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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第158回   女剣士は何を思う
 慌しい外の声で何かが起こったことは、リュウとて気付いていた。気分的なものだが身体中が脱力し、転寝していた。面倒そうに瞬きするが、起き上がりはしない。

「王子! 失礼致します」

 部屋に怒涛の勢いでやってきたエレンに、軽く視線を送るリュウ。大きく肩で息をし咳き込んだエレンの顔面は、青褪めている。
 が、一瞥するとリュウは暢気な声を上げる。

「エレン、いや、エレ。ここで”王子”は拙いと何度言ったら。リュウで良いのだぐ〜」
「魔王アレクの腹心スリザが乱心し、アサギ様に斬りかかってきました。今応戦しておりますが、御力添えを」

 リュウを無視し、エレンが切羽詰った声を上げる。怪訝に瞳を開いたリュウは、険しい顔つきになると言葉を吐いた。それは、非常に冷たい声だった。頑なに拒否していることなど、嫌でも判ってしまう声だ。

「関係ないぐ〜、アレクの立場が悪くなるだけのことだぐ。……アレクは誰を選ぶのだろうね、何年も共に生きてきた腹心か、先日ふらりと現れた人間の勇者か。勇者を選べば、魔族の間で不信感が膨れ上がるぐー。かといって、腹心を選べばハイとは決別、確実にその場で魔王同士の戦いが始まるぐー。そうなったら、私は魔界を出て堂々と旅に出るぐ」

 語尾はおどけているが、エレンすらゾッとした冷酷な声だった。目の前のリュウが、自分達の愛すべき王子ではないような気すらしてしまった。
 返答に窮し、エレンは唇を噛む。リュウが人間を嫌っていることは知っている、自分達とてそうだった。だが、アサギには心を開きかけていたと思っていた。だからこそ、幻獣の皆でそれを阻もうとした。
 人間と関わると、ろくなことがないと思っていたからだ。
 しかしアサギに心を開こうとしたのは、エレンとて同じである。不思議なアサギが人間であることを、一瞬忘れそうになった。人間であると理解しているはずだが、関わりたいと思ってしまった。
 何故かは、解らないが。

「リングルスの腕が、魔王アレクの腹心によって斬り落とされました! 同胞が傷つけられたのです、無関係ではありませんっ! どうか」
「言う順番が間違っているだろう!?」

 言うが早いか、リュウは直様起き上がるとエレンを撥ね退ける勢いで部屋を出た。慌ててエレンも後を追う、先行く背中を見つめながら安堵の溜息を密かに漏らした。やはり同胞の誰かが傷つけられれば、リュウは黙っていない。
 それは昔のままだと、笑みを零す。だがその笑みは複雑だ、嬉しくも不安の陰を落としている。仲間は故郷の同胞のみ……皆で堅い誓いを交わしたが、今になってそれが間違いではないかと思えてきた。
 今のリュウは、もし隣室で殺戮が繰り返されていたとしても、そこに故郷の者が関わっていなければ無視するだろう。ただ、一瞥するだけだろう。
 それは、先程のエレンとて同じだったかもしれない。
 そんなリュウなど、見たくはなかった。本来のあるべき姿は、なりふり構わず手を差し伸べ助ける優しく危うい竜の王子である筈だ。そんなリュウを、皆愛していた。
 
 リュウとホーチミンが同時に到着した、斬り落とされたリングルスの腕を必死に接合しているハイは、ニ人の存在に気付かない。
 現場を見たリュウは、目を丸くする。リングルスの治療に専念しているのはハイとアレクで、スリザと対峙しているのはアサギ一人だった。他は武器を構えているものの、傍観しているだけなのである。
 拍子抜けした、人間の勇者に何をさせているのか。
 アサギを護ると宣言したハイや、歩み寄りたいと願い出たアレクは、何故実行に移さないのか。意味が解らず、不信感が募る。

「……ハイ? アサギを助けなくて良いぐーか?」

 リングルスの治療にあたっていてくれるのは、リュウ的には嬉しい誤算だった。魔王ニ人が治療してくれるのならば、腕は元に戻るだろう。
 だが、釈然としない。これでは、あまりに勇者が気の毒ではないか……そう思い、リュウは舌打ちする。

「仕方がないだろう! アサギの願いを断れなかったのだ! こちらに専念しないと、嫌いになると言われたのだから」
「は?」

 瞳を細めてハイを見れば、焦燥感に駆られてか腕が震えている。アサギが気になるのだ、心配なのだ。だが救助に行く事も、助太刀する事も出来なかった。
 アサギからの願いが、リングルスの治療最優先であったからだ。

