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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第115回   無垢なる混沌〜トーマ・ルッカ・シィーザ〜
 蝋燭の炎でトーマの瞳の中の光が若干揺れた、徐にテーブルに伏せっていたが顔を上げて呟く。

「僕さ、また旅に出るよ。今度は、そうだなぁ、カナリア大陸にでも行ってみようかと思って」

 食後の蒲公英珈琲を飲みつつ、アイセルが視線をトーマへと投げかけた。声からは感情が上手く読み取る事ができないが、寂しいのは確かだろう。押し殺して無理している気も、しなくもない。しかし、未知なる場所への期待と好奇心が高まっている事も確か。トーマは好奇心旺盛だ、そして人間だからと、大人しく魔界でアイセルとマビルに護られて暮らしているような性格でもない。今までと同じ様に旅に出ると言い出すことは、想定内だった。

「今までは何処に?」
「んー、ヴィクトリア大陸。そっからさ、何かありそうな気がして陣描いて戻ってきたんだ」

 テーブルの上に足を放り出したトーマを、アイセルは頬を膨らませ睨みつけると叱咤した。首を竦めて、苦笑いしつつトーマは足を下ろしきちんと背筋を伸ばす。満足そうに頷いたアイセルは、と口元に悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「そうか……元気で。次はいつ戻る? トーマなら戻りたければすぐにでも戻る事ができそうだが」
「さぁ。面白い事があったら、当分は戻らないよ。どのみち、姉さんにも会えないなら居ても仕方がないし。姉さんに会えるのなら直ぐにでも戻ってくるよ?」
「だろうな」

 アイセルは気の毒そうにトーマを見つめる、カップの中の真っ黒い珈琲を覗き込みながら思案中のトーマ。切なそうに溜息を吐くと、瞳を閉じる。
 トーマがアサギを”姉”と呼び始めたのは、今に始まった事ではない。マビルに双子の姉がいて、その少女こそが次期魔界の女王だとトーマに話した時から、トーマはまだ見ぬその少女を「自分の姉だ」と言い張っている。憶測でしかないが、トーマは正真正銘アサギの弟なのではないかとアイセルは思っていた。
 二人とも、人間だ。未知の能力を秘めた、人間。トーマは意味があってこの魔界で産まれてきたのだろう、それが何を示すのかは解らないが。
 血の繋がりはないといえども心配で、本当は魔界にマビルと共に居て欲しい……というのがアイセルの本音だが、本人の意志を尊重している。
 幸い桁外れの魔力を秘めているし、人間界ならばそう簡単に他者から危害を加えられないだろう。存在が見つかれば、魔界のほうが危うい。旅をすることはトーマにとっても良い事なのだと、アイセルは言い聞かせる。

「支度手伝ってよ、アイセル。薬草とか欲しいんだけど」
「え、もう行くのか? 少し滞在していけばいいのに」
「……ううん、何か面白い事がある気がするんだ。今行かないと、間に合わない」
「俺より、トーマのほうがよっぽど予言家の跡取りとして相応しいな。魔力も高いし」
「嫌だよ、そんな窮屈そうな肩書き」

 昔から、トーマの勘は鋭かった。肩を竦めて苦笑いするアイセルに、唇を尖らせトーマは大きく伸びをすると珈琲を一気に飲み干して立ち上がる。徐に次いで立ち上がったアイセルはトーマの袋の中身を確認した、薬草が極端に減っているようだ。マントは埃まみれであちこち破れ、汚らしい。

「トーマ、たまには洗濯しろよ」
「めんどいんだもん」

 文句を言いながらアイセルはしかめっ面でそのマントと向き合った、洗ってほつれを直したとしても……汚い。身嗜みを整えているアイセルにとって、この薄汚れたマントは汚物でしかない。部屋の奥から自分のマントを持ってきた、トーマには大きいが新しい緋色のマントだ。

