魔界で過ごし、早四年が経過。 声変わりを迎え、元々大人びていたが逞しく、けれども美しさは損なわないまま成長したトビィ。魔性の美童は、魔性の少年へ。成長するほど、世の異性を虜にしそうな魅力は高まる。 ある日、緑の肌に濃紺の長髪の男が一人、マドリードの家を訪ねてきた。 二階からトビィはそれを見ていたが、マドリードとは親しい様子で、特に警戒もなく。トビィの視線に気づき、朗らかに手を振る卓越した様子の青年に、思わずトビィも手を振り返すとそのまま駆け足で一階へと下りる。 サイゴン、という名のこの青年はマドリードの弟だった。
「似てない姉弟だな? 髪の色とか、肌の色とか」 「あぁ、母親が違うんだ」
顔立ちも、違う。マドリードは繊細な美女だが、サイゴンは整っている顔立ちながらも素朴だ。気にする様子もなくそう言って握手を求めてきたサイゴン、人と親しくするのが苦手なトビィだが、彼の手だけは素直に受け入れる。
「君が噂のトビィ君か、姉さんから聞いているよ。よろしく。剣士のサイゴンだ」
背負う長く大きな剣、下ろせば非常に重そうな音が床に響く。マドリードが暫く留守になるというので、代わりにサイゴンが呼ばれたのだそうだ。 トビィの頬に優しく口づけると、笑みを浮かべてマドリードはそのまま家を出た。 男二人残され、サイゴンは不慣れながらもトビィに茶を煎れ始めた。不手際に、自分でやる、と言い出しそうになったトビィだが、ぐっと堪える。年上の顔を立てたのだ。
「姉さんのように掃除も家事も全く出来ないが。あれだ、男らしく豪快に生活しよう」 「……料理は?」 「男の料理は気合で切る、焼く、煮る! もしくは生!」 「……料理はオレが担当しよう、悪いなオレ、舌に煩いんだ」 「はっはっはー。任せた」
初対面ながらマドリードの弟、ということもあってか、直ぐにサイゴンと打ち解けたトビィ。兄と弟というよりかは、むしろ友人のそれに近い。 実際、トビィのほうが精神的に大人びているようだった。 サイゴンに剣術を教わりながら、稀に家を出て二人で森でキャンプをし、豪快に生活する。兎を獲って、焚き火で焼き、塩を振ればそれだけでご馳走だ。
「野生的だな」 「男は野性味溢れないとな、面白いだろ、こういうのも」 「まぁね」
トビィは兎を食す時、茸や木の実に香草類を腹に詰めて香りを出していただいている。が、これはこれで美味しかった。 星を見上げながら、二人で暖めた酒を呑みつつ男同士の会話だ。無骨な性格かと思えば案外ロマンチストなサイゴンは、時折星を見つめながら伝承の話をトビィに聞かせた。思えば、姉に頼まれたとはいえ、歳の離れたそれも人間を面倒見るなど、よほどのお人よしなのだろう。 トビィはサイゴンに好感を抱いていた、不思議な空気の男だった。
「人間界ではどうなっているのか知らないが……魔族では古くから言い伝えがあるんだ。”あの星の海の向こうに、とびきりの美少女が一人で住んでいる”ってね。まぁ、誰が考えたのか、単におとぎ話だけれど、彼女ならどんな願いも叶えてくれるんだそうだ」 「とびきりの美少女、ねぇ? ありがちな話だな、魔族はもっと現実的かと思っていたよ」 「そんなことはないぞ、予言だって信じるし、結構迷信好きだ」 「予言?」
聞き返したトビィに、思わずサイゴンは口ごもる、どうも口を滑らせたようだ。察するトビィ。
「あぁ、返答はいいよ? 困ることなんだ」 「いや、うん、その、なんだ……。そのうち話すよ」
苦笑いしてトビィはカップの酒を飲み干す、見上げた夜空は星が眩く少し切なくなった。横顔を見ていたサイゴンは、声をかけるのを躊躇い、無言のまま二人で星を見る。
「緑の髪の女の子を、捜してるんだ」 「え?」
トビィが不意に漏らした言葉に、思わずサイゴンは聞き直した。真顔で視線を星から移すことなく、トビィは続ける。
「気がついたら夢に出る、今でも夢に見るんだ。緑の髪の可愛い女の子。彼女を護る為だけに、オレは産まれて来たとそう思っている。何処かに、居る筈だ」 「緑の、髪?」
訝しげに呟いたサイゴン、それきり、黙る。
「緑の髪、そんなに珍しいか?」
