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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第162回   暫し、休息
 次いでアレクは、リュウの部屋を訪れた。
 ミラボーと同じ様に事の成り行きを説明し「一旦この惑星から離れてくれないか」と、頼む。軽く頭を下げ、静かに返答を待っていた。
 リュウは小さく溜息を吐くと、傍で狼狽しているエレンに視線を送る。

「……私は疑われているぐーか?」
「そうだな、私は疑った。だが、今はそうではないと思い始めている」

 素直に口にしたアレクに、意外そうにリュウは笑う。まさか面と向かって言ってくるとは思わなかった、想像以上に度胸があるようだ。
 無表情のアレクから、感情は読み取ることが出来ない。しかし、偽りでも建前でもないと判断する。
 恐らく、馬鹿正直な男なのだろう。だからこそ”魔王には値しない”と、リュウは思っている。

「フン。はいそうですか、と帰るのもつまらないぐー。私はここに居たいぐー」
「……ロシファにも釘を刺されただろう、邪魔をするならば」
「邪魔はしないぐー、ただ、見届けたいだけだぐー。勇者を狙う何者かを、魔王であるアレクはどうするのかを。非常に愉快だぐ。正統な魔界の後継者であるアレク、君と違って私は人間共が恐怖に慄き、その結果魔王という肩書きを得た男だ。アレクとはワケが違うのでね、いつでも自分の好奇心を押さえられずにいるのだよ。魔王が死のうが、勇者が死のうが、どこぞの戯けが死のうが、私には関係ない。面白ければそれで良い。だから返答は”断る”私は、帰らない」

 リュウの声色が変わった、アレクの眉が引き攣り、二人の間に緊張が走る。
 どのくらいの間、こうして互いに牽制し合っていたのだろう。先に折れたのは、リュウだった。
 つまらなそうに、唇を尖らせ肩を竦める。挑発に乗ってこなかったので、頭を掻き毟りながら唇を舐めて口を開いた。

「アレクは相変わらず真面目だぐ。つまらないぐ〜、もっと突っ込んできてくれないと。ところで、どうして私を疑うことを思い止まっているぐ? 自分で言うのもなんだぐーが、一番怪しいのに」

 クククッ、と不敵に笑ってリュウは傍らの苺を摘んで食べた。おどけた表情で勧めたが、当然アレクは首を横に振った。この場は苺を食べて居られる程、暢気な空間ではない。

「アサギが、違うと言ったからだ」
「はぁ?」

 真顔で呟いたアレクに、リュウは咳込んだ。苺を吐き出す勢いだった。
 だが、そんな様子は無視してアレクは淡々と続ける。

「ハイもそなたを疑った。皆、そなたの行動に疑問を持った。だが、アサギだけは真っ向から否定した。『何かを抱えているけれど、絶対に犯人ではない。話せばきっと協力してくれる』と言った」

 リュウが思い切り舌打ちする、エレンが青褪めてシャンデリアの影に隠れた。カタカタとシャンデリアが揺れて、音を立てる。エレンの震えは、シャンデリアを揺らすほど大きかった。

「アサギがそう言うので、信じることにした」
「魔王アレク殿は、人間の小娘に肩入れしすぎじゃないかなぁ!?」

 怒鳴ったリュウは、アレクに掴みかからんばかりだ。だが、平然とアレクはその様子を見ている。呼吸を乱し、忌々しそうに見つめてくるリュウに物怖じせず、ただ、見つめる。

「成程、それがアサギが言う『リュウの何か抱えているモノ』か。共に来た者しか、仲間とせず。親しいフリをしても、外野には深く関わらない様に避けている。……しかしそれでも気になるのだな、アサギが。あの子ではなく、あの子に似て非なる者が」
「煩い」

 リュウの瞳が光り輝いたかと思えば、鋭い咆哮が部屋全体に響いた。外に控えていたサイゴンとアイセルが、武器を手にして転がり込んでくる。ドアを豪快に開き、殺気立ってやってきた。
 だが、何事もなかった。大きく肩で息をしているリュウの目の前で、アレクはただ、同じ様に見つめ続けているだけだ。
 全てが忌々しいとばかりに、リュウは瞳をギラつかせる。

