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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第130回   神不在
 朝が来る。
 アサギは窓から差し込む日光に眉を潜めて、重たい瞼を開いた。見慣れつつある高い天井、隣には寝息を立てているハイ。すっかり二人で眠る事に慣れてしまった。ハイが寝たところで、このキングサイズのベッドはまだ広い。地球の自分のベッドとは大違いである。
 アサギは手早く支度を済ませ、熟睡しているハイを起こした。すでに日課だ。
 朝食を摂り終えると、二人で読書をすることになったのでソファに並んで腰掛けている。数分して不意にノック音が部屋に響いた。   
 怪訝に立ち上がったハイは来訪者を迎え入れる、リュウが再び邪魔に来たのだろうと思ったが、訪れてきたのは意外にも魔王アレクだった。
 無表情でアレクが立っている、アサギも立ち上がると直様ドアに駆け寄った。

「自室から出てくるとは珍しいな、アレク。何か用か?」

 以前のハイも自室に籠もっていたが、自分は棚に上げての発言だ。気にせずアレクは目を落とした、小首傾げているアサギに視線を送る。

「……今日は、何をしている? 時間があれば紹介したい人がいる」

 アサギの保護者はハイだ、行動は全て委ねてある。腕を組みつつ不機嫌そうに立っているハイを見上げたアサギは、返答を待つ。
 二人で楽しく時間を過ごしていたハイにとって、アレクの来訪すら邪魔である。おまけにアサギから目を離さないアレクに、多少の苛立ちを感じつつも渋々返答した。

「誰だ?」
「……私の、恋人だ」
「あぁ……あの。なら良い。アサギ、今日はアレクと共に過ごそうか」

 ロシファならば、ハイとて知っている。興味がなかったので顔はうろ覚えだが、女だったので快く了承した。ホーチミンと共に過ごしているアサギは、肩の力を抜き楽しんでいるようにも思えたので、ハイ的には女なら誰でも良い。

「アレク様の恋人ですか?」
「あぁ、ロシファという。アサギの話をしたら、会いたいと言っていたのだが、良いだろうか」
「はい! 楽しみです」

 魔王の恋人とはどんな人だろうと、アサギは興奮した面持ちで勢い良く返事をした。微かに口元が綻んだアレクは、ハイに手短に詳細を伝える。

「ふむ、午後からか。ならばそれまでは、ゆるりと過ごそう。昨日の買い物で多少身体に軋みが」

 ジジくさい発言のハイだが眉一つ動かさず、アレクは静かに一礼すると立ち去った。
 今日のアサギは萌黄色のワンピースだ、大きなリボンが背中についていて、ふわふわゆれるスカートが森の妖精を連想させる。読書を終えると、ハイと談笑しながら時を待つ。

「どれ、アサギ。水着の用意は出来ているかね?」
「はい、ホーチミン様から呼ばれれば直ぐにでも持っていけるようになっています」
「一着でよかったのか? 種類があったほうが良いだろう。また買いに行こうか」
「ええっと……だ、大丈夫です、とりあえず」
「あの白いのとか」
「え、ええと大丈夫です、水着は一着で十分です」
 
 アレクはロシファを連れ出すために、転移を急ぐ。

「あら、アレク。どうしたの?」

 多忙なアレクは、頻繁にロシファに会いに行くわけではない。今回間もなく会いに来たので、思わずすっとんきょうな声を上げるロシファ。草木染めをしていた最中だった、その布で新しく衣服を作る予定である。ミントを潰していた為、鼻にツンとした香りが入り込む。

「アサギに会わせる、会いたがっていただろう?」
「会いたいけど、もう会えるの? アレク、仕事は?」
「早いほうがいいだろう、ハイには約束を取り付けた、今日の午後から会えるから急ごう」
「……え、え?」

 ロシファの腕を強引に引っ張る、引き摺るようにしてアレクは直様岐路に着いた。豪快な笑い声を出す乳母は、大きく手を振って二人を見送った。途中の染物処理を一人でしなければならないが、乳母は二人の仲に大賛成だ。
 二人で居られる時間を作ることが出来るのならば、協力は惜しまない。

「ま、待って! 正装させてよ、これ、普段着よ!?」

 染物作業は、簡単ではない。汚すまいと、染物専用にしている衣服を毎回着ている。今ロシファが着用しているものは、何の変哲もない麻のワンピースだった。ところどころが、まばらに染まっている。おまけに、髪とて結っていない。とても、人前に出られる容姿ではなかった。

