気が抜けた声を出したミシア、真剣に見つめてくる二人の視線に少したじろいだが、気分は悪くなかった。相当の美形だ、見つめられて損はない、寧ろ快感である。 流石に突拍子も無い突然の告白に動揺を隠せず、ミシアは掛け軸を見続けていた。タイとアイの眼差しを受けつつ、冷静さを装う。予想外だった、確かにジェノヴァで破壊の姫君の話は聞いたが。ミシアは急速に乾いた口内を潤すように、ワインを呑み続ける。
「信じられぬのも当たり前、ですが、正真正銘貴女様は破壊の姫君。絶世の美女、底知れぬ魔力、恐れを知らぬ気高き心、動じない冷静さ……何より」
タイは掛け軸に移動し、隣に飾ってあった紙切れを丁寧に外すと、それをミシアへと運ぶ。
「見覚えのある字、ではありませんか?」 「……これ!」
それを視界に入れた途端勢いよく椅子から立ち上がったミシアは、震える手で紙切れを掴み、瞳を走らせる。 母の字体だ。 読み書きを教えてもらったのだから、見間違える筈がない。幼い頃から馴染んでいた字だ。紙が音を立てるほど震えている手で、視界もままならないが、唇を動かし必死にそれを読み続ける。
「な、なんなの、こ、これ」
自分が破壊の姫君だと告げられた時よりも、動揺した。
「貴女様のお母様である、シャルマ・ドライ・レイジ様。教団の幹部でした、ですがある日を境に姿を眩ませましてね」
幹部という言葉に引き攣った表情を浮かべたミシア、そっとアイが肩を抱きながら椅子に座らせ、背を撫でる。落ち着かせようとしてくれているのだろう、その心遣いはミシアにも解った。瞳を閉じ、優しく擦っているその横顔は親身になってミシアを思いやっている様だ。演技ではないように思える、多少の疑心はあるが、応じるようにミシアは安堵の溜息を小さく漏らすと、呼吸を整える為に大きく息を吸った。
「破壊の姫君。……貴女様が降臨し、皆で丁重に御守りし育てるつもりだったのですが。シャルマの裏切り行為で偽者の女児がここに置かれ、本物である貴女様が連れ出されてしまったのです。魔力が高く、幻影に長けた女でして、私達ですらその術を見破り、シャルマを追うことに現在の月日を要しました」
テーブルに肘を置き、顔を覆い隠しながらタイは辛そうに曇った声を出す。大げさにも見えるが落胆している様子は、傍目でも解る。
「一人でこの世界を掌握したいという欲望に取り付かれたシャルマは、懸命に我らの追っ手から逃れていたのです。シャルマと貴女様の共通点は、その肌に、瞳と髪の色。自分の本当の子供であるマダーニの妹として、貴女様を育てていたようですね」 「なん……ですって!?」
弾かれたように紙を握り潰す、乾いた音が部屋に響く。再びアイが宥め始め、その震える肩を抱いた。
「貴女様は誰のお子でもありません、存在自体が神秘なのです。伝説を待ち侘びる我らの前に、あの晩流星と共に地上に降り立ったのですよ。鏡を見れば解りましょう、唯一無二のその美貌、この世のものでは御座いません。そして強力な魅力の香りは、異性を虜にします。それこそ破壊の姫君、全てを屈服させる最大の魔力」
ミシアは、言葉を失った。眩暈がしたが、妙に視界は鮮明で、掛け軸を見つめて息を大きく飲み込む。嘘ではないか、とも思ったがアイもタイも真剣そのものだ。そもそも、嘘をつく必要など何処にもないだろう。 いつしか、疑惑は消えていた。
「シャルマに制裁を加え、貴女様を取り戻す予定が勇者と合流してしまわれ、なかなかお迎えに上がれず。貴女様の存在は、勇者よりも明確で、魔王よりも絶大なのです。我ら二人は魔族ですが、今の魔族に未来などありません、魔王に従っても滅び行く定めです。正統なる惑星クレオの指導者にして救世主、破壊の姫君ミシア様に我らはお仕え致します」 「勇者と魔王、双方どちらが勝とうとも、最終的に戦乱の世は終わりを告げないのですよ。何故ならば正統な指導者が、魔王でも勇者でもないからです。ミシア様こそが全てを支配すべき者なのですから」
二人がミシアに詰め寄り、そっと身体を抱き寄せながら耳元で囁く。似た声の、音域が違う魔族達の声に鳥肌がたった。それは、嫌な鳥肌ではない、むしろ快楽だ。 ミシアは焦点の定まらない瞳で、口元に知らず笑みを浮かべながら、心にもないことを呟いた。 いや、この時はまだ”あった”のかもしれない。
