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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第112回   回帰せよ、願い〜外伝4 月影の晩に〜
トライは、そっと足を踏み出した。想像以上に塔は崩壊している、一歩足を踏み出せば床が軋む。額に汗を浮かべつつ、トライは両腕を広げバランスをとりながらマローを目指した。

「マロー姫、じっとしていろ! 今迎えに行く、動くなよ」

 マローは顔を青褪めさせ立ちすくんでいる、動く事はなさそうだが、冷静になり状況に怯えたのだろう。先程の禍々しい雰囲気は何処にもなかった、迷子の子猫の様に脅えている。
 剣を収め、徐々に静かに、ゆっくりと進むトライを祈る気持ちで見つめるアイラ。
 と、再びトライの目前に天井が落下してきた、悲鳴を上げるアイラ、簡易れずトライは後方に下がり直撃を免れる。
 反動で床が割れ、そこだけが沈んだ。斜めになった床に、喉の奥で悲鳴を上げたマローと、懸命に皆に捕まり堪えるアイラ。心底怯え、泣いているマローを放っておけずにアイラは思わず皆の手を振り切ってトライに駆け寄る。

「アイラ、来るな!」
「まて、アイラ!」
「駄目だよ、アイラ姫!」
「こちらに戻れ、アイラ姫」

 トライが、トレベレスが、リュイが、ベルガーが。
 叫んだその時、駆け寄ろうとしてくれたアイラの姿を涙で濡れた瞳で捉えたマロー。
 乾いた唇で自分も名を叫ぼうとしたが、喉も渇き声が出ない。
 だが、その奥。
 アイラの向こう側に見知った顔を見つける、思わず目を見開いた。ミノリに支えられ、階段を上ってきたトモハラだった。
 マローの立っている床が上がっていた為、丁度トモハラと視線が交差する。二人は、対面した。
 思わず涙を拭い、急に胸の奥が燃えるように熱くなったマロー。急激に涙が溢れてくる。
 来てくれた、”もう一人”。待っていた人物が、目の前にいる。

『……必ず、命に代えても御守致しますから。マロー様だけは護り抜きますから』

 そう言ってくれた騎士が、助けに来た。茶色の髪、見間違えるはずが無い。もう、大丈夫だとマローは思った。姉もいるし、騎士も居る。夢見た通り、二人が助けにこうして来てくれた。
 咽ながら、早くどちらかの温もりを感じたいと願う。もう少しの辛抱だ、必死に震える足を奮い立たせ軋みを上げている床に立っていた。
 トモハラを庇いながら、懸命に上ってきたミノリはアイラの姿を見つけるや否や、大声で叫んでいた。
 王子達に囲まれて、自分が守るべき姫君は美しいまま、儚くもそこにいる。

「アイラ姫!」

 無事で居てくれたことに、心底感謝した。謝罪が出来る事に感謝した、声を聞けることに、顔を見れたことに感謝した。
 崩壊する塔の中、逃げ惑う人の中。地獄の様な塔の中へ入り、それでも二人の騎士はそれぞれの姫を探して、求めて懸命に這い上がってきたのだ。
 感極まって思わず名を叫んだミノリに、隣でトモハラは弾かれたように懸命に瞳を細める。

「ミノリ! トモハラ!」

 四人の王子達に護られながら、眩いばかりの緑の髪をふわりと揺らし、アイラが驚愕の瞳で名を呼ぶ。二人が無事なのは嬉しかったが、今来てはいけない、危険だ。
 だがそんなアイラの気も知らず、嬉しくて喜ばしくて、必死にトモハラを引き摺るようにしてミノリは進む。
 床が垂直ではない、穴とて空いているが、アイラを目指して進んだ。
 早く、謝りたい。数ヶ月前の自分の愚行を、詫びたい。願わくば、再び騎士として仕えたい。
 その想いが、ミノリを突き動かしていた。トモハラの手を掴んでいた力も、強まっていく。
 微かに見える視界の中で、トモハラもようやくアイラを姿を捉えた。眩い緑の髪が、見覚えがある。
 アイラの声が自分の名を呼んだ、聴こえた、その方角に向かってトモハラは名を呼んだのだ。

