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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第155回   予言の緑の娘
 サイゴンとホーチミンは、アサギを待っていた。
 どちらが先だったのか解らないが、今ニ人は軽く手を握りその温もりを確かめている。ゴツゴツした太い指と、華奢な細い指が触れると安心した、幼い頃に戻ったようだ。
 まだホーチミンが女装などせずに、そこらにいる魔族の男子として元気にサイゴン達と走り回っていた頃。やんちゃなホーチミンが大きな魔法を連発し、サイゴンはそれを避けながら剣を振り回すという危険な遊びが好きだった。
 帰り道は、手を繋いでいたものだ。
 芽生えた恋心は、ホーチミンが先だった。もともと、サイゴンの姉であるマドリードが類まれなる美女で、彼女を見るたびに華やかで美しい蝶のようだとホーチミンは羨望の眼差しを向けていた。
 憧れは、自身に反映したくなる。
 丁度その頃、街へ出た際にサイゴンが年頃の娘を指してこう告げた。

「見ろよ、ミン。あの女の子、可愛いよな。ふわふわの服を着てる、甘い砂糖菓子みたいだ」

 確かに目立った容姿をしていたが、美しさではマドリードに敵わない。タイプは違うが美しさだけで比較するならば、マドリードの勝ちだった。サイゴンは大した意図もなく、何の気なしに呟いたのだが、ホーチミンにしてみればそれは自分の憧れ対象を貶められたように感じた。屈辱だった。
 流れるような髪に、花の髪飾り。レースをふんだんにあしらった、風に揺れる軽い素材のワンピース。何処かの令嬢だったのかもしれない、気品があった。だが、そんなことはどうでもよい。
 ホーチミンの闘志に火がついたのだ、サイゴンの発言を無視出来なかった。

「……ぜんっぜん、かわいくないよ!」

 涙声で叫び、勢いよく走り出したホーチミンの気持ちなど、サイゴンには解る筈もない。呆気に取られて消えてしまった友人の後姿を見つめる事しか出来なかった。
 翌日、家のドアをノックする音で目を覚まし、顔を覗かせたサイゴンは硬直した。

「おはよう、サイゴン」

 にっこりと微笑むホーチミンは、昨日までの見知った友人ではない。自分と同じような衣服を身に着けていたはずだったが、今朝は明らかに少女用の衣服を身に着けていた。
 言葉を失ったサイゴンに微笑み続けるホーチミンは、くぅるりとその場で一回転する。

「可愛いでしょ?」
「……何か悪いものでも食べた?」

 ようやく搾り出した言葉はそれだ、薄桃色したロングワンピースを身にまとい、髪にはレースのリボンを舞わせたホーチミンを奇怪な目で見つめる。

「見て、ちゃんと下着も女の子用なんだから」

 ぶわっとスカートの裾をめくり上げ、可愛らしく小首を傾げたホーチミン。すらりとした足は確かに艶かしいかもしれない。だが、股の部分に当然のごとく違和感がある。
 小さなリボンがついた、黒のストライプの下着だった。まごうことなき少女用だ。しかし、勿論違和感。下着はともかくとして、違和感。