「……少し、考える時間を頂戴」 「考える事などありませぬ」
アイがそっとミシアの髪に口付けた。タイが頬に触れて自分の唇を、ミシアの唇へ近づける。触れるか触れないか、そんな距離感だ。
「類稀なる美貌、既に我ら二人も虜に御座います。……お会いしとう御座いました、ミシア様。我らの愛しの姫君」 「ここに、絶対の忠誠を」
二人は丁重にミシアを立たせると、両側に立ち部屋の玉座へと誘わせた。そこに座らせて傍らに控えると、手を二回叩き叫ぶ。
「皆! 姫君様のご帰還であるぞ!」
言うなり、正面のドアが開き人がそこから溢れ出す。口々に「ミシア様、万歳!」と連呼しつつ、我先にとミシアの足元まで駆け寄り涙を流しながら平伏した。誰も彼も、男ばかりだ。 瞬時に部屋は、溢れんばかりの男で埋め尽くされた。面食らって最初は度肝を抜かれたのだが、冷静になり見渡せば、ミシア好みな美形が多いことに気がつく。年齢も若い男が多い、口角が徐々に上がってしまう、たるんだ口元から歓喜の悲鳴が出そうだった。
「ミシア様、どうか、どうかその美が集結した麗しのつま先に口付けすることをお許し下さい……」 「私にも、私にも!」
手が伸びる。 ミシアの足首を一人の男が優しく、恭しく、宝玉でも持つように緊張した面持ちで触れれば、そっとつま先に口付けた。それを機に、次々と口付けを懇願する男達にミシアは笑いが込み上げ、爆発する。
「あは……あは、あははははははははは!」
部屋中に下卑た笑い声が響き渡った、発狂したかのように血走った瞳で喉が嗄れる程大声を出している。自然と出てしまう、止められない。 思わず拳を握り締め、心の奥底に秘めていた願望そのものの光景を、歓喜の笑みで見下ろしている。すでに、瞳に光などなかった。あるのは色欲に犯された、ドス黒い闇だ。 そっと、タイが左耳に囁く。
「どうか、応えて下さい。皆、待ち侘びていたのです」
そっと、アイが右耳に囁く。
「破壊の姫君、ミシア様。我ら貴女様の虜、なんなりとお申し付け下さい。貴方様に指示を出され、それに従うことが快感であり至福の喜びなのです」
爪先に口付けしてくる男の顔を、ミシアは蹴り上げてみた。するとどうだろう、喜びに打ち震えているのか涙を流しながらミシアに土下座をしているのだ。 静かに、タイが耳打ちする。
「ミシア様に、他の者と違うことをしていただければ、あぁして歓喜に打ち震えます。特別扱いされたのですから」
面白くて、ミシアは笑いながら立ち上がると男達の顔を一人一人見つめながら、自分好みな男を物色する。こんな状況、何人の女が体験できるだろう。選ばれた人間にしか与えられない特権だ。 ミシアは緩んでしまう口元をそのままに、男を物色する。一人際立った好みの顔立ちを見つけた、瞳を交差させると微笑し、手招きで呼びつける。 赤面しながら近寄ってきた男の頬を平手打ちし、胸に引き寄せると頭を撫でる。周囲から羨望の溜息が零れた、当の本人は呼吸が止まりそうなほど緊張しているようだ。
「ミシア様、ミシア様」
皆、うわ言のように名を呼ぶ、ミシアはそれを聞きながら優越感に浸り次々に男達を視姦した。高ぶる感情は上限を知らない、手に汗をかきながら狂気の笑みで静かにミシアは唇を開く。
「タイ、アイ」 「はい」
足元の男の頭を踏みつけながら、笑う。すでに、この状況に馴染んでしまっていた。疑惑など微塵も無い、自分は全てを凌駕した存在なのだと思い込んだ。戻るべき場所に、戻ってきた。ここから連れ出した”母と思い込んでいた女”を憎み始めた。
「ただいま」 「……お帰りなさいませ、ミシア様」
男達に囲まれたミシアは、気に入った男の唇を奪う。すると、その男はあまりの感激に身をうち震わせて失神するのだった。面白くて、何人もの男と口付けを交わす。
「タイ、アイ」 「はい」 「手始めに何をすれば良いのかしら」 「ミシア様のお好きなように、ご自由に」 「そう。では、質問を」
会話しつつも男達を周囲にはべらす、まるで飼い犬の様に従順なその様子に満足そうに頷く。股間を脚で擦り、腕を首に回して引き寄せて、荒い呼吸で首筋に噛み付いた。
「……どうぞ、なんなりと」
