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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第126回   魔族達の各々の事情
 アサギとハイが出掛けていたその頃。
 魔王リュウは水辺でのんびりと休憩中、魔王ミラボーは依然として勇者達の状況把握に下卑た笑いを轟かせていた。
 そしてもう一人、惑星クレオの魔王アレクは腹心のスリザを呼び出し言付けを頼むと、自室の転送陣から消えた。
 現在魔界に魔王アレク、不在。
 別に大した事ではない、時間さえあえばアレクは出掛けて行く。
 スリザが頭を垂れたまま、数分静まり返った室内で一人、スリザは溜息を吐いた。フッ、と消えてしまったアレクの姿を追って、残像を思い浮かべながら唇を噛締める。
 微かに笑みを浮かべていたアレクが瞼に浮かび上がる、それは最愛の恋人に出会えるからだ。行き先は恋人、ロシファの元であることなど周知の事実。
 スリザは数分してようやく顔を上げた、踵を返してアレクの室内を出ると持っている鍵で施錠する。アレク以外に鍵を所有しているのは、スリザたった一人だ、騎士団長が代々預かっている魔王の間の鍵である。紅玉が施された古めかしい光を放つ鍵を、スリザは徐に首から下げる。チェーンがついているので肌身離さず、入浴中も睡眠中も所持している。
 深く一礼すると眉を吊り上げて、大股で歩き出した。女だてらに血族ゆえ、騎士団長を任されているスリザは決して気を抜くことはない。過去にも騎士団長が女だったことが一度あったらしいが、本来は男が担って来た。しかし、男が産まれなかったので長女のスリザがその責務を果たすしかない。
 騎士団長は、魔王と同じく血筋で定められてきた。
 ふと楽しそうな笑い声に、廊下から下を覗き込むと女官と下っ端の騎士が和気藹々と、数人で会話している。頬染めている女官がいた、おそらく誰かに気があるのだろう。
 思わずスリザは、強張った口元を緩めていた。

 ……羨ましい事。

 本音だった。
 アレクが幼い頃から仕えて来た、年上のスリザは、幼いアレクを弟の様に、それでいて敬いながら共に居た。
 美童のアレクは、人形の様に綺麗な主君だった。肌とて髪とて、スリザよりも女らしく感じられた、か弱き魔王。
 だが、時が経つにつれて魔王アレクは男らしさを垣間見せるようになる。憂いを帯びた表情はそのままに、しかし筋肉は目立ちはしないが十分につき、背丈もスリザを超えていた。
 護衛の対象が、羨望の対象へと変わるのに時間がかからなかった。
 スリザが恐れ多くも恋心を抱くことになるのは、必然である。けれどもアレクには恋人が居た、麗しいエルフの姫君だった。
 剣によって出来たマメだらけの無骨な掌とは違い、柔らかな手と身体、流れるような髪の似合いの二人を稀に見た。どう見ても、自分よりもアレクに相応しい女性を見た。

「お傍でこうして成長を見届け、お役に立つだけで幸せなのだ。本来ならばこうして会話すら出来ないだろうに」

 自嘲気味に呟いたスリザは、眉を再び吊り上げると歩き出した、だが。

「何者だ!」

 歩き出したように見せかけ、腰の剣を二刀同時に引き抜くと後方の影を確実に捕らえ、喉元に剣を突きつける。
 喉元と刃の隙間は、ない。僅かな振動、呼吸をすれば皮膚が切れるだろうそんな間隔である。
 スリザは鋭い眼光で睨みつけると、先程から自分を尾行していた相手に声を荒げる。

「何用だ、アイセル。部屋を出た辺りから貴様の気配を感じていたが……アレク様に何か用でも?」

 喉元に剣先を当てられているアイセルは、苦笑いである。唇を動かせば、振動で喉が振るえ確実に、切れる。
 しかしそれが解っていながら、スリザは剣を離す気が全くなかった。先程の自分の小言を聞かれていたら困る、という思考回路が働いたのかスリザは睨みをきかせたままだ。
 見つめ合う二人、しかし諦めて折れたアイセルが口を開く。
 皮膚が切れ、微かに血が剣に滲み始めるがアイセルは顔を歪めることなく、真正面からスリザを捕らえる。その流れ出た血液を見ても、冷めた瞳のスリザは剣を変わらず構えたままだった。

