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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第128回   消去された、手紙
 大騒ぎする二人に取り残されたような三人は、不思議そうに顔を見合わせて首を傾げた。

「見た? アイセル」
「見た! 見てしまった……」

 声を押し殺し潜めきあう二人は、身体が震えている。

「ちょ、案外ハイ様手が早いのね。っていうかー、きゃー、ちょっと、やだ、どーしようっ」
「ムッツリなんだな……あんな幼い子に」

 アイセルは言いかけて、首を傾げて真顔に戻った。妹マビルもアサギと似たような容姿だが、すでに何人もの男と交わっていたことを思い出したのだ。むしろ、百戦錬磨である気もする。マビルは確かに魔族なのでアサギよりも年齢は上なので、比較しても仕方がない気がするが。

 ……見た目では判断できないか、いや、マビルと違ってアサギ様は清純かつ潔癖な雰囲気に思えるケド。

 複雑な表情で低く唸るアイセルと、妄想が暴走し始めたホーチミン。

「でも、素敵よね……。魔王と勇者、青年男性と、幼い美少女。ああぁん、どこでどうしてどうなって、あぁなったのかしら!? ハイ様のお部屋!? アサギちゃんのお部屋!? いやーんもう、ミン羨ましくて震えちゃうっ。おっと涎が」

 興奮したホーチミンは本気でアイセルの背中を叩き始める、叩くというより殴るに近い。筋肉質のアイセルだが、女に見えても実際男の殴打に流石に顔を顰めた。
 痛い。

「と、とりあえず秘密にしとこうな、ホーチミン」
「そうね、秘密よね……。あぁんもう、想像したら眠れないっ」

 何を想像したのか気になるが、ホーチミンはうっとりと頬を紅く染めてサイゴンを見つめ始める。

「まずいな、ホーチミンに火がついた。……頑張れよ、サイゴン?」

 悪寒が走り、身震いして肩を擦るサイゴンの後方、情熱の炎を燃やして熱い視線を送っているホーチミン。げんなりとアイセルは深い溜息を吐いた、こうなると明日も暴走しそうだと安易に想像出来る。歯止めの為に同行したいが、自分は相手がいないから一緒に行ってはいけないらしい。「こっそり尾行して様子でも見ようかな」と陶酔モードのホーチミンの手を引いて、前を歩いている三人に追いついた。
 前を歩くサイゴンは首を縮めて、振り返らないように俯き加減で歩いていた。とばっちりも良いとこである、気の毒だ。哀れみの視線を送る。ホーチミンから、明らかな欲望のオーラが燃え上がっている事くらいアイセルとて判断できた、サイゴンは直にそれを喰らっているのだから、当然か。
 朝食もこの五人で食べないか、とハイに持ちかけられ、断る理由も無論無いが、万が一用事があったとしても断る度胸を持ち合わせていない魔族三人は、大きく頷く。

「ふむ、では明日な。本日は有難う皆」
「おやすみなさい、サイゴン様、アイセル様、ホーチミン様」

 軽やかに手を振るハイと、丁寧に深々とお辞儀をするアサギに釣られて三人も
更に深くお辞儀する。小声でホーチミンは隣のアイセルに呟いた、鼻息荒く。

「つ、続きするのかしら!?」
「さ、さぁ……」
「あ、明日増えてるかな、濃くなってるかな!? あぁん!」
「……俺は明日行けないから、適当にホーチミン頑張れよ」
「そういえばそうだったわね、アイセルにも相手がいたら来てもいいけど?」

 顔を上げた二人の視線の先、偶然にも見知った人物が立っていた。大袈裟に嫌そうな悲鳴を上げたのは取り巻きの少女達である、スリザ達がそこに居た。
 ハイの存在に多少遠慮しつつも、スリザの取り巻き達は汚らしいものでも見るかのようにアイセルに侮蔑の視線を送っている。
 気まずそうに顔を逸したのは、スリザだった。まさかアイセルに遭遇するとは思わなかったので、唇を軽く噛み締めると然りげ無く少女達の背に隠れる。と言っても、身長が高いスリザなので当然隠れることなど出来ない。
 それは分かっていたが、藁にもすがる思いだった。
 食後の語らいに来ただけで、夕食ではなかったスリザ。取り巻き達に誘われて断れずについてきたが、心底後悔した。昼間のアイセルを思い出し、頬を紅潮させてしまう。

