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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第159回   結婚したら、抱かせてね
 果物を食べながらの和やかな雰囲気のアサギとアレクだが、ハイは面白くない。完全に蚊帳の外だ、仏頂面でリンゴを齧っている。
 こめかみを引くつかせてアレクを睨みつけるが、アレクは相手にしていない。無視しているわけではない、これくらいで嫉妬するハイが悪い。
 そこへ、騒々しくホーチミンが入ってきた。アレクに歩み寄ると、片膝をつきながら外で話がしたいと促した。

「……スリザの件がある、もはやアサギにも知っておいて貰わねばならない。そうだろう、アサギ? 事情を知りたいのだろう、君に隠し事など出来ない事は私にとて解る」

 ハイが弾かれたようにアレクを睨みつけるが、アサギは神妙に頷いていた。狼狽するホーチミンに小さく頷き、アレクが口を開く。

「アサギ。数日前、スリザが人間の女に襲われた。黒髪で赤い瞳の整った顔立ちだ、細身だという。スリザはその際に何かを口に含まされたらしい、アイセルがそこで割って入ったのだが……意識を失った。昏睡状態だったので部屋に寝かせておいたのだが……そこからはアサギが知っているのだろう。眠っていたはずだが、突然起き上がりアサギを奇襲した。アサギを狙っての犯行としか思えない。余計な心配をかけたくなくて言わなかったのだが、失策だった」
「これからは、私にも話をして下さい。私だって、何かのお役に立てると思うのです」

 アサギが口を尖らせ押し黙ったので、困惑気味にホーチミンが口を開く。ハイだけが未だに反対しており、アレクに掴みかかる勢いだった。過保護すぎるハイの気持ちは解らないでもないが、狙われたのはアサギなのだ。隠し通すことなど出来ないだろう。

「恐れながら、スリザが飲まされたものと同じものを……魔界の飲み水にでも混ぜられたら、と杞憂いたしまして。至急、城内にもその人間の手配書を通知したほうが良いのではないかと」

 ホーチミンの発言には、ハイとて口を噤んで聞き入った。謎の液体の効果が未知数なので、可能性はある。知らず口にしたハイがアサギを襲っては、元も子もない。
 アレクは静かに頷いていた。

「アイセルの証言をもとに、顔絵を制作させよう。人間の女であるが、狡猾であるから変装しているやもしれないが」

 安堵した様子のホーチミンと、傍らのアサギの髪を撫でるハイ。ゆっくりと、アサギがハイを見上げる。アサギは決意した、今しかないと思った。

「そういうわけでハイ様、緊急事態なので私も剣を習いたいです」
「それは駄目だ、危ないから」
「危ない事が起こって剣を振ったら、先程上手く出来ませんでした。剣、習いたいです。剣が無理ながら槍でも弓でも良いです、体術でも構いません。とにかく魔法以外の攻撃方法を習いたいのです」
「んむーぅ」

 大きな瞳は、意志硬く。青褪めるハイを他所に、アサギは見つめ続ける。なるべく刃物を持たせたくなかったハイだが、アサギは意見を曲げないだろう。ハイはガックリと項垂れると、こちらが折れることにした。降参だ、とばかりに片手を上げると声を絞り出す。

「許可しよう……。アレク、何かアサギに手頃な武器を与えてやってはくれないか、あと有能な担当もつけて欲しい」
「解った。スリザかサイゴンが妥当だろうが、スリザがまた、敵の手に堕ちても拙いのでやはりサイゴンか」

 女がよかったが、断腸の思いでハイはサイゴンで良しとする。今はそんなちっぽけな事で意地を張っている場合ではない、と言い聞かせる。ようやくハイも現実を受け入れ始めたようだ、遅すぎた。
 そこへ次の来訪者がやってきる、噂していたサイゴンだった。
 ホーチミンの隣に片膝つくと、スリザの意識が戻った事を報告する。アレクが立ち上がり、大股でドアへと向かった。
 幼き頃から共に居た腹心である、口には出さないがやはり身を案じていたのだ。アサギを優先したとはいえ。

「お待ちください、アレク様。その前に一つお話が御座います、出過ぎた真似かとは思いましたが」

 声を張り上げたサイゴンに、足を止めたアレクが振り返る。声を荒立てる事など自分の前ではしないであろうサイゴンだ、聞かねばならない。

「どうした、そなたの洞察力は姉に似ている。何か?」
「ハイ様は、信用しております。ですが、魔王リュウ、及び魔王ミラボーにつきましては一度故郷の惑星へ戻って戴く様、アレク様から話が出来ませんでしょうか? それが最善だと俺は思います」

 アサギがハイの衣服を掴んだ、魔界の何処かに反乱分子がいることは明らかだ。

「あの人間の女を刺客として放ったのが、双方である可能性が高いと?」
「魔王リュウは違うとは思います、彼は人間を嫌っているようなので……」

 言ってから、申し訳なさそうにアサギに視線を送ったサイゴン。アサギは小さく首を横に振った、気にしないで下さい、と唇を動かす。

「ですので、主犯が魔王リュウであるのならば、わざわざ人間を使うことは致しません」

 そうなると消去法でいくならば魔王ミラボーが該当する、聞いていたハイが口を挟んだ。

「それに関しては私も思うことがある。リュウは確かに人間を嫌悪している、その件に関しては肯定しよう。そして一つ思い出したことが……以前、リュウは不思議な液体を何種類か手にしていた。よもや、とも思うが」

 ハイは以前、リュウから惚れ薬を勧められた事を思い出していた。信じていたかったが、言われてみれば怪しい。

「……そうか、リュウは薬物に秀でているのか?」
「解らん、私もあの時初めて色取り取りの小瓶を見たから……」
 
 初めて知る、リュウの一面である。「全く喰えないお方だ」とサイゴンは皮肉めいて笑った。そこに割って入ったのはアサギだった。

「リュウ様は違います、絶対に違います。もし、リュウ様が犯人ならば何度も私を狙える時がありました、だから違います。でも、もし本当にリュウ様が薬物に詳しいのならば、そういったモノの調合が可能なのか訊いてみれば良いと思います。リュウ様ならきっと、手を貸してくれます」

