時の魔王の恋人は、魔族との混血のエルフの姫君。そこに勇者が加わり、絆は強固なものとなる。 予言家の末裔であるアイセルは、本日の出会いを運命の破片だと間違いなく思っていた。予言通りに事は運ばれるだろう、近い将来、絶大な権力を持つ魔界の女王が立つ筈だった。平和を願い、全ての種族を幸福の楽園へ導く女神の様な。 そういう予言の筈だ。
「マビル、勇者」 「は?」
帰宅後、アイセルは懸命に絵を描いてマビルに渡した。 紙を覗き込んだマビルは、即座に吹き出してから爆笑する。お世辞でも上手いとは言えない絵が、そこにはあった。
「これ、なに? イキモノなの? 未知の生物なの? っていうか曲線だよね」 「……ぅぐ」
腹を抱えて爆笑しているマビルに、アイセルは歯軋りする。だが、笑い声を聞きながら紙を見つめれば、確かに未確認生物だ。いや、マビルの言った通り生物というよりも線の集合体だった。 先程アサギに見せてもらった写真の勇者達を、思い起こして描いてみたのだが、致命的なほどアイセルは絵心がなかった。 笑いすぎで涙を流しているマビルの腕を無理やり掴むと、額同士を乱暴に合わせる。力一杯合わせられた為、ゴツン、と鈍い音がした。当然痛みが走った為に、マビルは牙をむく。
「痛いっ」 「煩い、大人しくしろ」
アイセルが瞳を閉じる、マビルは唇を尖らせながらも仕方なく瞳を閉じた。額から流れ込む様に、マビルの脳裏に一つの映像が浮かび上がる。
「……視えるか、マビル」 「うん、視える」
神経を額に集中させる、昼間にアサギが見せてくれた写真の記憶を、額を通してアイセルはマビルに見せていた。魔力というものは無きに等しいアイセルだが、幸いマビルが膨大な力を所持している。アイセルがしていることといえば、記憶を呼び起こしているだけだ。覗き込んでいるのは、マビルのほうである。
「勇者は大勢いるらしい、そんな予言だったか? あ、中央がアサギ様な」 「……解ってる、少し黙って」
言われなくても、見れば解る。容姿格好が、マビルに確かに似ていたからだ。桃色のドレスを着ていた、知らず唇を噛締める。
……成程、裕福な暮らしをしてるんじゃんm。
勿論その衣装が劇で使用したものだということなど、マビルは知る由もない。
「貧相な鎧を着ているのが惑星ネロの勇者ミノル、アサギ様の隣の少女が惑星ネロの勇者ユキ、身長が高いのが惑星チュザーレの勇者ダイキ、一番低いのが惑星ハンニバルの勇者ケンイチ、そして端っこにいるのがアサギ様と同じ惑星クレオの勇者トモハル」
興味ない、とばかりに不意にマビルはアイセルから離れた。一応最後まで説明を聴いてくれたので、アイセルは苦笑いしつつもそれ以上無理強いはしない。 マビルは離れてソファに転がると、うつ伏せになり瞳を閉じる。全く興味が湧かなかった、アサギ以外の勇者など、どうでも良い。アサギだけ、知らせてくれればよかった。 しかし、何故か最後の一人が気になった。薄い茶色の髪とあの笑みに、鼓動が何故か速まった。大した美形ではない、ひ弱そうなそこらに湧いて出る男だ。しかし、垂れ目気味のあの瞳が妙に苛立つ。 が、何故映像を見ただけの相手がここまで気になるのだろう。そんな自分自身にも苛立つ。 自分が抱いた言葉に出来ない感情を悟られまいと、マビルは手を伸ばす。近くのテーブルに用意してあったワインをグラスに注ぎ、一気に飲み干した。
「憶えたか?」 「……多分ね。あたし、お利口さんだもーん」
正直、アサギとその”茶色の髪の男”以外憶えていなかったが軽く返答しておく。
「本日、アレク様の妃になられるロシファ様が宣言された。今後全ての種族は共存を計るだろう、その先頭に立つのがアレク様にロシファ様、そしてアサギ様だ」
震える胸を押さえつつ、ある意味歴史的瞬間に立ち会った気がするアイセルは口を開く。ワインを呑み続けているマビルは、恍惚とした笑みを浮かべている兄に目もくれない。
「その感動を口にしたくとも、上手くできないが。神々しいばかりの三人だった、瞳を閉じるだけで映像が焼きついて離れない。こう……心が洗われるような」