当然とばかりに、タイとアイは会釈して言葉を待つ。遠くを見つめて、聖母のような笑みを浮かべたミシアは。
「世界は私が統治するのね」
声高らかに宣言する、迷いはなかった。
「えぇ、今の勢力全てを抹消してください。ですから”破壊の姫君”なのです、その後で麗しの楽園を御創りになってください。思うままに」 「私は神秘の存在、父も母もいないのよね」 「えぇ。神、ですから。神は誰からも産まれません」 「私が家族だと思っていた母と姉は、他人なのね」
口にした言葉は、姉であった筈のマダーニとの決別である。悲哀も何も無い、愛情も無い。二人して勇者を捜しに旅立った筈だが、記憶が薄れてきた。 話を聞いて解った真実は”マダーニは姉ではなかった”ということだ。ただの他人だ。尊敬していた母も、自分からこの環境を奪った忌まわしい女へと変わった。母を殺めた人物への復讐は、何処へ行ったのだろう。寧ろ、母に復讐がしたい勢いになっている。 自分はそこらの女達とは違うとは思っていた、そうであって欲しいと願っていた。その願望がこうして叶えられたのだ、会って間もない魔族の言うことを鵜呑みにするのは浅はかだと、警戒せねばと勘ぐる心など経ちどころに消えた。 欲望に忠実だ、目の前に美味しいものがあればすぐに飛びついてしまう。
「他人どころか、敵に御座います。ミシア様を無謀にも利用しようとしていたのですから。身の程知らずにも程があります」
そして二人の魔族は望む言葉をくれる、ミシアにとって至高だ。
「世界を統治すべく、まず邪魔な魔王と勇者をぶつけようと思うのだけれど」 「素晴らしい考えです、賛成です」
タイとアイは見事だと拍手喝采する、男達もうっとりと溜息を吐き、凛と言い放つ風貌に酔っている様子だ。ますます気分を良くしたミシアは、どっかりとソファに腰掛け直し、脚の組み方を変えた。細長い美脚を見せびらかすように、ゆっくりと動く。脚先の男達を値踏みすることを忘れない。
「一応私、勇者一同だから戻らねばならないわ。敵を探るにも都合が良いし……またここへ戻るけれどね」 「断腸の思いで、再び別れを迎えねばならないと、覚悟しておりましたから。ミシア様のお好きなように」
男達から悲痛な声が漏れたが、ミシアは宥めるように微笑む。
「機会があれば、手当たり次第殺しても良いのよね? 勇者も」
勇者も、という単語にはアサギ、という意味が込められていた。別に男の勇者達は殺さなくても良い、寧ろ自分に引き寄せたい。邪魔なのはアサギだった、トビィと親しくしているアサギが目障りだ。ユキはどうにでもなるだろうと思っている、眼中にないのだ。 タイとアイは、注意して見ていなければ分からぬ程一瞬だけ、作り物の端正な笑みを消したが、すぐに笑みを浮かべる。
「えぇ、構いません。貴女様ならそれが可能に御座います」
返答に満足したミシアは、そのことに気づいていなかった。眼下の男達を見ているのだから、そもそも僅かな表情の変化になど気づかない。
「とりあえず、数日はここに滞在したいわ。折角戻ってきたのだもの、ダイキとクラフトをなんとか足止めなさい」 「承知いたしました。すでに対策済みでございます、皆もミシア様と共に居たい一心ですし。命はどうします? そのまま殺しますか?」 「あの二人、特にダイキは成長すれば美形で従順な僕になるわ。殺さないで。けれど、数日後にここへ来るアリナ、という女は目障りだから抹殺して構わないの」
抑揚のない声でそう告げる、フフフ、と低く笑い、うっとりと瞳を閉じた。
「承知いたしました、アリナ、ですね」 「そうよ、醜いからすぐに判るわ」
海上での失態をここで終わらせる、やはり自分は最後に勝つのだと確信する。ミシアの瞳が妖しく光り輝いた、闇に堕ちた不気味な重低音の声に本来ならば誰しも怯えそうだが、奇妙な事に誰も気にも留めない。 赤ワインを口に含み、艶と赤を染み込ませた唇からとんでもない言葉が次々と飛び出す。
「アサギとマダーニとアリナは、極刑ね。惨たらしい殺し方しなくてはね、うふふっ。考えておかないと、なんて楽しいのかしら! トモハルはイイ男になるわよ、絶対。トビィも私を待っていてくれるのよね、早く会いたい。彼に相応しい部屋も用意したいし」