「アイラ姫、ご無事で何よりです!」

 カシャン……。
 マローの足元に、何かが滑り落ちた。胸元を飾っていた、小さな宝石のネックレスだ。トモハラが購入し、アイラを経由してマローへと渡ったネックレス。鎖が切れて、落下した。
 だが、落ちたことには気付かずにマローは見ていた。目の前で、ミノリとトモハラが懸命にアイラを目指している姿を見ていた。その光景を、マローはぼんやりと眺めていた。
 隔たれた、世界。落下してきた天井は、姉と妹を隔てた。
 自分は、一人きり。傾いている塔の中で、麗しい姫君は二人居た。
 だが。
 姉には、四人の王子に騎士が二人。目の前に立っている、双子の姉は。自分が欲しいものを、全て持っている。綺麗な宝石、秀逸なデザインの洋服、そして美男子達、いや、”人の温もり”を。
 何を思うでもなくマローは、トモハラを見ていた。
 確かに先程、視線が交差した。間違いなく、自分の姿をトモハラは見た筈だった。だが、呼んだ名は。トモハラが口にした名は。

 カタカタカタカタカタカタ……。

 小刻みな振動に、トライが我に返る。二人の騎士がこの階に来れば、当然バランスが崩れる。落下の要因だ、二人の再会したい気持ちは解らないでもないが今は邪魔なだけ。

「塔が崩れる! ミノリ、今は来るな、トモハラを連れて戻れ! オレはマロー姫を救出する」
「マロー姫? 俺もマロー姫様を……」

 そう言い放ちトモハラから視線を逸らしてトライが、マローを振り返った瞬間だった。
 爆音。
 反射的にアイラが防御壁を張り巡らせた為、全員は無傷だ。
 だが、塔の四階は吹き飛び、三階の天井も壁も全て根こそぎ何処かへと吹き飛ばされて筒抜けなっている。
 軽くなった分、塔は安定したかもしれない……が。
 アイラは、動揺を隠せずに見つめた。双子の妹を、見つめた。
 トライが、息を飲んで後方へと下がり剣を抜いた。
 トレベレスがアイラの前に立ちはだかり、同じく剣を構えた。
 リュイが剣を地面と垂直に構えて、小さく言葉を呟き始める。
 ベルガーが槍を両手で構え、矛先をマローへと向ける。
 ミノリは唖然と事の成り行きについていけず、ただ、トモハラを支え。
 トモハラは。

「……マロー姫?」

 擦れた声を出し、瞳を細め視界を鮮明にする。劣化した視力で懸命に状況を見据えた。ようやく瞳に映った光景は、宙に浮かび狂気の笑みでこちら側を見ている、愛するマロー姫の姿だった。
 口元の笑みは、見ている者全てを震撼させた。瞳に光を宿さずに、ただただ、閉じられた空間の中でゆっくりと、マローは空中へと上がっていく。
 虫けらを見るような冷ややかな視線、大きな瞳で皆を見下ろしながら、上へ、上へと浮いていく。
 空は暗雲立ち込め、黒煙をバックに佇んでいるマロー。空中で火花が時折上がり、黒き闇と深紅の光が妙に美しかった。
 それは、一枚の絵画の様だった。夕暮れから夜の帳へと移動する空に、浮かぶ細い三日月は。雲に覆われるも微かに、月光をマローへと降り注ぐ。
 美しい、美しい、もう一人の姫君。

「いけない! マローが戻らなくなるっ。殻に閉じこもって、出てこなくなるっ」

 アイラの叫びに、マローが口元を歪めた。

「みんな、みんな大嫌いだっ! 死んでしまえ、消えてしまえっ!」

 大声に皆が唇を噛締めた、見上げたマローから放射線状に吹き荒れるように放たれる雷。何本も、何本も容赦なく降り注がれた。
 咄嗟にミノリとトモハラを引き寄せたリュイ、皆で固まりアイラを援護すべく詠唱を始める。
 混乱気味のミノリの隣、トモハラが軽く眩暈を起こしつつもトライへと問う。冷静でなどいられるわけもない、間違いなく浮かんでいたのはマローだった。
 人間が宙に浮くことが出来るとは、知らなかった。それも、呪いの姫君ゆえの”力”なのか。
 トモハラは、歯軋りして頭を大きく振る。
 違う、と思った。あの子は、呪いの姫君などではない、と。
 トモハラの瞳に映ったマローの姿は、何故あぁも酷く儚げで寂しそうだったのか。