「アサギの放つ光の魔法で、スリザとの距離を保っている。その間にこの者を回復させ、今後の作戦を思案して欲しいとのことだ。情けない話だが、今はアサギのこの言葉通りに専念するしかない。リュウよ、そなた何か解らぬか。私の腹心スリザだが、正気ではないのだ」
「解るわけがないぐ、今来たばかりだぐ。私は万能じゃないぐ……ともかく、リグの治療には感謝する」

 跪き、リングルスの顔を覗き込めば何故か微笑していた。激痛で気でも触れたかと思ったが、そういった笑みではなかった。妙に清々しく、柔らかに見える。

「申し訳ございません、リュウ様。侮りました」
「素早さにおいては、右に出る者などいなかったお前の腕を斬るとは……魔王アレクの腹心は恐ろしいな」
「自分の力量を恥じ、治り次第鍛錬に励みます」

 瞳を閉じたリングルスを確認し薄らと頷くと、リュウはゆっくりと立ち上がる。ここで、アサギを食い入るように見つめた。これだけ大勢の魔族がいながら、誰もあの勇者に加勢しないこの現状に皮肉めいて口角を上げる。
 だがそれは、アサギが望んだことだと言う。

 ……対して魔力も高くなく、自らの力を把握出来ない非力な人間が、よくもまぁ、魔族達を護る為に立ちはだかったものだ。

 愚かな娘だ、と唇を動かす。「勇者っていうのは、お人よしなのかな」肩を竦めて、軽く瞳を閉じ息を吸い込む。

「……で、あの女剣士はアサギを標的にと命令をかけられているぐーか。周囲にこれだけ魔族がいるのに、アサギだけに向かってくるのなら、十中八苦そうだぐーね」
「異変に気付き、私達がアサギ様の前に立ったのです。それでリグは腕を斬られました。私も対峙致しましたが、アサギ様が間に入られてからは、こちらを見向きも致しませんので」
「うん、アサギのみに絞られているのだぐーね」

 エレンが耳元でそう囁いた、何故アサギを護ったのかは尋ねず、その問いだけを心に刻む。今までの皆であれば、アサギを放置していた筈だ。
 人間なのだから、もう二度と関わらないと皆で誓ったから。
 今はその件よりも、誰がアサギを狙っているのかよりも。

「大事な同胞を傷つけた恨み、返させてもらうぐ」

 アサギは、誰の目から見ても限界だった。何度魔法を放ったのか知らないが、無茶も良いところだ。
 この状態でハイもアレクも助けに入らない事が、リュウには解せない。
 チリチリと胸が痛む音がする、この感情が何か解っているが、認めたくなかったので肩にいたエレンを下がらせて気を紛らわす。
 自分の感情から、逃げた。

「リュウ様、下がってください」

 気配に気づいたアサギが、か細い声で話しかけてきた。声が掠れている、声量が小さいのは疲労の為だ。

「アサギは限界だぐー、ここは私が一撃食らわせるぐーよ」
「それでは、駄目なんです。リュウ様ならスリザ様と互角に戦えるでしょうが、それだとどちらかが怪我をします。ので、駄目です」
「見くびられたぐーな、互角ではなくて圧倒的に私の勝ちだぐ。まぁそんなことはどーでもいーぐーが……怪我するのは仕方がないぐーよ、正気に戻す方法なんて知らないぐー。それに、実はあれが本性かもしれないぐー」

 怪我だけでは済まず、下手すると死ぬかもしれないが出かけた言葉を喉に押し込んだ。
 アサギは気丈に立っていたが、近くに寄れば小刻みに震えていた。身体が悲鳴を上げている、何故この娘は助けを求めないのか歯がゆく思える。
 スリザの瞳の光はどう見ても虚ろで、傀儡であることに違いはない。だが交代を拒否したアサギに、呵む様にリュウは反抗する。

「違います、スリザ様は操られています。怪我をさせずに、なんとか戻します」
「そんなこと、出来るぐー? 方法があるぐー? 誰に、どうやって操られているのかアサギには解るぐーか? ……解らないのに、いい加減なことをその場限りで言うものではないよ」