「ほら、これやるよ」
「わ、新しいマントだぁ! ありがとう」

 トーマは着ていた衣服を脱ぎ捨てていた、裏にある温泉に浸かりに行くつもりらしい。アイセルに全てを押し付け、タオルを一枚掴むと聞く耳持たずとトーマは飛び出す。厭そうにアイセルは服を摘んだ、継ぎ接ぎがしてあるのだがいい加減な縫い方なので、これでは意味がない。盛大に溜息を吐いて所持品を物色すればブーツにも穴が空いている、これでは雨の日が悲惨だ。早い話、全て新調したほうが手っ取り早い。
 保存食に、水筒、薬草を袋に詰めつつトーマが温泉から出てくるまでに、アイセルは自分が子供の頃着ていた衣服を探した。マビルと背格好は同じくらいである、とても今のアイセルの衣服ではサイズが合わない。が、子供の頃の服などそうとってあるものでもない。

「全く……いい加減な奴だ。その辺りはマビルに似てる」

 言葉とは裏腹に、元気にやっている姿が見て取れたアイセルは口元が綻んでいた。替えも用意し、温泉で身体を休めて出てきたトーマにそれを差し出した。お古といえど、新品に近い衣服に身を包み込む。若干大きいがまぁ目は潰れる程度の衣服に、トーマは満面の笑みを浮かべた。
 魔族と人間の一目での違いといえば尖った耳だ、トーマは深くマントのフードを被る。他に匂いに敏感な魔族は気付くだろうから、と肌に魔界に生息している植物の種子を磨り潰し水で溶いたものを肌に塗る。青色の肌でカモフラージュした、これは独特の香りで嗅覚を混乱させる作用もあった。
 さらに、三重の構えだ。トーマが何かしら呟くと、その瞳が黄金に変わっていく。

「おぉ……。上手になったな」

 照れくさそうにアイセルの感嘆の声を聴いていたトーマは、頬を指でかく。この魔法は、父が残してくれた書物を基にして、アイセルとマビルが必死でトーマに習得させたものだった。
 人間であるトーマは、魔界に居ては命が危ぶまれる。確かに、人間も時折魔族に混じって生活しているのだがそれでも百%安全なわけではない。魔族の好みで連れてこられた人間も大勢いた、食料や雑用として連れてこられた人間もいる。
 アイセルが連れてきた事にしても良かったのだが、女好きで通っているアイセルだ、人間の少年を連れていては怪しまられると判断した。以前、魔界に居た人間の大量虐殺が行われた前例もあるのだからと、魔族に変化する魔法を開発したのだ。無論、完全な魔族であるわけもなく、こうして肌の色は植物の色彩でごまかしたりと魔法ばかりに頼ってはいない。だが、耳・香り・瞳の色合い及び瞳孔を変えておけば、かなりごまかしがきくのだ。
 先程トーマが人間界から来た陣へ戻る事も可能だが、万が一その陣の一部が破壊されたりしていようものならば、出口を失い転移が失敗するので、魔界イヴァンから出る場合船で出たほうが得策だ。乗船する為に、こうして魔族の振りをしなければならないのだった。

「薬草、入れてくれた? やっぱり魔界の薬草のほうが質がいいんだよね」
「見分けて自分で製作できるようにしておけよ。ほら、これ薬草の本な。この間売ってたから購入しといた」
「ありがとう」
「これは、ミソハギ。止血のほかに消化不良にもきくから、変なものを喰ったときに使え」
「……僕グルメだから食べないよ、道端に落ちてるものとかは」
「そう言うな。人間界に多いのはガマ、だったか。あれも止血になるから見つけたら刈り取っておくといい」

 干し肉やビスケットを詰め込む、準備を整えた後トーマはアイセルともう一度テーブルについた。今度は魔界で御馴染みチコリの珈琲だ、あまり人間界では飲まないので、これ自体が家庭の味である。トーマは穏やかな笑みを浮かべて、苦いそれを飲み干した。
 今日はもう遅いので、いつでも掃除されており綺麗な自室へ向かうと、早々とトーマは眠りにつく。直様眠りに入ったトーマの寝顔を、アイセルが愛おしく見つめていた。家族同然の存在だった。
 予言は別にしても、いわくつきの子供にしても、愛して護るべき存在だった。
 翌日。