怪訝にトビィは視線をサイゴンに移した、が、今度はサイゴンが地面から視線を逸らさない。
「……気にしないでくれ、ただの偶然だ」 「気になるな、なんだよ」 「おとぎ話の宇宙の片隅のどんな願いも叶えてくれる美少女、その子が緑の髪」 「へぇ」
……ただの、偶然だ。
トビィは苦笑いして焚き火にかけてあった鍋から、酒をカップに注ぎ入れて再び呑み始める。
「予言の子も、緑の髪だ」 「何だって?」
酒の煙が、星空へ舞う。神妙な顔つきのサイゴンを、険しい表情でトビィは睨みつける。 森の木々が、風に揺すられて囁くようにざわめく。晴れているのに、突如小雨が通り過ぎた。焚き火が、瞬間燃え盛った。月の光が、眩さを増して二人に降り注いだ。 大地の小さな芽が、微かに震えた気がした。
「現魔王・アレク様。交代の兆しが、出ているのだそうだ」 「歳なのか、アレクとやらは」 「いや、若い。若く、賢く、有能で歴代の魔王でも相当な人気を所持する最高のお方だ。だが、交代の兆しが出ている、と」 「それは」 「成り代わろうとする謀反者が居るか、それかアレク様を凌ぐ人物が現れ王位を譲るか、或いは暗殺され……」 「物騒な予言だな」 「次の魔王が……緑の髪の娘」 「何だって?」
トビィとサイゴンの瞳が交差する、ただの偶然だろう、と二人は思った。 しかし。 キィィィィ、カトン。 瞬時に二人は傍らの剣を構え、背を合わせて周囲を窺った。今、確かに奇怪な音がした。まるで、歯車が軋みながらまわったような、音だった。非常に不愉快だ。 緑の髪の娘、そのキーワードが二人に多過ぎるほど付きまとう。 サイゴンは直感した、マドリードが人間界でトビィに出会い、連れて来たのは必然だったのではないかと。トビィは思った、自分は緑の髪の娘を守護する為に、魔界へ連れてこられたのではないか、と。 月を、仰ぐ。ざわめく胸に、二人は思わず何故か悪寒が走り身体を抱き締めた。
マドリードの家に戻ってきた二人は、先日の予言の事を口にすることなく、普段通り生活する。男二人にも慣れたし、掃除もサイゴンが懸命に行っていた。 夜に二人で飲み交わす酒が楽しくて、今日もちびちび、酒を呑む。ほろ酔いのサイゴンは、ベッドに転がりながらベーコンをつまみにして呑んでいるトビィを恨めしそうに見やった。
「トビィは、いいよな」 「何が?」 「彼女とかすぐに出来そうだよな」 「はぁ?」
子供を捕まえて恋愛相談か、と吹き出すトビィ。しかし、サイゴンは深刻だった、真顔でクッションを抱きかかえ、炙ったイカを齧りながら語る。
「身長が低くて、ふりふりのドレスとか大きなリボンが似合う子が彼女に欲しくて」 「サイゴンなら引く手数多だろ? 顔だって悪くないし気さくだし」 「自慢じゃないが産まれてこの方、彼女が出来た事がない」 「激震」
人間と違い、魔族は長命だ、サイゴンとて何年生きているか分からない。それで彼女がいないとは、重症じゃなかろうか。魔族の美の感覚が違うのだろうか、とも脳裏を過ぎったがマドリードは正常だ。
「可愛い彼女が欲しいなぁ。でも、姉さんと幼馴染のホーチミンに悉く邪魔されて気づいたらこんなイイ歳に」
初めて聞く名が出た、”ホーチミン”。
「ホーチミン?」 「あぁ。好きな子が出来るとさ、ホーチミンが彼女達を苛め抜いたんだ。お蔭で嫌われ者の俺、うかつに近づけやしない。最近だと、武器屋の女の子が可愛くてさ、声をかけたんだが風のように飛んで来たホーチミンによって、バイトをやめて何処かへ引っ越した」 「どうしてホーチミンがそこまで邪魔するんだよ」 「俺のことが好きなんだよ、あいつ」
落胆するサイゴン、首を傾げたトビィ。
「ホーチミンでいいじゃないか、彼女。可愛くないのか? 性格は悪そうだけど」 「可愛いとか、それ以前の問題だ! 男なんだよ、ホーチミン」
呆れたように言葉を出したトビィにサイゴンが返した言葉、それで全てを理解した。一瞬の沈黙が、トビィの大爆笑で切り裂かれる。 瞳に涙を浮かべて、サイゴンはその爆笑を聞いていた。