 悔しそうに、アサギは俯くと思った。もしくは、哀みに支配され泣くのだと思った。だが、違った。微かに口元に笑みを浮かべると、こう言ったのだ。

「それを、するんです。方法は、きっとあります。何も解りませんが、それでも傷をつけて戻せないよりも、抗って何かを見出すほうが良いと思います。完全なものなんて、この世にないと思うんです。だから、元に戻せます」

 切り返す言葉が見つからなかった、瞳を大きく見開いて唖然とアサギを見下ろす。何か言わねばこの雰囲気に飲み込まれると判断したリュウは、それは避けねばと嘲笑する。

「……はぁ。なんというわからずやの勇者だろう」
「なんとか、します。だから、スリザ様を攻撃しないで下さい」

 体力も精神力も、限界の筈だった。しかしアサギの声は、明確に聞き取る事が出来る強い意思が篭められた声だった。
 リュウが硬直する、表情を強張らせながら、震える右腕を抑える様に掴む。
 有無を言わせぬ強い意思に、怯んでしまう。その小さな人間から溢れ出る威圧感は、計り知れない。「あぁ、これにハイとアレクも大人しく引き下がったのか」リュウはそう小さく呟いた。

 ……確かに、君は”本物の”勇者だろうね。強い意思は、認めざるを得ない。だが、それだけで世の中渡って行けると思っているならば、大間違いだ。
 
「そうまで言うのならば、お手並み拝見だぐ……勇者アサギ」

 リュウは身を引いた、数歩下がると今にも倒れそうなアサギを見据える。何処まで強がることが出来るのか、望み通り傍観する。

「勇者とは、何だろう。彼とて強い意思で護ろうとしてくれた、君と彼とは何が違うんだろう。勇者と非勇者の違いとは何処から来るんだろう」

 瞳を細める、魔王アレクの腹心と真っ向から対峙すれば、アサギなど数秒もかからず殺されるだろう。魔族に対して有効らしい、アサギの放つ光の魔法が途切れた時が、死の訪れを意味する。
 その瞬間に助けに入るかどうかは、リュウ自身も解らなかった。救いたい気持ちもあれば、傍観を決め込みたい思いもあるのが正直なところである。

「人間からも、魔族からも、誰からも愛される勇者。……虐げられた非勇者は、誰の救助もないまま、死んでいったんだ。ずっと”友達”を、待っていただろうに、その男は来なかった。友にすら裏切られて、絶望の淵で死を迎えたのだろうね」

 後方から駆け寄ってくる気配を感じ、軽くリュウは首を動かす。アレクとハイだった、リングルスの治療に成功した為、こちらに全力で向かってきたのだ。瞳の端に腕が完治したリングルスが映ると、リュウは感嘆の溜息を漏らす。
 残る問題は目の前の一つだけだ、正気に戻らないスリザをどうするか、である。
 サイゴンが剣を携え、アイセルが拳を構え、ホーチミンが杖を振り翳し、ハイが腕を向ける。
 アレクが、腰に差していた剣を重く引き抜いた。緊張が走る、アレクが剣を抜く様など、サイゴンですら見たことがなかったのだ。魔王が手にする武器の重みは、この場の誰よりも重いだろう。相手は、腹心なのだから。

「ホーチミン、スリザの状態は把握出来ないのか? 今はアサギの安全を最優先とする、最悪の場合仕方がないがスリザは」

 言い放ったアレクに、驚愕の瞳を向けたのはリュウだ。あっさりと腹心を捨てて、勇者を助けると言ったアレクが、狂気の沙汰であるとしか思えない。だが、他の一同は同意の様で、躊躇すら見せなかった。
 違和感を感じる、勇者という存在がそれほどまでとは思わなかった。いや、思えなかった。