「じゃあ、元気でな。戻れたらいつでも、戻って来いよ」
「うん、アイセルも元気で」

 くしゃくしゃとアイセルがトーマの前髪をかき乱せば、くすぐったそうにトーマは瞳を閉じた。トーマは気にした素振りで周囲を見渡すが、目当ての人影はない。
 マビルを探していることはアイセルにも解った、見送りにいつもは来てくれるのだが。寂しそうに俯いたトーマの様子に、何も声をかけることが出来ず背を叩く。トーマがそっと手を差し出してきたので、何も言えない代わりに力強くその手を握り締めた。
 アイセルと握手を交わした瞬間、トーマの右手に違和感が走った。小さな電流が身体を駆け巡り、背筋を冷たい風が襲う。愕然として見上げれば、不思議そうに何時もどおり立っているアイセルがいるのだが、大きく固唾を飲む。

「アイセル……?」
「はは、どうした、そんな顔して。死人でも見たような」

 涼しげな笑顔を向けているアイセルに、トーマは引き攣った笑みを浮かべると未だに震えている手に爪を立てた。感傷的になっただけだと思い込み、気を取り直し腕を振って歩き出す。
 森の道を歩きながら、後ろを振り返り見えなくなった大事な家庭を、憩いの場を愛しく切なく見つめて立ち止まる。何故だろう、もう戻れないような気がして。そして、アイセルに二度と会えないような気がして。
 今、発たなくてもいいような気がして。
 トーマは困惑した。足が、動かなくなっていた。これが予兆なのだろうか、どうしても不安が残る。言い知れぬ黒い靄が圧し掛かってきた。
 そこへ。

「いっておいで、トーマ」

 何時の間にか、マビルが隣に来ていた。マビルは結界から出られないので、これ以上先には進む事が出来ない。ギリギリの場所で立ってくれている、横顔を見れば照れくさそうに頬を赤らめていた。

「来てくれたんだ、マビル」
「気が向いたから。暇だったし」

 と、興味なさそうな返答をしたマビルだが、嬉しくてトーマは微笑したまま漏れそうになる声を必死で押し殺していた。
 違う、マビルは確実に見送りをする為に待っていてくれたのだ。言葉ではああ言っても、トーマにはマビルの心情を知っていた。
 いい加減で面倒くさがりの破壊心が大きい凶暴なマビルだが、優しい面も知っている。寧ろ強がって演技している様にもトーマには見て取れた。

「……じゃあ」
「ん、いってらっしゃい」
「いってきます、マビル」

 パン、と掌同士を叩けば小気味良い音が森中に広がった。
 遠くから、何かが駆けて来る音が近寄ってくる。ここは、一日二本通る乗り合い馬車が通る道だった。引いているのは馬ではなく、魔物なのだが。ので、魔物車とでもいおうか。やってきた本日の荷台を引く魔物は、これは豪快な魔物だった。
 サテュロス。ヤギの下半身に人間の上半身、顔もヤギ、な悪魔のような風貌である。

「……うーん」

 流石にトーマも面食らった、こんな馬車……もとい、サテュロス車に乗り込むのは初めてだ。気付けばマビルはもはや姿なく、気配を察知して森の奥へと消えたのだろう。彼女の存在は秘密裏だから仕方がない。

「何処まで行くかね?」

 気の良さそうな運転手は豪快に笑う、異様な光景だ。

「港まで」
「あいよ、乗りな坊ちゃん」

 微笑し頭を下げて乗り込んだトーマに呆然と運転手は魅入っていたが、豪快に笑い出すと何かをトーマに投げ入れた。

「やるよ、さっき運賃と一緒に客から貰った青リンゴだ。坊ちゃん、あんた今度来たアサギ……だったかな、その人に似てるわ」
「アサギ……会った事があるんですか?」
「お、坊ちゃんも知ってるかね? まぁ、ハイ様のお相手ともなれば確実に広まるよなっ。この間の魔族会議で姿を見せてもらったよ、別嬪さんだったなぁ」
「そうですか、ありがとうございます」