「え、ぁ、い、ぉ、うっわー……」

 股間を凝視し、上手く口が回らず言葉を発することが出来ないサイゴンに、ただホーチミンは不思議そうに微笑むばかりだった。二階からはマドリードが、興味深そうにそんなニ人を見つめている。
 何かの罰ゲームだと、その日限りの悪ふざけだと思っていた。
 だがホーチミンは以前自分が着ていた少年用の衣服は捨て、少女用の衣服に全て買い換えていた。両親は、何を思ったのだろう。母親に至っては娘が欲しかったことも手伝い、またホーチミンが可憐な少女にも見えたので当時は乗り気だったと聞いた。
 ともかく、ホーチミンは本気で女装に取り組んだ。女装というより、女性になりたかったので立ち振る舞いも研究した。それもこれも、ことの発端はサイゴンが何気なしに呟いた『あの子可愛い』という言葉だ。
 幼少の友人への気持ちを友情なのか愛情なのか判らぬまま、ホーチミンはそれを半ば強引に”愛情”だと認識した。自分以外の誰かを褒めたことが気に入らなかったのかもしれない、それだけだったのかもしれない。
 けれど、思いのほか女装は楽しく、そして年頃の娘らよりも自分が美しく思えたホーチミンは止める事がないばかりか、エスカレートしていった。料理に裁縫、掃除は勿論のことつつましい立派な妻となるべく、母親からマドリードから、近所のおばさんから女性としての心得を習得した。それは利口なホーチミンにとっては新たな学習のようで楽しかったのだ。
 あれよこれよと褒められ伸ばされ、着実に習得していったホーチミン。
 どう反応して良いやら解らず、サイゴンは戸惑うばかりだった。あろうことか好意の矛先が自分であると知り、更に混乱する。サイゴンは、かけがえのない友人だと思っていた。突然恋愛感情へと切り替わったホーチミンに嫌悪感を抱くことはなかったが、悲しかった。
 見た目はどうであれ、それでもサイゴンにとってホーチミンは友人だった。夜這いをかけられても、押し倒されても迫られても友人に変わりはなかった。
 サイゴンが本気で嫌がったならば、ホーチミンとて止めたかもしれない。
 ホーチミンが女性を志して数ヶ月が過ぎた頃、ニ人は偶然に口づけをした。もっとも、サイゴンは記憶にすら残っていないだろう。秋に行われる豊穣の感謝祭にて、歌って踊って呑んで疲れ果てたサイゴンは道端でひっくり返っていた。苦笑しながらも、無防備な姿で眠っているサイゴンに膝を貸し、ひと時の静かな甘い時間を過ごしたホーチミン。その時、そっと口付けた。
 数回、目蓋を引きつらせて起きるかと思われたサイゴンだが、微笑したまま深い眠りへ戻っていった。なので、気付いてなどいない。
 会話がなくとも、至福の時だった。うっとりと、身を任せた。何も身体を温め合ったり、話をしなくとも気持ちは通じる。と、実感できる時間だった。
 思い出したホーチミンは、恋人同士のようだと思えて苦笑する。
 サイゴンが今、何を思っているのかなど知らない。自分と同じ想いであるはずなどない、それでも幸せを感じた。
 やがて騒がしくなった廊下に、ニ人は慌てて手を放すと距離を置く。アサギ達が戻ってきたのだ、明るい声が響いてきた。

「ホーチミン様、サイゴン様!」
「アサギちゃん、こんばんは。伝えたい事があって待ってたの」

 駆け寄ってきたアサギを抱きとめるホーチミンは、不思議そうに首を傾げたアサギに申し訳なさそうに言葉を続ける。

「明日からね、外せない仕事が出来たから暫く一緒にお勉強が出来ないの」
「そう……ですか。解りました!」

 後方に立っているハイに目配せするホーチミンに、無言で頷くハイ。

「夕飯はこれからだ、一緒にどうかね」

 ハイに誘われたので、今夜も共に食事をすることにする。食堂にはアイセルも居た、あろうことか魔王アレクも居た。周囲の魔族は恐縮し、離れていく。魔王がニ人揃っていれば、誰しもが敬遠するだろう。

「珍しいですね、このような場所に」
「気分転換だ」

 言って笑うアレクに、アイセルは軽く目配せをする。気分転換もあるだろうが、妙な動きをする者がいないか探りに来たのだろう。先の侵入した人間に通じる者が、必ず何処かに居るはずである。
 何も知らないのは、アサギのみ。ホーチミンは、アサギの目を盗んである程度の事情は聴かされた。

「ねぇ、アサギちゃん。そういえばトビィちゃんと知り合いなんですってね」

 白身魚とカボチャのパイを切り分け配り始めたホーチミンは、早速食べ始めたアサギに声をかける。

「はい! ホーチミン様もトビィお兄様を知っているんですね」

 ”トビィお兄様”間違いなく、今アサギはそう呼んだ。先程の小説が甦る、ホーチミンの脳内を駆け巡る。
 あの小説の主人公、アリアが『トバエお兄様』と呼んでいた声が再現される。
 冷静を装い、言葉を思案しながら口にする。

「ふふ、トビィちゃんは人間だけど有名なドラゴンナイトだったから、知らない魔族のほうが魔界では少ないわ。美形だしね」
「かっこいいですよね、脚も長いですし。思わず、お兄様って呼び始めたんですよ」
「……血は繋がってないのよね」
「はい、この世界で初めてお会いしましたが、何処かで昔も会った事がある気がして」