 リュウを庇うアサギに、皆が一斉に視線を送った。それでもアサギは怯まずに、堂々としている。

「アサギよ、そなたはリュウを信じているのか? 先程も積極的に協力しなかったが」

 瞳を細め、アレクが問う。威圧感のある視線にホーチミンとサイゴンは鳥肌が立ったが、アサギは大きく首を縦に振って微笑んでいる。

「リュウ様は、犯人ではありません。それは、間違いないんです。ただ、リュウ様はやっぱり、どことなく哀しそうで自分の居場所が何処にあるのか解らず混乱しているように思えるんです。きっとそれは私でも……ハイ様にも取り除けないと思います。何かを抱えてらっしゃるんです、たまに遠くを見てますし」

 一同、完璧に沈黙である。アサギが、そこまでリュウを分析しているとは思いもよらなかった。ただ、アサギの一言には妙に重みがあり、真実であるような気さえしてくる。
 軽く溜息を吐き、アレクはサイゴンに向き直る。

「確かに、もしそれで解決するならばそれに越した事はない。二人に事情を説明し”早期解決を望みたいので一旦引取りを願いたい”と伝えよう。反発するならば、黒……ということか?」
「ですね。単身で乗り込むのは危険ですので、その際は私達をお連れ下さい」
「……いや、一人で行こう。そなたらが居るのは心強いが、妙に勘繰られても困る。まぁ実際、疑っているのだからそう取って貰っても構わないのだが。伝えた時の反応を見て、私なりに判断してみよう。先に城内の通達から進めようか、そのほうが彼らとて受け入れやすいだろう」
「御意に。ですが万が一に備えて、部屋の外で控えさせて頂きます。お話はおニ人で」

 アレクは、アサギの室内から出て行った。疲れた顔でホーチミンが立ち上がると、水を飲み始めたアサギに微笑みかける。

「身体は? 辛いところはない?」
「はい、平気です。もう、全然動けます。私達も、行きましょう」

 ベッドから下りると、アサギはドアへと駆け出した。ドアノブに手をかける瞬間、軽く後ろを振り返りサイゴンに笑顔を向ける。

「明日から、剣、教えてくださいね。お邪魔にならない程度に」
「え」

 悪戯っぽく笑ったアサギに動揺し、サイゴンはハイに視線を送った。しかしハイは、アサギを追って走り去っていったので空振りだ。

「こら、アサギ! 待ちなさい! 一人で行動しないように!」

 サイゴンは呆気に取られたが、それでもアサギに剣を教えても良いらしい状況に少なからず胸が躍った。

「ねぇ、サイゴン。アイセルが言ってた『アサギちゃんの瞳が緑だった』って言うのはアレク様にのみ、伝えるべきよね? 私、間違ってないわよね?」
「あぁ、それで良いと思う。さぁ、俺達も行こう!」

 ニ人も遅れて部屋を飛び出した、静まり返る部屋と、騒がしい廊下。

 スリザとアイセルは未だに攻防を繰り広げている、攻防と言っても一方的にアイセルが打ちのめされているだけなのだが。すでに顔面など原型を留めていない。腫れ上がり、口から出血しているがなんとなく笑っているようなので不気味だ。

「スリザ! 無事か!」

 結局誰も仲裁出来なかったのだ、到着したアレクに道を開ける警備兵。声が聴こえた途端に、スリザは肩を震わせると胸倉を掴んでいたアイセルを放り投げた。めしゃ、と地面に落下したアイセルの音を消すように咳をし、慌てて片膝つくと、面目なさそうに項垂れる。

「申し訳御座いません、アレク様。まさか気を失っていたとは……自分の不甲斐なさに腸が煮えくり返っております。失態でした」

 アレクが眉を潜めた。スリザであるならば、真っ先にアサギへの謝罪が出ると思ったのだ。

「……記憶が、抜けているのか」

 溢したアレクに、不思議そうにスリザが顔を上げた。呻きながら辛うじて起き上がったアイセルは、小さく頷くと首を横に振る。『そのようです、知らないほうが身の為です』と言わんばかりに。
 恐縮しながら不思議そうに瞳を泳がせているスリザは、嘘をつけるような女ではない。本当にアサギを攻撃したという記憶がないのだろう、アレクは低く唸る。

「……気分は、どうだ? 何処か痛むのか?」
「い、いえ、そのような事はありません。全く……」

 何かあるとすれば、先程アイセルに唇を嘗められたことくらいか。思い出して、スリザは赤面する。何か暖かな感触に目を醒ませば、アイセルが覆い被さっていた。
 それだけだ。唇を、噛む。

「大事をとって、数日は休んで欲しい」
「そ、そのようなわけにはっ」
「いや、そなたを襲った人間の女の手配書を書くので、絵師を呼ぶ。それに協力して欲しいのだ、うろ覚えかもしれないが頑張ってくれ。アイセルも対峙しているので、ニ人で協力して欲しい」
「は、はっ!」

 スリザの脳内に”ニ人で協力して”というアレクの言葉が脳内に響いている。故意などないが、過剰に反応してしまう。
 絵師がいるのだから、ニ人きりではない筈なのに、胸の辺りがちりちりと焦げた。意識したくないのに、意識してしまう。
 そこに何かが突き刺さっている様で、意識を逸らせない。屈辱と、歯痒い気持ちが交互に波の様に押し寄せてくる。

「お任せください! 他の者が標的になる可能性もあります、一刻も早く手配書の作成に入ります。スリザちゃん、良いね」
「クッ、貴様に言われなくともっ」

 アイセルが近づいてきた、手当されていたので顔中包帯だらけだ。気安く肩に触れられ鳥肌が立ったので、思わず横に転がって一定の間を取ってしまうスリザ。
 何故ここまでアイセルごときに右往左往せねばならないのか。それが、腹立たしい。冷静になれない自身が許せない、今まで心を乱したのは、アレクのみだった筈なのに。それで、よかったのに。
 ようやく、アサギ達もやってきた。スリザがそちらに顔を向けると、心配そうなアサギが瞳に飛び込んでくる。しかしその姿はすぐに、射抜くような眼差しで睨み付けてきたハイによって遮られる。その後ろから、緊張した面持ちのホーチミンとサイゴンが顔を覗かせる。

「火急頼む」

 踵を返したアレクは、入れ替わりに足を速めた。擦れ違いざまに、そっと皆に告げる。『スリザの記憶が、抜けている。先程の騒動を憶えていない』と。
 正直、サイゴンは安堵した。スリザの性格上、アサギに手を上げたことを憶えていたならば責任を取って自害しそうだったからだ。
 液体を飲まされ、倒れた時からの記憶がないらしい。そうならば、非常に好都合である。密かにアイセルとサイゴンは目配せすると、軽く頷きあった。

