「真っ直ぐに東へ進み続ければ、ジョアン。気を緩めずに進もう」
本調子ではないが、ほぼ回復したライアンがミノルの馬車指導を行っている。雨の日も、風の日も、灼熱の太陽が降り注ぐ日もミノルは死に物狂いで覚えていた。簡単だと思ったのだが、微調整が難しく、馬が言うことを聞いてくれない。 馬車の中ではトーマが退屈そうに寝そべったまま、そんなミノルを見ている。 マダーニは荷物の整理に、武器の手入れと忙しい。 先日予定より多めの薬草を使用したので、残りの薬草の把握をしているのだ。巨大な敵でも毒による攻撃がかなり有効だと先日発覚したので、小瓶の中に新たに多々の毒草を入れ込み、漬け込んで矢尻を浸したりもしていた。
「マダーニ! 次に休憩できそうな場所が見つかれば馬を休ませるが……」 「出来れば森近くが良いわね、薬草や食材を探したいのだけれど」 「了解」
トモハルは目を醒ましていたが、身体が軋んで起き上がるのもやっとだった。 いつまでも寝ていられないのは解っている、身体が鈍って剣の感覚を忘れてしまう。身体を動かさねば、と鞭を打つ。
……折角、コツを掴み始めていたような気がしたのに。
半身だけでも起き上がり、トモハルは魔導書に眼を落とす。顔を顰めながら、重く息を吐き懸命に字を目で追った。 見ている魔導書は、回復のものだ。自身で、傷を完治する気でいる。 そんな面々を見つめてから小さく欠伸をし、トーマは瞳を閉じる。本来飛行能力を身につけているトーマは馬車で陸路を行かなくても、簡単に素早く進む事が出来る。だが、この退屈な時間も旅の醍醐味だとトーマは解釈した。 数時間後、小川が流れている開けた場所に出た、付近に森もある。ライアンは迷わずそこに馬車を停めた、馬を休ませてやらないと移動することが出来ない。 背を撫でて馬を二台から外してやると、川で水を飲み、近場の草を食べ始める。馬の疲労もピークに達している様だった。 周囲の気配を窺いライアンは今宵、ここで就寝する事を決意した。就寝は交代で行う、馬車ではなく地面に寝転がることにした。 早々に焚き火の準備を開始する、寒くはないが陽が落ちる頃には火を灯し周囲に警戒させねばならない。近辺には人間を襲う狼や野犬もいる、魔物だけに注意を払えばよいというものでもない。そういった相手には、やはり火が有効的だ。 ライアンは焚き火用意後、狩りに出かけた。魚や兎、鹿を狩り、燻製にして保存食を増やすつもりだ。 トモハルは馬車から降り立つと、不安定な足取りだがミノルと剣の稽古を始める。痛みを堪えながら、それでも歯を食いしばり額に汗を滲ませて感覚を取り戻そうとする。 マダーニは夕飯の準備だ、ライアンからの獲物に期待し自分は近辺の食べられる野草を摘む。 トーマは、首を傾げて眺めていた、一人で旅をしている自分にとってこんな光景は初めてだった。今までは気楽な一人旅だったが、「こういうのも、悪くはないな」と、思わず口元に笑みを浮かべる。 トーマは肩を竦めると一人、右手を地中に翳して神経を集中させた。何かを探すように、足取りを進めながら瞳を軽く閉じる。馬車から数十メートル離れた位置で、トーマは立ち止まった。軽く目を開くと、満足そうに頷きそのまま唇を湿らせて何か呟く。 次の瞬間だった。 ドォン! 轟音が響き渡る。何事かと武器を構えたマダーニ、振り返ったミノルとトモハル。そこには、仁王立ちして自慢げに笑みを浮かべているトーマの姿がある。背後には、湯気が立ち上っていた。
「僕、毎晩お風呂に浸かりたいんだよね〜。清潔第一でしょ」
にこり、と無邪気にトーマは微笑むと、呆けている面々に舌を出す。唖然と三人は見守る、ようやく理解出来た。鼻につく香りからして、どうやらトーマは温泉を探し当てたらしい。地面を抉り取り、簡易な風呂を作ったのだ。
「この付近の温泉、質はどうかなぁ。疲れがとれるといいけど、ね」
しゃがんで、右手を湯に入れてみる。少し高温だった、熱さで一旦手を引き抜いたが、静かに再び湯に手を入れた。指先を軽く触れ合わせ、確認する。
