勝利を確信しているアリナとダイキは、二人で巧妙に百足と対峙する。身体が大きいだけで恐れなければ十分余裕を持って戦える相手だと、ダイキも判断できた。
「が、がはっ」
しかし後方で、呻き声。 思わず二人は振り返った、クラフトを地面にねじ伏せサマルトが無表情で宙を見ている。
「ちっ、まずい!」
瞬時に理解した、サマルトが正気を失ったのだ。舌打ちしアリナはダイキに戻るように告げ、百足の前に松明を数個投げつけると簡易な足止めをする。ダイキが先に走り出した、百足の相手を今している場合ではないのでアリナも直様後を追う。クラフトの救出が先だ。 掛け声を上げて跳躍し、とび蹴りをサマルトに喰らわせたアリナは、クラフトから引き離した。地面に転がるサマルトを、多少の距離を置いて見ているダイキは剣を構える。
「大丈夫か!」 「な、あんとか……、ガッ」
むせ返り、上手く言葉が話せないクラフトの前にアリナとダイキが立ちはだかるが、どうやってサマルトを正気に戻すべきか。説得出来るものなのだろうか、生憎アリナにはこの状況を把握できない。魔力によるものだとは解るが、この場で専門的なクラフトは今上手く話すことが出来ない。 ミシアはそれを後方で見ていた。術者を倒せば安易にサマルトを操っている魔力など掻き消す事ができる、それをアリナには告げない。「サマルトにアリナを殺させるのかしら?」と唇を動かし、口の端に笑みを浮かべる。 それならばアリナとて容赦なく攻撃できないだろうから、隙が大いに生じるだろう。後方に控えている百足四匹を援護させても良いだろう、先程の暗鬱な雰囲気は何処へやら、高らかに笑い出したい感情を押し殺す。ミシアはそのまま、弓を射るフリをした。 このまま、傍観だ。百足が流石に自分を攻撃してきたら反撃するが、幾らなんでもそれはないだろう。 自分は破壊の姫君なのだから。 ジャリ、と地面の砂がこすれる音に、ミシアは狂気じみた瞳で仲間達を見つめる。剣で斬りかかってきたサマルトに、ダイキを突き飛ばし真っ向からアリナが対峙していた。
「甘いね、遅いよ!」
後方に回り込み、背中を思い切り蹴り倒す。地面にねじ伏せ、面倒くさそうに笑った。
「悪いね、ボクのほうが強いから」
胸を撫で下ろしたダイキだが、百足が俊敏な動きでこちらへと向かって来ていることに気づいた。ダイキの叫び声に我に返ったアリナは、サマルトを掴んで百足の体当たりを避ける。思ったより動きが速い、火が弱まり、何も邪魔をするものがなくなったのだろう。 ミシアは懸命に一匹と対峙していた、残りは三匹である。 対峙していると言っても、ミシア的にはただ、適当に矢を射っているだけだ。当てる気等全くない、寧ろアリナを狙えと暗示をかけるように眼で訴える。
『私は破壊の姫君よ、言う事を聞きなさい』
百足は、理解出来たのかゆっくりと身体をミシアからアリナへと向けた。こうも上手くいくとは思わず「魔物も操る事が出来るだなんて、流石ね私」とミシアは自慢げに仰け反る。が、歓んでばかりもいられない、確実にアリナの息の根を止めるまでは。 地面を這いずっていたサマルトは、急に強い力でアリナを押しのけて再び剣を振り回し始めた。遠慮がない分、サマルトのほうが優勢だった。
「あー、ホント、面倒っ」
アリナは高く右足を掲げた、最早失神させるしか大人しくさせる方法がない。そのほうが楽だろう、その隙に敵を全滅させれば治るだろうと考えた。 脳天に直接打撃を与えれば、相当のダメージを食らうだろうがクラフトに治して貰えば死にはしないと。安直な考えだ、が、それしか思いつかなかった。大人しくしているのならば仲間が欠けているだけだが、こうも攻撃を与えてきては邪魔だ。敵が一人増えただけである。
「アリナ、百足を任せる。俺がサマルトはなんとかしてみせる」
