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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第151回   始まりの唄『外伝2-9 憎むべき相手の「美味しい」』
 来訪者の声に、あからさまにトダシリアは眉を顰めた。まどろみながらベッドに横たわり、隣で眠っているアリアの寝顔を見ていたところだ。その時間を邪魔されたのだから、機嫌を損ねて当然だ。
 来訪者とてそれは判っていた、だが一大事だ。意を決して震える手でノックをし、声をかけた。不機嫌そのもののトダシリアに、いつ首をはねられるのかと怯えながら近づくと耳打ちする。
 数分後、アリアを残し部屋を出て行くトダシリアの表情は、若干綻んでいた。
 向かった先は、トバエが治療を受けている部屋だ。最新の医術と、古来より伝わっている魔術を掛け合わせて駆使している。トダシリアは伝統を重んじる人物ではない、良いものがあれば新しものに変えていく。しかし、新しきものが全て良いとも思ってなかった。

「驚きました、まさか回復するとは」
「オレの弟だ、あの程度では死なない」

 トバエの腹部には穴が開いていた。トダシリアに治療を命じられた者達が、傷口を診て一斉に顔を引きつらせたのが数日前の事。
 化け物でも見るかのような顔つきでトバエを囲み、医師達は治療に専念している。誰しもが助からないと思っていたが、回復力が異常だった。

「会話は出来るのか?」
「先程目が開きましたが、言葉は発しておりません」

 今は眠っているトバエを、冷めた瞳で一瞥するトダシリア。純白の寝具に包まれて、体中に包帯を巻きつけて眠っていた。弱弱しい筈のトバエの姿だが、トダシリアにはそうは見えない。

「……アリアはどうした?」

 突如上がった声に、その場の全員が硬直した。だがトダシリアは素早く順応し、その声の主を見つめる。
 唇の端を意地悪く上げて、何時の間に瞳を開いたのかこちらを見ているトバエに軽く会釈をした。

「ご機嫌は如何かな、弟よ」
「質問にだけ、答えろ。アリアはどうしている」

 おどけた様子で身体を揺らしながら返答しないトダシリアと、鋭利な刃物を連想させる凍てつく瞳で睨んでいるトバエ。周囲に緊張が走る。

「お前を助けてくれと懇願されたのでね、こうしてトバエを救ったわけだ。つい今しがたまでオレの腕の中にいた、なかなか素直な身体じゃないか、抱き心地は気に入っているよ」

 挑発的な台詞に皆が息を飲む、だがトバエはそんな安っぽい挑発には動じなかった。心内は誰にも解らないが、表面には出していない。

「お前の目的は何だ、オレが心底憎いのだろうが……他を巻き込むな」
「目的? 言わなかったか、あの娘が欲しいだけだ」

 言葉を被せる様にトダシリアは口を開く、眉一つ動かさず、トバエはそれを見つめていた。下卑た含み笑いを漏らしながら、小馬鹿にした様子のトダシリアは顎を擦る。

「まぁ、その娘を手に入れたのだから、お前に屈辱を味あわせることが出来た。一石二鳥とは、こういうことを言うのだろう。さて、アリアの願い通りにトバエをこうして死の淵から救った訳だが。……目の前で抱いて見せようか、お前はどんな顔をするんだろう」

 悪趣味だと、軽く医者達が目を伏せた。けれども、トバエは顔色一つ変えないでいる。何処まで冷静を保てるのか、逆にトダシリアは興味が湧いてきた。そのトバエの態度は、ただトダシリアを刺激するだけでしかない。

「些かトバエの癖がまだ抜けないが、直にオレ好みに腰を動かすだろう。楽しみだ」
「もう一度訊く、お前の目的はアリアなんだな?」

 挑発しても無駄だと解ると、大きく肩で息を吐き、軽く額を押さえたトダシリアは、無表情の双子の弟から視線を外すとドアへと向かった。

「煩い、何度も言わせるな。オレはアリアが欲しい」

 この時だけはおどけることもなくそう言い放つと、乱雑にドアを閉めて去っていく。
 消えていった双子の兄、その後ろ姿が見えなくなるとトバエは再び瞳を閉じた。動きたくとも、まだ身体が追いつかないことは十分承知だった、こうして言葉を発する度に身体の内が軋んで痛む。