「良いじゃないか、君らしい」
「はぁ!? 私一応エルフの姫君なのに」
「有りの侭の私達を見てもらおう、そのほうが良いと思うんだ」

 無邪気に笑ったアレクに、怒る気を失くしたロシファはそっと溜息を吐く。「そうね」と小さく頷いた。

 魔界イヴァンで。
 魔王と勇者とエルフの姫君が、出会う。有り得ない事だった、普通ならば絶対に。不可能を可能にしたのは、無論異界から来た勇者。
 ロシファを連れて魔界に戻ったアレクは、スリザと万が一に備えてアイセルもサイゴンもホーチミンも護衛についた。アレクが直々に選んだ、精鋭部隊である。
 ロシファの存在は、良くも悪くも魔界に波紋を齎す。魔王アレクの恋人がエルフであることは、大概皆知っていた。あえて、誰も口には出さなかったが。エルフといえども、魔族との混血である。その血ゆえに、アレクを赦す者もいた。
 緊張した面持ちのスリザ達の前に、軽やかに微笑みながらエルフの姫君は姿を現す。質素なサンダルにワンピース、髪とて慌てて結っただけ。とても姫君には思えないロシファに、思わず小声でホーチミンはサイゴンに告げた。

「あの人……綺麗だけど、エルフって身なりを整えないの? アレク様に不釣合いじゃなくて?」
「お前と違って、化粧して見た目を着飾らなくても美しいんだ……ガッ」

 聞き終える前にサイゴンの脚を踏みつけたホーチミン。隣で、静かに睨みを利かせたスリザに肩を竦めた。アイセルは静かに、平伏したままである。
 大広間ではなく、小さな庭を選んだアレク。
 運ばれてきた菓子と茶、小さなテーブル。庭への入口は四箇所、そのドアに各々スリザ達四人を配置する。侵入者を徹底的に拒む。傷つかせたくない人物がここに二人も存在することになるのだから、当然だった。
 やがてハイがアサギを連れて、庭へとやってきた。入ってきたドアは、アイセルが護っていた。
 その時菓子を摘んでいたロシファは、食い入る様にアサギを見つめる。

「すまんな、少し遅れてしまった」

 漆黒の長い髪、全身を覆い隠す異国の衣服の魔王ハイを見てロシファは息を飲む。別人かと思ったのだ。以前紹介された時とは全く空気が違っている、もはや別人でしかない。柔らかな光のベールに包まれている様にしか見えないハイに、思わず手の菓子を滑り落としてしまった。
 あれは、魔王ではない。

「スリザ様、アイセル様、ホーチミン様、サイゴン様、こんにちは!」

 そのハイの影から躍り出たのが、アサギだった。丁寧に四人の魔族に挨拶をし、朗らかに笑う勇者。魔族達も、釣られて笑っている。細身の身体、大きな瞳、愛らしい顔立ち……の、華奢な勇者。
 すらりとした脚でハイの前に躍り出たアサギは、アレクに深く会釈をする。

「アレク様、遅れてしまってごめんなさい」
「いや、構わない。私達も先程来たばかりだ。早速紹介しよう、私の恋人のロシファだよ」

 トン、と背中を押されたロシファは、アサギと視線が交差する。人見知りせず、先程と同じように微笑み駆け寄ってきて手を差し出したアサギに、ぎこちなくロシファも手を差し出した。

「初めまして、アサギです」
「……初めまして、小さな勇者さん。ロシファです」

 思わず、ロシファは喉を鳴らしていた。手から微かに汗が吹き出た、身体が小刻みに震えた。
 
 ……ここは、魔界? この勇者が来ただけで、この皆のいや、空気の変貌振りはなんなの!

 二人の手が、接触した瞬間だった。
 ロシファの身体中に電撃が走った。痛いわけではない、ただ一陣の風が吹きぬけるような、身体中が痺れるような。唇を噛み、全身に立った鳥肌を嫌悪する。

 ……勇者!? これが”勇者”!?

「ロシファ? どうした?」
「え、ううん、なんでもないの……」

 目の前で微笑んでいるアサギを見つめ、アレクの不安そうな声に苦笑して返答した。
 勇者など、初めて見たが。……勇者なのか? と疑念を抱いた。
 確かに異質だ”人間ではない”気がした。訊きたい事は多々あったが、上手く言葉が出てこない。想像していた容姿とは違う、存在感すら想定外だった。