覚悟を決めたアリナに、ダイキが躍り出た。ダイキがアリナの足をそっと右手で下ろさせる、まさか割って入ってくるとは思わなかった。些か顔に不機嫌さを出したアリナ、だがダイキの視線に思わず頷くと足を地面に下ろし、代わりに百足に向き直った。ダイキが妙に頼もしく感じられ、口の端に笑みを浮かべたアリナ。出会った時と、比べられないほど成長している。短期間で、それ相応の度胸がついたのだろうか。真っ直ぐな瞳は、好きだった。 「ご期待に備えてみせますよ、勇者様」
笑いながら言うと駆け出し、地面を這っている百足の胴体を踏み潰す。痛みで胴体をくねらせるので、尾っぽに注意しながら頭部を強打する。燃え残りの松明を拾い上げ、瞳を焼いた。悪臭が立ちこめた、奇怪な鳴声を叫ぶ百足だが、アリナは鼻と口元を押さえ刺す様に松明を深く沈めた。
「も、申し訳ありません、足手纏いで……。直様加勢します」
回復したクラフトが援護についた、動きを鈍くするための影縛りを唱える。
「気にするな、身体は大丈夫か? こんなバカでかい百足くらい、ボク一人でどうにかなるさ」 「いえ、平気ですので」
顔の青褪め方からして本調子ではないが、クラフトの顔を立ててアリナは鼻を鳴らすとそのまま二人で百足へと向かう。 一方、ダイキと向かっているサマルトは両手で剣を振り回すが、標準を合わせられないのか、攻撃を避けるのは簡単だった。普段ならば冷静に敵を見て剣を捌くが、今の状況ではダイキですら余裕で避けられる。 とはいえ、下手に攻撃も出来ずに呼びかけることに専念するしかない。アリナに「なんとかする」と言ってしまった以上、ダイキは覚悟を決めた。船上でサマルトとは親しくなった仲だ、友達に近いものを感じているので助けたかった。
「起きろよ! アサギを捜しに行くためには、そんな状態じゃ無理なんだ」
サマルトとてダイキとて、同じ惑星の出身はいなかった。クラフトとアリナは、常に共に行動していて気が知れている。二人の会話に入り込めず、ダイキとサマルトは苦笑いをしたものだった。 クラフトは百足と対峙しつつ、サマルトの正気を失わせた相手を探していた。何処かにいる筈だ、直接脳に語りかけ、過去から自責の念を引きずり出す……そういった類のある種の呪いである。 真っ先に幼いダイキが精神攻撃に耐えられなさそうだが、ダイキはそこまで辛い思いをしていない。故に、捕らわれるものがなかったのだ。 地球の日本というほぼ安全な生活で暮らしていたダイキにとって、真の恐怖など判っていなかった。哀しかった事は、幼い頃買っていた犬が老死した事。そして、アサギが今回攫われた事。 アリナとて、クラフトとて。悔しい思いはしていても、心を挫かれるほどではない。ミシアは対象外である。 だが、サマルトは。サマルトだけが違っていた。壊滅状態のサマルトの惑星ハンニバル。地獄絵図は想像など出来ない、話を聴いても実際眼にしないと解らない。目の当たりにし、そこにいた人物こそ最も恐怖し絶望の淵に立たされる。そこからサマルトとムーンは勇者を探して逃亡してきた、犠牲も当然計り知れない。 そこを付け込まれたことは大体誰にでも予想は出来た、王子なら尚の事民が心配だろう。逃亡し、こうして生きている自分に重い枷を填めたくもなるだろう。 剣の攻防が繰り広げられる、必死で受け止めながら叫ぶように言葉を投げかけるダイキ。しかし声が届いていないのだろう、サマルトは無反応だった。 もし、この場にムーンが居たならば、いとも容易く戦闘は終了していたかもしれなかった。あの華奢な姫君は、見た目はともかく精神は非常に強固だとクラフトは思っている。サマルトよりも逞しく、ある意味目的の為ならば”非情に”もなれる程度の。 ムーンであったならば逆に魔力を跳ね返していたかもしれないというクラフトの推測は当たっている、道を完璧に描き突き進んでいるムーンとは違いサマルトは危うい。脆い道だった、彼は優し過ぎた。