「何事ですか!? マロー姫様は!?」
「落ち着け、トモハラ! あぁなると、手がつけれらない」

 腕を伸ばして必死に張った結界から飛び出ようとするトモハラを、リュイとトライが懸命に押し留める。
 マロー姫のこととなると、感情が先走るトモハラだ、それくらい二人には解っていた。暴走したマローを止められるとするならば、それはアイラか……トモハラか。
 トライは、右手で剣を構えながら左手でトモハラを押さえつけつつ、マローを見上げる。背筋に、悪寒が走った。非常に良くない事が起こりそうだった、思わず、笑みが零れてしまう。皮肉めいて笑うしかなかった。

 ……考えたくはないが、”以前”もこのような目に遭った気がする。そしてこれはもう、終焉を意味するものだ。

 それは絶望、世界が、いや惑星が崩壊する前の前兆に似ていた。大気は大きく揺れて、空気が刃となり突き刺さる。大地が小刻みに揺れ、地上の者達は異常な事態に逃げ惑う。
 迸る魔力は、マローの感情。想いが強ければ強いほど、比例して魔力も強力に。湧き上がる魔力は、止まらない感情の暴走。雷は激しさを増す、邪悪な炎を帯びながら。周囲の空気は氷点下に達するほど、急激に冷え込み。我武者羅に、ただ、感情の趣くままに。
 自分が何をしているかなど、マローには解っていない。ただ、この場を消し去りたかっただけだった。
 平素愛情持って皆に好かれて育てられたマローにとって、心痛な状況に耐えるだけの心の強さはまだ持ち合わせてない。辛うじて残っていた希望が、今目の前で砕かれたのだ。もう、何も支えがなかった。

『……好きでした、ずっと』
『あなたの笑顔が、好きです。……どうか、ご無事で』

 聴こえてきた過去の言葉に、頭を掻き毟る。心底憎々しげに、トモハラを見つめるマロー。護ると言ったではないか、自分の騎士だった筈なのだから。好きだと、言ってくれたではないか、あの時に。
 だが、結局は。

「アンタも、結局。……ねえさまが好きなの? 男なんて、口だけの馬鹿ばっか! ……大っきらい!! みんな、みんな、だいっ嫌いだっ」

 マローの瞳には、トモハラがアイラに寄り添っているようにしか見えなかった。酷く似合いの二人に見えた。
 二人とも、生きていた。自分が攫われてから何があったのだろうか、仲睦まじくいたのだろうか。
 二人とも生きていたのに、どうしてトモハラは遅れて来たのだろう。 
 もう、泣かない。涙など、出てこない。泣いたら、惨めだから泣かない。
今は無性に、目に映る全てのモノを破壊したい、それだけ。そうすれば、気が楽になる気がした。
 自分になら、出来るはずだ。破壊の子を産む姫君なのだから。護るべきものは、自分。自分以外、どうでもいい。
 いつだって、夢の中に居たい。幸せな夢の中に居たい。暖かなベッドの中で、望んだ夢を見ていられればそれで、良い。
 相殺出来る唯一無二の双子の姉は、あぁして男を六人、守らねばならないから。
 有利なのは、確実に自分だった。そう、姉と違い自分は。

「ひとりぼっち」

 湧き出る感情は、嫉妬なのか憎悪なのか沈痛なのか孤独なのか。身が引き裂かれるほど、焼き焦げるほど、痛い感情は。
 何だというのだろう。
 逃れる術など、知らない。だから、目の前の光景を、この状況を消し去ることしか出来ない。
 募る苛立ちに唇を噛締め、拳を爪を立てて握り締めると呆然と自分を見上げているトモハラに向かって衝撃波を繰り出す。
 要らない。不要な騎士だ。あんな役立たず、要らない。非常に目障りだ、邪魔な存在だ。心を、掻き乱された。激しく、不愉快な気分になった。
 人目を惹く美形でもなければ、何処かの王子でもない、ただの貧相な市民の分際で。

