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作品名:DESTINY 作者:把 多摩子

第104回   アイラ姫とトレベレス王子〜外伝4 月影の晩に〜
 静かな森の中、馬の息遣いと少女の声。

「デズデモーナ、ごめんね。本当ならばあなたも置いて、一人で行かなければ行けないのでしょうが、やっぱり……。一人は、怖いのです」

 満天の空の下、漆黒の馬を走らせるアイラ姫。脳裏に描くは近隣の地図、マローが連れて行かれた先は両国のどちらかに違いないと判断した。
 眠る時は、デズデモーナに包まって眠った。山を走り、温泉を見つけてはデズデモーナと共に入り身体の休息をとる。食べられる草木は頭に入っていた、最低限で飢えを凌いで進む。体力が持つように逸る気持ちを抑えて温存しながら、向かう。
 非常に利巧なアイラは、確実にマローを救出する為に、常に冷静だった。
 やがて山中に寂れた村を見つけ、アイラはそこで話を聴いた。
 アイラの姿を見て、何処かで強姦されたと勘違いした村人は、流行のものではないが、と衣服を与え、暖かなスープを飲ませる。
 最近山を降りた村人が、高貴な人物が居るという謎の建物の話をしてくれた。アイラは一晩そこに好意で泊めて頂いたが、翌朝太陽が昇り始めた頃ひっそりと旅立った。
 アイラに宝石の価値はわからないが、身につけていた指輪を一つせめてもの礼に置いていく。僅かばかりの、感謝の気持ちだった。
 それは村人達には高額すぎるもので、朝それに気づいた村人は街で金と交換し、その金で少し裕福な暮らしが出来たという。

「デズデモーナ。私、みんなが言う通り災いを与えると思う?」

 新しくなった衣服に身を包み、アイラはぼそ、っと語る。
 デズデモーナは必死に返答した、が、馬と人間言葉は交せなかった。違う、違うと懸命に伝えるデズデモーナ、アイラは軽く笑うと、そっとデズデモーナを撫でる。

「励ましてくれているのですね、ありがとう」

 黒馬は、ミノリの黒髪を思い出させた。
 助けたのは大事な人だからだ、一番親しんで話してくれた人だった。友達の様にも、感じていた。
 だが、確かに言われた通り。

「私は何も出来なかったし、マロー救出にミノリやトモハラを使う気だったのかもしれない」

 結局城内から生きて逃がすことが出来たのは、ミノリとトモハラの二人きり。
 マローとて護ることが出来ず、しかし自分は無傷である。
 申し訳ない、と思ったが今はマローを救出しなければいけないのだと、言い聞かせた。挫けそうになどならなかった、愛する妹を思えば。

「なんとか、しなくては。私が、マローを助けなくては!」

 アイラは、懸命に噂の建物を探した。北北西に向かって、ひっそりとした森の中にあるという、建物。実は、そこからさらに北に向かえばマローが幽閉されている塔があった。が、アイラは知らない。
 教えられた建物の所有主は。
 
 アイラが建物に到着したのは、トライ達がラファーガを旅立ったほぼ直後。
 高い塀に囲まれた屋敷で、アイラは正々堂々と正面から入り込む。当然門は閉じられていたので、必死で人を呼んだ。
 だが、薄汚れた女には誰も目も止めない。風呂に入ったのは一週間ほど前だった。人の気配はアイラも感じていたのだが、扉が開かれる事はなかった。
 仕方なくアイラは夜を待ち、暗闇に紛れて木々を上り、壁へと飛び降りる。
 静まり返る屋敷、明かりが所々。息を押し殺しアイラは手がかりを探す。
 馬車を見つけた、紋章を見れば間違いなくトレベレスの紋だった。確信したアイラは、闇夜に紛れて人を探す。体中の血液が、ざわつき始めた気がした、焦る気持ちを落ち着かせて、自分の目的を再度思い直す。
 マローの救出、それだけが目的だ。アイラは言い聞かせた。

「トレベレス様、お酒は?」
「もう良い、下がれ。明日はマロー姫のもとへ行く」
「畏まりました。そういえば本日、門を小汚い物乞いがうろついておりました。一応ご報告をしておきます、今はもう、いないようです」
「こんな山中に? 妙な物乞いだな」
「捕らえるべきでしたか? 女でしたが」

