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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第71回   そして騎士は、勇者になり、魔王と勇者は出会う
 マビルは、寝返りをうった。床に何本も転がっているワインボトルは、全て空になっている。しかめっ面をして呻いていた、呑み過ぎたのだ。嗜む程度で強いわけではない、が、止めらなくて呑んでしまった。
 頭痛がする、寝れば治るかと思ったが治らない。
 
「痛い、痛い、痛い、痛いっ」

 マビルはシーツを被って鋭く悲鳴を上げた、だが、一人きりの家では誰も助けに来ない。静まり返る空気が胸に突き刺さる、瞳の端に涙が浮かんだ。

 ……こんな時、あったかい牛乳が飲めたらな。甘くて、美味しいやつ。

 頭を撫でて、傍にいて。
 腕を伸ばして、宙を掴んだ。掴めるものがなく、力なく腕は下がる。一人きりの部屋で、啜り泣いた。

『大丈夫、必ず、必ず傍にいるよ』
「嘘つき、いないじゃない」
『待ってて、必ず逢いにいく。逢いにいくからね、その為に、俺は今ここに来ているんだ。世界を救うのではなくて、俺は逢う為に』

 馬車に揺られながら、トモハルは顔を上げる。何かを探すように宙を見た、ミノルが怪訝に眉を顰める。

「どうした?」
「……泣いてる。俺、早く行かなきゃ」
「は?」

 トモハルは、唇を動かした。ミノルには何を言ったのか解らなかったが、心の何処かで納得している自分がいた。「あぁ、アイツの名前を呼んだのか」と。
 アイツ、が誰かも解らない。けれども、記憶の片隅に残っている強烈な過去の出来事が二人の中に息づいていた。
 騎士は、勇者になり、姫を救わねばならない。

 惑星クレオ、その赤道付近に位置するロシファーザ島。
 長く煌びやかな銀髪を風に遊ばせながら、魔王の一人が降り立つ。珍しい事ではない、彼は頻繁にこの地を訪れていた。何故ならばこの島には、魔王アレクが唯一心を許すことが出来る最愛の恋人がいるからである。
 微かに頬を赤く染めながら、普段の青白い顔色は何処へやら健康的な赤みを帯びてアレクは駆け足で恋人を捜していた。
 平素とは全く雰囲気が異なり、別人のようだ。

「ロシファ、ロシファ! 私だ、何処に居るんだい?」

 城内では全く走らない魔王だが、自然溢れる森の中をひらりひらり、と蝶のように軽やかに恋人を求めて走り回る。その度に美しい髪は、空気に溶ける様にさらさらと舞う。
 木々に囲まれた緑の中、親子鹿がアレクの緋色のマントを咥えると引っ張り始めた。この地は動物達の警戒心がない、アレクにも慣れていた。執拗に自分を引っ張る小鹿を撫でると、アレクは視線を合わせるように屈みこみ澄んだ瞳を覗き込む。

「ロシファが何処に居るのか……知っているのかい?」

 優しくそう呟けば、嬉しそうに小鹿は軽くその場で飛び跳ねるとマントを放し、駆け出す。本当に居場所を知っているようだ、案内してくれるのだろう。
 仲良く駆け出した親子鹿を薄っすらと笑みを浮かべて見つめていたアレクは、小さく溜息を吐いた。ゆっくりと立ち上がると鹿達の後に続いて、静かに歩き出す。昨日雨が降ったのだろう、土壌が水を含んでいて歩けば僅かに身体が沈んだ。
 向かう方角には湖がある、二人が出逢った最初の場所だ。
 懐かしそうにアレクは手の平を翳して空を見上げた、眩しい太陽が痛いほどに照り付けている。暑さから逃れる為に水遊びでもしているのだろう、炎天下で空気はかなり熱されていた。
 森林の中を空気を肺に一杯吸い込みながら、先程とはうって変わってのんびりと足を進めるアレク。
 というのも、水浴びをしている場合彼女は裸体である可能性が高い。
 非常に、気まずい。恋人なのだが、奥手のアレクはまだロシファの裸体を見たことがなかった。
 咳を一つする、不意に目をやった木の根本に小さいながらも可憐に咲く薄紫の花に気付いた。自然と口元が綻んだ、じっと見つめ続けていると風が緩やかに吹く。
 花の名前は解らないが、風に揺られてふわふわとしている様は何か言葉を発している様だった。

「こんにちは、アレク様。……ですって」

 湖の方角から、鈴の鳴る様な声が耳に届けられた。我に返り立ち上がると、身体をそちらに向けアレクは満面の笑みを浮かべる。
 神々しい金の柔らかな髪、緑青色した神秘的な光を放つ瞳の少女が先程の親子鹿と共に立っていた。少女の姿を瞳に入れた瞬間、アレクは大声で叫んでいた。無論、愛しい愛しい少女だからだ。