「勇者というよりも」

 小さく、零す。ただ、その先が出てこない。
 立食で皆で菓子を食べ、他愛のない話をする。その間も、胸の内で何かが信号を発していた。

「どうだい、ロシファ」
「どうって、言われても」

 ハイとホーチミンと話しているアサギを、ちらり、と見つめる。出された茶は先日ロシファがアレクに渡した、ハーブティだ。一口含んで、唇を湿らす。

「……ある意味、凄い光景よねこれ。魔界の中心部で魔王二人に勇者一人、エルフの姫が一人……」

 小さな魔界の一角の庭。上空を仰げば陽が差し込んでいる、結界がなければ上から誰でも侵入可能な場所だ。

「勇者の神器さえ、ここにあれば奇跡が起こるのに」
「奇跡? 奇跡はもう、起こっているよ」

 瞳を細めて穏やかに笑うアレクに、隣でロシファも微かに頷くと微笑んだ。
 遠目で見ていたスリザは弾かれたように身体を硬直したが、情けなく俯いて笑う。「あんな表情を魔界でアレク様がするなんて……」複雑な心境で肩を竦める。魔王アレクは、魔界イヴァンにおいて常に気を許すことはない。寡黙で無表情の、高貴な魔王である。今見せたあの飾らない素直な感情は、有り得ない事だった。
 今までならば。
 長年仕えているスリザだが、幼少の頃二度ほど見ただけだ。アレクは幼い頃から、自分の立場を理解していた。
 それが、勇者が来た途端に覆された。

「勇者の神器」

 突如声を張り上げたロシファに、その場に居た全員が驚いて一斉に注目する。

「セントラヴァーズとセントガーディアン。太古の昔、神と魔族とエルフが創り上げ、人間の手に預けた代物」
「え、そうなんですか!?」

 駆け寄ってきたのはアサギだ、気にならないわけがない、本来ならば今頃自身の脚で取りに向かっている筈なのだから。

「貴女が所持するべき武器は、どちらなのかしら? 勇者アサギ」

 微かにアレクは眉を顰めた、勇者も魔王も関係なく語りたくこの場を設けたが、失敗だったようだ。ロシファは鋭い眼差しで、アサギを見つめる。
 何かを見極めるように。

「セントガーディアンは、私の友達のトモハルが持っています。だから、私はセントラヴァーズの所持者なのだと思ってました」
「トモハル?」
「あ、はい。私と一緒にこっちに来た友達で、みんな勇者です」
「みんな?」

 首をかしげて、じっとりとアレクを見るロシファ。アサギの説明は受けたが”みんな”は知らない。軽く咳をすると、アレクは視線を逸らした。
 せっかくなので、とアサギはそっとワンピースからあるものを取り出す。

「私の友達の話、してなかったですよね。話してもいいですか?」

 写真を取り出した。写真など無論、ハイ達は知らない。鮮明な絵画にしか思えなかったが、興味本位で皆写真を覗きこむ。
 それは、アサギが始終持ち歩いている写真だ。一昨年のクラスの劇の最後に撮ったものである、ミノルが密かに所持している写真と全く同じものだ。
 現勇者全員が同じクラスだった、一昨年。アサギが中央で、ユキにミノル、ダイキにケンイチ、トモハルが囲んでいる。実は目を凝らさないと解らないが、小さく幼馴染のリョウも端に写っている。

 キィィィ、カトン……。

 何か、音がした。聞き覚えのある音に反射的にサイゴンは剣を引き抜き、構える。動揺したスリザやアイセルに苦笑すると、それでも剣を構えたままのサイゴンは数分してようやく構えを解く。

「……失礼致しました、何か妙な音が聞こえたので」
「大丈夫だ、案ずるなサイゴン」

 訝しげに注意深く辺りを見回しているサイゴンに、アレクは微笑む。だが確かに、皆音を聞いた気がした。何かが、軋んで廻るような音が。
 気を取り直し、皆で再び写真を覗き込む。

「一緒に来た、勇者です」
「あぁ、そういえば、そうだったな」

 アサギを攫った時に確かに見た覚えがあったので、ハイは軽く頷いた。他の勇者など、正直どうでも良くなっていたのだ。

「綺麗な服ね、アサギちゃんはお姫様だったの?」

 最も興味を示したのはホーチミンである、すっかり打ち解けているのでアサギに寄り添い身を乗り出す。

「あ、これは劇をした後なのでドレスを着ているのです。お姫様じゃないですよ」

 ロミオとジュリエットの劇でジュリエット役だったアサギは、当然ドレスを着ている。普段からこんな格好しているわけではない、誤解されては困るので丁寧に説明した。

「それで、ええと、この人がセントガーディアンを持っているトモハルです」
「勇者の片割れ」

 ロシファが目を細めて食い入るように見つめたが、幼すぎて良く解らない。

「あら、大人になったらイイ男になりそうじゃない」

 と、ホーチミン。苦笑いするサイゴンはさておき、アサギは一人一人紹介していった。

「ダイキがチュザーレの勇者、ケンイチがハンニバルの勇者です」
「ふむ、こやつが……。とすると、私はこの勇者と対峙する筈だったのか。今となってはもう、どうでもいいが」