 無邪気にそう言うアサギに、ホーチミンの顔色が変わる。あの小説は、もしやアサギの過去の記憶ではないのかと脳裏を過ぎった。震えるホーチミンを気遣い、サイゴンがテーブルの下で再び手を握る。

「トビィ? 何処かで聞いた名だな?」
「あの、ハイ様に一番最初に斬りかかった人です……」
「あぁ、あの人間にしては俊敏な」

 ハイが気難しそうにそっぽを向いた、アサギがトビィをかっこいいと言った時点で機嫌が悪いのだ。おまけに凄腕であることも、ハイならば知り得ている。難なく交わしたが、武勇の才能があることなど明白だ。
 膨れっ面のハイは放置し、アレクが興味深そうに会話に参加する。

「トビィとアサギは知り合いなのか、マドリードの育てていた子だろう?」
「アレク様もご存知なのですか!? トビィお兄様って、凄いんですね」

 アサギはただ、驚くばかりだ。自分以外にここまで魔族の、それも上流階級のメンバーと知り合いである人間がいたとは。それが、トビィだとは。
 ただ、感嘆の溜息を吐く。トビィが誉められるので、アサギも嬉しくなって自然と笑顔になってしまった。

「アサギちゃんは、トビィちゃんが好きなのね」
「はい、とっても。まだ出逢って間もないですけど、とても信頼していますし、尊敬もしています」
「……男女の恋愛事とは違うのかしら」
「え、だんじょ?」

 切り込んで訊くホーチミンに、サイゴンが顔を顰めてテーブルの下で軽く手を揺する、アサギは困惑気味に首を傾げた。ハイはますます不機嫌になるが、皆放置である。

「恋愛感情、ということですか? えっと、そういうものではないです。ホントに、頼れるお兄さんで」

 控え目に告げたアサギに、ホーチミンは微笑んだ。女ではないが、女の勘が働く。

「好きな人がアサギちゃんにはいるんだったかしら? もしかして、トビィちゃんに似ていたりする? 髪の色とか、瞳とか」

 ホーチミンの質問にアレクとアイセルは事情を知らず、ただ聞き入るばかりだ。だが、サイゴンは喉を鳴らした。
 アサギの答えが、妙に長く感じられるほど間があった。

「えっと、あの、私と同じ日本人なので同じ黒い髪と瞳なんですが……トビィお兄様とは似ても似つかないです」

 地球に紫銀の髪の人間が存在するとすれば、髪を染めているのだろう。染めても、あのように綺麗な色合いにはならないだろうが。
 アサギの返答を聞き終えると、緊張していたサイゴンは肩の力を抜いて大きく溜息を吐いた。ホーチミンも軽く微笑むと紅茶を口に含んだ、流石に口内が乾いていた。
 拍子抜けしたような、安堵したような、腑に落ちないような。
 ホーチミンは眉を顰めた、嫌な予感がした。好きな人の話をしているアサギは、たどたどしく、頬を染めて恋する乙女だ。

「ちょっと、待って。トビィちゃんみたいな髪と瞳の人って、他に知らない? 知ってる?」
「あ、えっと、私の世界にはあんな綺麗な髪と瞳の人間は存在しません。ので、トビィお兄様しか知らないです」

 不思議そうに返答するアサギに、思わずホーチミンが口元を押さえる。身体が震え出したので、力強くサイゴンの手を握った。
 つまり、あの小説が指し示した事とは。”今後アサギが、トビィに似た少年と出会う可能性が有り、そうなると身の破滅に繋がる”ということではないのか。
 予言書ではないかと思った。
 ホーチミンの直感である、憶測でしかない。だが、不可解なあの小説がホーチミンの前に現れたのは、必ず何かしらの意図があるはずだ。魔力の高いホーチミンが選定され、導かれたのではないのか。
 アサギを、護る為に。
 質問攻めのアサギだったが、折角なので反対に質問をすることにした。押し黙ったホーチミンに、遠慮がちに問う。

「あの、私からも訊いてもいいですか? スリザ様は最近どうしてますか、お姿が見えなくて」
「スリザならば私からの依頼を遂行しているので、王宮にはいないのだよ。魔界を駆けずり回っている」
 
 間を入れることなく、アレクがそう切り替えした。しかしその時アイセルが安堵し、軽く溜息を吐く様をアサギは見逃さなかった。だが、追求など出来ないのでにこやかに笑うと頷く。

