「あー、来た来た、浅葱ちゃんっ! 宿題見せて宿題っ。私当てられるの、絶対っ」
友紀と別れて教室に入ると、数人の友達が浅葱に駆け寄ってきた。どうやら休み時間中探していたようだが、まさか校庭の鉄棒で空を見ていたとは思わなかったようだ。 理沙が顔を大袈裟に顰めて、浅葱に詰め寄った。
「いいよー。はい、どうぞ」 「わーい、ありがとうっ」
浅葱は笑ってノートを差し出す。飛び跳ねて受け取った理沙は、そのまま自分の机へ戻り、一気にノートに書き写した。 その様子を見て、数人の男子が寄ってくる。
「田上、そいつらにたまには勉強させないと……」 「困った時は、お互い様なんだよ」
そう言って無邪気に笑う浅葱に、思わず同意してしまう男子数名。クラスに和やかな雰囲気が漂う。 常に、友達が周りに居た。浅葱は大勢で過ごす時間がとても好きだった。このクラスは仲が皆良く、大きな一つの輪になって会話が出来る。時折喧嘩もあるが、すぐに両者が謝るので問題にはならない。思春期の少年少女は多感だが、異性同士反発しあったとしても数分後には何事もなかったかのように仲良く会話していた。 そんな様子を廊下から、他クラスの男子生徒達が見ていた。 サッカーをしていた休み時間帰り、廊下を通って笑い声の聞こえる浅葱のクラス『6−1』を覗き込んだのだった。
「あ、田上だ」 「いいなー小学校生活最後なら、一緒のクラスになりたかったよ」 「俺なんか、六年間一度も同じクラスになったことないんだけど」
羨ましそうに、校内アイドルの近くに居る同級生を軽く睨み付ける。しかし、そう言葉を漏らす友人に舌打ちする少年が、一人。 忌々しそうに友人達を見てから、クラスを一瞥し、再度舌打ちする。 楽しそうに大勢に取り囲まれた輪の中で会話している浅葱の姿を確認すると、その少年はつまらなそうにその場から立ち去った。 気づいた友人が慌てて後を追う。
「待てよ、実!」 「なんだぁ、実の奴……」 「あぁ、実、田上のこと嫌いなんだよね。だからじゃない?」 「へー、そんな奴、いたんだ」
信じられない、と大袈裟に肩を震わす友人達を置き去りにし、実は舌打ちを何度もしながら苛立ちつつ廊下を歩いた。 実のクラスは四組である、行く途中に二組から聴き慣れた声が聴こえてきた。
「朋玄君、自習なんでしょ? 何するの?」 「先生からプリントを預かってる、これやるよ。その後夏休みについての説明。大樹、配るの手伝って。あ、友紀。書記よろしく」
幼馴染の優等生朋玄が張り切って教壇に立っていた、無表情で立ち上がった大樹と、多少身動ぎしながらの友紀を満足そうに見つめている。 実は、ベランダの壁に蹴りを入れた。 前方から走ってきた同じサッカー部の健一が、その行動にすっとんきょうな声を上げる。健一には何かと頭が上がらない実は、肩を竦めると苦笑いで教室に入っていった。睨みつける健一に、反省していないが会釈をする。
キィィィ、カトン……。
「行って来まーす! さ、行こう友則、久志」
浅葱は元気良く玄関の扉を押し、そのまま飛び出した。 ドアに飾ってあるバラのドライフラワーが小さく揺れ、微かに甘い香りが漂う。 浅葱の弟達が、慌てふためきながらその後に続いて出てきた。兄の友則が眠たそうに瞼を擦りながら、大きな欠伸をして歩く。弟の久志が平然とそれを追い越し、姉に追いついた。 そっと手を伸ばし、手を繋いで貰って学校へと上機嫌で向かう。その後ろを未だに寝ぼけているのか、ふらつきながら、必死で後を追う友則である。 登校中の小学生で溢れ返っている通学路は、朝から賑わしい。 そんな中でも浅葱の姿を見つけ、親しい幼馴染が駆け寄ってきた。浅葱は例の如く、空を見つめている。 今日も綺麗な空だった、ぽっかりと浮かぶ雲が可愛らしい。 現在六月下旬、梅雨明け宣言間近だった。