「ロシファ!」

 一目散に駆け出すと勢いでロシファを抱き締め、身体を持ち上げるとその場で何度も回転する。驚いて小さく叫んだロシファだが、可笑しそうに笑いながら為すがままにされている。
 太陽の様に明るく眩しいロシファの笑顔、心の底からそれが嬉しくてアレクも大声で愉快そうに笑う。
 感情豊かなアレクなど、ロシファ以外はお目にかかれない。
 魔界イヴァンではほぼ無表情で口数少ない魔王アレクなのだが、こちらが素だった。本当ならば魔王を放り出して、ここに移り住みたかった。
 二人は一頻り回転すると、そのまま地面に転がって笑い続ける。観れば、小鳥や兎が近寄って来て二人を見守っていた。笑いながら一つに束ねてあるロシファの髪に、そっと指を通していたアレクは、ようやく気持ち良さそうに大きく伸びをすると起き上がる。
 ロシファの身体を支えて起き上がらせると、二人は手を取り合って小屋へと向かう。

「可愛らしいでしょう、さっきのお花さん。大木の陰であっても僅かな光を探して求めて、強かに美しく咲き誇るのよね」
「あぁ、とても可愛らしい。……でも、私はロシファの美しさのほうが勝っていると思う」

 真顔のアレクに、盛大にロシファは吹き出した。
 怪訝そうに見つめているアレクに、ロシファは赤らんだ頬を隠すようにして手を強く握るとそのまま全速力で駆け出す。
 力強く引っ張られ、顔を引き攣らせたアレクだが肩を竦めると諦めて共に駆け出した。
 その後ろを動物達が続いていく、穏やかな光景だった。
 ロシファは、魔族とエルフの混血である。良く観ないと解らないが、瞳を覗き込めば魔族独特の鋭い眼光が見え隠れしている。
 父親が、魔族の貴族。母親が、エルフの姫君。
 混血は敬遠されてしまう場合がほとんどだが、ロシファの場合はそうではなかった。魔族との混血であろうとも、姫は姫であり正統な後継者。現魔王アレクの良き理解者であり、無論恋人。
 父親が魔族のロシファにとって、魔王であろうと初対面からアレクに対して何の畏怖の念も抱かなかった。最も、父親の存在などほぼなかったが。両親はロシファが幼い頃に亡くなっており、周囲から話を聴いただけだ。
 快活で健康的なロシファは、常に無邪気に走り回っている幼子のように成長した。美しい滑らかな髪は腰まであるのだが、行動の邪魔になるので毎日一つに結んでいる。ドレスなどは一切着用せずに、自分で織った布で衣服を作り上げて着用している為、見た目は質素だ。着飾る必要はない、この島にはロシファともう一人のエルフしか住んでいないのだから。
 エルフの隠れ里、無人島に見せた最後の楽園。 
 二人は息を切らせながら家の中に入ると、大きな音を立ててドアを閉め、顔を見合わせ深呼吸する。流石に疲れたようだ、ずるずるとロシファはドアにもたれて床にへたり込んでしまう。

「あらあら……これはこれはアレク様。姫様に付き合って、一体何処から走ってこられたのですか? 本当に申し訳ありませんね。ロシファ様、皆が皆、貴女様ほど元気ではないのですから巻き込んではいけませんよ」

 大袈裟に落胆しながら奥から出てきたふくよかな女性は、ロシファの乳母である。彼女と二人きりの生活をしている。
 唇を尖らせながら、ロシファは反論した。

「あら、平気よ。アレクはこれくらいで丁度良いの。普段運動なんてしないんだもの、体力がないから私がつけてあげているのよ」

 アレクに悪戯っぽく笑って、乳母に茶の用意をさせ始めたロシファ。愛用の簡素な木の椅子に深く腰掛けると、突っ立っているアレクを隣に強引に座らせる。
アレク専用の椅子だ、稀にしか来ないが用意されている。
 机に肘をついて笑いながら歌っている様を、アレクは眩しそうに瞳を細めて見つめていた。

「行儀が悪いですよ、姫様」

 苦笑いで茶を運んできた乳母に、知らん振りしてロシファは並べられた焼き菓子に手を伸ばす。
 ロシファは、無邪気で気品振った様子もなく非常に親しみ易い。しかし、気高さも持ち合わせており、無防備に見えて冷静だ、心は下手したらアレクよりも強いかもしれなかった。
 混血、という特殊な状態であれ、皆と上手く生活していたのはロシファの真っ直ぐな性格ゆえであろうし、受け入れた仲間達も心が澄んでいるのだろう。現在は、皆とは共に居ないがそれもロシファの考えあってのことだった。
 アレクは、そんな彼女に惹かれた。
 ロシファの美しさも目を見張るものがあるのだが、それよりも性格である。