『君に、相応しい男になるから。待ってて!』

 幼い頃、庭で告げてくれたトモハラが追想される。想い出した自分に、腸が煮えくり返るほど身震いして腕に爪を立てる。
 何が相応しい男か、何処が相応しい男なのか。こんなに、こんなにも。
 何故か、睨みつけているトモハラの顔が、ぼやけた。それが、自身の涙ゆえとは、マローは気付かなかった。

「痛い……痛いっ!」

 胸が、痛い。張り裂けそうに、痛い。
 ギリリ、と唇を強く噛締めれば血の味が、じんわりと口内に広がる。
 いつか観た、滑稽な夢が何故か思い出された。ホットミルクをトモハラが作ってくれて、飲んでいる自分の隣で観ていてくれる、という夢だ。毎晩毎晩、ホットミルクを眠る前に届けてくれて。飲んでいる自分を優しく見つめてくれている、トモハラ。
 急に腹部が痛み始める、吐き気がする。頭痛に襲われた、嘲笑うように耳元で耳障りで不愉快な音が聞こえた。

「痛いのは……嫌なの!」

 絶叫し、根本を叩き潰すべく、いや、消滅する為に。
 マロー姫は泣き叫んだ、痛くて痛くて、苦しくて苦しくて、呼吸もままならず泣き喚く。怪我などしていない、痛いのは、胸。
 トモハラが、アイラの名を呼んだ。マローではなく、アイラ、と最初に呼んだ。
 目が合ったはずなのに、自分を観た筈なのに、呼んだ名は『アイラ』。

「あたしの名前、マローっていうの」

 ……アイラっていうのは、双子の姉様の名前なの。

 唇を、軽く動かす。声には出てこない、口内は、乾き切っていた。
 それだけだった、それだけで何かがマローの中で音を立てて崩れ去ったのだ。自分の名ではなく、双子の姉を呼んだ、本当にそれだけ。それだけのことを、トモハラがしただけだった。
 懐いていたトレベレスも、強請れば欲しいものを誂えてくれたベルガーも。別に、どうでも良い。トモハラが。
 一般市民でありながら、自分の為に、自分を追いかけ騎士になり護ると告げ、好きだといい口付けしてくれたトモハラまでもが。 ”アイラ”、と呼んだ。
 瞬間、胸が破裂して砕けて、なくなった。ぽっかりと大きな穴が空いて、風がヒューヒュー通り過ぎた。風が通れば、染みて徐々に抉られ削られ行くようで、痛い。視線が交差したのに、自分を観ていた筈なのに。名を、呼んでくれなかった。
 それだけのことだった。

「……みんな……ねえさまが……いいんだよね……」

 途切れ途切れに、呟く。
 マローは、知らない。トモハラの視力が、格段に落ちていたことを。
 トモハラの瞳に、マローは確かに映っていた、だが認識出来ていなかった。ぼんやりと、おぼろげにしか世界を捉えられなかったトモハラ。
 まして、マローは声を発していなかった。アイラの声と皆が『アイラ』と呼ぶ声が聴こえ、近くに居たアイラだけをトモハラの瞳は捉えたのだ。
 そう、辛うじて”見えた”のがアイラだった。
 だから、名を呼んだ。
 もし、トモハラの瞳が正常ならば。トレベレスに目を斬られてさえいなければ、当然。マローを探して瞳に映して、真っ先にマローの名を呼び、臆することなく不安で立ちすくんでいるマローへ駆け寄っただろう。
 そして見事に抱き抱えて、戻ってきただろう。
 それが、トモハラの願いだった。”マロー姫を、救出する”。大好きな笑顔を護る為に自分が出来る事を、する。
 だが。トモハラの今の視力では、無理だった。
 マローは、そのようなことを知らない。
 そして当然知る筈もないことがもう一つ、どれだけトモハラが自分を探していたか、ということだ。どれほど、求めていたかを、案じていたかを。
 自分の未熟さゆえに攫われた為、己を責め立てることしか出来なかったトモハラを。呪いの姫君と解っても、感情を微塵も損なわずにマローを愛していると言い放ったトモハラを。
 ただただ、騎士は愛する姫の為だけに。ずっと、幼い頃から姫の為だけに。
 マローは、そんなこと知らない。考えようともしなかった。
 降り注がれるのは、マローの心の叫び。
 アイラには痛々しくそれが突き刺さる、双子の姉ゆえに、よく解った。