「どうです、今から皆で茶でも飲みませんか?」

 サイゴンが大袈裟に声を張り上げれば、怪訝にスリザが見つめる。名案だとばかりに皆が頷いたので、渋々と背を押されてスリザも輪に加わった。歩き出す中、ハイに手を握られたままのアサギが近寄ってきた。

「スリザ様、よかったです。気付かれて」
「申し訳御座いません、アサギ様。私が倒れていたらアレク様や貴女様を御守り出来ぬというのに」

 その言葉で十分だった、やはりスリザは操られていた際の記憶が全く残っていないのだ。皆確信する。

「ふふ、大丈夫ですよ! それに私、明日からサイゴン様に剣を習うことが決まったんです」
「まぁ、そうでしたか」

 他愛のない会話をする中で、緊張した面持ちのアイセルが後方からスリザを見つめていた。しかしあれだけ執拗に狙っていたアサギが眼下にいても、特に異変は起きないようだ。呪縛からは、完全に解き放たれたと信じて良いのだろうか。
 万が一を想定し、皆スリザの行動には目を光らせる。アサギだけが、のほほんとスリザと談笑している。『大丈夫ですよ』とでも言うように。
 その後、茶を飲みながら口の上手いホーチミンが中心となり、先程の一件に触れることなく皆で会話を愉しむ。色とりどりの菓子に手を伸ばし、茶に舌鼓をうった。
 自分の居場所に違和感を感じながらも、スリザは微笑んでいた。このように気兼ねなく会話することはあまりなかった、上手く馴染めているか心配になるが時折視線を合わせてくれるアサギに微笑まれると、釣られてしまう。

 翌日、スリザとアイセルは数人の絵師が滞在する一室で、思い出せる限り女の特徴を伝えた。途中からアレクも在室し、過程を眺めている。何人もの絵が出来上がるが、そこから更に最も似ている絵をニ人で選ぶ。
 同時にニ人が同じ絵を選択したので、決まりだった。アレクはそれを瞳を細めて、脳裏に焼き付ける。

「成程、確かに整った顔立ちをしているな。……これを城内に!」

 アレクの一声に絵師達の動きが慌ただしくなる、同じ絵を何枚も用意せねばならない。コピー機など無論ないので、手作業で絵の写しが始まった。
 ニ人に労いの言葉をかけ、アレクは部屋を出た。スリザには数日休みを無理やり取らせたので、連れて歩かなくても構わない。
 その背をスリザは寂しそうに見つめた、暇を持て余したことなどなかった。僅かな休日は、眠っているか鍛錬に励む。他に思いつかないので、今日もそうしようかと立ち上がれば、隣のアイセルが一つ咳をした。
 気付かない振りしてスリザが大股で部屋を出れば、アイセルも追ってきた。

「ちょいとそこ行くお嬢さん」

 無視して、歩き続けるスリザ。

「黒髪が美しい、筋肉美のお嬢さん」

 筋肉美は余計だと大袈裟に舌打ちするが、それでもスリザは歩き続ける。

「黒髪が美しく筋肉美だけど、口付けた時の顔が可愛いお嬢さん」
「黙れ!」

 ようやくスリザが振り返る、赤面し肩を震わせながら。アイセルは飄々としており、何処から出したのか薔薇を一輪差し出してきた。
 面食らった。

「暇でしょ、スリザちゃん。逢引しよう! 俺休みなんだよね、今日。丁度いいじゃん」

 この軽い感じに慣れてきたので、スリザはしかめっ面のまま腕を組むとアイセルを睨み付ける。

「阿呆か貴様は。どうして私が逢引など」
「記念すべきニ人の初逢引だよ! さぁ、何処へ行く? 街へ買い物? 湖水浴? あ、一泊二日で海辺に行ってみる? 羽根を伸ばして、人間界に小旅行とか。さぁ、どれが良い?」

 一気に捲くし立て、アイセルは強引にスリザの腕を掴んだ。悲鳴を上げるスリザを、軽々と肩に乗せて運ぶ。

「お、降ろせ! 止めろっ」
「行きたい場所を言ってくれたら、降ろしてあげるよ」

 通り過ぎる魔族が、担がれているスリザを見て笑った。目が合うと視線を逸らす魔族達に、顔が一気に熱くなる。酷い侮辱だった、恥ずかしさで涙が込み上げる。
 本当は、皆は「微笑ましいことだ」と和やかに笑ったのだが、スリザにはそうは思えなかった。
 不甲斐無い隊長だと噂しているのだとしか、思えなかった。面目丸潰れだ。
 これ以上無様な姿を見られなくなかったので、苦し紛れに提案をする。

「わ、私の部屋に」
「わぁお、スリザちゃんのお部屋でデート! いいの、いいの〜? 昼間だけど俺、襲っちゃうよ〜。部屋に入れて貰えるなら期待しちゃうよ〜?」
「ま、待て待て待て! じゃ、じゃあ食堂で……」
「えー、色気ないなぁ、食堂じゃあつまんないよ。昨夜も居たじゃん。よし、空腹なら街のあそこだね」

 空腹だとは言っていない、とにかく人目のつかない場所に行くか、降ろしてもらえそうな場所へ行きたかっただけだ。
 常に鋭い一斉を放つスリザの声が、今日は震えている。そんなところも可愛らしいと、アイセルは始終ご機嫌だ。
 だが、スリザは屈辱に打ちのめされていた。これならば、公開処刑で首を切り落とされたほうがましだと思うばかりに。
 それでも、振り払えない。何故だかわからないが、この馬鹿で軟派な優男に一時付き合ってみようかと、思った。気まぐれで。
 担がれたまま街へ出る。
 スリザを見て皆が口を開けるか、見て見ぬフリをするかだ。
 厳格で冷徹なスリザのこの状態を、誰が予想出来ただろう。客観的に見ても非常に不様だと、スリザは自嘲気味に笑うしかない。だが、どうでも良くなってきた。父が見たら卒倒するだろうが、そうならないことを祈る。
 疲れているんだと、スリザは体調のせいにした。
 到着した先を見上げて、スリザは鳥肌が立った。そこはアイセルが行きつけの店だというが、やたらと可愛らしいその場所は当然女子で溢れ返っている。入口まで来てようやく肩から降ろされると、覚束無い足取りで店内に入った。
 店内もレースやリボンで飾られており、ふわふわした色合いの世界に甘ったるい香りが漂っている。

