彼らが二人の双子姫の為に立派な騎士となる為、忠誠を誓っていた頃。 街でも城内でも、密かに噂されていたのは他国の王子達だった。特に、四国ある。何処も魅力的な王子達だが野心家で、近年無理やり吸収されている小国もあるという。 光の加護を受けるファンアイク帝国の若き第一皇子ベルガー・オルトリンデ。黒に近い深緑の艶やかな短髪に、凍りつくほど美しい漆黒の瞳で冷淡で虚無の瞳は畏怖の念を抱きつつも、惹かれてしまう美貌の皇子。 水の加護を受けるブリューゲル国の第一王子トライ・ウィーン。紫銀の眩い長髪を後ろで一つに束ねており、瞳を合わせると嬌声を上げたくなるような切れ長の瞳の、これまた美貌の王子だ。武術も誉れ高い。 火の加護を受けるネーデルラント国の第一王子トレベレス・ウィーン。トライ王子と全く同じ紫銀の眩い短髪に、悪気のない率直な性格ゆえか瞳は常に煌き何かを追い求める光を燈している。痛めつけられても近寄りたい娘が、後を絶たない王子だ。水国のトライとは同日に生まれた従兄弟同士である、過去は本来一つの大国であったが仲違いし、現在は二国に分かれている特殊な国だった。 風の加護を受けるラスカサス国の第四皇子リュイ・ガレン。漆黒の瞳と髪の幼さが残るまだ可愛らしい皇子だが、器量が最も兄弟で良く、目が離せない天真爛漫ぶりの皇子である。 この四人の王子・皇子達が一斉に城へ来るという噂に、皆色めき立っていた。自国の姫を如何に才色兼備であるかを見せ付ける為に、連日二人に対し猛特訓が課せられる。 とりわけ、アイラは厳しく指導された。というのも、他国に嫁いで貰わねばならないからだ。皇子達に気に入られる為に、ここで初めてマローと同等のドレスも用意された。 初めて見る高価なドレスに、多少胸を躍らせて袖を通したアイラだが、すぐに脱ぎたくなった。窮屈なのだ。鏡に写った着飾った自分を観て、眉を顰める。化粧も施されたが、どうにも息苦しい。 不服そうにアイラは唇を尖らせたが、その態度すら罰せられる。マローは普段通りに着こなしており違和感を感じないが、アイラにはドレスが重く冷たい鎧にしか見えなかった。 やがて四人の皇子が同日に来るということで、城内が慌しくなった頃。双子姫は毎日同じ部屋で同じ時間を過ごす事が出来るようになった、それが二人にとってはとても幸せな事で、楽しい事だった。 手を繋いで眠りにつく、夜中も二人で会話出来る、何をするにも一緒だった。 マローは、姉が好きだった。勉強も丁寧に教えてくれたし、物知りで何より傍にいて心が落ち着いたのだ。手の温もりを、離したくなかった。 姉が何故か城の者達から邪険に扱われている事は、薄々気づいていたが自分が傍に居る事でそれを払える気がして。自分は何故か皆に可愛がられていたので、それを楯に姉を護ろうと思っていた。 正面から抱き締めて頭を撫でてくれるアイラに、何度うっとりと笑みを浮かべその胸に顔を押し付けただろう。アイラの香りは暖かな太陽の香り、それでいて爽やかな新緑の香り。 「姉様」と呼べば、そっと抱き寄せて頬を撫でてくれた。 母親がいないマローにとって、アイラは母親代わりだったのだろう。存分に甘え、時に優しく叱咤され、必ず傍に居てくれるアイラに、マローは依存していた。 もしかするとそれは、姉であり、母であり、恋人のような感覚だったのかもしれない。 自分に似て、似ていない同等の美しい存在。心許せる、唯一の相手。
その日、緊張感溢れる騎士達が厳戒態勢を整えていた矢先。 次々と各国の王子達は、盛大に入国して来た。張り合っているのだろう、何処も派手な馬車である。 財力と権力を見せ付ける為に過剰とも思える部下達の人数、馬車の装飾、花びらを撒き散らしながらの国もあった。壮大な祭りのように、鳴り止まない演奏と歓声に拍手で国は溢れ返る。 噂の美男子達を見るべく、年頃の娘達は挙って最前列へと向かう。押し合い引っ張り合いながら、一目でも拝もうと皆髪を振り乱し必死だ。 一つの馬車から王子が顔を覗かせ、愛想よく手を振り出す。あちらこちらで黄色い悲鳴が上がった、それは火の加護を受けるトレベレスである。紫銀の髪を揺らし、軽く微笑めば歓声は止まることなく。 トレベレスも無論、それを知って愉快そうに繰り返す。じっと一人の娘を射抜くように見つめれば、その娘は顔を赤らめて失神寸前だ。「面白いな」小さく呟き嘲笑うように一瞬口元を歪めたが、直ぐにまた愛想よく笑みを湛えた。傍らで家臣が小さく溜息を吐いたが、そ知らぬ振りだ。 傍から見たら華やかな出迎えではあるのだが、実しやかに、国民達は顰めきあっていた。