「……私は、みんなにこうして助けてもらっているのに……」

 項垂れて、呟く。アイラが言わんとしていた事は、トライとて解った。
 このままではこの状況下を作ったのが、自分であると責め続けるであろうアイラが手に取るように理解出来たので、トライは制すべく手を伸ばす。
 だが、アイラは首を哀しそうに横に振り口を開いた。

「マローは、極端な寂しがり屋なんです。強がっているのは、威圧感を与えて離れていかないようにする為。それでも離れたら、所詮その程度だと。……最初から寄り添って離れられるよりも、受ける痛みが少なくて済むから。大勢の人が居てくれればそれで良い、いつも明るい場所に居たい。でも、本当は離れていかないで欲しい。……酷く怖がりなんです、一人が、嫌な子なんです。大丈夫、なのに。あの子は、私よりも格段に綺麗で、賢く、愛らしい子なのに」

 決意して「助けなければ、あそこから出さなければ」と、そう小さく呟いたアイラ。懸命にリュイと手を繋ぎ防御壁に専念していたが、それだけではマローは救えない。
 軽く唇を噛締め、止める皆を振り払い先頭に躍り出たアイラを不思議そうにマローは見下ろす。城内に居た時のように、無邪気に小首を傾げて大きな瞳を何度も瞬きし、足を組んだまま小馬鹿にした様子で見下ろすと。
 マローは爽やかに笑う、その笑みにトライが引き攣った。

「どうするの、ねえさま? あたしの攻撃を防ぎながら、あたしのトコまで来られる? 無理よね。でも、誰かを犠牲にすれば、ここまで来られるよ? あたしを護ると言うなれば、その下衆な男達を見殺しにしてよ」

 きゃははは! 愉快そうに笑い転げた。髪先を指でつまみ、くるくると回しつつ暇を持て余すように軽く言い捨てる。冷えた瞳で、アイラを睨む。
 姉とて、男達と同類だろう。アイラは、どうやらトレベレスを好いているようだった、それくらいマローにも解った。双子の姉なのだ、思い返せば最初からトレベレスを好いていたような気もする。
 だが、姉の事だから自分が先に気になると言い出したので、引いたに違いないと思った。アイラは誰を、選ぶのだろう。より取り見取りだ。
 常に寄り添っていた、トライ王子か。
 最初に求婚してきた、リュイ皇子か。
 何故かアイラに微笑み出した、ベルガー皇子か。
 騎士とて付き添っていた、ミノリか。
 子の父親である、トレベレス王子か。
 いや……マローの騎士であった筈の、トモハラか。
 一人ずつ視線を移していったマローは、トモハラで躊躇し、唇を噛締める。アイラの後方に居たトモハラは、何故か二人が寄り添っているように見え、酷く胸が苦しかった。
 慌てて視線を逸らし、一瞬、物悲しそうに瞳を伏せる。

「マロー姫が、泣いてる……」

 ぼそり、とトモハラが呟いた。
 その声を聴きながらアイラは、そっと腕を下ろし瞳を閉じる。自分の魔力でマローを止めることは、可能だと解った。
 だが、マローの言う通りそれでは皆を護りきれない。護りながら、マローを止めて皆無傷で助け出す。
 正直、自信はない。というか、不可能に近いとアイラは判断した。誰かを犠牲にするべきなのか、そうしてマローを救出するべきなのか。
 項垂れて、足元に視線を落としたアイラ。
 降参したようなアイラの姿を上から見下ろしていたマローは、面白くなさそうに唾を吐き捨て魔力を解き放った。
 落胆した。尊敬していた双子の姉が、いとも簡単に自分に屈する苛立ち。何より、自分を選択せずに諦めている姿に絶望した。