 興味なさそうに首を振ったトレベレスは、その後部屋で一人瞳を閉じ、ソファに座って夜風に当たっていた。
 酔っていたこともあってか、近づく気配には気づかず。背後から伸びた剣が首に触れるまで、全く侵入者に気付かなかった。

 アイラは、身軽に壁を伝って一番明るい部屋を目指した、物音に影に身を潜め覗き込めば、誰かがソファに座っている。
 綺麗な紫銀の髪に、思わず息を飲み込んだ。震える手に爪を立てて、周囲の様子を窺う。気配は、なかった。
 間違いない、探していた相手だと確信する。トレベレスの髪を、間違えるはずがない。
 そっと忍び寄り、震える手で剣を引き抜き、アイラは呟いたのだ。

「マローを、返して下さい」
「っ!?」

 声にようやく反応したトレベレス、思わずその顔から笑みが溢れる。欲していた声だった、侵入者に驚くより、その人物に打ち震えた。
 忘れるはずがない、声だった。数回しか言葉を交わしていないが、身体のぬくもりも思い出せる相手である。風が吹けば、甘い香りが鼻に届く。
 知らず、舌なめずりする。
 傍らの剣を抜きかけたが、首の剣が軽く動いたので舌打ちして手を止めた。
 胸が高鳴った、何度も想像していた声だ。高揚感に耐え切れずに、武者震いしてしまう。笑い出したくなるのを必死に押し殺して、トレベレスは背後にいる娘を思い描いた。
 緑の髪の、あの娘だ。抱きたくとも抱けない、あの娘だ。

「トレベレス様ですよね、マローを返して下さい」
「よくここまで辿り着けたな、アイラ姫」

 死んでなかった、生きていた。
 生きていてこうして、剣を自分に突きつけているアイラに、どうしようもなく身体が震える。歓喜で心が砕けそうだ。
 冷静を装ったが、無理な話である。声も身体も震えていたが、アイラも仇を目の前にして緊張が高まっており、それに気づかない。

「そうです、マローを返して下さい」
「返さないと言ったら?」

 声からするとアイラは非常に元気そうだ、勝気な瞳で自分を睨んでいるのではないかと、想像する。それだけで身体の内から何故か、加虐感が湧き出てしまう。屈服させたい、支配したい。
 会話をすることがとても愉快に思えて、トレベレスはこのまま言葉を交し続けることにした。
 平坦な毎日に突如現れた、思いもよらぬ授かり者。不思議な事に、自分の下半身が熱くなるのを感じる。ただの会話だけで、何故性的興奮を伴うのか。
 答えは簡単だ、相手がアイラだからだ。

「殺します」

 アイラは、少しの沈黙の後そう告げた。だが言葉とは裏腹に、狼狽しているのだろう声が震え、そして突きつけている剣も揺れている。
 殺せない、とトレベレスは笑う。
 あの日、兵達を薙ぎ倒したときでさえ、アイラは一人も殺していなかった。皆、生きていた。

「アイラ姫には殺せない」
「殺せます」
「しかしオレを殺したら、マロー姫の居場所が解らなくなるが?」

 動揺したのだろう、剣が大きく揺れ動く。そのアイラの一瞬の隙を見て、トレベレスは剣を引き抜き、素早く身体を反転させると剣を弾き返した。
 小さな悲鳴と共にアイラの剣は床に転がり、地面を忌々しく見つめれば代わりに喉元に剣が突きつけられている。流石に顔が青褪めた。

「形勢逆転、さぁどうしようか」

 瞳を光らせ好戦的なトレベレスと、久々の対峙である。二人の視線が交差する。
 あの日が、思い出される。トモハラとミノリに剣を突き出した、悪魔のようなトレベレスの姿。思わずアイラは、唇を噛締め拳を握り締めた。
 湧き出る汗が、頬を伝う。摑まるわけにはいかない、殺されるわけにもいかない。冷静になって、道を探す。
 部屋の外から数人の足音が近寄ってくる、今の音に兵が動いたのだろう。泣きそうなアイラを他所に、愉快そうにトレベレスは駆けつけた兵に声をかけた。

「気にするな、迷子の仔猫だ」

 その声にドアの前で止まった足音は、静かに遠ざかっていった。
 意外そうに瞳を大きくすると、アイラは軽く力を抜く。最悪の事態は免れたようである、危機はそのままだが。
 そんなアイラを爪先から頭部まで、ゆっくりと眺めていたトレベレス。薄汚れており、麗しの姫とは到底思えない。

