20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第37回   カタチを変える不穏なモノ
 船を衝撃が襲った、人々の耳を裂くような悲鳴が船内に響き渡る。昼食後のまどろみが、一変して阿鼻叫喚へ変貌した。

「な、何事だぁ、クラフトっ」

 未だベッドの中でぬくぬくと寝坊していたアリナは、髪はボサボサ、寝巻き姿のまま部屋を飛び出し、隣の部屋に騒がしく転がり込む。一人前のお嬢さんが、そんなはしたない格好で……と嘆くクラフト、肩をがっくりと落としたがそれどころではない。

「先程から騒がしかったのですが、気づかれませんでしたか? 嵐が来たようです。しかし、それと同じくして……非常に悪い予感です」
「単刀直入に言うと、つまり嵐と共に魔物が攻めてきた、ってわけだろ!? 行くぞっ」
「そうとは言い切れませんが、高確率で」

 武器を持ち甲板へ行く準備をしていたので「ほぼ確定じゃないかっ」と悪態つきつつ、アリナは部屋の中を一瞥する。クラフトの隣では緊張した面持ちのダイキが装備を整えていた、サマルトが急かすようにアリナに大きく頷いている。着替えて来い、というのだろう。それくらい解っているアリナは、唇を尖らせた。
 アリナと同室のミシアも、何故かちゃっかりと身支度を整えている。平然としていたミシアに、アリナは軽く苛立ちを覚えた……起こしてくれても良いのではないか。
 ミシアが装備する為には部屋へ戻らねばならない、その際に起こすことが出来たはずだ。アリナは瞳を細め、ミシアを軽く睨みつけた。出会った時から、ミシアと馬が合わない。別にそう話す事もなかったので、お互いまだ顔見知り程度だというのも事実だ。姉のマダーニとはかなり気の知れた間柄になっていたが、そこにミシアはいなかった。
 生理的に苦手な相手というのは、感じてしまうものである。アリナの場合、何故かしらミシアに嫌悪感を持った。あちらはどうかしらないが、謎めいていて本心が掴めない。人見知りしている割には、男ばかりの部屋に一人で居座っている時点で疑いたくもなる。
 唇を尖らせたまま、自室へ大急ぎで舞い戻るとアリナは装備を整えた。

「どうせ旅するなら、マダーニかアサギがよかったなぁ」

 といっても、アサギはいない。そのアサギを探す旅なのだが小言が出る程、今のミシアの態度に腹が立っている。しかし大勢人間はいるのだから、仕方がない。アリナは舌打ちし、気持ちを入れ替えると性急に長い髪を後ろで一つに縛る。大雑把に縛ったので、当然グチャグチャだ。
 が、気にしない。
 艶もあるし、丁寧に手入れさえすれば人の羨む美しい髪だろう、けれど生憎当の本人には邪魔以外の何者でもなかった。魔法使いならともかく、アリナは接近戦を得意とする小剣使いである。
 激しく邪魔だ。
 本当ならば、今すぐにでも切り落としたいくらいだ。だが、幼い頃からのいいつけで、切る事無く伸ばしていた。
 我侭を聞いて貰う代わりに、唯一約束した事は”女の命、髪を絶対に切らない事”。
 緩く縛ってある髪を、ちょい、っと右手で揺らしてから不敵に微笑む。ベッドにたてかけてあった愛用の細くて軽いが殺傷力の高い小剣を二本、勢い良く掴みあげ、傍らのマントを持ち上げるとドアを蹴り飛ばす勢いで開いた。
 寝間着のままだが、男物なので少し大きな衣服を着ている程度だ、マントを羽織って隠す。重装備はしないので、このまま戦闘に加わる事にした。
 ドアの前では仲間が待っていた、互いに目配せのみで深く頷くとアリナを先頭にして、軋む階段を駆け上る。揺れる船体の内部を、甲板目指して走るように急いだ。

「お嬢、お腹が空いているでしょう? 干し肉です」
「あぁ、ありがとう」

 傍らで寄り添うように走るクラフトから干し肉を受け取ると、一気に口に放り込み、噛み締めながら走る。
 途中、小さな女の子が迷子になっていたらしく泣いていたが、すぐに母親が現れ連れて行った。胸を、撫で下ろす。
 ただならぬ気配を一般市民も感じているのか、行きかう人々は逃げ惑っているようだ。部屋にじっとしていても落ちつかないのだろう、廊下で右往左往している。
 アリナの隣には何時の間にやらクラフトが消え、代わりにダイキが並んで走っていた。軽くおどけて口笛を吹くアリナ、クラフトは体力の消耗を感じ、後方に下がったらしい。