「変なこと言わないでください、アレク様! 最悪の場合だなんて、スリザ様が知ったら悲しまれます。そんな、そんな酷いこと嘘でも言わないでくださいっ!」

 怒鳴ったのは、アサギだ。長く共に過ごしてきた者達ではなく、まだ出逢って日も浅いアサギが反発した。

「それだけ、アサギ……そなたの価値が大きいのだよ。もし、スリザではなく私があのように意志を奪われ、でくの棒の様になったならば、スリザは同じ判断をしただろう」

 いや、流石にそれは躊躇するだろうと、サイゴンとホーチミンは引き攣った。主君魔王か、未来に光をもたらす勇者か選べ、と言われて簡単に選択出来るものではない。
 アイセルは、唇を噛締めた。アレクの言う事は解っている、次期魔王であるアサギを選べと言うのだ。未来に見える光を消してはならない、当然のことだろう。
 だがスリザが正気に戻り今のアレクの発言を聞いて、動揺しないとでもアレクは思っているのだろうか。スリザは感情を押し込める、こと恋愛に関しては。当然だと快く受け入れるだろうが、尽くしてきた自分の想いを立場を簡単に消され嘆かない者などいるだろうか。想い人に言われて、心に傷を受けないわけがない。
 例え、表面に出さなくとも。
 立場を逆にしても、スリザがアレクを攻撃できるとはアイセルは到底思えなかった。万が一攻撃したとしても、直様自らの手で命を絶つだろう。それは負の連鎖でしかない。
 やはり、アサギの言うように正気に戻さねばならない。正気に戻ったスリザが今の状況を覚えていたのならば、自己嫌悪に押し潰され自らの手で命を絶ちそうではあるが。
 アイセルにしても、未来の女王を選ぶことが使命であるが、愛するスリザを手にかけるなど出来ない。スリザの内面は、弱い。強固なイメージを創り上げているからこそ、脆い。

「スリザちゃん!」

 アイセルは飛び出していた、スリザが泣いているような気がして堪らなかった。
 何かを飲まされ、意識を失い倒れたスリザ。突如として起き上がり、何故アサギを襲ったのか。「簡単なことか」アイセルは唾と共に言葉を吐き捨てる。アサギを襲撃するように暗示をかけられたに違いない、その為の薬だったのだろう。飲み込んだ液体など、何か解らない。少しは吐き出させたが、やはり完全ではなかったのだろう。
 だから、こうなった。
 アイセルが疑問だった点は、常に神経を張り巡らせているスリザが、どうして見ず知らずの人物に言われるがまま、得体のしれない液体を口に含んだのか……そこだった。
 普通ならば有り得ない、逆に締め上げているだろう。とすると、何かを吹き込まれたのだろうか。最近、スリザはアレクの件で心に痛手を負っている。スリザの心情を知り、把握していたとしたら可能な気がした。
 愛しく焦がれた、美しい魔王の君。彼には相思相愛の華やかな姫がいる、そんなことは何十年も前から知り得ていることだ。
 心を揺さぶられる何かが、スリザにあったのだろう。もしくは耐え忍んできた痛みがついに積もり、、心を切り裂いたのか。
 アサギが放つ光の魔法で地面に倒れこんでいたスリザに、アイセルが飛び掛る。無論、傷をつける気など微塵もなかった。
 ゆっくりと起き上がったスリザの視界に、アイセルが映る。
 小さく悲鳴を上げたが、アサギは後方に居たアレクに手を伸ばしていた。
 有無を言わさずアレクが手にしていた剣を奪い取ったアサギは、そのまま走り出す。それは長いが、軽い剣だった。非力なアサギでも、十分持って走れる重量だ。
 魔王が手にしていた剣を、勇者が取る。
 スリザを押さえ込もうとしたアイセルだが、起き上がり様に両腕で跳ね上がるとそのまま蹴りを繰り出され体勢を崩す。スリザの両手には、確実に剣が握られていた。
 舌打ちし、アイセルは避けられない一撃に備えて手甲で受けるべく構える。スリザの素早い一撃は、アイセルとて肝に銘じている。そして何より今のスリザは手加減などしてこない、本気の一撃がどれほどの威力かは計り知れない。
 アイセルの身体が、本能で恐怖を感じた。

「スリザちゃん、俺だよ!」

 思わず叫ぶが、スリザに動揺など見られなかった。誰が正気に戻せるのだろう、方法があるのなれば教えて欲しい。
 間一髪でホーチミンがアイセルに防御壁の魔法を放った、咄嗟の判断だが完璧だ。攻撃を確実に跳ね返すことは無理だが、軽減は出来るだろう。スリザの間合いに、アイセルは入ってしまっている。回避は無理だ。
 走り出したアサギを追って、ハイとアレクが追いかけた。
 ハイはすでに魔法の詠唱を始めていた、アサギの身に危険が及ぶのであれば、スリザに風の魔法を放つつもりだった。
 スリザが剣を振り下ろす、リングルスの腕を斬り落とした鋭利な風の刃がアイセルを直撃する。手甲が無残にも飛び散り、宙に鮮血が舞った。が、辛うじて切断は免れたようだ。

