黒と緑の双子の姫君に関する予言は城内に留まらず、城下町はおろか他国にまで知れ渡り始めていた。何処から、漏れたのだろう。 人の噂好きなど知れたことだ。興味本位で人から人へ、話は渡る。所詮他人事である、重要な秘密を知れば知るほど、話したくなる広めたくなる。人間の心理だ。 類稀なる二人の美姫となれば、求婚者が殺到していた。噂に尾ひれ、内容は捏造され大陸を駆け巡っており、当然マローに会いたいと願い出る王子達が多々出現する。 城内ではこの頃になって、ようやくマローに騎士団を護衛としてつけることを決定した。城下町に通達を出し、健康で堅実な少年・青年の招集を行っていた。 羨望の眼差しで、皆その通達を見つめる。給料も良く、何より噂の美姫に会えるのだから。
マローは裏庭の茂みに隠れてよく女中達の会話を盗み聞きしていたので、その日も誰か来ないかと転寝しながら茂みにいたのだが、今日に限って誰も来ない。 はっきり言って、暇だった。アイラにはなかなか会わせて貰えない上に、目新しいものがなくマローは日々退屈である。貢がれた宝石も、飽きてしまった。 何か胸が躍るような事はないかと日々うろついているのだが、今日は諦めて茂みから立ち上がり、姉の部屋に遊びに行けないかと考え顔を上げたときだった。
「や、やぁ!」 「……どちら様?」
反射的に身構えた、聴こえた声に思わず逃げ腰になる。反対側の茂みの中から現れた同年代の”異性”に、マローは眉間に皺を寄せて軽く睨みつけた。 目の前の少年は小汚い衣服に乱れた髪、鳥肌が立ち思わず自分のドレスを汚すまいとマローは後退する。 初めて見た異性だった、同年代の少女にも姉しか会ったことがない。訝しみながら、唇を噛み締め威嚇する。 目の前の少年は赤面しながら、頭についていた枯葉を払い、綺麗に見せようとしているのだろう。服の皺もなんとか伸ばすべく、手で押し付けている。 当然綺麗にはならないので、諦めて急に顔を上げると一気にマローに近づいた。驚いてマローは更に数歩後退する、しかし何故か足が震えたので上手く下がれなかった。 少年は微かに苦笑いしたが、両手を衣服で拭くと丁寧にお辞儀をする。
「は、初めましてお姫様。妹のマロー様だよね」 「……そうだけど、誰? 気安く話しかけないでくれる?」 「ま、前にさ、ここで見たから毎日通っているんだ」 「あら、そう。よかったわね」
冷ややかな視線と投げつけた言葉に、それでも目の前の少年は怯むことなく、ただ、にこやかに笑って立っている。けれど、それ以上近寄る事もなく、少年は満足そうに微笑んでいた。 何も語らないその少年に、嫌悪感を抱いたマローは唇を尖らせ聴こえるように言い放った。 得体の知れない生物の様にも、見えた。
「……気味悪い」 「ご、ごめん。可愛いからついつい、その、見惚れちゃうんだよね」
照れながらやはり嬉しそうに、照れくさそうに笑うこの少年。マローは心底顔を顰めた、唇を噛締める。初めて見るタイプだ、対応の仕方がわからない。 暫し、二人の間に沈黙が流れる。マローは気まずそうに瞳を逸らし、少年は照れながらそっと盗み見をしている。 少年は、純粋に嬉しかったのだ、目の前にマローが居て会話出来たことが。 だが、そんなことマローは全く知らない、解るわけもない。別に少年から異臭などしないのだが、思わず右手で鼻と口を覆い、目を吊り上げる。
「あたし、お姫様なの」 「うん、知ってるよ」 「アンタのような得たいの知れない人となんて、お話出来ないわ」 「お姫様とじゃ、身分が違い過ぎるよね」
どこか切なそうに呟いた少年だが、マローは鼻で笑い捨てた。ふんぞり返り、一言吐き捨てる。
「あら、解っているのね。じゃーね、お引取りくださいませ」 「騎士団に入るんだ、俺」
踵を返し興味を持たずに去るマローに思わず駆け寄って、その華奢な腕を掴んだ少年は、振り向かせようと必死に早口で告げた。 初めて、異性に触れられたマロー。一瞬大きく身体を引き攣らせる、唖然として、硬直する。 今まで腕を捕まれた事すらなかったので、衝撃は大きかった。何故か、腕が痺れたような感覚を受ける。