「へぇ、意外とやるねぇ。ボクについてくるなんて」
「一応足には自信がある」

 運動会ではよく、トモハル、ミノルと並んで選手に選ばれたものだ。体育は平均以上、というよりかなり上である。

「お手並み拝見、惑星チュザーレの勇者ダイキ」

 一歩早くアリナが躍り出た、足の速さを競っても仕方がないのだが、負けず嫌いなアリナ。何事も勝負事にしてしまうのだ、こんな時でも。
 階段を駆け上った先に、誰かが居た。どうやら二人居るらしい、思わず後姿の男に釘付けになる。

「何故ついてきた、ロザリンド」
「あら、ついてきてはいけない理由などないでしょう?」
「今は危険だ、すぐに戻る。部屋に戻って待て」

 男と女、女の色っぽい声に聞き覚えなどはないが、男の声は聞きなれた声だった。背負う眩い剣は見間違えるはずもなく、珍しい紫銀の長髪、額のバンダナに、引き締まった身体。

「ともかく部屋に戻れ、大人しく。生憎、護るのは得意じゃない」

 大袈裟すぎる深い溜息を吐いた男、わざとだ。唖然とその後姿を眺め続けるアリナ、そう、先日別れたばかりの男であるとしか思えない。
 馬に乗って一人で駆けて行った、あの男である。

「アリナ、どうしたんだよ。つっかえてるぞー!」

 サマルトの非難の声が後方から届いた、大声に思わず男も振り返る。アリナと視線が交差した。

「あ、やっぱりトビィだ」

 トビィが珍しく目を白黒させ、立ち尽くす。アリナが軽く笑って手を振った、サマルトに押されてダイキがなだれ込み、トビィを見てすっとんきょうな声を上げる。激突してきたダイキに、当然アリナは足元をふらつかせて重心を崩し、トビィに倒れこんだ。
 思わずアリナを抱き留め、トビィは軽い溜息と共に顔を顰める。

「何すんだよ、ダイキ!」

 トビィの腕に捉まりながら、アリナが凄んでダイキを睨みつけるが、迷惑そうにダイキは後ろのサマルトを指した。苦笑いで謝るサマルト、が、トビィの姿を目に入れるなり叫び声を上げる。

「あっれー!? 何やってんだよ、お前!」

 ミシアとクラフトもようやく視界が広がり、トビィの姿を捉えて小さく叫んだ。というか、クラフトの場合はトビィにアリナが寄り添っていたから、だが。
 トビィの存在には、大して驚いていないようだった。

「あわわ、な、なにをお二人でっ」

 男に寄りかかるアリナを生まれてこの方初めて見たクラフト、現在の船体並みに……揺れる心。動揺を隠し切れず、クラフトは混乱気味に喚きたてている。迷惑そうにアリナは引き攣った顔で、クラフトを一瞥する。別に、抱きついていたわけではないし、大騒ぎする程の事でもない。
 だが確かに、今まで男を馬鹿にしてきたアリナだがトビィのその無駄のない筋肉と逞しい胸板には、多少ときめいた。自分にはないものだった。

「ト、トビィさん……」

 ミシアが小さくトビィの名を呼んだ、その時。
 船は今までで最大の揺れに襲われた、鋭い叫び声が誰のものなのか。問題は、その揺れが鎮まった時だった。
 何がどうしてどうなったのか、クラフトを下敷きにしてアリナが階段の中間地点まで転げ落ちていた。脳震盪を起こし、気を失っているクラフト、しかし容赦なくアリナは胸倉を掴んで揺さぶる。

「なんでボクを引っ張った、クラフト! おい、返事しろっ」

 クラフトはトビィに寄り添うアリナを見ていたくなくて、我武者羅にアリナを引き寄せたのだろう。その結果、二人で階段から落下したのだ。
 一方、ダイキは冷静に場所を確保していたのだが、それが原因でサマルトに抱きつかれる羽目になった。階段から落下しないように、無心で何かに掴まったのだろう、サマルトはダイキを見て唖然とする。まさか、ダイキに摑まっていたとは。

「気持ち悪いから、離れて欲しい……」
「好きで掴まったわけじゃないからな!? きーっ!」

 不貞腐れてダイキから離れ、服を調えるサマルト、周囲を見渡す。取り乱したが、王子らしい振る舞いを心がけているサマルトは顔を若干赤らめて姿勢を正した。今更、だが。
 苦笑いし、ダイキが階段を上ろうとした時。

