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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第165回   生贄のエルフ
 魔王アレクは目を醒まさず、うわ言でロシファの名を繰り返す。
 医師が寄り添い、万が一に備えてスリザとアイセルが部屋の警備に万全を期した。サイゴンとホーチミンは異例の事態に、人間の女を公開捜査に踏み切った。
 誰がロシファを誘拐したのかアレクは話さなかったが、倒れたまま他の情報が得られないので、現時点で最も疑わしいエーアを捜すことにしたのだ。
 黒髪で、肩ほどのストレートの髪、深紅の瞳は紅玉石の様。恐ろしく美しい女であると、皆に言って聞かせる。
 騒ぎを聞きつけて、ミラボーも顔を出した。

「何事かね? チュザーレに戻ろうと思って挨拶に伺ったが……」

 何食わぬ顔でそう告げたミラボーに、困惑しながらもスリザは手身近に人間の女を捜していることを伝える。思案し、ミラボーは懐から水晶球を取り出した。罅が入っているが、苦笑してそれをスリザに見せる。

「しかし、人間の女とは。失礼じゃがハイが連れてきた勇者は……人間では?」
「アサギ様を疑われるのか!」
「いやいや、そうではなく。魔界に足を踏み入れることが出来る人間など……誰かの協力なしでは無理じゃろうて? まぁ、それは良いとして、どれ」

 黒幕はミラボーだが、アサギに濡れ衣を着せるつもりで口にした。いや、上手くは行かないだろうが、強固な絆で結ばれているらしい魔族達の疑心を誘う火種にはなる。ただ適切な判断力を劣らせることが出来れば、それで良かった。
 ミラボーを訝しげに見ていた一同だが、水晶に映ったエーアの姿に、アイセルが悲鳴を上げる。

「この女だ! ミラボー様、何処に、この女は何処に!」
「あ、慌てるでない。……ふむぅ、何か強大な力に囲まれており、これ以上は詮索が出来ぬ。思いの外、やるようだの」

 嘘八百である、が、ミラボーも迫真の演技をする。

「魔王の力を凌駕すると!?」
「……わしの力を凌駕できるのは、闇ではない。光の軍勢ならば可能じゃろうな」

 ぼそ、と告げたミラボーに、アイセルとスリザは互いに顔を見合わせ顔を顰めた。
 光が扱える人物、そして人間に関わる者。魔界に存在し、二つが該当する者はアサギしかいなかった。
 けれどもアイセルは唇を噛締め深く礼をし、ミラボーを見送ると同じ様に悩んでいるスリザの肩を揺する。

「スリザちゃん、惑わされないで。アサギ様の筈がない」
「……解っている、だが、腑に落ちない」

 アサギは違うと解っている筈だが、情報が少なすぎて、すぐ傍のものに飛びつきたくなっていた。

「なんの相談をしているんだか。アサギを疑うのなら、オレはこのままアサギと共に魔界を出るが?」

 気がつけば、呆れた顔をしてトビィが来ていた。何時の間に入り込んだのか、壁にもたれて嫌悪感を露にしている。

「それより、さっさと魔王を叩き起こせ。惚れた女が誘拐されて、ぶっ倒れたままとはどういうことだ。真っ先に捜しに行くべきだろうが」
「貴殿と違い、アレク様は繊細なお心の持ち主なのだ。それに」

 言いかけてスリザは言葉を詰まらせた。トビィはアサギが魔王に攫われたので、単独で魔界へ乗り込んできたのだ。ただの暴言吐きではないので、反論を躊躇する。

「ふん……まぁいい、最後に見たのはアレクなんだろ? 詳細を話せと伝えてくれ、寝ている間に恋人がどうなってもいいのかと、脅しを」
「すまないな、トビィ。不甲斐無いばかりに」

 聞えた声に、真っ先にスリザが駆け寄る。 
 アレクが静かに起き上がり、窓から外を見つめていた。半泣きのスリザに駆け寄ると、アイセルも慌てて跪く。
 鼻で笑うと、トビィが悪びれた様子もなくアレクに近づく。

「全て話せ、何があった?」
「……恐らく、ロシファはもう死んでいる」

 告げたアレクに、スリザが悲鳴を上げ、流石にトビィも絶句した。

「生気が、なかった。一目で、解った。聖域であるあの小島から、全ての命が消え去った。加護が、失われていた。それは、ロシファの死を意味する。彼女の亡骸を抱えて、あの人間の女が何処かへ行ったのだが、全く見当がつかぬ」

