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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第166回   魔界イヴァン崩壊の序曲
 各々の思いを胸に、魔界では魔族達が蠢く。
 ひっそりとした森で、特に変わりなくマビルは退屈そうに暮らしていた。アイセルが緊張した面持ちでやってきた、男と遊ぶことも飽きてきたので嬉しかった。だが、アイセルは多忙なので、つきっきりでいられない。
 不服そうに、マビルは唇を尖らせる。

「大きく魔界が動こうとしている。……マビル、そろそろアサギ様に会う日が近いかもしれない」
「そーぉ? あたしはあたし、どっちでもいいもーん。なんかあったら、適当に呼んで」

 マビルを今すぐにアサギの許へ連れて行くべきなのか、それともまだその時ではないのか。アイセルは焦燥感に駆られた。
 確かにマビルの魔力ならば、その辺りの魔族ごとき蹴散らすことが出来るだろう、アサギの護衛にはもってこいかも知れない。これ以上の逸材はいない気がした。
 ただ、アイセルの一任でマビルを森から出すことは禁じられている。
 アレクに相談すべく、アイセルは森を去った。

 アレクはその頃必死に自分を叱咤して、トビィの言葉を思い出していた。
 身体中に力が入らない、起きなければとは思うのだが、何かが身体に覆い被さっているようで、動く事が出来ない。ようやく腕に爪を立てて起き上がると、顔色悪いながらも走り回った。

 ……ロシファは恐らく死んでいる。

 認めたくはないが、希望は持ちたいのだが。
 死んでいた。
 解りきった事だった、脈など見ずとも、呼吸など確認しなくても見れば解った。ただアレクが認めるのに、時間を要しただけだ。
 問題は『何故身体を運んだのか』。アレクは歯軋りし、床に拳を叩き付ける。絨毯に染みていく涙を、荒い呼吸で見ていた。

「エルフの、血」

 小刻みに震えだした腕を必死に抑える、理由を知っているからこそ、一刻の猶予もない。トビィの言う通り、先頭に立って指示せねばならない。
 しかし、想像以上にロシファの死がアレクに圧し掛かっていた。「ロシファ、君の言う通り私は脆弱な男だった」自嘲気味にそう呟くが、叱咤してくれる最愛の人はもういない。  
 ロシファの身体を持ち去った理由、それはロシファが混血であるとはいえ、エルフだからだ。エルフの血肉を必要とする者が、何処かに身を潜めているからだ。
 それこそが、憎むべき敵。
 アレクもエルフの血液にまつわる話は、知っている。ロシファから聞かされていた、その為に多くのエルフが犠牲になったことも知っている。
 ただ、アレクもロシファすらも知らなかったことがあった。
 魔王アレクと恋仲であった、ロシファ。身体の契りはまだだったが、口付けは何度か交わしている。
 エルフの血肉は魔力を増幅させる、と伝わっているが、血肉だけではない。体液でも可能だった、微量だが、アレクはロシファの唾液を体内に取り入れていた。
 その為、魔王アレクの魔力は高い。確かにもとから優れた王として生誕したのだが、ロシファの力添えもあったのだ。
 それは、誰も知らない事だった。もし、アレクとロシファに子がいれば、いや、身体を重ねていたならば。
 魔王アレクの能力は更に高まっていただろう、現時点で敗北のニ文字はなかったかもしれない。
 アレクは、唇を噛みしめて立ち上がった。
 忌むべき敵は、誰だ。何処にいるのか。
 自分の机の引き出しに手をかける、一番上に置かれている書類を出すと目を通した。極秘に人間界へ飛ばした魔族達からの報告書で、気になる点があった。
 最近、人間達の間で”破壊の姫君”を信仰する人間が増えている、とのことだった。しかも、先導者が魔族であると。
 詳細が知りたいとアレクは伝えたのだが、それ以後、連絡が途絶えてしまったので肝心なことが解らない。消された可能性も有るが、そうなるとかなり強大な敵になる。
 アレクは、その破壊の姫君への生贄としてロシファが選ばれたのでは、と最終的に辿り着いた。報告書によれば、本拠地は”シポラ”という場所の筈だ。時間はない、直ぐにでも屈強な信頼ある魔族を、その地へ派遣せねばならない。
 破壊の姫君については、アレクの従兄弟であるナスタチュームも調査にあたっている筈だった。
 同等の魔力を秘めている、一見頼りなさそうな、線の細い男ナスタチューム。有事の際には駆けつける、と生きる場所を幼い頃に分けた。双方が魔界に居ては、転覆を企てる何者かに消されかねなかった為だ。
 ナスタチュームは、正統な魔王後継者でもある。アレクに万が一があった場合は、ナスタチュームが魔王の座に就く手筈だった。
 しかし当の本人は嫌がっており、寧ろ予言の次期魔王であるという娘をナスタチュームとて、渇望していた。
 自分は王の器ではない、と笑うナスタチュームだが、本気でないことなどアレクは百も承知だ。暢気に見えて鋭く頭が切れる従兄弟に、アレクは連絡を取る事にした。
 頻繁に取り合っていなかったのは、ナスタチュームが狙われても困るからだった。人間と共存を願う魔族が少ないわけではない、だが、忌み嫌う魔族も少ないわけではない。アレクを目の敵にする魔族は、ナスタチュームも邪魔であることは間違いなかった。
 ナスタチュームは”アレクセイ”という小島に、数人の魔族と住まっている筈である。アレクはそこへ出向こうともしたのだが、緊急の用が出来ると不味いと思い直し、思念を飛ばしてみることにした。
 水鏡を用意する、ナスタチュームが傍にいたら反応が有る筈だ。