「さて、本当にアイラ姫か?」

 アイラ以外ありえないが、会話がしたいので問う。どの道、目の前の無力な姫は逃げられない。ならば、少々遊んでみることにした。
 忌々しそうに唇を噛み、アイラは頷いた。

「アイラです」
「姫様にしては汚い格好だ。オレが知るアイラ姫は、非常に清楚な姫でいつも身体を清潔にしていた」
「それは死に物狂いでここまで来たからです! 身なりを整えている余裕など、ありませんっ」

 怒鳴るアイラに、腕を一本突き出した。人差し指を立てて目の前で左右にゆっくりと振る。「大声出すと、兵が来るぞ?」残忍に笑って、口を噤んだアイラにほくそ笑む。

「馬車で来たのだろう?」
「馬車などありません! 国は貴方方が滅ぼしたじゃないですかっ、私は一人でここまで来たんですっ」

 言い終えてから慌てて口を押さえ、ドアを見つめたアイラ。震える身体が、精一杯の強がりを表していた。思わず感情を露に大声を出したが、これは失態である。落ち着かなければ、と言い聞かせて後ずさる。
 その様子にニヤリ、と微笑むトレベレス。
 嘘はなさそうだ、つまり、トライが加担しているわけでも罠でもない。

「アイラ姫は見事な新緑の髪の、麗しい姫だ。そのように薄汚れてはいない」

 汚れていても、内から出る美しさは紛れもなくアイラのものだ、解ってはいるが、わざとらしくトレベレスは周囲を歩きながら値踏みする。
 急にしおらしくなり、小声でアイラは俯きながら語った。

「もう、私は姫ではありません。国は今、ありません。でも、マローさえ返してくだされば国は元に戻るのです。お願いです、マローを返して下さい」

 古臭い平民の衣服を着ていた、森を駆けて来たので、肌には引っかき傷があちらこちらについている。衣服も汚れて、確かに物乞いに見える。今日扉の前に現れていた女とは、間違いなくアイラだろうと推測した。
 大胆に正面から入ろうとしたアイラに、思わずトレベレスは吹き出した。何処まで、律儀なのだろう。想像したら、可愛かった。馬鹿正直で。
 トレベレスは剣を突きつけたまま、自分のローブを縛っていた腰布でアイラの両手を縛り上げると、愉快そうに笑う。睨みつけてきたアイラだが、そんな抵抗すら可愛らしく思えてしまう。
 両足も縛って床に転がせて暫し思案していたが、一瞥すると、部屋を出て行った。
 唖然と見送ったアイラだが、今は時間が惜しい。アイラは懸命に身をよじり、なんとか縄を解こうと試行錯誤した。焦燥感に駆られながら部屋を見渡し、何か切れそうな道具がないか、目を凝らす。先程床に転がっていた剣は、トレベレスに拾い上げられテーブルに置かれている。悔しそうに眺めても、剣は落ちてこない。
 やがてトレベレスが戻ってきた時、アイラは這い蹲って移動した先のテーブルの柱で縄を切ろうとしていたところだった。何度もこすり付ければ、やがて縄は緩むだろう、と思ったのだ。

「愉快な仔猫が迷い込んだな」

 腹を抱えて、爆笑する。
 無視してそれでも必死に逃げようとしているアイラに、トレベレスが用意したもの、それは。
 転がっているアイラを軽々と抱き抱えて隣に移動する、殺されると思い抵抗をするアイラだが、そこにあったのはバスタブだ。湯気が立ち昇り、花が浮かべてあるので香りも良い。マローが喜びそうな光景である。唖然とそれを見つめるしかない。

「姫だと証明できれば、話を聴く。汚れを落とすがいいよ」

 剣で両手足の紐を切ったトレベレスは、「逃げないように見張るがな」と一言告げて近くの椅子に腰掛けると愉快そうに笑う。寝そべったままだが自由になった自分の四肢を見つめる、恐る恐る動かしてみる。解放されて、困惑した。
 魂胆が全く判らないが、それでもアイラは直様部屋を見渡し状況を把握する。出口は、二箇所。
 まず窓が一つ、手は届きそうなので逃げられそうだが、その前にはトレベレスが座っている。なので無理だろう。
 そして二つ目、先程入ってきたドアには鍵がかけられた。
 ということは、現時点で逃げ場はないらしい。
 罠だろうか? 脚を組んで見つめているトレベレスは、城内で見た時と同じく非常に無邪気である。
 武器を探すが、剣はトレベレスが持っている一本だけ。手放すわけがないだろう、となると奪うしかない。  
 打算しながらようやく起き上がったアイラがバスタブを軽く見つめれば、ベゴニアが浮かんでいた。