妄想を口に出しながら、恍惚の笑みを浮かべているミシアに一瞬だけ眉をヒクつかせ、タイは丁重に声をかける。機嫌を損ねては危険だと判断したが、いつまでも脳内世界に留まられていても困る。
「……本日はこちらで宴会を開きましょう、何なりと言いつけてください」 「まぁ、素敵! ところでタイ、アイ。寝所はあるのかしら」 「えぇ、奥に御座います。姫君の寝所に御座います、拝見くださいませ」 「ふふ、良いわ、良いわ! 疲れたから少し横になりたいの……でも、何か食べたいわね、食事は用意できるの?」 「承知いたしました、すぐに。各国の一流料理人を取り揃えておりますゆえ、堪能してください」
二人は直様立ち上がり、一礼して部屋を去る。軽く手を振ってミシアは見送ると、控えている大勢の中から選りすぐりの男達を数人引き連れて、教えられた奥の寝所へと向かう。 感嘆の溜息をこぼした、ミシア好みに金の装飾が施されたある意味”悪趣味”な部屋がある。中央の大きな寝台に目を輝かせ、子供の様に駆け寄ると、手触りを確認する。「なんて柔らかな布! 小汚くて狭い馬車ではなく、私の居場所はやはりここよね」声高らかに叫ぶ。 早速ベッドに駆け上った、赤ワインを衣服に零すと、数人の連れてきた男達に手招きをする。
「ワインが零れてしまったわ、綺麗になさい」
ゆっくりと横になり、爆笑しながら近寄ってきた男達に舌でワインを嘗めさせる。一心不乱に言うがままになる男達を見下しながら、歓喜の叫び声を発していた。可笑しくて可笑しくて、堪らない。 自分が秀でた美女だとは思っていたが、まさかここまでの魅力があろうとは。打ち震えるしかなかった。
「破壊の、姫君」
なんて甘美な響きだろう。勇者のアサギをふと、思い出して爆笑する。 魔王を倒す、勇者が居る。けれど、自分はその魔王と勇者より上の存在だと知ったミシア。眩い光の勇者が、急に霧によって覆われていく。 母も、もはや関係ない。目的が、音もなく消え失せてしまった。思い出せなかった、数ヶ月前誓った事が。母親の敵を探さねば、父親を救い出さねば……姉と誓ったその事が消え失せる。姉は、他人だったのだから全ての目的など、忘れてしまえて当然か。
「平伏しなさい、えぇ、私は」
憂いを秘めた瞳で天井に両手を掲げるとトビィを思い出し、微笑む。類稀なる美貌の所持者、ミシアとトビィ。なんと似合いの恋人同士だろうか、うっとりと瞳を閉じるとミシアはその名を呼び続ける。
「アサギなんて、メじゃないわ。だって、私は」
最強にして、最大の姫君、世界の統治者。小さく唇を動かし、心の底から笑い続けた。勇者など、存在しないのではないだろうかと思えてくる。勇者などより、上の存在がここに実在しているのだから。 あれは、勇者ではない、自分を引き立てる名脇役なのだ。 自分の身体の上に蔓延る男達の頬を撫でつつ、唇に口付けしつつ、ミシアは高笑いを続けている。面白くて、仕方がない。実現するのだ、夢の生活が。 いつの頃からか抱いていた願望、口には出来なかったそれは、願い続けて現実となった。
「出来るのよね、私だからこそ。女は奴隷にして、馬で引き摺って遊ぼうか、湯だった釜に飛び込んで貰おうか、魔物の中に投げ込んでも面白そう!」
アサギとアリナとマダーニと、三人をそんな処刑めいた遊びに放り込んでみたら……楽しそうだと低く喉の奥で笑う。 思えば、マダーニは。「姉ではないのではないかと薄々気づいていたわ」そう言い唇を噛み締める。何処へ行っても誉められるのはマダーニで、自分も確かに誉められたかもしれないが、落差がありすぎたのだ。 その屈辱を思い出した。 明るく、誰にでも好かれていたマダーニゆえに、皆親しんでいたのかもしれない。何処となく、ミシアに接する皆の態度は余所余所しかった。それを子供ながらに痛感していた、あの頃から、マダーニに嫉妬していたのかもしれない。 と思い、首を横に振る。
「違うわ、私。それは愚者の思考よ」
皆、肌で敬意を払うべき相手だと直感し、気軽に触れたくとも触れられない高貴な存在だと確信していたから……と、解釈した。
「嫉妬なんて、見苦しいわよ私。値しないのだから」