「……おい」

 怪訝なトビィの声が聞こえてきた。傍らに妖艶な美女ロザリンドを護るように抱えていた、が、何故か背中にミシアがくっついている。しっかりとトビィの衣服を握り締め、きゃーきゃーと叫びながら……震えていた。

「何、この娘?」

 呆れた、とばかりロザリンドが溜息を吐く。振動はとうに収まった、何を怯えているのか。
 トビィは嫌そうに感情を表に出し、眉間に皺をよせミシアの腕を振り払う。どう考えてもミシアがトビィに掴まっている事自体が、有り得なかった。
 自然に船が揺れたくらいで、ミシアがトビィのほうへ飛んでくるのは無理がある。故意に摑まるように、自ら歩くしかない。

「ちょっと、トビィ。この娘があなたが先程言っていた”想い人”?」

 そんなわけない、と思いつつも念の為聞いてみるロザリンド。流石にこの娘と比較したら自分が上だろうと、自信があった。確かに見た目は綺麗だが、トビィは快く思っていない様子だ。
 心底嫌そうに、トビィは唇を噛み締めて首を横に振った。悪寒が走る。「冗談でも、嫌だ」低く呟くとトビィは深い溜息を吐き、ミシアを一瞥し、それから数日前まで同行していた仲間を見る。

 ……何故こいつらがここにいる。おまけに、とんだお荷物つきだ。

 声に出すのを極力押さえた、口走ってしまいそうだった。ちらりとミシアを睨みつけてから、トビィは顎でダイキとサマルトに促した。甲板へと、足を進める。

「行くぞ、戦闘開始だ」

 顎で指図するトビィに、ダイキとサマルトは顔を引き攣らせる。
 むっとして「言われなくても」と言い掛けたが、ロザリンドに婀娜っぽく微笑まれ「頑張ってね」と言われては、赤面して口を閉ざし、そそくさと後を追うしかない。年上女性の魅惑的な微笑は、二人にはまだ早すぎた。
 愉快そうにロザリンドは、そんな二人を見送った。
 文句を怒鳴り散らしながら階段下から姿を現したアリナとクラフト、二人にも同じように微笑むロザリンド。その麗しさに、思わずアリナは口笛を吹いた。

「流石トビィ、ちゃっかり美人なおねーさまつきだねぇ」
「ふふ、有難う。あなたも素敵よ、頑張ってね」
「うぉう! 戦闘力倍増っ。やっぱり美女の声援があると気分が違うねぇ! あなたは、安全な場所にいてくれよ?」

 同性愛者のアリナは、上機嫌でロザリンドに眩しいほどの笑みを浮かべるとガッツポーズを作り、丁寧にお辞儀を繰り返すクラフトを引っ張って甲板へと出て行く。
 それを見送るロザリンドは「あの娘とは上手くやっていけそう、男女関係的にではなく、トビィと親しいものね」と、薄く笑みを浮かべた。
 今度の船旅は、トビィと過ごすと決めていた、トビィの知り合いとも親しくするのが好ましいだろう。可愛らしい坊やが二人、厭味を感じさせない女が一人、生真面目な青年が一人。
 だが。
 ロザリンドはもう一人、その場に居た人物に視線を移すと見下すように笑った。
 ミシアである。先程から何か小声でぼそぼそと呟きながら、立ち尽くしたままだった。宙を見て、焦点の合わない虚ろな瞳で、聞き取れない言葉を発している。余程トビィに邪険に扱われた事が、ショックだったのか。
 その光景に顔を軽く歪め、ロザリンドは一応声をかけた。別に無視しておいてもよかったのだが、トビィの仲間ということはこの女も何かしら戦闘能力があるのだろう。

「行かなくていいの? 役に立つのか知らないけれど、お嬢さん」

 その含み笑いの声に、弾かれたように現実へと舞い戻ったミシア。すぐさまロザリンドに対して、睨みを利かせる。挑発的な視線に、負けじと嘲笑いを浮かべ、軽く壁に凭れるとロザリンドは優雅にキセルを吐いた。煙の向こうに、薄っすらとミシアの影が映る。
 しかしそれも束の間の事だ、状況は変転した。
 突如ミシアの身体から目に見えないが、肌で感じる殺気……禍々しい何かが湧き上がってきたのである。ロザリンドとて、ただの一般市民ではない、占いを得意とし、第六感には優れていた。
 呆然とその場に立ち尽くすロザリンドだが、それでもまだ余裕があった、知らぬ振りして語りかける。引けば、良かったのだが女のプライドは高い。