「夜中なので女中の用意が出来ない。自分で洗え」
「いつも入浴くらい一人でしてましたから、出来ます」

 立ち尽くしているアイラを、一人で入浴をしたことがない、と思い込んだトレベレスはそう言い放った。姫様だったのだから、当然かもしれない。   
 確かにマローは日頃から誰かに身体を洗ってもらい、花の香を風呂上りにマッサージと共に塗りこんでもらっていた。だが、アイラは一人きりだった。世話などしてもらった記憶が、ない。
 姫がどうするかと興味本位に見ていたトレベレスだが、真っ直ぐに見つめてきたアイラに一瞬たじろぐ。

「約束通り、話を聴いてくださいね」

 逃げられないと分かったので、大人しく言う通りにしようと思った。大胆にも堂々と衣服を脱ぎ捨てて、思い切りバスタブに入る。
 大口開けて、トレベレスはその光景を見ていた。
 恥ずかしがって布で身体を覆いバスタブに浸かるのだと思ったが、迷うことなく裸になった。
 というのも、アイラは異性の区別があまりついていないので裸を見られて恥ずかしいという意識が全くなかったのである。
 傍らの石鹸を使い、懸命に汚れを落とすアイラ。
 良い香りが、空気に漂う。薔薇の香りを詰め込んだ石鹸だ、高級品を用意した。それもこれも、アイラが時折トライと花壇で愉しそうに談話していたからだ。花が好きだというのは、あの自ら這い蹲って探していた指輪でも解る。
 瞳を細め、アイラを見ていた。泡に塗れて洗っている姿が、扇情的で。徐々に輝きを取り戻す緑の髪、湯に潜ってそこから出て来れば深紅のベゴニアが髪についている。
 御伽噺の人魚姫がいたら、目の前のような美姫なのだろう。儚い泡が、真珠にも見える。しなやかな裸体、豊かな胸、その先の薄桃色の突起。
 トレベレスは思わず立ち上がると窓へと向かって、風に当たった。

「拙い」

 顔を赤らめた。アイラの挑戦的な態度に、胸が早鐘の様になる。これ以上見ていたら、呪いの姫君を押し倒して強引に身体を奪ってしまいそうだった。身体はとうに、火照っている。
 唇を噛み、俯いて額の汗を拭えば。

「どうしました、トレベレス様。剣を手放されては駄目ですよ」

 背中に、何かが当たった。剣先だ。
 舌打ちし振り返った瞬間、トレベレスの目に飛び込んできたのは。

「っ!」

 泡を身体にまとい、映える見事な新緑の髪とうっすらと逆上せたピンクの頬と肌、身体を覆い隠すことなく剣を突きつけていたアイラだった。薔薇の香りが、トレベレスを刺激する。
 眩暈がした、意識が遠のく。
 なんだ、この姫!? 思わず瞳を見開いて、凝視する。
 確実に男を知らない、美しい裸体だった。間近で見つめれば直様むしゃぶりつきたくなるような、そんな魅惑的な肌だ。先の侵略で出来たのかもしれない傷跡が微かに見られたが、それが逆に良い。嘗めたくなる。
 マローに確かに体型は良く似ているが、決定的に違ったもの。二人の明暗を分けたもの、それは。
 ”トレベレスが気になった女か、女でないか”。
 最初に見て、気になったのはこのアイラ。マローと共に居ても惹かれていたのは、このアイラ。
 布すら身に纏わず、肌に弾く水滴が、ゆるやかに床へと落ちるたびに、トレベレスの胸は跳ね上がった。

「私は、アイラです。答えてください、妹のマローは何処に居ますか?」

 頭に血が上る、沸騰する。
 朦朧とする意識、だがアイラの姿だけは鮮明に。挑発的で挑戦的、躊躇のない大胆な行動、真っ直ぐな瞳と声。
 沈黙するトレベレスに、苛立ったアイラは一歩詰め寄る。トレベレスは一歩後退したが、壁だ。冷たい壁など、すぐに体温で熱くなった。理性が、保てない。
 相手は、呪いの姫。
 戯れに抱けない娘だ、性欲に支配されるわけにはいかない。万が一、この娘を陵辱しようものならば、確実に子が出来るであろうことなど、予測できた。