「スリザちゃん! 俺だよ! 戻っておいで」

 もう一度叫んでいた、腕を大きく広げる。
 虚ろな瞳のスリザは、何の反応も示さず振り下ろした剣をそのまま振り上げる。再び放たれる凶器の風は、音速だ。俊敏なアイセルでも、避けることは厳しかった。間合いが近すぎる。
 再びホーチミンがすぐさま防御壁を張るが、詠唱が短すぎて完璧ではない。溜息一つ、舌打ちしたリュウが加勢していなければ、アイセルの胴体は切断されていた。「私の参戦は高くつくぐ」忌々しそうに呟いたが、エレンは歓声を上げそうになった。

「やはり、王子は。とても、お優しい方なのです」

 攻撃を繰り出しても、辛うじて保っているアイセルにスリザが追い討ちをかける。間合いを詰めて剣で攻撃する気なのだろう、しかし背後で聴こえた声にスリザは反応した。
 アサギが掛け声と共に、剣を真横に振ったのだ。遅い上に、非常に緩やかな一撃である。
 その一振りは掠りもしない、鍛えられたスリザにとって、避けられないわけがない。アサギの攻撃など赤子の手をひねるようなものだった。
 蒼褪めたハイが、風の魔法を放とうと手を掲げる。アサギを視界に入れたスリザは、確実に牙を向けるだろう。矛先をアイセルからアサギに替えてしまう。 
 アレクも指先を器用に動かし詠唱に入った、アサギを護るためならば仕方がないのだと覚悟を決める。
 しかし、スリザの動きが止まった。
 何故止まったのかを考える前に、アイセルが飛びかかり羽交い絞めにする。拘束されても硬直していたスリザだが、ようやく暴れ出した。その瞳に、ゆっくりと後方に倒れるアサギの姿が映る。
 皆がアサギの名を口々に叫び駆け寄る中で、アイセルはもがくスリザに囁いていた。

「愛してるよ、スリザ。アサギ様を護ることが使命だとしても、俺は君を傷つけることが出来ない」

 それでも変わらず暴れるスリザに、情けなく笑うアイセルはふと、顔を上げた。皆に囲まれて助け起こされたアサギの瞳が大きく開き、勢い良く立ち上がると再びこちらに駆け出した瞬間を見る。
 その、瞳の色が。

「みど、り?」

 皆には、見えなかっただろう。真正面に居たアイセルだけが、そのアサギの瞳の色を捕えた。深緑の美しい森を連想させる、不思議な色合いだった。
 アサギは躊躇なくスリザの腹目掛けて手を、いや、拳を突き出していた。若干、その拳が光って見えたのはアイセルの錯覚か。
 
「ごふぉあぁ、ガッ!」

 苦しそうな呻き声と共に、スリザの身体が折れ曲がる。口から胃液を吐き出し、痙攣する。当然アサギに降りかかったが、それを腕で拭うとスリザの頬に両手を添えて瞳を閉じる。治癒魔法の詠唱だろうと思った、暖かな光がアイセルにも感じられたからだ。
 小刻みに揺れるスリザを、慌てて仰向けにする。真っ青というよりも、真っ白な顔は全く血の気がない。が、口元に手をあてれば呼吸はしている。それを確認すると、アイセルは安堵し溜息を吐いた。
 目の前のアサギは、再びゆっくりと後方へ倒れていく。すかさず、ハイとアレクが支えた。精神的にも体力的にも限界だったのか、アサギは眠っているようだ。ハイの身体から、どっと汗が吹き出た。唇を噛締め、アサギを抱き締める。アレクも大きく息を吐き、アサギが落とした自身の剣を拾い上げると鞘に収める。
 静まり返る、一同。
 アサギの容態を診てから駆け寄ってきたサイゴンとホーチミンは、アイセルの腕の中にいるスリザを不安そうに見つめた。念の為、スリザの愛剣はサイゴンが手にし本人から離した。万が一、を考えての事だ。
 だが、スリザの体調はともかくとして先程の不気味な雰囲気は微塵もない。「恐らく正気に戻ったと……」困惑しつつも、ホーチミンは口にする。
 眠っているアサギの表情は、安らかだ。脱力し、ハイがアサギを抱えたまま蹲る。その肩をアレクが軽く叩いた、もう大丈夫だとばかりに。
 リュウは面白くなさそうに一瞥すると、唇を尖らせ踵を返す。輪から離れたところに、大事なリングルス達がいた。そちらへ向かった。
 けれどもエレンには解っていた、最後まで見届けたリュウの心根は昔と何も変わっていないと。