「お前……こんな趣味だったのか」
「いや、ここの菓子を好きな奴がいるから」

 マビルのことである、そっけなくそう伝えるとアイセルは窓際の席にスリザを誘導し座らせた。小高い丘に立つその店で、特に湖の煌めきが美しく見える特等席だ。
 テーブルクロスは純白で、可愛らしい小瓶に可憐な花が生けてある。スリザは狼狽えた、魔界の食堂とは違う雰囲気にどうしたらよいのか解らない。
 適当にアイセルは注文し、窓から入り込む心地良い風に髪を靡かせた。肩肘ついて、湖を見つめる。
 揺れる髪を見つめながら、横顔は結構良い感じだと……スリザは思った。が、慌てて首を振ると店内を見渡す。
 女子ばかりかと思えば、恋人同士もいるようだ。流石に男同士は居なかったが、そう見えただけで女装している男性二人組が実は居る。
 運ばれてきた蜂蜜漬けのトマトを食べながら、ワインを呑んだ。華やかな香りのある辛口な白ワインだ、運ばれてきた別の料理にスリザは目を通す。
 白身魚のベーコン巻きと、色様々なベーグルである。全ての料理から、甘い果物の香りがする。果実を隠し味に使っているようだ、成程女子好みな店だとスリザは思った。それこそ、アサギやホーチミンが好きで……似合いそうな。
 自分には不釣合いだと思いながらも、恐る恐る口にすると非常に美味しい。甘いものはそこまで好きではないが、辛口ワインと程好く合って、幾らでも食べられた。

「気に入った? 美味しいでしょ?」
「で、軟派男の色情魔は毎度この店で女を落とすのか?」
「はっはー、残念、違うなぁ。俺自身もこの店の味、好きなんだよねー。最初の目的は違ったんだけど、凝ってるでしょココ」

 黙々と食べ続けるニ人だが、スリザが視線を横にずらせば、顔を赤く染めている女子が目に入った。
 自分のファンかと思った、城内では常にそうだったからだ。取り巻きも居る、見慣れた表情だ。
 だが、この場では違う。
 アイセルが軽く手を振ると、女子らが一斉に甲高い声を上げて手を振り返したのだ。これには唖然とアイセルを見つめるしかなかった。しかしなんら気にせず、口元へ料理を運ぶ姿に何故か唇を噛締める。
 もう一度、女子達に視線を移せば。流行の衣服を身に纏い、皆髪に装飾品を舞わせている今時の女子達だった。
 普段から男物を身に纏い、衣服の清潔さは心がけているが純白のシルクのシャツに、漆黒のタイトなパンツのスリザ。胸元には何もない、無論、首にも髪にも何もない。

「何だ、お前。異性の気を惹けたんだな、意外だ」
「あー、うん。気を惹くっていうか……。相談相手? 頻繁にここに来てたらさ、恋愛相談されるようになったんだよね」

 見当違いな返答に、スリザは口を開ける。ちゃらんぽらんなこの男に恋愛相談など、正気の沙汰か!? と思う半面、虚偽ではとも思った。
 だが、何故かほっと溜息を吐いた自分もいた。

 ……ダメだ、どうにも情緒不安定過ぎる。

 忙しい自分の反応に戸惑いながら、大口開けてパンを齧ったスリザ。一人の女子が駆け寄ってきたので、ぼんやりと眺める。

「アイセル、少し大丈夫?」
「今日、大事な逢引なんだけど……。それが解らないわけでもないだろうし、何、どしたの?」

 パンを押し込むと緊張気味に俯いたスリザを瞳の端に入れて、アイセルは女子に向き直った。ストレートのセミロングは美しい水色、手入れされているのだろう、毛先まで艶やかだ。その髪に合う深紅の大きなリボンがゆらりと揺れる。大きな瞳は睫毛が長く、口元は薄っすらと紅く色づき、艶かしい。純白の長いワンピースがふわりと舞って、甘い香りがした。
 美少女だ、正統派の。

「ごめんね、邪魔して。あのね、上手くいったの! 今度、一緒にお泊り旅行なのよ。その、報告。ありがとうね!」
「おー! おめでとー! やったじゃん」
「とにかく、ありがとね、アイセル! またね。邪魔してごめん」
「あーい、お疲れ様」

 お泊りという単語に軽く赤面するスリザは、小さく咽た。水を一気に飲み、火照った顔を冷やす。
 気付いているのかいないのか、アイセルは淡々と軽く説明をし始めた。

「好きな男がいてね、さっきの子。外見は可愛いけど、相手の男が無骨な奴でさぁ。押しても引いても駄目だったんだよねー」
「しかし、その、直様宿泊など……。破廉恥な」

 今時女子の会話にはついていけないと震えるスリザだが、アイセルはあっけらかんとしている。

「うーん、どうかなぁ。あの男からして、多分彼女に見せたい星空があるから、とかそんだけの理由だと思うよ。星空か朝陽か……スリザちゃんが想像したようなことではないと思うなぁ」

 しれっと、告げたアイセルの足をテーブルの下で踏みつける。ドゴォォォン、と盛大な音が店内に響き全体が揺れた。我に返ったスリザは恥じて俯いたが、アイセルは笑いを噛み殺していた。肩が小刻みに震える、目の前のスリザが可愛くて仕方がない。

「食べたら、出ようか。部屋が取ってあるよ」
「ばっ」

 言葉を詰まらせたスリザに、アイセルが余裕めいて意地悪く微笑む。「嘘だよ、そんな時間なかったよ」残念そうにそう告げて舌を出したので、脱力した。
 調子を、狂わされている。
 忌々しく舌打ちして、それでも出された食事を全て平らげるスリザに、アイセルは始終微笑んだままだった。

「俺好きだな、スリザちゃんの食べ方」
「ふん、可愛らしい女子はこのように綺麗に食べ尽くさないだろう? 残すものなのだろうが、生憎私の食事量は同年代の男と変わらないからな、物足りないくらいだ」
「たくさん食べる女の子のほうが、好きだよ俺。食べ物を大事にしてるよね、それに美味しそうに食べる子が好きだ。ついでに言っとくけど、アサギ様も結構食べるよ。ちまっこいのに、一口一口美味しそうに食べてる。自分が食べられる分をちゃんと解ってるし、食べ終わった後に食事に丁寧に頭下げるんだよねー」

