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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第43回   不協和音
 目が冴えてしまったトビィは、低く呻くと数回瞬きを繰り返した。再度眠ろうかとも思ったが、夜風に当たるべく部屋を出て甲板へと移動する。雨は上がり、澄んだ空に輝く星々が浮かんでいた、夏といえどもまだ夜中は涼しく過ごしやすい、そしてここは海上である。尚更気温も低かった。
 ゆらりと波打つ海面を見つめる、今ここで自分の相棒の一体である水竜オフィーリアが顔を出してくれたらどんなに助かる事か……そう思い、肩を竦める。トビィは静かに呼吸を整え、全神経を集中させ瞳を閉じた。一か八か、やってみることにした。”相棒を、呼ぶのだ”。

 ……応えろ、クレシダ、デズデモーナ……オフィーリア。

 案の定、特に何も起こらない。海面は静まり返っている。ひょっとすると、水面に降り立って直に手を入れて呼べば、水竜のオフィーリアが反応するかもしれない、とトビィはふと思いついた。
 早朝、あの話の解りそうな船長に緊急脱出用の小船か何かで、海面に降りられないか問う事にした。南下しているらしいトビィの相棒達、しかし海上は広大だ、擦れ違いだけは避けたい。
 身体も冷えたので船室へと戻るトビィは、不意に昼間のミシアを思い出す。何故か自分にしがみ付いていたミシア、非常に鬱陶しい。
 初めて会ったのは例の洞窟で、他の仲間達と同様出会ったわけだが。
 トビィは表情を翳らせた、そういうえばそこから妙に熱い視線を注がれていたような気がしてくる。特に何もした記憶はないのだが、やたらと視線が気になった。したことといえば、その後弓矢を借りたことだろうか。
 女から視線を受ける事は稀ではないため相手にもしなかったし、気にする素振りも見せなかったのだが。アサギと共に居る時、ほぼ毎回視界に入ってきたので『鬱陶しい』と判断したのだが、やはり偶然ではないようだ。
 故意だろう。自分に好意があることは解ったが正直迷惑だった。美しい女は好きだが、選ぶ権利がある。ミシアはトビィの好みではなかった。
 深い溜息一つ、トビィは船室に戻るとベッドには入らず、ワインのボトルを一本手にして再度甲板へと舞い戻った。
 コルクをあけて、海へとワインを流すように降り注ぐ、キラキラと光りながら上等のワインが零れ落ちた。

「ロザリンド……安らかに眠れ……」

 せめてもの餞だった、花でも贈りたいが海上だ、ない。結果トビィが考えた餞がワインだ。戦闘に巻き込んでしまったのは自分かもしれない、と微かに自責の念に囚われた。
 が、悔いても過去は変わらない、トビィは唇を噛み締めるとようやく眠る為に戻った。

 一方戦闘で疲労し深い眠りにサマルトとダイキが入っている頃、アリナとクラフトは水を手にしてトビィがいる場所とは反対の甲板の上にいた。
 アリナとミシアの部屋で会話しようかとも思ったのだが、万が一ミシアが戻ってくると非常に厄介だった。他に部屋も思いつかず、ならば四方を自由に見渡せ、小声で話せば他人に聞かれることもない場所を、と甲板を選択したのだ。
 手すりに凭れればあとは正面と左右にさえ気を配ればよい、背面は海である。幾らなんでもそこに潜む”人間”はいないだろう。

「なんとなく、考えている事は同じだと思うんだけど」

 口を開いたアリナにクラフトが同意し、二人して苦笑いした。

「ミシア殿のことですが」

 眉間に皺を寄せて頷いたアリナは、手にしていた水を一気に喉へと流し込んだ。

「今回の件ですがミシア殿の姿、戦闘中に目撃されましたか?」
「いいや、あの綺麗なねーちゃんが、投げ出されるまで全く気づかなかったね」
「私もです。というのも、彼女が得意とする風の魔法も、治癒の魔法も、そして弓矢ですら……見ていません。船員達の弓とは種類が違うので、見れば解ります」