上半身を起き上がらせる、ワインで濡れ、肌に密着した衣服を脱ぎ捨て男達に妖艶な笑みを浮かべる。両手を差し出しゆっくりとそのまま倒れこんで、横に軽く転がれば。瞳を閉じ、小さく欠伸をする。気怠い身体を柔らかな寝台に沈めていく。 今日、世界が変わった。明日、何が起こるだろう。 ミシアは自分を囲んでいる男達の視線を浴びながら、心地良さそうに仰向けになると口を半開きにする。舌を軽く出して、艶かしく身体に指を滑らせる。
「触りたければ、触っても良いのよ」
姫君はね、寛大なの。小さくミシアは呟いた、呟いてから、爆笑した。
その頃、アイとタイはしかめっ面で別の部屋に移動していた。料理人に指示を出し、疲労感たっぷりの表情で互いに床に倒れこんでいる。脱力感しかない。
「……アイ」 「……タイ」
名前を呼び合うと、急に起き上がり互いを抱き締めて身体を震わす。破壊の姫君に出逢えた歓喜の喜び……では、ない。
「あの女、嫌いー!」 「落ち着け、アイ。仕方ないだろう、我慢しろ」
アイの絶叫、半泣きでタイに持たれかかると吐き気が込み上げ苦しそうに嘔吐する。青ざめながらその背中を撫で、タイは深い溜息を吐いた。
「気持ち悪いよー、死んじゃうよー、みんなあの淫乱メス豚に喰われるよー。愛するタイが一番狙われてるよー!」 「落ち着けアイ、アイ兄。私は平気だ、可哀想だが他の者に相手になってもらおう」 「さっき股間触られたよー! 気持ち悪いよー!」 「……変態の極みだ、ある意味破壊的だな」
先程のミシアへの紳士的な接し方は何処へやら、やたらと少年の様に駄々をこねるアイと、必死にそれを慰めるタイ。えぐえぐと泣き続けるアイの瞳に浮かんだ涙を指で掬うと、タイは軽くアイの唇に自身の唇を重ねた。 頭を軽く撫でる、優しく抱き締めてアイを落ち着かせようとする一方で、自分も癒されている。 この魔族の双子は、互いに愛し合っていた。無論、心も身体もだ。
「”本物の”姫君が到着されるまで、偽者には破壊の限りを尽くしてもらわないと。……極力早くここから追い出そう。それまで、頑張れるな、アイ兄。最小限の被害に抑えるためにやるしかない」 「う、うん、頑張るよ……。居心地良すぎて、居ついてもらったら困るし。あの二人はどうする?」
落ち着いたアイは小首傾げて、可愛らしく甘えた声を出す。タイの首に腕を回し、涙を浮かべた瞳で上目使いをした。意図的だ。非常に可愛らしいその姿に、タイとて慣れてはいるが喉を鳴らすと再び唇を塞ぐ。 暫し、秘め事。 先程の悪夢を忘れるように、二人は互いを貪りあった。ミシアに触れられ汚れてしまった身体を互いに舐め、清める。顔を赤く染めてタイに馬乗りになると、自ら腰を振り恍惚の笑みを浮かべる。 ただ身体を支えているだけのタイは、快楽に息を漏らしつつ、ようやく会話の続きを始めた。
「あぁ、あの侵入者の二人……あの偽者が出て行くまでは、何処かに閉じ込めておくべきだ」 「ん、くふぅん……! 面倒だからタイに任せる、ちょっと……休ませて」 「あぁ。こちらは任せてアイ兄は休むと良い。偽者には、兄は感極まって熱が出たとでも言っておこう」
二人して絶頂を迎えた、前に倒れてきたアイを抱きとめ暫し抱き合う。呼吸を整えていると、その上でアイは寝息を立て始めた。精神的疲労が大きいが、肉体的披露も手伝い眠ってしまったのだろう。タイは静かに寝台にアイを寝かせると、その頬に口付けし、撫でる。 満足そうに微笑むアイを見て安堵の笑みを浮かべ、立ち上がると重たい足を引きずった。
「殺さずに生かしたまま帰す……か。非常に苦手な仕事だ」
小声で漏らし早足で建物内を進む、最北端の建物へと到着し、壁にかけてあったフードを被る。
その頃施設内に侵入した二人、勇者ダイキとクラフトは眉を顰めていた。
「クラフト、そろそろ戻ろう。遠くへ来過ぎた気がする」 「えぇ。壁に私が印をつけましたからそれを辿れば」 「流石!」
二人は先程から念入りにこの建物内部を調べていたのだが、何処にも不可解な点はなかった。清潔感溢れる場所で、快適そうだった。稀に人と擦れ違っても、会釈だけで言葉は交わしていないが穏やかに微笑む人ばかりであった。ドアがあればノックし侵入してみたが、休憩室であったり食物庫であったり特に問題はない。 貴族の建物で、使用人達が働いている……そんな印象しかない。 二人と擦れ違っても誰も気にも留めないことから、余程の人数が居るのではないかと推測出来たがそれだけだった。働いている人物の顔など、覚えていないのだろう。