 落胆し、静かに涙を流し始めたアレクは、嗚咽しながら蹲った。

「あの時、無理やりにでもロシファを連れて魔界へ戻れば……こんなことには。私が殺したも同然だ」
「アレク様、お気を確かに」
「……恋人を失った時の苦痛感は察する、が、敵の情報があまりになさ過ぎる。何があったのか事細かに話せ」

 トビィに掴みかかったスリザを、アイセルが無言で止めた。静かに首を振り、トビィが正論だとスリザに目で訴える。力なくアイセルにもたれこんだスリザは、今にも消えてしまいそうなアレクを見て、涙したままそれ以上何も言えなかった。

「ハイを、呼んでくれ。サイゴンも、ホーチミンも。……アサギには酷く痛々しいかもしれないが……話しておいたほうが良いだろう」

 直様トビィは、皆を呼びにドアへと向かう。震えるスリザを抱くアイセルは、何か声をかけねばと思いつつも、何度も飲み込んだ。
 無理だった、恋人を無くした人にかける言葉が見つからない。
 数分後に息を切らせて集まってきた、信頼している顔馴染み達にアレクはようやく、弱々しい笑みを見せる。
 一応リュウも呼ばれた。ドアの前で横を向いたまま何も言わない姿に、アレクは小さく頷くと言葉を紡ぐ。

「私が到着した時点でロシファは殺されていたようだ、小島の動物、植物、そして無論乳母も死んでいた。ハイ……気を悪くするかもしれないが、あの場に居たのはそなたが惑星から連れてきた、悪魔テンザだった」
「馬鹿な!?」

 思わず視線がハイに集中する、魔王だがハイも人間だ。疑惑の瞳を向けたスリザに、ハイは言葉を失った。自分に集まりつつある非難の視線に、ハイは耐えるしかない。しかし、無実だ。

「そこには、例の人間の女も居た。いつから共謀していたのか……。ただ、テンザは正気を失っていた。言葉など話さなかったし、身体から触手が這い出して最早異形。悪魔があのような姿になるのならば正常かもしれないが、失笑していた」
「テンザ、なのか? 本当に?」

 震える声で呟くハイに、アサギが寄り添う。テンザといえば、アサギの手紙を持って魔界を飛び去った筈だ。手紙はどうなったのか、とアサギは思ったが、恐らく届いていないだろう。手紙の事は忘れ、今はハイを護らねばとアサギは決意した。

「落ち着いてください、ハイ様。テンザ様は、私の書いた手紙を運ぶ途中で、何者かの罠にはまってしまい、それで」
「……そうであると、願いたい。だが、あのテンザがいとも容易く敵の手に落ちるなどとは」

 考えられない、とハイは青褪める。
 話に上がっても、トビィはテンザを知らない。正確には魔界へ来る前に叩きのめしているが、名前を知らなかった。容姿の特長さえこの場で出ていれば、もっと話は掘り下がったのだが、それは無理な話だ。
 沈黙に包まれた部屋で、アイセルが切り出す。

「アレク様。ミラボー様が先程水晶球で、あの例の女を映し出しました。協力を、仰ぎましょうか?」

 沈黙するアレクは、しかめっ面で窓から外を見ている。どうすべきか、悩んでいた。ここにいる者達とは違い、掴みきれない魔王ミラボーである。仲間は多いほうが良いが、かといって、手の内を多くのものに曝すことは危険だ。
 リュウも謎だが、アサギが絶大な信頼をしているので無下には出来ない。

「暫し、思案したい。ともかく、警備を怠るな。魔界全てに緊急配備を」
「はっ!」
「オレは上空を一回りしてこよう。アサギ、一緒においで」
「はい!」

 トビィに手を繋がれ、アサギはそのまま部屋を出ようとした。慌てて皆が止めに入ったが、トビィが怪訝に睨み付けた。
 自分でアサギを護りたいのだろう、そのほうが安心できるのだろう。鋭いトビィの瞳に、サイゴンが静かに頷いた。
 アサギを護りたいのは皆同じだが、その想いが一番強いのはトビィだ。

「アサギ、剣をそなたに。本当ならば、稽古が進んでいただろうに……。エルフ族に伝わってきた小剣だ、銀で出来ている。ロシファの小屋に残されていた、持って行きなさい」

 懐からアレクが取り出したそれに、皆息を飲んだ。もし本当にロシファが死んでいるとしたら、それは形見になる。それを手渡すのは断腸の思いだろう。無論、アサギも躊躇する。

「そんな大事な物を? ですが」
「アサギ、君に加護を。ロシファもそう望んでいる」

 丁重に断ろうとしたが、アサギは大きく頷いていた。断ってはいけない気がしたのだ。アレクに近寄り、差し出された剣を受け取った。
 ずしり、と重みがあるが、妙にしっくり来る。鞘から抜けば光が鈍く放たれる、アサギの表情を映し出す。

