乗り気ではないその従兄弟に、不穏な相談を持ちかけた家臣がいた。『今の座を永久のものにしたくはありませんか』そう甘い言葉を囁いた。従兄弟は、直様首を横に振り否定する。この発言で、今まで王位を狙っていたのはこの男ではないのかと、頭の回転が悪いとされている従兄弟とて思った。家臣の瞳には、欲に塗れた光が灯っている。 断れば自分が殺されるかもしれないと痛感したが、賛同せずにこう答えた。彼にしては、上出来の答えだった。
「私は、生きたい。王位には興味が無い、誰が即位しても良い、ただ、生きたい」
欲がない男だ、とその家臣は鼻で笑った。野心を知られてしまったので殺そうと思った、しかしそうはしなかった。他言無用とすれば命だけは助ける、いや、腑抜けには告げ口すら出来ないだろうと見下していた。誰かに今日の事を話すほどの度胸は、持ち合わせていないと。 家臣が暗躍することなど容易に予測がついたが、従兄弟にはそれを暴露する技量などない。家臣の思惑は当たっていた。 それでも臆病者の従兄弟は、計画を知った自分をいつか何者かが殺しに来るのではないかと、心底脅えて毎日を過ごす。
「ねえ、従兄弟君」
ある日、閉じ篭っていた部屋に入ってきたのは双子兄のトダシリアだった。『従兄弟君』と呼んだが、この貧弱な従兄弟はとうに三十を超えている。が、女性関係も上手くいかない、本当に哀れな男だった。 意外な来訪者に、小心者の彼は飛び上がる勢いで驚くと、震えながら一回り以上違う幼い王子に返答する。
「な、なんだいトダシリア王子」 「脅えなくても大丈夫だよ、君は誰にも殺されないから。殺される前に、殺せばいーんだよ。従兄弟君はとっても情けない、男としては致命的なものが欠けているけどさ。誰かに口外したくても出来ない、出来れば殻に閉じこもってそっとしておいて欲しいーって人だけどさ。だからこそ、従兄弟君が王になって欲しかったんだよね。国王の座に耐え切れなくて、直様オレ達が成人したら、王位を返還してくれるからね。だから君は、オレ達が成人する残り数年、王でいなくてはならないんだよ」
流暢に語り出したトダシリアに、従兄弟は唖然と口を開く。一瞬何を言っているのか理解が出来なかった。腰に手をあててて小馬鹿にした様子で語る、目の前のたかが十歳程度の少年だが、妙な威圧感があった。 トダシリアがそっと手を伸ばし、鼻で笑いながら小首を傾げる。
「部屋から出てきなよ、従兄弟君。大丈夫、オレが護ってあげるよ。面白いもの見せてあげるよ」
頷く間もなく強引に引っ張られ、悲鳴を上げながら従兄弟は引き摺られて外に出た。 本日、トバエは庭で剣術の稽古中である。顔を合わせなくないトダシリアは、室内で勤勉に励んでいた筈だった。庭へと向かっているトダシリアと従兄弟の姿を見て、当然城内は騒然となる。何事かと城内の者はニ人の姿を見つけるとその後に続いた。庭に到着する頃には、結構な人数が集まっていた。 丁度庭では休憩の為、剣を下ろしたトバエがメイドに差し出された水を飲もうとしていた時だった。 じっと、グラスを見つめているトバエに、メイドは恐縮する。何か、ゴミでも入っているのだろうか、と。粗相でもしたのか、と。 しかしトダシリアと違い、トバエはそんな些細なことで機嫌を悪くしない。
「飲みなよ、トバエ。毒が入っている、証拠になるよ」
近づいてきたトダシリアが愉快そうにそう告げ、周囲を唖然とさせた瞬間。剣の師匠が直様トバエに近寄り、丁重にグラスを受け取る。半泣きで崩れ落ちたメイドは、上手く言葉が回らず混乱している様子だが、冷静にトバエが声をかけた。
「いや、そなたは何もしていない。毒入りの水を運んだだけだ、知らずに。……その水は、命あるものに危害が加わらないよう、処分を。どの程度のものか解らないから」
狼狽しているメイド達を一瞥するとトバエは髪をかき上げて、含み笑いを漏らしていた兄を見つめる。