『……アレク、ですか。久し振りですねぇ。非常事態でしょうか?』

 意識を集中させれば、直様ナスタチュームから返答があった。揺れる水面を見つめると、黒髪の従兄弟がぼんやりと浮かび上がる。水面を見つめている互いの顔が映る仕組みだ、若干微笑んでいる姿に安堵し、無事を確認するとアレクは緊張した声色で話し始める。
 最悪の事態は、まだ引き起こされていないようだ。肩の力が抜ける。

「ロシファが、何者かに攫われた。息絶えていたが、亡骸を持っていったところを見ると……」
『エルフの血肉を欲する輩が出た、ということですね。非常に危険です』
「あぁ。私は噂の破壊の姫君とやらを祀る、邪教徒の仕業ではないかと思うのだが。その後の調査で何か?」
『教祖は魔族ニ人、双子のようですね。多くの人間達が丸め込まれてシポラに集中しているみたいですよ。……ところでアレク。勇者についてですが』
「勇者? あぁ、異界から来た勇者のことか。どうした?」
『勇者には到底見えない、とても麗しい少女が勇者だとオークスから聴きまして』
「アサギのことか。確かに」
『……何故名を?』

 ナスタチュームの声色が変わったので、アレクが首を傾げ続ける。

「何故も何も、今魔界にいる。ハイが一目惚れして連れてきた、皆と仲良くやっているが……何か」
『報告が遅いですよ!? アレク、今すぐ私達もそちらに向かいます! オークス! サーラ! 魔界イヴァンへ!』

 アレクの言葉を遮って、ナスタチュームが金切り声を上げた。思わず耳を塞ぎ、顔を顰めたアレクは、脳に響く大声に頭を抱えたままだ。産まれて初めて、ナスタチュームの怒鳴り声を聞いた。耳が裂けそうだった。
 確かに勇者の報告はしなければならなかっただろうが、そこまで騒ぐほどのことだろうか。アレクは眉間に皺を寄せて、痛みから逃れようとする。

「ナスタチューム? おい、ナスタチューム? 私が言いたいことは、そのエルフの血肉を欲するものが王家転覆を狙っており、王家の血筋を途絶えさせようとしているのではないかということであって……」
『ロシファを攫った輩と、破壊の姫君を祀る輩が繋がるかどうかよりも、今はアサギを、彼女を。誤算でした、まさか魔界に来ているだなんて!』
「彼女は勇者にして、次期魔王候補であると予言に」
『……予言家の、ですね!? なんてことでしょう、こうなるともう……。アレク、彼女から目を離さないでください、彼女は』
「いや、離すわけがないだろう。大事な子だ」
『アレク、貴方は事の重大さを認識しておりません! オークス、サーラ! 共に来て下さい、今こそニ人の力が必要です。この島の警備も念の為怠らないように、ジーク辺りに指示を』
「ナスタチューム? ナスタチューム!」
『彼女が、破壊の姫君です。全てが真実ならばアサギは異界から来た勇者で次期魔王候補でありながら、破壊の姫君という座に就く可能性があるのです! いいですか、アレク。まずはロシファを攫った敵の本当の目的を』
「…………」