「田上、何呆けてるんだ?」
後ろからそう声をかけられ、小突かれると浅葱は嬉しそうに振り返る。
「おはよう、みーちゃん」 「おまえそれ、答えになってないだろ」
浅葱と同じ背丈の幼馴染、三河亮みかわりょう。 四年生の時にこの街に越してきた亮は、車を降りて新しい街を堪能しようと背伸びをしていた矢先、たまたま買い物帰りで自転車を漕いでいる浅葱を見た。 風になびく髪、ゆったりと笑みを浮かべて漕いでいる浅葱に、瞳を奪われた。ちなみにこの時、浅葱はお気に入りのケーキ屋さんで、大好きなミルクレープを買った帰りで、食べるのが待ち遠しくて嬉しかったらしい。 ので、始終笑顔だった。 亮の存在に不意に気がついて浅葱は自転車を止め、声をかける。 太陽のように眩しい笑顔、亮は瞬間心奪われてしまった。 引越しして来て、不安な気持ちもあったが、その笑顔で心の雲は消え去った。 この子と、友達になりたいな、亮はそう願った。
「引越しして来た子だよね。初めまして、私、田上浅葱です」 「あ、えっと、初めまして。僕は、三河亮」 「私の家はあそこなの。よかったら遊びに来てね、同じ年なんだよ。話は聞いてたから、どんな子かと思って」
見慣れない少年に、浅葱は直感で引越しして来た子だ、と分かった。その為、声をかけたのだ。話は聞いていた、昔からあるこの団地は団結が強く、昨今離れていく地域社会に逆らっている節がある。 多少面食らった亮だが、嬉しかったので大きく頷いた。以前住んでいた街は、極力他人と関わらないようにしていた。アパートに住んでいたが、住人は顔しか分からない、名前は知らなかった。ただ、軽く挨拶を交わす程度だった。この場所は違うのか、と多少緊張する。初対面の人々と会話をすることに、慣れてはいない。 それでも、浅葱は不思議と自分で受け入れられた。話し易かった、以前から友達だったような気がした。緊張が解れていく、肩の力が抜ける。 視線を移動させると、浅葱が指差した先はなんのことはない、亮の家から直線で徒歩二分程の場所だった。 あまりの偶然に亮は驚きを隠せない、仲良くなるも何も至近距離ご近所である。思わず、心の中でガッツポーズをしていた。
「よろしくね!」 「うん、よろしくな!」
風が二人を柔らかく包み込むように吹いた、青空広がる二年前の初夏。 このような出会いをした二人は、暫くすると”喧嘩友達”になっていた。気軽に言い合える、喧嘩するほど仲が良い、とはこの事なのか。 それでも、亮はそんな立場である自分が嬉しかった、何故ならば浅葱と喧嘩出来る人物が自分以外に存在しなかったからだ。 浅葱にとって、特別な存在になったのである。 学校へ通いだしてみれば、浅葱のあまりの有名ぶりに驚いたものだった学級委員に、生徒会役員をこなし、友人多く、下級生から尊敬されて先生からの人望も厚い。勉強も出来れば体育も得意、芸術関係も秀でており、苦手科目が見つけられない。 というか、ない。 なんだ、この女……人並み外れすぎじゃないか!? 呆然とする亮は光り輝く浅葱を見つめるしかなかった、そんな風には見えなかったと首を傾げる。 同時にそんな浅葱の自宅近所に引越しして来たおかげで、亮自身も一躍時の人となってしまう。 特に男子生徒から羨望と嫉妬の目で見られた、いとも簡単に誰もが喉から手が出るほど欲した”幼馴染”の称号を手に入れてしまったからだ。亮は知らなかったのだが、二人の家の建つ土地は結構高額である、あまり買い手がつかない。その為、土地がまだ余っていた。亮の家は決して裕福とは言えないが、安アパートで必死に貯蓄した両親が、奮発して家を建てたのである。 同じ地区に住むことになった、とはいえやはり格差は存在した。 