 ……似てるんだ、やっぱり。だよね、当然。

 おそらく、自分の正真正銘姉であるアサギ。今この魔界イヴァンにいる、アサギ。トーマは顔を荷台から覗かせた、巨大で圧倒的な城が見える。

「あそこに……いるんだね、姉さん」

 ……必ず、必ず会いに行きます。ずっと、ずっと先でも必ず。貴女が僕を、呼んでくれたのなら。僕は貴女のお傍で力になる為、旅をしよう。足手まといにならないように、世界で一番の魔法使いになってみせるよ。

 トーマは、何処となく懐かしい香りのする衣服に包まれながら、港へ到着するまでの間仮眠をとる。船に乗れば、新しい土地で新たな出逢いが待っている筈だ。けれども、何故か胸にしこりが残っていた。
 アイセルの背後に黒がかっていた靄、あれは何を意味するのだろう。思わず、背筋に寒気が走るほどの残忍で残酷な何かが、アイセルを取り囲んでいた。

「嫌な予感がするけど、大丈夫だよね。アイセルだもんね」

 話は少々戻る。
 ライアン、マダーニ、トモハル、ミノルの四人は皆と分裂してから寂しくなった馬車の中、本来ならば皆と行く予定であったピョートルへと進んでいた。口数少なく、ただ進むのみ。
 次の滞在地”ジョアン”までは、広くはないのだが商人や旅人が歩き易い様に、有る程度街道がしっかりしている為比較的楽だった。相変わらず古びた石畳の街道だが、ないよりましである。ライアンが馬を操作し、マダーニがまだ未熟な勇者達の呪文の練習に精を出す。トモハルとミノルは、交互にライアンとマダーニにそれぞれ馬車の操作と剣、魔法を習った。
 トモハルは、努力し続けアサギを救う気だ。時間を惜しんで鍛錬に励んでいる、非常にまめで努力家、強い意思は揺ぎ無い。馬車の操作も飲み込みが早く、率先してライアンに質問を繰り返している。また、操作中も剣の扱い方や防御、戦いについてライアンから話を聴いていた。
 皆と離れて、数週間。
 時折魔物にも襲われたが、どうにか切り抜けられたのはトモハルが目まぐるしい成長を遂げているからだった。が、相変わらずミノルのほうは未だに力を発揮してくれない。
 その夜。
 月明かりの中で夕食をとることになった一行は、ライアンが川で獲って来た魚を焼いていた。残り少なくなった焼き菓子に、焼いた魚と干した肉。川で汲んだ水を沸かして、薬草茶で身体を温める。明日の旅用に水筒にその茶を詰め込む作業は、トモハルの仕事だ。厭な顔一つせず素早く行っているわけだが、ミノルはその間も膝を抱えて蹲り眠りについている。
 限界なのかもしれない、毎日馬車に揺られて魔法の稽古だ。まだ馬車を操作しているときのほうが、ミノルの顔に笑顔が見えている。不安そうに三人はミノルを見つめるが、こればかりは助けられない。本人のやる気次第になってしまう。