 唖然と立ち尽くすアレクの耳には、ナスタチュームの喚き声が響いていた。
 口元を押さえると、思わずその場に崩れ落ちる。「どういうことだ」と喉の奥から声を張り上げた。
 アサギに、妙な糸が絡まりすぎていないだろうか。何故そのような事態が起こり得るのか。今の事実を、誰に告げるべきか。皆に言うべきなのか、ナスタチューム到着まで、胸に秘めておくべきなのか。

「アサギ……そなたは一体何者だ」

 絞り出した声など、届くわけもなく。混乱したアレクは震え出した身体を、腕で抱き締めた。

 ホーチミンは図書館へと向かっていた、途中サイゴンに出くわし、叱咤されたが必死に説き伏せる。

「お願いよ、もう一度! あの図書館に賭けてみたいの、私が感知出来るのならば、また新しい情報が」
「落ち着けミン。読んだ本のことは一旦忘れよう、今は警備に集中してくれ。ミンの魔力は絶大だ、図書館に籠もっていては万が一の有事に対応出来ないだろう!?」
「でも、でも……っ」
「緊急事態なんだ。だが、そこまで言うならアレク様に頼み込んで、図書館の本を片っ端から、ミンの配置されている場所へ届けてもらうように頼んでみるか」
「……それで、本が無事に私の許へ届いてくれれば良いけれど。嫌な予感がするのよ、怖いのよ」

 青褪め震えるホーチミンを、サイゴンが力強く抱き締めた。通行する魔族が、口元を緩ませて通り過ぎていくが無視する。背を撫で、必死にホーチミンを慰めると耳元で囁く。

「大丈夫だ、ミン。俺がいる、幼馴染の俺が共に。この危機を乗り越えよう、そうしたら落ち着いて本を探そう」
「そう、なの。それは、解るけど、でも……そうよね、魔力で結界を強めないとね。本は……」

 重心をサイゴンにかけて、ぐったりと身を任せたホーチミンは泣きながらそう告げた。長い睫毛は涙で濡れる。腰に手を回し、数分ニ人はそうして寄り添っていたが、やがて離れた。
 困ったように笑い、小さく手を振るとホーチミンは長いドレスを翻し図書室から離れていく。それを見たサイゴンも安堵すると、未だに残るホーチミンの花の香りに顔を赤らめその場を去った。
 カトン……カトトン……。
 図書室にて、管理人が音を聞いた。不審に思い、ランプ片手に見回りを数人で行ったが特に何も忍び込んではおらず。皆怪訝そうに持ち場に戻る。
 カトトン……。
 本棚の一箇所が、青白く光っていた。誰かを待ち侘びて、そこで題名のない本が光を発していた。

『名前を呼ばせてください、貴方の名前を呼ばせてください。
 私に何か力を下さい、奇跡を起こせる力を下さい。
 その代償として、何かを失っても構いません。
 どうか、どうか。
 あの人の名前を呼ぶことが出来るように、また、会えるように。
 ……会いたい、です。

 暗闇の中、照らす光は何でしょう。
 明るい太陽の光でしょうか、優しい月の光でしょうか。
 それとも、全てを焼き尽くす炎の煌きでしょうか。
 それはきっと、貴方の光。』

 青白い光は揺らめく。太陽にあてられて、光り輝く美しい黄緑色の髪を靡かせて。消えそうな美少女がそこに立っていた。大きな瞳で何度か瞬きしながら、何かを探すように図書室に視線を送る。
 落胆した様子で、美少女は。……否、アサギに良く似たその美少女は悲しそうに微笑むとゆっくりと消えていった。
 図書室に静寂が戻る。
  ハイは「一人になりたい」と、来てくれたリュウの誘いを断り自室に閉じこもった。
 アサギはトビィと出かけている、腕で顔を覆い隠しながら力なくベッドに横になると笑った。
 流石にテンザの行為には、ハイも動揺を隠し通せない。「まさか」としか言葉が出てこなかった。
 何故。
 何故そのような愚行に走ったのかハイには見当がつかないのだ、まさかハイの豹変振りが原因であると知る由もなく。惑星ハンニバルから共に来てくれた信頼できる悪魔、常に冷静で何処か計算高い男。それでも、自分を好いて、助けてくれた。人間などよりも、余程信頼出来る相手だった。