 ケンイチを見たハイの率直な感想だ、全員言葉に詰まる。
 そんな時、木陰から聞こえてきた物音に一斉に武器を構えた。
 最も速かったのはスリザ、次いでサイゴン。アレクはロシファを庇い、ハイがアサギを庇う。ホーチミンとアイセルはアサギの傍らに立ち、構えた。
 緊迫した空気の中、一際芝居かかった口調でその人物は姿を現した。

「……おぉ、怖い怖い。っていうか、虐めだぐーよ、どうして呼んでくれないぐーか?」

 にょこ、っと草むらから出てきたのはリュウだった。ふらり、と身体をくねらせてゆっくりと皆に歩み寄る。溜息混じりに、各々肩を竦める。
 眉間に皺を寄せて、無愛想な表情のリュウに、慌ててアサギが弁解を始める。

「はう、ごめんなさい、リュウ様」
「ひどいぐー、混ぜて欲しいぐー。楽しそうだぐー」
「あ、はい、どうぞ」

 リュウが拗ねた振りをしているだけだ、と直様解ったハイは無視を決めた。が、アサギは狼狽しつつリュウに近寄ると、腕をとって連れてくる。
 確かにこの場に呼ばれていない時点で、気の毒だとアサギは思った。それをいうなればミラボーもだが。こうして皆で和気藹々と語っているのだ、一人きりにされた時の悲しみや、胸の痛みは誰でも伴う。
 アサギに引き摺られながら、深い溜息を吐くリュウ。武器を仕舞う皆の音を聞きながら、不意に冷えた視線で皆を一瞥した。

「……揃いも揃って慣れ親しんで。容易くこれなら殺せそうだ」

 小言、だった。
 きょとん、と上を向いたアサギに、いつものようににっこりと笑うリュウ。満面の笑みだ、作られた笑みだったが。
 ふと、威圧を感じリュウは視線を探す。思わず、口の端を上げて喉の奥で笑ってしまった。ロシファが、睨みつけている。彼女だけが、構えを解いていなかった。アレクの影で、両足を肩幅に広げて両腕を構えていた。
 口笛を吹いて喉の奥で笑う、不思議そうに見上げているアサギには目もくれず煽るように睨み返した。不敵に微笑んでリュウは鼻で笑うと、獲物を値踏みするようにロシファを見つめる。

「……なんの話をしていたぐーか?」

 視線はそのままに、アサギに問うリュウ。

「えっと、友達の話です」
「友達?」

 我に返ったリュウはロシファから視線を外すと、真下で何やら差し出しているアサギを見下ろす。

「はい、一緒に来た勇者の」

 写真を見せ、微笑むアサギに凍りつくリュウ。目が、軽く見開いた。

「ゆうしゃ? ……アサギ以外にもいるぐーか?」

「はい。ええっと、ここに映っている私の幼馴染の亮以外、皆勇者です。惑星ネロの勇者は、ミノルとユキです。ユキは可愛い女の子なんですよ、私の親友です。ミノルは、ええとー……」

 引き攣った表情のリュウだが、気にせずハイが話に割り込んだ。

「あぁ、そういえば。リュウは過去に勇者に会ったことがあるんだったな? 同じ人物か?」

 数年前に聞いたことがあったので、口にした。他意はなかった。大きくリュウの身体が、不自然に引き攣る。

「あ、そういえば!」

 アサギが思わずリュウにしがみ付く、貴重な情報だ、訊きたい事は山ほどある。
 先代の勇者はどうやって選ばれたのか。……そこだ。

「私達みたいに、召喚されたんですか? リュウ様を倒すためにですか!? アーサーの話では、亡くなったって……」

 勢い良く語り出すアサギに沈黙のリュウは、唇を噛締める。絞り出した声は、若干擦れていた。

「アサギ。私は随分と長生きしているぐーよ、人間達とは時間軸が違うぐ。……大昔の話だぐ。憶えていないぐ」
「戦ったんですか?」

 視線を逸らさずに訊いて来たアサギに、リュウは、口篭った。あまりにも、純粋な瞳で、陰りがなくて。嘘など、通用しないと思った。喉が、鳴る。
 戦ったのだろう、皆、そう思った。そして、リュウが無論勝利したのだろう。勇者は魔王リュウの手によって殺されたと、誰もが思っていた。ハイは知っている、勇者は弱かったとそう聴いていた。
 魔王リュウの目の前の小さな勇者は、他の魔王に護られ魔界に一人きりで佇んでいる。
 けれど。