『あの中で、呪いの子を持って帰ってくれるのは、誰だろう』
勢力だけで選ぶのならば、勢いを増しているファンアイク帝国のベルガーだろう。自国にとって最も脅威である、衰退して欲しい国となればここしかない。間違っても、マロー姫は差し出したくない国だ。 サービス精神旺盛なトレベレスに対し、ほぼ姿を垣間見せない冷静なベルガー。その馬車を見つめ、国民は歓声の中で祈っていた。「どうか、アイラ姫を持ち帰りますように」、と。 すでに城内だけに留まらず、全国民にまでも浸透した”双子の運命”。 盛大にもなるだろう、呪いの子がようやく国から出て行くのだから。呪いの子を連れ出す予定の王子達が、四人も揃って来てくれたのだから。 国民とてアイラに不幸を招かれた事はないのが現状だが、事故で誰かが亡くなればそれはアイラの呪いゆえに。漁に失敗しても、アイラが原因、怪我をしてもアイラの災い。国内で起こる、些細な不幸も全てアイラのせいになっていた。 城内へと入っていく四国の王子達に期待をする国民、しかし、本当に呪いの姫を上手く持ち帰ってくれるだろうか。
「良いですか、お二人とも。粗相のないように、これからお会いするのは他国の王子様方に御座います。一国の姫として恥じぬよう、礼儀正しくしてくださいませ」
何度も聞かされた言葉に、マローは欠伸をしながらげんなりと頷く。 王子の話を聞かされたのはつい数時間前だったが、とりわけアイラは気に入られる為に積極的に会話するよう指示を受けていた。平素他人と接する機会が極端に低いので、アイラは俯きがちに重苦しい気持ちのまま、王子達が待つ来賓室へと向かう。 身嗜みの最終確認をし、背筋を伸ばし、堂々とする様に指示を受ける。アイラは不安そうに後方のマローを見つめたが、マローは特に気にした様子もなく、女官に飲み物を貰い口にしていた。 先にアイラが入室し、後からマローが入るという手筈になっている。 震える足先を見つめると、叱咤される。謝り、アイラは大きく深呼吸すると唇を噛締め前を向いた。どうしてこのような状況になったのか、意味不明だ。アイラは何も、聞かされていない。 ただ母が亡くなっている以上、この城の主は幼くとも自分とマローであり、他国から客が出向けば持て成すのは必然であると解釈した。しかし、華やかで社交的なマローと自分とでは、粗相をしないか心配だ。
その頃四人の王子達は、出された紅茶と菓子に舌鼓をうちつつ、姫を待っていた。 ベルガーは上品に笑みを浮かべることなく静かに紅茶を口にしている、空気が重く話しかけ辛い。リュイはお菓子を頬張っていた、やはりまだ幼いので遠慮を知らず家臣に小声で止められているがお構いなしである。そんなリュイを見て軽く笑みを浮かべたのがトライだった、腕を組み、窓から外を見つめ時折リュイを見る。リュイも視線に気付き軽く会釈した。 トレベレスは、何故か沸き起こる興奮を押さえ込むように始終舌打ちをしている。他の三人の様子を見比べつつ、テーブルをトントン、と軽快に指で叩きながら唇を噛締めた。何故か、苛立つ。 四人の王子達も各々緊張しているのかもしれない、しかし、ドアが微かに開かれた瞬間に釘付けになった。 四人は、何故この城へ来たのか無論心得ていた。この場の四人が敵である、何としても”繁栄の子”を産み落とす姫を持ち帰らねばならない。皆何も口にはしないが、内心は目的は同じである。達成できる王子は、一人きり。 ドアが開いた瞬間に、不自然な空気の流れを感じ、一斉に注目した先にいた姫は。 入ってきたのは新緑の髪の娘だった、アイラである。 トライは椅子から立ち上がって凝視した、リュイは手にしていたマカロンを落とした、ベルガーは細く鋭い瞳を見開いた。トレベレスは、硬直し微動だせずアイラの爪先から頭部までを魅入っていた。 瞳を見た瞬間アイラと視線が交差し、トレベレスは赤面し椅子から立ち上がる。アイラも身体を引き攣らせ、一歩後退したが瞳の先にはトレベレスがいた。 軽く会釈をし、アイラは逃げるように着席し俯いた。 唖然と、王子達はアイラを見つめる。心の中で、何かが動いた。声が、聴こえた気がした。 ……見つけた、四人同時に。出逢えた、五人揃って。