「名前が今思い出せない……思い出せたら、伝えよう」
「はい、大事に使います。有難う御座います、アレク様」

 丁重に鞘に仕舞うと、サイゴンが用意してくれたベルトを装着したアサギは、そこに剣を収めた。
 皆に見送られ、部屋を出る。
 トビィに連れられて、アサギは緊張した面持ちで中庭へ向かう。そこには竜のクレシダがおり、待っていたように翼を広げている。
 アサギも共に乗ると知ると、クレシダは怪訝に吼えたが、トビィに睨まれ小さく頭を垂れる。その様子が可愛らしくて、アサギはクレシダの頭部をそっと撫でた。

「綺麗な瞳。こんにちは、初めまして、アサギです。お名前は?」
「クレシダ、と申しますゆえ。以後お見知りおきを」

 渋々飛び立ったクレシダは、すぐさま上昇する。
 上空に舞うクレシダに、アサギは歓声を上げた。飛行機に乗ったことは一度だけ、だがここまでの開放感はあるわけがない。はしゃいでいたが、それどころではないと、慌てて口をきつく結ぶ。浮かれている状況ではなかった。
 アサギを膝に乗せ、負荷がかからないように速度は遅めに進むトビィは、まずオフィーリアがいる海岸へと向かった。そこには当然デズデモーナも居る。
 ニ体の竜は主の姿を見つけると、嬉しそうに咆哮した。トビィも和やかな瞳で手を振っている。

「オフィ、デズ。魔王アレクの恋人が殺された、ここにも魔族達が警備の為配置されるかもしれないが……不審な者を見かけたら、即攻撃しろ」
「御意」

 トビィの前に乗っている少女に気づくと、「例のアサギか」とデズデモーナは小さく頭を垂れた。にこやかに微笑み、深く礼をしたアサギに、慌ててオフィーリアも頭を下げた。

「宜しくお願い致します、アサギ様」
「アサギ、で良いですよ。よろしくおねがいいたします」

 丁重に言葉を述べたデズデモーナに、一瞬驚いたアサギ。だが、感心したように破顔すると、そっと手を伸ばす。その手を不振がって、デズデモーナは首を横に振った。

「アサギ、デズは」
「ごめんなさい、馴れ馴れしいですね」

 クレシダもだが、人間に触れられることに慣れていない。当然の反応だが、アサギが悲しまないようにとトビィがフォローする。

「ごめんなさい、デズデモーナ」
「いえ、こちらこそ」

 主の大事な人にとってはならない態度だったと、デズデモーナは反省した。何故か顔が熱くなった気がして、瞳を伏せる。
 そんな様子を、クレシダがじっと見つめていた。
 トビィがクレシダと共に飛び立った後、デズデモーナはオフィーリアと共に周辺の海を探索に入る。時折魔族を見かけたが、トビィの竜だと告げると納得し手を振ってくれた。

「やれやれ、まさかこんなことに巻き込まれるとは」
「それにしても、魔王の恋人を殺すなんて。やっぱり、魔王を失脚させたいのかな?」
「だろうな、普通に考えれば」

 小さく溜息を吐くと、デズデモーナは大きく羽を広げる。

「話は替わるけど、さっきの女の子可愛いね。人間あんまり見たことがなかったけど、あの子は可愛いと思った」
「……綺麗だったな。瞳が、美しかった」
「デズでも、そう思うんだね」

 小さく笑うと、オフィーリアは海へと潜る。瞬きしながら異変がないか、海中に視線を投げかける。

「遠い昔に、私は彼女を背に乗せたような気がする」

 瞳を細めれば、脳裏で声が響いていた。
『よろしくね、デズデモーナ』
 あの少女を、やはり知っている気がしたが、トビィ以外でその背に乗せたものはいない。けれども、どうして頭から離れない。
『デズデモーナ、ごめんね。本当ならばあなたも置いて、一人で行かなければ行けないのでしょうが、やっぱり……。一人は、怖いのです』
 気丈に振舞う彼女に必死になって寄り添った、何処までも共に行こうと誓った気がした。

「……誰だ。何故、私は知っている?」

 困惑するデズデモーナだが、瞳を閉じればアサギが微笑む姿が見えた。
 先程、触れられるのが嫌で避けたのではない。もっと別の感情が働いた為だ。

 自室に戻ったミラボーは、愉快そうに微笑むと声を押し殺して笑った。
 人を陥れるのは大好きだ、互いに潰しあうのを見るのが大好きだった。巻いてきた不安要素は、何れ花開くだろう。
 植えつけた不信感を拭い払えるものか。
 