「何があった、テンザ……。手紙を渡し、その後お前の身に何があったのだ……」

 ハイは知らない、その時点ですでにテンザがハイを見限っていたことを。新たな共存相手を見つけたことを。そして、捨て駒として利用されてしまったことを。ハイには、解る筈もなかった。
 全てを諦め、自暴自棄で暗黒に身を堕としていた神官は浮上した。
 浮上し、生を望み光の中に足を踏み入れていた魔王ハイは、精神が脆くなっていた。感情が甦った為、動揺し、困惑し、激しく悩む。久しく、忘れていた感覚だった。

 リュウの部屋にて、幻獣達が強い意志を持った瞳で平伏している。ただ、苺を頬張りながらリュウは何も語らず。ぼんやりと、何処か遠くを見ている。
 耐えかねて、リングルスが口を開いた。室内に漂うのは、苺の甘い香り。

「親愛なる、我主君よ。どうか、我らをアサギ様の警護及び事態の収拾に努めるようとの、指示を下さい」
「ほだされたのか、リングルス。人間は諸悪の根源、相容れぬことの出来ぬ種族ではなかったのか」

 切羽詰ったリングルスに対し、リュウの声は何処か冷え切っていた。苺を口内で潰して、喉に通すだけ。

「人間全てが、悪ではありませぬ。それを痛感致しました。もう一度、人間と共に生きてみたいと……いえ、せめて彼女を護りたいと。あの方は、相手が誰であろうとも、小さな身体で必死に護ろうとしてくれます。それは、王子とて十分承知ではないでしょうか。蟠りがあることは、重々承知しておりますが、せめて、我らだけでもあの方の護衛を」
「我ら幻獣星に生を受け、今まで共に歩んできた者達は。……今後一切惑星クレオの魔界における不穏な争い事には、参戦せぬ。それが、私からの命令だ。この混乱に乗じて、仲間達を捜しに出向こうと思っている。近日中に魔界イヴァンを去る、皆、旅立ちの準備を」
「スタイン王子!? 見て見ぬ振りをするのですか!?」
「傍観ではない……私達には全く関係のない出来事。傍観する必要すらない。仲間達の身を危険に曝す事など、私は許さない」
「アサギ様に、ハイ様。……お二方の身を危険に曝しても良いと、そうおっしゃるのですか?」

 淡々と呟くリュウに、口々に落胆気味の声を上げる。それでもリュウは、静かに頷くだけで意見を曲げようとはしなかった。
 苺は、空になった。硝子の容器には、多少赤みがかった水が底に溜まっている。
 リュウは立ち上がると、静かに部屋を去っていった。寄りすがる幻獣達を見ることなく、すすり泣く声を聞き流して、部屋を出た。
 静かに、歩き出す。

「人間は、嫌いだ。人間は、嫌いだ。人間の、勇者は、嫌い、なんだ……」

 ぶつぶつと同じ事を繰り返しながら、虚無の瞳で彷徨い歩く。
 何処をどう歩いたのか、気がつけばミラボーの部屋の前に佇んでいた。
 今は、親しくない誰かと共にいたかった。
 一人でいるのは、辛い。けれども、見知った相手では迷惑をかけそうで、嫌だ。
 徐に、ドアを押してみる。中には水晶を眺めているミラボーが居た、リュウに気付くと軽く笑う。

「おや、どうかしたのかね。顔色が優れないが」
「……水晶。先程聞いたが、それは何でも映るのか?」

 暗闇の中、数本の蝋燭の光と、水晶が放つ妖しげな青い光。リュウは眉間に皺を寄せて、それを見つめた。
 水晶を愉快そうに覗き込んでいるミラボーは、ゆっくりと手招きをする。吸い込まれるように、近づいた。
 水晶には、エーアが映っている。

「それが、例の人間の女?」

 意外そうな声でもなく、ただ、抑揚のない声でリュウは呟く。

「あぁ、そうとも。わしとて気になるのでね、こうして調べておるのじゃよ」
「……何の為に。前から不思議だった、ミラボーだけ、目的が解らない」
「ふぇふぇっふぇ。ハイと似たようなもんじゃよ、ここへ”来た当時のハイ”と。人間であれ、魔族であれ……邪魔なものは葬り去る。欲しい物は金銀宝石、広大な土地。自分の手中にない、見知らぬ土地があったとすればそこも欲しい。特に何をするでもない、ただただ、渇望する。生きる目的、希望、自身の目で確かめたものは、自分のモノにしたくなる。限界など、ないのじゃよ。限界など、つまらないだけ。叡智も欲する、強大な力も欲する。貪欲に生きてこそ、人生は素晴らしきものなり。まぁ、本音を吐露するなれば……死にたくないかの。全てを手中に出来たならば、死なども凌駕できると思っておるしの」

