風が吹く。ムーンの髪を揺らし花弁を舞わせながら、香りを届けながら。 うっすらと瞳を開いたムーンは、多少戸惑いがちにブジャタを見たが、直ぐに笑みを零した。
「吹っ切れましたかな、亡国の姫君」 「えぇ……。釈然としませんが、でも。確かに神が与えて下さった命の重みは、同等ですよね。神によって、魔族や魔物も創られた存在であるということ、忘れていました。絶対悪であると……決めつける前に自身で見極めようと思います。ご迷惑をおかけしました、ブジャタさん、ケンイチ」
柔らかくケンイチを見つめてから深くお辞儀をしたムーンに、ほっほっほ、とブジャタが高く笑う。満足そうに、頷きながら嬉しそうに。ケンイチは慌ててムーンに近寄ると、首を横に振った。
「ぼ、僕は何もしてないから、気にしないで」 「いえ、ご迷惑をかけたことに違いはありませんわ。申し訳御座いませんでした」 「だからーっ」
丁寧に謝られることに赤面し、必死で抵抗するケンイチ。滅ぼされたとはいえ、今目の前で頭を下げているのは一国の姫君である、申し訳ない気分になった。 不思議とムーンの笑みや声のトーンはケンイチの耳に心地よく、思わず瞳を瞑り聞き入りたくなってしまうもの。そんな彼女に謝られては恐縮してしまう。一人っ子のケンイチは、従兄弟も男が多く、年上の女性に慣れていない。胸の鼓動が早くなり、頬が熱を帯びる。 微笑ましい二人を見つめながら、ブジャタは小さく笑い続けていた。 ”亡国の姫君”。ブジャタとムーンとて出身の惑星が違う。ブジャタの惑星であるクレオの姫君達は、知っている限りだが皆大人しく、椅子に座り笑顔を振りまくだけだ。 ムーンが魔法の授業を受け、ここまで扱う事が出来るのは惑星の違いだろうか。何者かの襲来に備え、皆戦闘訓練を幼い頃から受けるものなのだろうか。 こうしてみると「クレオは実に平和じゃの」とブジャタは苦笑する。魔王が存在しているとはいえ、人々の不安要素にそこまで根付いてはいない。 僅か一部の人間が警戒しているだけであり、村や街の一般市民は危機感を感じていないのかもしれない。もしくは、そ知らぬふりだ。どうにかなるだろうと、誰かがなんとかするだろうと。実被害さえなければ、それで良い。 人間は、窮地に追い詰められないと行動しない者が多い。
「さて、ではこちらを」
ブジャタは懐から紙切れを一枚取り出し、三人に良く見えるように広げる。ケンイチが覗き込み、ユキを手招きすると「地図だよ」と、嬉しそうに話し掛けた。 古びた羊紙である、それを皮と骨だけのような指先でブジャタは点を指し示した。
「近辺の地図じゃ、地形がよぉく解る。盗みを街中で働き、堂々と門から出て行く馬鹿はおるまい。秘密の抜け穴でも存在するのではないか、と噂は持ちきりじゃ。警備兵も動いておるらしいがの、その目を掻い潜って何者かが闇に紛れておるようじゃ。街からまんまと盗んだ品物を遠くで売り払う、ならば一時保管場所がないと不可能じゃの。よぉく見てみぃ、印があるじゃろう? 怪しいと思われる場所じゃ」 「早く見つけないといけないね、早速行動開始だ!」
拳を握り締め力強く頷いたケンイチ、ムーンとユキも同感、と拳を掲げる。ブジャタは嬉しそうに頷くと、先頭に立ち案内するかのように歩き出した。高齢でありながら、若々しい態度のブジャタにケンイチは吹き出すとついて歩く。近所のおせっかいおじいさんのようだった。
「ブジャタさんって、元気だよね」 「ほほっほー。いやなに、若い頃は格闘家でもありましたからのぉ。身体の鍛え方をそこらのジジィと一緒にされては困りますがな。見せて差し上げましょうぞ、このブジャタの華麗なる……おぉ!」 「退け! 邪魔だ、老いぼれ爺が!」
突如、ブジャタの身体が地面に突っ伏した、その傍らを二人の青年が走り抜けて行く。呻きながら倒れ込んでいるブジャタに、慌ててユキが手を差し伸べ優しく抱き起こしながら去っていく二人に「何てことするのよ、ばーかっ」と、声を浴びせた。恐らく聞いていない、そのまま去って行く。
「酷い!謝りもしないだなんて、非常識ですわ」
憤慨するムーンの傍らを、ケンイチがすり抜けて行く。
「許せない、追いかけてくる!」
止める間もなく青年達を追いかけたケンイチであったが、ユキとムーンも慌てて青年達を追う羽目になった。 というのも、大通りから数人の警備員が雪崩れ込むようにこちらに押し寄せてきたのだ。 口々に「待てー! 止まれー!」と叫んでいたので、ユキとムーンは互いに顔を見合わせるとブジャタを座り込ませて走り出す。何をしたのかは知らないが、追われているのならば犯罪者だろう、ただの無礼者ではなかったらしい。ならば、謝るわけがない。