「辛いんでしょ、アレク様を見るの」

 しかし、そのアイセルの意外な言葉に思わず張り詰めた糸が緩んでしまう。
 それをアイセルが見逃すわけもなく、己の強固な手甲で剣を両側に弾くとそのままに宙返りし、スリザの背後に下りたアイセルは目の前の首筋に右手を押し付ける。
 形勢逆転だ、スリザは舌打ちし両の肘をアイセル目掛けて素早く叩き出した。
 だが、アイセルの左腕でがっしりとスリザの身体は腕ごと抱き締められた、途中で身動きが出来なくなる。再度舌打ちする、まさかこのような失態をする羽目になるとは。
 見知った男だからと、若干油断したと自身を責める。

「俺、スリザちゃんを傷つけるつもりはないから。ただ、聞いて欲しい」
「この羽交い絞め行為が、既に私の精神を傷つけているんだが」

 怒りに震えているスリザの声に、アイセルは苦笑いするが離さない。

「ごめん、でも、たまには誰かに頼りなよ。こうして誰かに支えられなよ。スリザちゃんは一人で気を張るほど、強くないよ。頼ってもたれかかる相手を作りなよ……出来れば今みたく、俺であって欲しいんだけど」
「私は私だ。大体偉そうに、先程から何を上司に説教たれているのだ?」
「……辛そうなスリザちゃんを、見ていたくないんだ。アレク様のことで、悩む姿を見ていたくないんだ」

 アイセルの声は、切なく、悲痛。表情とて真剣そのものだが、生憎スリザはどういう心痛な表情でアイセルが語っているかなど知らない。

「喧しい。私がいつ、どこでアレク様の事で悩んだと? 勝手なことを言わせておけば」

 鼻で笑い、スリザは渾身の一撃でアイセルを腕を振り払おうとした。先程から背後に感じるアイセルの体温が非常にくすぐったく感じられて、不愉快だった。耳元で囁かれる様な息も、非常に気に入らなかった。
 しかし、腕に更に力を篭められ身動きできない。
 思わずスリザは小さく呻いた、苦しすぎるほどの抱擁と、耳元にかかる息で背筋が寒くなる。
 もがいた、が、ビクともしないアイセルの抱擁に、その気高いプライドに傷をつけられた。男に羽交い絞めにされるなど、思ってもいなかったことだった。血の気が失せていくのが、自分でも解った。
 おまけに相手は自分の部下だ、見下していた相手なので衝撃が大きい。

「もはや、私の力も限界……そろそろ隊長交代の時期か」
「そんなわけないでしょ、男と女の違い。俺にだってこれくらい出来るよ、惚れた女一人組み敷けない様じゃやってられないからね」

 自嘲気味のスリザに、アイセルが無常な言葉を投げかける。
 女ながら隊長の座に就任してから、長い。が、結婚すらしていないスリザには当然跡継ぎなど存在せず、養子をもらうべきだとも話が浮上していた。しかし、そこまでの高年齢ではなくまだ、十分現役でいられるだろうと思っていたし、意見してきた。
 思わず右脚を動かしアイセルの足を踏み潰そうとしたが、彼の右腕によってスリザの脚は封じ込められる。
 びくともしない、我武者羅に動いてもどうにもならない。
 力任せに行っては駄目だと頭ではわかっているが、焦燥感に駆られてスリザは力任せに身体を動かす。屈辱だった「こんな間抜け面の部下にいいように扱われるなんて」思わず口から言葉が飛び出す。
 悔しさに涙が溢れそうになった、惨めで仕方がない。何度も男を打ち負かしてきた、その度に優越感に浸れた。
 女だから、と言われ続け、その言った相手をあの手この手で叩き潰してこの自尊心を守ってきた。

「しょーがないなぁ、スリザちゃんは本当に強情なんだから……無理だって、言っているのに」

 呆れたような、アイセルの声が耳元で聴こえたかと思えば耳鳴りがする。冷たい背中は、硬くて痛い。
 それが床であると認識できたのは数秒後だった、床に押し倒されてしまったのだ。一気に身体中の血液が逆流する、沸騰する、赤面する。