「貴女、トビィの事が好きなのよね? でも、気の毒だけど嫌われているみたいよ。それに、恋人もいるようだし」

 無言でロザリンドを睨み続けるミシア。しかし、ゆっくりと口を開き始めた。地獄の底知れぬ扉が開くかのような威圧感を感じ、思わずロザリンドは後退する。
 それは、ミシアにとって何気ない動作であったかもしれない。けれど、確かにロザリンドは妙な気配を直感し、背筋に言い知れぬ寒気が走ったのだ。肌に痛みを感じるような、刺す威圧感を受ける。
 地の底で呻き声を上げる死霊の叫びか、文字通り悪魔の声か。ミシアが、言葉を吐き出した。

「汚らしい声で減らず口を叩くんじゃない、薄汚いメス豚。あんたは気に食わない、何処かの誰かを思い出させる、私のトビィの隣でっ」

 カッとミシアの瞳が開き、その背後から立ち上っていた妙なオーラが放射状に吹き荒れた。思わず身をすくめ、構えるロザリンド。
 その異様な光景を、気配を目の当たりにして、初めて自分が置かれている状況が非常に危険だと悟った。

 ……な、なんなのこの娘!? 変よ!?

 薄紫の長き髪が地獄の亡者の手腕に見える、黄色い瞳がおぞましく浮かび上がる。未だ吹き荒れ続ける暗黒のオーラ、それからは深淵の香りがする、邪悪な何かの。

「に、人間じゃないでしょう……」

 呼吸も間々ならず、苦し紛れにロザリンドが呟くと、ミシアはきょとんとして喉の奥で笑い始めた。ギラギラと光る瞳、重低音の声、見る者が見ればそれは悪魔に取り付かれた女以外の何者でもない。

「ふふっ、そうかしら。そうね、ここまで完璧な容姿の女なんて、滅多にいないものね。神も贔屓するわよねぇ、こんなに他の女達と差をつけたら気の毒だわ。……哀れんであげる、メス豚さん」
「本当に自信過剰なのね、おバカさん。何処から湧き出る自信か知らないけれど、少しは謙虚にしないと嫌われるわよ」

 負けまいと、わざと強がって見せたロザリンド、しかしミシアは益々厭らしい笑みを浮かべるばかりだ。

「クククっ……やあねぇ、これだから。この美の集結した私の容姿、嫉妬するのも分かるけれど。まぁ、全てはあの人の為のものなのだけれど」
「トビィのこと? ふふ、分からないのね、おバカさん。彼はあなたの存在自体、邪魔みたいよ? 疎ましいのでしょうね、さっき呟いていたもの。可哀想ね、思い込みの激しい人は。嫌悪されているって分からないのなら、トビィに抱かれた事があるのかを考えればいいのに」

 そこまで言い放ってから、ロザリンドは再び後ずさる。ふらふらと壁づたいに移動し、角へと追いやられると喉の奥で悲鳴を上げた。
 顔面蒼白、足が震える、そして……倒れこむようにしゃがみ込んでしまう。
 目の前のミシアの姿、電撃が迸り、船内であるはずなのに、生暖かい風が髪を吹き上がらせ、血走った眼で憎憎しそうに睨みつけてきていた。もはや、気配が人間に思えない。
 蛇に睨まれた蛙そのもの、小さくなりながら震えるロザリンドを、愉快そうに爆笑しながら見下している。

「あらあら、メス豚。どうしたの、さっきまでの威勢は? ふふ、嘘ばっかりよね、トビィと私は恋人なの、羨ましいでしょう。可哀想に相手にされないから妄想で私を蹴落とそうとしたのね? あの人は奥手でね、本命には手を出したがらないのよ、なかなか。でもね、あの人は私の身体を全て知り尽くしているの、だって何度も同じ夜を過ごしたのよ? あぁこうして思い出すだけでどうにかなりそうだわ」

 うっとりと微睡み、ミシアは愉快そうに回転する。それは狂気の宴、異様な気配と含み笑い、この場に他の者がいたら卒倒しそうである。
 現に今、ロザリンドは全ての五感で恐怖をひしひしと感じていた。助けを呼びたい、けれども喉から声が出てこないのだ、声の出し方が……分からない。呼吸の仕方が、思い出せない。ひゅうひゅうと、息だけが口から吐き出される。「早くしないと殺される!」思ったが、動けない。脳は鮮明に視界を映すのに、行動が追いつかない。
 必死のロザリンドをゆっくりと追い詰めるように、ミシアは一歩一歩、恍惚の笑みを浮かべながら近寄っていった。

