宿を出て、街の探索を始めるた四人。ケンイチ、ユキ、ムーン、ブジャタの、ジェノヴァ帰還組みである。 先日は皆と観光気分で歩き回ったが、現在の気分は重く、晴れない。あの時はただ、浮かれて店を見ていた。戻りたいと、ケンイチは思った。 よもや、友達が攫われるだなんて思わなかったからだ。そして、友達と離れ離れになるとも、思っていなかった。友達がいたからこそ、気分も軽くなんとかここまで来たというのに。 現実は残酷だ、そして心は正直だ。一人が消えて、皆が散り散りになると、その都度不安が募る。心では挫けてはならないと思っても、無理だった。 重苦しい沈黙が続く、ブジャタを先頭にして歩き続け、二人を気遣い、早々に宿に入った。直様ベッドで眠りについた、けれど、案の定眠れなかった。眠たいはずなのに、眠りたいはずなのに。身体は疲労を訴えているが、横になり暖かな布団に潜り込んだ途端恐怖が押し寄せてくる。 皆は無事だろうか、これからどうなってしまうのか、無事に地球に帰ることが出来るのか。考えだしたらキリがないし、答えなど出ない。ケンイチは小刻みに震えていた。 隣の部屋で爆睡しているユキなど、知りもせずに。
遅めの朝食も疎かに、宿を出て長い下り坂を進めば街の中心路に到達する。この辺りの坂は左右に宿が立ち並んでいた、他の客よりも遅い出発だったので人影はまばらである。すでに部屋の掃除をしている店員達の動きが目に入った。シーツやタオルを洗濯し、干している。 路の脇で遊んでいる子供達の姿は目に入る、のどかで微笑ましい光景だがケンイチの顔色は良くない。結局睡眠は僅かしかとれなかった。ユキはこの間の買い物で買ってもらった、桃色リボンつきの杖を手にしながら、ケンイチの少し後ろを歩いている。ユキの顔色は良い、朝食もしっかり食べていた。地球でも朝はパン派の家で、宿でもパンとスープにサラダが出されたので上機嫌である。しかも、十分眠っていた。 その杖見た目は可愛らしいが”風の精霊を封じ込めてある代物”で、その者の魔力と精神によっては突風を巻き起こせるという。マダーニの強引な交渉により”本物であるならば”高額な杖だが、比較的安く手に入れた。 ただ、ユキはそのような説明どうでもよかった。その杖のリボンと、付属の石が非常に気に入って欲しかっただけだ。何より、自身が選んだ衣装にも似合っていた。まさに、装飾品代わりの杖である。 そんな杖を手の中で遊ばせながら、ケンイチを見つめる。 ユキは異性と話すことが苦手だった、大人しい印象に見られていたので、小学校でもアサギの隣で話を聴いて頷くだけ。ムーンは優しく知的で頼れるお姉さんなので、話しやすくて安堵していた、ブジャタも近所に住むお節介おじいさんの様で、気が楽だった。 ケンイチは。 そこまで会話した記憶がなかったので、実は多少とっつきにくいイメージがあった。だがミノルやダイキに比べれば、ケンイチのほうが話し易いのでその点は肩の荷を降ろせるが。
「トモハルのほうが、よかった、な」
本音を吐露した。トモハルは人気者で女子に囲まれており、大人しいユキにも気遣って話しかけていた。それに甘えてトモハルとは会話が出来た、一番心を許せる異性はトモハルだったのだ。淡い恋心も抱いていたことである、どうせなら、そんな相手が良かった。トモハルならば、今もユキを一人にせず、隣に居てくれたのだろう。 積極的に話しかけてくれて「怖いだろうけど大丈夫、頑張ろう」と言い続けてくれたに違いない。 軽く溜息を吐いてから眉を顰める、同じ勇者であるにも関わらず、ケンイチはムーンと親しそうに話をしていた。一人にされたような、感覚に陥った。 トモハルならば、戻ってきてその輪の中に入れてくれただろう。そもそも、何故同級生の自分ではなく、最近知り合ったばかりの人に話しかけているのか。親しい者同士が先に寄り添い、そこから二人で新たな人へ歩み寄るのが普通ではないのか。 ユキはそう考えていたが、今後についてユキに話すよりもムーンのほうが的確な指示を得られるのは明白だったので、ケンイチは行動しただけだ。考え方の違いである、ケンイチは先日ユキを励ました。何度も励まさなくても賢いユキならば大丈夫だと思っていた。 男女の違いである、構って欲しい少女と、理解してくれたはずだと思い込んだ少年。 まさかユキがそのような感情を抱いているなどと、ケンイチは心底思っていなかった。 つまらなそうにユキは二人から視線を外すと、唇を噛み締めて街を見渡す。自分から、最初からある輪に入るのには勇気が必要だ。けれども、その輪に入りたい。ならば、ケンイチが呼びに来てくれれば良い、呼びに来るのを待っている。だが、来ない。とぼとぼと、足取り重く歩く。 大人しい自分は、自ら行動を起こさない。ユキは自分の立ち位置を、勝手に自分で決め込んでその通りにしか動くことが出来ない。 これからこの四人で当分一緒だ、それが憂鬱だった。恨めしそうにユキはケンイチを軽く睨みつけ、石畳へと視線を移した。
……なんて気が利かない男なの!