「騎士団に入って、腕を磨いて騎士団長になったら。マロー姫の護衛につくよ。……それなら、いいだろ?」
強い力で振り向かせられた、正面からそう告げるこの少年に息を飲む。視線が交差した、逸らそうとしたが出来なかった。あまりにも真っ直ぐに自分を見ていた、頬が熱くなる、心臓が跳ね上がる、呼吸が出来ない。こんな熱い視線、受けたことがなかった。城の機嫌取りの者達とは違う、情熱的な真意の瞳だ。 脈拍が、トクントクン、と音を立てて。汚い筈のその少年の瞳が、宝石のように煌めいてとても綺麗だと、マローは思った。 数秒、いや、数分か。互いに何も語らずに、ただその場でじっとしている。やがて木の葉が触れる音が聞こえて、二人の中心に葉が舞い降りてきたためマローは我に返った。 何故か赤面したマローは、もがいて腕を振りほどくと思い切り少年を突き飛ばす。
「ぶ、無礼者っ!」
そのまま、逃げるように立ち去るマローの背に、突き飛ばされ芝生に倒れていた少年が叫ぶ。
「君に、相応しい男になるから。待ってて!」
背に届く少年の声、言われながら必死で顔を擦るマロー。頬が熱い、そして喉が渇いた。 全力で向かった先は、姉の部屋。途中で何人かに止められたが、振り切って走る。勢いに任せてドアをこじ開けて、驚いて瞳を丸くしていた双子の姉に飛びついた。 会わなければ、全身が壊れてしまいそうで。姉ならば助けてくれそうな気がして。
「マロー? どうしたの?」 「アイラ姉様っ」
飛び込んだ胸の中、震える身体を落ち着かせる為に深呼吸を繰り返す。不安そうにアイラはマローを抱き締めながら、走ってきた方向を瞳を細めて見つめた。 ドアは半開きのままだ。妹の髪についていた葉を摘み上げて、窓辺から落としながら、アイラは優しくマローが落ち着くまで、背を撫でていた。 微かに震えながら、アイラを力強く抱き締めるマロー。動悸が、治まらないのだ。そして何故かあの小汚い少年が、脳裏から離れない。 声が、何度も耳に届いてしまうのだ、ここにはもういないのに。忘れたくて瞳を閉じるが、どうしても、あの少年が浮かんでしまう。それが、無性に恥ずかしかった。 「おい、大声出すなよ! 警備兵が来てる! 逃げようトモハラ」 「あ、うん。ミノリ、引っ張ってくれ」
姿が消えてもマローの走り去った方角を、愛しそうに見つめていた少年トモハラは。焦って木から顔を出した親友のミノリの手を強く握り、そのまま茂みへと消えていく。 城下町に住む、極普通の家庭に育った二人だった。家が隣同士で、物心ついた時から兄弟のように育ったトモハラとミノリ。 薄い茶の綺麗なストレートの髪が印象的なトモハラ、瞳は少し垂れ気味だが鋭い。漆黒の硬めの髪に、釣り上がった瞳のミノリ。 悪童として有名な二人は、大人の目を盗んでは城へ侵入しようと毎日のように企んでいた。子供は大きなものに憧れる、必然的に。そして駄目だと言われれば言われるほど、欲しくなるものだ。 厳重な警備態勢の城、怖いがやはり覗いてみたいという幼い好奇心が消える事はなく、幾度目かの挑戦でついに侵入に成功した二人。子供だからこそ、侵入できた。僅かな隙間や木々の枝を飛び移って、冒険するかのように大人の目を掻い潜る。 城下町にはすでに双子の姫君の噂は流れており、その”姫君”とやらを見るのが二人の目的だった。隔離された未知なる場所に住む、美しい姫。これも、幼い好奇心を駆り立てた要素である。 二人は昼間に侵入しては木の上から様子を窺っていた、地面に下りようかとも考えたが、そこまでの度胸がなかった。流石に命に関わることだと、少年達とて理解していたのだ。 その木には都合よく甘い実が生っていたので、来る日も来る日も口にしながら様子を見ていた。葡萄によく似ている、薄緑色の果物だった。 見下ろしていた広大な庭は、時折人が通るが他には何もない。庭を駆け抜けて内部に入りたいが、見通しが良すぎて見つかる可能性が高いと解ったので出来ない。 ミノリは時折、声が気になっていた。