「まっ! 最悪なのですわ〜、寄らないでくださいましっ」

 喚きたてる取り巻き少女達に苦笑いするサイゴンとアイセルと、異様な雰囲気にアサギはハイの服の袖を軽く掴んだ。
 気にせずに前に進み出たのは、ホーチミンだ。

「あ、スリザ。いいトコに。明日暇かしら? 逢瀬でもしない?」
「は?」

 すっとんきょうな声を上げたスリザ、何故ホーチミンに誘われたのか理解出来なかった。対象がサイゴンから自分に移ったのか? と首を傾げる。確かに美女のような容姿のホーチミンと、男装の麗人の自分となら釣り合いは取れる、と想像してみた。

「ハイ様とアサギちゃん。私とサイゴン。で、今アイセルが一人ぼっちなの、アイセルの相手に抜擢してあげる」

 にっこりと微笑んだホーチミンは、軽くアイセルが後方で舌打ちしたことを知らない。意外な言葉に青褪めて身体を大きく震わせたスリザだが、自分で言葉を発する前に取り巻き少女達が反論していた。

「私達の高貴なスリザ様は、汚らわしい男と逢瀬などしませんわっ! 気安く声をかけないでくださいます?」
「高貴って……こっちには魔王のハイ様もいらっしゃるのにぃ? 失礼よ」
「アイセルという見境ない変態欲望煩悩塗れ男の近くに寄ったら、身ごもってしまいますわっ」

 酷い言われようである、流石にホーチミンも眉を顰めて仁王立ちすると取り巻き少女を睨みつけた。身内で侮辱する分にはともかく、他人に言われると腹が立つものだ。
 だが、気にする素振りも無くアイセルは一歩進み出た。思わず身体を硬直させるスリザ。

「ひっどいなぁー? で。スリザちゃんはどう? 俺といちゃこらする?」
「す、するかっ、馬鹿者っ。死んでしまえっ」

 緊張し声が裏返った、朝の出来事を思い出し上手くアイセルの顔が見られない。
 ホーチミンがそのスリザの異変に気付き、後方のアイセルを盗み見るがアイセルは平素と同じ様にエヘラ、と笑っている。しかし、スリザの態度が平素と違う、明らかにアイセルを意識していることなどホーチミンにとっては一目両全だ。腕を組み、無表情でスリザを鋭く睨むように見つめる、女ではないが女の恋愛の勘が人一倍優れているホーチミンである。「これは、問い詰める必要がありそうね?」小声で呟くとアイセルを盗み見た。

「俺、相手いないから明日諦める」
「あら、そぉ? 可哀想なアイセル。……スリザも、いい加減そんな心が汚い女の子達に取り巻かれてないで男と交わったら?」
「なっ!?」
「干からびちゃうわよ?」

 しれっと、と言い放ち、艶やかに微笑しホーチミンは踵を返した。颯爽と歩き出したアイセルを追いかける。

「あ、あの」
「ごめんなさいね、アサギちゃん。聴き難い会話だったよね? さ、明日に備えて寝ましょうか」
「あ、はい、あぅ」

 後方で喚きたてている少女達に軽くアサギは会釈すると、慌ててハイに連れられて立ち去った。
 取り残された少女とスリザは、騒々しくテーブルを陣取り砂糖菓子を頬張り始める。

「うっざ! 何よ男の癖にホーチミンの奴っ」
「ちょっと綺麗だからって! スタイルも良いからって!」

 本人がいないので、少女達は悪態づいた。流石に周囲の男達もドン引きする騒ましさと、醜い言葉使いだ。この場にホーチミンがいようものならば、それこそ滑稽なものでも見るかのように少女達を侮蔑するだろう。 