「本当に、いい加減にしないと殺」

 震える声が途切れた、精一杯の抵抗が掻き消された。
 アイセルの唇が、スリザの言葉を掻き消した。
 大きく瞳を見開く、身体が引き攣り、以後硬直した。悔しさで瞳を閉じたかったが出来なかった、まさかこんな状態で男と口付けする羽目になるとは。
 手馴れているのだろう、スリザの身体が跳ね上がろうとも、アイセルは痛めつけないように最低限の力でスリザを拘束している。
 口付けとて、慣れていると思った。と言っても、スリザは男と口付けを交わしたことなどない。
 自身の取り巻き少女達とは何度か、軽く口付けをしたりもしているのだが。
 唇をこじ開けて入ってきた他人の舌の感覚に、背筋がざわめく。呼吸が出来なくて、顔を歪める。

「スリザちゃん」

 一瞬、アイセルが名を呼んだ。
 その隙に思い切り呼吸をしたが、直ぐに再び塞がれた。呼吸のタイミングがわからず、ただ震える。熱いアイセルの舌が動けば、粘着音が耳に届く。微かに離れた隙に息をすることが、スリザにとって精一杯だった。
 少女達の柔らかい唇とは違う、初めての感触。熱いものが口から入ってきて、下腹部にも達しそうな感覚に陥る。
 数分経過すれば抵抗する力がなくなり、強張っていたスリザの身体がゆっくりと床へと重心を預ける。
 どうしてよいやら解らず、なすがままのスリザからアイセルが離れたのは更に数分後の事だった。スリザの唇から零れる唾液を、そっとアイセルは舌で拭いとる。
 どちらのものなのか、解らない。
 むせ返るスリザを暫くそのままアイセルは見つめていたが、ぎこちなく腕を伸ばすと抱き締めて身体を起こした。

「ごめん。まさか廊下でこんなことする気はなかったんだけど……。でもね、スリザちゃん。スリザちゃんがアレク様を見てきたように、俺もスリザちゃんを見てきたんだよ。愛して、るんだ、スリザのこと、愛しているんだ!」

 耳元でそれだけ叫ぶように告げたアイセルは、そのまま立ち上がると走り出す。一瞬、弾かれたように顔を上げたスリザが見たアイセルは。
 耳を真っ赤にし、泣きそうな迷子の子供のような表情で。
 目を合わせることなく、俊足のアイセルはするり、と廊下から庭へと滑り落ちる様に消えてしまった。

「……何を」

 馬鹿なことを、と呟いたスリザ。
 一人残されたスリザは、気だるく起き上がると自身の唇を押さえる。力任せに唇を擦った、嗚咽した。
 
 ……ケガラワシイ!

 舌の感覚が残っている、吐き出そうと指を口に突っ込んだが、吐けない。惨めな自分に、圧し掛かるプライドの塊。低く、泣き声を噛み殺しながら蹲っている自分の姿を誰にも見られたくない、見られては生きていけない。
 その時だった、アイセルの声が響いたのは。

『スリザちゃんがアレク様を見てきたように、俺もスリザちゃんを見てきたんだよ。愛して、るんだ、スリザのこと、愛しているんだ!』

 スリザは、擦って腫れた唇に恐る恐る再び指をあてた。そっと、瞳を閉じればそこだけ、熱い。摩擦のせいだ、と思った。
 が、鼓動が速くなった、切なくなった。

「……アイセル? 」

 気の迷いだ、年下で格下の男だ。常時おどけてばかりいる、嫌悪感の対象だ。
 自分がアレクを見ていた感情と同じならば、それは崇高の対象である筈である。

「私はアレク様と口付けをしたいなどと、思わないっ!」

 見ているだけで、十分だ。満ち足りた幸福だ。

『でも、それはおそらく恋ではないのですよ』
「っ!?」

 床に転がっている自身の剣を即座に構えた、今の声は誰の声だったか。高い、少女の声だった、聴いた事があるようなないような。「誰かに見られていたのか?」青ざめて慌ててスリザは立ち上がると、気配を探して瞳を走らせる。
 が……周囲には誰もいなかった。遠くで魔族達の声がしているが、近くではない。
 スリザの殺気を感知し数人の衛兵が走ってきたが、他に逃げ去る影などない。

