その頃トビィはロザリンドの部屋で一人、ワインを呑んでいた。 先程の戦闘での死者はロザリンドのみだ、主を失くした部屋は物悲しい。ロザリンドがこの部屋の支払いを済ませていた為に、トビィは自室からこちらへと移っていた。先にロザリンドからの申請があり、この部屋の住人に登録されていたのだ。彼女は本当にトビィとこの旅を楽しむつもりだった、死ぬとは思わなかったろう。 トビィは用意されていたワインを呑み続けている、二人で呑む筈だった上等なものだ。テーブルの上に空き瓶が二本転がっていた、今三本目が空になろうとしている。 片肘をテーブルにつきながら項垂れる、意識が朦朧としていた、疲労で酒の回りが速いのだろう。普段ならば、ここまで泥酔はしない。トビィは酒豪だ、だが精神的苦痛も手伝って酒に溺れる。 つい先程まで一緒に酒を飲み、ベッドを共にしたこの部屋の主はもう、いない。 空のワイングラスが、目の前に置いてある。それを見つめると、自然にロザリンドの顔が浮かび上がってきた。金髪に豊満な肉体の年上の美女……ロザリンド以外にもう一人、トビィは知っている。 その女性も、死んでしまった。 トビィの住んでいた村の住人を惨殺し、気紛れで魔界イヴァンへと連れ去った麗しき魔族の女”マドリード”。その人である。 息子、いや、恋人のように育て、トビィの戦闘能力を格段に引き上げたのも他でもない、マドリードだった。その弟のサイゴンに剣を鍛えられ、秘められた自分の才能を発揮させ、ドラゴンナイトの称号も得た。 マドリードの死は看取っていないが、亡骸は見た。 ロザリンドの亡骸は見ていないが、死に際は見た。 二人の死が重なる、二つの映像が脳内で再生される、思わずトビィは頭を大きく振った。鮮血が二人の身体を流れ落ちる、彼女達が胸に抱いていた蝋燭の灯火が徐々に小さくなっていき、風に吹き消された。暗闇の中、血液の紅が映え、二人の亡骸が無造作にトビィの前に置かれている。しかしその亡骸は美しさを失ってはいない、発光しながら空気に溶け込むように透けている。 穏やかに微笑むマドリード、優しく微笑むロザリンド、思わずトビィは叫んだ。 弾かれたように二人の名前を叫んだ……返事が、返ってきた。
「トビィ! トビィ!」
肩を揺すられ、トビィは我に返る。そこには亜麻色の髪のアリナが立っていた、心配そうに覗き込んでいる。
「ア、リナ」
虚ろにトビィは身体を起こそうとした、が、急に力が抜ける。意識が戻っていく、暗闇から薄暗い部屋へと戻ってきた。 クラフトがアリナの傍らで不安そうに見つめていた、アリナが必死に名前を呼んでいる。ドアが、見えた。その右側にトビィの剣ブリュンヒルデが立てかけてある。 荷物は二人分、皮の袋にはトビィの衣服や薬草などが入っているが、もう一つの高価そうなバッグはロザリンドのものだ。 視界がはっきりとしてきた、部屋で酒を飲んでいて……意識が朦朧としていたのだろう。幻覚を見た。夢か、現か、幻か。薄くトビィは嗤う。
「しっかりしろよ、大丈夫か?」
アリナの男のように無骨だが、それでもやはりか細い指がトビィの頬に当たる。首をゆっくりと振りながら軽く呻いて「大丈夫だ」と呟いた。 クラフトが空のワインボトルを溜息混じりに片付けつつ「呑みすぎです、身体を壊しますよ」ときつい口調で言ったのが、はっきりと聞き取れる。苦笑いで頷くトビィ、ようやく意識が鮮明になった。
「そう思って消化に良い、暖かなものを貰ってきましたよ。まさかこれだけをこのペースで呑んでいるとは思ってもみませんでしたが」
大きな溜息と共に、クラフトは借りてきた篭から食事を取り出した。暖かな空気を感じる、鼻につく美味しそうな香りにトビィは瞳を擦ってテーブルの上を見つめる。 料理に興味を示したトビィに安堵の溜息を吐いた二人、アリナはカップをとり、ポットから注ぐとベッドに腰掛けて口に含む。中身はラベンダティーだった、精神を落ち着かせる作用がある、まだ暖かいそれは脳を安らぎへと導いた。トビィも無言でそれを飲み干した、気が楽になったようだ。 差し出されたのはシナモンをたっぷり振りかけた、バナナサンドイッチパンだ。バナナを軽くバターで炒めてあり、パンも焼き立てでシナモンの香りを一掃引き立てている。 無言で食べ始めたトビィ、食欲はあるようである。肩を竦めて微笑んだクラフトはようやく、自身もそっと落ち着いて近くのソファに腰掛ける。食事しながら、アリナが背中からトビィに語りかけた。 部屋を探し出すのに時間はかからなかった、ロザリンドを大体の船員が覚えていた為だ。高級な部屋の宿泊客は、皆に顔を知られる。
「ボク、トビィは人が死んでも動揺しないと思ってたよ。意外」