姿は見えないが、本を読んでいる同じ年頃の女の声が耳に入る。音域が心地良く、柔らかなその声が気に入って、もっと近くで聴きたいと木の天辺に徐々に移動していった。 城の高い部屋から声は漏れていた、あれがきっと姫の声なのだろうと耳を閉じて聞き入るのがミノリの日課である。読んでいる本は面白おかしい童話から、植物の事典、小難しい研究結果と様々だ。 ある日、窓から手が伸びていることに気づいたミノリは、なんとか姿を見ようと必死に枝を掴み、落下しないように身を乗り出したがやはり、見えなかった。ただ白くて艶やかな腕は脳裏に焼きつく、微かに顔を赤らめてミノリは決意した。 姫君の騎士団を設立するという事実は当然知っている、街中その話題で持ちきりなのだから。騎士団になれば、あの声をもっと間近で聴く事ができるに違いないと思った。 ならば、ミノリの目標はただ一つだ。 トモハラは毎回上へと行くミノリと違い、木の中間で庭を眺めていた。というのも、黒髪で同年代の少女を見かけたからだ。 それが姫なのだろう、明らかに見たことがない煌びやかな衣装を身に纏っていた。純白のドレスに、漆黒の髪がとても映える噂の美姫である。 柱から柱を駆け抜ける瞬間しか瞳に姿を映すことが出来なかった、それでも姿が見えればトモハラは満足だった。無論、毎回侵入して見かけられるわけもなく、姿が見えなければ足取り重く街へと帰る。 始終動き回っている姫は、見ていて面白かった。意表を突かれたのも、目が離せなくなった原因かもしれない。遠くからなのではっきりとは解らないが、仕草がとても愛らしく、表情がくるくる変わっているよう。伸び伸びとした様子、好奇心旺盛な仔猫の雰囲気だった。 庭でお茶会をしていた時に、初めて間近で姿を見たのだが、想像以上の美しさに眩暈を覚えた。天まで突き抜けるような高音で明るい声だが、時折拗ねたような甘えたような、胸を揺さぶるには十分過ぎる”女”の音域を出す。大きな釣り上がり気味の瞳は、何かを捕らえて忙しなく動く。 甘そうな菓子を頬張りながら、何故か時折密かにテーブルの下のハンカチに包んでそ知らぬふりをしていたり。 思わず吹き出しそうになるのを必死で堪え、トモハラは見ていた。ドレスの裾を上げて、庭を裸足で走り回り、歓声を上げる姫にすっかり心を奪われた。
……もっと、近くで見えないだろうか。近寄って、話が出来ないだろうか。
想いは、募るばかりだった。 廻り廻って、その日トモハラに好機が訪れた。一人で姫が何故か隠れていた、その日に、高鳴る胸と緊張と恐怖を必死で押さえ、そっと木から下りた。茂みに隠れて様子を窺う、何度も茂みから出ようと足を持ち上げたが、踏み出せない。 見つかった場合、最悪処刑だろう。けれども、一人で唇を尖らせ何かを待っている様子の姫に、どうしても会いたかった。 意を決して静かに茂みから立ち上がる、こうしてようやくトモハラは姫と会話出来た。
息を切らせ街を疾走する二人、笑いが込み上げ互いに爆笑する。始終笑顔、特にトモハラは何故か泣きたい気分で笑い続けた。 嬉しかったのだ、大声で叫ばないと身体の奥に何かが溜まって突っ伏してしまいそうだった。何も言わずとも、二人の決意は揺ぎ無い。
『必ず、騎士団に入ろう。あの姫に会う為に』
黒のミノリが目に留めたのは、姉のアイラ。姿は知らない、けれども声が好きだった。茶のトモハラが目に留めたのは、妹のマロー。愛くるしい全てに魅了され、傍に居たいと願った。 二人は揃って志願書を提出し、剣技に明け暮れる。就中姫に惹かれた、互いに双子の姉妹の姫に。どうしても、あの姫に会いたい、傍に居たい。 幼くとも、異性を護りたいという男の本能が働いたのか。合格出来たならば、支給額とてその辺りで働くよりも高額だったので、家族の反対すらなく二人は進む。二人は見事、揃って騎士団に入隊し、厳しい訓練は当然のこと、城内の見回りもすることになった。 夢が、叶ったのだ。
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