「どうされました、スリザ隊長! 剣を構えるなどと」
「……問題ない、多少違和感を感じ探っていたところだ。持ち場にもどれ」
「はっ!」

 緊張した面持ちで、けれども平常心を忘れずにスリザは颯爽と衛兵に声をかけた。まだ、何故か下腹部がもどかしい。そっと、腹を押さえる。
 再び静まり返った廊下で、スリザは一人軽い溜息を吐く。
 平素と違った雰囲気ではなかったか、緊張し声が震えていなかったか。嫌な汗が突如噴出した、スリザは疲れ切って力なく壁にもたれかかる。震え出した身体を、腕で必死に押さえ込む。
 寒くはない、これは何の感覚か。スリザには解らなかった。

「これから……アイセルとどんな顔をして会えばよいのか」

 顔を覆い隠す、「解らない、恋愛ごとにはめっぽう疎い。そんな感情、不要だ」気にせずに平素の様に振舞えば良いのだが、上手くこなせる自信がない。
 異性に告白された事も初めてだった、そんな日が来ると思ってはいなかった。
 アイセルの視線の先には常に少女がいた気がする、自分ではなくレースの似合う可愛らしい少女たちが。だから何故、自分なのか検討がつかない。それ以前にからかわれたのだろうか、とも思った。
 悔しくてギリリ、と唇を噛締めるが、アイセルのあの表情が。床に押し付けられた際のあの、アイセルが。男らしくて、胸が高鳴った……気がした。熱っぽい腕と身体は、今まで近くにいた女達にはなかったものだ。

「ち、違う! 誰が、誰が!」

 身体を竦めて、膝に顔を埋めたスリザ。胸が早鐘のように、ドクドク脈打つ。

『愛してるよスリザ』

 声が、聴こえた。
 その頃アイセルは、自分の表情を誰にも見られないようにして足早に城内を徘徊していた。普段お茶らけている自分がこんな辛気臭い顔をしていては、誰かに突っ込まれる。
 途中の水鏡を覗こうともしたが、舌打ちしてやめた。今の表情、情けないことこの上ない。
 スリザの姿を見つけて、声をかけようと追っていた。アレクの部屋から出てきたスリザが酷く寂しそうで……儚げで。
 魔王アレクに嫉妬した、あんな表情をさせてしまう事に苛立った。同時にスリザのその色気に欲情し、結果が先程の……あれだ。
 美しい、孤高の女性。身体つきは筋肉質で確かに女性らしくはない、それでも鍛え抜かれた女豹の様にしなやかなで美麗なスリザ。
 アイセルは先程アサギと出合った庭の噴水に頭を突っ込む、瞳を何度か瞬きした。ひんやりした水温が、アイセルの紅潮した頬を冷やす。
 思い出すのは甘い、スリザの唇。

「っ! 何やってんだ、俺っ」

 波の立つ水面に映った自分の顔は、何時もと変わりはない……筈だ。
 両手で頬を力任せに叩く、いつもの自分に戻る為に。喉もとの切れた傷口に水をあてた、ヒリヒリと染み渡る痛みに顔を大袈裟に歪める。

「いってー……」

 思わず、大声を発したアイセル。

 ……よし、良い調子だ、いつもの自分に戻ってきた。この、大袈裟な立ち振る舞いが自分だ、ここでの、自分だ。

 思いながら自嘲気味に微笑んだ。水滴が、地面に染み込んで行く。アイセルはそっと噴水を離れると拭くものを探して思案した、何処かで借りられなかったか。乾くだろうが、何かで拭きたい。

「何やってんの、お前」

 丁度良い足音と声に、嬉しそうに振り返ったアイセル。呆れた口調は、友人のサイゴンだ。最も望ましい相手だった、自分の強運に感謝すらしたくなる。
 芝居がかった口調で語りつつ、ふぅ、っと大袈裟な溜息一つ両手を広げる。

「何か布はないだろうかね、サイゴン君」
「何があったんだよ」

 懐を探りながら訝しげに、サイゴンは首を傾げた。

「いやー、スリザちゃんにさ、ちょっと攻撃を喰らったんだよね。見ろよ、この喉元」

 サイゴンに近寄ると上向きになり喉元をサイゴンに見せ付ける、血が滲む新しい傷口があった。痛々しげにサイゴンは目をそらすと、げんなりと布を差し出しす。そのまま首に巻きつけ、縛り付けてくれた。
 きつめに。