薄く微笑みながら、トビィはアリナに振り返った。
「ふん、一応人間なんでね。知り合いが死ねば誰だって堪えるだろ?」
幾分かいつもの状態に戻ってきたようである、勝気な瞳は濁っていない。ニヤリ、と笑いながらアリナがすぐさま言葉を返す。
「そうだけどさ、トビィはアサギ以外の人物なんて、目に入っていないと思ってたから」
美女ロザリンドとトビィの関係など、言わなくてもお見通しだ。ただの気紛れな遊び相手だとばかり思っていた、だから然程痛手は受けていないだろう、と思っていたアリナ。
「愛してるのは、アサギだけだ。昔も今も、これから先もずっと、な。ただ、知り合いの死が以前もあって、それを思い出した。似ていたんだロザリンドと」
急にトビィの声のトーンが低くなった、アリナは思わず口を閉じる。先程の明るくなりかけた雰囲気が、一気に壊れていってしまう。沈黙が訪れ、アリナは自分の発言に舌打ちした、が、そんな中で口を開いたのはトビィである。
「すまなかったな、わざわざ来てくれたのに。食事、ありがとう」
照れたように呟いたその声と台詞にアリナはこそばゆさを感じ、思わず吹き出してしまう。クラフトは瞳を丸くさせて、慌てて駆け寄った。
「知らなかった、謝れるんだ」 「やはり熱でもあるのではっ」
真剣に尋ねる二人に、呆れてトビィは空になったカップを置くと、軽く睨みつける。
「お前らは一体オレの事をなんだと……」
雰囲気が変わる、待ってましたとばかりアリナが騒ぐ。トビィが顔を顰め、クラフトが穏やかに微笑んだ。暫く冗談を言い合っていたのだが、話が妙な展開になってきた。
「ね、アサギのドコが好き? ボクはね、小さくてイイ香りがして、可愛い笑顔とか……あぁ、全部かもー」
嬉しそうに語るアリナを落胆気味に見つめるクラフト、同情の目を向けるトビィ。が、サンドイッチを食べ終わるとさらり、と言い放った。
「ドコと言われても、アサギの全てだ」
足を組み、ベッドに腰掛けていたアリナは予想通りの返答に、つまらなさそうに寝転がる。
「それじゃわかんないよ、もう少し詳しくなんない?」 「そうは言われても、全部は全部だ。出来ることなら……そうだな、誰も知らない秘密の部屋にアサギを監禁し、見つめていたい位大事だ」
残りのお茶を啜っていたクラフトは、盛大に吹き出して椅子から転げ落ちる。アリナはガバッ、と起き上がると、奥が深いなぁ、と妙に感心していた。「危険思想ですね……」呟きながらどうにか立ち上がったクラフトだが、次のアリナの発言に再度後ろに転倒した。
「殺しちゃいたいほど好き、とは違うの? 襲っちゃいたいとは思わないわけ?」 「ごはぁー」
床でのた打ち回っているクラフトを尻目に、二人の会話は急上昇していく。
「違うな、アサギが微笑んでいてくれないと全く意味がない。泣き顔も……可愛いが、やはり群を抜いて笑顔がイイ。襲いたいのは山々だが、泣かせるのは趣味じゃないんだ」 「げほーげふぁー」 「そうなの? えー、ボクだったら我慢できなくて犯っちゃいそうだよー。今度ゆっくり手取り足取り教えてあげるの」 「げろろーん」 「ふん、女に何が出来るんだか」 「何言ってんのさトビィ。知らない? 女同士の方が気持ちいいこと出来るんだぜ?」 「悪いな、アリナよりオレのほうが絶対、アサギを悦ばせられる」 「げほげほげほげほげほげほげー」 「……言ってくれるじゃないか、じゃあ実際今度アサギで確かめてみようよ」 「おぇーげふげふげふぉぁぁあ」
床で喚きつつ転がっていたクラフト、煩すぎて二人は睨みを利かせると一喝する。
「うるさい!」 「今いいとこなんだから!」
会話の途中に妙な邪魔が入っては、確かにイラつく。 いきなり睨まれ大人しく「ごめんなさい」とひれ伏すかと思えば、クラフトとて負けてはいなかった。赤面しながら「そんなことは許しませんよ!」と珍しく怒鳴り、持ってきた篭にすっかり空になった皿やカップを押し込めると、アリナの腕を掴んで部屋を出て行く。 純朴なクラフトには、二人の会話は刺激的を通り過ぎて、猟奇的にしか聴こえなかったらしい。「ばいばーい、トビィ!」 と陽気なアリナの声が消え、再び部屋は静寂に包まれた。 ふと、部屋の窓から外を覗くと星達が夜空に輝いている。「眠るか」脱力して呟き、先程までアリナが横になっていた場所にトビィは転がると瞳を閉じる。幸い戦闘終了後、洗濯もシャワーも済ませておいた、後は眠るだけだった。 酒はまだ残っている、すぐにトビィは深い眠りに誘われた。
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