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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第27回   二人の魔族と、トビィ最大の誤算
 部屋を把握すると、二手に分かれた。まだ明るいので街へと繰り出す元気な者達と、骨休めをする為に室内に入っていった者達とだ。
 アサギは同室のユキとアリナと、海岸を散歩することにした。
 砂浜は静まり返っており、波の音がやけに大きく聞こえる。海に光る太陽に暫し見とれていた三人であったが、暗くなり始めたので宿へと踵を返す。
 星が月が顔を出し始めたその頃、何処かで鋭い叫び声が発せられた。

「女の子!?」

 アリナが振り返ると、一直線にその声の方角へと駆け出す。
 砂浜が柔らかくて、思うように走れない。声の主の姿が見えず焦りを感じる、後ろからついてくるアサギとユキを気にしながら、アリナは人を探した。
 やがて、人影が見えてきた、どうやら数人居いるようだ。漆黒の短髪で、小柄な少女が男達に組み敷かれ、暴れている。舌打ちしてアリナはその場を目指した「これだから男はっ」と吐き捨てつつ。

「あまり暴れるなよ、小娘」

 一人の男が少女の衣服に手をかけ……

「ふっざけんなよ、この腐り果てた人間どもっ」

……られなかった。
 組み敷いていた男達を気合で吹き飛ばした少女、ゆっくりと砂浜から身体を起こすと腕を組んで仁王立ちする。吹き飛ばされた男達は、口から砂を吐き出し怒りのままに剣を引き抜いた。

「このアマァ! 優しくしてやりゃ、つけ上がりやがって」

 どの辺りが優しくしていたのか理解に苦しむが、ドスのきいた野太い声に普通の少女なら怯えそうだが、この少女はのんびりと欠伸をしている。腕を振り回し威嚇する男達を見下し、少女は笑った。

「あたいはさ、あんまり心広くないんだよねー。あんたらみたいなのが居るから、一部魔族が人間を滅ぼそうって考えるんだよ。判る?」

 眉を潜めて首を傾げる男達、何が言いたいのか判らないようだ。「頭が
おかしいのか?」と潜めき合う。妙な人物に関わってしまった、と肩を竦める。
 前髪を掻きあげ、静かに笑う少女。瞳が残忍そうに煌めいた、一人の男が青褪める。

「あたいに触れていいのは、あたいが愛した男だけなんだぞ」

 言うなり、右手を空へと掲げてなにやら呟く。瞬間、一気に彼女の身体が発光した。悲鳴を上げる男達と、そこに追いついたアリナは慌てて後ろを向いてアサギとユキを覆うように抱きしめた。

「まずいな、これはちょっとボクの予想外かもー」

 助けに来た筈だったが明らかに少女のほうが強そうだ、立場が逆転している。情けなく砂浜を逃げ惑う男達は無視し、アリナは少女を見据えた。
 そう、彼女は。

「あっははー、ばいばーい」

 その背に生えるコウモリの様な羽、紅蓮の瞳、後方の月が妙に似合う少女は、悠然と宙に浮かんでいる。その右手が男達に向かって繰り出された、風が舞う、男達の身体を瞬時に切り裂く。
 風の魔法だ、ユキが小さく悲鳴を上げると同時に アリナは腰に下げていた二本の小剣を抜き放つと、アサギとユキの前に庇うようにして立ちはだかる。
 どう見ても彼女、人間ではない。なんと夜空が似合うことだろう。ようやく少女が三人の存在に気がついた、面倒そうに唇を尖らせる。

「なんだ、他にも人間が居たのか。可哀想だけど、忘れてもらう」

 ふわり、と移動しアリナに近寄る少女。皮肉めいてアリナは強がってみせた、鳥肌が先程から止まらなかったが。

「魔族かな」
「お察しの通りあたいは魔族」

 足を開き慣れた構えをとろうとするが慣れない砂浜の感覚に顔を顰める、地形ですでに不利だった。相手は魔族だ、見た目は小さいのにその内に秘める力は先日の吸血鬼を凌駕している。「失敗した」苦笑いするアリナは、後方のアサギとユキを気にしていた。
 まさか街中で魔族に遭遇するなどとは、思わなかった。安全区域であるとされている大都市ジェノヴァだが、その警護など杜撰なものだ。
 アリナが緊張し、額に汗を浮かべている中、アサギはその背から飛び出して宙に浮いている少女を見上げる。