「忘れるなよ、今の言葉を忘れるなよ」

 そう寝言の様に呟いたトバエは、再び深い眠りに就く。周囲では医者達が不可解だとばかりに、大きく顔を顰めていた。
 愛する妻が寝取られようとしているというのに、この男は何が言いたいのだろうと。

 部屋に戻ると、アリアは起きていた。警戒心丸出しで、部屋の隅で立ち尽くしている。色取り取りのドレスを揃えたが、身に纏っているのはドレスではなく湯上り用のバスローブだ。それでもシルクの上等品ではあるが。
 トダシリアの姿を瞳に入れるや否や縮こまったアリアだが、ぶっきらぼうに投げかけられた言葉に反応する。悠々とソファに深く腰掛けたトダシリアは、機嫌が悪いように思えた。

「トバエが目を醒ました、よかったなアリア」
「……ほ、本当に!? 会わせて、会わせて下さいっ」

 慌てて傍に寄ったアリアは、そっぽを向いているトダシリアの前に立つと深く腰を折る。アリアの顔色がうっすらと桃色に染まっているのを確認したトダシリアは、知らず舌打ちをする。

「まだ本調子ではない、もとより、助ける約束はしたが会わせるとは言っていない。アリア、お前はオレの妻となった。諦めろ」
「助けていただけたことは、感謝致します。ですが私の夫はトバエであって、貴方ではありません。どうか、会わせて下さいっ」
「と、言っても。数日アリアはオレの上で腰を振っていたじゃないか、お前は夫以外の男に馬乗りになるのか?」

 言うなり、アリアの顔が青褪める。口元を押さえて悔しそうに身体を震わす様子に、トダシリアは性的興奮を覚えた。
 喉の奥で笑うと、続ける。

「何なら、トバエの目の前で抱いてみようか? どんな反応をするだろうな、お前もトバエも。トバエは悲しむだろうが、お前は悦んで嬌声を上げそうだが」

 鋭く悲鳴を上げたアリアは、頭を掻き毟りながら再び部屋の隅へと駆けて戻る。しゃがみ込んで、カタカタと歯を鳴らした。その瞳には、罪悪感と羞恥心が浮かび涙が溢れていた。
 今トダシリアが口にしたことは、消せない事実だ。
 夫のトバエに会いたい、だが、どのような顔をして会えば良いのか解らなくなってしまった。
 部屋の隅に居るアリアをつまらなそうに軽く一瞥すると、トダシリアはテーブルに用意されていたマスカットに手を伸ばす。

「……食べないか、美味いぞ」

 ぼそっと呟いたが、アリアは聴こえているのかいないのか、勿論近寄る事はない。艶やかな黄緑色のマスカットは、アリアの髪が陽に当たると似たような色合いになる。宝石の様に瑞々しく光るそのマスカットを、一粒摘み上げてトダシリアは懐かしそうに眺めていた。

「あぁ、これは美味しいな」

 独り言を、呟いていた。その表情が愁いを帯び、何処か哀しそうなことにアリアは気づかない。

 数日が経過した。徐々に心を閉ざし始め口数少なくなったアリアを、不服そうに見つめるトダシリア。どんなに抵抗しようとも、やめてくださいと懇願されようとも勝手気ままに四六時中抱き続けた。  
 再びトバエが目を醒ましたとの知らせを受け、ベッドでいつものように静かに泣いているアリアを残してトダシリアはそちらへ向かった。