 アサギと離れたホーチミンは、サイゴンの腕に抱きつきながら、憂鬱そうに眉を顰めていた。普段異性と会話するのは一応上司のスリザくらいだ、強がっていても、先程のように嫌悪感丸出しで会話されては多少気落ちする。
 幼い頃から懐いていたサイゴンの姉のマドリードは、亡くなった。彼女を姉の様に慕っていた、ホーチミンが男でも変わらず女として接してくれたのだ。一人で衣服を買いに行けば、女同士ワイワイ買い物しているグループを見つめ知らず溜息を吐く。気の会う異性の友人が、ホーチミンとて欲しかった。
 だが、自分が”美人”過ぎる為か女たちは歩み寄ってくれない、壁を隔てられている。ようやく出来そうなアサギという友達は、人間の勇者だ。それは別に構わないが、問題はアサギは自分をまだ女だと思い込んでいるであろうということだ。男だと知られたら嫌悪されるだろうか、言うタイミングを逃したかもしれないと後悔する。
 先程まで楽しかったのだが、急に冷めて現実に戻ったホーチミンは落胆した。
 
 ……女だったら、よかったのに。

 何度も言い聞かせた、自分は男だと言い聞かせた。身体は男だ、水浴びして自分の身体を目に映せば、性器は男のものだった。性別など関係ないと、何度も言い聞かせた、だが周囲は解ってはくれない。たまたま、好きになった相手が同性だっただけだ、恋には違いないと何度も言い聞かせた。

「ミン? どうした?」
「……なんでもない」

 不気味な程静かなホーチミンに、歩きながら問うサイゴン。思わずその腕を掴んで、上を向いて自嘲気味に笑う。
 
「複雑だな、ドコもかしこも」

 二人から数歩離れた場所を歩くアイセルは、苦笑いするしかなかった。

「じゃ、おやすみお二人さん」
「あぁ、おやすみアイセル」
「おやすみー、またね」

 部屋に戻ってきたアサギとハイ、室内は当然真っ暗だった。ハイは灯りを燈そうと小さく火の魔法を詠唱する、しかし。

「きゃっ」
「ぬぉっ」

 アサギの小さな悲鳴、続いてハイの悲鳴。暗闇の中に突如浮かび上がった光は淡く。揺らめきながら、部屋の中心で光は蠢いていた。

「おーかーえーりーぐー」

 くぐもった声は無論、リュウだ。蝋燭の火に照らされて、ゆっくりと近寄ってくる姿が恐怖。ある意味陰湿な魔王らしいといえば魔王らしい。

「な、なんなんだお前はっ」

 怒り気味でつかつかと進み、リュウに叱咤するハイ。ここは、ハイの部屋である。他人の室内に不法侵入したうえに、嫌がらせだ。平常心を保つ事など出来るわけがない。
 憤慨しているハイの傍らをするり、と擦り抜けてリュウは愉快そうに笑う。

「あははー、私を置いて食事に行った罰なのだぐ。じゃあね、アサギ。おやすみだぐーよ!」

 おやすみなさい、と手を振り返したアサギだがハイは油断ならぬ、と瞳を光らせてリュウを睨みつけており挨拶など返さなかった。
 バタン、とドアが閉まる音、遠ざかる足音にハイはようやく警戒を解く。

「……やれやれ、全く魔王の威厳も欠片もないな。さぁアサギ、入浴してもう休もうか」

 ハイも五十歩百歩だが、自分のことは完璧に棚に上げている。

「あ、そうですね! おやすみなさいハイ様」

 無論、入浴は一緒にするわけではない。
 アサギの部屋にバスタブが設置されている、すでに入浴の準備は整っていた。ホーチミンおススメの石鹸も用意されている、何から何まで至れり尽くせりだ。
 ハイはハイで自室のバスタブに浸かる、ほっと一息大きく伸びをして瞳を閉じる。入浴が終われば本日もアサギの部屋に侵入……否、訪れて共に眠る予定だ。

「今日は……色々あったな。しかし、なんとまぁ充実した生活か」

 満足そうに満面の笑みを浮かべる、全てが至福の一時に思えた。

「アサギ……とても良い子だ。私は今、猛烈に満ち足りている。未だかつてこのような幸福感を味わったことがあっただろうか、いや、ない。あるわけがない」

 そこへ、ノックする音が聴こえる。アサギを思い描いていたハイにとって、それは邪魔以外の何者でもなく、微かに眉を潜めた。
 入室を促せば、来訪者は惑星ハンニバルから連れてきた、信頼している部下のテンザだった。悪魔であるテンザは、金髪の髪に冷淡な瞳、常に漆黒の長い衣服を身に纏っており、背には蝙蝠に似た羽が生えている。
 暗黒神官へと堕ちたハイに心酔し、付き従っていた。