「こ、こらアサギ! 危ないからボクの背に隠れてっ」

 狼狽するアリナにはお構いなしに一心不乱に少女を見つめるアサギ、微笑んでいる。一方少女は突如顔を出した美少女に見つめられ、顔を赤らめると腕で自分の身体を覆い隠した。

「な、なんで見てくるんだよ、馬鹿っ。て、照れるじゃないかっ」

 アサギの視線と交差する、身体が仰け反って、震えだした。

「み、見るなよっ。なんだよ、お前っ」

 見つめられることに慣れていないのか、あっちへ行け、と手を振る少女。それでもアサギは動じない。にっこりと微笑んで手を伸ばすアサギに、アリナが唇を噛み締めた。危険の度合いが解っていないのだろう。

「空、飛んでる」

 それだけ呟くアサギ。呆気にとられアリナが若干肩の荷を下ろした。

「いいな、いいな。空飛べていいな」

 それだけ。
 無邪気に少女に手を伸ばしたアサギに、アリナは口元を緩ませる。少女も強張らせていた身体を脱力し、頭を掻きながら地面へと降り立った。

「調子狂う奴だなー、戦う気が削げた。びっくりさせて悪かったよ」

 砂浜を移動し、三人に近づいてきた少女は頬を膨らませてアサギを見る。
 会話は普通に出来そうである、戦う意思がないと判断したアリナも剣を仕舞った。

「あたいは、ラキ。特別に名前を教えてやるよ」

 多少おどけて名乗ったラキに、アリナも返した。

「ボクはアリナ。この子がアサギで、この子がユキ。それで、こんなトコで何してんの、魔族さん」
「ちょっと用事でさ、ついてきたんだ。別に人間の虐殺に来てるわけじゃないよ。ただ」

 口を開きかけたラキは、慌てて自身の口を塞ぐ。明らかに何か言いかけて止めた様子に、アリナは眉を潜めた。

「ナイショだった。ごめん、言うとあたいの立場が悪くなる」
「そんなこと言われたら気になるね」

 風を切りヒュ、と射程範囲に入ったラキの喉元へと直様剣を抜いて向けるアリナ。が、慌ててアサギがそれを制した。

「ダメだよ、アリナ。この子、悪い子じゃないよ」
「でも、何か隠してる」
「隠し事くらい人にはあるよ。でも、私達を殺そうとしてないし名前を教えてくれた。大丈夫だよ」

 懸命に止めるアサギに、不貞腐れて渋々剣を仕舞う。意外そうに、ラキはアサギを見据えた。

「変なニンゲン」
「あの、空を飛ぶって、どんな感じ?」

 興味深々に身を乗り出し訊いて来るアサギに、たじろぐラキは一歩後退した。アサギの瞳が星屑のように光り輝いている。
 その瞬間、後ろにつんのめって熱を含んで熱くなった砂浜に倒れこんだラキ。昼間の太陽の熱を吸収した砂は思いのほか熱く、顔を顰めた。
 立ち上がりかけると、急に声が振ってくる。

「ラキ」

 溜息交じりの声の主、突如姿を現したフードを被った者に三人は釘付けになった。
 何者かがラキの後方に突っ立っている、何時の間に現われたのか。顔を引き攣らせて、喉から震える声を振り絞ったラキ。

「お、オークス、かな? な、なんでここが」
「あれだけ魔力を放出すれば、嫌でも判る」

 情けない声を出し深い溜息を吐いたオークスに、勢いよく立ち上がって振り向き様に弁解を始めたラキ。

「こ、これには色々と理由があって! 変な男に絡まれたものだからっ」
「いいわけはしなくていい、ラキ」

 落胆気味に見つめてくるオークスに、ラキは半泣きで俯くと小さくすすり泣く。肩を震わせているラキに、容赦ない言葉をかけるオークス。

「失敗だった、約束したじゃないか。人間とは接しない、それが第一条件だと。覚えているね、ここへ来る前再三口煩く告げたことだ」

 言いつつも、徐々にそのオークスの表情は何処か優しそうに微笑み始める。けれど、それを見ていないラキは知る由もなく、ただ謝り続けた。

「ごめん、なさい」

 ラキから視線を移したオークスは、瞳を伏せて謝罪する。

「皆様方、申し訳なかったですね。驚いたでしょう」
「ラキよりも、ボクはあなたのほうに驚いてますけど」

 状況把握が出来ていないアリナは、乾いた笑い声と共に皮肉めいてみる。
 こちらも、魔族だろう。おまけにラキ以上の力があることは、会話から把握できる。ここまで魔族が人間界に溢れている事実に、驚きを隠せない。