「食事を摂ろうとしません、このままでは」
「どいつもこいつも、小意地になりやがって」

 ベッドの上で痩せ衰えているトバエの姿を見て、哀れみすら覚えた。トダシリアは唾を吐くと、こんな状況でも周囲に屈しない孤高の狼に似た瞳のトバエに声をかける。

「お前らしくないな、九死に一生を得たんだろ? オレに復讐する為に、死に物狂いで回復に徹すると思ったのに」
「……オレが生きている限り、アリアはオレの身を案じ、お前に身体を差し出すだろう。オレの命が尽きれば恐らくアリアは自害する」
「なるほど、それが狙いなのか? 恐ろしい男だな、折角助かった命を投げ打って妻を道連れにするつもりか」

 確かに、トバエが死んだとなればアリアも命を絶ちそうだった。今ですら生きていることに疑問を感じているような様子である、アリアの存在理由はトバエであることなどトダシリアにも解っていた。
 目の前には健康の面も考えられた豪華な食事が用意されている、空腹ではあるだろうが、それを堪えて手をつけないトバエの精神は大したものだ。
 間違いなくこのままでは餓死するだろう。「それでは面白くない」舌打ちすると、トダシリアは再び部屋へと戻っていった。

「アリア。トバエが食事を摂らない、普段は何を食べていた?」

 大きな瞳を真っ赤にしていたアリアは号泣していたのだろう、肩を震わせている。しかし、そう問われるなり慌てて涙を拭う。

「わ、私に食事を作らせて下さい! それくらいなら、いいでしょう!?」

 相変わらず、トバエのことになると声に張りが出るアリア。瞳とて光が灯る、普段は暗い闇色を浮かべているのに。
 それが非常に気に入らなかった、だがトバエに絶食させるわけにはいかない。アリアの食事ならば間違いなく、口にするだろうと踏んだトダシリアは人を呼ぶと耳元で囁く。
 数人の女官がやってきて、アリアを風呂に入れた。自分で出来るからと断ったが、仕事だからと無理やり身体を洗われる。そうしないと部屋の外に出してもらえないのだと教えられ、渋々従うしかなかった。誰にでも事情があるものだと、アリアは懸命に耐えた。身体を洗われると、自身の肌に無数の歯型や口付けの痕を見つけて蒼褪めた。固く瞳を閉じ、見ないようにした。
 料理するので窮屈なドレスではなく、普通のワンピースと純白のエプロンに着替えさせてもらったアリアは、小走りに案内された調理場へと向かう。
 肩を竦めながら、トダシリアも後を追った。調理場ではコック達が右往左往している、まさか国王がこのような場所に脚を踏み入れるとは思いも寄らなかった。皆、緊張した面持ちで作業をしているが、覚束無い。
 そんな状況でアリアに与えられたのは調理場の一角だけだが、それで十分だった。広大な調理場に面食らった、食材の豊富さにも溜息を吐いた。だが、自分らしく今まで通りに食材を選ぶ。
 控え目に欲しいものを指差すと、直様それらは用意された。手際良く野菜を切り、慣れない場所ながらも普段の調子を取り戻す。
 国王が奪ってきたという娘を一目見ようと、その場に居る者達は密かにアリアに集中した。美しい髪と、整った顔立ち、つつましくも手馴れた様子で料理する姿に男達は溜息を吐く。成程、確かに人目を惹く美しさだと皆が思った。
 多くの視線を気にせず出来上がったのは、焦がしネギのスープだ。ニンニクと牛乳で作られた栄養あるものである、風邪の時に頻繁に作っていた。これならば、トバエは作ったのが自分であると解ってくれると、想いを籠めて作ったのだった。
 自分で運びたい、というアリアの願いは当然却下される。
 鍋ごと運ばれていくそれを、瞳を伏せて見送ったアリアは促されて部屋へと戻った。手を胸の前で組み、トバエの無事を祈りながら歩く。

「トバエ、アリアからの贈り物だ」

 暖かなスープをコックが丁重に注ぐ、ニンニクの香りが鼻につき、トバエは瞳を開いた。腕を組み壁にもたれているトダシリアと、コックから差し出された一杯のスープが目に入る。