「身体は?」
「御蔭様で、大丈夫です。いやはや、腕が戻るとは思いも寄りませんでした」
「……勝手に怪我をしないでくれ、妙な事に首を突っ込むな」
「ですが、アサギ様が」

 言いかけてリングルスは口を噤んだ、リュウが人間嫌いであることは知っている。過去に人間に裏切られてから、拍車をかけて嫌いになったことは知っている。だが、アサギには好意的だった筈だ。

「今後は我ら同胞以外の危機でない限り、関わらないように。他の皆にも伝えてくれ」

 言うことは最もだと一瞬俯いたが、リングルスには我慢できず押し殺した声を出し反発した。

「……お言葉ですが、リュウ様。アサギ様は」
「アサギ、アサギと! 勇者に誑かされたのか」

 強く吐き捨てると、リュウは極まり悪そうに舌打ちし大股で立ち去る。リングルス達が、唖然とリュウを見た。

「……どうしたのかしら、リュウ様。近頃変だわ」
「アサギ様と、以前友人であったあの勇者とを重ね始めてしまったのかもしれないな」

 憶測は、誰にでも出来る。リングルスの体調を気遣い、三人はリュウの態度に不信感を抱きつつ部屋に戻る事にした。アサギに礼を言いたかったのだが、気を失っているままだった為ハイに礼をする。
 仏頂面のハイは、こちらを見ようとしなかった。その場にいながら、まともにアサギを護れなかった自分に苛立ってもいるのだろうし、何より身を挺してまでこの者達をアサギが庇った事が気に入らなかったのだろう。
 子供のようだとリングルスは思ったが、とても口には出せない。
  
「ハイ様、アレク様。手厚い処置を有難う御座いました」
「気にするな、そなたはアサギを守護したのだろう。こちらこそ、礼を言わねばな」

 ハイは口を開かないが、アレクが微笑し応じてくれた。回復したら改めて礼に伺うと伝え、深く頭を垂れて三人の幻獣はその場を去る。
 残された者達も、いつまでもここにいるわけにはいかない。アイセルはスリザを抱えたまま、再びあの部屋へと戻った。アサギはハイに抱かれて、アサギの部屋へと運ばれる事になった。

「私は、アサギにつく。スリザを頼む」
「御意に」

 立ち去ったアレクを、サイゴンとホーチミンが頭を垂れて見送った。その後姿を、アイセルがぼんやりと眺める。
 魔王は腹心ではなく勇者を選んだ。
 当然かもしれないが、スリザが知ったらやはり哀しむだろう。スリザの容態を、アレクは診てもいない。

「ちょっとさ、女心に配慮ってものが欲しいよなぁ。スリザちゃんが、可哀想だよ」

 小さく呟くアイセルに、ホーチミンが呆れたように大袈裟な溜息を吐く。

「スリザのことを、アレク様は人一倍信頼しているのよ。大丈夫だと信じているわ、きっと私達のことも信頼してくださっている。だからこそ、今後の重要人物であるアサギ様に親身になられるのだと思うわ。彼女に何かあれば、今後スリザも……いえ、私達の未来も閉ざされるのよ」
「だからってさぁ」
「それに、アレク様には恋人がいるじゃない。中途半端な優しさは、スリザを余計傷つけるだけ。アイセルが早く、スリザをモノにしてしまえばいいのに」

 アイセルの脚を思い切り踏みつけると、ホーチミンは先頭きって歩き出す。宥める様にサイゴンがアイセルの肩を軽く叩き、すぐにホーチミンを追った。
 顔を引き攣らせ、アイセルも歩き出す。腕の中のスリザは目を醒まさない。

「って、言ってもさ……。アレク様には何もかも勝てない、唯一勝るのはスリザちゃんへの想いだけ。その想いすらも凌駕するのは、アサギ様のお力。俺にどーしろって言うの!」

 自分のスリザへの想いが、彼女を正気に戻せたらと思ったが夢のまた夢だった。
 結局スリザを救ったのはアサギである、何をしたのだろうか。近くで見ていたから解った、アサギが何かしたのだ。暗示を解いた。

「ちぇー、勝てないよな、ぁ」

 自嘲気味に微笑んだアイセルの腕の中で、スリザが軽く瞬きをした。が、アイセルは気付かない。

 アサギを部屋に運んだハイとアレクは、直様冷えた水やアサギが起きた時用にと瑞々しい果物を部屋に運ばせる。寝息を立てている姿を見ると、特に心配しなくても良さそうだった。寝顔はとても、安らかだ。