 こんなに愉快そうなミラボーを見ることは、初めてだった。子供の様に瞳をギラギラさせて語る様を、ぼんやりと眺めると再び水晶に瞳を落とす。

「ハイとは、違うと思うけれど」

 ハイは、死にたくないのではなく。寧ろ死にたかった筈だ。
 リュウは、はっきりと口にした。
 その言葉に爽快になったミラボーは、大きく頷くと水晶に手を翳す。 

「違うじゃろうな、あちらは甦った神官様じゃ。ふぇふぇっふぇ、面白いのぉ。いや、実に面白い。さて、魔王リュウ殿。そなたが見たいものを水晶に映そうか? わしはそなたの目的を知っておるよ」

 リュウはまた一歩、水晶に近づいた。罅割れた丸い球体には、穏やかに笑い合っているリュウと幻獣達が映っていた。
 静かに水晶に手を翳したリュウは、食い入る様にそれを見つめる。
 声が聴こえる、ミラボーの声が幾重にも重なって聴こえた。

「そなたは、静かに暮らしたい。そなたを慕う仲間達と静かに暮らしたい。安住の地が欲しいのだろう? わしが用意してやろう、そなたさえ欲すれば、誰にも侵害されずに暮らせる土地をやろう。なぁに、簡単なこと。これから起きる事にそなたは関与しなければ良い。それだけじゃよ。何処かに身を潜めておってくれれば良いんじゃ。”傍観などしなくても良い”」

 ミラボーの声が聴こえる。甘美なそれは、幾重にも脳にこだました。
 リュウは涙を一筋溢し、眩しそうに笑っている自分を見ていた。水晶の中は、なんと穏やかだろう。渇望した世界が、そこには広がっているように思えた。

「私には、護らねばならないものがある。それだけは、絶対に護り抜く」
「うむ、大丈夫じゃ。目を瞑っておれば良い、大事な者達と今まで通りおればよいだけ。他の事は考えなくてもよい、それだけじゃ。終わる頃、瞳を開けばそなたが望む世界がある」

 リュウは、小さく頷いた。
 静かにミラボーがその背を撫でる。リュウはじっと水晶を見たまま、小刻みに震えていた。

「私には、同胞達を護らねばならない義務があるんだ。危険な目に曝すわけにはいけないんだ。当初の目的を、果たすんだ」

 自身に言い聞かせる、故郷を旅立った時の思いを口にする。

「そなたには出来る。大丈夫じゃよ……さぁ、リュウよ。そなたの護りたい者達をここへ、ここに居れば全てが終わる。呼んでおいで、連れておいで」

 人間に不本意なカタチで召喚され、死ぬまで兵器として扱われていた幻獣星の護るべき仲間達。リュウには、最後の王族として彼らを護らねばならない責務があった。
 惑星へはもう、戻れない。リュウ自らが遮断した為だ。
 封印を解くことが出来るのは、施したリュウ自身だけだ。召喚士という下劣な存在がこの世から消え失せたと解るまで、解除が出来ない。
 家族達に会うことは無論、故郷へすら帰れず。安息の地など、何処へ行っても見つかることがない大事な仲間達。
 誰も責めないが、誰しもが嘆いているだろう。
 リュウの願いはただ彼らを護り抜き、違う場所でせめて穏やかに暮らすことが出来たらと。
 その場所を探し出し、皆に提供せねばならない。誰一人、欠けることなく。
 ハイと、アサギの顔が浮かんだ。見殺しにしたも同然な、仮初の勇者のサンテも浮かんだ。
 だが、リュウが追い求めるのは親しくなった人間の仲間ではない。
 同じ惑星の、自分を王と崇める幻獣達だった。
 静かに出て行くリュウの背に、ミラボーが小さく声をかける。

「……言ったじゃろう? わしは知り得たものは何でも欲しいんじゃ。幻獣星、と言ったかのそなたの惑星は? ……そこもまた、掌握したいのじゃよ。魔王になり切れなかった、魔王リュウよ。さぁ、目を閉じるが良い。全てが終われば待っている、あの勇者の娘さえ喰らえば、未知なる魔力が手に入ろう。そなたの故郷とやらを繋ぐ事とて、恐らく出来るじゃろうよ」