「あ、そうだ。私今日から生理だから魔力が弱まってて期待しないでね、よろしく」

 ブー! 
 三人、盛大に口から茶を吹き出した。唐突なマダーニの発言にミノルは顔を赤らめる。

「魔法に期待は出来ない、か。厄介な魔物に遭遇したくないな」
「気弱な発言ね、ライアン」

 呆れたように腕を組んでライアンを見上げるマダーニを、トモハルが首を傾げて見ていた。

「二人って、そういう関係なわけ?」
「そう見える?」
「うん、なんとなく思ってた」

 ミノルはトモハルに意味が解らないと視線を送る、それに気付いたトモハルが笑った。

「二人は付き合ってるんだ、前からそうかな、って思ってたんだけど」
「へぇ」

 言われてみれば、やたらと近くに居るし仲が良い。ひょっとして離れたくなくてこの組み合わせになったのだろうか、と正直ミノルは不貞腐れた。

 ……いい気なもんだ、自分達は好きな奴と一緒にてさ。

 と思ったが、慌てて首を振る。それではまるで、自分が好きな奴と離れ離れになったと言っているようなものである。実際そうなのだがこの歳、この性格で認めるのは恥ずかしかった。

「駄目だよライアン、彼女の”あの日”は覚えておかないと。男として当然の事だろ」

 トモハルの発言に更に茶を吐き出したミノルは、信じられない、と何か恐ろしいものでも見るかのように親友を見上げる。

「おま、何言ってんの?」
「大事な事だぞ、ミノル。……って、兄貴が言ってた」

 兄弟でどんな会話してんだ、松本家! と、突っ込もうかと思ったがミノルにそこまでの元気がない。ミノルは一人っ子なので兄の存在が羨ましく感じられる時もあったが、そういえばトモハルの兄は近所でも評判の異性に人一倍関心を持つ軟派な男だった。
 苦笑いしつつライアンが頭を掻きながら、小声で呟く。

「うん、まぁ大事だけどもな」
「大事だけど、この状況下でどうしたらいいのかしら? 勇者君たちが二時間くらい席を外してくれるのなら、今後旅の最中でも出来るけど」

 ブフォォ!
 リアルな時間を提示された。マダーニの発言に三人の男は揃いも揃って、再び茶を吐く。真っ赤な三人を尻目にマダーニはあっけらかんとして、右手で空を指し肩を竦める。

「それはおいといて、見て? ほら、月が満ち始めてるでしょ? これって魔力上昇の兆しなの」
「ん? となると、最悪な事態は免れた……ってことか?」
「うん、でも、普段通りにはいかないからね。勇者君達、頑張るのよ」
「任せて!」

 自慢げに胸を叩いたトモハルの傍らで、ミノルは小さく溜息を吐いた。転がっている地面の石を見つめながら、自分は返事が出来ないと思った。はっきり言って、自分では役に立たないのが現状。悔しさなど湧き上がってこない、最初から無理なのだ。今ここにいる以上、何かしら努力は必要なのだろうがどうにも気持ちの切り替えが出来ない。
 夢であれば良いのにと、何度願った事だろう。魔法など、使えるわけがない、素質がない。
 今自分がRPGの世界に入り込んだとしたら、おそらく『この村へようこそ』の村人役だと痛感していた。
 何故、勇者なのか。
 頭が悪く、物覚えの良くない自分にとって魔法は本当に苦痛でしかなかった。トモハルだったら、きっと魔法の習得も楽しいのだろう、すぐに憶えて誇って唱えられるのだろう。見ていて憧れる。
 家が隣の幼馴染の、トモハル。同じサッカー部に所属し、その力だけならば互角だが学校での成績も踏まえればトモハルが明らかに上だった。アサギもトモハルも優等生、傍から見てもこの二人は似合いの仲だ。
 そして、自分と比較した。アサギとミノル、アサギとトモハル。どう思い描いても、笑えて来る組み合わせはミノルだった、自分だった。
 アサギを救えるのは、トモハルだろうとミノルは思っていた。放って置いても一人でどうにか救出しそうだと、ミノルは思った。トモハルには何処から華があり、冗談でなく全てのことをやって退けそうなのだ。アサギが不可思議な力を発揮していたように、恐らくトモハルにもその素質がある。
 ライアンが徐に立ち上がり、沈んでいるミノルの肩を叩くと「頼りにしているよ」と声をかける。お世辞だとミノルは皮肉めいて嗤う。
 出来損ないの、勇者。何故、勇者に選ばれたのか知りたい。