数日後。 居場所を突き止めたのか噂のホーチミンがやってきた、追い返すべく気合で出迎えたサイゴンだが数分しないうちに家に入り込む。 巨大な荷物が、居候を決め込んだホーチミンの決意を二人に予感させる。 確かに。 見た目だけならば極上の女性だ、ホーチミンは。マドリードと同じ見事な金髪、男が好きそうな艶やかなストレート。背丈が高いがスレンダーで足元までの長い丈のドレスを着用し、サイゴンの趣味に合わせてなのか頭部に大きなリボンをあしらっている。 物腰上品、知らなければただの”美女”だ、しかし、男だ。声が、確かに低音で男だった。ハスキーボイスと言えば、それまでなのだが。
「あなたが噂のトビィちゃんね。初めましてホーチミンよ、ミンって呼んでね」
後方にコスモスでも背負ってそうな感じだ、初めて見るタイプゆえに、トビィは苦笑いで握手をする。壁に手をつき、項垂れているサイゴン気の毒そうに見つめたが、ホーチミンは気にすることなくフリフリのエプロンを装着すると、勝手に夕飯の準備を始めた。
「腕によりをかけた私の手料理を、思う存分召し上がれ。ついでに私も召・し・上・が・れ」
きゃっ。 スキップで勝手に調理を始めるホーチミンに、泣き崩れたサイゴン、引き攣った笑みを浮かべながらトビィはサイゴンの耳元で囁いた。
「もう、諦めたら? 本気だ、あの人」
手料理も完璧で、”女性ならば”土下座してでも嫁に来て貰うべき人物だ、気立てもよいし良く働く。マドリードは田舎の家庭料理が得意だったが、ホーチミンは何でも作れた。豚のローストも時間をかけ、丁寧に、スープも出汁から繊細に。 トビィの舌も満足し、三人での生活が始まる。 夜、隣のサイゴンの部屋から悲鳴が聴こえるのも慣れた。ホーチミンが毎晩懲りもせず、夜這いをかけているのだ。最初はあまりのサイゴンの喚きに眠れず外に出ていたが、慣れとは恐ろしい。 宮廷魔術師のホーチミン、そして只者ではないと思ってはいたが、サイゴンとて魔族では名の知れた剣士で普段は城の警護をしているのだというそんな二人に囲まれ。 トビィは毎日充実した生活を送っている。ただ、マドリードが一向に帰ってこなかった。 一度、サイゴンに連れられて人間界の街へ出向いたトビィは、興味惹かれることなく街を散策し、魔界へ戻る。そう、魔界のほうがトビィにとっては居心地がよかったのだ。 その時に、奇妙な視線に思わず背筋を震わしたが、それが今後トビィに降りかかることになるなど予測すら出来ず。 月日が流れてトビィは、魔界で十四歳になった。 天性の才能、そして修行の成果、一人前の剣士としても十分通用できるトビィ。人間界に戻れば直ぐにでも知名度が上がるほどの達人になれるだろう、だが、トビィは魔界で過ごすことを決意する。 十五歳になると、魔界では職業を選択せねばならないらしく、サイゴンからその説明を受けた。連れて来られた人間も、無論そうして何かしらの職についているらしい。人間と魔族の寿命が違う為、この十五、という年齢は人間特有のものだ。魔界に人間が増えてきたので、いつからか決まったと説明を受けた。「種族が違うのに寛大だな、魔王様は」トビィは肩を竦める。
緑生い茂る森の中、静かに剣を掲げたサイゴンを、じっと佇んで見守るトビィ。サイゴンの持ち得る剣術は、トビィに教え込んできた。基礎から丁寧に、飲み込みの早いトビィに驚きつつも手を抜くことなく焦ることなく。人に教えた事などなかったサイゴンだが、自身が師匠から教えて貰ったように、基礎を大事にして唇を尖らせるトビィを宥めてきた。 マドリードの弟ということもあってか、腕を買われて現在は魔王直属の部隊にまで配属になっているサイゴン。トビィの能力も高く評価しているのだが、一つ不安要素が残る。 魔族の一部は人間に好意的だが、全員ではない。敵視してくる魔族のせいで、成長したトビィが潰されることが怖かった。 大丈夫だろうとは思うし、自分もホーチミンも全力で護る予定だが、何が起こるか分からない。本当の肉親のようににトビィを可愛がっていたサイゴンは、過保護気味だ。しかし、最近はアレクにすら歯をむく過激派が増えているとの噂で、それがサイゴンを悩ませていた。 剣先を、空中へ雲を突き刺すように掲げたまま静かに語るサイゴン。 表情が、険しい。初めて垣間見るサイゴンの本気、思わずトビィの肌が鳥肌になり背筋に緊張が走った。