 治癒魔法が得意なクラフト故に、もし自分と同等の治癒要員が居るならば分かる筈だ、分担も減るからである。
 しかし、自分以外に治癒に当たっていたのは船員の男が二名ほど、それもあまり得意ではなかった為、クラフトに多大な責任がかかってきた。ミシアがあの場に居たならば、そんなことにはならなかったのではないか、と。
 そして風の魔法だ。トビィ、アリナ、クラフト、サマルト、ダイキ……この五人は使用できない、唯一ミシアだけが詠唱可能である。
 船員にも魔法使いがいたようだが、使用していなかったのだ”誰も”。
 誰も、唱えなかったのだ。
 戦場は雨、しかし風の魔法とて効果が激減するわけではない、雨も切り裂くだろうし効果的な筈だ、それをミシアは使用しなかった。
 最後に弓。
 先の戦闘を見ていた限りでは結構な名手だったはずだ、翼あるガーゴイルが今回相手だった、翼に当てれば効果的だったろうに。
 ミシアがその場に居た形跡が……なかったのだ。
 貴重な戦闘要員でありながら、風の魔法も、治癒の魔法も、弓矢も使用していない。
 ならば。

「ミシア殿、何処にいたのでしょうか?」

 甲板へ出るまではあの場に共に居た、一緒に来たのだから当然である。

「ボクも戦闘に夢中だったから確実に、とは言い切れないけどさ、居なかった気がするんだよね、ミシア。でも」
「ロザリンド殿が甲板へ飛び出していた頃には、居た。声を聞いています」
「そしてそこから、戦闘を何度も経験している人物なのに、貧血だか眩暈だかで倒れこんで、船員の世話になっていた。ボクはそれが非常に気に喰わないね」
「その後は治癒の為”目立って”いましたね、そう、治癒すれば”目立つ”のです」

 クラフトが声を一層潜めた、つまり、何が言いたいのかというと。
 二人同時に声を発する。

「確実にあの時まで、ミシアは甲板に居なかった」

 そういうことである、二人は気がついたのだ。居ないとなると、何をしていたのか。戦闘を放棄してまで、ミシアがしていたこととは。

「問い質そう、あまりにも不自然すぎる」
「えぇ、しかし慎重に。……トビィ殿にも話そうかと思うのですが、流石に本日は気落ちしていたので、遠慮しました」
「そうだな、仲間は多いほうが良い。サマルトとダイキはよそう、まだ若いし。それに、万が一。ボクらの予測通りだったとすると、衝撃を受けるよ」

 アリナの言葉にクラフトは軽く吹いた、アリナとてサマルトとそう歳は変わらないはずだ。”若い”のはアリナも同じである。
 些か不機嫌そうに唇を尖らせるアリナに、慌ててクラフトが謝罪する。

「まさかとは思うけど、あのねーちゃんの死に関与してないよなぁ?」

 ぽつり、とアリナが漏らした。
 流石にそれは、と苦笑いで返答が来ると思ったのだが、クラフトは押し黙ったままである。意外そうに、そして動揺を隠せずにアリナはクラフトを見た。

「何故、ロザリンド殿はトビィ殿に忠告されていたのにもかかわらず、甲板へ来たのでしょうか。トビィ殿の身の上を案じ、影から見守っていた……なら解らなくもないのです。しかし、あの時トビィ殿が窮地に立たされていたわけではありません。飛び出した理由が見つからないのです」
「……それって」
「疑うのは失礼かもしれません、しかし我らが甲板へ出てから、残されたのはミシア殿にロザリンド殿、二人です。そのうち片方は……亡くなりました。ある意味不可解な死です」
「…………」
「見間違いかもしれないのですが……」

 ここまで一気に語ったクラフト、突如口篭る。眉を吊り上げながらアリナは低く続けろ、と言った。多少戸惑っていたが意を決し、クラフトは重く口を開く。

「ロザリンド殿に、何やら刃物が突き刺さっていた様な気がするのです。無論、錯覚かもしれません、雨で視界は遮られていましたし。しかし何やら光るものが見受けられました、それから落下も不自然だったような気も」
「つまり、クラフト。お前が言いたいのは」
「ミシア殿がロザリンド殿を刺したのではないか、ということです」

 流石にそこまでアリナもミシアを疑わなかった、クラフトに相談しようとは思ったが、ロザリンド殺しの犯人をミシアと推測するだなんてことはしなかった。
 しかし、あのクラフトが。
 旅の仲間を……殺人容疑で見たとは。
 音が鳴るほど豪快に唾を飲み込むアリナ、唖然とクラフトを見つめる。