 ……勇者なんて無理だって、せいぜい勇者が来る村で野次馬してる一般市民が妥当だろ。
『それはお前が勇者だったらと願ったからだろ、前向けよ、二度と過ちを繰り返すなよ、トモハラ、じゃなくてトモハルの真似はしなくていいから、自分の道を見失うなよ、頼むよ俺』

「はぃ?」

 何か誰かに喋りかけられた気がして、ミノルは目を白黒させる。聞こえた声は、誰かの声に似ていた。自分の声に聞こえたが気のせいか。
 静かに顔を上げて不意にマダーニを見れば、背筋に寒気が走った。
 神妙に頷いたマダーニはトモハルに視線を送る、同じ様にミノルもそちらを見れば剣を握りしめている姿がそこにあった。慌ててミノルも傍らの剣を手にした、反射的に。

「二人とも、上出来よ。感じたのね……お客さんよライアン」

 嬉しそうに腰に手を当てて満足そうに二人の勇者を見つめたマダーニは、声のトーンを多少落としてライアンを見つめる。

「何だって!?」
「敵の姿が望遠できないけれど、この距離でこの感覚……相当の新手よ」
「ここでは不利だ! 馬車に乗れ、移動する!」

 顔色を変えたライアンは、素早く片付けに入る。マダーニ、トモハルも忙しなく動き出したが、足が震え始めたミノルは早々に馬車に乗り込み剣を抱いた。まだ魔力操作など出来ていないミノルが、悪寒を感じた相手である。異常だった、それがどういうことかくらいは解った。
 どんでもなく強い、ということだ。

「方角は!? 解るかマダーニっ」

 ライアンの怒鳴り声に、走り出した馬車の中でマダーニは不意にミノルとトモハルの頭部に両手を置いた。口を固く結ぶ、神経を集中させる、何かを探る。マダーニだけでなく、二人の勇者もはっとして顔を上げた。

「二人とも、見えたわね? 媒介して魔力を増幅させてみたの」
「でっかい影だ……」
「ふた……つ?」

 にやり、口元に笑みを浮かべるがいつもの美しい唇が青褪めている。額に浮かんだ汗を軽く脱ぐってマダーニは唇を噛締めた、二人の髪をくしゃくしゃと愛しそうにかき混ぜて一言。

「ライアン! 敵は二体! 右斜め後方から来てる、はっきり言って相当な奴だわ」

 言い終えるなりランプを取り出し地図を引っ張り出すと、灯りを翳して地形を探した。せめて戦いやすい場所で対峙したい、トモハルがランプを掲げてマダーニを補佐する。
 灯りを頼りにマダーニは地図を指で追った、カタカタと震えているのは馬車のせいか、恐怖の為か。

「森を抜けて! 荒地が広がっているみたいだからそこで迎え撃ちましょう。でも、極力逃げて!」
「了解!」

 敵との距離が、そう短くはないのが幸いした。迫り来る速度は計り知れないのだが、遠くからでのこの闘争心むき出しの気配は厄介だ。標的を定めているのだろう、確実に追ってきている。逃げられない。
 懸命に戦闘に適した場所を探すライアン、荷物の中から瓶を取り出し中の液体に小剣を浸しているマダーニ。その傍らで二人の小さな勇者は胸の鼓動が早鳴るのを感じながら、汗ばむ手で剣を握る。今までの相手は、おそらく”普通”もしくは”妥当”だったのだろう。
 今回はおそらく、稀に当たってしまう強すぎる敵だと、ミノルは判断した。

「いい、二人とも。私の呪文を頼りにしないで、やるだけやってみるけれど連続での発動は無理。あんた達も自分の魔法を過信しちゃ駄目よ、本来なら”あぁいう敵”には呪文が有効なんだけど……」