「あ、そこ二人」 「うぇ」
戻ろうとした拍子に、声をかけられる。 硬直しているダイキの前にクラフトが進み出ると穏やかに微笑み、その男を見据えた。質素な衣服の男、威厳もないのでただの小間使いだろう。問題はないとクラフトは判断した。後方で脅えているダイキをあやすように、男に分からぬよう背に回した手を、静かに上下させる。今、下手に騒いだほうが危ない。
「すまないが、草の間へ出向き、小麦粉を二袋、厨房へと運んでくれないか? 人手不足だそうだ」
「承知しました」
すんなりと返答したクラフトに、ダイキが慌てふためいたがそれを片手で制する。男が立ち去った後、すぐにダイキはクラフトに詰め寄ったが軽く窘められた。
「長居は無用です、適当に相槌打てば良いのですよ」 「でも」 「そもそも草の間なんて知りませんし。厨房は先程の場所かもしれませんが。ミシア殿が気がかりです、戻りましょう」 「う、うん」
来た道を戻るという事は、先程の男の後ろを歩くという事だ。二人は距離を取り、来た道を息を潜めて戻り始めた。振り返られると困る、草の間の位置が逆だと弁解できない。 そこへ背から声がかかったので、飛び上がる勢いで振り向いたダイキ。困った様子の男が立っている。
「すまない、木の間へ出向いてくれないだろうか。人手不足なんだ」 「わ、解りました」
どれだけこの場所は人手不足なんだ、とクラフトは引き攣った笑みを浮かべる。狼狽しながら返答したダイキに、嬉しそうに男は頷くと二人の腕を掴んだ。流石にこの行動には、クラフトも慌てふためくしかない。 半乱狂の二人を尻目に、男は反対方向へと歩き出した。引きずられる二人。
「助かるよー、一緒に荷物を運んで欲しくて」 「は、はぁ」
クラフトは舌打ちし、逸る気持ちを抑え直様廊下を見渡し特長のある装飾を探した。人が居ては壁に印をつけて歩くことが出来ない、見取り図を脳内に書き込み続けるしかない。 複雑すぎる道で男は二人を引きずりまわした、同じ場所を何度か歩き回っている気もしてきた。
「木の間、ここまで遠くでしたか?」
冷ややかな声でクラフトが告げる、男は青褪めた顔で向き直ると苦笑いしている。
「ま、迷子になってしまった」 「えー……!」
バツの悪そうな顔をしてそう言う男に、すっとんきょうな声を上げたダイキと、頭を抱えて座り込んだクラフト。この場所へ来て数日だというこの男は、まだ道を把握できていないとのことだ。広大な施設だということは、肝に銘じた。 立ち止まっていても仕方がないので三人は歩き出した、人っ子一人会わないのが異常な気もする。時間が惜しい、好機だと判断しこの場所についてクラフトは探りを入れる事にした。ダイキに目配せし、咳をする。 ダイキは小さく首を振って頷くと、口元に指を押し付ける。クラフトからの視線は、おそらく『私に任せてください』という意味合いだろうと判断したのだ。自分は喋らない、と意志を伝えると満足そうにクラフトが頷く。
「困った時はお互い様ということで。私達も先日入ったばかりですからね、全く把握出来ていませんし。誰かが通りかかったら訊くことにしましょう」 「はは、そう言って貰えると助かるよ。昔から土地勘がなくてね、道案内も苦手だった。ところで、二人はどちらから?」
入って日が浅いのか、警戒していないのか、本来気さくな人物なのか、流暢に話し出す男にクラフトは唇を舌で舐めて湿らせた。勘ぐられない程度に聞き出す、失敗しないように身を引き締める。
「……私達はジェノヴァから来ました」 「おぉ、向こうの大陸からか! 大変だったろうに。教祖様に惹かれて?」 「……えぇ、共感しましたので」 「お近くに居られるだけで安心できる。姫君様は、どれ程の安らぎを与えてくださるのだろうか。早くお会いしたいものだ」 「……ですね」
思った以上に口数の多いこの男に胸を撫で下ろす、廊下に目をやり目印を探すことも忘れず語り続ける。