「アレク、君の部下は優秀だけれども。私の部屋のドアを壊すのはどうかと思うぐー、なんか外れてしまっているぐー」
「すまない、謝ろう。だが、本来この部屋は私の所有物。そなたに部屋を貸しているだけなのだが」
「そうだったぐ! あははー……仕方がないぐー、ドアが都合よく壊れたから、今夜は違うところで眠るぐ!」

 普段の口調に戻り、飄々とした態度でアレクの周りを行ったり来たりした。渋い顔で睨みつけてくるサイゴンとアイセルに大袈裟に身震いすると、小馬鹿にしたような顔つきで舌を出す。
 アレクが粛として、右腕で二人を制した。なのでリュウの悪趣味な態度にも耐え、武器を仕舞う。

「口煩いかもしれないが。邪魔はしないで欲しい、それが条件だ」
「良いぐーよ、私は犯人ではないのだから。……まぁ、犯人に加担することはないと思うぐーが、新たな愉快犯として加わる可能性はあるかもしれないぐー」

 言い終えるなり、再び武器を構えるサイゴンとアイセル。リュウは喉の奥で笑うと、二人に手を軽やかに振った。

「おぉ、怖い怖い。ここに居たら、命が幾つあっても足りないぐーね」

 リュウは、壊れたドアから出て行った。エレンはシャンデリアに隠れたまま、出てこなかった。
 深い溜息と共に、アレクがサイゴンとアイセルに微笑する。身体を強張らせ、緊張の糸を解こうにも簡単には無理そうな二人は、苦笑するしかなかった。
 魔王リュウの力量は、誰も知らない。普段の態度がおどけているので、不気味だ。あれは、フリなのだろうか。時折見せる冷酷な表情と、どちらが真実なのだろうか。

「ご苦労だったな、サイゴン、アイセル。ミラボーは承諾してくれた、リュウは見ての通りだが……」
「確かにアサギ様の仰るとおり、リュウ様は犯人ではないのでしょうね。今後、邪魔になりそうですが」
「……そうだな。アサギの言う”何か”が解れば、良いのだが」

 エレンは聴いていた、思わず、飛び出そうかとも思った。けれども、出来なかった。何故ならばエレンとて、リュウが何を悩み、苦悩しているかまでは知らないのだ。勇者絡みであることは間違いがないのだが、何故なのか真相を知らない。
 エレン達は、サンテの本心を知らない。
 アレクもは、隠れているエレンに声をかけようかとも思った。だが、訊いてはいけない気がして、無理に踏み込むことが出来ない。お人よしなアレクの性格が災いした、緊急時ではあるのだろうが、どうしても声を発することが出来ない。ロシファにこれだから怒られるのだと、自嘲する。
 結局引き上げたアレク達を陰で見送り、エレンは降りてきた。困惑して宙に浮き、泣きそうな表情で仲間を捜す。隣の部屋に居る筈の、仲間達の許へと向かった。
 けれど、誰もいなかった。 
 そうだろう、居れば先程リュウの感情が昂ぶった際に駆けつけても良いはずだ。何処へ、行ったのか。部屋で一人、エレンは浮遊していた。

 食堂では話が尽きず、結局アサギもトビィもその場で夕食を摂ることになった。
 ホーチミンの話が長すぎて終わらないのだ、水を得た魚の様に生き生きとしている。ようやく追いついたハイも参加し、始終アサギの髪を撫で、頬に触れ、時折耳元で囁くトビィを、血走った瞳で見つめている。
 アサギは嫌がることもなく、やんわりと受け入れている。微笑しながら。
 非常に、絵になるニ人であった。

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬーん!」
「ハイ様、静かにしてください。ねぇねぇ、ニ人はいつまでここにいるの? すぐに帰っちゃうの?」
「帰るわけないだろう! アサギはずっとここにい」
「ハイ様、静かにしてください」