とは、口には出来なかった。抑鬱は、腹に溜まっていく。
「ケンイチは、ロシアに似ているわ」
呟いたムーンの隣で、ケンイチは人懐っこい笑顔で訊き直す。
「ロシア? ええと、それって」 「私とサマルト、他にも数名勇者と合流するはずの仲間が居たの。その中の一人が”ロシア”。途中で、死んでしまったの。大剣使いで、頼れる皆の中心的存在だったの」
寂しそうに微笑んだムーンに、思わず息を飲むケンイチ。しかし、どう反応して良いか解らずに「そっか」と呟くと俯いた。言葉が出てこない”死んだ”と言われてどう言葉を切り返せば良いのだろうか。 日本は、死する確率がこの世界より低いだろう。運悪く不慮の事故に合う事もあるだろうが、常に魔物と隣り合わせの状態ではない。死を身近に感じる葬式も、ケンイチは出席したことがなかった。周囲の死など、知らなかった。ペットを飼っていたこともない、川で獲ったザリガニやカエルの飼育ならしたことがあったが、死んでも悲しまなかった。 俯いてしまったケンイチに、母のように、姉のようにムーンは優しく頭を撫でる。身長はムーンのほうが上だ、五cm程しか違いはないが。
「弟みたいね」
くすっと小さく吹き出して、優しく頭を撫でるムーン。母性本能がくすぐられる子だ、と思った。 母親は身体が非常に弱く、出産は命取りだと言われた状態でムーンをこの世に産み落とした。母親も奇跡的に命を取り止め、ベッドの上で毎晩ムーンの頭を撫でてくれた。 一人娘のムーンの城での遊び相手は、遠慮して思い切り遊んでくれない貴族の娘達だった。ゆえに同じ立場であるサマルトやロシアに会う日を、待ち遠しく思って過ごしてきた。 特にロシアは優しく逞しく、歳とて然程変わらないが兄のように頼れて、淡い恋心を抱いていた人物だった。城へ来た時も訓練を欠かさず、広場で剣の稽古をしており、生真面目な人だと好感を持った。好意に変わることに、時間は然程要しなかった。 気さくな人柄で、下働きの中にも憧れる者は多く、色めき立つ少女達を瞳の端に入れる旅に、心を暗い気持ちが覆い隠してきた。キリリ、と胸が痛む。誰にでも優しいロシアが時折恨めしくなった、だが想いを伝えていない自分が悪いだけだと言い聞かせてきた。「出来れば彼と婚約したい」と父である国王に告げようと、何度も勇気を奮い立たせたが、きっと思うように進むはずだと決め込んで結局全てを失った。 隣の小さな勇者は、顔がロシアに似ている。その黒髪、大きな瞳、屈託のない笑顔、強い意思を秘め正義感溢れる様子のケンイチと、ロシアを重ねて見始めていた。
……ロシアの、生まれ変わりなら良いのに。
そんな想いが心に芽生えた、別人である筈なのに、どこか似ていた。それだけだ、消えた人物をただ、思い求めてしまった。 俯いていたケンイチが顔を上げて軽くムーンを見て微笑む、そうするしか、ケンイチには思いつかなかった。 二人の視線が交差し、微笑み合う。 微笑み返したムーンを見て安堵すると、先頭を歩いていたブジャタに声をかける。
「ブジャタさん。戦いの実戦を積むのも当然大事だと思うけど、手当たり次第倒すのは良くないと思うんだ」 「ほぅ」 「だからさ、実戦相手は被害を加えたことのある魔物に限定したいんだ。旅の最中に攻撃してきた魔物は勿論自己防衛で戦うけど、戦意のない魔物だっていると思うんだよね。他に、人間の中にも悪党って当然いるよね? そういう奴らとか」
立ち止まり、ようやく後方を振り返ったケンイチ。視線を感じて顔を上げ、すかさずユキはそこへ合流する。時間はかかったが、辛うじて自分を呼んでくれた為嬉しかった。遅い、と心の中で呟いたが、声には出さずに隣に立つ。 首を傾げてブジャタを見ているユキに、真剣な眼差しのケンイチ、驚愕の表情を浮かべるムーン。三人を見比べてからブジャタは豪快に笑い出す、そしてケンイチに歩み寄ると満足そうに深く頷いた。
「そうですなぁ。手当たり次第惨殺していては、訓練を積んだ事にはなりませぬのぉ。殺すより、生かすほうが難しい。殺生だけなら傭兵に任せれば良し。勇者は、敵を生かし、更生させることを目的と致しましょうか。 何、実は。宿のご主人から盗賊の討伐依頼を承りました、本日からそれについて調べようと思っていたところですぞ。道中で商人が襲われ、一部の物産が到着しないのだとか。それさえ倒せば謝礼金も手に入りますしのぉ、治安も良くなり人々に貢献できますじゃ。金を頂くのは申し訳ないので、低価格で宿泊させてもらえれば、とは申し出ておきましたがの。どうです?」