 アサギについて、妙に詳しい。スリザは眉を顰めたが、黙々と食事に手をつけた。

「美味しい? スリザちゃん」
「貴様が居なければ、もっと美味だろうに」
「なら、今度は一人で来てごらん。ゆっくりと、羽根を伸ばして一人で美味しいものを食べてごらん。こうして窓際で、風に当たって。日常を忘れてさ」

 こんな可愛らしい店に、一人でなど到底足を運べない。嫌味かとアイセルを睨みつければ、瞳を細めて微笑んでいる。

「高嶺の花、だね。きっと美しすぎて声をかけられないだろうなぁ。絵になるなー」

 鼻で笑うとスリザはワインを口にする。誉められているのか、貶されているのか。どちらにしろ、良い気分ではなかった。

「でも、きっとスリザちゃんは一人では来ないね。結構臆病で寂しがり屋だから。だから、また俺と来ようね」

 立ち上がったアイセルのその台詞に、顔が強張る。思わず、呼吸が止まった。無理やり立ち上がらされ、腕を掴んだまま歩き出したアイセルの後ろをついて歩くスリザは放心状態だ。臆病で、寂しがり屋だと自覚はあったが他人から言われる事に酷く脅えていた。
 周囲の声が耳には入らないほど、動揺した。

「あの人が、アイセルの片想いの……綺麗な人ね」
「育ちが良さそうね、でも、肩に力が入りすぎ。アイセルが言う通りの人ね」
「背が高くて細身だから、スタイル良いよね〜。どんな服でも着こなせそうね」
「きっと、アイセルが彼女の素材を引き出していくのね。羨ましい!」

 アイセルに連れて行かれる硬直したスリザに、女子達は顰めきあう。羨望の眼差しを向けていた。

「私もあの女性みたいになりたいわ」

 スリザが羨む、可憐で可愛らしい女子達が、皆そう思ってスリザを見つめていた。そんな声など、スリザには届かない。

「さぁ、次は何をしようか。何処か行きたいところは?」
「別に……」

 出歩かないスリザには、行きたい場所が解らない。何処に何があるなど、知らないのだ。一通りの生活は、出歩かなくても出来た。

「そっかぁ、何か気になる場所があったら気兼ねなく言ってね。俺、自分の行きたいトコへ行っちゃうからさ」

 アイセルに手を握られることも感覚が麻痺して、慣れてきた。アイセルはスリザに話し掛けながら街を徘徊する、やたらと声が大きく皆が振り返るので、スリザは恥ずかしくて俯いたままだ。
 だがアイセルにしてみれば興奮して当然だ、ようやく意中の女性と手を繋ぎ、二人きりで街へ出られたのだから。自然と声も大きくなる。
 露店を見てまわった、アイセルは気に入ったものを見つけたので、腕輪を購入することにした。銀細工で、斬新なデザインだ。

「俺こういうの好きだなぁ〜、何、お兄さんが作ってんの?」
「ありがとうございます、なかなか理解して貰えなくて売れ行きが悪くて。そう言われると嬉しいですね」

 短剣をデザインしたものやら、弓矢をアレンジしたものやら。女性にはウケが悪いかもしれないなと、確かにアイセルも思った。だが、力強い感じがするし、銀が嫌味なく上品だ。そしてあまり見ないものだった、人と同じものが嫌いなアイセルにとって、最高の物である。
 右腕に填めて確かめると、満足そうに無邪気に笑う。上機嫌で支払いを済ませるアイセルの隣でスリザも何気なく品を見ていたが、装飾品など買ったことがない。

「疲れたね、あそこに座って何か飲む?」

 スリザを座らせて、アイセルは露店でワインをニカップ購入してきた。二人でちびちびと呑みながら、暫し街の風景を見つめる。アイセルは先程購入した腕輪を掲げて見つめている、余程気に入ったようだ。
 この場所はそこまで混雑していないが、活気があった。こうして街を出歩かないスリザは新鮮な風景に瞳を細める、城とは違う表情の魔族達を眺めていた。

「平和でしょ、スリザちゃん。それもこれも、アレク様やスリザちゃんが日頃身を削って頑張っているから、みんな幸せで居られるんだよ」

 言いながら、何かを差し出したアイセルに視線を移した。それは紙袋だった、怪訝にそれを受け取ったスリザは、細長い指で封を開ける。重量は見た目よりあった、逆さまにするとカシャン、と音がして中から何かが出てくる。
 皮ひもの首飾りだ、先程の店で購入したのだろう。デザインがアイセルの腕輪に似ている。気づいたスリザは、唇を震わせる。

「あげるよ、お揃い」
「どうして私が貴様と揃いの装飾品を見につけねばならないのだ」

 そう言ってみたものの、実は嬉しかった。異性からこうして何かを貰う事は、初めてだ。だが、先程の店は男物の様に思える。確かに男装しているように見えなくもないが、似合わなくても、可愛らしい贈り物がよかったと、不貞腐れたくなった。
 そんなもの貰っても『こんなものいるかっ!』と罵声を浴びせそうなのに。
 自分の思考に混乱したスリザは頭を掻き毟る、顔色が赤くなったり、青くなったり。
 そんなスリザに、穏やかにアイセルは微笑んだ。考えていることなど、お見通しだった。優しく首飾りを手に取ると、そのチャーム部分を指差す。

「可愛いでしょ、この薄紅の石。ほら、ここも百合っていう花を題材にしてあるんだって」

 銀細工自体は厳つい印象を受けるのだが、よく見れば女性向けなのだろうか。花の部分に小さな石が埋め込まれており、光っている。スリザは思わず喉を鳴らす。

「わ、私にこのような色」
「似合うよね、スリザちゃんは、桃色が似合う。タイトなドレスを着るなら、絶対桃色だなぁ。深紅も似合うだろうケド」

 文句を言いそうになったスリザから、首飾りをするり、と抜き取り首にかける。純白のシャツに、とても映えた。

「うん、その白いシャツにも、薄桃が映えていいねぇ!」
「あ……」

 胸元を見れば、確かに可憐でもなく、厳ついわけでもなく、シンプルな感じでしっくりと似合っていた。このデザインならば、勤務中に身につけていても不自然ではないだろう。
 礼を言おうと思ったが、上手く言葉が出てこず沈黙したままワインを呑む。照れ隠しだった。コポコポとワインがあぶくになるのは「ありがとう」とスリザが言っているからだ。
 アイセルは満足して、大人しくワインを呑むスリザを見ていた。