「ようこそ我が国へ」
弾む声と眩しい笑顔を浮かべて入室してきたマローに、四人の王子達はようやく我に返った。アイラが席に着くまで彼女に始終魅入っていた事に気づき、互いに顔を合わせることもなく気まずそうに瞳を泳がせる。 ベルガーは咳を一つし、マローに視線を投げかけた。 華やかな笑顔、優雅な立ち振る舞い、四人に丁寧に視線を投げかけ会釈するその姿は何処となく威圧感がある。一言も発しなかったアイラに比べて、非常に愛想が良く、人付き合いの上手そうな姫だと四人は思った。 けれど。 四人は悟った、同時に感じた。先に入ってきた姫が、繁栄の子を産む姫だと直感した。緑の髪の姫君は自信なさそうに俯いている、だが内から湧き出る”あの”不思議な空気を、知っていた。”あの空気”は、彼女以外にありえない。心の奥底で渇望して止まない”欲する娘”が彼女であると四人は確信し、同時に唇を噛み締め他の王子を睨みつける。 空気が凍りついた、四人以外気がつかなかったが”過去からの因縁”が、こうして再び巻き起こる。それでも気づかれまいと四人は冷静を装い、肩の力を抜いた。各々、ざわめく胸で若干汗ばむ身体。一瞬手先が痺れた原因は、アイラだと四人は痛感している。 何故かは解らないが、他の者には決して負けられない。負けてはならない、と脳に直接誰かが囁きかけている。 目の前に二人の姫君が座っている、始終笑みを絶やさないマローと、俯いたままこちらを見ようとしないアイラ。 四人は、アイラを見ていた。マローではなく、アイラを見た。
「……アイラ様、他国の王子殿ですぞ。ご挨拶なさい」
側近の渋い声に慌てて椅子から立ち上がったアイラは、そっと面を上げて誰とも視線を合わせようとせず、壁を見て震えながら小声で挨拶をする。あからさまな溜息が室内のいたるところで聴こえた、失態にも程があった。これでは王子達の興味を惹けない、マローと雲泥の差が出来てしまったと皆思った。
「アイラ、と申します」
それだけ告げて慌てて着席するアイラに、王子達も苦笑いだ。初々しいな、とも感じたが。 隣で悠然とマローは立ち上がり、麗しく少し屈んで会釈をすると真っ直ぐに瞳を見て王子に向かう。
「双子の妹マローと申します。本日は遠方から我国へ来て頂き、有難う御座います。また、聞いた話では大層立派な物を頂いたと。感謝の気持ちで一杯でございます、どうかごゆるりとお過ごしくださいませ。精一杯のもてなしをさせて頂きますわ」
拍手が起こる、堂々としたマローを同国の者達が感極まって褒め称えたのだ。拍手を聞きながら、王子達は知った。気付いた。 繁栄の子を産むのが、マローだということに。 噂では妹姫だと聞いている、四人の直感は外れたらしい。髪の色までは伝わってこなかった、妹姫はアイラだと思っていた。 笑みを絶やさないマローは、噂の美姫。確かに人を捕らえる美貌を持っている、声とて聞いていて心地良い、腕に抱いてみたいと思う。 けれど。 四人は、それでもアイラが気になっていた。しかし、滅亡の子を産むと予言されている危険な姫である。 危険だからこそ甘美な香りがするのかもしれない……そう思い直した王子達はアイラから視線を外し、マローへと移して会話を始めた。 自慢の宝石細工に上等な衣服、熟した果実に豊潤なワイン、それらを見せながらマローに贈る。マローは上機嫌で初めて目にする他国の品々に喜び、大きな目を輝かせて嬉しそうに拍手を贈る。 隣でアイラはやはり俯いたまま静かに呼吸を繰り返すのみで、会話に入ろうとはしなかった。マローが光ならば、アイラは影。存在自体で二人の役割が分かってしまう。「なんとつまらない姫君か」鼻で笑い、聞こえないように呟くとベルガーは席を立ち、真っ直ぐマローへと向かいその華奢な手をとる。 先程の直感を、自分で恥じた。 呪いの姫は城内でも蔑まれ生きてきたのだろう、あのようになっても仕方がないか、とベルガーは思い直した。 欲する姫は、アイラではなくマローだと、言い聞かせた。