「飲みなって、飲めば実証されるからさ、オレが動きやすいんだよね今後」 「お前の踏み台になるわけがないだろう」
憮然とした態度のトバエと、軽く身体を揺らしながら口笛を吹いているトダシリア。ニ人の周囲に緊迫感が漂うが、飄々とした様子のトダシリアは気にも留めない。大きく伸びをし、欠伸をする。しかし、急に瞳の色が変わった。奥底に光る、妖しい色合い。何処を見ているのか解らない視線に、皆が一瞬息を飲む。
「あー、成程。結構雇ったんだねぇ、金の無駄使いだよ。でもさ、そこらにいるゴロツキじゃあさ、役に立たないよねぇ。……まず、そこに1人!」
言うが早いか、右手を振り下ろすとそのまま横に薙ぎ払う。ゴォ、と盛大な音と共に出現した火炎に周囲は盛大な悲鳴を上げた。腰を抜かして地面に倒れこむものが殆んどだ。人の頭程度の大きさだったが、庭の樹に凄まじい速さで向かう。樹に燃え移るよりも先に、蛙の潰れたような悲鳴が聴こえた。火炎は何者かに命中したようだ。 樹から樹へと燃えながら移る人影に、唖然としていた兵達もようやく動き出した。
「し、侵入者だー! 消火活動もよーうい!」
だが、冷静にトバエが指先を樹へと向ける。口元で何か小さく呟けばそこから、氷の粒子が流れ出て燃えている木々の消火を始めていた。 再び唖然と、皆はニ人の王子を見つめる。 火を操る上の王子トダシリアと、水を操る下の王子トバエ。 ニ人が何かしらの魔力を秘めている”らしい”、という噂は耳にしたことがあったのだが、皆は今日初めて目にしたのだ。驚きを隠せない、震え上がるしかなかった。
「……逃げたようですな」
その場で唯一人だけ、動じず双子を見つめていたのは剣の師匠だ。彼だけは、ニ人の秘めた魔力を知っていた。
「嫌だなぁ、ノアール。”逃げた”は間違いだよ、逃がしてあげたのっ。追い詰めなきゃさ、首謀者のトコ、行かないよね」
瞳を輝かせて、新しい玩具を買い与えられた子供の様にその場で飛び跳ねるトダシリア。唇を舌で嘗めると、獲物を見定め狩る獅子のごとく瞳を大きく見開いた。幼い身体だが、魔力を完全に放出させたその王子を、まるで悪魔の様に周囲は見つめる。
「じゃ、どこぞの阿呆を懲らしめてきまーす!」
ノアールに嬉しそうに振り返るとそう叫んだ、笑顔だけならば子供だが瞳に宿っている光は尋常ではない。恐れ戦き全身から嫌な汗を吹き出すほどに、冷酷で残忍な光を浮かべた瞳だった。とても子供の瞳ではない。 無邪気に走り出したトダシリアを、溜息一つ零してトバエが追う。
「お気をつけなさい、トバエ王子」
ノアールのかけた声に、ゆっくりとトバエは振り返ると微笑する。とても十そこらの少年とは思えない、艶めいた笑みだった。それこそ、年頃の娘を一気に魅了してしまうような。
「……大丈夫だ、騒がせてすまないな」 双子は庭から逃亡した火達磨の男を追う。トバエは徒歩で慌てることなく進んだ、どのみちトダシリアが追い詰めているだろうから、首謀者が逃げることはないと踏んでいる為だ。ただ、早く自分が到着しないと惨劇が繰り広げられるだろうから、と普段よりも大股で歩く。 雇われた者は頭の回転が悪かったのだろう、庭からそのまま街へと逃亡しておけば良いものを、城の周囲からご丁寧に秘密の裏口を使って城内に再度侵入してしまったようだ。途中で身体の火を消したのだろう、水が汲んであった瓶が幾つも倒れていたので、誰でも行き先は把握出来た。 あまりのお粗末さにトバエは頭痛がした、まともな人材はいなかったのだろうか、と。仮にも王子の暗殺を頼むのだ、腕の確かな暗殺者にして欲しかった。そんな間抜けな相手に命を狙われたのかと思うと、妙に腹立たしい。もっとも、その相手はトダシリアの操った火炎を見て、通常の思考回路ではなくなったのかもしれないが。 歩き慣れた城内を進んで行くと、一室が騒がしい。城が軋むほどに盛大に暴れている様で、追い詰めるという問題ではなかった。 トバエがその問題の部屋に到着した時には、すでに終わっていた。
