶を楽しんでいる中に、二人揃って姫君の前に跪いた。
「マロー様、アイラ様。御時間取らせて申し訳御座いませんが、新しく護衛の任に着きました二人の騎士のご挨拶に参りました」
きょとん、とした顔で姫君達は顔を見合わせる。マローは跪いている片方の騎士を見て、非常に嫌な予感がした。 嫌な、というか。胸が一瞬跳ね上がった。 多分、知っている人物だ。以前庭で勝手に腕を掴んできた、あの小汚い男だ。直感で、そう思った。 マローは、トモハラを覚えていた。
「歳も近いです、なんなりと二人に申しつけくだされば良いかと」 「間に合っているわ、人手なら。もう下がってよくってよ」
額に汗が浮かんだマローは、マスカットを摘んで口の中に入れると椅子から立ち上がる。微かに声が震えたが、自分でも何故だか解らない。 胸が。……妙に騒ぐので落ち着けない。じっとしていられなくて、ただ話を聞けば良いだけのはずだが……出来ない。堪らずに立ち去るしか、方法がなかった。
「マロー、駄目よ。話を聞きましょう、これから良くして下さる方達ですよ」 「ぅ……」
姉アイラの軽い叱咤に、マローは不貞腐れて渋々椅子に戻る。ドレスを握り締め、なるべく騎士を見ないようにした。
「何処か、具合でも悪いので?」
ベルガーの耳打ちにマローは俯くと、小声で「何でも」と呟いた。 しかし確かに……頬が熱い。熱があるようで、動悸もある。唇を噛締め、慌てて乾いた喉を潤す為にグラスを手にすると、ワインを喉に流し込んだ。
「トモハラと申します。宜しくお願い致します」 「ミノリと申します。宜しくお願い致します」
腕を組み、平常心を保とうとしたのだが何故か。 出来なかった。 自分の身体が動かない、言うことを聞いてくれない。 どうしても気になったので、トモハラをそっと盗み見た。 途端、偶然顔を上げたトモハラと視線が交差し、慌てて俯くマロー。血液が逆流しているように頭がぼぉ、っとして、呼吸もままならない。何故か、手が震えた。
「宜しくお願い致します」
椅子から立ち上がりアイラはドレスを摘んで会釈をしたが、マローは何もしなかった。いや、出来なかった。俯き、赤面することしか出来なかった。 やがて二人は庭から少し離れた場所で、警備の為配置につく。始終トモハラの視線を受け続けねばならないと知り、マローは思わず小さな悲鳴を上げた。 それが、非常に心苦しく感じた。何故かは解らなかった。
「マロー姫、やはりご気分が悪いのでは?」 「も、もう休みますっ」
トレベレスに肩を支えられ、マローは不安そうに見ているアイラの手を握るとそっと庭を歩いた。 トモハラはマローを見つめている。当然、庭から廊下へ、無論部屋まで一定の間隔を開けてついてくる。身体中がざわめく、こんな感覚をマローは知らなかった。 アイラと部屋に戻り、一息ついて数分後。勢いよくドアを開けば、綺麗に腰を折ったトモハラが廊下にいた。 慌ててドアを閉め、深呼吸するマロー。アイラが不安そうにそんな様子を見つめているが、マローは落ち着かず、部屋にあった水差しから豪快にコップに水を注ぎ、飲み干した。普段ならば誰かにやってもらうのだが、今はとにかく水を飲みたかった。 その後、右往左往部屋を廻っていたマローだが、何故か静かに、ドアを開く。と、その隙間から何かを探して瞳を走らせ……トモハラを見た。 不思議なことに、外にトモハラがいるというだけで。それが、解るだけで。
「なんだろ」 「え?」
左胸を押さえる、目を閉じて心臓の鼓動に耳を澄ませる。視線が合えば、見られていると分かると、何故か上手く動けない。蜘蛛の糸に絡まり、動けない蝶のように、もがくことしか出来ない。 けれど、その視線から解放され、近くにトモハラが居ると知っていると不思議と落ち着く。傍に居ると困る筈なのに、居ても良い。 そんな、矛盾。
「なにこれ」 「え?」
マローは、ドアを閉めて部屋から廊下を見るように壁を見つめる。 先程、トモハラが立っていた辺りの壁に近づくとそっと耳を当ててみる。当然声など聴こえないが、なんとなく。トモハラの鼓動が聞こえる気がして、暖かい気がした。 マローは、ふ、っと顔を緩ませると嬉しそうに笑った。 首を傾げてアイラはそんな様子のマローを見ていたのだが、マローが嬉しそうなので自分も嬉しくなり、はしゃいで二人、眠りに就く。 その夜、夢を観た。 マローの近くに、トモハラは立っていた。立ったまま、笑みを浮かべてこちらを見ていた。それが嬉しくて、安心出来てマローは眠りについていた。いつまでも、トモハラはマローを見つめている。
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