「そうですか、申し訳ないですね」

 フードをオークスが取る。氷のような透き通った瞳、宝石のタンザナイトを連想させる瞳だ。けれど、冷たいわけではない、心地良い温かみがある優しい光を灯している。碧い髪を一つに束ねてゆったりと微笑むその姿、何処かしら威厳があった。

「オークス、と申します」
「ご丁寧にどうも、アリナとアサギとユキです。で、魔族さんが何用?」
「ヤボ用です」
「…………」

 にっこりと微笑み、決して手の内明かさないオークスを、苦手なタイプだとアリナは判断する。
 オークスは静かにアサギを見つめると、食い入るようにその瞳を覗き込んだ。首を傾げて微笑むアサギ、ラキは右往左往している。
 数分経過し、ようやくオークスは小さく頷くと視線を外した。

「……お邪魔しました、では」
「待てよ、何しに来てたんだよっ」

 魔族が人間の街に来るのならば、それ相応の理由があるはずだ。まさか観光というわけではないだろう。アリナの剣幕に苦笑いするオークスじゃ「なんでもありませんよ」と静かに口を開いた。それにアリナが反発する。

「なんでもない、で済む訳ないだろっ」
「様子を観に来たのです。それだけです、敵意はありませんよ」
「なんの様子か、はっきり言って貰いたいねっ」

 不安そうに見つめるラキの側、オークスが小さく笑う。まるで、アリナとの会話を愉しむように。牙をむくアリナに肩を竦めると一瞬躊躇したが、オークスははっきりと答えた。

「勇者の様子です」
「え」
「では、また。何れお逢いできましょう。味方として」
「えぇ」

 オークスはアリナから視線をアサギへと移した、恭しく一礼したオークスに、慌てて弾かれたように礼をするラキ。
 二人は羽を広げると、夜空へと飛び立つ。

「ま、待てっ。勇者、味方!?」

 混乱するアリナの隣、月に向かって飛ぶような二人の魔族にアサギは見惚れていた。
 空を飛ぶ、二人。 
 いいな、と思ったのだ。飛んでみたいと思うのは、人間ゆえ。

「空が飛べたら、探しに行ける。何処へでも、探しに行けるのに」

 小さく呟くアサギの声は、誰にも聞こえることなく。
 砂浜に風が吹き抜ける、唖然と見送るアリナと、切なそうに見つめるアサギ。暫し、その不思議な情景に見惚れていたが 後方で呻いた男達の存在に我に返った三人は、直様駆け寄った。
 余程恐ろしかったのか、目が覚めた瞬間に口々に悲鳴を上げる男達。けれど悪いのはラキを組み敷いていた男達だ、自業自得である。

「殺されなかっただけ、よしとしろよな」

 アリナは足先で、腰が抜け倒れこんでいる男達を蹴り上げた。

 すっかり時は過ぎ暗くなった夜道を宿へと戻った三人、心配されて出迎えられる。
 あの後、その男達が実は婦女暴行の容疑で指名手配されていたと知り、役所に突き出していたら時間が遅くなったのだ。謝礼金も受け取ったので、帰路までの屋台で三人は冷えたパインを買って食べ歩きしていた。上機嫌だ。

「いっやー、良いことした後は気分がいいねっ。酒でも呑みたいなぁ、アサギ、ユキ、ど?」

 遠慮する二人をつまらなさそうに唇尖らせ見つめるアリナ、だが、仕方がない。ので、こうして大人しく宿に戻ったのだが、アリナは重要な事を言うのを忘れていた。
 ”魔族に出会った”だ。
 その報告をすっかり忘れていた、パインが甘くて冷たくて。大失態である、報告は後日になってしまった。
 そんなことは知らないライアンは、全員揃ったので安堵し、朝の予定を手短に告げる。すっかり、夜も更けた。
 勇者達は就寝だ。宿の共同風呂で身を洗い、久々の寝間着に着替える。
 就寝しようとした矢先、アサギは不意に廊下で誰かに引き止められた。