浅葱の自宅へ遊びに行くようになった亮だが、自分の家と比較して頭を抱える。 豪邸、というべきサイズの家だ。明らかに普通とは違う雰囲気が滲み出ている家である、ドラマにでも出てきそうだ。 亮は挙動不審気味に浅葱の後をついて回ることしか、出来なかった。 浅葱の祖父が剣道道場を、祖母が日舞教室を開いている、家とは別の建物が敷地内にあっただけで度肝を抜かれた。 車が四台綺麗に並べて駐車してあり、池あり、ウサギとリス小屋ありの庭である。 部屋に案内されてみれば、雑誌に載っている様なお洒落な部屋だった。ぬいぐるみがいたるところに置いてあり、部屋は薄桃色のチェックで大体統一されていた。 客室も高そうな絵が飾ってあるし、置物も壊したら弁償しなければいけないような代物である。とてもじゃないが触れられなかった。 産まれて初めて、亮は”豪邸”に足を踏み入れたのだ。豪邸を通り越して、何処かの城な気もしてきた。 慣れなかった亮だが、半年も経てば堂々と居座れるようになったのは、浅葱の家族が優しいからだろう。すっかり亮は田上家に馴染んでしまっていた。流石に物などは壊さないように、慎重に横を通るが。
「あー、ねむ! 昨日ゲームやりすぎた」 「何か新しいの買ったの? 私もやりたい」 「おう、今日行くよ。久志も友則も一緒に遊ぼうな」
亮が歯を見せて笑うと、弟たちが勢い良く頷いて歓声を上げる。そんな集団で歩く小学生達を見つめる、男子高校生達がいた。
「うっはー、浅葱ちゃんだー」 「畜生、妹に欲しいぜ」
自転車を止めて、毎朝この時間浅葱を待ち伏せしているファンクラブ……一歩間違えればストーカー予備軍の男子校に通う高校生達だ。 うっとりと浅葱を見つめる数人の高校生を、井戸端会議中の主婦達が眉間に皺を寄せて見つめていた。 ……そんな、日常。 浅葱はそれらを全く気にする様子もなく、そのまま亮とゲームの会話をしながら登校した。
キィィィ、カトン……。
何処かで、何かが回った音が聞こえる。 浅葱と亮が不意に顔を見合わせたが、首を傾げて気にせず歩いた。 二人は確かに、音を聞いた。しかし、現代は音で溢れている。電車の遮断機、車のエンジン音、飛行機が上空から音を降り注ぎ、皆は会話する。 何の音か、分からなかった。
同刻。 霧に包まれ浮かび上がった、白亜の宮廷。 静まり返ったその中は、夥しいほどの鮮血が床に壁に天井に飛散している。見れば肉の破片までもが混じって、べったりと付着していた。床には生首が転がり、半分千切れた顔、眼球が引き抜かれた死体、ご丁寧にも身体を分解されて他の人間のパーツと混ぜ合わせ、パズルのように遊んでいた形跡もある。内臓が引きずり出され、心臓が転がり潰され、地獄絵図が広がっていた。 その最下部の一室に、”人間”の生存者達が数人、辛うじて生き残っていた。 静寂と闇に包まれたその中に、淡く光輝く部分が一箇所存在した。 光が宙へと巻き上げられていく泉の中に、髪を、衣服を揺らめかせながら少年と少女が手を繋いで立っている。 幼さの残るその表情には、少年には焦燥感と緊張感が。少女には強気で頑なに意志を決意した鋭さが、あった。 蜂蜜色の髪に紺碧の瞳、少年は泉の周りを囲んで立っている人物達に堪えきれず声をかけた。 瞳が慣れないと分からないのだが、闇に紛れる漆黒のフードを被った者達がその不思議な泉を囲んでいる。 静寂は、破られた。
「お前達も来るんだ! 必ず助かる。ここにいては無駄死にするだけだぞ」
焦りの声、その中に混じる恐怖、不安、怒り……そして責任感。 一番近くの者に手を伸ばし、フードを掴む。 泉から湧き出ていた光が跳ね上がり、一瞬途切れた。 その者は嬉しそうに少年を見返すと、恭しく丁重に少年の指を外していく。