「……アリアのスープか」

 苦笑し「飲まないわけにはいかないな」と進んでトバエは皿を手にした。口に入れると懐かしい味が広がる。アリアの得意料理だ、何で作ってもスープは温かく胸に染み渡り、身体に活力と安堵を与える。
 無言で鍋のスープを全て飲み干したトバエは、微かに口元に笑みを浮かべていた。空になった鍋を見て、呆れたようにトダシリアは肩を竦める。

「絶食するんじゃなかったのか?」
「アリアがオレを想って作ってくれたものだ、食べなければ罪になる」

 トバエがそう言うなり、トダシリアは唾を床に勢い良く吐き捨て険しい顔を浮かべると、足を踏み鳴らしその場を後にした。
 そんな様子を瞳を細めて見送ったトバエは、鼻で笑う。軽く腹を擦った、久方ぶりの食事だったが、それでも胃はすんなりと受け付ける。小さく溜息を吐くと、唇を噛締めた。
 計画通りだった、ここまでは。
 ”トダシリアがアリアに死なれては困る”ならば、必ずこうなるだろうと。そうして、恐らくアリアは食事をこれからも作り続けるだろう。それを食べ続ける事によって、自分の体力回復に繋がっていく。

「アリア……」

 愛する妻の名を切なそうに呟いたトバエは、静かに瞳を閉じて物思いに耽った。

 トバエの予想通り、アリアは毎食分の食事を作り続けた。もともと日課である、苦にならないどころか楽しかった。暇さえあればトダシリアに抱かれていたのだが、食事を作っている間は当然解放されていた。トバエを想って料理できるその時間が何よりの至福で、アリアの心に潤いを与えてくれる。その時だけは、この地獄のような場所で安らげた。

「おい、オレにも飲ませろよ」
「高貴な御方の口に合うとは思えません」

 アリアが料理する時は欠かさずトダシリアも調理場に来ており、その様子を始終眺めている。見られるだけなら気にならなかったので、共に居ても苦ではなかった。
 本日のスープは人参を柔らかく煮込んで裏ごしし、牛乳と混ぜ合わせた甘味のあるスープだ。
 しれっと言ったアリアに、軽く顔を引き攣らせるトダシリアに、周囲は息を飲む。アリアが機嫌を損ねるとこちらに被害が及びそうだと、周囲の者は数歩下がって警戒した。

「オレもお前のスープが好きだったんだよ、いや、オレが最初に美味いって言ったんだ」

 ぼそっと呟いたトダシリアの声など、アリアの耳にも、誰にも届かなかった。
 丁寧に作られたそのスープの鍋が、アリアの手からコックへと手渡される。その際、コックの顔が恐怖に引き攣り、瞳が何かを訴えていることに気がついた。
 気まずそうにアリアが振り返ると、トダシリアが不機嫌そうに足を踏み鳴らしている。トダシリアの暴虐は、アリアとて知っている。スープを飲ませたくなどないのだが、飲ませないと自分だけではなくこの調理場の人々に迷惑がかかるのだと察した。見れば、皆が祈るような目つきでアリアに懇願している。
 どうかスープを飲ませてくれ、と。
 唇を噛むと湧き上がる敗北感を押し殺しつつ、アリアは静かに鍋をテーブルに置き、小さな器にそれを注いだ。歩み寄ると、器を両手でそっとトダシリアに差し出す。

「不味いと思います」
『不味いと思いますっ、お口に合わなかったら、す、すぐに吐き出してくださいっ』

 つっけんどんで、嫌々ながらに差し出してきたアリアを冷めた瞳で見下ろす。と、視線を合わせずに、狼狽しながら器を渡してきたあの”娘”が甦った。

「っ!」

 弾かれたようにトダシリアはアリアの腕を掴むと、器を強引に奪い取りスープを一気に飲み干した。口元から零れて、高級な衣装に垂れたが気にしない。それは甘い人参の滑らかな舌触り、絶妙な塩加減の大変旨いものだった。