心酔しているアイセルを放置し、マビルは鼻で笑うと宝石箱からお気に入りのピアスを取り出して眺め始める。兄の絵空ごとになど、付き合っていられない。 止められないアイセルは、一層自分の世界へ引き篭もる。
「恐らくアレク様とロシファ様が婚姻なさり、魔王の座を辞退。その後継者としてアサギ様が選ばれると思われる。……そうなると、マビルの出番だ」 「はてしなーい。ってか、平和な世に、あたしの存在価値なんてあるのかしら?」
眉を顰めて、舌打ちするとピアスを投げ捨てる。 平穏の世に影武者など必要なのだろうか、寧ろその世界を”創る為に”影武者が必要なのではないか。 となると、マビルの役目などただの一つ。
『アサギという名の次期魔界の女王を守護して、身代わりに命を落とす』
そうとしか思えない。ギリリ、と唇を噛んだ。なんと馬鹿らしい予言だろう。その為だけに自分は産まれたのだろうか。脚をばたつかせて真面目に話を聞く気のないマビルに、深くアイセルは溜息を吐く。 まさか、マビルがそんなことを考えているなどとは思っていなかった。
「とにかく、憶えておけよ?」 「はいはい、でも、全員あたし好みじゃないんだもん。特に、あのなんか中途半端に優しくてウザくて女にめろめろそうな茶色の髪の男とか、ホント最悪」 「……はぃ?」
マビルは、眠りについた。 寝息が直様聞こえ始めたので、狸寝入りかとも思ったが本当に寝ているようだ。近寄ってみれば、気持ち良さそうにしている。抱き起こし、ベッドに運ぶと寝かせてシーツをかけてやる。肩を竦めて額に軽く口付けた。 妹の寝息を聴きながら湯を沸かし、珈琲を淹れてアイセルは両親が残していた預言書を読むことにする。 預言書は、アイセルの自室に隠してあった。万が一にも、他人の手に渡ろう物ならば大問題である。予言家にしか読む事が出来ない暗号文で書かれているのだが、念には念を。アイセルとて、これを解読するのには随分と苦労したものだった。 自室のクローゼットの冬用コートのポケットの中だ。誰もこんな場所に隠してあるとは、思うまい。コンパクトな預言書は、持ち運びしやすいように作られたのだろう。 それを取り出し珈琲を片手にマビルの寝ているベッド付近に、小さなテーブルと椅子を移動させる。 寝静まったマビルの寝顔を見つめる、過酷な運命を課せられている妹は不憫だ。しかし、達成されれば皆が幸せに暮らすことが出来る筈。行く行くはマビルとて、幸福に満ち足りた日々を送れるだろう。今暫くは、辛抱の時だ。 ふと、アイセルは首を傾げた。 何気なく聞いていたがマビルの最後の言葉が、今になって気がかりだ。茶色の髪というと恐らくトモハルの事を指したのだろうが、そんな少年には見えない。 頭を掻きつつ、アイセルは深くは考えなかった。 遠い昔の黒の姫、この日初めて茶色の騎士を見た。夢以外、で。
ロシファと出会った、翌日。アサギは意を決して、ハイに相談事を持ちかけた。
「あの、ハイ様。お願いがあります」 「何でも言うと良い、そなたの望みは全て叶えよう」
美少女の言う事を素直に聞き入れる、駄目な大人。 目に入れても痛くない程に可愛がっているハイにとって、アサギの願いを叶えるということは造作もない。だらしなく鼻の下を伸ばし、ハイは真剣な眼差しのアサギに手を伸ばした。ふんぞり返って、自信満々に言葉を待つ。欲しいものなら幾らでも与えるつもりだった。 だが、真面目なアサギは物を欲しがるわけではない。望めば宝石だろうが洋服だろうが用意してもらえるのだが、そんなものは必要なかった。
「魔法と剣を教えてください。みんなと一緒に居た時は、勉強していました」 「成程、熱心なのは良いが危ない事はアサギはしなくてよろしい。アサギはただ、笑っていれば良いのだよ」
ハイの即答に、アサギは呆気にとられる。過保護な駄目大人、万歳だ。この望みを叶える気が全くないようだ、アサギは眉を顰めて唇を尖らせ反論する。 そもそも先程『何でも言うと良い、そなたの望みは全て叶えよう』と言われた。