「我国は舞踏も盛んですが……マロー姫、興味はお有りですか?」
従者達がその行動に直様楽器を用意し、奏で始める。席から立ち上がったマローは、ベルガーに支えられてゆっくりと踊る。 舞踏に名高い国の皇子の優雅なステップは、初心者のマローとて完璧に踊れているように見えてしまう。 ほぅ、と皆見とれて溜息を吐いた。 舌打ちし、その場でベルガーを睨みつけていた三人の王子達だが、ふとトライはアイラが気になった。視線をマローに移していたものの、どうにも気になって何度か見てしまう。 ようやく、顔を上げていたアイラ。じっと、何かを見ているので視線を追う。楽器を一心不乱に見つめていた、唇を微かに動かし、何やら呟いている。 そしてアイラは微かに、笑った。両手を胸の前で組み、陽だまりの下で咲くカスミソウの様に小さくも可憐な、そんな雰囲気を醸し出した。 やがて視線に気づいたのかトライのほうを向き、慌ててアイラはまた俯いたのだが。頬を紅潮させたアイラは、それでも再び遠慮がちに楽器を見つめる。唇を軽く噛み締め、瞳を閉じたかと思えば、ようやくトライを見つめ小さくお辞儀をした。はにかみながら笑ったその姿に、トライは。 心、奪われた。 視線が交差したのは一瞬で、アイラは再び楽器を見つめている。どうやら歌っているらしいことに気づいたトライは、息を飲む。楽しそうに、気持ち良さそうに唇を動かしていた。先程の陰鬱な表情など何処にもない、「なんと柔らかな笑顔だろう、声を聞いてみたい」と思った。 まるで吸い寄せられるように、トライは立ち上がるとアイラへと進む。 ベルガーとマローの舞踏が曲と共に終わりを告げると、我もとこぞってトレベレス、リュイは席を立った。マローに猛烈なアピールを開始する三人の傍らで、一人トライは。
「音楽が、お好きですか?」
一斉にその場の注目を集めた。 何時の間にやらトライがアイラのすぐ傍らに立ち、恭しく手をとっている。驚いて顔を上げたアイラ、トライは落ち着き払って微笑すると、そっと髪に触れた。
「初めまして、トライと申します」
指を軽く鳴らし、従者を呼んである物を持ってこさせた。花束だ、桃色で統一された存在感のある花束。動くたびに香るそれを、アイラへと手渡す。 躊躇いがちに受け取って静かにそれを見つめていたアイラだが、皆が注目する中で申し訳なさそうに呟く。
「あの。お花は好きです。でも」 「何か?」 「次は……次に、もし頂けるのならば。鉢植えのお花をください、一生懸命、大事に育てますから。切花の寿命は短いのです、美しいお花の寿命を少しでも長めてあげたいので」
言って、恥ずかしそうに花束を抱えて笑ったアイラに、眩暈を覚えたトライ。口篭ったが、手招きで更に従者を呼んだ。
「解りました、次は鉢植えを届けましょう。それと」
銀の筒を一本、アイラに差し出す。見たこともない代物だ、首を傾げるアイラにトライが手を半ば強引にとるとそれを掴ませた。驚いてアイラは手を引っ込めたが、優しく包み込んではいるが強い力でトライが放さない。赤面したアイラに、愉快そうにトライは微笑む。
「フルート、といいます。楽器の一種ですよ」
トライが恭しくフルートを再び手に戻し、唇にあててそれを吹けば、なんとも心地良い高音の響きが部屋に広がった。初めて聞く音色だ、思わずアイラは立ち上がる。
「素敵!」