思わずケンイチはユキを見た、何度か瞬きを繰り返す様子に、思わず笑みを浮かべる。その笑顔は晴れ晴れとしており、思わずユキは顔を赤らめた。あまりに、無防備な笑顔だ。可愛い、と思った。 自分の思いがブジャタに伝わった事が嬉しくて、思わず声のトーンが上がるケンイチ。
「よし、それで行きましょう! 人相手のほうが、剣の上達が早そうですしね」 「治安隊も動いているそうじゃ、街中でも昨今盗賊が出没、市民の生活を脅かしていると」
方向は固まった、やるべきことは”盗賊討伐”である。 不安そうに俯くユキを励ますように、ケンイチは手を握る。それにユキは更に顔を赤らめた。時に、少年は予測しなかった胸のうちを突くものだ。 しかし、突如大声を出して話を中断させた者がいた。ムーンだ。息を切らして、切羽詰ったように軽く敵意を剥き出しにして声を発する。切実な、声だった。
「待って。人間の盗賊の事は、治安隊の方々にお任せしましょう。私達のやるべきことは、人に害成す魔物の撲滅です。魔物は人に襲い掛かります、駆除すべきです。ココへ来るまでにも、何度か魔物に襲われたでしょう?」 「でも、ムーン。魔物の中には攻撃してこない奴だっていると思うんだ。戦いを仕掛けられたら挑めば良いけど、それなら目先の敵をどうにかしようよ。治安隊よりも先に討伐できれば、それだけ一般人に安堵が戻る。人間に悪い奴がいるように、魔物にも良い奴がいると思って」 「そんなの、存在しませんわ!」
金切り声を出し、真っ向からケンイチを視線をぶつける。一瞬ケンイチはたじろいで後方へ下がった、しかし、唇を結び直して見据える。 ムーンは、幼馴染達を魔物に殺された。家族も城の民も、殺された。魔物への憎しみは人一倍だろう、それは解る。尋常ではない憎悪に捕らわれているのだろうが、けれども正しいのかと言われれば違うと断言できた。 まだ幼い勇者は、言葉を選び損ねてケンイチはそれでも食い下がれずに、立っている。言い返す言葉が、見つからなかった。もどかしい気持ちだ、情けなく感じた。「この場にいたのがアサギ殿かトモハル殿ならば、ムーン殿を説得していたかもしれんの」と小さく呟き、隣から静かにブジャタが割って入る。 別にケンイチを非難しているわけでも、差別したわけでもない。が、この隣の小さな勇者にはまだ”度胸”と”人前に立つ力”が欠けていると判断した。魔物に憎悪を抱く相手を説き伏せることは、容易ではない。
「落ち着きなされ、亡国の姫君」 「私はいつでも落ち着いております」
簡易れず言い返され、苦笑いでムーンを見た。明らかに動揺しているのが、手に取るように解る。だからこそ、やり辛い。
「そなたが持つ憎悪、悲痛。我らには計り知れないものであろうが、それでも。魔物を惨殺していては、その魔物と同じになってしまうじゃろう。無益な殺生は、極力避けるべきだ。命の重みは、種族が違えど同じはずじゃろう? そなたならば、解る筈じゃ。連鎖する前に、食い止めねばならぬ。でなければ戦いは未来永劫終わらぬじゃろうて。同じになってはならぬよ、自分が抱いた嫌悪感を忘れてはならぬ。忘れずに回避できる方法を、他人に抱かせないためにはどうするかを考えねばならぬ。大事な事は真実の見極めじゃて。賢いそなたなら、解る筈じゃ。 確かに魔物に良いものなどいないかもしれぬ。けれども目先に困っている人がいるならば、まずはそちらを救う優先をせねば。魔物からの襲撃があれば、当然そちらを優先しよう」
道端の幼子達が、手の中に千切った花弁を握り締めそのまま走り出す。やがて手の中の花弁は、大きく振られて宙へと舞った。風に乗って、揺ら揺らと進む。歓声を上げて、子供達が楽しそうに追いかけた。 ムーンの桜色の頬に、すみれの花弁が一枚ふわり、とくっついた。笑い声を高めて、子供達は坂を下りていく。悲鳴しか聞くことが出来なかった自分の惑星、この惑星にはまだ、平和が溢れている。守らねばならない場所が、ここにはあった。 ゆっくりと、仄かに香るすみれの香りを胸いっぱい吸い込み、頬の花弁を優しく摘む。 目の前で花弁を見つめるとフッ、と軽く息を吹きかけ宙に舞わせた。空気の流れて上昇する花弁は美しい、髪をかき上げ見送った。香るすみれ、心穏やかに。 子供の笑い声、小鳥の囀り、暖かな日差し。小さく瞳を閉じたムーンは、それに酔いしれた。 すみれの花言葉は、純潔・誠実。
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