「ねぇ、スリザちゃん。時折でいいんだ、こうしてまた出掛けない?」

 口に出せない、スリザの想い。極端に可愛らしい女性に憧れるスリザの、その無意味な思考を取り除きたかった。人に羨まれるほど、素晴らしい女性であることを自覚させたかった。
 スリザから、返答はないが否定もない。アイセルは軽く笑う。

「真面目なスリザちゃんはさ、自分で自分を縛り付けて身動きできないんだ。厳格な父上に期待を篭めて育てられた、親思いの真っ直ぐな女性だからね。歴代の魔王の側近隊長が男だったからといって、そのように振舞わなくてもいいのに」

 何を知った口を、とスリザは鼻で笑った。哀れみなのだろうか、だからこうして今日連れまわしてくれたのだろうか。腹の底がが妙にもどかしく、スリザが悪態づく。

「ふん。まぁ、どう取ろうが関係ないが。実際女では、なめられる。私がまだ幼き頃、父上が母上に何度も溢していた事実を私は知っている。聴いていたんだ。女というのはな、男の上に立つには不利な生き物なんだよ」
「スリザちゃんの実力は、皆十分承知だよ。サイゴンだって、心酔してる。誰もスリザちゃんの立場に異論を唱える魔族なんていないよ」
「実際、貴様とて私を見下しているだろうが」
「見下してないよ、寧ろ尊敬するね。自分を押し殺してまで俺は生活出来ないから。ただ、スリザちゃんが好きなだけだよ」

 何が好きなのか、さっぱり解らない。空になったワインカップを捻り潰しスリザは足を踏み鳴らす。

「全ての女が男からの好きで心揺らすと思ったら大間違いだ、不愉快だ。もう、帰る」
「全ての男が女に軽々しく好きと言えると思ったら大間違いだよ、不愉快だね。連れて行く」
「はぁ!?」

 立ち上がったスリザの腕を強引に掴んで引き寄せると、朝の様に肩に担いだ。

「な!? 大馬鹿者、放せっ」

 蹴りを入れようとした、背中に拳を叩き入れようとした。だが、アイセルの手がやんわりと尻を撫でてきたものだから、思わず悲鳴を上げる。

「きゃあぁっ」
「わぁお、可愛い声。はいはい、大人しくしててね」

 自分の口から、妙に女のような甲高い声が出たので、驚いて思わず口を塞いだスリザ。小声でくぐもった声を出す。

「ど、何処へ行こうというのだ」
「宿。まだ取ってないから、これから取るよ」
「ま、待て、落ち着けっ」
「暴れると、またお尻触るよ。引き締まったスリザちゃんのお尻は大変魅力的だよ、なんか良い匂いもする」

 すんすん、と大袈裟にアイセルがスリザの衣服を嗅いだ。青冷めて、スリザが悲鳴を上げる。

「へ、変態だ!」
「だから、大人しくしてなよ。公衆の面前で俺を変態にさせないでよ」

 もう十分変態だ! と叫びたいのを堪えて、スリザは顔を隠すように頭を腕で覆う。降ろされたら、蹴りを食らわして逃亡しようと。それまでは大人しくしていようと心に決めて、必死に耐える。が、身体がゾワゾワする。
 数分揺られて、建物内部に入った。階段脇に飾ってある花が美しく、床の絨毯にも繊細な刺繍が施されている。
 アイセルと店主の話が聴こえる、肩に女を担いでいるような不審な男を泊める宿などあるのだろうかと、ぼんやりと考えてみる。
 あった、すんなり部屋に案内されてしまった。向こうも商売だ、来るもの拒まずなのだろうと思ったが、これでは人攫いに連れてこられた美少女が危ない。次回の治安対策で提案してみねばと、仕事の事を考え始める。
 ドアが開く音がする、閉まった音がする。

「はい、スリザちゃん。お疲れ様」

 床に地面が着いた瞬間、右脚で蹴り入れて……と体勢を整えようとしていたスリザだが、床に足は着かなかった。

「何か飲む? 喉渇いてない?」

 アイセルに顔を覗きこまれていた。
 唖然と、状況を把握すべく自分の体制を視界に入れたスリザは、悲鳴を上げた。肩から降ろされたのだが、今度はアイセルの両腕に全身を支えられ姫抱きになっていた。背中を支えられ、膝をささえられ、覗き込まれている。

「あわ、わわわわわ」
「可愛いなぁ、スリザちゃんは」

 狼狽するスリザを他所に、アイセルは微笑むと部屋のソファに深く腰掛ける。キシッとソファが揺れて、思わずスリザは息を飲むしかない。
 心音が、アイセルに聞こえそうだった。硬直して、身体が動かないスリザは息を飲む自分のその音と、心音だけが大きく聴こえてしまう。

「ねぇ、スリザちゃん」
「な、なんだ」

 上ずった声を出すスリザに、アイセルは多少耳を赤くして天井を仰いだ。照れている顔を見られたくなかっただけだ、可愛過ぎて言葉に詰まる。

「いや、その。俺とお付き合いする気はない? 今はなくてもいいんだけどさ、前向きに検討して貰えると助かるんだけど」

 さらりと言ったつもりだが、声が普段より高い。しかし、スリザも気が動転しているので気づかない。
 毅然とスリザは言い放った、が、やはり声のトーンがおかしい。

「断る。拉致した男となど」
「好きです、検討してください」
「断る」
「好きです、検討してください」
「断る」
「好きです、検討してください」
「断る」

 というやり取りを、何度繰り返しただろう。最早十分以上繰り返している気がするが、どちらも一歩も引かなかった。

「好きです、検討してください」
「断る! というか、何度断れば終わるんだこれっ」
「断る以外の言葉でお願いします」
「じゃあ、死ね!」

 子供の言い争いのようだと、スリザは徐々に呆れてきた。流石に言い続けたので、顎が疲れた。喉も渇く、深い溜息を吐いて歯軋りした。
 言葉など、幾らでも偽れる。口にすること自体が腹立たしいが、辛抱して言うしかない。このままでは埒があかないので、引くことにした。

「……解った、検討しよう。だから放せ」
「本当に!? やったね!」

 落胆気味にそう告げて、眉を潜めてアイセルを睨んだスリザだが、息を飲んだ。心底嬉しそうに、アイセルが笑ったからだ。あまりにも、無邪気に。それこそ、子供の様に。偽りなき笑顔だと、判別出来るほどに。
 本当かどうかも解らぬ、そんな一言なのに信じて喜んでいる。
 アイセルは、すんなりとスリザを解放した。罪悪感を多少感じながらも、居心地よかった腕からゆっくり離れる。
 右腕で顔を隠し天井を仰いでいるアイセルから、そろそろと距離をとる。