初めて見る楽器に興味津々のアイラ、目を輝かせトライを見つめている。無邪気なアイラの様子にトライも肩の荷を降ろし、唇からフルートを放すとそっとアイラに手渡した。 夢中でそれを受け取ったアイラは、自分も唇をそれにあててみた。 間接キスになるのだが、アイラは楽器に夢中でそんなこと露知らず。トライだけが満足そうに微笑し、盗み見ていたトレベレスが歯軋りする。 フルートについてトライから簡単な説明を受ければ、先程の沈みは何処へやら、眩すぎる光の煌きを放ち、表情が目まぐるしく変化するアイラ。 唖然と、王子達は見ていた。 アイラの隣に立ち手ほどきしているトライを見て、唇を噛み締める。湧き上がる負の感情に、三人共気づいていた。 最初に”欲する”その場所を手中に収めたトライに、現時点では敗北したと痛感する。 二人は、親しげにフルートを鳴らす。 一心不乱にフルートを練習するアイラを見て、マローは笑みを浮かべた。姉が楽しそうだったので、ほっと胸を撫で下ろした。 王子達は数日ここに滞在すると伝えらえ、マローは歓声を上げる。夜は晩餐、その後は庭で星の干渉をしつつ紅茶を頂く。翌日は、歌劇団が登場する予定だ。煌びやかなものに目がないマローは、大層喜んだ。
「楽しいね!」 「うん」
アイラとマローは自室のベッドに転がり、手を繋いで瞳を閉じていた。束の間の休息である、楽しいが疲労感で一杯だ。マローは気だるく大きく伸びをすると、項垂れる。 アイラは片手でフルートを握り締め、手の内の感触を確かめていた。本以外に初めて与えられたものだった、魔法のようで持っているだけで胸が弾んでしまう。冷たい金属の感触に、笑みを零す。
「ね、お姉様。どの王子様が一番素敵だと思う?」 「え」
急に起き上がり、顔を覗き込んで悪戯っぽく笑うマローに、アイラは微かに動揺し顔を染めた。
「わ、私は」 「トライ様かしら? 楽しそうだったものね、今日」 「え、えと、私は」 「私は、断然トレベレス様!」
無邪気な笑顔でアイラに抱きつきながら、そう発言したマロー。一瞬身体を硬直させたが、アイラは黙って抱き締め返すと髪を撫で始める。
「可愛いのよ、なんだか不思議な瞳をしているわ。一番心惹かれるわ」 「……そう。なら、仲良くしないとね。たくさんお話出来るといいね」 「うん!」
複雑な表情を浮かべ、アイラはマローの髪を撫でていた。アイラも、最初に瞳が交差したトレベレスが気になっていたのだ。 言葉は交わしていないが、最も近寄りたかったのがトレベレスだ。話をしてみたかった、マローのように近くにいたかった。が、どう見てもトレベレスが気に入っているのはマローである。アイラの元へは、一度たりとも脚を運ばなかったので自嘲気味に笑うしかない。 何故そう感じたのか自分でも解らないが、瞳が自然とトレベレスを追ってしまった。
「それにしても他国には様々なものがあるのね! 姉様、それ吹いて。私も姉様の奏でるそれ好きよ」 「フルート? うん、待ってね」
せがまれ、アイラはフルートに唇をあてる。トレベレスを忘れるように、アイラは一心不乱に奏でた。音色が、窓から庭に零れ落ちる。
アイラが奏でる音色が若干聞こえる、迎賓館にて。
「トライ。お前目的解っての行動か、あれ」
トライの部屋を訪ねたトレベレスは不機嫌そうに薄緑の蒲萄、マスカットを齧りながら、剣の手入れをしているトライに問いかけた。
「何が」
無愛想にそう返事をすると、トライは視線をトレベレスに向けることなく剣を磨く。その馬鹿にされたような態度に苛立ち、壁を叩き付けたトレベレスを横目で見ると、ようやくトライも顔を上げるがこちらも不機嫌そうだ。
「惚けるな、あの娘だ。姉は呪いの娘だろう、お前とオレの国はある意味兄弟。こちらに被害が来ては困る、親しくするな」 「関係ない」 「大地の国の偉大なる魔女の御告げだろう? 黒の娘を手に入れるべきだ。緑は捨て置け」 「関係ない」 「あのなぁ」 「……国に有益をもたらすという黒の娘、あれにはオレの興味が全く湧かない。アイラは」
そこまで聞いてトレベレスは舌打ちし、ドアを乱暴に開くとそのまま出て行った。気づいたのだ、トライが名前で姫を呼んだことに。妹ではなく、姉の名を呼んだ事に。
「お前の従弟はウツケか。まぁ、自滅してくれる分にはこちらは一向に構わないが」
嘲笑いを浮かべ、廊下に立っていたベルガーと擦れ違ったトレベレスは、眉間に皺を寄せると忌々しそうにトライの部屋の扉を睨み付ける。
「喧しい、オレとあれを一緒にしないでもらおうか」 「別に一括りにしたつもりはない。面白い男だ、とは思ったが。あの娘に取り入っても仕方なかろうに」