「遅いよ、トバエ。敵は壊滅状態ぃ、王子トダシリア、たった一人で勝利をおさめましたぁぁっ!」
芝居がかった口調で、マントを翻すとトバエに微笑むトダシリア。室内では至る所から呻き声が聴こえてくる、見れば既に事切れている者もいるようだ。
「酷いな」
重々しく溜息を吐き眉を潜めたトバエに、怪訝にトダシリアが唇を尖らせる。
「だってえ、オレ達が殺されかけたんだぜ? これくらい、当然! 天誅!」
室内からは火の手が上がっているのでトバエが消火にあたる、戸棚やら本棚やら絵画やらが床に散乱し、それらの下敷きになっている者もいた。
「殺したら白状させられないだろ」 「そんな必要ない、白状も何も決定してるんだからさ」
足元に転がっていた男を蹴り上げれば、床に更に赤い染みが広がる。腹部を刺されているのだ、無論刺したのはトダシリアである。
「名も無い家臣さん。……誰に喧嘩売ってんのさ、先に死んだ二人で懲りなかったわけ?」
腹部を踏みつけ傷口を広げるように身体を動かすと絶叫が響き渡る、思わずトバエは顔を背ける。 唾を吐き捨て、気分爽快とばかりに大きく伸びをするとトダシリアはその部屋を後にした。すでに悪者退治は飽きたようだ。 やって来た警備隊にトバエが指示を与える、息のある者の手当てだ。 この部屋でトダシリアは魔力を放出した後に、剣で刺して遊んでいたのだろう。皆の傷を見れば憶測だが、確信に近いものが得られた。 名も無き家臣は、辛うじて一命は取り留めたものの、恐怖のあまり口が聞けなくなっていた。視覚も閉ざしてしまったらしく、その後牢に入れられたのだが発狂して喚くだけだった。「悪魔、悪魔がぁぁぁ! に、人間じゃないいいいいぃ!」 そんな叫び声を皆は気味悪がり、城内地下の牢屋から遠くの囚人の離島へと連れて行かれた。その後、彼がどうなったか知る由もない。
その日を境に城内は混乱に陥った、まさか王子達にそのような力があったとは。目の当たりにして、恐ろしさを痛感した。これまで以上に恐怖心を持ち、緊張した面持ちで接する皆にトダシリアは鼻で笑うと、侮蔑の瞳を投げかける。 けれども、面白かった。手を振り上げると悲鳴を上げる皆だ、自分が絶対の存在であることを示してくれる。 普通に扱ってくれるのは、剣の師匠のノアールだけだった。 しかし、双子の王子は器量がとても良かった。特に年頃の娘は、平凡な男よりも危険な香りのする男に惹かれ易い。美しくも凶悪で絶大な双子の王子は、街の娘らから黄色い声援を貰っていた。 実際、あの事件以後に城内へやって来た娘らは、王子に心酔している。よかれと思い、トダシリアは身分問わず自分の好みの娘がいれば寝所へと招き入れた。 一夜限りだが、気に入れば宝石を与えた。 刺客であったらいけない、女はどこに武器を潜めているかわからないと周囲が注意しても、トダシリアは鼻で笑うのみだ。自分の魔力に絶対の自信があった。殺されるわけがないと、高を括っていた。実際刺客の娘も数人紛れていたようだが、無残にも全裸で街の外に捨てられる破目になる。無論、死体となって。 トダシリア王子を殺せる者など、いなかった。 反してトバエは物静かだった、かえってそれが不気味だと噂する者もいたがそれでもトダシリアよりは皆安心出来た。黄色い声を上げる娘に対しても軽く視線を送る程度だ、それが逆に熱を上げる羽目になったが。 好奇心旺盛で行動的な兄のトダシリアと、沈着冷静で慎重な弟のトバエ。火と水の如く、性格すら反しているこの双子王子。 それでも対であるからこそ、全ての均衡が保たれている気がしていた。