「あくまで、私の憶測です。しかし。不自然な箇所が多すぎて」
「まて、ロザリンドがミシアによって手にかけられたのならば甲板を走れないだろ? 刺されたのなら倒れてもいいだろう?」
「それが問題です」
「だろ? どうして飛躍してそんな話になったんだよ?」
「トビィ殿を庇うわけでもなく、突如出てきたロザリンド殿の行動が、どうしても不可解だからです。自ら海へと落下した気がして仕方有りません。そんな行動に出る直前に会っていた人物がミシア殿、その人であるから。……それだけですけれどね」

 口を開いて言葉を失い、呆けるアリナ。

「そして以前から気になっていたのですが、ミシア殿、異質な感じがしてなりません」

 異質。
 クラフトが喉を潤すために水を口に含み、微かに瞳を閉じる。満天の星空を見上げて、息をゆっくり吐き出す。

「こう……上手く言えないのですが。何か……違和感が」

 魔力のないアリナには感じられない、クラフトの言う『ミシアの異質』。それが何か解らないが、人一倍感覚の鋭いクラフトが言うのだから間違いではないだろう。
 しかし、間違いではないのならそれは……ミシアが。旅の仲間として共にいたミシアが。
 アリナは、乾いた笑い声を出すしかなかった。ミシアを張り込む必要がありそうだ、疑いが晴れれば、それで良いのだから。

「簡単に尋問、では済まないかもしれません。私の思い通りならば、慎重に事を進めないと。お嬢は出ないで下さいね、感情的になりすぎますから。ともかく、まずはトビィ殿です、彼に相談しましょう」
「あ、あぁ。しかしクラフト、よくトビィは無条件で信頼したね?」

 まだ出会って間もない、ここまで重要な話をする気によくなったな、とアリナは疑問だった。信頼できるだろうが、自分のことを話したがらないトビィである。

「殺されたかもしれないロザリンド殿と親しかった人物である、それと。確かにトビィ殿は何か我らに隠している事がありそうですが、今は知る必要はないと感じました。勇者であるアサギちゃんへの情熱は、恐らく誰よりも強いものです。ならば勇者の味方である我らの味方でしょう」
「そういえばトビィにも訊きたいことがあったな、魔界育ちって言ってた」
「ええ、それは是非訊いてみましょう。味方に間違いはないと思うのですが……辛い思い出ならば関与は控えますけれどね」
「寝るか、クラフト。流石に頭の回転が鈍い」
「そうしましょう」

 二人は、妙な胸騒ぎを感じながらも、部屋へと戻る。
 ここは、海上だ。逃げ場が、ない。それが吉と出るか凶と出るか、検討つかない。

「ともかく、明日ミシアの足止めをしてトビィに接触しよう。誰がやる?」
「私がミシア殿の足止めをします、お嬢はトビィ殿に説明を」
「りょーかい」

 欠伸をして、部屋の前で別れた。ベッドに倒れこんでアリナは瞬時に深い眠りへと誘われる、クラフトは唇を噛み締め不安そうに隣の部屋を見た。
 ミシアがもし、自分の推理通りの行動をしていたとすると。同室のアリナが今現在、最も危険ではないのか?
 祈るように部屋の窓から夜空を見上げるクラフト、数分、祈りを捧げる。今宵はミシアは部屋にいない、それだけが救いだった。
 翌日、先に眠っていたサマルトとダイキは、クラフトよりも早くに目が覚めた。目を擦りながらも甲板に出ると二人して素振りを始める、船員達がそんな二人を感心して見つめている。昨日の戦闘で二人はちょっとした、有名人になった。

「お前、結構剣の腕いいよな」
「剣道のお陰かな」

 じんわりと額に汗を浮かべながら、ダイキはそう軽く微笑んで返答する。ダイキは剣道を習っている、小学生に入った頃からなのでもう六年目だ。
 勇者の中ではアサギと並んで”剣”に馴染み深い人物だ。最も、真剣は初めてだが。

「サマルトは王子なのに親しみやすい」
「悪かったな、気品がなくて」

 不貞腐れたようにとれるサマルトの言葉に、慌てて剣を振るのをやめるとダイキは弁解を始める。
 が、赤面してこちらを向かないサマルトに気がついたのだ。照れているようだ。吹き出したいのを堪えて、ダイキは素振りを再開した、確実に二人の仲は良くなっていく。
 太陽が上昇し日差しが痛くなった、空腹感も限界であった為、部屋へと戻る。クラフトが起きて、微笑して迎えてくれた。