「……はは、あーっはっはっは!」

 突如高笑いしたリュウは、軽々とアサギを抱き抱えると、首筋に爪を添える。

「な!? リュウ!?」

 驚愕の瞳でリュウを見たハイと、直様構えたアレク一同。しかし想定外の出来事に流石のスリザ他、手練れも隙を見せた。

「アサギ。憶えておくと良い、君は今、魔界の魔王の元にいる。殺されても文句は言えない状況下だ」

 耳元で小声で告げたリュウは、ハイが喚きながら何か呪文を発動しかけていたが気にも留めなかった。
 けれども、アサギは何も動じていない。冷たい爪先が肌に触れていても、怖くなかった。

「はい、知ってます。けど、私は殺されないと思うんです」

 緊迫した空気をアサギも解っている筈だとリュウは思ったが、計算違いだったのだろうか。落胆して唾を吐き捨てた。
 安全な場所で育てられた小鳥は、天敵の猫が忍び寄っても警戒せずに好奇心旺盛で近寄っていく。……なんと哀れな勇者だろう。

「おや? 君は自分の”勇者の立場”を過信しすぎていないかな」
「違います、今この場に、私を殺そうとしている人がいないんです。そう思うんです」
「おやや? 私がこの爪先を一気に押し込めば、アサギのか細いクビなど一撃だよ? 鮮血が溢れ、綺麗だろうね」

 くい、と首元に爪が刺さる。それはアサギとて感じていた。だが、痛くはない。確かに自らが爪に寄りかかれば痛むだろう、だが、この状況では押し当てられているだけだ。

「リュウ様」
「ん?」

 アサギに呼ばれ、皮肉そうに顔を歪めながら見下ろす。吸い込まれるような大きな瞳は、微塵の曇りもない。そんなアサギの瞳に、リュウが映っていた。何故か、半泣きの顔が映っていた。

「リュウ様は、ミノルとユキの前の勇者を殺していないんですよね? どうなったんですか?」

 言われた瞬間、弾かれたようにアサギを突き飛ばしたリュウ。瞬時にハイがアサギを抱き抱え、サイゴンとスリザがリュウを囲む。各々、リュウに向かって切っ先を向ける。

「あ……」

 震える身体を抑えながら、蹲るように片膝ついたリュウ。思わず、胸を掻き毟る。身の毛がよだつ、脳内でざわめく。冷汗が流れ出た、全身が一気にべたつき急激に体温を奪う。

「リュウ! 貴様どういうことだ! アサギに危害を加えるなどとっ」
「待って、待って、ハイ様! リュウ様は別に何も」

 怒涛の勢いで歩み寄るハイを、必死にすがり付いて止めるアサギ。だがハイの怒りなど、アサギによって止められるわけもない。リュウの胸倉を掴むと、鬼のような形相で怒鳴り始めた。
 当然だ、惑星クレオに共に移住し心をほぼ赦していた相手である。ハイにとってアサギがどれだけ大切か、リュウは知っている筈だった。今の行為は、ハイへの裏切り行為と言っても過言ではない。
 ロシファを連れて、アレクも歩み寄る。怒り狂っているハイに、すっと腕を一本差し出す。叩き下ろすように殴りつけたハイだが、アレクは静かにハイを見つめた。
 舌打ちし、ようやくハイが一歩下がるとアサギの首筋に手をあてる。何も怪我などしていないが、治癒の魔法を詠唱し始めた。ホーチミンも傍らに寄り添い、震える身体でアサギを抱き締める。
 魔王だけでなく、魔族からも慕われ、丁重に育てられる人間の勇者。地面に崩れ落ちていたリュウは、そんなアサギを細めた瞳で見つめると、乾いた声で小さく笑った。

「アサギは大事な客人だ、以後、謹んでくれ」

 低く、それでも穏やかな声でリュウに手を伸ばしたアレク。「甘い」とロシファは鋭くリュウを睨む。アレクの発言に反論しようとしたが、魔界における魔王アレクの言葉は絶対だ。
 今の行為が冗談には、ロシファには到底見えなかった。あのまま、アサギを殺してしまいそうだった。だが、しなかったのはアサギの発言に揺さ振られたからだろう。何が、かは解らなかったが明らかにリュウは動揺していた。
 勇者アサギの一言に。
 最も危険視すべき魔王は、リュウだったのでは、と唇を噛締めるロシファ。自分の見立てでは、ハイだったのだが。アサギの危険要因は、直接アレクに繋がる。リュウに対してアサギが全く警戒していない点が、不安だ。
 だが、警戒していないからこそ、無事なのかもしれないとも思う。