 ホーチミンに邪険にされ、止むを得ず運ばれてきた肉を丸齧りしているハイ。長い黒髪を振り乱し、味わうこともなく腹に押し込む。やけ食いだ。

「ほら、アサギ。なかなか美味い、お食べ。肉に良く合うワインを使っている」

 フォークをアサギの口元へと運び、自分が食べていた肉を食べさせているトビィ。アサギは嫌がることなく、口を開いてそれを食べる。数回口を動かし、瞳を輝かせると破顔した。

「わぁ! とっても美味しいです、ちょっと甘くて脂っこくないですね」
「牛肉を赤ワインと無花果酢で煮込んであるみたいだな、果実の甘味が牛肉に良く合っている。柔らかさも申し分ないし、付け合せのこのレンコンの素揚げと湯がいたブロッコリーが良い具合だ」
「もう一切れ、食べても良いですか?」
「お食べ、アサギ。……ほら、あーん」

 一同、沈黙。べったべったの、あっまあっまの、とっろとっろである。
 げんなりとホーチミンは頭を抱えた。見ていて恥ずかしいのか、見飽きたのか。色々と腹が一杯である。
 ハイにいたっては、風化してしまった。兄と妹にはとても見えない、美男美少女の誰もが羨む恋人同士だ。

「あぁ、アサギ。口元に」

 不思議そうに顔を上げたアサギの顎を、軽く持ち上げる。そのままトビィは唇を軽く嘗め上げた。いや、正確には唇ではなく、少し上の肌なのだが。
 流石にアサギは驚き、顔を赤らめると俯く。ハイは床に転がり、吐血した。スリザは興奮して、何故かうっとりと頬を染める。ホーチミンは、もはや引き攣った笑みを浮かべるしかなかった。

「トビィちゃん。もう少しさぁ」
「悪いな、逢えたと思ったら直ぐに引き裂かれた。待ち望んだ再会なんだ、思うが侭に行動している」
「でしょうね」

 ”逢えたと思ったら”この言葉を、ホーチミンはすんなりと受け入れてしまった。そこに、手がかりがあったのだが。
 もはや瀕死の状態にまで打ちのめされたハイは放置し、夜更けまでその場に居座るトビィ達。だが、アサギが大きな欠伸をしたので部屋に戻ることになった。
 
「疲れたな、流石に。身体を洗い流したい、風呂にでも行くかな」
「トビィお兄様、私の部屋、言えば可愛いバスタブにお湯張ってもらって浸かることが出来ますよ?」
「へぇ、じゃあ使わせてもらおうかな……」

 余程アサギと離れたくないのだろう、トビィはアサギを姫抱きして歩いている。アサギも、もう慣れたようだ。

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬーん!」

 ハイが時折、壁に爪を立て引っかき、頭部を強打しながらニ人の後についていく。こうしていないと発狂しそうだった、というかすでに狂気の沙汰だ。
 アサギの部屋に到着すると、直様トビィは部屋を見渡す。すん、と鼻をすすればアサギの香りがした。安堵したように微笑すると、同じように室内に潜り込んだハイは完全無視して、アサギと暫し会話を愉しむ。
 その後、トビィは本当にアサギの部屋にて風呂を用意してもらい、ワインも発注し完全に寛ぎ始めた。
 流石に全裸のトビィにはアサギも気まずいので、後ろを向いている。多少湿った風を感じながら、夜空を見ていた。

「アサギ、そこでは寒くないか。よかったらおいで」
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬーん、ぬーん、ぬーん! なんなんださっきからお前は」

 ようやくハイが反撃する、トビィが傾けていたワインのボトルを奪い取り一気にそれを飲み干す。強かった為、飲み終えてからハイは咽た。
 怪訝にそれを見ていたトビィは、呆れて漏らす。

「貴様の口には合わないだろう、上等なワインだ」
「喧しいわ、小僧がっ! ぐぬぬぬぬーん」

 舌打ちして、トビィはグラスに残っていたワインを傾ける。気に入った味だったのだが、全てハイに呑まれてしまった。残っているのはこれだけだ。わなわなと震えているハイなど、アウトオブ眼中である。
 憤るハイを他所に、トビィは普段通りに入浴を済ませると身体を拭き、ワインと一緒に発注しておいた自分サイズのローブを羽織った。
 飽きることなく星空を見ていたアサギに寄り添い、一緒に見上げる。