「私、勇者です。笑っているだけで良い、だなんて。そんなの、おかしいです」 「うーむ。しかし、剣は危ないな。防御と回復の魔法ならば伝授しよう。他ならぬアサギの頼みだ」 「……とりあえず、それでお願いします」
一部納得がいかないが、渋々アサギは了承した。このまま反発しても平行線を辿りそうだったからである。その日から魔王に魔法を教わることになった、勇者アサギ。何も習えないよりは、良いに決まっている。
城内の庭にてホーチミンも立会い、指導が始まった。贅沢この上ない授業だ、魔族の魔法書はアサギがクリストヴァルで授かった物の比ではなかった。 そもそも、教師に魔王がいる時点で豪華というよりも……妙な事だが、吸収出来ればこの上ない力になるだろう。気合を入れてアサギは挑む。 仲間内とはまた違った感覚だ、唇を噛締めて足を肩幅に開き立つ。
「まずは、アサギの属性から調べていこう。誰にでも得手不得手がある」
珍しく真面目な表情のハイに、アサギもやる気が出てきた。甘やかされたらどうしようかと思っていたが、杞憂だったようである。 ホーチミンはサイゴンに用意してもらった純白のテーブルセットに茶菓子と紅茶を用意して、優雅にそれを傍観していた。まずは、ハイが指導するというので今は見ているだけである。ホーチミン自身、ハイの能力など知らないのでまたとない良い機会だった。 噂を聞きつけ、アレクとスリザもやってきた。 魔王が攫ってきた勇者の力量、今はまだ誰もアサギの能力を知らない。バルコニーから、一人リュウも観覧だ、加わる事はなかったが。
「使用可能な魔法、全て解き放ってごらん」 「……解りました!」
勤勉が好きだったアサギにとって、この時間は非常に有意義なものだった。 数日魔法を発動していなかった為微かに不安が過ぎったが、そっと唇を湿らせると両腕を前に突き出す。緊張の為口内も乾いていたが、逸る胸を必死に堪えた。
「いきます!」 「うむ」
ハイが真正面に立つ。神経を右手に集中させながら、アサギはゆっくりと魔法を繰り出す。詠唱は間違えることなく、声がまるで子守唄の様に心地良い。 が、放たれる魔法は本物だった。ハイは自分に向けて放たれる魔法を掻き消すべく、防衛の魔法を身に纏う。 火炎の球が飛んでこれば、両手を突き出してそれを防ぎ掻き消す。巨大な魔法は安易に消去出来ないが、この程度ならばハイには容易い事だった。 一応、魔王である。 現時点でアサギが使用可能な魔法は、全て初歩だが火炎、水氷、真空、電雷、爆発、回復……そして。
「闇に打ち勝つ光よ来たれ、慈愛の光を天より降り注ぎ浄化せよっ」
光の魔法である”邪悪な者”に有効な。 アサギは極度の集中と連続の魔力消耗についていかず、ふらつき始めた足を必死に踏ん張って渾身の魔力をハイに放つ。
「げっ」 「ちょっ」
詠唱が始まった途端、魔族達は慌てふためいた。この魔法、魔族達で使える者は存在しない。存在自体は知っていた、普通は人間の聖職者が扱う魔法である。魔界では誰も使うことが出来なかった。心が邪でなくとも、だ。 光の属性の魔法など、伝わっていないので扱える者がいない。
「ま、待てアサギッ! それはまずっ」
ハイが静止するが時すでに遅し、アサギは魔界の城の庭で魔法を発動する。 カッ! 周囲を眩い膨大な光が覆い尽くす、悲鳴というよりも絶叫が響き渡った。
「あ、あれ?」
狼狽したアサギが出した、引き攣った声。唱えたのは以前、死犬を消滅させた光の魔法である。大した殺傷効果などないと思っていたのだが。 周囲を見渡せば、皆が顔を押さえて俯いていた。光はアサギに全く無害なものだった、だが魔族達にはそれが激痛を伴う程に眩すぎたのだ。
「あ、あの、ひょっとして使っては駄目でした……か?」 「い、いや、へ、平気、だ」