「お嬢を起こしたら、皆で朝食を食べに行きましょう」

 クレオの字が読めるクラフト達が同行するので、好きなメニューが食べられる事に二人は嬉しい悲鳴を上げる。文字が読めないというのは、非常に不便だと痛感していた。
 いつまでも起きないアリナに叱咤し、トビィも誘って五人で食堂へと向かう。朝は簡単なものしか選べないらしいが、それでも三種類から選択可能だという。
 船での食料は限られてくるので簡素なものだが、それでも十分だ。皆揃って魚のフライを挟んだパン、それに珈琲を注文する。
 食欲旺盛な一同の前に船長が現れた、深く頭を下げ言い出したことは「船員の戦闘指導を頼みたい」。昨日の能力を見て決めたらしい、依頼料は当然支払うので船員を鍛えて欲しいとのこと。毎回の食事をつけて貰えればそれで、と快く同意する。
 講師は二人だ、トビィが剣を教える事になった。サマルトとダイキも無論、船員と共に参加する。アリナが体術を担当した、武器がない場合は自身の身体が頼れる唯一の武器となる。
 合間を見て、クラフトがダイキに魔法を教える事になった。勇者ダイキ一人に誰かが付き添えるので、それが故に多彩な技術を教えてもらうことが出来るだろう。嬉しいが過酷な悲鳴を上げたダイキ。
 早速朝食後、手の空いた船員達から順に甲板にてトビィの指導を受ける。渋々だったが、食費が免除になるのでやらないわけにはいかないトビィ。金はあまり所持していない。
 客も暇を持て余していたが、その光景を見て時間を潰し、大勢観客が出来た。

「まずは基礎体力の向上からだ、剣は使わない。掃除ついでに甲板を磨く事往復百回、ただし立ち止まるのは却下」

 非難の声が上がるが、船長は上機嫌だ、掃除も出来て一石二鳥である。

「モップを使用していいんだ、感謝しろ。本来ならば雑巾でやらせるところだ」

 腕を組み、手すりにもたれて余裕たっぷりに言い放つトビィ、軽く嘲笑っている気がする。当然サマルトとダイキもそこに混じって、非難の声を上げていた。この暑い中、どうして剣を使うことなく掃除をせねばならないのか。せめて自分達二人は剣の稽古をして欲しいと、唇を尖らせる。
 しかし、トビィの意図があった。
 モップに慣れさせ、武器代わりにするつもりである。使えるものは、とことん使用する。不慣れな剣より、慣れ親しんだモップが、実戦でどれだけ役立つ事か。ダイキ達も、剣以外に使えるものがあれば、防御も出来安心だ。トビィなりの配慮だったが伝わらない。
 文句を言いたくとも昨日の実力を目にしているので、誰も反論出来ず渋々と掃除を開始する。
 その間トビィは空くので指示だけ出して、暫くすると順にサマルト、ダイキを呼びつけた。

「特別扱いだ、相手になってやる」

 掃除をしなくて良いと解り笑みを浮かべる二人だが、数分後掃除の方がましだったと気づかされた。
 モップを使用し、トビィ相手に二人で飛び掛ったのだが……惨敗である。
 丸腰のトビィだが、軽やかに二人の剣を避け、後ろに回りこみ蹴りを食らわした。
 容赦ない一撃である、遠目で見ていたアリナが口笛を鳴らす。
 甲板に倒れ込む二人に、冷ややかな声が降り注いだ。

「少しは持ち堪えろ、やはり掃除から始めたほうがいいか?」

 二人は顔を見合わせ、大きく頷くと一気に立ち上がって同時にトビィにモップを振り下ろした。しかし後方へ宙返りで難なく避け、右足で甲板を蹴り上げると、一気にもとの場所へと戻り二人の腹に拳を叩き込む。
 観客から歓声が沸きあがった、見事だ。やられた二人はたまったものではないが。

 ……全く持って、容赦ない。

 恨めしそうにサマルトが呻きつつトビィを見上げる、甲板に這い蹲る自分の姿は情けないが、圧倒的な力の差に打ちのめされた。その後も何度も打ち込むが、二人がかりでもトビィには傷一つ負わせられなかった。むしろ、こちら側が相当な痛手を負う。あちらこちらに青あざが出来てしまった。