「綺麗ですよね、落ち着きます。地球に居た時は、山の上じゃないとここまで綺麗な星空、見えないから」
「不思議なもんだな、居た場所は違うはずなのに、空は同じ。離れていても、傍らにいる気がする」
「そうですね、宇宙を介してみんな繋がっているんですね!」

 ウチュウヲカイシテミンナツナガッテイルンデスネ。
 キィィィ、カトン……。
 不意に聴こえた音に、トビィとハイが反応した。同時に振り返り、部屋を伺う。が、特に何もない。
 いがみ合う二人は、ようやくここで視線を合わせた。『今の音、何だった?』と。アサギは気にしていない様子で、まだ、星空を見上げている。
 その音は流石に不自然だった、木製の何かが動く音がした。
 トビィはそっとその場を離れ、立てかけてあった剣を取る。ハイも真顔で右手に神経を集中させた、酷く、不快な音に聴こえたのだ。

「何処に、いるの? 今、何をしているの? 逢いに行ってもいいですか……」

 アサギの呟いた言葉が、掻き消される。
 軋む音が、部屋中に響いたからだ。
 瞳に涙が浮かび”深い緑色した”大きな瞳が、数回瞬きした。

「こんばんはーだぐーぅ? ……どうしたぐ、武器を構えて」

 ドアが豪快に開き、リュウが入ってきた。可愛らしい苺柄の寝間着に揃いの帽子、自分の枕も持参している。真正面に、斬りかかってきそうなトビィと、魔法を発動しそうなハイが一発触発状態で睨み合っていた。しかし、気の抜けた言葉を発する。
 緊張の糸が、リュウによって切れた。肩を竦めると、トビィとハイが大きく息を吐く。先程の音は、リュウがドアに手をかけた音だったのか……と。
 きょとん、としているリュウを尻目に、トビィは再びアサギに寄り添った。
 倦怠感でハイは床に座り込むと、やってきたリュウを忌々しそうに睨みつける。若干顔が赤いのは、酔いが回ってきた為だ。あそこまで強いワインを一気に呑むことなど、普段ハイはない。
 アルコールに免疫がなかった。
 
「何してたぐ? 敵襲だぐーか」
「敵ならずっとあそこにいる……兄だから無下に出来ん」

 ハイはトビィを指差すと、ぐったりと床に寝そべる。先程まで赤かった顔は、青い。指先を追ったリュウは、アサギの肩に手を回し静かに星空を見ているトビィを見て、納得したと大きく首を縦に振った。
 同時に、注意深く瞳を細める。あの立派な竜と信頼関係で結ばれているらしいこの男に、興味を持ったのだ。人間にしては異様に強いその男が、特異なものにしか見えない。アサギの隣にいると二人の空気が妙に馴染んでおり、絡み合っているように見えた。
 思わず、身震いする。触れてはならない気がした。
 大きな欠伸を連発するアサギに、慌ててトビィは床に伸びているハイを掴むとそのまま外に引き摺り出す。
 リュウも部屋の外に押し出し、満面の笑みでドアを閉めたトビィ。
 中からアサギとトビィの会話が聞こえるが、何を話しているのかは解らない。
 追い出されたリュウは、不服そうに唇を尖らせ、事態が把握できていないほど泥酔しているハイを足蹴にする。
 だが、直様思い立ったようにハイの背中を鷲掴みにすると、そのまま引き摺って廊下の窓から身を投げた。
 落下する二人の身体は一旦停止し、徐々に上昇していった。

「うげー」
「き、汚いぐっ!」

 飛行出来るリュウは、直様ハイを連れてアサギの窓へと移動したのだが、波の揺れのような感覚にハイが嘔吐したのだ。翌日、その汚物を片付ける破目になった魔族には気の毒だが、吐いた事でハイが正気に戻る。
 そのまま枕とハイを両腕に抱えてアサギの窓辺に舞い降りたリュウは、堂々と侵入した。