「う、美味い……! もっと寄越せ!」

 器から現れたトダシリアの顔が、無邪気に笑っていた。その笑顔にアリアだけでなく周囲も呆気にとられてしまう。
 アリアを押しのけ鍋から急いで器に盛る、自らそんなことをするなど有り得ない事だった。上手く注げず手に、床に零れるが、スープは消えないというのに慌てて飲む。作法も礼儀もなく、ただがむしゃらに豪快に飲む。
 半ば狂ったように「美味い、美味い!」と連呼しながら飲み続ける姿に、アリアは躊躇いがちに近寄ると鍋を覗き込んだ。狼狽し、鍋を奪う。

「トバエの分が無くなってしまいます! そんなに飲まないでくださいっ」
「また作ればいいだろう! オレは飲むぞ」
「え、えぇ!?」

 アリアから鍋を奪い返し、瞳を輝かせる。注ぐのが面倒になったので鍋に口をつけると、直接飲んだ。
 数分と経たずに、当然鍋は空になった。放心状態でそれを見ていたアリアだが、子供の様に口元を汚して無我夢中で飲み干したトダシリアを可愛いと思ってしまった。
 トバエの為に作ったスープである、怒りが込み上げて当然な筈だった。確かに、憎らしかった。だが、偽りないとしか思えない笑顔で美味いと言い、気に入って飲んでくれた姿に心が揺れる。

「アリアは、やはり料理が上手な。……トバエは以前からこれを食べてきたわけか、羨ましいもんだ」

 急にしおらしく、伏し目がちにつぶやいたトダシリアに思わずアリアは声をかける。自分でも驚いていた、だが言わねばと思った。

「あ、あの、また作りますから。トバエの分は飲まないで下さい、美味しいと思ってくれたのなら、作りますから」
「そうか! じゃあ、早速何か作ってくれ。腹が減った」
『じゃあ、早速何か作れよ。オレ、腹が減ってるんだ』

 眩しいくらいの笑顔を向けられたので、一瞬怯むがぎこちなく頷く。しかし、その笑顔を見たと同時に、何かが脳裏を掠める。
 眩暈がして思わずアリアは足元から崩れそうになった、それをトダシリアが支える。

「大丈夫か?」
『大丈夫か? 気をつけろよ、辛い時は言えばいいんだ』
「は、はい。大丈夫です」
『は、はい。ありがとうございます』

 誰かの声が、重なる。
 トダシリアに支えられ、その胸に抱きとめられていたアリアは困惑した。胸の鼓動が速くなった、暖かな体温に身体の力が抜ける。唇を噛締める、瞳をきつく瞑り、掌を堅く握り締める。
 それからというもの、トダシリアの食事もアリアが担当することになった。豪華なものは作れなかった、田舎料理でしかなかったが、トダシリアは文句を言わずに食べている。
 それはまるでトバエの様だった、調理中ずっと傍に居て見つめているトダシリアに戸惑いを感じながらも、不愉快ではなかった。そして、いつも「美味しい」と言いながら食べてくれる姿に、心が動かされている自分に気がついた。しかし否定した、心が動いていることは以前から気付いていたが、押し殺してきた。
 夫のトバエを瀕死の状態に陥れ、罪もない街の人々を無残にも殺害し、自分の身体を奪った悪魔のような男。けれども、時折見せる憂いを帯びた瞳や、無邪気な笑顔、安堵しきった様な微笑に、切なそうに自分の名を呼ぶ姿にアリアは胸が締め付けられる。
 憎むべき相手である、それは十分承知だった。だが、心の片隅で何かが動く音がする。
 そんな自分に嫌気が差した。 
 だから、泣いていた。どうしてよいのか解らなくて、口を閉ざし塞ぎがちになっていた。
 トバエの為に、料理をする。『完食している』と報告を受け、嬉しい半面で。
 トダシリアの笑顔が見たくて料理をしている自分もいることに、気がついていた。
 
 ……自分は、なんて愚かな女なのだろう。

 アリアはそう思いつつも「美味しい」と言ってくれるトダシリアに、癒され始めた。微かに、愛おしいと思い始めていた。嬉しかった、その笑顔を見ていたいと思った。

 キィィ、カトン。


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