「嬉しいんだ。本当に、嬉しいんだ。俺、頑張るわー」
「あぁ、そうか。よかったな、一応検討はしてやるが、検討するだけだからな」
「それで、いいよ」

 アイセルを軽く見ていたスリザだが、急に真正面を向いた為二人の視線が交差する。真っ直ぐに、曇りない瞳で見つめてきたので、再び罪悪感が湧き上がった。

「スリザちゃんが俺を男として見てくれればそれで、良いんだ」

 唇を尖らせ、スリザは大股で室内を歩いた。「喉、渇いた」と、一言。しかし自分では用意しようとしない。
 苦笑したアイセルは腕に力を篭めてソファを押し返し立ち上がると、テーブルにあった水差しからコップに水を移し変える。足がふわつくのは嬉しいからだ。 
 不自然な歩きに、スリザは微かに顔を顰める。コップを持つ手も、震えていた。

「はい」

 差し出されたコップの中の水が、ゆぅらりと、揺れていた。
 無言で受取り一気に飲み干すスリザを満足そうに見てから、アイセルは床に転がる。
 うつ伏せになっている姿を見下ろし、気にせずスリザは部屋の片隅に移動すると、壁にもたれて腕を組んで瞳を閉じた。
 暫く、ニ人は無言だった。
 日が暮れて、夕陽が差し込む。それでも無言だった、気まずい空気ではなかったが。
 ドアをノックする音にニ人が反応して、ようやく室内の空気が動く。食事の時間らしい、慌ててアイセルは立ち上がり、何度も噛みながらドアの向こうに「直ぐに行く」と伝えた。

「行こうか、スリザちゃん」
 
 別に共に食事を摂る理由はないのだが、差し出された手をとらずにスリザは先に部屋を出た。食堂に案内され、向かい合って席に着くと無言で食事をする。満室ではないが、まばらに客がおり皆が愉しそうに会話している中で、それでもニ人は無言だった。
 直様食べ終え部屋に戻ると、再びスリザは部屋の隅へ移動した。アイセルは暗くなっていた部屋のランプを灯し、遠慮がちにスリザを見つめる。

「あの、さ。スリザちゃん」
「何だ」
「そのさ、えーっと、なんていうか。俺は確かにアレク様みたいに高貴でもないし、美形でもないし」
「あのお方と比べるなっ、不愉快だ!」

 突然声を荒げたスリザに、一瞬アイセルは怯んだが尻込みしなかった。

「そだね、比較しても仕方がないよね、あっちは産まれ乍らに王様だもんね」

 不意にアイセルの瞳が、光る。スリザが異変を感じて腕組を下ろした時には、既に目の前に迫ってきていた。

「ただ、速さには自信があるし、体力も上だと思うんだ。……それは、スリザちゃんに対してもだけど」
「手を出したら、検討するのは取りやめだからな」

 余裕めいて、鼻で笑ったスリザはそうぶっきらぼうに吐き捨てたが、唇を塞がれた。
 またかっ! と心の中で叫んだが、案の定抵抗の仕方がわからないので、なすがままだ。隅に居たので、逃げられない。口内で蠢く舌には、まだ、慣れなかった。息継ぎの仕方も解っていないので、苦しそうに顔を歪める。

「舌は出したけど、手は出してないよ。ほら……触ってない」
「屁理屈をっ」

 拘束するように壁に手はつけているが、確かにスリザには触れていなかった。 
 身体は密着している、アイセルの荒い吐息が身体にかかると、身震いしてしまう。

「色っぽいよね、スリザちゃん。灯りが揺れてるから余計にさ、すっごい綺麗。っていうか、扇情的」
「っ、どうして貴様はそう変態的な台詞がとめどなく湧き出てくるんだっ」
「本心だから仕方ないでしょ、別に変態的じゃないと思うし」

 耳元に息を吹きかけられ、小さくスリザは叫ぶ。鳥肌が立つ、ゾクゾクと背筋を何かが這う感覚に身震いした。

「かわいいなぁ」
「だからっ、馬鹿にするのもいい加減にっ」

 ちぅ、と音。どうやら、首筋を吸われたらしく全身が痺れる。わざと音を出しているのだろう、聴こえるように吸っているのだろう。何度も、音がする。

「や、やめっ、やめ」

 熱を帯びている唇なのに、唾液がついた箇所に風があたると、妙に冷たく。つーっ、と舌が動いてアイセルの顔が胸へと移動していく。

「きゃあっ」

 鎖骨を嘗めた途端に、上がった悲鳴は紛れもなく女の声だ。赤面して唇を噛んだスリザと、動きが止まったアイセル。わなわなと震えるアイセルの背中を半泣きで見ていたスリザは、再び悲鳴を上げた。
 がばぁ、っと抱きつかれたからだ。

「もー、スリザちゃん、可愛すぎる可愛すぎる、可愛すぎる可愛すぎるっ。生殺しもいいとこだよーっ」
「へ、変態っ! やめろっ、抱きつくなっ」

 思いっきり、力を篭めて抱き締められた。悲鳴を上げるスリザと、叫ぶアイセル。

「あー、このまま押し倒してあーしてこーしてあれをあぁして、これをこうしてスリザちゃーんっ」
「ひいいいいい、変態、なんだ貴様はっ」

 すりすりと頬を寄せるアイセルに、身の毛がよだつ。何をする気なのかと、脳裏を過ぎって青褪めるしかないスリザ。

「でも、しないけど。我慢するからちょっとこのままで居させて」
「い、意味がわからんっ! 放せっ」

 ぎゅう、と締め付けるアイセルは、スリザの肩に顎を乗せて項垂れる。互いの身体は密着し、スリザは目が回りそうだった。やはり、アイセルの体格は良かった。堅い筋肉だが、妙に色気を感じる。そそられる、というのだろうか。
 スリザはなんとか離れようと身を捩る、身体に惹かれるなど、破廉恥極まりない。失態である、情けなく思った。