「しかし、皆は何処へいったのでしょうか。早く木の間へ行きたいものです」 「皆、木の間にいるのかもしれない。もしくはもう”お見えになられていて”そちらかも」 「どなたかいらっしゃるのですか?」
思わず口にしたが、眉を潜めた。今の質問は失敗だったかもしれない、と焦る。 皆で出迎えせねばならないほどの大物が来たのだろうか、そもそも施設の客人とは何者なのか……気になって言葉が飛び出てしまった。 「皆持て成しの準備で慌しく動いているだろうからな、そもそも木の間に行く用事だって……って、二人共朝礼出ていただろ? 何故知らない」
不思議そうに振り返った男に、ダイキは身体を硬直させ立ち止まったが、それでは不審過ぎる。 さり気無くクラフトはダイキの前に進み出て、愛想笑いを浮かべつつ、男の背中を押して先を促した。
「眠くて半分聞いていなかったのです、……秘密にしておいてください」 「不謹慎だな、朝礼は魂の洗濯が出来るのに。心を入れ替えろよ」 「えぇ、申し訳ない。こちらへ来てから感情が高ぶり眠れなかったので、つい」 「あーそれは解る気がする」
クラフトの真っ赤な嘘に感心し、ダイキは必死に冷静になろうと胸の前で拳を握る。このままではいつかバレやしないかと焦って、心臓は先程からフル活動をしていた。心音が人に聞こえそうだった。 三人はようやく木の間に到着した、小腹が空いたがパンとコーヒーを配布していたのでそれを頂く。願ったり叶ったりだが、ますます何が目的なのか解らない。 仕事はここにシーツを敷く、ということらしい。数十人居るその広間で、二人は混じって作業を開始した。働くふりをして、密やかにクラフトがダイキに耳打ちをする。
「ミシア殿が心配です、隙を見て逃げ出しますよ」 「はい」
目立たぬよう、部屋の隅にいた二人は徐々に入口へと向かう。ところが、上手くはいかなかった。
「さぁ! 祈りを捧げよう。今宵は客人が来ていらっしゃるので、教祖様の有り難い言葉はないが」
一斉に跪く皆、別行動は危険だったので二人は渋々真似て跪く。 暫くするとドアから数人が入ってきて同じ様に跪いた、これはとても出て行ける状態ではない。不可解な言葉を皆で大合唱し始めた、怪しい宗教団体そのものだとダイキは心底脅える。魔物より、ある意味恐ろしい人間の大合唱だ。行き過ぎた信仰は、悲劇しか生まない気がする。 どのくらい祈りを捧げていたのか、唱える言葉も分からず適当に口パクでごまかしていた二人は全身から汗を吹き出していた。額を、背筋を伝うねっとりとした汗が気持ちが悪い、生きた心地がしない。言葉が止まり、肩の力を抜いた瞬間に、追い打ちがかけられた。
「さぁ! 就寝だ。皆、明日への活力を蓄えよう」
誰かが言うなり、その場にごろ寝を始める一同、ダイキは青褪めてクラフトを見る。困惑気味ではあったが、クラフトも静かに横になるとダイキに手で『寝て』と指示する。唇を動かし、目でも訴えた。ゆっくりと動く唇を見つめ、ダイキは言葉を読み取る。
『皆が寝たら、出歩きましょう』
言葉を読み取ると二回首を縦に振り、ダイキも唇を『解った』と、動かした。 室内の至るところに灯されたランタンがあったが、徐々に消えていく。それでも、数個はついたままだったので、辛うじてドアの位置は把握できた。二人は周囲に混じり寝たフリをした、四方から寝息が聞こえ始めた頃、先にクラフトが起き上がり静かにドアへと向かう。誰も起き上がらない、気にも留めない。熟睡しているようだ、万が一起きたら排泄を訴えることにする。 ダイキも同じ様に起き上がると、ドアへと向かう。身体がギリギリ通れる幅を開き、部屋を出た。どうにか見つからずに済んだようで、二人して大きな溜息を吐く、ようやく額の汗を拭う。現在夜の為、廊下は所々に設置されている窓から入り込む月明かりを頼りに進むしかない。 複雑な順路でここまで来たので、道が不安だが意を決して進むしかなかった。眠くなる時間だが、生憎こんな状況では寝たくとも寝られない。ダイキは疲労感のある身体を疎ましく思った、眠くはないが何も考えず横になりたいと思った。先程は緊張感が先走って、休息などとれやしなかった。
「ミシア殿はどうしているでしょう、侵入者捕獲、といった情報は流れていないので無事だとは思いますが」