「うん……いいんじゃないかな。このトロみのあるお湯、素晴らしいね。温度が高いのが難点だけど、なんとかなるでしょ」
温泉マニアなのかっ、とトモハルは思わず突っ込みそうになったが言葉を飲み込む。 自分が温泉に浸かりたいこともあったのだが、必死に動いているミノル達を見て、自分も何か手伝いたくなりトーマはこの方法をとった。温泉ならば誰でも好きだろうし、自分も得で一石二鳥である。
「トーマちゃんっ! あなた、最高よっ!」
感激し身体を震わしていたマダーニが、声高らかに猛ダッシュして胸にトーマを押し付けた。呼吸困難に陥ったトーマは豊満な胸の下で苦笑いする、喜んで貰えたことは十分に解ったが。 女性としてはやはり、汗を流したいだろう。マダーニは川辺で水浴びの予定だったが、質の良い温泉があればもう、感謝感激雨霰だ。暖かい上に身体も休まる。まさかこのような場所で温泉を堪能出来るなどと、誰が思っただろうか。
「よかったじゃん、お前の怪我にもいーんじゃね?」 「あぁ、そうだね」
ミノルとトモハルも、嬉しそうに笑い合うとトーマに駆け寄った。帰宅したライアンも、温泉を見て大喜びだ。 思わずトモハルは吹き出す、惑星が違っても温泉好きはいるんだ、と。いとも簡単に最近この世界に慣れては来たが、ふとした瞬間に自分が現在何処に居るのか解らなくなる。けれども本質は同じだ、生きる為に場所は関係ない。トモハルは微笑すると、手招いているマダーニの隣に腰を下ろしていた。 焚き火を囲んで、水と小麦粉を練って焼いたものにオリーブオイルを垂らし食べる。串刺しにして焼いてある川魚には、塩を振った。ミノルが満面の笑みで我武者羅に食べ散らかしている、無理もない、久方ぶりのまともな食事だ。ライアンが捕獲して捌いた新鮮な小鹿の肉は、野草と合わせてスープになった。非常に豪華な夕飯だ、思わず皆の顔が綻んでしまう。 五人で焚き火を囲んで、星空を見上げて。目的を忘れてしまうくらい、穏やかな時間だった。 マダーニが最初に温泉に浸かったが、長過ぎた為男達は軽く転寝をした。次は男達が豪快に四人で浸かる、砂塗れの湯だがそれもまた、野生的である。 まだ子供のミノルとトモハルにはしゃぐな、と言ってもそれは無理だ。唯でさえアサギの生死を知り、興奮冷めやまない状態である。 騒ぎは収まらない。
「お前、すげーのな」 「大した事じゃないよ」
上機嫌でミノルがトーマに語りかければ、鼻で笑って返答してきた。
「でも、凄い魔力だ。俺はまだまだだけど、凄さが解るよ」
真向かいでトモハルが屈託なく微笑み、トーマに声をかける。初めての、二人の会話だった。じっと、トーマはトモハルを見つめる。澄んだ瞳で何かを射抜くように、見つめた。 不思議そうに小首傾げたトモハルに、トーマは我に返ると「……まぁ、ね。まだ僕は物足りないけど師匠が優秀だから」と小声で返した。す、っと湯に口まで浸かり瞳を閉じる。
「なぁ、トーマ。お前も一緒に来いよ! 魔王倒そうぜ、お前がいると心強いし、魔法俺らに教えてくれよ」
落ち着きなく語りかけてくるミノルに半ばげんなりして、トーマは直様湯から顔を出すと唇を尖らせた。
「……駄目だなぁ、ミノル君。人に頼っていたら前に進めないよ? まぁ、ずっとは一緒に居られないけど……一緒に居られる限り教えてあげてもいいけど、さ」
情けない、とばかり大袈裟に身体を震わせてトーマはミノルに湯をかけた。怪訝に顔を顰めたミノルだが、両手で大きくお湯を汲み、トーマに投げつける。温泉は戦場になった、トモハルもライアンも巻き込み大騒動だ。 四人の顔には、笑顔。 湯冷めしないように毛布に包まり、焚き火の前に居たマダーニは微笑ましそうに遠くの喧騒を聞きながら、茶を啜る。だが唇を噛締め徐に立ち上がると、簡易な結界を施し万が一に備えた。出来は上々だ、満足そうに微笑む。折角の休憩だ、皆で眠りたい。 そんなマダーニの気遣いなど知らない男達は騒ぎながらやってきた、まだ元気が有り余っているようだ。苦笑してマダーニは茶の準備を始める、声が徐々に近づいてくる。 マダーニの特製、紅茶をベースにラベンダー、マリーゴールド、ミント、ライム、バーベナをブレンドしたリラックス効果のある茶を五人で飲み干し、皆就寝だ。 焚き火の中で時折火が爆ぜる、暑い夜だが風は涼しく。幾度も見上げた星空は、眩く儚く美しく。何時しか、夢に落ちていた。 一応、ライアンとマダーニが交代で起きている。 トーマの隣には、ミノルがいる。初めて家族以外の人物と、こうして並んで眠った。