「サマルト! しっかりしてくれ! サマルト! トビィに笑われるから、しっかり……」
懸命に叫んでいたダイキだが、不意にサマルトの鋭い突きにダイキが対応出来ず、その心臓を一突きにされた。油断していた。
「ダイキ!?」
クラフトの悲鳴に似た声が響き渡る、最後の百足を撃破しアリナが顔面蒼白で駆けつけた。 勇者の一人が、この場で掻き消えてしまっては! しかし、ダイキは平然としていた。狼狽しているアリナとクラフトに、唖然と瞳を投げかける。 確かに胸元の服には突き刺された剣の跡……穴が空いていた。だが、血液は噴き出していないし、痛みもなくダイキも首を傾げて立っている。驚いただけで、怪我はなさそうだった。 それは、クラフトの先程唱えた防御壁のおかげでもあり、そして。
「あ、あぁ、これ、か……」
死んだと思ったダイキは、確かに身体は衝撃を受けて痺れていたが胸元から手を入れて、何かを取り出す。手にとってダイキは安堵した、それをサマルトに見せて微笑する。
「御守り」
それは、サマルトが見てもクラフトが見ても、当然アリナが見ても解らなかった。地球製の品物で、鉄製の名刺入れである。 名刺を入れているわけではない、母親から貰った御守りが入っているのだが、それと同時に。
「よかった無事だった」
心底嬉しそうに思わず顔をほころばせる、大事そうに撫でながらそれを見つめる。御守りには穴が空いていたが、肌に近いほうに入れていたので”それ”は貫通を免れた。 一枚の写真だ。 昨年の運動会で共に同じ組の応援団であった、ダイキとアサギ二人の写真である。凛々しく立ち、大きく腕を振り上げたダイキと隣で可憐に片足を上げて笑顔でいるアサギ。 誰が撮ってくれたのか、感謝したいくらいだった。 校内の掲示板に張り出されて騒然となったことを覚えている、あまりのアサギの可憐さに注文が殺到したのだ。長く伸びた美しい足は、少女たちの憧れる人形のように完璧だった。 そんな勝利の女神の笑みを湛えたアサギとツーショットだったことに、天にも昇る勢いでダイキは感謝し直様購入したのだ。 それを持ち歩いていた、これが幸いした。 ダイキは苦笑いで写真を見せた、サマルトに、見せた。
「アサギの加護? なんて」
幸運としか言いようがない、まさに偶然だ。鉄製の名刺入れが思ったより頑丈な事にも驚いたが、神の加護が働いたと思えてしまう。 浮き足立って、ダイキは”サマルトに”見せたのだ。未だに正気の戻らないサマルトに。
「うああああああああああああっ!」
見せた途端にサマルトから悲鳴、そして木の上からも絶叫。 慌ててダイキは名刺入れを再び仕舞うと、何事かと剣を構える。クラフトとアリナが援護に駆けつけダイキの前に立ち塞がった、三人で息を飲む。 サマルトは剣を手から離し、ゆっくりと地面に崩れ落ちる。構えていた銀の杖を二、三度回しながら駆け寄ったクラフトは、慌てて抱き起こした。その腕のなかでぴくり、とも動かなくなる。 が、息はある。顔色も普通だ、呼吸も荒くはない。まるで、眠っているようだった。
「サマルト殿、しっかり!」
クラフトの揺さ振りと回復魔法に、サマルトは数分後何事もなかったように欠伸をして目を覚ました。
「あ、あれ?」
