勇者達が、散り散りになる前に時間は戻る。 ジェノヴァにて、マダーニやアサギ達が遭遇した魔族のオークスとラキ。二人の魔族は暫しジェノヴァに滞在していたのだが、何を起こすでもなく数日後、街を出た。 街を出てから人間の足で半日ほどの距離の森へと入っていった二人は、そこで丁重に陣を描く。高位な魔力の持ち主ならば、その陣を使用することも可能だ。故に、ここへ痕跡を残していけば、同じ場所へと入ってくる可能性もある。 よって、オークスは、計算して陣を描いた。 使用した木の実は初々しく、後で鳥たちが食べてくれる。陣が少しでも欠ければそれは発動しないのだ、陣の効果を消さなくてはならないので鳥達に期待した。また、水が流れる崖周辺に描いたので、その水によって陣は徐々に消されるだろう。 二重の策をとったのだ。 決して、”戻る場所”へは誰も立ち入らせてはいけない。二人は陣に入ると、そのまま転移を開始した。
二人の行く先、それは”アレクセイ”と呼ばれる小さな島である、現在魔族しか住んでいない。魔界イヴァンとはまた別の島だ、もっと小規模である。 アレクセイに住まう魔族達、後に”聖魔族”と呼ばれることになるのだが、今はまだ誰も知らない。人間に味方し共存を願う魔族達の総称である、そういった魔族達が集まって出来た集落だった。 無論、イヴァンにも共存を望む魔族達はいる。公に、声高らかに宣言した魔族達が今こちらに移住していた。魔王アレクに反しているわけではないが、そう見る者も少なくはない。 そして、その頂点に立つ者こそ。
「ナスタチューム様! 戻りました」
ナスタチューム・ローファン・ディアルゴ。 現魔王アレクの、正真正銘従兄弟だった。温和な性格で、極端に争いごとを嫌う男である。 島の規模に相応しいサイズの、豪邸とは言えない質素な造りの家がナスタチュームの住まいである。周囲は畑で囲まれていた、まさか魔王の従兄弟が住まう家とは思えない。 オークスとラキは、真っ先にナスタチュームに報告すべく戻った。
「ラキ。ここまでで良いよ、羽を伸ばしておいで」
最後まで付き添うつもりだったが、オークスにそういわれたのでラキは大きく頷くとコウモリの様な羽を広げて空に発つ。 ラキの行き先は広場、皆の憩いの場所。 ラキを見送り、オークスは庭でのんびりと草花の手入れをしているナスタチュームに歩み寄る。気付いたナスタチュームは手を休めると水で冷やしておいたキュウリを、オークスに勧めた。トマトもスイカも、湧き水によって冷やされている。 非常に、涼しげだ。
「ご苦労様でした」
汗を拭きながら、芝生の上に二人して座り込む。
「その様子ですと、何か良い事があったみたいですね」
穏やかな物腰のナスタチュームは、線も細く女性のようだ。長い黒髪を後ろで一つに緩く束ねて微笑む、見目麗しい。
「はい。勇者様にお逢いすることができました」 「それはよかった。どうでしたか、印象は」
カリ、とキュウリを齧った音が響く。瑞々しいキュウリは熱を下げるのに適している、ナスタチュームが丹精こめて育てたものだった。
「ですが、同時に姫君も見つけてしまったのですが」
苦笑いするオークスに、ナスタチュームは首を傾げる。
「良いではないですが、封印しましょう。先に見つけることが出来たのですから、そうも不安そうに語らなくても」
不安そうに呟いたわけではないが、そうナスタチュームは感じ取ったらしい。オークスは首を横に振ると、落胆気味に言葉を続ける。
「王子、簡単に言わないで下さい。姫君は、覚醒していませんでした。ですが、予言とは異なる、といいますか、予想しなかった事が」 「どういうことですか?」
眉を顰めたナスタチューム、溜息を深く吐き心痛な面持ちでオークスは観てきた事を語り出す。直様予想通り、ナスタチュームの表情にも陰りが出た。 平素、温和で笑みを絶やさない王子が、悲哀の表情に満ちる事はオークスにとって耐え難いことである。胸が痛い。
「それが、勇者と姫君、同時にというべき……」
オークスの話に、ナスタチュームは唖然として耳を疑う。