喉の奥で愉快そうに笑っているベルガーに、屈辱を味わった。それもこれも、全てトライのせいである。「どこまでもオレの邪魔をしやがって」舌打ちした。
「敵は少ないほうが有り難い。将来を見据え、時間と金を浪費する価値はあると思ったからこうして出向いたわけだが、あの程度の娘ならそこらにいる。傍らに置いて手放したくない、とは全く思えなかった。さしあたって私の子さえ、産めば良い」
月を見上げながら小声でそう呟き、挑戦的な視線を投げかけたベルガーは、再び愉快そうに喉の奥で笑うと大きく伸びをしている。互いに、今回の目的など話さずとも解っていた。 が、唐突にこうもけしかけられるとは思っていなかったのでトレベレスは多少たじろぐ。
「私とお前の一騎打ち、と、なりそうだな。リュイ殿は城へ戻られるそうだ」 「へぇ、何故。遠方から金を使って遠征したのに」
意外そうに瞳を丸くしたトレベレスに、ベルーガは大げさに手を振った。
「さぁ、幼すぎたのではなかろうか。損得だけで人間関係をどうこうできる男にも見えなかった」 「まぁ、若すぎるというより、幼すぎますかね」 「彼くらいの歳の時でも、私は今と同じだったがな。歳というより人間性だろう。あの国は兄上達が来訪すると思っていたが、何故末弟だったのか、そちらのほうが気になった」
互いに、視線を交差させて火花を散らす。 風の王子は帰国、水の皇子は戦線離脱。光か火のどちらかが、噂の姫を手に入れるということになった。今現在は、だが。 二人の国に噂が流れてきたのは、ここ一、二年前のことであった。 他国の情勢を探るべく侵入させていた者から得た情報であったが、いまひとつ、信憑性にかける。そのような重大な事実を、容易く手に入れられたことが罠である気がしてならず。 しかし、探れば探るほどそれは確信へと向かっていった。 ベルガーは今でこそ、巧妙に張り巡らされた罠である気がしてならず、国に到着した時点で探りを入れている。家臣に城の者を捕獲させ、先程も催眠を行い尋問したところだった。 しかし二人、三人と催眠にかけるが、皆答えは同じだった。
『マロー様が繁栄の子を』
一端の城民ではない、位の高い者達を催眠実験しただけにベルガーも低く唸りつつ、その様を見ていた。ベルガーの読みは、上位者にのみ真実が伝えられているのではないか、だったのだが。 催眠が失敗しているという確率は、0である。ならば噂通り”黒の”姫を手に入れなければならない。
「考えすぎか?」
小さく唇を動かしたベルガー、ともかく目の前のこの男よりも先にマローを手に入れなければならない。
「まぁ、適度に懐かせて国へ連れ帰る。お相手一つ宜しく頼もうか、少しは張り合いがないとな」 「……こちらこそ」
どのような美姫かと多少心を躍らせていたベルガーだが、二人ともまだ、子供だった。ベルガーは二十六歳である、マローとアイラは十二歳であり、ふくよかで女らしい体系の女性を好むベルガーから見たら、二人は全く興味の対象外だ。 幼児にしか興味を持たない知人も確かにいたが、ベルガーは違う。 ちなみにベルガーには本妻が存在するので、何人目かの妻としてマローを迎えねばならなかった。それだけが気がかりである、そのような相手に国の第一姫を寄越すかどうか。普通に考えれば余程の事情がない限り、断られるだろう。少し圧力をかけて揺さ振らないことには、ベルガーが手に入れる事は難しい。 弱小国ならば姫を喜んで差し出すだろうが、生憎ラファーガ国はそこそこに力を所持している。上手い事同盟に話を持っていけば、可能だろうが。 目の前の自分より若いトレベレス王子は、まだ本妻を娶っていない。大勢愛人ならいた筈だが、年齢も姫達に近いのでその点ベルガーには不利だった。 二人は事務的な笑顔で握手を交わすと、夕食を摂るべく広間へと移動した。 自分達の目的は、明確だ。繁栄の子を産むという、妹のマロー姫を手中にすればいいだけだ。 けれども、何故かトライの行動が気になってしまう二人である。アイラが、気にならないといえば嘘になった。
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