「さぁさ、召し上がれ。摘み立てのレモンバームティですよ」

 暖かなカップに入れられた新鮮な香りのするティを、ロシファは熱そうに啜る。口内を潤したので、夢中で焼き菓子を頬張っていたロシファの額を軽く小突くと、乳母は肩を落としながら部屋を出て行いった。顔には軽く、笑顔を浮かべながら。
 ロシファがこうしてはしゃいでいるのは、隣にアレクがいるからだということを乳母とて了承していた。普段以上の浮かれ様子に、乳母はドアを出た後一人隣の部屋で爆笑をする。
 なんのかんの言ったところで、姫であれども所詮は娘。愛しい男が来れば心躍る。素直に行動に出てしまう可愛らしさが、乳母は嬉しかった。血は繋がっていないが、本当の娘のように思っていた。
 乳母の笑い声に思わずアレクはカップの中身を零しそうになり、ロシファも喉に焼き菓子を詰まらせそうになった。首を竦めつつ、咽つつ、ロシファはげんなりと乳母の出て行ったドアを見つめる。

「んもう、本当に元気が余っているんだから」

 ねぇ? と、アレクの同意を求めつつ覗き込んできたロシファ、アレクは瞬きしてしれっと、返答する。

「誰かさんと一緒だよ」

 にっこりと笑い、唖然としているロシファの肩を叩きながらアレクは優雅にティを口に含んだ。そんなアレクの態度に唇を尖らせ、菓子皿を自分に引き寄せると一人で食べ始める。じとり、と横目で軽く睨みながら。
 そんな様子に思わず笑いを堪えるアレクだが、堪え切れずに小さく肩を震わせて笑う。
 全てが、愛おしい娘だ。ハイも今、アサギに対して同じ様な気持ちを抱いているのだろう。見ていれば解る、あれは恋をしたものにしか解らない胸を揺さ振る、暖かな心地良さを体感している顔だ。

「まぁ、私のほうが情熱的ではあるけれど」

 無意味にハイに対抗するアレク、独り言にロシファが顔を上げ怪訝に眉をひそめた。
 気にせず口内に広がるレモンバームの清涼感を楽しみつつ、アレクは瞳を閉じ静かに頷く。

「美味しい」

 自然と口から漏れた言葉だ、魔界でも多々美味なものを口に運ぶがやはりこの場所は格別である。ロシファは嬉しそうに勢い良く立ち上がると、自分も熱いながらに口に含む。

「でしょう? 植物も誰かの口に入るのならば美味しいと笑顔で言ってもらえるように努力しているのよね。生きているものは、みんなそう。誰かに喜ばれる為に、幸せになってもらう為に……生きているの。特に、愛する人を笑顔にする為に、心を解きほぐす為に」

 徐々に小さくなっていくロシファの声、そっとアレクを見つめていた瞳が閉じていく。咳を一つし、誰も部屋にはいない筈だがアレクは周囲を見渡し頬を赤く染めて身じろぎながらも、ゆっくりと唇を近づける。
 触れるか、触れないか。
 アレクは直様照れた顔を隠すためか、すぐにカップを唇に押付けた。
 やがて不服そうにロシファは頬を膨らまし、妙に落ち着きないアレクの様子にただ、可笑しそうに笑う。

「ほんっとに、奥手ねアレク。赤ちゃんの顔、見られないのは嫌よ私」

 大きな溜息、ロシファは髪を指で弄びながら天井を見上げる。暫しアレクは考え込んでいたが、数分後ようやく意味を悟った。
 硬直し、テーブルクロスを見つめ続けるアレクに、落胆するしかない。意味は解ってもらえただろうが、全くもって……純粋というかなんというか、奥手過ぎてもつまらない。
 話題を変える為か、アレクはそそくさとロシファの視線から逃れる為に立ち上がると窓際に移動した。
 外を見つめながら、再び咳を一つする。

「そ、そうだロシファ」
「何よ」

 機嫌を損ねてしまったようだ、声に怒気が含まれているロシファの声だった。アレクはガラスに映るロシファを見つめつつ、更に咳をするしかない。
 大胆なロシファに、こうして毎度アレクは身が縮こまる思いで接している。

「勇者が来たんだ、魔界に。ハイが連れてきて、思いの外可愛らしい小さな女の子で。……彼女となら、やれそうな気がするよ」
「え? 勇者?」

 思わずロシファが立ち上がる、開いた口が塞がらない。何故、そんな重要な事を今頃になって言うのか。真っ先に言うべきだったのではないのか。
 ロシファは逸る胸を押さえつつ、震える腕を必死に堪えて擦れた声で恋人に問いかけた。魔王である恋人に、問いかけた。

「セントラヴァーズ。セントガーディアン。……どちらの所持者なの?」

 惑星クレオの魔王アレク。
 その恋人である魔族とエルフの混血の姫ロシファ。
 そして魔界に連れてこられた、勇者アサギ。
 普段からは想像もつかない、怜悧な視線で刺すようにロシファは目の前のアレクに、問う。


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