「は、半端ねぇっ!」

 己の身で改めてトビィの強さを感じたサマルト、愕然と眩しいくらいのトビィを見上げた。この角度から見るトビィは今日何度目だろうか。
 少しばかり秀でた、ただの色男だとばかり思っていたのだが、違った。この実力は本物だ、一瞬背筋が凍った。そうこうしているうちに、モップがけ往復百回が終了したようだ。
 昼食後、暫し休憩を取ってから再開することにし、一旦終了となった。皆午後から動けない疲労で、食事がまともに口に入らなかった。
 反対の甲板ではアリナがこれまた基礎から教えていた、腰幅に足を開き、腕を交互に突き出すこと、二百回。モップがけより、マシかもしれないが、腕が攣る。
 その後は腕立て伏せ、二百回だ。

「腕から強化だよー! 男なら泣きっ面見せるなよー」

 楽しそうに自分も同じようにメニューをこなしていくアリナ、女には負けまいと必死になる船員。次は両腕を地面と垂直にし、交互に後ろへ肘を押し出すことを各二百回。

「肘打ちの練習ねー。速ければ威力も上がる、体重を肘にかけるように意識して。そのまま倒れて地面に相手を叩きつける感じでね」

 鋭いアリナの肘打ちに、感嘆する。見事だ、あんなものを胸に打ち込まれたら骨が折れそうだ、と震える船員。ちなみにこれらは、アリナの日課である。
 こうして講師となったトビィとアリナは、暇する事無く船旅を終えそうだ。
 午後からは食料捕獲の為、魚漁の網を海へと何度も放り込み、全員で引き上げる事も行った。桶で水を汲み上げ、塩分を抜き取り真水にする作業も行った。根気がいる作業だが水は貴重だ。船長は、大笑いでそれらを見ていた。
 そんな中クラフトは一人ミシアの姿を捜して船内を歩き回った、朝から姿を見ていない。部屋にも戻っていないようである、熱の子の看病が長引いているのだろうかと思ったが胸がざわめく為、捜索を続ける。
 夕方になり、トビィ達の船員訓練が終了した頃、ようやくミシアの姿を見つけたクラフト。そ知らぬ振りして近づくと、後姿のミシアの肩を叩いた。
 ゆるやかに振り向いたミシア、不思議そうにクラフトを見て微笑する。

「あら、クラフトさん。どうされました?」
「熱の子は大丈夫ですか? 慣れない環境でやられたのかもしれませんね」
「はい、衰弱していましたが先日ジェノヴァで購入した薬草を飲ませて、熱を下げたところです」
「流石ミシア殿です。となると、知らないでしょうから本日の出来事でも。船長に頼まれてトビィ殿とお嬢が船員達の戦闘訓練を開始したのですよ」
「まぁ」

 驚いて瞳を丸くするミシア、クラフトは微笑んで事細かに説明を始めた。アリナがトビィに接触出来ていれば良いが、ともかく時間稼ぎをするべきだと判断する。
 真剣に頷いて聞くミシアに、クラフトも腹の底の疑惑を顔に出さず話す。

「ミシア殿も相当な弓手であると見受けています、どうですか、指導されては? 弓矢も飛行の魔物にかなり効果的ですし、海上ですから出会う確率も多いでしょう。そう、昨日のような」

 意図的に昨日の話をここで入れた、どう反応するか見たかった。しかし、にこやかに微笑んで頷くミシア。

「そうですね、申し出てみましょうか。でも、ふふっ、過信しすぎですよ。そこまでの技術ではありませんもの」
「いえ、集中して敵の急所を見定める事が出来ると思いますから、確実に狙えると思うのです。どうです、是非明日から。しかし二人に比べてミシア殿の指導は優しそうですね」
「案外厳しいかもしれませんよ? 考えておきますね、ではこれで」
「夕食、皆で食べませんか? 用事でもあるのですか?」

 立ち去ろうとしたミシアに控え目に誘った、申し訳なさそうに首を横に振って礼をするミシア。

「一旦部屋に戻り、薬草を選んでから再度あの子の看病に戻ります。解熱作用が切れると、爆発的に体温が上がるので心配で」
「わかりました、根つめて看病されないように。ミシア殿の身体が参ってしまいますよ?」
「お気遣い、有難う御座います。では、また」
「えぇ。お大事に、とお伝え下さい」

 クラフトは歩き出したミシアの後姿を一瞥してから、甲板へと向かう。甲板では昼間とは打って変わって静まり返った空気の中、トビィ達が何やら談話していた。
 手を上げて近づく、アリナが気づいた。クラフトに大きく手を振って、嬉しそうに手招きしている。