「どうした?」
「いえ……何かご用命はありませんかと」
「うむ、結構だ。休むが良い。そなたは律儀だな」
「……承知いたしました」

 消えていくテンザを見送り、ハイは穏やかに笑うと再び瞳を閉じた。部下も優秀だ、アサギを見つけてから何もかも全てが楽しくて明るくて、喜びを感じてしまう。

「ふふふ……これが、恋。……か。薔薇色の生活だな、ふふふ」

 しみじみと呟く二十六歳の魔王は、多少気味が悪い。
 浮かれていたハイは、気付く事ができなかった。テンザの様子が、態度が平素と若干違っていたことに。忠実な部下は、悪魔である。神と両極の悪魔である、神を妬み、愛を愚弄する悪魔である。
 ハイは、気付いていなかった、いや、忘れていた。テンザが、自分に心酔し忠実でいてくれた”悪魔”だということを。
 暗黒神官から、元の”神官”へと戻りつつあるハイに、”悪魔”は果たしてついてくるだろうか。
 テンザは、人間を滅した”暗黒神官ハイ”に、心酔していた。人間を愛し始め他人と関わり始めた”神官ハイ”に、心酔したままでいられるだろうか。

 翌朝。
 早起きしたアサギはハイの腕から抜け出ると何かを徐に探し始める、室内を右往左往する。ハイは例の如くぐっすりと寝込んでいた、無論、夜更けというか夜明けまでアサギの寝顔を見つめていて睡眠不足だからである。
 ハイを起こさないように用意されていた机の引き出しを開いていけば、目的のものを見つける。筆記用具を見つけた、無論ボールペンも鉛筆も無いので、つけペンだ。慣れないが必死でアサギは文字を書いた、つけペンなど扱った事がない。
 ハイが起床する頃、書き終えたアサギは丁重にそれを封筒に仕舞いこむ。

「おはようございます、ハイ様」
「おぉ、早いなアサギ。おはよう。何をしていたのかね?」

 寝ぼけな眼で起きてきたハイに駆け寄って、そっとアサギは用意した封筒を差し出した。

「お願い事があるのです」
「ん?」

 それを見てハイは首を傾げる。

「これを……私の仲間に届けてくださいませんか? 急に私居なくなったじゃないですか、みんな心配しているし探してくれているだろうし、何よりハイ様を、魔王の皆さんを誤解していると思うのです」
「む」

 アサギは別に浮かれていたわけでも、忘れていたわけでもない。今、こうしている間にも皆がどうなっているのか知りたいし、出来ることならば戻りたい。
 アサギは魔界で何不自由なく生活を始めているが、他の勇者たちは死に物狂いで皆何かと戦い、旅を続けている筈だ。それくらい、アサギにとて安易に想像ができた。
 まさかその先々で運命の歯車が動いているとは思っていなかったが、思うわけがなかった。

「せめて、手紙で現状さえ伝えたいのです」

 無用な争いは避けたい、誰だって望むことは同じだろう。
 しかし、考え出すと疑問が浮かんできて仕方が無い。”何故、勇者として召喚されたのか”だ。
 魔王は誰しも争いを望んでいないようだ。勇者一人、この地で生活しているアサギがその証拠になるだろう。
 アサギには勇者として召喚された、その意味が全く理解出来なかった。

「なんとかなりませんか?」
「ううむ、なんとかするしかないだろう。アサギの頼みを断れると思うか? 何より、私もそうするべきだと思う。無用な争い事は避けねば……本来、発端は私だからな」
「ありがとうございます!」
「しかし……その……奴らの現在地が」