「トビィさん、こんばんは。おやすみなさい」
「おやすみ、アサギ。と、言いたいところだけれど、まだ歩く元気は?」
「ありますよ、お風呂が気持ちよかったので」
「それはよかった。手間は取らせないから、連れて行きたい場所がある」
「あ、はい」

 アサギは部屋に戻るとマントを手にして部屋を後にした、先に風呂を出ていたユキが首を傾げる。

「どっか行くの?」
「うん、トビィさんとお散歩」
「いってらっしゃい」
「はーいっ」

 ユキは一人、布団に入る。女性陣で一つの部屋だが、ユキ以外誰もいなかった。正直、歩き疲れていた。ドライヤーがないので、先に風呂から上がって懸命に髪を乾かしていたユキ。髪の手入れは欠かすわけにはいかない。水も飲んだし、ゆっくり眠れそうだと瞳を閉じる。
 ムーンとミシアは二人でユキの就寝の邪魔をしないように、とロビーで地図を見ていたし、マダーニとアリナは居酒屋に出掛けた。
 一人の時間を過ごすのも、悪くはない。寝るだけだが、自分の空間を手に入れたので満足そうに微笑む。
 だが、ドアをノックする音が聞こえ、渋々ユキは布団から這い出る羽目になった。

「アサギは居ますか?」

 アーサーだ、ユキは苦笑いで丁重に返答。

「トビィさんと出掛けましたよ」

 布団に入ろうとした矢先、次いでサマルトがやってくる。

「アサギ居る?」
「トビィさんと出掛けました」

 若干笑顔が引き攣っていたが、勢い良くドアを閉めると再び布団へ。しかし、次いでトモハルがやってきた。

「アサギは?」
「……トビィさんと以下略っ」

 ユキは、会話も途中でドアを閉めるとそのまま布団に潜り込む。もう、出ることはないだろう。邪魔された苛立ちから、なかなか寝付けなかった。
 ドアの外では三人が何やら喚いていたが、同じ方向へ走り去って行ったようだ。探しに行くのだろう。
 再びドアを叩く音、無視を決めるがノックは終わらない。うんざりして今度は誰かと、ユキは不機嫌な顔でドアを開く。

「あれ、一人? 寝てた?」

 ケンイチが立っている、後ろにダイキもいた。思わず、他の三人と違った発言に安堵する。

「ミノルは爆睡、トモハルはアーサーやサマルトとクラフトを引き摺って出て行ったけど。折角だからみんなでゆっくりしない? 昼間にお菓子買って貰ったんだ」

 ダイキが笑ってユキにお菓子を見せた、クッキーのようだ。嬉しそうに頷いてユキは部屋に二人を招きいれる、テーブルにお菓子を広げて三人は楽しく談笑した。
 思えばこの世界に来てからゆっくりみんなと話すことも出来なかった、こんな時間は久し振りだ。
 飲み物は部屋に用意されていた水だが、軟水で美味しい。

「地球、どうなっていると思う?」
「トモハルがいうように、時間が止まってくれているといいよね」
「無事、魔王倒せるかな?」
「倒さないと帰れないよね」

 本当に修学旅行みたい、ユキは可笑しそうに笑う。不意にケンイチと視線が交差した、微笑まれて、微笑み返す。

 ……毎日、こうならいいのに。

 あまり会話した記憶がないが、ユキは自然にケンイチとダイキと、会話を愉しんだ。
 その頃、トビィに手を引かれてアサギは公園に来ていた。
 静まり返る空気、時折恋人が同じ様に手を引いて歩いていたり、ベンチに腰掛けていたりする。七月上旬、蒸し暑い夜である。遠くで波の音が聞こえる、夜空に輝く満点の星の下、二人はあてもなく歩いた。
 この時期はあまり雨が降らない、と説明してくれたトビィに軽く頷くアサギ。
 公園には見渡す限り草花が植えられており、様々な色彩の花が咲き乱れている。その向こうに、月に照らされキラキラと光る海が広がっていた。

「綺麗ですよね」

 うっとりと呟いたアサギの頭を撫で、満足そうにトビィは微笑む。

「喜んでもらえたかな? この景色が見せたくて。星々の煌きの中で咲き乱れる花の色合い、微かに届く波の音。アサギが好きそうだったから」
「とても、素敵です」

 笑顔で返すアサギに満足そうに頷くと、トビィはベンチを見つける。そこならば身体を休めて観賞できそうだった。
 二人で並んで腰掛けると、アサギは風に揺れる木々を眺める。葉の揺れる音が、心地良い。