 一時の、安住の地をそなたに。
 嬉しそうに瞳を光らせて、ミラボーは下卑た声で笑った。リュウさえ大人しくしていれば、残るは失意の魔王アレクと、アサギを護り本来の力が出せないであろう魔王ハイ。追い打ちをかける様に、ハイはテンザの件で動揺している。

「わしはの、わしさえ無事なら良いからの。誰も護る必要など……ないから楽じゃの。ふぇーふぇっふぇっふぇ」

 水晶に映ったエーアが、口元に妖艶な笑みを浮かべていた。
 そろそろ、氷付けのエルフの姫君が糧として喰われる。
 あとは、どのタイミングで運ぶか、だ。

 リュウが戻ってきたので、リングルス達は必死に説得を試みた。皆で議論し、やはり納得が出来ないと胸のうちを伝えた。だが、リュウは頷くのみで何も言わない。
 皆の声が嗄れるまで、延々と言葉が並べられた。だがリュウは沈黙したまま、聞いているだけだった。
 聞いているのかすら、解らなかった。言葉など、届かない。
 けれどもリングルス達はリュウの命令を無視して行動するなど、到底出来なかった。
 単身で人間界に乗り込み、救ってくれた偉大な王子。本来ならば王に即位し、皆に愛されている筈の王子。
 誰よりも優しく、傷つきやすい王子を知っていた。
 皆の口数が少なくなった頃、虚ろな瞳のリュウは皆を連れて、ミラボーの部屋へと出向いた。
 不審に思いながらも、ついていく幻獣達は顔を見合わせる。
 ミラボーに丁重に招かれ、室内に足を踏み入れた。静まり返った不気味な明るさの室内に、皆が顔をあからさまに顰めた。
 佇むリュウは、何も言わず。
 代わりにミラボーが不信感を露にしているリングルス達に、穏やかに話しかけた。

「魔王リュウ殿。そなたは本当に良い部下をお持ちじゃの」

 声が聴こえた、途端、身体中から力が抜ける。それが室内の四隅から立ち昇る妙な煙であることに気付いたが、遅かった。次々とその場に倒れこみ、皆、瞳を閉じる。
 震える瞼を懸命に開こうと抵抗しても、無駄だった。俯いたままのリュウに、何か言わねばと皆が口を開こうとする。が、開くことが出来ない。
 全ての黒幕は、ミラボーなのではと思っても、全ては遅かった。
 何故、リュウがミラボーの側についているのかも解らず、皆、意識を失う。

「心配いらぬよ、ただの睡眠薬じゃ。多少麻痺の効果もあるが、身体に影響はない。文字通り、目が覚めれば全てが終わっておる」

 床に倒れこんでいる仲間達を、リュウは見つめた。リュウ自身も意識が朦朧としている、力なくその場に座り込む。
 瞳を開けば、望んだ世界が。
 そんな言葉が、脳裏を過ぎった。

「眠れ、魔王リュウ。わしは出かけてくる、ちょいと豪華な食事をな。ふぉふぇふぇっ」

 ミラボーの声が、聴こえた。リュウは、唇を動かしながら静かに、瞳を閉じる。

 リュウ達が揃って消えたことなど、誰も知らず。皆が手一杯だった。
 ただ、アサギだけが。
 リュウ以下、幻獣達の姿が見えないと首を傾げてトビィに告げる。
 室内も静まり返っていて、誰もいないのは妙だとアサギは必死に訴えた。
 ハイに告げた、奔放していたサイゴンを捕まえて告げた。
 ナスタチュームからの言葉を思案していたが答えが出ず、焦りを感じていたアレクにも告げた。
 ドォォォオオオオオン!
 耳を劈くような轟音に、アサギが悲鳴を上げる。トビィが素早く腕に抱き留め、剣を引き抜いた。
 城が揺れた、あちらこちらで悲鳴と咆哮、笑い声が上がり、遠くでは煙が立ち昇る。

「何事だ!?」
「アレク様、アレク様! 反乱です、突然、魔族同士で殺し合いがっ」

 ホーチミンが、アイセルが、スリザが集まってきた。顔面蒼白で、すでに衣服にも多少の血痕が付着している。口々に状況を報告するが、皆上手く語れていない。

「一斉蜂起か、主導者がいなければ無理な話だな。城内にも反乱に組みするものが居るのならば……篭城は出来ぬ」
「アレク様、お逃げ下さいませ。アイセル、サイゴン、ホーチミン! アレク様と共に生き延びよ。ハイ様、アサギ様、トビィ殿も共に」
「何言ってんのスリザちゃん! アレク様の護衛はサイゴンとホーチミンで十分でしょ、俺は一緒に」