 過信も何も、それすら出来ないミノルだが、気になる単語が。

「あぁいう? ……どんな敵か解ったってこと?」

 トモハルの問いにミノルも同意だった、そういう意味合いに取れたのだ。声のトーンが落ちたマダーニ、瞬時に二人は聴かなかったほうがよかったかもしれない、と後悔する。唇を噛締めたマダーニ、二人から見たら強者のマダーニでこれだ。薄々、マダーニの仕草や態度で解ってはいたが。

「多分……トロル」

 間入れず「トロル!?」と同時に声を張り上げた二人は、顔を見合わせ青褪めた。
 トロル。この世界での容姿は定かではないが、一般的に”知能は低いが、巨大で怪力な化物”だ。ミノルはそれに付け加えた。『序盤で出てくる敵ではない、最終試練の前辺りの敵のはずだ』……と。
 可愛らしい姿で描かれる場合もあるが、大体が凶暴で悪意に満ちた化物だ。二体、という数だけならば安心できるが、問題は数ではない。
 唇を噛締めながら、トモハルはすでに剣を引き抜いていた。左利きのトモハルは剣を構えながら右手を開いたり、閉じたり。魔法の確認を急いでいた、震える指先で唇で、言葉を紡ぐ。

「私の小剣を、徐々に体内を蝕む毒剣に変えたわ。それで長期戦に持ち込めば毒が回りこんで勝てると思うの。それまでなんとか引き伸ばしましょう、短期で決着をつけたいけれど……」

 魔法が頼りに出来ない、ということだ。もとより、傷を作らねば毒とて体内を蝕まないのでマダーニの接近戦が鍵となる。隙を作るのは勇者達の役目だろう、感じ取ったトモハルは喉を鳴らす。
 未だに剣を液体に浸しているマダーニ、濃緑の粘着ある液体に寒気が走る勇者二人。

「俺が一体、貰い受ける。三人でなんとか踏ん張ってくれ」

 ライアンが緊張した面持ちで、しかし声は普段通り温厚で滑らかな口調で語った。トモハルはその声で安堵し、大きく深呼吸を繰り返し自己暗示を繰り返していた。落ち着けば、大丈夫だと。魔王とも対峙しているじゃないか、それに比べればどうってことない、と。
 ふと、隣を見たトモハルは口から出そうとした言葉を詰まらせていた。カタカタ、と細かく何かが動く音はミノル。自分の剣を握り締めたまま震えているミノルがいた、微かに涙さえ浮かんでいる様に見える。恐怖に怯え、すっかり縮こまっている姿を見ては、思わずトモハルとて震えが走った。

「いや……だ、た、たたかいたく……な……い」

 小さく、震える唇が紡ぐ言葉。恐怖で支配されても当然だろう、彼ら勇者は生まれた時から平穏な世界で生きてきた。投げ出しても、誰も文句は言わない。生きてきた世界が違いすぎる。
 けれども、ミノルを目の前にしてトモハルは恐怖に飲み込まれそうになりながらも、自身の腕に爪を食い込ませ瞳を硬く閉じた。自分の精神を持ち直した、やらねばならない、投げ出せない。ミノルから視線を外す、額に浮かぶ汗を拭き取る。

「……じゃあ、馬車の中に居ればいい。護れるほど余裕が無いんだ、腑抜けはいらない。俺とマダーニで一体くらい倒してやるからそこで見てろ」

 ぶっきらぼうに、居丈高な声でミノルを見ないまま、はっきりとトモハルは言い放った。空気の振動でミノルが自分を見上げた事が解ったが、視線は合わせない。
 挑発したわけではない、強がりでもない、本心だった。ミノルは、いい加減解らなければいけない。

『アサギを救うためには避けられない道だ』

 ということを。
 最早後戻りなど出来ない事を、突き進むしかない事を、勇気を振り絞るという事を、恐怖に打ち勝つという事を。正直、トモハルとて当然恐怖に押し潰されそうなのだ、だがトモハルにはミノルにないものがある。今のミノルへの言葉は自身への挑発、心の一遍の恐怖に打ち勝つための気合入れだった。
 だがミノルはそんなこと知る由もなく、「戦ってくれ」だの、「頑張ろう」だの励ましの言葉がトモハルから来ない事など百も承知だが、今の言葉は心外である。売り言葉に買い言葉、ミノルとて黙ってはいない。