「トビィ君とやら、酷いぐー」
「酷いのは貴様らだ」

 にこやかに手を振って入ってきたリュウは、ハイをトビィに放り投げる。剣を振り翳してきたトビィを、ハイが悲鳴を上げて紙一重で避ける。
 三人は夜更けだというのに、大声で罵り合い、暴れた。
 ちなみに、室内では。
 ちゃぷん、じゃぼん、と音がする。
 アサギは入浴中である、部屋の様子に驚いてバスタブに浸かり、困ったように男三人を見ていた。

「トビィ君とやら、君だけアサギの入浴と一緒なんて、それこそ酷いぐー」
「オレは貴様らから、大事なアサギを護衛しているだけだ」

 紙一重で避けた筈だが、床にはハイの髪がはらり、と散っている。避けきれずに髪が切れたらしい、ハイは一部短くなった自分の髪に、青褪めた。

「堪忍袋の緒が切れたぁ! 人間の小童、引導を渡してやるわっ」
「喧しい、変態魔王ごときが」
「あっはっはー、面白いぐー」

 三人が戦闘態勢になったので、その隙にアサギは再び悠々と入浴し、のんびりと上がって肌を拭き、寝間着に着替えると未だに攻防を繰り広げている三人を尻目に、幾度目かの大きな欠伸をするとベッドに潜り込む。

「トビィお兄様、ハイ様、リュウ様、おやすみなさ、すぴー」

 まさかこの状況で眠りに入るとは誰も思わなかった、が、アサギは本当に眠った。
 唖然と寝息を立てているアサギに駆け寄ると、三人は軽く肩の力を抜く。
 躊躇うことなくベッドに潜り込み、アサギに添い寝を始めたトビィと。
 同じく枕片手にアサギの隣に入り込んだリュウは、添い寝を始める。
 アサギの両隣は、埋まった。
 小刻みに身体を震わし、真っ赤な顔して平然と眠りにつこうとしているトビィとリュウに、ハイは吼える。  
 だが。

「ハイは入浴してないぐー、おまけにさっき、汚物吐き出してて汚いぐー、だから、入るの禁止」
「外で寝ろ、邪魔だ」

 最もな台詞を口にした後、冷たい視線で一瞥したリュウ。視線すら合わせず、手で追い払うかのように無碍に扱うトビィ。
 しかし、ハイは言い返すことが出来なかった。確かに、自分は汚い。

「ぐぬぬぬぬぬぬぬくくくくくくくーんぅ!」

 直様アサギの残り湯に浸かり、身体を洗うハイ。
 そこで我に返った。

「はっ!? こ、この湯はアサギが浸かっていた湯ではないかっ!」

 赤面し、顔も湯船に沈めたハイに、いよいよトビィは引導を渡すことにした。こめかみを引くつかせながら、何か投げる物はないか探し始める。
 魔王は、本当の変態だった。
 ハイは手足が皺皺に成程数時間湯船に浸かっていたが、湯も冷めてきたので後ろ髪引かれながら上がり、ベッドに潜り込んだ。
 辛うじてアサギの足元を確保出来たので、そこに居座る。

「ふむ、好い位置が取れた」

 ベッドの上、アサギの右にトビィ、左にリュウ。そして足元にハイ。
 なんともむさ苦しい構図が出来上がる。
 時折、ハイはトビィとリュウにこれみよがしに蹴られたが、それでも懸命にそこから離れようとしなかった。「アサギの御御脚は眼福なり」わけのわからない事を言って、満足そうに頷く。

「…………」

 夜明け前のこと。
 何度か蹴られた、思い切り蹴られた、力の限り意図的に蹴られていたハイは、顔面に青痣が出来ていたが、退いてはいなかった。
 何時の間にやらトビィに腕枕をしてもらっていたアサギと、その背中にしがみ付いて眠っているリュウ。
 アサギの瞳が、微かに動く。長い睫毛が、揺れた。

「トビィ、来てくれて、有難う……あなたは、何処にいても来てくれる。いつも、いつも、来てくれる。有難う……」

 その瞳から、涙が一つ筋零れた。


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