「悪かったぐ、冗談だぐ。仲間外れにするから、意地悪したくなったんだぐ」
「やって良いことと、悪いことがあるだろう!?」

 牙をむくハイに、項垂れてリュウはそっぽを向いた。蚊の鳴くような細い声で、謝罪する。

「ごめんだぐ、アサギ」
「いえ、私は大丈夫です」
「……勇者には会ったぐ、でも、戦ってはいないぐ。……弱かったから、私の前に来る前に、他の者に殺されたんだぐ。アサギとは、取り巻く環境が違うのだぐーよ。”彼”には味方など誰一人として、いなかったぐ」
「そう……ですか」

 惑星ネロの前の勇者は、当然死んでいる。その存在は、リュウだけが知っている。
 沈黙が流れた。

「あの。辛いところ申し訳ないのですけど……。えと、前のその勇者も、二人でした?」

 アサギがハイの手から離れて再び近寄ってきた、困惑気味にしゃがみ込んで視線を合わせる。
 不思議な質問に、リュウは力なく首を傾げる。

「ん? 辛くはないぐ」
「いえ、なんだか勇者の話になると、リュウ様酷く痛々しく悲しそうに見えるんです」
「き、気のせいだぐ。っていうか、二人ってなんだぐ?」

 息を飲んだ、見抜かれた。リュウは顔を顰めるが、すぐに作り笑いを浮かべた。皆の視線が痛かった、ごまかしなど効果がないように思えた。

「今の勇者、ミノルとユキで二人なんです」
「いや、勇者は一人だったぐ。強いて言うなら勇者の傍らに妻の姫がいたぐ」
「……前の勇者、結婚していたんですか?」
「そうだぐ、夫婦だったぐ」

 意外なことに、そこでアサギは衝撃を受けていた。誰の目にも解った、目を大きく開いて口を開くが、言葉を飲み込んだからだ。いや、飲み込むというよりも失った、だろう。
 リュウは瞳を細めると、ようやく弱々しい素振りを見せてくれたアサギに冷ややかな視線を投げかける。気丈な勇者の弱点を、見つけた。
 アサギの瞳の奥で、狡猾そうに笑っている自分が見えた。

「ちなみに、気付いたら周辺をうろついていたから、どうやって勇者に選ばれたとかは知らないぐ」

 本来の調子を取り戻したリュウは、ようやく立ち上がると腰に手を置いて語った。形勢逆転出来、髪をかき上げて不敵に笑う。
 もし。ミノルとユキがそういった仲になっていたらどうしようかと、アサギは思わず顔色を変えたのだ。仲間達が離れて旅を始めたことなど知らないアサギは、二人が苦難を乗り越えていることを想像したらば、胸が痛くなった。
 本で読んだ事がある”吊橋効果”というものを思い出した。吊橋の様に危うい場所で男女がいると、緊張感の胸騒ぎを恋と勘違いしてしまう場合がある、と。
 魔王を倒す旅など、吊橋よりも危険極まりない。
 ユキはアサギから見て、非常に可愛らしい美少女だった。それこそ、漫画や小説の中で描かれる姫的な。ミノルがユキに恋を抱いていても不思議はないと、以前から思っていたくらいだ。
 確かにユキはアサギの心情を知っている、だが親友だからと遠慮してミノルを好きなのに言い出せない事になっていたらどうしようかとも、アサギは思っていた。
 ユキにしてみたら、良い迷惑であるがミノルに惚れているアサギには、ミノルが最上にしか見えない。「ミノルは、かっこいい、から」と、情けなく呟いた。

 その頃、ユキは悪寒が走って宿屋で倒れ込んでいた。疲れが出たのだろうと、安静にするように言われて一人ベッドに横になる。「な、なんだろう。凄く不愉快な気分」小学校内は愚か、近隣にまでその美少女ぶりの名を轟かせ、異世界に召喚されても尚、他を魅了するアサギが幾ら好いていようとも。
 人の好みはそれぞれである。
「アサギ?」

 静かになったアサギに、ハイが不安そうに声をかける。はっとして顔を上げると、アサギはぎこちなく笑った。間近で見ていたリュウには、解ってしまった。

 ……あぁなるほど、アサギの弱点はその”惑星ネロの勇者”か。

 威風堂々、魔王にも動じない勇者の弱点がまさか同じ勇者とは。喉の奥で思わず笑う。

「あの、どうして勇者って一つの星で二人も存在するんですか? 惑星ハンニバルと惑星チュザーレは一人なのに。惑星クレオは男女対だからと、聞きましたけど……」

 ミノルと対のユキが、密かに羨ましかった。何か繋がりがあるのかと、思っていた。

「惑星ネロは知らないけれど、ここクレオは同時に二人、というわけでもないの。今回は偶然のはずよ。常に対であるわけではないわ」
「え……?」

 静かに躍り出たのはロシファだ、アサギの頬を撫でる。暖かな手に、思わずアサギも肩の力を抜いていた。

「セントラヴァーズとセントガーディアン、どちらか相応しいほうの武器を手にするの。ただ、各々その力を発揮出切るかは解らないわよ? もう一人の勇者はもう武器を手にしているのよね? でも、恐らく解放されていない筈」
「……そうなんですか」