ラキは、オークスと別れてから広場を目指していた。広場はこの島に一箇所だけだ、皆の憩いの場である。 直様瞳を輝かせ急降下した先には、ラキのからかい相手が二人もいた。並んで芝生で日光浴をしているらしい、暢気なものだと大袈裟に肩を震わせるラキ。 自分は人間界に出向き、重要な任務に携わってきたばかり、この二人より勝っている感に支配される。 実際、ラキは何もしていないのでそう威張れるものではないのだが。おまけにオークスの指示を無視して人間にも接触しているので、失敗しているのだが自分は棚に上げる。 一人は七歳位の少年、熟睡しているようだ。 もう一人は二十代前半の青年だ、女のような綺麗な顔立ちをしているだけでなく肌も綺麗である。燃えるような深紅の髪が芝生の緑に、よく映えていた。 ころん、と青年が寝返りを打った。眉を軽く顰め、半開きの口、悩ましい表情だ。 思わず、見惚れるラキだが、瞬時頭に血が上る。
「お、男の癖になに、その色気っ。 起きんかい、馬鹿どもーっ!」
大声で叫んだラキ、青年は驚愕の眼で飛び上がるように起き。少年は数回瞬きして、寝ぼけたまま起き上がる。非常に二人とも不服そうだ。
「えーい! 起きろ起きろ! 仕事しろよ、役立たず二人組みっ」
ラキはふてぶてしく欠伸をしていた青年の頭部に全力で、手刀を叩きいれた。ゴン、と鈍い音がする。怪訝に青年が唇を尖らすが、その表情がまた艶めいておりラキの神経を逆なでする。
「痛いじゃないか、ラキ。仕事はしたよ、今は昼寝の時間です。この時間帯に休息しておくと午後から効率が良くなるんだ」
言いながら再び寝転がる青年、顔を引き攣らせてラキは地面に全力で拳を叩きこむ。が、相当痛かったらしい、微かに涙を浮かべてラキはそっと拳を背中に隠すと擦り出した。
「い、いいか、サーラ! あたいは仕事をしてきたんだ、オークスと一緒に人間界に出向いて任務をきっちりこなしてきたんだ。怠け者を罰する義務がある」
びしぃ、と右手の人差し指で青年サーラを指した。女のような名前だが、男である。
「そんな義務、あるの?」 「フェンネル! お前も口答えしないで働きな。何時までも子ども扱いされてると思ったら大間違いだぞっ」
少年フェンネルの前に仁王立ちすると、苛立たしさを表す地面を踏み鳴らす。鬼のような形相だ、何がラキの機嫌を損ねたかというと幸せそうに眠っている二人にだ、ただそれだけである。 自分が対象から逸れたことを確認するとサーラは再び寝転がり、ふぅ、と溜息を吐く。目の前で薄桃色の可憐な野花が、うっすらと揺れた。
「私は失恋して心が痛いんだ、そっとしておいてくださいラキ」
憂いを秘めた乙女、これで男なのだから勿体無い。ラキは嫉妬を覚えつつ、顔を真っ赤にすると再びサーラに接近する。 年齢的なこともあるが、ラキは女性らしい身体つきなどしていない。髪も短髪で少年に見られることもしばしば、辛うじて露出の高い衣装を身に纏っているのは少しでも色気を出したいからだが、最近は佼童も増えてきている。 全く、色気が追いつかない。余計に目の前の美麗な男が、憎い。
「なぁにが失恋だ! 何百年前の話だよっ」 「百八十二歳の時だから……」 「だー! そんな情報知りたくもないっ」
サーラは、憶えていた。何日前かですら答えられるほど、憶えていた。彼の脳裏には鮮明に甦るのだ、”あの日”の出来事が。 そんな心痛さ知らず、おどけたラキは、大袈裟に腕を奮いながらサーラの周囲を歩き回る。他人の失恋話など、笑い話にしかならない。
「ともかく、そんな昔の女忘れろよ。想ってたって甦るわけでもないだろ? そもそも人間だ、生きていたとしても、とっくに死んでる。根暗だなサー」