「ちょ、ちょっとスリザちゃんあんまり動かないで。こすれるからっ」
「はっ……?」
「い、いやだから、その、動くとこすれて大き」

 一瞬の、沈黙。次の瞬間。

「いやあああああああ、へんたーいっ」

 スリザが絶叫した。意味を理解し、憤慨する。渾身の力で、身体を捻るが。

「あ、あぁぁあっ、 まずい、まずいよスリザちゃんっ、動かないでっ、出ちゃうからっ」

 一瞬の、沈黙。再び恐怖に脅えた顔で、絶叫したスリザ。

「……ひ、ひぃぃぃっ、汚らわしいっ。こ、こすれるなら離れればいいだろうがっ」
「離れたら、暴走してそのまま押し倒しに戻って犯しちゃいそうなんだよっ」
「け、けだものっ」
「あ、あぁっ、駄目だってぇ、スリザちゃん」
「や、やめろっ、熱っぽい声で耳元でなんか囁くなっ」
「や、だからっ、動かれると辛うじて保っている理性が、あぁっ」
「そ、そんな声出すなっ。わ、私が貴様を犯しているみたいだろうがっ」
「あぁ、駄目、動かないで、スリザちゃん! そんなに動かれたら、俺っ」
「や、やめろ、誤解を招くような台詞は止めてくれっ」

 念の為言っておくが、ニ人はただ真正面から抱き合っているだけだ。抱き合っている、というかアイセルが両腕で抱き締めているだけだ。スリザにいたっては拘束されているので、ただ身を左右に捩っているだけである。

「……なーんて。いつか、そんなコトになったら嬉しいなぁ」

 弾かれてスリザがアイセルの顔を見つめれば、悪戯っぽく笑っていた。なんという性質の悪い冗談だろうか、恥ずかしさで怒りと涙が込み上げてくる。

「いや、大きくなってるのはホントだけども。だから、今ちょっと動けない」
「ひぃ!」

 スリザは硬直した、はっきりと自覚したからだ。その”大きくなっていて硬いもの”とやらを、確認してしまったからだ。自分の臍辺りで、なんか動いた気がした。

「いいなぁ、スリザちゃんが上に乗って動いてくれると幸せだなぁ」
「た、頼むからっ、妄想は脳内でやってくれっ! 声に出さないでくれっ」
「え、脳内でいいの? 妄想していいの? ……じゃ、遠慮なく」

 アイセルの顔が、だらしなく緩む。鼻の下が、伸びる。ひっひっひ、と妙な笑い声を出す。

「ま、待て待て待て、何を想像してるんだ!?」
「え、言ってもいいの? スリザちゃんがさぁ、純白なんだけど紐みたいな下着を着ててさぁ、ベッドで足を大きく広げて」
「ぎゃああああああっ」
 
 悲鳴を上げるスリザを、アイセルは笑いを噛み殺して見ていた。随分と、表情が多彩になった。少しは張り詰めていた気も緩んだだろう、叫べば抑圧されていた精神も解放される。
 普段叫ばないスリザは、荒い呼吸で青褪めて咳込んだ。流石にやりすぎたかなと、アイセルは軽く項垂れた。

「ごめんね、スリザちゃん。でも、叫ぶと楽にならない?」
「は?」

 きょとんと、無防備に見上げてきたスリザが、愛おしくて。

「あぁ、やっぱり世界で最高に可愛いなぁ」

 口付けた。すんなりと唇を割って舌が入り、絡める。スリザの身体が引き攣って、救いを求めるようにアイセルの衣服にしがみ付く。思わず、アイセルの腕に力が籠もった。
 可愛い可愛いと、何度も呟きながら深く口付けられるとスリザの脳も、思考が停止寸前だ。何故か、ぼう、っとして蕩ける様な。気持ちが良いのか解らないが、不快ではない。

「私を可愛いという者など、貴様くらいだぞ」
「そうかなぁ、結構居ると思うけどね。でも、俺だけでいいよ。競争率高くなってもらっては困るんだよね」

 髪を撫でられる事にも慣れて来た、太い指だが、優しく頭皮を包むのが安心できる。口付けも、慣れて来たように思えた。不思議なことに。

「ねぇ、スリザちゃん。結婚したらでいいんだ、抱かせてね。それまで、我慢する。そしたらさ、俺の想い。……信用してくれる?」
「もう、手を出してるじゃないか」

 苦笑して呆れた声を出すスリザに、アイセルは不服そうに首を横に振る。

「だから……舌しか出してないって」

 ニ人の笑い声が、室内に小さく響いた。月の光が部屋に差し込み、影をつくる。寄り添っている二人の陰が、床に映し出された。

 スリザの胸元の首飾りに、いち早く気付いたのはホーチミンだった。次いで、取り巻きの少女達も気がつく。

「スリザ様、どうしたんですか、それ? かっこいいですね」

 黒の皮ひもに、重量ある銀細工。一見、男物の渋い装飾品である。

「とってもお似合いです〜」

 スリザを取り囲む少女達を見ていたホーチミンは、軽く首を傾げていた。じぃ、っとスリザを見つめると、何か表情が普段と違う。妙に柔らかくなっている。「あらあら〜、何かあったのかなぁ、んふふふっ」ホーチミンは愉快そうに口元に手を添えて、ころころと笑った。

「スリザちゃーん! お疲れ様でーすっ」
「きゃっ、淫乱変態不潔なアイセルですわっ! スリザ様、隠れてっ」

 そこへアイセルが、突っ込んできた。少女達は嫌悪感丸出しで、スリザからアイセルを護るように鉄壁の防衛を張り構えたのだが。

「……あぁ、良いのだ。アイセル、挨拶は良いから仕事をしろ」
「うん、頑張ってるけど、スリザちゃん見たらもっと頑張れるから」
「フッ……そうか。ならば落胆させるなよ?」

 少女達をやんわりと退けて、アイセルに真正面から向き合ったスリザは、手を振って離れていくアイセルに軽く手を上げた。
 皆、息を飲んだ。
 冷たく、無表情に近い整った顔立ちのうわべだけの笑顔ではない、スリザの微笑。なんと、女性らしく丸みがある柔らかな笑みだったろうか。

「綺麗……」

 思わず、誰かが零した。その場に居た者がスリザに一斉に注目する、押し殺されていた魅力が、解き放たれた瞬間だった。

「あらあら、アイセルとお揃いなんだぁ。やっだぁ、いちゃついちゃって」

 アイセルの腕輪と揃いだと気付いたホーチミンは、羨ましそうに肩を竦める。全てお見通しだとばかりに、軽く小首傾げて唇を尖らせた。

「うっらやっましー! いいな、いいなぁ! 後でじーっくり、話を聞きましょーっ!」

 それでも、小さく「おめでとう」と呟くとホーチミンは破顔して小さく拍手をした。


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