 ハイは、当初サマルトとムーンの二人を追っていた。そして地球に行き着きアサギを見つけて、一目惚れをした。それ以後は、アサギ一人を追っていた。追っていたから、位置を把握し迎えに行き、攫って来る事が出来た。
 だから、攫った時点で他の勇者の事など眼中になく、無論現時点で仲間達が散ったこと等知る由もない。
 他の勇者達など追ってはいなかった、現状把握が困難な状態だ。何時までもあのアサギを攫った場所に居るとは思えない、いるわけがない。
 暫しの沈黙の後、ハイは弾かれたように声を荒げる。

「テンザ! テンザは何処にいる!?」
「は、こちらに」

 室内に影が入り込んだと思えば、テンザが跪いていた。
 初めて見る顔だと思い、アサギはお辞儀をする。鋭く冷たい印象が、狡猾なキツネのようだ。

「アサギに紹介はまだだったな? 私が最も信頼している部下のテンザだ」
「初めまして、テンザ様。アサギといいます」

 ハイに紹介され、俯いていたテンザは歯軋りした。明るい声が上から降ってきた、酷く屈辱感を感じる。発狂したい気持ちを押し殺し、くぐもった声で発する。
 精一杯の、応対だった。

「……お初にお目にかかります」

 ピン、と張りつめた糸のように空気に緊張が走る。
 一瞬小首を傾げたアサギに、眉を顰めながらテンザは唇を噛みしめた。どうしようもなく震える身体を、懸命に耐え忍ぶ。
 勇者が目の前にいる。
 殺したい。胸を傍らの小剣で突き刺したい、業火の呪文で焼き殺したい、呼び寄せた死霊の群れに喰わせてやりたい。まだ幼い少女だ、肉は柔らかろう、旨かろう。神聖な神の遣いの勇者だ、高貴な味がするのだろう。
 死霊達の願ってもない馳走だ。
 全身から汗が吹き出る、歯が鳴るほどもどかしい感情が身体中を駆け巡る。

「テンザよ、用事を頼みたい。他の勇者を見つけ出し、この手紙を届けて貰えないだろうか? 顔は解るだろう?」
「はっ」
「無理難題を押し付けているとは思うが、そなたの腕を見込んでいる。頼まれてくれないか」
「主君のご命令とあらば、如何様にも」
「助かる、有難う」

 アサギから受け取った封筒をテンザに渡したハイは、にこやかに微笑んだ。その様子を見て胸を撫で下ろし、テンザに丁重に腰を折り頭を下げるアサギ。

「お願いします! ありがとうございます、テンザ様」

 そんなアサギには視線を移すことなく、ハイを見上げると平素の調子で淡々と語る。

「では、ハイ様。直ぐにでも旅立ちます。暫し、お時間戴きます」
「おぉ、任せたぞ」

 黒衣を翻し立ち上がったテンザは、俯き加減で表情が見えない。丁重に封筒を懐に仕舞いこむと、一礼しテンザは部屋を出て行く。
 ドアが閉まる音が、妙に響き渡った。

「あやつに任せておけば何も心配はないぞ、アサギ。仕事もそつなく、完璧にこなす」
「ふふ、ハイ様はテンザ様に絶大な信頼をしているのですね」
「あぁ。よし、では朝食に向かおうか」
「名前が似ていますけど、スリザ様とは無関係の方ですよね?」
「スリザ? あぁ、アレクの配下のか、彼女とは全く関係ないぞ」

 二人は何も分かっていなかった、魔王ハイの大きな誤算である。人は、いや、悪魔は変わる。

 城から飛び立った悪魔テンザは、クレオの魔族達の生活を上空から忌々しそうに見つめ、唾を吐き捨てた。
 空気が、全く合わなかった。暢気に魔族が暮らしているこの異世界の魔界には、嫌悪感を覚える。
 ここへ来てからというもの愕然とした、テンザとて魔王アレクの力量は認めているが、流石にこの平穏な有様には反吐が出そうだった。必死に、押し殺してきた。