「アサギは、何をしたのだろう」

 アレクが窓に立ち、独り言の様に呟く。ハイはアサギの手を握りながら、忌々しそうにアレクを睨みつけた。

「私が傍に居ながらの不祥事ですまないなっ! もう、今後何もかも全ての事からアサギから離れられなくなった。アレク、取り急ぎこの室内に便所と風呂を設置してくれ」

 ハイの頓珍漢な発言に、流石のアレクも頭痛を感じる。

「……いや、ハイ」
「目を放した隙に、この有様だ! あの時、ついて行くべきだった! 二度とこのようなことが起こらないように対策を練らねば! 共に風呂に入り、共に便所に行き、四六時中アサギの傍らに」
「……いや、ハイ、あの」

 額を押さえて遠くを見つめるアレクと、真剣なハイである。先程のアレクの問いは、ハイにとってどうでもよかったらしい。スリザがどうなろうとも、ハイには関係ないのだから当然か。
 全ては、アサギが無事かどうかだ。

「あ、あの、ハイ様。お、お風呂とかは一緒では困ります……」

 いつ目を醒ましたのだろう、アサギが顔を赤らめてというか、若干泣きそうな表情でハイを見上げてそう告げた。

「いじょ、じょじょじょ、冗談だっ、ははは! アサギ、無事か! ほ、ほら、果物がたくさんあるから食べなさい」

 大慌てでそう否定したものの、本気だったハイは若干肩を落とした。気まずい空気が流れる。
 呆気にとられながらも窓から駆け寄ってきたアレクは、上半身を起き上がらせたアサギに「無理しないように」と囁くとその背に腕を回す。頭を撫で「辛かったろうが、よくやった。なんと気高く立派な勇者だろう」と微笑む。
 嬉しそうにアサギは小さく笑うと、頷いた。
 それを眺めていたハイだが憤慨しだすと、アレクの腕を振り払い同じ様にアサギの背を支えながら傍らの果物を差し出す。

「う、うむ! 素晴らしい活躍だったな。と、ともかく、ゆっくりしなさいアサギ」

 気の利いた言葉は、全てアレクに言われてしまった。これでは、ハイの面目丸潰れである。ぎくしゃく、とアサギは差し出された果物を受け取った。見つめて、軽く首を傾げる。

「あ、の。ハイ様? これ、なんですか?」
「むっ……何だろうな」

 見たことがない果物だった、直径十センチはある葡萄に見える。感触は葡萄の様に柔らかい。ただ色合いが桃色であるが、桃ではない。
 ハイも初めて目にしたので、何か解らなかった。故郷の惑星では見たことがないし、最近になってようやくここ惑星クレオの食事を真面目に摂り始めたので、知識はそうない。

「あぁ、それはオリヴェイラだ。アサギは初めてか? なんでも女性の間では大人気の果物らしいが。ホーチミンが詳しい筈だ、以前熱弁していたのを聞いたことがある。大変甘いらしい、薄皮を剥いて食べると良い」
「あ、はい! おっきな葡萄と桃の中間だと思って食べてみます」

 つらつらと説明をしたアレクに、再び持っていかれた。当然なのだが、妙に悔しい。あからさまにアレクを睨みつけるが、当の本人は全く気にせずアサギに笑みを投げかけている。
 期待に胸を膨らませつつゆっくりと皮を剥いて、齧ったアサギは破顔した。とても甘いがくどくなく、爽やかな味である。マスカットに味は近い。

「わぁ、美味しいです! ホーチミン様がお好きなら、きっと美容に良いのでしょうね」
「だろうな」

 会話が弾むニ人を、恨めしそうにハイは見ていた。むしゃくしゃして、傍らの果物を手に取ると思い切り齧る。
 悲鳴を上げそうになったが、辛うじて堪えて飲み込んだハイを、アサギが唖然と見ていた。手にしているのは、レモンである。レモンをそのまま齧ったのだ。ハイの瞳に、微かに涙が浮かんでいた。口が酸っぱそうに窄んでいる。
 紅茶に絞るつもりで、アレクが用意させたものだった。 