「嬉しく思います、王子。あなた様はとても優しく、責任感の強いお方でした。わたくしはお仕え出来てとても光栄でしたよ」
思いのほか若い声だ、フードの間から一瞬顔が見えた。 少年だ、二人と歳は変わらないだろう。王子、と呼んだ少年は瞳に迷いのない光を宿し、自分達の運命を正面から受け止めるつもりだった。 何をするべきなのか、悟っている。
「自分の家臣を護れなくして、何が王子だ! 一緒に、一緒に!」
そう叫んだ王子は、誰か賛同者はいないか辺りを見回す、が、誰もそれに応じない。 静まり返る室内。 期待をこめて懸命に一人一人に目を向けるが、誰も頷かない。 そんな様子に鋭く、少女が囁く。
「いけないわ、サマルト。私達の役目は分かっているでしょう。落ち着いて、責務を果たしましょう」
淡い紫の長い髪を絹のように揺らして、少女は王子サマルトを見つめる。 サマルトよりも大人びた感じのするその声には、威圧感と高貴な雰囲気、迷いのない決意が込められていた。瞳と同じく、ブレがない。
「しかし、ムーン! 見殺しにするのか、人間だぞ、仲間だぞ!?」
少女ムーンが答えるより早く、それにフードの男が反論した。先程とはうって変わり、しゃがれた年寄りの声だった。
「サマルト王子、ムーン王女は我らを見殺しにするわけではございませんぞ。我らの決意をお許しに、お認めになられたのです。正直、勇者に会いに行くのには簡単にはいかないでしょう。逢えたとしても更に過酷な試練が待っているでしょう。我らはそんな困難をあなた方に託したのですじゃ。お許しくだされ。我らは最期までこの城を、愛した我が国と共に滅ぶつもりです」 「本望です。王子、無事戻られ、国を再建してください。さすれば、我らの魂も安息の地へと辿り着けましょう。それまで、お待ちしております」
中年の、どっしりとした重みのある声も、そう穏やかに語る。 思わず言葉を失い、黙り込んだサマルト。 瞳を硬く閉じ、代わりにムーンが深く大きく息を吸い込み、右手の中にある紅珠が先端に填め込んである杖を握り締めた。 ギリ、と音が鳴る。 息をゆっくりと吐き出しながら、震える声を必死で押さえ、ムーンは瞳を開いて一言告げる。それが全ての終わりにして始まりであると、彼女は知っていた。これしかもう、望みがなかった。
「私達を、勇者のもとへと」
爆音。 少女がそう言い終わると同時に、頑丈な鉄で出来た術が施してある壁を破壊し、無数の魔物が攻め寄せてきた。 サマルトが慌てて腰に下げていた細身剣を手にしたのだが、ムーンが押し止めた。 気にせずフードの者達……惑星ハンニバルのジャンヌ城の高位魔導師達は一斉に魔力を解放し、詠唱に入った。 それが使命、そして希望。
「我らが守護神、精霊神エアリーよ! この者たちを貴女様の御手で優しく抱きとめ、彼の地へと導きたまえ! 希望の産まれし星、勇者の下へと!」
泉の光が二人の身体を包み込み、光が溢れ返り部屋中を照らした。 手を頭上に掲げながら、魔導師達は晴れ渡る笑顔で満足そうにその光を眩しそうに見つめる。 見える。 王子と王女は勇者に出会い、魔を打ち砕く。 希望が、見える。 二人の姿は忽然と消え、宙へと巻き上がった水が魔力を失くして音を立てて床に自然に落下した。 光が消え失せ、再度闇が支配する。 しかし静寂は戻らず、魔物の荒い呼吸が部屋に響き渡り、人間の絶叫が響き渡った。 ジャンヌ城壊滅。 暗闇に浮かび上がる無数の赤い光は魔物の瞳、血生臭く、死の香りが充満する部屋。床が大量の血液で埋めつくされ、ぬめりを帯びている。魔物がそれを旨そうに嘗め、骨を噛み砕き肉と皮を剥いで、首を投げて遊んでいた。
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