『魔王アレクは、名ばかりの魔王。我が主君たる暗黒神官ハイ様に飲まれてしまえ』

 ハイならば、アレクからこの世界を奪い混沌の惑星へと変貌させられるだろうと期待していた。それが、生き甲斐だった。想像するだけで、歓喜に打ち震えた。闇に覆われ、人間達の恐怖の断末魔が幾重にも重なり心地よい音楽になるだろうと。
 そうだと信じていた、けれど。
 カラスの様に舞いながら深い森に降り立ったテンザは、ようやくここで咆哮を上げる。
 最大の屈辱だ、先程の自分に嫌悪する。何故、勇者の目の前でひれ伏さねばならなかったのか。

「我は雑用などせぬっ! おのれ、あの小娘っ」

 懐から取り出し、封筒を破り捨てようとしたが震える手を耐え中身を乱暴に引き出す。紙を開くが、字は読めない。
 テンザはそれを掲げると、息を吹きかけた。ゆっくりと、口内から思い切り憎悪の念を込めて禍々しい息を吐き出す。
 チリチリと、口から吐き出された黒に近い火炎が封筒を、そして無論手紙をも静かに燃やしていく。
 手を離せば燃えながら地面に落下する、アサギが懸命に書き綴った手紙。それは数分と経たぬうちに、灰へと化す。そして風に吹かれて跡形もなくなった。
 何も残らない。

「あの、売女が。我のハイ様をっ!」

 心酔していた、高貴な暗黒神官ハイはもう何処にもいない。
 そのようなこと、とうに知り得ていた筈なのに。あのような腑抜けた主君の姿など、吐き気がして見たくは無い。殺意すら覚えていた。
 あの人間の勇者が、魔王を手中にし陥落させたのだ。勇者とは名ばかりの、ただの阿婆擦れが。

「赦さぬ! 骨まで残らず、我の手でっ!」

 怒りを篭めて地面に思い描いたアサギとハイを踏み潰すテンザ、徐々に沈んでいくほどに懇親の力を注ぎ込む。ズブズブと、地面に沈みゆく脚は止まることをしらない。

「暇を貰ったのだ、鬱憤を晴らさねば」

 髪を乱し、狂喜の瞳で高笑いしたテンザは、朦朧とした意識で飛び立った。人間を殺害しまくれば、少しは気分が晴れそうな気がした。

「あぁ、他の勇者を血祭りに上げたら面白そうだ。ただの人間よりも愉快だ、ククク、手紙を届けに行くのだったな。死という贈り物を携えようか」

 喉の奥で、笑う。瞳に光が宿る、この惑星に来てようやく使命を与えられた気がした。
 消去された、手紙。アサギの、手紙。届かない、手紙。
 飛び立ったテンザを地上から見上げていたミラボーの手先であるエーアは、艶めいて愉快そうに微笑むと、報告すべくミラボーの部屋へと戻っていく。

「良い駒を見つけましたわ、役に立っていただこうかしら」

 闇の中、エーアは直様ミラボーにテンザとハイの状況を伝えていた。始終、不気味な笑みを浮かべているミラボーである。

「反乱分子か、ふぇふぇふぇ」
「えぇ。ハイの忠実な部下が、離反する模様に御座います。上手く使えないかと」
「テンザか……思案してみよう。良く知らせてくれたなぁ、エーア。そなたは本当に良く働く」
「私が今ここにいるのも、ミラボー様の御蔭で御座いますもの。当然です」
「ヒャハハハ、そなたはテンザの様に裏切りはしないだろうな?」
「無論で御座います」

 くぐもった下卑た含み笑いで、ミラボーは冗談交じりに呟いた。穏やかに微笑みながら、エーアは頷く。
 エーアが自分を裏切れない事など百も承知だ。万が一、エーアが裏切る可能性があるとすれば、それはミラボーが瀕死に陥り魔力が遮断された場合だけである。それ以外は、有り得ない。拾物の綺麗な人形である、反抗など出来るわけがなかった。
 ミラボー自らが惑星チュザーレにて捕らえ、洗脳した優秀な人間の女である。

「まぁ、テンザが他の勇者を殺してくれれば願ってもない事だが……。上手くロシファ殺しの汚名を着せられないか、そちらを思案してみようか」
「そうですね、ミラボー様の手を煩わせるわけにもいきませんし」

 外は晴天。雲ひとつない、澄み切った空だった。
 けれどもこの日魔界の陽の当たらない場所で、闇は蠢き始めていた。


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