「疲れていない?」

 気を利かせてトビィはそう囁き、顔を覗きこむ。

「全然大丈夫です」
「あぁ、そうだ。これを」

 安堵したトビィはそっと包み紙をアサギへと手渡した、不思議そうにそれを見つめるアサギ。促されゆっくりと開くと小さく歓喜の声を上げる、丁寧に手で掬う。

「あ、あの、これっ」
「似合いそうだったから、買った。よければ身につけて」
「わぁ、ありがとうございますっ。嬉しいです、可愛い」

 早速出てきたネックレスを身につけるアサギ、もたついていたので吹き出してトビィがつけてくれる。
 アサギが髪を上げる、トビィが綺麗なうなじに一瞬見惚れるが丁寧に首にネックレスをかけた。

「似合っていますか?」
「あぁ、見立て通りだ、似合ってる」

 嬉しそうに淡水色の石を見つめているアサギの髪を、そっと撫でて愛しそうに一言。

「アサギは、綺麗だな」
「そ、そうですか?」
 思わず身体を硬直させるアサギ、トビィの視線があまりにも真っ直ぐで、息を飲む。
 忘れていたが、大層な美形だ。おまけに身体は密着している、思わず胸が高鳴る。年上の異性、というだけで緊張した。

「なんだろうな、優しいけれど芯が強く。明るいけれど時折憂いを見せるね。初々しいけど、稀に妙に妖艶な仕草をする。不思議だ」

 あまり言われない単語を並べられてアサギは混乱気味に額を押さえる、とりあえず、小さくおじぎをするしかない。誉められている事は、解った。
 どう反応して良いのか判らず慌てふためくアサギが可愛らしく、そのまま抱きしめようかとも思ったのだが、トビィは堪えた。風が吹く度に、髪がかき上げられ風呂上りの良い香りがトビィの鼻をくすぐる。
 顔を赤らめて視線をわざと外しているアサギ、その全てが愛しくて、戸惑う様子に加虐心が増し、笑みが零れるトビィ。「やっと、二人きりになれた」唇をそう動かす。
 仲間達といると、騒がしい事この上ない。落ち着いた時間をとることが出来なかった、ようやくそれが叶う。

「好きだよ、大好きだ」

 トビィの口から飛び出した言葉、有りの侭の想いを込めて。他人にそんな言葉を投げかけた事など、一度もない。
 その言葉は、アサギの為に。アサギにこそ伝えるべき言葉だと、約一ヶ月前に出会って、伝えたかった言葉を、ようやく口にする。

 ……君が好きだ、大好きだ。狂おしいくらいに、愛している。君を護る為だけに産まれてきた、そう思うんだ。全ては君を護る為に、君の笑顔を見続ける為に。叶えたい願いは、そう君の。

「私も、大好きです」

 思いのほか、アサギから早く返事が来た。
 目の前でアサギはくすぐったそうに笑っている、大きな瞳で視線をようやく逸らさず見つめてくる。
 その言葉を聞き、胸を撫で下ろしたしたトビィはそのまま抱き締めた。微かに身じろいだアサギだが、照れながらもトビィを見上げる。
 静かな公園、絶景の風景だ。そっと、頬に手を触れ唇を近づけるトビィ。
 だが、誤算であった。
 アサギの言う『好き』とトビィの言う『好き』の種類が違ったのである。

「あの、厚かましいと思うかもしれませんが『お兄様』って呼んでもいーですか?」
「は?」

 腰に手を廻し、顎に手をかけ、口付けする気であったトビィは、珍しく素っ頓狂な声を出す。一瞬脳を叩かれたような衝撃、状況把握に時間を要した。
 この状況下で、この子は何を言い出した。と青褪める。

「ですから、お兄様になって欲しいんです。あの、弟が二人居るのです。昔からお兄さんの存在に憧れてて。トビィさんは強いですし頼りがいがありますし、優しいし。お兄さんみたいだな、って思ったのです。トビィお兄さん、より、トビィお兄様のほうが、なんだかしっくりくるので。……だめ、ですか?」
「…………」