「さぁて、そろそろ仕上げじゃな。エルフの姫君は手に入った。後は喰らうだけ、よ」

 魔王アレクは衰弱している、恋人の死が余程堪えたのだろう。「脆い男よ」そう呟くと、吹き出した。
 目障りなのは、魔王ハイと、魔王リュウ、せめてどちらかだけでも潰しておきたい。もしくは。

「こちらの仲間にならんかのぉ。どぉれ……ハイは無理じゃろうから、やはり黒白はっきりせぬリュウが妥当か」

 ミラボーは、水晶球に語りかけた。エーアが映る。微笑しているエーアは魔界イヴァン周辺の、小島にいるらしかった。海しか見えない。

「守備は上々かね、エーア」
『はい、ミラボー様。悪魔テンザは最早使い物になりませんが、こうしてエルフの姫はここに』
「うむうむ、何時喰らうかの。大詰めじゃのう」
『腐敗せぬよう、冷凍してあります。岩陰の日陰を見つけ、そこへ運びますわ』
「任せたぞ、エーアよ。本当に良く働くのぉ」

 エーアは、そっと冷たいロシファの亡骸に触れる。太陽の陽射しを眩しそうに見つめ、周辺に視線を投げかけた。
 昨日、ロシファを奇襲したエーア。間一髪で連れ出すことが出来た、まさかアレクが早々に戻るとは思いもよらなかったが、上手くいった。
 ミラボーから魔王達が何処かへ出かけると、事前に連絡を貰っていた為、エーアは機会を窺っていた。
 ロシファが出て行った後、エーアは海に飛び込み、用意していた木の破片に摑まり浮かんだ。
 そこへやってきたのが、ロシファの乳母だ。倒れているエーアを見つけ、躊躇し一旦は離れたものの、やはり気になって助けに来た。
 海草を摘みに来ていたのだろう、海の中でも動きやすい衣服でやってきた乳母にエーアは抱き起こされ、砂浜に横たえられる。切り立った崖に囲まれているこの島であるが、一箇所だけ、自然に出来た階段から下りれば、小さな砂浜のスペースがあった。そこでよくロシファも海に潜り、魚と泳いでいたものだ。
 木に摑まっていたので、難破した船からの漂流者だと思った乳母は、焚き火を起こしエーアを暖める。
 見捨てるには不憫だった、まだ若い人間だ。それに、美しい顔立ちをしている。エルフは美しいものが好きだ。
 暫くして目が覚めたエーアは、号泣して乳母に礼を述べた。丁寧なこの人間に、すっかり乳母は心を許してしまった。何処となく気品も感じられ、育ちの良いお嬢さんだと思った乳母は、薬湯を飲ませる。
 有り難くそれを飲み、海を眺めるエーアは大粒の涙を溢した。家族が船に乗っていた、という。気の毒そうに背中を擦った乳母に、エーアはそっとしなだれた。「お母さん……」そう呟いたエーアに、乳母はほだされた。
 エーアを寝かせ、一人で海藻をとる乳母。それを数分は眺めていたエーアだが、礼がしたいと気丈に立ち上がり、海草を一緒に摘む。驚いた乳母だが、談話しながらエーアと微笑み合った。
 二人で取り組んだので、予定より早く多量に海藻が手に入った為、休憩がてら薬湯を飲むことにした。
 薬湯自体は飲み慣れているものだったが、そこにエーアは薬を入れていた。乳母が先に海藻をとっている時だ。
 知らずに飲んだ乳母は、数分後に焦点合わない瞳で宙を見つめる。
 満足そうに微笑んだエーアは、耳元で指示を出すと、近くの小島で待機していたテンザのもとへと向かった。
 海草を持ち、小屋に帰る乳母を遠くから見送る。今の言葉を、乳母は確実に実行するだろう。
 結界が張ってあり、邪悪なテンザはこの島に入ることが出来ない。
 エーアは、確かにミラボーの手先だった。だが操られているだけであって、本人の魂は汚れ無き純真。島の結界を通ることが出来てしまったことが、問題だ。
 夜になってロシファ達が戻ってきた、乳母は小屋にひっそりと佇んでいた。
 アレクが立ち去り、ロシファが乳母を捜す。普段ならばアレクの見送りに顔を出すのに、出てこなかったので首を傾げたロシファは、小屋の自室で寝込んでいた乳母を見つける。「気分が悪かった、その為横になっていた」……そう告げた乳母に、慌ててロシファはお湯を沸かしに行く。 