「助けてあげたいけど。そうもいかないんだ……ごめんね」
同情なのか、友情なのか。手助けはしてやりたい、確かに自分が加勢すれば格段に楽になるだろうが。 トーマは、自嘲気味に微笑むと瞳を閉じる。 が、不意に、右手を上げると何かを放り投げるような仕草をした。
……去れ、気分を害さないで。僕はこの人達みたく、御人好しじゃないんだ。
低音の怒気を含んだ、音にはしないが”意志”を投げつける。馬車から少し離れた位置で、何かが蠢いていた。舌打ちし、トーマは素早く跳ね起きると音を立てないように瞬時に飛ぶ。宙を駆けて、慌てて逃げ出す影を捕らえた。
「忠告したのに」
冷淡な声で呟くと、両手で魔力を瞬時に繰り出してそれを放つ。瞬間、忽然と消えた”何か”。
「僕がいる間は、何度来ても同じだと思うけど?」
トーマの頬を風が撫でる、声が風に乗る。誰に伝えているのか、などトーマには解っていた。相手も確実に受け取るだろうと、思っていた。 静まり返った周囲にようやくトーマは警戒心を解くと、音無くして再びミノルの隣で横になる。
「なんじゃ、この不快な小僧は」 「始末に参りましょうか、私が」 「待て、エーア。……良い、放っておけ」 「畏まりました」
不愉快そうに瞳を光らせ、低く呻いたミラボーと傍らのエーア。エーアを止めたのは他でもない、魔力が互角かトーマがそれ以上だと判断したからである。トロルを放った魔王ミラボーは、散り散りになった勇者達の把握をしていた。 その中で最も厄介だと判断したのは、既に勇者の武器を所持しているらしいトモハルである。そして当初の予定通り進んでいるこの一行が、他の勇者の武器を探していることなど明らかだった。
「人間の分際で……異様な魔力の所持者じゃな」
瞳を細め、自身の水晶を忌々しそうに見つめミラボーは顎を擦った。突如現れ計画を台無しにした、この小僧。本来ならばトロルだけで片がついたはずだった、想定外である。先手を打ってくるので、簡単に手が出せない。
「まぁよい、こうしてあちらの状況だけは探れるのだ」
ミラボーは、この一行の状況を完璧に把握している。一度位置さえ掴んでしまえば、水晶に映像を映し出せる。ふんぞり返り、ワインを手にしたその瞬間。 ペキ 水晶に、罅。軽快な音共に一気に罅から亀裂が走り真っ二つに割れた。まるで剣で一刀両断したような切り口である。流石に、ミラボーも血相を変えて立ち上がる。
「ば、ばかな!?」
水晶の映像は、消された。これでは状況把握に時間がかかってしまうが、ミラボーを動揺させるのはまた別の問題だ。この現象は遠く離れた場所から自分に攻撃してきたことと、同じである。 たかが、人間が。
「に、人間の分際で我の魔力を遮断したとでもいうのか!?」 「ありえません、ミラボー様。やはり私が偵察に」 「……いや、行くな」
腸が煮えくりかえってはいるが、引き攣りながらも笑顔でミラボーは語る。暫しの沈黙の後、落ち着き直しソファに深く腰掛けワインを傾けた。
「……また、捕らえれば良い。逃げられんよ」
真っ赤なワインを呑みながら、静かに呟いた。 しかし揺れる水面は、堪える怒りで身体が震えているからだ。それでも、魔王は冷静を保とうと必死だった。 魔王が、名の知れない人間の小僧に構っている暇などない、と。
「どうせ、何も出来んよ」
けれども、脳が警告音を発している。しかし、素直に認めたくはない。
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