「消え失せろッ!」

 マローの絶叫と共に繰り出された魔力の塊、美しすぎるほど眩い雷を身に纏ってそこに立つ。
 同時に、アイラの瞳が開いた。降り落ちる雷の中、それでも佇む一本の大木の様に。地上に根を張り巡らす、堂々たる大樹。生命の源、全ての万物の恩恵。
 緑の髪がふわりと揺れる、アイラはマローを見上げ臆することなく微笑した。
 ゾワリ。
 ただ、その動作に鳥肌が沸き立つマローは、息を飲んだ。

「知ってましたか、マロー。私は貴女が思っているよりも我儘で、強欲なのです。だから、マローも助けるし、トレベレス様もトライ様も。リュイ様もベルガー様もミノリも……トモハラも。みんなみんな、助けないと気が済まないです。選択など、出来ません。おいで、マロー。貴女の居場所はここですから」

 右手を差し伸べる。
 慈愛に溢れたその神々しいその姿に、思わずマローは身体を硬直させた。放った魔力は、そのアイラの前に消滅する。完全相殺だった。
 凛と背筋を伸ばし、響き渡る心地良い鈴の音のような声で優しく語りかけたアイラを唖然と皆が見る。大地の、豊穣の娘。森を護りし精霊のような、いや、極めて神に近いような。
 全員そう思った。

 キィィィ、カトン……。

 見惚れていたが、奇怪な音が聞こえて皆我に返る。その奇怪な音がかき消され、轟音が周囲を支配した。
 マローの魔力は相殺出来ても、崩れゆく塔は止められない。足元が、一斉に崩れ落ちていく。
 困惑していたマローは、姉へと戻るべきなのか迷いが生じたのだが。

「きゃああああああああ!」

 暴走していた心が、一瞬だけ穏やかになった瞬間だった。魔力の喪失を感じた時には既に遅く、大きく身体が揺れて地上へと落下する。
 感情によって膨大に膨れ上がっていた負の魔力が、戸惑いで消失してしまった。宙に浮かびたくて浮かんでいたわけではない、目に映る気に入らないものを破壊できればそれでよかっただけだった。
 破壊衝動が薄れてしまえば、魔力の扱いなどマローは知らない。自身の身体を保てなかった、シャボン玉のように呆気なく掻き消えてしまう。

「マロー! 上へ! 飛んで!」

 マローを救うべく腕を伸ばしたアイラだが、不可能だ。崩れゆく足元で、アイラとて落下していく。
 マローの様に宙に浮きさえすれば、とも思ったが焦燥感で、いや、今までの疲労と魔力の消耗が激しく、宙に浮かぶ感覚が解らない。
 トライが剣を壁に突き刺し、落下するアイラの腕を辛うじて支えた。ベルガーもトレベレスもリュイも、落下を避けようと必死に抵抗している。底が抜けた床に抗い、地面に叩きつけられないように脆くも無事な壁へと必死に各々武器を突き立てていた。
 今は命が大事だ、手を取り合いながら生き延びる為に助け合いをした。
 ベルガーがトレベレスに腕を差し伸べ、リュイが歯を食い縛り、渾身の力で剣を壁に突きたて足場を作る。

「マローひめぇぇぇぇぇぇ!」

 トモハラの絶叫が、周囲に響き渡った。

「俺が君を助けるよ、決めたんだ、誓ったんだ!」

 トモハラは止めたミノリの手を振りほどく、落下するマローに届きはしないがそれでも居ても立ってもいられなかった。
 無茶だ、と皆思った。
 ただの、騎士では無理だ。気持ちは解るが、どうにもできない。マローを救うことなど出来ない。
 トライに腕を掴まれながら、力なくアイラはトモハラを見つめる。落下したマローを追って、飛び降りたトモハラを瞳が捕らえた。命を顧みず、大事な双子の妹を救おうとしているトモハラが頼もしく眩しく感じられる。
 満足そうに微笑すると、アイラは最後の力を振り絞り、自分の魔力をトモハラへと託すことに決めた。

「マローを、お願い……」

 マローが魔力を解放した時点で、アイラとて解放しなければ抵抗は無理だった。マローが力を喪失すれば、アイラとて同じこと。双子姫はいつでも、同じだ。
 流石に、これ以上は無理だった。望みを誰かに託すしかなかった、身体が悲鳴を上げていた。
 重い瞼に抵抗出来ず、瞳をゆっくりと閉じ始めたアイラは、瞬間トレベレスを探す。ベルガーに支えられ、リュイに助けられながらトレベレスもアイラを探していた。
 二人の瞳が交差し、互いの名を呼ぶように唇を広げる。