 面食らったトビィ、言葉が出てこない。
 『お兄さん』である、『恋人』とは程遠くないか? 冗談ではない、それは恋愛対象として見られていないということではないのか?
 夜に連れ出し二人でムード漂う公園のデート、耳に届くは波の音、香る花の甘い誘惑、星の祝福を受けながら口付けを……のトビィ的計画が台無しである。
 わざわざ、ライアンと離れてからこの場所を見つけておいたというのに。
 途中までは完璧だったはずだ、今でもこうしていつでも口付け出来る状態である。
 が、アサギは不安そうに潤む瞳で懇願している。口付けではなくて、『お兄様』というその格付けを。
 トビィには、選択の余地がなかった。あぁ、唇まであと少し、少しの距離なのに。

「……トビィお兄様」

 思考回路、停止。
 なんという甘美な響きだろうか、上目遣いの美少女の誘惑だ。
 トビィは、アサギの顎から手を離すと、ゆっくりと頭を撫でた。

「あぁ、いいよ。今からオレがアサギのお兄さんだ」

 選択の余地が全くなかったのだ。
 あの視線からは逃れなれない、草食動物の丸くて大きな瞳でおねだりされたならば。……受け入れるしかなく。
 強引に唇を奪うことも出来ただろう、トビィの脳内で想像以上の葛藤が起きた。ほんの、数センチ先の唇。柔らかく、熟す前の潤うサクランボのようなアサギの唇。塞いでしまい、丁寧に音を立てて唇を吸い。アサギは驚いて瞳を開けたままだろうが、徐々にうっとりと瞳を閉じるに違いない。震える身体を抱き寄せて、力緩めて開いた唇に舌をそっと入れる。跳ね上がる身体を力で押し付けて、そのままゆっくりと舌で口内を味わう。やがて、紅潮するアサギの頬と身体、時折唇を離せば切なそうな声を漏らすだろう。震える手で、トビィの衣服を掴むだろう。恥じて顔を伏せようとしても、再び顎を持ち上げて唇を塞ぐ。何度も繰り返せば自然にアサギとて舌を絡めるだろう、おぼつかないが。それがまた初々しい、上気する息遣いのアサギの眩しい太腿にそっと指を這わせば小さく震えて、鳴く。
 ……だろう。その筈だった。

「ホントですか!? わぁい、やったぁ! ……トビィお兄様っ」

 アサギは嬉しそうに笑うと、そのままトビィの首に抱きつき弾む声でそっと囁く。
 そう、耳元で。

「トビィお兄様、だーいすき」

 思わず、トビィの背がぞくりと波打つ。なんという色気のある、破壊力ある台詞だったろう。

 ……まずいな、これは。

 苦笑いして無邪気にじゃれてくるアサギの背を、撫でながら苦笑い。思った以上に小悪魔だった、天然の。
 意図がないから、性質が悪い。溜息吐きつつトビィはそれでも微笑した。
 アサギの温もりは、すぐ傍に。星の廻りは、そのままに。離れることなく、ずっと隣に。
 お兄様でも、まぁいいだろう。兄の権限で片っ端から近寄ってきた男を蹴散らす事が出来る、そう判断した。
 前向きに考えると、重要なポジションだ。
 キィィ、カトン……。
 二人は、歯車が廻った音を聞いた。公園内に、歯車などない。
 星空の真下で、誓う事は。

「アサギ、必ずオレの傍を離れるな。護り続けるから」
「護られるだけは嫌いです、一緒に戦います」
「あぁ、そうだよ。共に居続けよう」
「はいっ」
「良い子だ」

 朗らかに微笑むアサギの頬に、そっと口付けるトビィ。驚いて顔を背けたアサギだが、そっと耳元でトビィはこう、呟いた。

「今日は、ここまで」
「ぇ、ぅ……」

 実は、ムード満点の恋人の宿も見つけておいたトビィだったが、仕方がない。また、後日だ。
 今は、腕の中で赤面しているアサギを見ているだけで、十分だ。
 困惑し、身動ぎしている可愛い可愛い義妹。愛おしくて再び頬に口付ける。チュ、と音を立てて何度か口付ければ。

「ひゃんっ」

 アサギの高い、声だった。

「……前言撤回したい、な」

 感度が良さそうだ、が、震える身体を押さえ、トビィは我慢した。

 ……兄だ、兄だ、兄だ、オレは兄だ。

 夜は、更ける。目の前で、暖かな小さき者は、震えている。


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