「ごっふ! 苦しんだけどーっ」
「我慢しろ、俺傷口見るの苦手だって知ってるだろ」

 こんの、一流剣士が何を傷口程度でぐだぐだとっ、と突っ込みたくなったが止めておいた。
 多少緩めた布は、不恰好ではあるが傷口は見えない。赤の千鳥柄だ「あぁ、こういうお洒落もいいな」と呟きながら水面で姿を映すアイセル。傷も隠せた、立派なカモフラージュだ、サイゴンしか傷について知る者はいない。

「ったく、スリザ隊長にちょっかい出すからこういうことになるんだろ? 見境ないお前の女好き、どうにかしろよ」
「やだなぁ、相手はこれでも選んでいるつもりだよ、サイゴン君」
「女なら誰でも良いくせに」
「はっはっは、若いなぁサイゴン君。それだから未だに童貞なんだよ、うん」
「……貴様、その布返せ」

 喚きながらサイゴンは無造作に剣を引き抜いて斬りかかる、爆笑しながらアイセルはそれを手甲で受け止めた。
 喧嘩友達だ、気の知れた二人だった。
 けれど、サイゴンにすら『スリザに強引に口付けしました』とは言えなかった。言った後の反応が検討つかない。
 今日のことは、二人以外誰も知らなくてもいい。二人だけの秘密のほうが、嬉しい。
 アイセルはそう思いながら楽々とサイゴンの剣を避けつつ、そのまま移動していく。

「そういえば、ホーチミンは? 一緒じゃないとは珍しいね」
「逃走中だ」
「あ、そっ」

 すっかり辺りが暗くなった頃、アサギを背負ったハイはようやく城に帰宅する。ぐっすりと寝込んだアサギは、全く起きない。ベッドで寝かせる為に、ハイはアサギの部屋へと急いでいた。
 その途中で、ハイはリュウに遭遇した。
 城内には暗くなると様々な場所に設置されている蝋燭や油種に火を灯す係りが徘徊している、擦れ違いざまに挨拶する者達の中にリュウが混じっていたのだ。無論、リュウはついてきた。
 背のアサギを覗き込みながら、リュウが小声で訊ねてくる。

「アサギ、寝ちゃったぐ?」
「あぁ、見れば解るだろう、疲れたんだ起こすなよ? 食事前には起こそうとは思っているが」

 今日のハイの機嫌は最高潮だ、誰にも邪魔されず二人きりだったのだから。ついつい、思い出すと顔がふやけて崩れてしまう。
 不本意だが柔らかなアサギの首筋にも唇を這わせたりとか、柔らかな肌をこうして実感していたりとか。ただのラッキースケベである。
 そんなハイの様子を見ながら、リュウはほくそ笑んでいた。
 何かあったに違いない、二人きりでいられただけにしては、ハイの表情が気味悪すぎると判断した。「”あの例の薬”が効いたぐー? 効果を発揮したのならば二人は男女の間柄になったぐー?」ブツブツ思案している。
 リュウは時折立ち止まり、再びハイの後をつけたり、前に進んだり、反対側にくるり、と移動しながら追跡した。
 普段ならばハイはこれで切れそうだが、鼻歌交じりで上機嫌のまま、気にも留めていない。身体全体が弾んでいる、スキップしているのだ。
 そんなハイを見てしまっては、確信へと変わる。

 ……決定的だぐ、絶対に何かあったぐ! それが何か知りたいぐっ! 

 明らかに浮き足立っているハイに、満足そうにリュウは喉の奥で笑った。
 リュウは、必死にアサギを凝視した。着衣の乱れがないか、その他諸々。
 アサギの首筋のキスマークが、リュウの角度からでは見えないのが残念だ、いや、幸運なのだろうか。
 痕跡を見つけられないのでハイの鼻歌が忌々しくなってきたリュウ、特にアサギには何もおかしなところがないようだ。
 だが、あの薬は実はリュウが調合したものであり、性能に自信があった。

「……わざわざ早急に調合したのに、失敗したぐーか?」

 小声で呟くリュウは全く気にも留めず、アサギの部屋の前に到着したハイは、ドアを丁重に開いた。背からするりと身体を下ろし、お姫様抱っこへと変更する。
 その瞬間、僅かコンマ数秒。