「しっかりしろ、アイラ! まだ行けるっ」

 トライの声、トレベレスの悲鳴。トライの腕の中でアイラの手がガクリ、と力なく倒れた。瞳を閉じ、それでも何故か幸せそうに微笑んでいるアイラに皆、絶叫する。
 夢を見た。

 忌み嫌われる双子姫だが、城では同じように育てられ、二人はいつも一緒だった。絶対王政だったが、民の意見を汲み取り国家を繁栄へと導くように二人の姫は育てられ、やがて運命の出会いを果たす。
 妹のマローは、騎士になった一般市民のトモハラに恋をした。
 姉のアイラは、訪問してきた隣国の王子トレベレスに恋をした。
 恋を叶える為、マローは身分を捨て、ひっそりとトモハラと国を出る。トレベレスの従兄弟であるトライが治める国に身を置くことになった二人は、真面目なトモハラの働きで何不自由なく生活することが出来た。
 一方、アイラはトレベレスに嫁ぎ、二人の国は統合されることになる。
 争いもなく、二人が治めた国の民は皆幸せそうだった。

 ……そんな、夢を見た。

 土の国の繁栄の姫は、皆を護り息絶えるしかなかった。破滅と繁栄を司る姫は、互いにその力を相殺した。
 命の火が消えてしまったアイラに気をとられ、トモハラを皆見ていなかった。
 一人、落下するマローだけを見つめていたトモハラ。
 小さく仄かな球体がトモハラにそっと寄り添えば、耳元で弾ける様な音と共に、瞳に光が完全に甦る。同時に、トモハラには見えたのだ。泣いて怯えて震えながら、落下しているマローが。

「泣かないで! 怖くないから、必ず傍に居るから! そんなに寂しそうにしないでっ」

 トモハラは、腕を伸ばす。宙でもがきながら、マローへと近づく。
 艶やかな黒き髪と瞳の、愛しいたった一人の姫君を助ける為だけに。
 そっとか細い手を握り締めて、自分のほうへと引き寄せた。胸に抱え込み、目前に迫った地上に叫ぶ。

「止まれ! 止まれっ!」

 身体を反射的に反対にし、せめてマローを救うべく自分が下になる。
 何処かで、地響きと爆音がした。
 地上で懸命に駆け回っていたデズデモーナとクレシダ、そしてオフィーリアの三頭は嘶いた。
 地面が、裂けている。あちらこちらの山が、噴火している。マローの放ち続けた魔力が、惑星に多大な影響をもたらし、眠っていた火山を誘発したのだろうか。
 この地は、火の国と光の国の中間。地面から吹き出してきた、地中底からのマグマは周囲を一面の焼け野原へと変えていった。大災害だ、マグマの河は全てを飲み込み奪っていく。
 トモハラとマローは、地面に叩きつけられなかった。
 地面が裂けた為に、そのまま落下していく。重力には逆らえない、肉が引きちぎれそうだ、骨すら砕けそうだ。
 それでもトモハラはマローを手放さなかった。
 苦し紛れに名を呼んだ、だが、マローは目を醒まさない。何度も何度も名前を呼んだ、目を醒まして、と叫び続けた。
 身体はまだ暖かい、死んでなど、いない筈だと思った。
 花の様に明るく笑う姫だった。あまりの愛くるしさに、一目で心を奪われた。可憐過ぎて弱々しい姫君を、心底護りたいと思った。美しさゆえに、手折られそうな姫君を護りたかった。
 強くなりたい、強くなりたい。姫に釣り合う立場に、姫を超える立場になりたい。彼女が傷つかないように、絶対的に護る為に力が欲しい。泣かせたくない、苦しめたくない。
 愛する人のそんな姿を、誰だって見たくはない。
 トモハラは、力強く抱き締める。

