暗黒の中に、微かに浮かび上がる建物。昨夜より降り続いた雨によって発生した霧が、不気味にその建物……城を包み込んでいる。 その城の中心、厳重に魔族達に警護された一室から、妙に高いトーンの声が漏れていた。けれども警護している者達は顔色一つ変えずに、その内容を聞き取るわけでもなく、ただ周囲に神経を張り巡らせていた。 今、各惑星の魔王達がこの一室に集結しているのである。 部屋の外で武装し、張り詰めた空気に包まれている魔族達とは裏腹に、中で若干愉快そうに熱弁しているのは魔王ハイだった。艶やかな長い黒髪を揺らめかせつつ、数日前まで淀んでいた瞳に小さな光を甦らせて、ハイは口元に笑みを浮かべている。 勇者アサギに、魅入った男。 他の魔王達と連絡がつき、召集出来たのは数日後だった。
「というわけだ、私はどうしてもあの娘が欲しい」
他の魔王達にアサギの事を話していた、一気に語った為軽く呼吸が荒い。
「ふーん」
流れる髪を鬱陶しそうにかき上げながら、もう1人の黒髪の男が気だるそうに返事をした。頭部から突き出た二本の角が印象的だ、この男が惑星ネロの魔王リュウ。 聞いていたのかいないのか、リュウは手元に持っている皿から、何かを摘んで口元に運んだ。軽く瞳を閉じて味わってから、嬉しそうに微笑むと再度摘んで口に運ぶ。 中身は苺である、リュウは苺が大好物だった。 全く話に乗る気のない魔王達に微かな苛立ちを感じながら、それでもハイは再び熱弁を振るった。 惑星ハンニバルの魔王、ハイ・ラゥ・シュリップは何処をどう見ても、何の変哲も無い人間である。リュウの様に頭部に角もなければ、耳とて普通に人間の形である、当たり前だハイは人間なのだから。 その人間であるはずのハイが、何故魔王と呼ばれ人間達を恐怖に貶めているのか。 ハイは、惑星ハンニバルのとある高位な神官の家系に産まれた、だが、産まれながらにしてその身体に宿っていた魔力は闇の属性が強かった。けれども、誰もそんなことに気がつかなかった、由緒ある神官の子供なのだから、考えもしなかったのだろう。 賢かったハイは、自分が神官の子供であると悟っていたし、その闇の力を表に出そうともせず、周囲の期待通り勤勉に励んだ。 もしかしたら、ハイには魔王になる道と、最高位の神官の座を手に入れる道が用意されていたのかもしれない。 今となっては悔やんでも仕方が無いのだが”あの出来事”さえなければ、ハイは魔王ではなく、聖王になっていた。 彼は、優し過ぎた。彼は、許せなかった。彼は、人間が嫌いになった。 十四歳の時だった、子供から大人への儀式を惑星ハンニバルではその歳で執り行う。成人の儀を家庭で祝うのが一般的である。 しかしその時、既にハイは邪の道に堕ちていた。 ハイ程名の知れ渡っている者ならば、その儀式は盛大なものだった。 由緒ある神官の自慢の一人息子を見る為に、各大陸から大勢の人々が続々と訪れた。ハイは手を煩わせることなく、有数の神官や聖職者達を一箇所に集めることが出来たのである。こんな機会は滅多にない、一網打尽にする絶好の状況である。 気に食わない人間を効率よく惨殺するために、待ち焦がれた日である。晴れ晴れしい記念日になりそうだった。 神官である両親も勿論の事、周りの聖職者達も穢れて、堕落し、偽善者である様子が、ハイには解ってしまったのだ。 そもそも、自分とて父親の息子ではない。母の浮気相手であった別の神官が、ハイの本当の父親だった。ハイと一回りほど違う、端正な顔立ちをした神官が、自分の父親だと知ってしまった。自分と同じ年頃の時、母親に誘惑されたのか自ら願ったのかは定かではないが、身体を重ねて出来た子がハイである。 父親は、そんな妻の不貞は知らないので、ハイを本当の子供の様に育ててくれた。だが、父親とて貧しい人々から金を徴収し、若い巫女らに夜な夜な淫らな行為をしている。