「よかった、なら良いのです。何かあったのかと」
「スリザが戻ったら、早急にアサギに会いに行かせよう」
「あ、いえ。ご無事なら、良いのです。いつもアレク様のお傍にいらしたので……不安だっただけで」

 意味有り気に視線を送ったアサギに、アレクは瞳を細める。

 ……この子は、何か気付いている。

 アレクは手の中のカップを見つめた、残り少ない紅茶が揺れる。
 食事の後、ハイに促されてアサギは部屋へと戻った。帰宅間際にアレクが神妙に頷き、ハイもまたそれに応えるように微かに頷く。
 だが、皆がトビィを誉め、アサギには好きな相手の話まで聞かされ、ハイは意気消沈だ。傍から見ても覚束無い足取りの状態で、万が一の事態にアサギを護る事が出来るのかと、不安を抱いたアレクは軽くこめかみを押さえる。
 その後、アレクはサイゴンに耳打ちされて自室にアイセル、サイゴン、ホーチミンを招き入れた。
 ホーチミンにスリザの状態を教え、動揺を与えながらも緊迫した空気で調査依頼を託す。震えて口が開けないホーチミンに代わり、サイゴンがあの小説の話をアレクとアイセルに話した。
 流石にこれには、魔王アレクも目を見開き唇を噛締める。

「一旦、整理してみようか。何故だろう、未来には光が溢れている筈なのに影が差した気がする」

 脱力しソファにもたれこんだアレクに、三人は静かに俯き瞳を閉じる。沈黙が部屋を支配した。

「ともかく、三人はスリザを襲撃した人間の女の調査を。それが第一優先だ、私はその図書へ出向こう、何か語りかけてくるかもしれない」

 三人が顔を上げて力強く頷くと、満足そうにアレクは微笑した。

「そなたらが、私の代に居てくれて本当によかった。一人では無理だった」

 弱々しいアレクを励ますように、サイゴンが立ち上がると傍に寄り添う。

「貴方様だからこそ、集っているのです。全ては、貴方様のお心があればこそ」
「アレク様、ハイ様にもアサギ様から目を離さぬようにと再三申して置いてください、あの子は勘が鋭い。何かに自分から首を突っ込みそうな気がしてなりません」
「何より、トビィが魔界へ戻ったらそれが悪化しそうな気もしますが、トビィには俺から話しますので」

 不気味な糸に、この場の全員が絡め取られている気がして。アレクは頷きながらも不安を隠し切れずに、瞳に暗い影を落としている。

「もし、アサギの髪と瞳が若葉のような緑であったならば。全ては一致するのか……」

 異界から召喚された小さな勇者は、漆黒の髪と瞳の美少女。何の悪戯か、同じく異界から来た魔王に一目惚れされて、拉致された。
 だが、その姿は次期魔界を治めるであろう予言の女王の影武者として産まれた、アイセルの妹マビルに瓜二つである。ただ、予言と髪と瞳の色が違う。予言通りならば、緑のはずだった。
 予言が間違っているのか、アサギではないのか。
 またここへ来てホーチミンが示唆された謎の不気味な小説が、どうしても気にかかる。

「次期女王がアサギちゃんの子孫、という可能性は? アサギちゃんに子供が産まれて、その子が瓜二つな可能性も。その子は緑の髪と瞳かもしれません」

 ようやくここへきて落ち着いたホーチミンが、おもむろに口を開いた。確かにそれも有り得る、最も有力だろう。
 だがアレクは確信に近い予感があったのだ、アサギで間違いはないのだと。

「そうなると、アサギ様の髪と瞳の色が突然変異で変わらねばなりませんが」

 苦笑したアイセルだが、アイセル自身もアサギが予言の娘であると信じて疑わない。

「あら、そういえばアサギちゃん。たまに太陽の陽があたると、若干緑っぽい髪の色をしていないかしら? 若葉というよりは、深い森林の深緑的な」

 ぼそ、と呟いたホーチミンに、思わずアレクが立ち上がる。

「……なんにせよ、気を引き締めよう。彼女を護らねばならない、私の全てを懸けて。光溢れる未来を、潰したくなどない」
「御意に」

 信頼できる三人の魔族を見送ると、アレクは深い溜息を吐きながら、恋人のロシファから貰った茶を淹れた。恋人に、会いたくなった。「会いに行くか」気弱に呟き、闇に紛れてアレクは姿を消す。


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