 わけがわからない。勇者に選ばれたからとはしゃいでいたが、謎は増えるばかりだ。何故、トモハルは直様神官から剣を受け取ることが出来たのだろう。何処で判別されたのだろう。目の前のロシファならば、色々と知り得ていそうだった。納得がいくまで話をしたくなった。

「あの、私はもう戦う必要がないと思っているんですけど、それでも武器は必要なのでしょうか?」

 戸惑いがちにロシファに聞いたアサギだが、即答される。

「必要よ、あなたが真の勇者ならば。……セントラヴァーズを私も観てみたいし、受け取るべきだわ」
「……じゃあ私、ここに居ちゃいけないから、みんなのところへ戻らなきゃ」

 申し訳なさそうにハイを見るアサギに、強張った表情でハイは絶句する。
 沈黙が続く、とんだ顔合わせになってしまった。
 気まずそうにホーチミンはサイゴンに寄り添い、スリザは不安そうにアレクを見つめる。勇者が帰りたい、と言い出すことなど時間の問題だと皆心では解っていた。だが、各々アサギを返したくない事情がある。
 そんな中で優しく頬を撫でながら、あやすように語るのはロシファだ。

「急がなくてもいいと思うの、もし、本当に貴女が勇者ならば、セントラヴァーズから貴女の元へやってくる筈」
「そうなんですか? みんなが取りに行っているから、それでかな……。ここまで、運んでくれるのかな……」
「人間界の何処かにあるのよね?」
「あ、はい、ピ」

 地名を言いかけたアサギの口を、ロシファが即座に塞ぐ。怒った様な口調でアサギを制し、ゆっくりと手を離した。

「魔界で、言わないで。誰が聞いているとも限らない。人間達しか知り得ない事実なのよ」
「ご、ごめんなさい」

 慌てて自分の口を塞いで半泣きで謝罪するアサギを、ロシファは射抜くような視線で見つめる。

「ところで……貴女の使命は何かしら? 魔王を倒すことかしら?」
「違います! 最近思うんですけど、私がここに来た理由って、人間と魔族の戦いを止める為なのかなって。どちらも、勘違いしてると思うから……」

 それしかないと、アサギは判断した。そして、決断したのだ。アサギは、戸惑いがちにアレクを見上げた、ハイを見上げた、リュウを見上げた。
 満足そうにロシファは微笑むと、そっと髪を撫でる。

「……ならば、その為に武器が必要ね。魔界の先導者、人間の要の勇者、エルフの長の姫、三者が揃っても他に圧力をかけておかないといけないものね。アサギ、貴女に致命的にかけているものは名声。今の貴女を勇者と崇める人間など、いないでしょう? ただの可愛らしいお嬢さんだもの。だから、その為に武器が必要なのよ。圧倒的に存在感を放つことが出来るものね、勇者を誇示しなければ。
 改めて初めまして、勇者アサギ。私の名はロシファ=リサ。現エルフの長を勤めております」

 地面に両手をつけたロシファは、軽く微笑む。
 ズア……! 風が、突如吹き荒れた。
 小さな悲鳴を上げたホーチミン、突如として足元で花が咲いたからだ。木に花が咲き乱れ、草木が一斉に伸びる。

「わぁ!」

 感嘆の声を漏らしたアサギに、ハイも唖然と成り行きを見守る。

「ロシファ、不用意に力を使うな!」
「あらアレク、いいじゃない細かいこと言わなくても」

 焦燥感に駆られて止めに入ったアレクに飄々とロシファは返事をする、破壊とは正反対の力をエルフは持っている。いくら魔族との混血だとしても、それは紛れもなくエルフの血族の為せる業だ。
 くすくすと無邪気に笑うロシファは、軽やかにその場で踊り出す。
 生命の源を増幅させられるからこそ、体内に湧き出るモノを摂取すれば、その者は力を増幅させられるのだろう。故に、エルフは貪欲な魔力を得たい者達に執拗に狙われてきた。
 美しき庭に、色取り取りの華が咲き乱れる。
 興奮する一同の中で、一人アイセルがそっと写真を眺めていた。目に焼き付けていたのだ、マビルに教える為に。貴重な勇者の情報である、本当ならばこの写真を持ち帰りたいくらいだった。一人一人に視線を移すが、不意に、トモハルが気になり食い入る様に見つめた。何故かは解らず、アイセルは首を傾げる。目が逸らせない、胸の奥で何かが音を鳴らす。
 アサギの対の勇者だから、といえばそれまでだが。
 百花繚乱、魔界の箱庭。麗しき三人の魔王に囲まれた、幼き美貌の勇者一人。凛々しいエルフの姫君と、肩を並べて空を仰ぐ。傍らに四人の精鋭魔族をおき、香しい楽園の庭。