「言ってくれるじゃねぇか! いいよ、見ててやるよ! 絶対に助けに行かないからな!」
「うん、来なくていい。足手纏いになりそうだから。勝てる勝負もこれじゃ、勝てない」

 鼻で笑うトモハル、二人の間に険悪なムードが漂うがマダーニとトライアンは口出ししなかった。二人の性格は、二人が良く知っているだろう。トモハルは賢い子だ、上手くミノルを引き出してくれそうな気もしてマダーニはじっと会話に耳を傾けていた。
 ミノルとてただの臆病者ではない、ただ、”きっかけ”がないだけだろう。微かな望みは、ミノルの覚醒だ。馬の地を駆ける音に耳を傾け、戦闘への息を整える。落ち着け。静まれ心臓。想い描くは勝利のみ。
 ライアンが、マダーニが、トモハルが唇を噛締めた。
 森が開ける、薄暗い空が星の瞬きを微かに描く。景色が一変した、岩肌がごろつく荒地、緑の色彩が徐々に薄れていく。肩身狭そうに映えている植物達の生命力の強さが感じられる、そんな地。
 瞳を閉じていたマダーニが、ライアンが、一糸乱れずに叫んでいた。

「行くぞ!」

 馬を押し止め、ライアンが馬車から飛び出した。マダーニとトモハルがそれに続き、力強く飛び降りる。一人、本当に取り残されたミノルは、そっと外の様子を窺った。震える身体はどうにもならず、藁に縋る思いで無意識に剣を握る。三人の後姿の向こうに巨体が見える、まるで飲み込む勢いで迫ってきていた。

「かっこつけて、どうすんだ……トモハル。アサギはいない、誰も見てくれねぇ」

 小さく呟いた自分の姿を客観的に見れば、いかに情けないか。しかし、それでもミノルは動けない、プライドよりも大事なものは命。何の準備も無く放り込まれた、この戦場でどう戦えば良いかなど、解らない。
 勇者なんて名ばかりだ、いきなり強力な魔法が使えるわけでも最強の剣を所持しているわけでもなく。十二歳で地球産まれのサッカー好きな子供、そんな肩書きしかない。
 情けないよりも先に、それが正常なのだと言い聞かせる。正当化する、恐怖が身体を支配する、防衛本能が働く。

「ここから魔法放ったら……届くか?」

 それでも、トモハルが心配だった。目の前にあの魔物がいなければ、練習するつもりで援護が出来ないか、とミノルはふと思う。安全圏にいれば、落ち着いて出来そうな気がしてきたのだ。やってみようか、思い直して腰を上げる。馬車から腕を伸ばす、小さく詠唱を始める、瞳を細めて指を動かす。
 その時だった。

「死ぬよ、あの人達。条件次第では敵を一掃してやってもいいけど?」

 心臓が口から飛び出る勢いで、思わず馬車から顔を出し見上げた先、雲間から指す月光に照らされ少年が宙に浮いていた。思わず息を飲んだのは、何故かアサギを思い出したからだ。性別すら違うのだが、瞳が似ている気がした。
 小馬鹿にした態度で、少年は微笑んでいる。十二歳程度、長い黒髪を一つに後ろで束ね、きつめで大きな瞳を妖しく光らせている少年。
 トーマ・ルッカ・シィーザ。
 魔界から人間界へ旅に出てきていた、トーマだった。面白そうな気配に引かれて来てみれば、異常事態に遭遇する。行かねばならない気になっていたのは、この為だと直感した。
 喉の奥でトーマは愉快そうに笑う、間抜け面して自分を見上げているミノルをまるで小動物を苛めたくなるような感覚で笑った。
 まさか、その相手が勇者であり、”アサギ”の片想いの相手であるとは知らず。


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