ラ、と言おうとして、ラキは鋭い悲鳴を上げた。フェンネルが、大声で叫んでいた。ラキの身体が、宙に浮いている。 サーラがラキの細い首を右手で締め上げ、持ち上げたのだ。 ゾクリ、とラキの背に冷たい汗が溢れ出て流れ落ちる。これが、”紅蓮の覇者”と呼ばれるサーラ・ドンナーの本質。 平素は穏やかな女顔だが、一度火がつくと手がつけられないのは、やはり属性が火炎だからか。火炎の魔法においてならば、魔界で三本の指に入る魔族だ。ナスタチュームの側近である”氷塊の覇王”オークスとは親友同士にして対。 ラキは苦しさに身を捩ろうとした、呼吸が出来ない。沸き上がる涙は圧迫された首ゆえに、抵抗できない。 紅蓮の炎を周囲に撒き散らせ、サーラは無言の重圧をかけていた。いや、激怒し言葉が口から出てこなかった。 確かに、ラキとて言い過ぎたと思っている。が、サーラにとって禁句を連発してしまったようだ、簡単に怒りは鎮まらない。 小刻みに震えるサーラの身体から迸る火炎は、周囲の草花を燃やした。血走るサーラの瞳、瞳の奥に憎悪の灯火が見えた。自分の想いを、嘲笑った目の前のラキが憎い。 知る筈もないことなので仕方がないが、サーラの愛した人々全てを愚弄されたようで、憎い。
「ラキに何が解る!? 私の気持ちなど私自身にしか解らない!」
轟音が響き渡る、何処かで悲鳴が上がった。 地面が一部裂けたのだ、そこに先程まで地面に慎ましく咲いていたピンクの花が吸い込まれていった。木に止まり、毛づくろいをしていた小鳥達が直様飛び立つ。
「や、やめてサーラ! お花さん達が死んじゃうよぉ! 小鳥さん達が怖いって啼いてるよぉ!」
フェンネルの悲痛な叫び声は、サーラの意識を取り戻させた。幼き子の、泣き声だ。ビクリ、と何かに怯えるように身体を硬直させると、気まずそうにサーラはフェンネルを見下ろす。しゃっくりを上げながら、地面の割れ目に手を伸ばし必死に落下した花を助けようとしていた。 しかし、花は割れ目の手が入らない場所へ。届かない、助けられない。
「ごふっ、か、ごはっ」
ラキの咳が聞こえた、サーラの手が緩み、身体が地面に崩れ落ちる。くっきりとラキの細く白い首には手形が、残された。自らの羽で浮遊する体力などなく、ラキはずるり、と地面に落下し咽ている。 申し訳なさそうにサーラは二人を静かに交互に見比べると、地面に頭がつくのではないかというほど、深く謝罪した。取り乱してしまった、自分の愚考を恥じた。
「すまない」
蹲っていたラキに、手を伸ばしたが、小気味良い乾いた音と共に手は弾かれた。涙が浮かぶラキの瞳、渾身の一撃で手を払い除けると唇を噛締めながらラキは地面を逃げるように駆けだしていた。呆然としているサーラに、力一杯ラキは叫ぶ。
「おまえなんか、ずーっとその女の事考えながら死んじまえ!」
精一杯の抵抗だった、謝る気など無くなった。足をもつれさせながら、自らの羽で飛ぶこともなくラキは走る。泣いて走って、サーラから自分の姿が見えなくなるまで。
「ばかぁっ」
捨て子のラキは、ナスタチュームに拾われてこの島へ来た。はねっかえりで人一倍横着、それは寂しいからだというのは島の人間は皆知っている。騒いでいれば誰かが気に止めてくれるから、誰かが傍にいることを実感したいから。 そんな中で、サーラに出逢った。 穏やかな微笑で、ラキを黙らせた。母親など知らないが、そういった感覚を与えてくれ、安心感を胸に抱く。後日男性だと知り、ラキは何時しかサーラに惹かれた。 羨望の相手は、美青年で姉のようで、母のようで。不思議な存在感だ。惹かれていって知ったことは、サーラには想い人がいたということ。その少女がもはや死に絶え、生きてはいない人間だということ。 ラキはいつも、サーラから思い出話を聞かされた。 花の様に明るく可憐で美しく、大地の様に大らかで優しく、太陽の様に眩しくて暖かい美少女の姫君。緑の髪は若葉を連想させ、薄桃の頬は愛くるしい、人間の姫君。 魔族に滅ぼされた一国の姫君、名前はアンリ。 ラキは生き生きと嬉しそうに語るサーラを見るのが辛かった、そして話を聞きながら自己嫌悪に陥る。 湖へ一人出向き、水鏡に姿を映せばアンリとはほど遠い自分の姿。まるで違う、自分とはこんなにも違う。 勝るのは生きている、それだけ。 だが、生きていても、サーラの心はアンリに捕らわれたままだ。覆せない。 ラキは森の端までやってきた、カンカン、とリズムの良い音が聞こえてくる。誰が何をしているのか解っていた、だからここに来た。