クラフトが囁く、ダイキは眉をしかめて唇を噛むしかなかった。 アリナ達との合流もあるので、早々にここを出るべきだったと後悔する。
「ごめん、俺が先へ進もうと言ったから」 「謝ることでもありません、ダイキのせいではありませんよ、得た情報もあります。無事に脱出出来れば良いではないですか」
申し訳なさそうに謝罪したダイキに、思いの外クラフトは明るく返答した。空元気ではない、まだ絶望に追い込まれていないのだからこれを好機と捉えた方が良いに決まっていた。 二人は物置を見つけた、少し埃臭いが仮眠を取ることにし、片隅の毛布に包まって交代で眠る。ダイキはなかなか寝付けなかったが、それでも毛布に包まればようやく眠気は襲ってきた。 床に蹲って眠ったため、身体の痛みで目が覚める。起きたダイキに手を差し伸べ微笑みかけると、再び気を引き締める。廊下の様子を伺いつつ、そっと廊下に出て歩き回った。外の明るさから判断して、まだ夜明け前だ。 しかしどれだけ歩こうとも、どうしても見覚えのある場所に出ない。朝が来て、また信者達に遭遇したが誰も不審がらなかった。それどころか一室に連れて行かれ、朝食を一緒に食べた、完全に仲間だと思われている。 懸命に掻い潜って順路に戻ろうとするが、無碍に信者達の誘いを断れない。引きつった笑みを浮かべて応対するしかなかった。 三度目の夜が来る、ようやくクラフトが自分がつけた目印を発見し、これ以上足止めされては堪らないと走り出した。 間違えていなければ、ミシアと別れた場所はすぐそこだった。気も焦る。
「ミシア殿!」
ようやく辿り着いた場所で名を呼ぶ、そこにミシアの姿はない。静まり返っている部屋は、虚しく静まり返っている。 ドッと全身から汗が噴き出す、三日もここに居られるわけがないだろう。捜すべきか、それとも敷地から出て待機していると踏んで、自分達も出るべきか。 狼狽するクラフトだが、ダイキが微かに声を聞き取っていた。
「クラフトさ……ん? ダイキ……?」
足元から不意に声が聴こえた、飛び上がる勢いで眼下に視線を移せば床が音を立てて浮いた。そこからミシアが顔を出したので、唖然と見ていた。
「収納庫、ですわ。偶然見つけましたの」
疲れきったようにそこから這い上がるミシア、ダイキが手を差し伸べれば他にも人が居た。最初に服を交換した二人である、三人で隠れていたのだ。
「幸い、食料はここにあったので、時折隙を見て色々食べさせて貰っていました。……この人達は何も口にしていないのですけれど」 「無事でよかった! 話は後だ、早く出よう」
ダイキはミシアの手を取り、クラフトを急かす。微笑したミシアに、安堵して泣きそうになるダイキ。 物言いたげにクラフトは口を開きかけたが、無言で床の収納庫から二人を引き上げる。連れて行くことにした、残しておいても面倒だろう。五人はすんなりと地下を通り、敷地から出る。 出たところで二人の猿轡を取り払い、くすねてきた食料と水を与えた。シポラから離れた森で、二人の体調を整えるべくミシアとクラフトが治療にあたる。信者二人は大人しく、空腹を満たしても逃げようとはしていない。 どうやら混乱しているらしい、飲まず食わずでいたこともあり瞳は虚ろだ。申し訳ないことをした、とクラフトが謝罪する。 アリナ達の到着を待ち、街道に近い場所に移動すると五人は野宿を始めた。一応信者二人は木に繋いであるのだが、喚こうともしない。
「収穫はありましたか」
ミシアが焚き火を起しながらそう問えば、クラフトが静かに口を開いた。
「いえ。帰るのが精一杯でした」 「そうですか、こちらも特には」 「ご無事で何よりです、心配していました」
言いながらも、疑問は多く残る。茶を啜りながらクラフトはミシアの横顔を、険しく見つめた。三日間もミシアはあの場所に潜んでいたというが、それにしてはミシア自身が異常に綺麗だ。まるで入浴でもしたかのように、身体から花の香りがしたのである。排便の問題とてある、どう切り抜けたのか。 聞き出すべきか、否か。クラフトは迷った。そんな視線に気づいているのかいないのか、ミシアは穏やかにダイキと談笑していた。
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