「まさか、とは思うけど。メス豚、トビィに抱かれたなんて……戯言言わないわよね?」

 口調は穏やかだった、しかし、視線は強烈だ、翻弄させるような、無理やりにでも返事させるような権威的な声。悔しさで、ロザリンドはほとんど動けなくなった自分の身体を無理に動かしてみる。微かな抵抗、しかしそれはミシアの魔力の高さ思い知るだけだった。束縛の呪文を唱え、ロザリンドをこの状態へと追いやったわけではない、その禍々しい気配だけでこうして圧迫しているだけだ。冷や汗を背が伝う、不気味に流れ落ちていく。
 まるで長い長い時をこうして過ごしているようであった、なんとも生きた心地がしない。

「ねぇ、ちゃんと質問に答えてくれないかしら? 常識ってものを知らないの?」

 唇を尖らせながら、しかしその瞳は勝ち誇ったような満悦の光に満ちてミシアは言い放つ。
 ロザリンドは、唇すら噛む事ができない己に絶望した。もう、死ぬのは覚悟した、しかし、こんなわけの分からない小娘に絶対的な力を見せ付けられたままでは……死ぬに死に切れない。
 満身の力を込めて、ロザリンドは最期の力を振り絞る。喉から血が吹き出した、あまりの痛みに顔を大きく歪めるが、これだけは言わないと気がすまない。女の、意地である。
 トビィに抱かれたのはロザリンド、恐らくミシアは抱かれてなどいない。狂って自分で話を作っているだけなのだ。それを、口にして声に出したい。その思いだけで、ロザリンドは声を発した。
 しかし、その声すらも……耳を澄まさないと聞こえないほどの、そんなか細い声だった。

「この慢心女! よくもまぁぬけぬけと言いたい放題言ってくれたわね? えぇ、トビィに抱かれていたわよ先程まで。彼、閨事得意だものね、若いのに。これで……満足かしら? 悔しい?」
「……冴えない台詞だったわね。これでメス豚も見納めだわ、その前に私の役には立ってもらうけれど」

 トス、そう音が聞こえた時にはすでにロザリンドは……絶命していた。
 死の覚悟はもちろん、叫び声すら上げる間も無く。ミシアの放った小剣が深々とロザリンドの眉間に、そして豊満な胸に突き刺さっている。確実に、急所を仕留めていた。
 剣から真紅の血が、一滴、また一滴、伝って流れ落ちていく。瞳は光を失い、半開きになっている口、それでもまだロザリンドは美しかった。彫刻の様に。だが、ミシアにとってどうでも良い事だ。死体に語りかける、狂喜の口調で含み笑いと共に。

「妄りに私のトビィに近づくからそうなるのよ、でも喜びなさい。これから私を引き立たせる役に伝ってあげるから。光栄でしょう、ふふふ」

 指をパチン、と小気味よく鳴らす。唇を軽く舌で湿らせ、にっこりと微笑む。軽く上下に腕を揺する、と。
 ロザリンドの身体がゆらりと大きく傾き、そして……ぎこちなく立ち上がった。そう、死体が”動いた”のだ。
 慌てる様子もなく、ミシアは満足そうに微笑んでいた。

「冥利に尽きるでしょう、優しい私に殺されて。淫乱で醜悪なメス豚、幻覚だけど、トビィに抱かれたのね。トビィは私の男なんだから、気安く近づくと……こうなるのよ。その汚らしい身体で何を要求したのかしら、どんな淫乱な妄想を張り巡らせたのかしら。全く、私のトビィを使うなんて」

 優雅に胸の谷間から一枚のカードを取り出す、かくかくと揺れているロザリンドにゆっくりとそれを見せ付けた。無論、死んでいる彼女の瞳にそのカードが映るわけもなく。
 漆黒、毒々しい程真っ赤な薔薇が描かれているカードの裏側は……塔の絵。タロット、大アルカナ十六番目の塔のカードである。塔に雷が天から落とされ、人間達が崩壊している絵柄だ。

「”身分を弁えなさい、身の程知らずは天罰を喰らいますよ”……あ、もう、遅かったみたいね」

 ミシアはゆっくりと口の端に笑みを浮かべ、その場で優雅に、蝶が舞うようにくるり、と回ってみせる。非常に機嫌良く、始終口元に笑みを浮かべて。

「さてと、舞台の幕開けね」

 唇の端を軽く上げて微笑むミシアの傍らで、ゆらゆらと揺れながら生気の感じられないロザリンドが立っていた。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 276