 その瞬間だった、ロシファが後ろを向いた瞬間に、乳母は目を大きく開くと手に隠し持っていた海草を、ロシファの肩目掛けて投げつける。狼狽するロシファの視界が、大きく揺れた。焦点が合っていない乳母が異常だと気付くのに遅れ、意識は遠退く。
 海草に混じって、鋭い棘の草が、一本。エーアがこっそりと忍ばせておいたものだ。暗闇でそれだけが禍々しく光を放つ。
 棘には薬が塗ってあった、即効性の毒薬で麻痺してしまう。
 そうして頃合を見計らい、エーアとテンザは島へと上陸する。ロシファの意識が途切れたので、結界が弱まった、だから容易く侵入出来た。
 小屋から、二人はロシファと乳母を運んだ。二人ともエルフである、ミラボーに捧げなければならない。
 ミラボーの目的はエルフの血肉、格段に魔力が上がる禁断の手段である。片方は年老いており、魔力の断片すら掴み取る事ができない乳母だ。しかし、本命はロシファ。
 エルフ族、王家の末裔。最後の一人。
 せめてアレクとの間に子があればよかったのだが、奥手で真面目で純粋なアレクは、自分が魔王の任を降り、腰をすえてからロシファと家庭を育むつもりだったので子を授かっていなかった。
 向かう先々で、動物達がエーアに襲い掛かった。自分達の主を悠々と運ぶ様を、指を咥えて観ていられるわけが無かった。
 とはいえ、全く問題ではない。それらを難なく撃退し、魔王の恋人を手中に入れた興奮からか、テンザが奇行に走り出すのをエーアは黙って見つめていた。 
 生贄なのか、前菜なのか、動物達の血肉を食い散らかし、血塗れになりながら奇声を発するテンザ。瞳は邪悪に光り輝き、狂気に満ちている。
 聖域は穢された、血塗られた地獄と化した。動物達の生命は息絶えて、植物達もテンザの口から吐き出される業火によって焼き尽くされていく。美しかったその島は、失われた。
 もともと、治療に使った薬草に麻薬に近い劇薬があった。その影響だろうと、狂ったテンザは気にせず、ロシファを冷凍しようとした矢先に、悪寒が走る。
 顔を上げ、唇を軽く噛むとエーアは眉を潜めた。乳母の衣服を掴んで引き摺りながら、鹿を喰らっていたテンザに声をかける。
 時間がない。
 エーアは、止むを得ずテンザに乳母を差し出した。惑星ハンニバルにエルフ、という種族がいるのかいないのかなど、知らない。
 エルフの血肉がどのような効果をもたらすのか、などテンザは知らずとも目の前の肉を喰らうだろう。動物では足りない筈だ。
 思惑通りテンザは舌なめずりすると、腕を伸ばし乳母を掴む。引き摺り寄せ、大口開けて肩に噛み付いた。
 一人貴重なエルフを失ったが仕方がない、エーアは小さく溜息を吐くと貪るテンザから離れ、ロシファに氷の魔法を唱えた。新鮮なままミラボーに届けなければならない、氷の膜で身体を包み込む。
 感じた悪寒通り、数分してアレクがやってきた。
 魔王アレク。
 予想以上に到着が早いのは、エーアの計算違いである。ロシファの恋人だ、冷静ではいられないだろうが、全力でかかって来ることは違いない。能力が未知数であるため、無事にロシファを運ぶ為には、テンザにどうしても足止めしてもらわねばならなかった。
 乳母を喰らうことで魔力を飛躍させたであろうテンザは、捨て駒だ。ロシファが手に入れば、面倒な存在でしかなかった。エルフを食らったテンザの能力も見ておきたかったが、エーアは早々に退散した。
 己もロシファが倒れこんだときについた顔の傷から、血液を舐めて体内に取り入れ、身体の底から打ち震える魔力に快楽に似た感覚を味わいながら、風の魔法を放った。
 
 エーアはロシファの遺体と共に、魔界の海域に浮かぶ小島に身を潜める。妙な気配を感じ、岩陰から様子を窺えば竜が飛行していた。通りすがりの竜ではないことなど、明らかだ。背に人間がニ人乗っている。
 勇者アサギ、そしてトビィ。

「あらあら、もう一人のミラボー様の生贄ね。うふふ、今ココで私を見つけ出せなければ、次は貴女がこうなる運命よ」
 
 表情は見えないが、エーアはアサギを見上げて小さく愉快そうに微笑んだ。
 そっと、冷たいロシファの身体を撫でながら。


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