「めしー! 船長さんが話があるから特別にここで食事だぞ」
「ほほう、それは素敵な趣向ですね。あ、そうそうミシア殿はまだ看病しているので共に食事は摂りません」

 ぴくり、とアリナの眉が動き目配せする。瞬時、トビィが安堵したように息を吐いたのをクラフトは見逃さなかった。
 やがて簡素なテーブルが運ばれてきて、そこに食事が並べられる。当然魚料理ばかりだが香草焼きで香りが良い、腹に刺激的だ。
 夢中で食べ始めたサマルトとダイキ、やって来た船長は豪快に笑いながら他の三人にも食事を促し、ワインを振舞う。

「本日は有難う御座います、今後も宜しくお願い致します。心ばかりですが本日はこのような場を設けさせて頂きました。お楽しみ下さい」
「お心遣い、有難う御座います、感謝致します。安全に船旅が出来るのも、船長殿並びに船員殿達のお陰です。こちらこそ宜しくお願い致します」

 深く頭を垂れたクラフト、トビィが横から口を開いた。

「明日で構わないのだが水面に降りられないか? 脱出用の小船でも下げてもらえると助かる」

 意外そうに一斉にトビィを見る一同、船長も首を傾げる。

「出来ない事はないのですが、何か?」
「あぁ、少し水面に触れてみたいだけだ」

 変わった事を言い出したなぁ、とサマルトは口一杯にパンを頬張りながら、奇怪な瞳で見ていた。

「わかりました、しかし海面に突如魔物が浮上してくる場合があるので」
「それくらいならば問題はない。オレは大丈夫だ」

 水面に小船を下ろすと、餌と間違え魔物が寄って来る危険が高いので船長は渋ったのだ。しかし、引かないトビィに断念、真っ直ぐに見つめてくるトビィの瞳は頑固で強情だ。腕前は知っていたので、了承する。
 以後、食事をしながら今後の計画を練り、海路を確かめつつ解散した。
 早急にトビィに相談を持ちかけたかったアリナとクラフトは、部屋に一旦戻るとアリナだけがトビィの部屋へと出向く事にした。トビィの部屋へ向かう途中、ミシアらしき後姿を目撃したアリナは、顔色一つ変えず一目散に足を速める。
 追いたくもなったのだが止めておいた、気配を掴むように神経を耳に集中させて歩く。
 トビィの部屋にノックをして入り込むと、寝そべっていたトビィに近づいて手を振った。
 しかし。
 何故か本題に入れないまま、無難な話をして一時間後アリナは部屋に戻った。本能が告げたのか、「今は話すな」と口から言葉が出なかった。
 部屋に戻るとベッドに寝転がり瞳を閉じる、明日こそは話そうと。

 アリナの勘は当たっていた、ミシアがドアの前で聞き耳を立てていた。運悪くロザリンドの取った部屋は、一般人がいないので人通りが少ない。
 アリナがトビィの部屋に入っていく様子を間近で見ていたミシア、歯軋りをして壁に爪を立て、憎悪と嫉妬の眼差しで睨んでいた。部屋に入った後も、悪鬼の如き形相で部屋の中の二人を想像する。

「あのメス豚!」

 身体をわなわなと震わせて立ち尽くしているミシア、アリナが帰る気配がするまでその場で待っていた。張り巡らされる妙な妄想、中では他愛のない話をしているだけだというのに。
 いや。
 トビィと二人きりで会話する事自体、ミシアの逆鱗に触れるのだろう。
 やがてアリナが立ち去る気配を察知したミシアはそのままスッ、と廊下を流れるように歩き、一角に消える。アリナが出て行ったことを確認すると、今すぐにでも呪殺する勢いで胸元から呪具を引っ張り出したが、震える手でそれを押し戻した。
 舌で嘗め上げ吸い、恭しく熱い口付けを”ドア”にした後、急いである場所へ向かう。昨夜と同じ場所だ、案の定ポールが待っていた。
 焦点の合わない瞳で、ミシアを見つけると抱きついて押し倒し、唇を塞ぐ。抱かれながら鼻につく香りを胸いっぱいに吸い込んで、ミシアは危険な香りの虜になる。麻薬を、焚いた。
 幻惑のトビィに、会う為に。

「アリナ。死に値するわね」

 ぼそり、と呟く。ミシアは、剥ぎ取るように衣服を脱がせているポールに身を任せる。数分後、互いの荒い呼吸が響き渡った。


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