「また、会いたいわ。貴女と話がしたいの」
「はい、また遊んでください」

 花弁が、アサギの唇にふわりとついた。微笑んでそれを摘んだロシファは、優しくアサギの頭を撫でる。

「私の理想は貴女と同じよ、皆が安心して暮らせる世界を創りたい。無論アレクも同じ」
「はい」

 力強く頷いたアサギに満足そうに、ロシファも頷く。急に真顔に戻ると、後方に佇んでいたアレクに振り返った。その鋭い瞳は、思わずスリザすら息を飲むほどだ。

「……アレク。エルフの長として一言よいかしら。早急に貴方の従兄弟達に招集をかけなさい、機を逃してはいけないわ」
「そうだね」

 エルフの姫が、ここまで凛々しく気丈だとは誰も思っていなかった。アレクが押さえ込まれている気さえする。皆、唖然とロシファを見つめる。それに気にした素振りも見せず、控えているスリザ達に声をかける。

「私達が掲げる理想は、容易ではないから。貴方達にアレクへの忠誠心があるのならば、彼を……護って」
「心外なお言葉、勿論です」

 スリザがロシファに平伏した、サイゴン達も同じ様に平伏す。次期魔王の后になるであろう、エルフの姫君だ。

「それから……魔王ハイ様、魔王リュウ様。今お聞きになられた通り、惑星クレオは種族共存を計ります、賛同されるのならばともかく、妨害されるのであれば。……即刻、故郷の星へお戻り下さいませ」

 糸が張り詰めたような細くも鋭い声で、ロシファは二人の魔王を軽く睨みつける。

「私は賛同しよう、そして見届けよう。いや、共に参加させてもらえないだろうか」

 凄まじい威厳を発するロシファに、怯みながらも素直にハイは言葉を述べる。危うく彼女の気迫に飲まれそうになっていた、微かに言葉が掠れている。
 満足そうに微笑んだロシファはリュウに視線を移した。そこからすでに、笑みは消えている。

「妨害はしないぐ」

 つまり、賛同はしないということだろうか。ロシファに視線を移さずに、リュウは空を仰いだままそう呟いた。眉を潜め、唇を噛むロシファ。この場だけでも同意するかと思ったが、やはりリュウは食えない相手だと改めて認識する。

「規律を乱すようならば、追放いたします。私の全魔力にかけて」
「望むところだぐ」

 のほほん、と微かに愉快そうに笑いながら呟いたリュウ。些か気に食わない返答にアレクは眉を顰めていたが、ロシファは鼻で笑った。二人の間に火花が散る、相手に不足はないと楽しむように形だけの笑みを浮かべる。

「神がここにいないのが残念ですね、全くいつでも協調性がない事」

 髪をかき上げながらそう呟いたロシファに、アサギが意外そうに声を張り上げる。

「ロシファ様は神様を知っているのですか?」
「文献でね。空のお城に住まっているだけの存在よ、肝心な時にも来ない。いるけれど、空気のような存在。……今この場に来て、一緒に賛同しても良いのにね。そうしたら何かが確実に変わるのに」

 悪態つくロシファの額を、アレクが小突く。神の代理として、勇者が導かれ来ているのではないか、ともアレクは思慮したが口にはしなかった。
 暫しの会話後、アレクと共にロシファは帰宅する。帰宅前にロシファはリュウを軽く睨んだが、当の本人は気にも留めない。
 その後、残った皆で夕食を摂った後、各々部屋へと戻る。

 思いの外疲労したリュウは、一直線に自室へと戻っていた。ドアを開くとベッドに倒れこむ。

「リュウ様。危険な目に自ら曝さずとも」

 室内で、慌てふためいたリュウ七人衆に取り囲まれる。皆、口々に語り出すのでリュウは苦笑いだ。昼間外で待機していた七人衆である、何度不穏な空気に飛び出そうと思ったことか。
 鮮明に声を拾うことは出来なかったが、ハイの罵声に近い怒鳴り声が聴こえれば、リュウの安否を案じるしかなかった。

「勇者は、危険に御座います!」
「……良いのだ、気にするな」

 不安そうにリュウを見つめる七人に、情けなく、静かに笑う。

「迷惑かけて、ごめん」

 静かに寝息を立て始めたリュウを、沈黙の中、七人は困惑気味に見ていた。 


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