「お、おおおおおお! 成功なのだー!」

 リュウは見逃さなかった、成功したのだと瞳を光らせて微笑む。見えたのだ、無数の紅い点……首筋にくっきりと残るキスマークが。
 思わず跳ね上がって歓喜に打ち震えたリュウを、不思議そうに一瞬見たハイ。だが、無視してアサギをベッドに横たわらせると幸せそうにじっと見つめ続ける。
 その時にでもハイが、せめてキスマークに気付いていればよかったのだが。アサギの表情を見つめているハイには、無理な話だった。
 気づいたところでどうにもならないのも、確かである。
 床に座り込み満足そうに見つめているハイの傍ら、リュウが踊り狂っている。

「るんるん、るんたったー、たららん、たららん、たりられらーん」

 謎の歌と共に踊りながらハイの横にすとん、と座り込んだリュウはニタァ、と顔だけハイに向けて笑う。さすがのハイも悪寒が走った、硬直するしかない。
 言葉を詰まらせたハイに、地底の底から来るような低い高笑いを発するリュウ。

「くくくくく……ははははは……あーっはっはっはっはっは! ……だぐ!」
「お前、大丈夫か?」

 今まで生きてきた中で、一番魔王らしい笑い方をしたと思われるリュウ。語尾はともかく。
 だが、冷めた瞳でハイはリュウを一瞥する。
 冷ややかな視線はおかまいなしに、リュウはハイの肩に手を置くとしんみりと微笑んだ。

「大人になったねぇ」

 眉を顰めて首を傾げたハイに追い討ちをかけるように、リュウは肘でハイをつつく。

「う〜ん、ハイったらぁ、この、お・ま・せ・さ・んっ。だぐ!」

 ハイの背筋を伝う、嫌な汗。リュウの笑みは、恐ろしい、とにかく、恐ろしい。ハイの危険メーターがようやく発動した、が、もう遅い。
 すく、っと立ち上がったリュウに思わずハイは身構えたが、へろへろと力なく腕を振りながら部屋を出て行った姿に呆然としたまま。 
 沈黙。
 暫しハイは身構えていたが、気配はない。リュウは本当に高笑いを部屋で響かせただけで、退室したのだ。

「暇人め。何か生き甲斐を見つければ良いのに、この私の様に。フフフ……」

 つい先日までハイも然程変わらなかった気がするが、自分は棚に上げておいてこれだ。

「ハイ……さ、ま?」

 先程のリュウの高笑いで、アサギの目が覚めた。気がつけば目を擦りながらアサギが上半身を起こしていた、慌てて構えを解いたハイ。寝ぼけているアサギは、不思議そうに部屋を見渡している。

「寝ていたのでな、アサギの部屋に運んでおいたところだが。腹は空いていないか? 食堂にでも行こうか?」
「……食堂。食堂! あ、お城の中の魔族達が集まる食堂ですね」

 昨日皆と会話していた際に、アサギは城内に非常に興味を示したがそのうちの食堂にならば直ぐに行けそうだったので、提案したハイ。嬉しそうにアサギは頷いた。
 早速二人は部屋を出る、目指すは食堂だ。
 ハイは今まで一人で食事か、リュウが勝手に押しかけてきて二人で何かしら食べていたので食堂へ行った事はない。馴れ合いなどしなくてもよかったので、行く必要がなかったのだが今日からは別だ。
 アサギが気になる場所へは何処へでも連れて行く、それがハイの今後すべき事だと妙な使命感に燃えている。ところが、ハイは部屋を出て数歩で脚を止めた。

「はて、困った。食堂の位置が解らぬ……」

 平素城内を徘徊しないハイにとって、城内の位置は主要部以外把握できていない。ともかく、誰かに会えばどうにかなるだろうと正面玄関を目指した、それくらいならばハイとて解る。
 行く途中、都合よくアイセルにサイゴン、ホーチミンの三人に出逢えた。思わず表情を明るくしたハイと、お辞儀をしたアサギ、それに姿勢を正した三人。
 案の定サイゴンはホーチミンにべったりと腕を掴まれている、逃亡出来なかったのだ。

「あれ? ハイ様どうされました? 夕食のお時間では?」
「うむ、アサギが様々な場所を見学したいと言っていたのでな。今日は食堂へ行こうと思ってな」

 怪訝なサイゴンは無視し、ホーチミンが小首傾げて聴いてみればそんな返答が戻ってきたので「あぁ、なるほど」と納得した三人。苦笑いするホーチミンは、ちらりとアサギを見つめる。