が、それが今日破られた。 トバエは、王位を永久に放棄し旅立つ。一人きりで旅立つ予定だったのだが、乳母が供を買って出た。乳母といっても、最早五十近い。足手纏いとしか思えない供にトダシリアは爆笑したが、トバエは喜んで乳母の手を取った。流石に一人きりでの旅は不安だったのだろう、そしてこのような状況下でも自分についていく、と言ってくれた彼女に感動したのだろう。 そしてその夫も無論、申し出た。年老いたニ人を連れて出て行く弟にトダシリアは至福の笑みを浮かべている。厄介者の死に底無いが二人も消えるのだ、トダシリアにとっては良い誤算だった。 ここへきて、トバエのほうが人間らしい一面を見せた。体力的にもきついだろうに、自分を慕って申し出てくれたその勇気に瞳を潤ませた。これが人の繋がり、暖かさだ。これがあるからこそ、人は生きていける。 トダシリアには、それがまだ解らなかった。 本来ならばノアールもトバエに付き添う予定だったのだが、城内の者に懇願されて止む無く諦めた。トダシリアに意見できる者は、トバエ以外にノアールしかいなかったのだ。 トダシリア一人が蔓延る城内に、皆が脅えていた。
「トバエ王子、どうかお元気で」 「色々と有難うノアール、本当ならばもっと剣を習いたかった」 「いえ、王子の腕前ならばもう己を超えております」
トバエもノアールに信頼を置いていたので、本音は寂しかったのだろう。微かに瞳を伏せたが、ノアールの立場を誰よりもトバエは理解していた。トダシリアの今後の横暴を止められる人物は残しておかねばならない、王位は放棄したが、国の安否は願って当然だ。出来た王子である。 馬三頭に、簡易な旅立ちの品々、それに僅かな金。一国の王子にしては不釣合いな装備品でトバエは、生まれ育った故郷を後にした。 行き先は決めていない、何処か遠くの質素でも良いので何も考えずに生きられる村に住みたかった。乳母の故郷があるらしい場所へ向かうことになり、南へ南へと進む。
ついにトバエの姿が見えなくなった。 今まで城内の者が誰一人として見たことのないような笑顔を浮かべて、爽やかに大笑いしているトダシリア。発狂しているのではないか、という程の大声だった。
「さぁトバエ、お前の行く末には何が見える? 今までの様に食事も出てこないぞ、木の根を齧って生きるのだぞ? 金とてなくなるだろう、そうしたらお前はどうするんだ? 物乞いでもするのか? 辛くなったら帰って来いよ、オレはいつでも待っているよ。……散々愚弄してから、追い出して国中に伝令してやろう! ”何人たりともこの男と口をきくべからず、反した者は即死刑”となっ! はは、さぁ、どうするんだぁ、トバエぇっ!」
天にも届きそうなトダシリアの笑い声は、本当に悪魔の呪いの声のようだった。暗雲立ち込めた空に、皆が身体を震わせた。
「オレは国王だ! 地位も名声も名誉も女も金も全て思いのまま! ははっ、不幸のどん底に堕ちるが良い! ざまあみろ、トバエ!」
首から下がっていた宝石をじゃらじゃらと鳴らしながら、高価な果物を齧り、弟を罵る。異常な興奮状態になっていた。 けれども、この時トダシリアは知らなかった。国王であろうとなかろうと、誰でも幸せになれる権利があるということを。贅沢の限りを尽くしても、それが幸福ではないことを。 皮肉にも追い出した弟にそれを思い知らされることになろうとは、予想だにしていなかった。 トダシリアは、権力への欲望が異常なまでに強かった。欲しくて欲しくて仕方がなかった、それさえあれば下々の者を意のままに操ることが出来る、と。
「そうしたら、お前はもう何処にも行かないだろ? オレが一番なら、オレのもとに来る筈だろ?」
弟が居なくなり、皆が自分に媚を売る中でトダシリアはマスカットを一粒ずつ齧りながら、そう呟いた。 キィィ、カトン。
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