「そこで待っていてください!」
珍しいムーンの大声だった、ブジャタは腰を痛めたらしく、擦りながら弱々しく手を振る。待つも何も、行く気がないようだ。行ったところで、足手纏いになりかねない。何より、動けない。 杖を振りかざし、詠唱を始めるムーン。とても足では彼らにおいつけないので、魔法で行く手を阻む。
「煌く粒子破片となりて、絶対零度の冷気を纏い彼の者へと」
相手は人間だ、傷を与える程度の魔法で十分である。ムーンの杖から放たれた一本の氷柱は、まるで槍のように地面と平行して凄まじい速さで青年へと向かう。 ケンイチを追い越し、一人の青年の太腿に突き刺さった。飛行距離が相当なものだ、ユキとて氷の魔法は習っているが、あそこまで距離を長く出来るものだとは思いもしなかった。 唖然とムーンを見ながら、走り出し背中を追いかける。 太腿に氷柱が突き刺さっては青年も耐えられない、大きく呻いて地面に転倒し、舌打して近寄ってきた仲間の手に縋っていた。
「待て!」
追いついたケンイチ、剣を引くと二人に向けて構える。 追い詰められたかのように見えた二人の青年だが、ケンイチの姿を確認するや否や、薄ら笑いを浮かべた。背丈も低い、可愛らしい顔立ち、生憎相手を凄める容姿ではないのだ、青年はゆっくりとケンイチに近寄ると逆に脅すように腰の短剣を二本引き抜き、チラつかせながら歩み寄る。
「ガキはすっこめ」
威嚇のつもりなのか、本気か。 大きく振り被ってケンイチへと短剣を振り下ろした青年は、下卑た笑みを浮かべていた。だが、彼は判断を見誤った。 怯みもしないで振り下ろされた二本の短剣を剣で同時に受け止めると、驚いた表情の青年を睨みつけ、大声を出しながら弾き返すケンイチ。 よろめきながら、唖然とケンイチの姿を見た青年と、その下で忌々しそうに立ち上がった青年。 そんな二人を見比べながら、剣先を向けた。呼吸の乱れもなく、怯みもせず、俊敏な動作である。 ケンイチは思った。老人を突き飛ばし、追いかけられたくらいでは剣を向けてこないだろう。ムーンの魔法といい、逃げるように走っていたことを前提に考えればこの二人、何かの犯罪者であると推測した。 だとするならば、ここで逃がすわけにはいかない、というのがケンイチの本音である。
「クソっ、只者じゃないぞこのガキ」
再び短剣を構える青年、足先からケンイチを見つめ、睨みつけているが先程と違い額には汗が浮かぶ。トモハルならばここで「勇者ですが、何か」くらい言い出しそうだが生憎ケンイチは軽く溜息を吐き語り出した。
「悪い事はしないほうがいいよ」
言われながら、二人は尻込みした。ただの、子供の言葉だった。 しかし、妙な威圧感がケンイチの声と瞳に宿っており、思わず身震いしてしまう。厄介な奴に捕まった……呟きながら怪我をしていた青年は、懐から何かを取り出そうと手を忙しなく動かす。 相手の行動に眉を潜め、剣先を更に押し付けたケンイチだったが。
「あぁもう、どれだかわかんねーよ! オラッ」
懐の皮袋から直径五センチ程の琥珀色した球を取りだし、地面に投げつけてきた二人組み。そこから真っ白な煙が辺りを覆うように吹き出していく、思わずケンイチも軽く後退してしまう。
「バカ! それじゃねぇよ! ひくぞ、ひけぇ!」 「な、何だこの煙」
ケンイチの注意がその煙に移った瞬間に、二人は必死に逃亡を図った。無論、ケンイチにもその姿は見えていたので追うべきだと判断したのだが、動くに動けなかった。 煙の中に、影が見えたのだ。 煙が徐々に晴れていく程、その存在に緊張感を走らせ、剣をきつく握り締める。大人の背丈の二倍ほどの……大蛇が妖しく蠢いてそこに、居た。 エメラルドのような光を放つその大蛇の外皮、真っ赤に燃え盛る瞳、観察する間もなく大蛇は大きく口を開き、鋭利な牙をむき出しにして何かを飛ばす。ケンイチが後退し、剣を真正面に構えながら地面を見れば立ち上る煙と、削れた地面。 酸だろうか、思わず身震いした、直撃は避けねばならない。 大蛇は尾を振り回し街路樹を一撃で折り倒しながら、舌を出し、うねりながらケンイチを見つめている。
「ケンイチ、離れて!」 「ユキ!」
振り向かずに横にそれたケンイチの後方からユキが杖を地面に突き刺し、構えている姿が現れる。 祈るような気持ちで何度も練習した通り、魔法を唱え始める。
「生命を運ぶ風よ、死を運ぶ風と変貌し、我の敵を刃となりて切り裂き給え!」
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