 ……本当にこの子にべったりなのね、ハイ様。確かに物凄く可愛い子だけど。

 普通に判断するならば勇者に城内を案内しているわけで、非常事態な気もするが。皆深く考えなかったので五人は一路、食堂を目指すことになった。

「ですが、食堂は逆方向ですよ?」

 サイゴンの問いに、アイセルとホーチミンは解りきった答えに肩を竦める。素直にハイは、包み隠さず答えた。

「迷子になっていたんだ」
「そ、そうでしたか。申し訳ありません」

 ハイが城内に疎いことなど、周知の事実だ。サイゴンは軽く青褪める。
 だが、ハイは特に不愉快そうにはしていなかった。アサギと手を繋ぎ大人しく前を歩く三人についていく、真実なのだから仕方がない。
 今までは恐ろしく近寄りがたかったが、ハイもこうしてみると付き合いやすい人物だったのだな、と魔族三人は微笑してた。

「楽しいですよ、食堂は」
「そうか、ならば良い」

 振り返ったホーチミン、にっこりとアサギに微笑むとアサギもにっこり、と笑う。
 その、瞬間だった。
 喉の奥で悲鳴を上げ、ホーチミンが立ち止まる。

「ん? どうした、ミン?」
「……なんでも、ない」

 サイゴンが腕を引っ張る、アイセルが立ち止まり振り返った。が、ホーチミンは静かに微笑むと歩き出した。何事もなかったかのように、颯爽と。
 アサギの首筋に何やら紅い点が見えたように思えたホーチミン。虫に刺されたわけではないだろう、無数に存在した……気がした。となると、それはもはや原因が一つしかなく。
 もう一度、ちらりとアサギを盗み見るが見えない。
 ハイと楽しそうに会話をしている、特に不自然な様子はない。歯痒くて、確かめたくて、うずうずしているホーチミンに、思わずサイゴンは眉を潜めた。

「トイレなら行って来いよ、男用なら直ぐそこに……ぐっ」

 思い切り脚を踏まれたサイゴンは、低く呻く。ホーチミンのハイヒールが突き刺さったのだ。
 ようやく食堂に到着した五人は、重たいオリーブドラブの扉を開く。途端、良い香りが漂い始めた。騒がしい中、大勢の魔族達が既に夕食を摂っていた。物珍しそうにアサギは周囲を物色する、目を輝かせている様子にハイも大満足である。
 直様ホーチミンが説明を始めた、大人しく聴くハイとアサギ。
 食堂は大混雑だ。利用者は特に選ばない、城で働いている者は勿論商人の魔族やら、町からわざわざ食べに来ている者……様々である。
 値段は下町に比べれば高いが、料理長の腕は間違いなく美味さは魔族一であるだろう。昨夜アサギが食べた物も、本日の昼食もここの料理長プロデュースである。
 サイゴン、ホーチミン、アサギ、ハイ、アイセル、という順番で並んで一列に歩く。

「ここでこの盆を取るのよ。それで、好きなものを好きなだけ乗せてね。勘定は最後だから……あ、今日はハイ様の奢りってことで」

 ちゃっかりと精算はハイ任せにした「魔王様に無礼な」とサイゴンは思ったが、本人が全く気にしていない様子なので有り難くご馳走になることにした。
 光沢ある木の盆をホーチミンに渡されて、アサギは嬉しそうに笑う。釣られて笑う、ホーチミン。地球の飲食店にも同じ仕組みのものがある、何処でも一緒なんだと思うとアサギは嬉しかった。
 しかしアサギは気づいていない。この並び方、実は故意である。
 サイゴンはともかくとして、ホーチミンはアサギの首筋に非常に興味があった。ハイはアイセルに本日昼間のお小言というか、文句を言いたかった、しかしアサギとは離れたくなかった。
 様々な思考が組み合わさり、この並びになった。
 不自然にアサギに魅入るホーチミンだが、生憎目当てのモノが見えない。歯痒いが獲物を狙う肉食動物の如く、瞳に光を灯してホーチミンは隙を待っていた。