 そんな頃、スリザの部屋ではアイセルが先程の件をサイゴン達に話していた。「アサギの瞳が、緑に変化したように見えた」ということを。

「まっさかぁ……と、言いたいところだけど。無事にスリザが戻ってきたら、信じちゃうかも。まだ、洗脳から解けたと決まってないけど、解けてるじゃない? 多分。どうやったのかしらね、私もハイ様もそんな魔法知らないから、教えてないし」
「勇者としての潜在能力なのか、秘めたる力なのか……。どちらにしろ、ニ人の回復を待って話はそれからだろう」

 サイゴンは水を取りに行くと言って、部屋を出て行く。
 ドアが閉まる音を聞き、ホーチミンが青褪めてアイセルの胸倉を掴んだ。若干沈んでいるアイセルを、容赦なく力任せに首を締め上げる。

「ねぇ! スリザが飲まされた液体をさ、食堂の水やら……皆が口にするものに入れられたらどうなるわけ!?」
「なっ!」

 アイセルの顔も歪む。考えた事もなかった、可能なのだろうか。

「ねぇ、やばくないかしら? まさか液体にそんな効果があるなんて思いも寄らなかったけど……。私、アレク様に報告してくるっ」

 慌しく部屋を出て行ったホーチミンに力なく手を上げ、顔面蒼白のアイセルは床に座り込んだ。
 今回はスリザを狙っての犯行ではなく、アサギを狙っての犯行だったとするならば。アサギの身近で精神的に付け入る隙のある、武術に長けた人物ということでスリザに白羽の矢が当たったのだろうか。

「確実に、アサギ様を仕留められる人物を?」

 口元を押さえ、アイセルはスリザを覗き込む。早く回復して欲しかった、話を聞きたいこともあるが、やはりアイセルにとっては。

「早く、スリザちゃんの声、聞きたいんだ。怒鳴ってもいい、罵倒してもいいよ、だから声が」

 切なそうに寝顔を覗き込んでいたアイセルは、そっと口づける。冷たい唇は、決して柔らかくなく、少し荒れている。
 日頃から口紅などしていないスリザだが、それが良い。唇を潤すように、そっと舌で嘗め上げれば。

「き、ききききさまぁっ! 何をしておるのだこの、淫乱発情大馬鹿男がっ!」
「ふっぎゃー!」

 いきなり、頭を摑まれ揺さ振られた。そのまま腹部に衝撃が走ったと思えば、身体が宙に浮いていた。そして、そのまま落下した。

「ごっはー!」

 先程スリザが割った窓から、アイセルが無残にも投げ捨てられた。地面に叩き付けられ、脳震盪を起こしながらもアイセルは。

「おはよう、スリザちゃん」

 嬉しそうに、呟く。上空ではスリザが顔を真っ赤にして、大きく肩で息をしながら罵詈雑言を浴びせている。
 スリザが、正気に戻っていた。

「え、何、この状況」

 水を運んできたサイゴンは、先程まで瀕死だったスリザの回復振りと瀕死のアイセルに意味が解らず狼狽する。
 そんなサイゴンに説明もせず、運ばれてきた水を一気に飲み干すと、首を左右に振って鳴らす。片腕ずつ、腕を回す。鼻息荒く窓から飛び降り、地面に突っ伏しているアイセルの背中目掛けて拳を突き入れた。
 絶叫が響き渡る、思わず窓から身を乗り出して見ていたサイゴンは、瞳を硬く閉じて小さな悲鳴を上げた。
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 痛そうだ、痛そうというレベルではなさそうだ。
 下ではスリザがアイセルを罵倒しながら、殴りかかっていた。

「まぁ、一件落着、かなー」

 強打されている鈍い音を訊きながら、のほほんとサイゴンはニ人を見下ろしす。止める気がしなかった、スリザが意気揚々としていて。普段の張り詰めた空気が、全く感じられない。これが素のスリザなのだろう、アイセルも嬉しそうだった。
 流血沙汰だが、微笑ましい気がして。サイゴンは小さく伸びをすると暫し、平穏の時に酔う。
 が、周囲からしてみればこれは異常事態だ。直様ニ人の周囲を警備兵が囲んでいた。しかし、スリザとアイセルに割って入る度胸のある者等いないので、説得を試みるのみである。
 このまま一方的に殴られ続ければ、確実に死に至りそうだが、アイセルの悲鳴が歓喜に溢れている気がする。その場は白けてしまった。
 サイゴンはそんな喧騒の窓から離れると、部屋を出た。スリザはもう、大丈夫だろう。アイセルの存在が負担を減らしてくれるだろうと確信して、ホーチミンとの合流へ向かう。 
 アイセルの悲鳴を背に受けて。


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