……だから私が闇の属性なのだ、不埒な母が犯した罪の結果がこの私なのだから。
育ての父とて、愚行に溺れている始末。そんな中で子が成長する筈がない。表面は取り繕っても、子供は鋭いものである。 ハイの中に眠っていた闇の力が、快楽や怠惰、憎悪、偽善という周囲の人間達が持つ罪によって、眠りから覚めていく。 両親はハイを可愛がりながらも、その愛情は如何に将来、自分達の名を轟かせるかという名誉と地位の為だけに注がれた。 祝いの席の真っ只中、冷めた瞳で醜態を傍観しているハイ。
「せいぜい束の間のこの時間を、楽しむが良い」
皮肉めいて、微かに笑う。「立派になったわねぇ」と話しかけてきた神官の女、清楚に振舞っているが彼女は夜な夜な若い男を寝所に連れ込んでいる。 あの司祭は相当なサディストで、いたいけな巫女を甚振っていた。向こうの姉妹の巫女は同性愛者、祭壇の下で秘め事を。純粋そうなあの巫女とて、処女ではない。 胸の中で嘲笑する、唾を吐き捨てる、罵声を浴びさせる。 ハイは一人一人をゴミでも見るように、ゆっくりと見下した。 無機質に流れいく時間を、ハイは退屈そうにそれでも相槌をしつつ、会話に適当に混ざりながら過ごす。 やがて会場の流れが変わった、奈落の底へ落ちた神官達は、ハイの許婚にと娘達を露骨なほど売り込んできた。 容姿端麗で、有能な神官・ハイ。 娘達とて乗り気だった、自ら色気を出し、稀に清純に振る舞い、ハイに群がる。 酒に溺れ、その場は無防備な聖職者達で溢れている。ハイはいい加減嫌気が差し、一人輪を離れて、遠くへ歩いた。縋りつくように娘達が、ハイの後を追った。 非常に、面倒だ。 舌打ちするとハイは足を止め、小さく詠唱を始める。
「……闇より来たれ、我の守護者」
気分が高揚しており、ハイの僅かな魔力の高まりに気がつかない聖職者達。必死に自ら溢れ出る魔力を最大限押し殺しながら、詠唱を完成させる。
「……我に応えよ、その力を示せ、存分に喰らい尽くせ」
詠唱が完成に近づき、ようやくほんの一握りの聖職者がそれに気がついた。ハイの魔力の異常な高まりに気がついた、暗雲が立ち込めた空、生ぬるい空気、寄って来たカラスの群れ。 その中央に佇む純白の衣装を風にはためかせているハイは、ゆっくりと微笑んだ。その笑顔が、あまりにも無邪気で、しかし瞳に光を宿すことなくハイは振り向く。 それは、余りにも美しい光景だった。けれども、背後には漆黒の闇。囚われたら出てこられない、地獄の穴への入り口である。 どこかで叫び声が上がった、呆然とハイを見つめ続ける聖職者達。「彼を、止めるんだ!」誰かが叫んだ、が、酒に酔った者達は正確に歩くことも、まして詠唱に入ることも出来ない。
「我の名において許す! 来たれ死霊、叫び狂え恐怖の風を巻き起こせ。混沌と絶望の場をここにっ」
引き攣った人々の顔を見つめ、ハイは満足そうに爆笑しながら呪文を完成させた。 死霊召喚。 魂を喰らう奈落の底の住人達をこの世に召喚する、暗黒魔法である。 術者のレベルによって、当然召喚できる死霊の数が変化する、ハイは自身の全魔力を駆使して多大な来訪者を招き寄せた。 闇から姿を現し、手当たり次第喰らい尽くす死霊に、その場はハイの望んだとおり混沌の場と化した。
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