皆の前で、情けない声を出す。クラフトが脱力感で代わりに倒れこんだが、アリナはサマルトの無事を確認すると声の主を探し、木の上を何度も見直す。 サマルトもクラフトも無事だろう、背後では懸命にダイキが回復魔法を試みている。二人とも傷はない、ただ精神的にやられただけで安静にしていていれば治るだろう、それよりも何故サマルトが戻ってきたかだ。 ダイキはアサギの写真を見てたサマルトが、アサギに好感を抱いているから起きた現象であると錯覚した。というか、それで筋が通ると思った。 サマルトもアサギの事を余程好いているのだろう、と。自分も、アサギに励まされるからそれと同じだろう、と。 そうでは、ないのだが幼い勇者は、そう思いこんだ。
「おい、ミシア! 手当たり次第弓を射れ! 引き摺り下ろす。木の上に何かいるのは解っているだろっ」 「え……えぇ、そう、ね」
唖然と成り行きを見守っていたミシアは青筋立てながら弓を放った、怒りを込めて。失敗しているのだから仕方ない、容赦なく無数の矢を放つ。「死んでしまえ。なんて役立たず、サマルトも正気になった、百足とてすでに全滅した。なんて鈍く間抜けで低脳な愚図なの? ……死んで当然」 ミシアは、冷え切った目つきでくぐもった声を出す。一度たりとも失敗など許されない、能無しは死するが定めとばかり身勝手な結論に達した。自分の下した命を護れぬ配下など、不要。『アリナを殺せ』と言った筈だ、ところがピンピンしており今し方も事もあろうに命令してきた。 弓を握る手に力が籠もる、音を立てて砕けそうなほど強い力で握りしめると、鈍い音がする。 だが、もはや何かが潜んでいる気配すらその場にはない。掻き消えたように、声の主は出てこなかった。弓の宙を駆ける音だけが、妙に響き渡る。 注意しつつその場で当番制で仮眠もとったが、やはり仕掛けてこない。 非常に不愉快で、気がかりだが朝、五人はその場を立ち去る事にした。馬は二頭だ、交代で乗りながら進む。 笑みが消えたミシアは、最初に馬に乗せて貰えたので手綱を力強く握り締めながら唇を噛み続けていた。アリナは、生きている。無傷だ、目の前を歩いている。夢ではない、現実だった。アリナを見ると、どうにも腸が煮えくり返った。 あまり闇の気を放つとクラフトに警戒されるので、必死にミシアは押さえ込む。それすらももどかしく、やりきれない。 隣には、申し訳なさそうに落ち込んでいるサマルトと、それを励ましているダイキがいる。 五人は、ようやく街に戻ると船の手配をしつつ空いた時間で再度街を調査する。シポラへ行った者のその後を誰も知らないので、これ以上ここでは詮索も出来ない。 ジェノヴァへの帰路は、皆ほぼ無言であった。上手く行けば、ライアン組が武器を授かり戻ってきている予定であり。 合流に、願いを。慣れた船旅にダイキは潮風に吹かれながら、願いを懸けた。
『どうか、皆が早く出会えますように。無事でありますように』
そしてそれは、あの日の事。 木の上で絶叫した人物は、確かにまだ、そこに居たのだ。五人が立ち去る時も、そこにいた。 死体だったが。 サマルトの精神を破壊し、操っていた魔術師だった。精神崩壊に携わる研究を突き詰めて、人間達の魔術師協会から破門された異端児だった。顔中に幾重にも包帯を巻き、人目を阻んで生きてきた魔術師。 決して自分の呪いは解かれることはないと思っていた、だが。
「……お強い”気”、ですね」
空中に浮遊し、手下の成れの果てを見ていたタイは静かにそう漏らすとその死体をそのままに捨て去る。やがてカラスや空の魔物が餌として、死体を貪るだろう。素晴らしき、生命の巡りだ。
「やれやれ……この場に居ないのに」
タイは喉の奥で愉快そうに笑うと、マントを翻し宙を舞ってシポラへと戻っていく。
「破壊の姫君様は、優秀であられる。まぁ、造作もないことでしょうが」
嬉しそうに、呟いた。胸を躍らせて、頬を紅く染めて湧き上がる興奮を抑えることなく。 タイには解っていた、何が原因でこうなったのかを。
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