「ジーク! ジークムント!」
男が手を止め、ラキに向かって苦笑いすると両手を広げる。
「どうしたラキ、またサーラに苛められたか?」
泣きはらした目で、大体察しがついていた。何もかもお見通しである。豪快な声、逞しい腕には剛毛。一見無骨そうな男だが、頼り甲斐があり皆の父親のような存在である。 うわあぁぁぁぁん、と泣き喚きながらラキはジークムントの胸に飛び込んでいた。 やれやれ、と言いながらもラキの頭を見た目からは想像できない繊細さで優しく撫でる。愛娘を愛でる様に、ジークムントはその大きくどっしりとした大地に根付く巨木の様に、傷ついた小鳥を、抱き締める。 ジークムントは、人間を愛していた、子も授かった。だが母子共々魔族に殺されていた、丁度見た目ラキくらいの年齢になった娘だった。その為か、ついジークムントはラキに甘く接してしまうのだ。 娘を護れなかった罪悪感、失望感に捕らわれて気が狂いそうなとき、奮い起こすのは未来への希望。 二度と、同じ目に合わないように。他の魔族が、同じ事で苦しまない為に。自身の過ちである過去をバネにして、未来を紡ぐ。知り得た心の痛みは封印し、動力の糧として。 ジークムントは、武器職人になった。 本来戦うことが好きではない聖魔族達でも、防御の為にとジークムントは武器を造り続ける。個々に似合った武器を造るその技術は、天下一品だ。
「ラキなぁ、落ち着け落ち着け……」
背を撫でられ、ラキは大きく息を吸い込み、吐き出した。あんなことが言いたかったわけではない、もっと可愛らしく接したいのだ。 だが、出来ない。 自分を見てもらえなくて、つい、憎まれ口を言ってしまうだけだ。サーラの想いとて、解る。苦しいのだろう、相手がいないのだから。護れなかったのだから。 月を見上げ、切なそうにしているサーラを何度木陰から見ていただろう。どうか、その人間の少女が転生していればいいな、とラキは思った。 魂は、輪廻する。 きっと、何処かで姫君も生まれ変わっているだろう。もし、出会えたのなら……二人は。 チクリ。 ラキは、痛くてジークムントの胸に顔を埋める。胸が、針で刺したように痛み続ける。もし、姫君が転生していたらば、二人は幸せに暮らせるのだろうか。 ちくり。 ちくり。 ……素直に、願えなくなっていた。 サーラと、共に居る少女は自分ではない。自分はそんな仲睦まじく暮らす二人を見守るしかないだろうから、それならば。 素直に、祝福が出来ないと思ってしまった。転生していて欲しくないと、転生しないで欲しいと願ってしまった。 ラキは、気分が悪くなって暫し、ジークムントの胸の中に居た。自分のそんな浅ましい思いにも幻滅したが、それ以上に、サーラとその姫君が二人で寄り添う姿を見ていたくないのも事実。 幼い恋心は、不安定だ。ジークムントとて、ラキの想いを知っているので何も言わずにただ抱き締める。誰でも通る、恋の痛み。
ラキが遠ざかり、サーラは軽い溜息を吐く。自分の腕をそっと見つめれば、自嘲気味に笑った。精神が未熟で不安定。それはサーラとて判っているが、この気持ちだけは制御できない。毎年特に、この時期には感情の抑えが効かなくなる。
「フェンネル。オークスとナスタチューム様に私は出掛けたと、伝えておいてください」
フェンネルは首を傾げた、だが思い出し、哀しそうに瞳を伏せると微かに微笑む。
「いってらっしゃい。伝えておくね」 「えぇ、頼みましたよ。花束を何処かで調達したいので、急ぎます」
言うなり、サーラは空へと舞い上がるとすぐに姿は遠のいていった。眩しそうに見上げていたフェンネルは、立ち去ったのを最後まで見送ると、言われた通りナスタチュームの館を目指した。 もうすぐ、サーラの愛した姫君の命日だ。だから、廃墟と化した亡国へと毎年出向いている。 誰でも知っていることだった。 まさか、今年その場所で、サーラが人間のドラゴンナイトと遭遇するとは、誰も思っていなかったが。
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