血相を変えてアサギはハイに駆け寄る、目の焦点が合わないらしく、方向感覚も失ったのかハイは低く呻き、よろめいている。苦し紛れのハイの声には些か震えが混じっていた、額に浮かぶのは冷汗だ。 誰も負傷こそしなかったが、流石に焦った。めくらまし程度の魔法の筈だが勇者が使う光属性の魔法など、流石に食らっては危険すぎる。 一人、平然としていたのはバルコニーに立っていたリュウである。リュウは魔族ではない、悪魔でもない。邪悪な存在ではない。 光もアサギと同じ様に見つめていられた、痛くも痒くもなかった。 右往左往しているその場の二人の魔王を、リュウは一瞥する、その点では確実に二人を凌いでいる。思いもつかなかったが意外な事実が判明した、と微かにリュウは口角を上げていた。
「ご、ごめんなさい!」 「い、いや、私が最初に使える魔法を確認しなかったのがいけなかった。気に病むでないぞ」 「そうだ、ハイの言う通り。アサギが気にする事ではない」
落ち込んで俯いたアサギを、ハイが、アレクが宥めてフォローする。
「……魔王が勇者に手解き、信じられないね」
リュウは、投げやりにそう呟いた。瞳を細め、アサギを見つめる。酷く心痛そうな憂いを帯びたその表情が、歪む。ギリリ、とバルコニーの手すりを力を込めて握る。 来て数日の勇者に、二人の魔王が手懐けられているようにしか見えない。 下では半泣きのアサギが、ようやく落ち着いたところだった。
「さてと……うむ。力量は見させてもらった。やはり荒削りだな、しかし驚いた。多彩だ」 「対極に当たる魔法の習得なんて、出来たのね。初めて見た」
ホーチミンが近寄ってくる、宮廷魔術師であるホーチミンの興味をそそるには十分だった。先程の光で若干目が眩んだが、辛うじて歩けたようだ。
「勇者だからなのかしら?」 「まぁ、そうとしか言い様がないだろう」
アレクが頷いて微笑する、視線を感じ不思議そうにアサギは首を傾げる。
「えっと?」
ホーチミンは、右手を掲げると左手に持っていた長い杖先に力を込める。先端には、翡翠が埋め込まれている。そこにボゥ、と火炎が燈された。
「私は火炎属性が得意よ、相対する水や氷の魔法は使用出来ないの」 「普通、そういうものなのですか……?」 「そうね。少なくとも魔族達の中ではそうよ。人間は知らないけれど」 「……そう、ですか」
アサギは、無気力気味に自身の手を見た。普通に使えたので今まで疑問を抱かなかったが「どうして、でしょうか」不安そうに声を顰める。他の勇者達はどうなのだろうか、誰か反する魔法を習得していた人物はいなかったか。 思い出してみるが、思い出せない。というよりも、確かに習得していなかった。アサギの中で、何かが音を立てる。
「火炎は私は不得手だ、ホーチミンよ、アサギに教えてやってくれないか。私は回復と真空が得意なのでな」 「あら、ハイ様。回復魔法なんて使えたのですね」 「うむ。あとは攻撃補助魔法に暗黒魔法だが」
流石に暗黒魔法をアサギに伝授するのは気が引ける、勇者が扱う波動ではない。苦笑いして、ハイとホーチミンは無言で頷いた。闇の魔法に長けるアサギを、見たくなかった。 実力が大体把握出来たので、早速指導が開始される。
「アサギは見たところ全て平均的、飛びぬけている属性が見当たらない」
アレクがそっと隣のスリザに告げる、が、スリザは魔法関連は全く無知である。片眉を上げて控え目に告げた、自分ではそのアレクの言葉に妥当な返事が出来なかった。
「申し訳ありません、その件に関して私はお役に立てず」 「いや、そなたは剣技をアサギに教えてやってくれ。サイゴンも呼び寄せよう」 「はっ、畏まりました」
それならば期待に応えられる、と微笑したスリザだが。地獄耳のハイは、その会話を聴き終えて目くじら立てて金切り声で叫んでいた。
「アレク! アサギには危ない刃物は持たせない! 持たせるなら可愛らしい杖だ、よって剣など必要ないっ」
一同、沈黙。 アレクは絶句するが、迫力ある形相でハイが睨んでいたので思わず頷いてしまっていた。アサギは落胆気味でハイを見上げる、ほとぼりが冷めたら、剣も誰かに教えてもらおうとアサギは苦笑いするのだった。 このままでは魔法使いに転職する羽目になりそうだ。
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