「今度こそ……護らせて。だからっ」

 騎士は、祈った。
 愛する娘を抱き締めて祈った。
 願わくば、彼女の守護を。
 彼女に会いたい、来世で会いたい。
 きっと見つけてみせるから、今度こそ守り抜いてみせるから。
 トモハラは、そっとマローに口づける。もはや冷たくなっていた唇に、泣きながら口付けた。
 怖くはない、死ぬことなど。
 所詮マローが居なければ生きていても、無意味。寧ろ、二人で同じ場所で死ねるのならば本望。次こそ。次こそは、願いを叶える。
 これ以上この子が泣かないように、辛い目に合わないように。大切に大切に護るから、守り抜くから。

「俺に! 俺にっ、力をーっ!」

 トモハラの絶叫は、”届いた”のか。願わくば。

 世界の、いや、この惑星の崩壊は止めることが出来ず。
 アイラは、トライに支えられたまま息絶えた。力が、足りなかった。
 誰かを選択して護るべきだったのか、いや、この惑星を護るべきだったのか。
 違う。
 皆を護らなければ意味がないのだ、”誰か”など、”何を”など選択出来ない、してはいけない。
 アイラは、深く沈みゆく感覚にそっと瞳を開く。

「次、は……。誤解を……生まない様に……みんな……喧嘩しないように……。静かに、静かに……暮らして……。みんな……争わないで……。姉妹で、従兄弟で、言い争いは……駄目……だか……ら……」

 ゆっくりと、瞳を閉じれば、どこかへと身体が引っ張られていく。
 腹の子は、どうなったのか。初めて授かった、愛した男との子。
 満足そうにアイラは微笑んだが、しかし。これでは駄目だ。これでは、いけない。

「私が……護らないと……みんなを……護らないと……」

 皆が幸せでなければ、意味がない。
 笑う双子の愛くるしい妹を、護らなければ。
 その妹を愛し続ける騎士を、護らなければ。
 その騎士の親友を嫌われてでも、護らなければ。
 自分を友達だ、と言ってくれた皇子を護らなければ。
 自分に寄り添ってくれていた王子を、護らなければ。
 自分に何故か優しくしてくれた皇子を、護らなければ。
 そして、愛した男を護らなければ。
 皆を護る、笑顔で居て欲しいから護り抜く。それが、自分の願いであり、幸せだ。その先に、自分の思い描いた世界が待っている筈だ。
 アイラは、切なそうに眉を顰める。
 刹那。

――あなたのせいですよ。あなたがいなければ、妹姫は攫われることもなく。
――あなたがいなければ、皆狂うこともなく。
――いい加減、諦めて戻って……。

 声を、聴いた。

――あなたは、正真正銘”破壊の姫君”なのですから。

 そんな声が、聴こえた。
 アイラは、微かに瞳を見開いた。
 だが。

「あの人に、会いたい……。もう一度、名前を呼んで、一緒に」

 トレベレス。トレベレスに、会いたい。妹を攫い、国を滅亡に追いやった男。
 それでも。
 忘れたくはない、あの声を。強引な腕を、瞳を。名を呼んで、抱き締めて欲しい。幸せな世界で、もう一度。愛しい紫銀の髪。愛していると、告げてくれた男。その男の、子を産んで。
 ……寄りそって居たかった。

 各々の願いを乗せて、運命の歯車は廻り続ける。願いを叶えられるのは、誰なのか。
 誰なのか、知っている”筈だった”。

 双子の姫君を巡り、宇宙の片隅でその日消滅した惑星。強過ぎた各々の渇望が、再び運命の輪に拍車をかける。
 願いを、叶える為に。
 何処かの惑星で、月影の晩に空を見上げる。

『昔昔、あるところに豊かな土の国がありました。
 そこには美しい双子の姫君がおりましたが、繁栄と破滅の姫だといわれがありました。
 繁栄の姫を嫁にすべく、隣国から王子達が名乗りを上げました。
 美しさに惹かれて騎士達も、姫に寄り添おうと必死でした。
 想いは、通じていたのに。
 想いは、同じだった筈なのに。
 まるで薔薇の棘が絡まり、姫と王子と騎士を遠ざけて。
 ……皆、死に絶えました。
 誰がいけなかったのでしょう』

 何がいけない、誰がいけない。それは必然、決められた運命の物語はまだ、続く。


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