 皆が言いたいことを口にするので、その場は騒然となった。個々の主張はあるので仕方がないが、今は言い争っている場合ではない。

「上手い具合に事が運ぶな、気に食わない」
「トビィお兄様、クレシダやデズデモーナは無事ですか? 上空に一度避難して、状況把握しながら今後どうするかを決めては駄目ですか?」
「……この場にいる全員をクレシダ達に乗せるには、流石に無理があるな」

 アレクから受け取った剣を引き抜き、アサギが周囲を窺う。何処からか悲鳴が上がる、誰が敵で誰が味方なのか解らない。
 舌打ちすると、トビィはアサギの手を握った。アサギだけは、護らねばならない。
 無論、ハイも同感でアサギの手を知らず握る。

「アサギの御身が最優先だ。アレクセイへ一旦逃げ込む、こちらへ! ナスタチュームもこちらへ来る筈だ」

 アレクが鋭く一喝し、自室へと急ぐ。サイゴンとアイセルが前に出て、アレクを警護した。真後ろにホーチミンとスリザが控え、アサギ達が続く。

「ナスタチューム様って、どなたですか?」
「従兄弟だ、アサギ。ゆっくり紹介したかったが時間がない、ともかく」

 アレクの姿を見つけ、まだ斬り付けてくる魔族はいなかった。だが、何が起きたのか解らず救いを求めて皆がついてくる。これでは、敵に遭遇した時に一網打尽だ。

「……逃げるべき、なのでしょうか? 後ろに居る人達を避難させて、それで」

 アサギがトビィにそう告げた時だった。
 急に髪を引っ張られ、身体が止まる。痛みで悲鳴を上げれば、その声に皆がアサギを見た。
 伸びた手がアサギの身体に纏わりつき、後方にいた魔族達が一斉にアサギを抱え込む。

「アサギ!?」
「何をする、お前達!」

 トビィと繋ぐ手、ハイと繋ぐ手。耳元で聞こえる喚き声と、身体中に這い蹲る手でアサギは半泣きでもがいていた。
 痛みに悲鳴を上げる、ホーチミンが魔法を放ち応戦しているらしいことは解った、トビィが剣で斬りかかっていることも解った。アイセルが壁を蹴って飛び込んだその時に。
 眩い光が皆を襲う、耳の奥で何かが爆ぜる音がする。脳が揺れる、激痛が全身に走る。

「アサギ!?」

 トビィが目を醒ましたとき、周囲には誰も居なかった。
 何が起こったのか、理解が出来ない。城内に居た筈だが、今は分厚い雲の真下、瓦礫の山に転がっていた。全身を強打したらしく激痛が走るが、なりふり構わず大声で名を呼んだ。

「クレシダー! デズデモーナ!」

 砂埃が舞う、周囲は何も見えず。口内に入り込む砂を吐き捨てながら、トビィは相棒の名を呼び続けた。
 アサギを握っていた手が、冷たい。
 二度と離さないと誓ったのに、この様かとトビィは自身への怒りで狂いそうだった。
 やがて煙が落ち着き、アレクの居城の半分が崩壊したのだと、トビィは知った。
 魔族達の死体が夥しい程横たわっていた、虫の息の者もいたがどうにも出来ない。ただ、折り重なっているその上を歩くしかなかった。
 焼け焦げた匂いが思考を停止させた、森が広がっていた場所は、地面が抉られ何も、ない。
 何が起こったのか、それでもトビィはアサギを捜す為だけに身体に鞭打って歩き出す。 

 小さく呻いて、アサギは目を醒ました。見慣れた絨毯の上に寝ている、引っかかれた傷が身体中にあるが、特に大きな外傷はない。
 指先から徐々に力を入れて、どうにか起き上がった。
 頭を数回振る、息を大きく吸い込み、ゆっくりと吐く。

「ここ……」

 記憶がある、柔らかなその絨毯はつい最近も見た。

「リュウ様の、お部屋?」

 呟き、我に返ると鮮明に意識が戻った。気配を感じドアを見ると、そこにリュウが立っている。
 


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