「……おい」

 その後方ではアサギに気を使いつつも、”本日のおススメメニュー”を一心不乱に見ていたアイセルに低くハイが声をかける。飛び上がる勢いでハイを見たアイセルは、引き攣った笑みを浮かべる。
 まさかこんな場所で昼間の続きを開始するつもりなのかと、睨みを利かせるハイに乾いた笑い声を出すしかないアイセルだ。
 しかし一瞬鋭く睨みを利かせるとハイは、それ以後アイセルを無視した。ハイにとってはそれどころではないのだ、アサギが最優先な為他に目を向ける余裕がない。ある意味アイセルはアサギに助けられた。

「ハイ様、これに食べたいものを乗せるのだそうです」
「おぉ、そうか、アサギは賢いな! どれどれ」

 アサギに盆を手渡され上機嫌で、鼻の下が伸びっぱなしのハイである。話しかけられるだけで昇天しそうな勢いだった。

「私が居た場所でも、こういう雰囲気のところがありました。ついつい、食べ過ぎてしまうんですよね」
「あらそうなの、ふふふ、一杯食べましょうね。飲み物や砂糖菓子も充実しているわよ?」
「わぁー!」

 女ではないが、女のようなホーチミンにすっかり気を赦しているアサギ。それがハイには多少不服だが、女なら仕方がないな、と思っていた。魔王ハイは、ホーチミンの性別を知らないのである。
 食堂はスムーズには進まない、夕食時で大混雑だ。しかし待っている間も会話が出来て面白いものである、ちょっとした楽しみだ。
 ホーチミンは必死にアサギの首筋を見ようとしている、気付かずにアサギは嬉しそうに会話を愉しんでいた。遠くのほうまで続く行列に、アサギは身を乗り出して躍る胸を押し殺すことなく。
 アサギは飲みたくて味噌汁を探すが、流石にない。こんなに飲んでいないのは、産まれて初めてである。ほぼ毎日の様に飲んでいたのだから、恋しくもなる。白米もだが、米自体はパエリヤらしきもので食べている。
 落胆したがそれでも自分が手にしたものは美味しそうである、ハイに勘定を任せてサイゴンは席を取りに行った。
 ハイの存在に慌てて主任が飛んで来たが、雰囲気を味わいたいからと用意してもらった別席を辞退し、サイゴンが確保した六人テーブルに、五人は着席する。
 ハイとアサギの向かいに三人が座れば「いただきます」の挨拶と共に食べ始めた。
 アイセルは毎晩のことながら、大ジョッキのビールを片手にまずは景気づけだ。一気に飲み干せば拍手喝采、ピースサインですぐに二杯目を注文する。
 黙々と食べ始めるサイゴンを横目で軽く見つつ、アイセルは無視してホーチミンの視線は真正面のアサギに一点集中した。

「あら、それ。私も迷ったの……少し貰ってもいいかしら、アサギちゃん」
「あ、はい! どうぞ」

 目ざとくアサギの持ってきた料理に目を光らせたホーチミンは、最も取るのに時間がかかりそうな小麦麺で勝負に出る。早い話魚介たっぷりのスープパスタだ。フォークとスプーンで取りながら、ホーチミンはにこやかにアサギに笑いかけた。

「魚がたっぷりで、とっても美味しいです!」
「それと迷ったのがこれよ。アサギちゃんも食べてみて? 柚子胡椒がピリリと効いてるの」
「わぁ、嬉しいです! 柚子胡椒は存在するんですね……」

 自分の皿を差し出しながら身を乗り出すホーチミンだが、やはり見えない。舌打ちする、もどかしさ大爆発だ。

「ど、どれアサギ。私のも食べてみると良いぞ!」

 ハイは自分のピザを進める、蟹と海老を惜しげもなくあしらったサラダ仕立てのマヨネーズピザのようだ。アサギとハイの会話を眺めつつ、豪快に豚肉の塩漬けを頬張りつつ、ホーチミンは首筋を睨みつける。
 ガリガリ、ガリガリ……。
 隣で野菜スティックを齧っているサイゴンが、苛立ちを倍増させた。

「うふふ……まだ食後のお茶まで時間はあるものね……何があったのか、おねーさん、知りたいわ……うふふ……」

 ソラマメのスープを飲みながら「おにーさんだろ?」と、恍惚の笑みを浮かべているホーチミンにサイゴンが突っ込みを入れていた。


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