光の加護を受けるファンアイク国、王宮内。次期国王の座を預かり君臨している王子ベルガー。 退屈そうに書物を読み耽っていた、傍らには数ヶ月前に大地の国ラファーガより強奪してきた紅茶がある。香りを愉しみながら、古書に鋭く怜悧な視線を走らせたまま喉を潤す。
「失礼致します、ベルガー様」
ドアの向こうからの声に、古書から視線は外さず「入れ」と一言。一礼し、入ってきたのは三名だった。全員ベルガーの腹心達だった、再び紅茶を啜るベルガー。 予感していたので、思う通りの言葉を投げかける。
「動きがあったか」 「はっ! 左様に御座います」
部下が口を開く前に、無感情の声でベルガーは促す。一人が前に進み出て、跪いて報告を始めた。
「水の国ブリューゲル、風の国ラスカサス。共に両国の王子達が動きました」 「だろうな。ラスカサスには使者が戻らない、リュイ皇子は自分がすぐにでも旅立ちたかったろうが……国王及び兄達を説得するのに時間がかかったのだろう。トライ王子は我らに……いや、ネーデルラントに攻め入る為の正統な口実を探していたのだろう。時期を誤るような男ではあるまい」
冷静に告げるベルガーに、部下たちは平伏したままだ。更に新たな報告を続けた。
「そのネーデルラントのトレベレス王子ですが、近頃マロー姫のあの塔へ通う事を止めたそうです。その二週間程前から突如として頻繁に通い始めていた様ですが、今現在は、全く。ただ、トレベレス王子の屋敷に、緑の髪の少女が現れたと。城に戻らず、屋敷に滞在したままだとの報告です」
ようやくベルガーが古書から顔を上げ、部下達を見据える。 その眼光の冷ややかさに、思わず部下とて息を殺した。ゆっくりと、口の端に笑みだけ浮かべ、瞳は笑わないその姿に背筋が凍りつく。
「ほぅ? 緑の髪。アイラ姫か?」 「現在、調査中です。暫しお待ちを」 「九割の確率でアイラ姫だろう。あの姫ならば、生き延びて妹探しに奮闘していたであろうから、な。トレベレス殿も呪いの姫君に惑わされた、ということだ。なかなか強かな娘ではある、愉快」
「トレベレス王子がアイラ姫と関係し、子さえ出来れば我国は一気に熨し上がれます」
ベルガーは立ち上がると古書を手にしたまま、部下達に歩み寄る。
「問題はマロー姫だ。あれに妊娠の兆候は?」 「まだ連絡が届いておりません。ベルガー様、トレベレス王子が緑の髪の娘に入れ込んでいる間に、マロー姫をこちらに呼び寄せては如何でしょう」
控え目に告げた部下の一言を、言葉被せるように否定する。
「焦るな、必要はない」 「ですが」 「私は双子の謂れを、信じていないからな。あのような娘、抱く事にも飽きた。トレベレス殿がマロー姫に通わなくなると、事の真意が見出せないが、アイラ姫が代わりに居るのならばどちらでも構わない」
ベルガーは古書を開き、部下に見せた。鼻で笑い、大凡の内容を語る。
「ラファーガ国に纏わる歴史だ。大地の加護を受けるラファーガ国は、代々隣接する森にて御告げを聞くことが出来るらしい。膨大な魔力を秘めた魔女が、女王として絶対的に君臨する国家」 「それくらいならば……存じておりますが」
小さく笑ったベルガーは、古書のページを捲る。
「何度も言うが。あのような噂が広まればこうなることは必然、普通はそれを止めるだろう。偉大な魔女がこれを想定しなかったとは思えない」 「未だ、疑っておられるのですな」 「あぁ。最初から真っ赤な嘘なのか。それとも繁栄と破滅が逆なのか。トレベレス殿で試そうと思っていたが」 「しかし、もしマロー姫が本当に繁栄の子を産む姫であると、我国が不利ではないでしょうか?」 「赤子のうちなら殺すことも容易かろう、赤子の時点で繁栄か破滅か、見極めが出来るのかは知らんが、な」
沈黙。目の前の時期王は、最初から赤子を殺すつもりだったのだろうか。欲望に忠実で逆鱗に触れてはならない男だとは思っていたが、残酷無慈悲な男には頭が上がらなかった。
「トレベレス殿が囲っている女は、アイラ姫か否か。はっきりさせたい」 「はい、暫しお待ちを」
ベルガーは人を払い、再び紅茶を飲みつつ古書に目を落とす。 ラファーガ国の女王の夫について、ほぼ白紙な古書。普通なれば有力な国や貴族らが夫となる筈なのだが、全く詳細が不明である。 ベルガーは軽い溜息を吐き、カップの紅茶を飲み干した。多少の苦味が口内を支配した、唇をゆっくりと嘗めとる。
「つまり。夫は特に選ばないと。もしくは、本当に何者か解らぬ異形のものかもしれない」
独り言だった。 窓から、自国の様子を見下ろす。手厚く歓迎を受けたラファーガ国での出来事を、思い出した。マロー姫が繁栄であるならば、極力接触させるのを拒んだのではなかろうか。 そして、簡単に手に入った城内の見取り図。隠し扉に通路まで描かれたそれは、確かに隠されていたものの、容易であった。罠ではないかと思ったが、確かに地図は正確だった。ゆえに、懸命に逃げていたアイラ達を追えたのだが。
「非常に不愉快だ」
まるで、今現在も何者かの手の内で泳がされているような気がする。簡単に物事が進みすぎたのである、不快感を覚えるほどに。 侵攻してくる二カ国を、ネーデルラント国を楯にし、最終的に自国が三ヶ国とも打ち滅ぼす。ラファーガ国は、その計画のただの先駆けだった。 最終的に、残るのは自国たった一つでよかった。
「そう、破滅も繁栄も要らぬ。要は、それを利用したまで」
マロー姫も、アイラ姫も。繁栄の子も、破滅の子も。必要ない。真に必要なのは策略と運、それだけだ。 自国以外が滅びれば、必然的に頂点に立てるのだから。 双子の姫君は、ベルガーにとってただの火種だった。生かしておいても目障りだ、特にあのアイラという姫は復讐に燃えるだろう。
「アイラ姫、か」
会話した記憶は、ほぼ、ない。遠目に見た記憶しかないが、ただの小娘だ。 自国にはあの程度の美しい女が吐いて捨てるほど滞在している、女として傍に置く気はさらさらない。歳とて、幼いので興味の対象外だった。 それでも。 どういうわけか、窓から見える遠くの山の鮮やかな緑がアイラ姫の髪に見えた。瞳を細め、豊かな新緑を見つめれば。無邪気に微笑んで花の中にいる、アイラが見えた。 槍で突いた時の、あの苦悶に満ちた表情を思い出した。処女を奪えば、あのような表情になるのだろうか。壁に強打され、眉を潜め息苦しげに倒れこんでいる姿が、脳裏に焼きついて離れないのは確かだった。 ただ、それを否定していた。認めたくはなかった、まさか自分までも翻弄されているとは、受け入れたくなかった。 だがあれは、確かに。
「そそられた、な」
ベルガーは一人呟くと、古書を伏せて部屋を後にした。 陽は落ち、宵闇の来訪。月影の晩。
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