「ドラゴンナイトになりたかったんだ。だが、難しくてね、剣の腕は評価されてもそれだけでは無理だ。挫折して剣士になった」
気合一閃、剣を振り下ろすと大地が避け、目の前の大木が一気に木っ端微塵になる。風圧だ、溜め込んだ気合だけで強力な一撃を瞬時に爆発させたらしい。 唖然と見つめるトビィ、至極真剣なサイゴンの表情が平素の温和な表情へと戻る。
「中距離で一方にしか効果がいかないが、結構強力だろ? ドラゴンナイトを諦めた俺が死に物狂いで編み出した技が、これだ」
かなりの破壊力だが、決してひけらかせることなく。 ドラゴンナイトとは竜に乗り空を駆け巡る、飛行タイプの戦士である。竜と共に過ごすが、無論地上に降りても戦闘能力が高くなければならないし、槍に剣の技術も必要だ。そして問題の竜だが、相棒となる竜は自分で探さねばならない。そこで挫折する魔族が多いらしい。 魔界の城にも竜が数体生息・待機しているのだが、真のドラゴンナイトは、自分で竜を説得しなければならなかった。竜に認められること、それが最低条件である。 最も難関である、最低条件。 長年に渡りドラゴンナイトを目指している魔族も少なくはないらしい、サイゴンは無理だと直感し、直ぐに職を切り替えたのだという。 トビィに近寄ったサイゴンは、頭を撫でながら逞しく成長したトビィに兄の視線を投げる。
「トビィ、何になりたい?」
選択する職は、サイゴンとて解っていた。が、一応聞いてみる。勝気に、普段通りに微笑んだトビィは一言だけ、こう言った。
「ドラゴンナイト」
聞いた時点で決めていた、自分に最も相応しい職だと思った。サイゴンの無念を晴らしたいとも思った、それも事実。しかしそれ以前に興味が膨れ上がった職がそれであり、そして自分の限界を試したい職でもあり。 何より、竜さえ共に居れば緑の髪の少女を容易く捜せそうな気がした。満足そうに豪快に笑ったサイゴンは、眩しそうにトビィの肩を叩いた。
ホーチミンも加え、ついにトビィは魔界の城へと出向く。職の申請に来たのだ、物珍しそうに好奇な視線を投げかけれながらも、臆することなく歩くトビィ。 傍らにはサイゴンとホーチミン、それだけでも注目の的である。トビィの姿に溜息を漏らす女性も多く、また、将来有望だと感心する者も多く。 そして当然、好意的な視線を投げかける者の他に、忌々しそうに見ている者達も当然居た。同じく、ドラゴンナイトへ申請をしている者達である。 今回、トビィを含めて六人が申請届けを出していた。容姿は標準を下回る、お世辞にも美形とは言い難い男達で、それが余計にトビィに嫉妬の念を抱いたのかもしれない。 五人の魔族の主格の男を、オジロン、という。 舌打ちしてホーチミンがトビィにそっと寄り添うと、オジロンに威嚇気味に睨みをきかせる。厄介な男だった、妙に実力もないのにドラゴンナイトに執着し、長年に渡って申請している落ちこぼれ組みだが、性格が陰湿。 トビィが本格的に城内でドラゴンナイトと成るべく訓練を開始したので、サイゴンも長期休暇を解除し、今は城内で警備をしている。当然宮廷魔術師のホーチミンも暇を見ては、トビィの応援に来ていた。 数ヵ月後、初の試合が行われ当然トビィはその頂点に立った。僅か六名の試合とはいえ、人間で優勝したのはトビィが初であり、より一層トビィの注目は高まる。 腕も確かで、見た目麗しく、そんなトビィに魔族の女達は色めきたって我先にと声をかけ始めた。その多くには目もくれなかったが、引き摺らなさそうな女で色香が高い美女の声には、トビィも応じ一夜を共にする。 閨事においても優秀だったトビィは、その点でも女性陣には非常に高かった。だが、恋人は作らない。そんな態度ですら、さらに彼の魅力を引き立たせてしまう。 優勝後、城に居る練習用の竜で飛行を習い、いとも簡単にドラゴンナイトへの道を順調に進んだ。巧みに操り、魔族に慣れている竜とはいえ心を掴み懐かせ、空を駆け巡る姿に、誰しも興奮を覚える。 こと、サイゴンとホーチミンは自分の事のように喜んだ。
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