「トレベレス様」

 詰め寄ったアイラ、ぽたり、と水滴がトレベレスの足元に落下する。
 なんと切ない瞳で見上げてくるのだろう、これが、魔性の呪いの姫君か。
 トレベレスは、打ち震える興奮にアイラを見下ろし微笑む。多少、引き攣っていた。悟られないように深呼吸する、肩を震わさずに冷静になれ、と何度も自分に言い聞かせた。
 一瞬、何故か顔を赤らめたアイラの隙をついてアイラの右手の甲を叩き、剣を落とすとそのまま左手を掴んで自分の胸に抱き寄せる。
 小さく悲鳴を上げたアイラだが、やはり腕力ではどう足掻いても男には勝てず。
 本来ならば再び「形勢逆転」というつもりだったトレベレス、だが。
 見上げたアイラと見下ろしたトレベレス、二人の視線が交差する。
 何故か、数秒見つめ合う。何か言わねばならない、と互いに思った。
 だが、何を言えばいいのか。
 二人して口が半開きになり、そのまま数秒時が止まる。
 舌打ちし腕に力を入れたトレベレスは、密着する温もりに思わず赤面したアイラが、慌てて顔を背けた瞬間に。

「アイラ」

 名を愛しそうに呼ぶと、迷うことなく唇を重ねていた。限界だった。
 それは数分に、いや、数十分に及ぶもので。
 初めての口付けに、アイラは呼吸も上手く出来ない。だが、抱き締めている腕があまりにも優しく、暖かく、切なくて。しかし、強引で。
 懐かしいと、思った。以前も抱き上げられて、こうされた気がした。

「ん、んぁ」

 喘ぎ声が、漏れて部屋に反響する。鳥肌が立ち、アイラの声をもっと聞きたくてトレベレスは舌を突き入れた。泡立てるように、何度も口腔内を犯す。苦しくて顔を歪めるアイラは、何かに耐えるようにトレベレスの衣服を懸命に掴んだ。
 キィィィ、カトン……。
 何か音が聴こえた気がしたが、二人はうっとりと身を任せていた。互いの鼓動が、体温が心地良く、ずっとこうしていたいと願う。
 ようやく唇が離れた時、二人は視線を合わせると同時に赤面した。
 甘美な時間だった、アイラにいたっては、何故か下腹部が熱くてもどかしい。

「あ、あの」

 躊躇いがちに声をかけたアイラ、急に恥ずかしさが込上げたトレベレスは自分のローブを羽織らせると抱き抱え自室に向かう。
 ベッドにアイラを放り投げ何をするかと思えば数枚のタオルを、その上に投げこんだ。

「は、肌を拭け、濡れている」
「え、はい、拭きます」
「腹は減ってないか?」
「え?」
「な、何か食事を用意させるからっ」
「あ、あの、話を」
「食べたら聴く! 逃げるなよ、タオルで拭いたらこれに着替えろ」

 勢い良くベッドに投げこんだのは、ドレスだ。マローに贈る為に購入し、そのままにしてあったドレスを思い出した。
 仕舞い込んでいたのだが、慌てて引っ張り出し投げつけると、アイラを見ずに走り去るトレベレス。
 唖然と一人取り残されたアイラは、タオルをとりあえず被った。
 唇にそっと手を触れて、再び赤面する。

『好きな相手をキスをした、甘美な時間だった』

 こんな時に思い出したのは女中の言葉だ、震える身体を押さえてトレベレスを思い出した。うろたえ、アイラはタオルで全身を覆う。
 胸が突如として高鳴る、間近で見たトレベレスはとても綺麗で、強引な腕が何故か心地良く。名前を呼ばれた瞬間、心が躍った。あの鋭くも強引で、しかし可愛らしくも思えてしまう瞳が怖い。心地よくて、深みにはまってしまいそうで、怖かった。
 アイラは、微動だせずにベッドの上にいた。逃げようと思えば、逃げることが出来たのに。
 
「くそっ」

 部屋を出て数歩、壁に拳を叩きつけるトレベレスは、怒りに打ち震える。
 それは、自身への戒めだ。

「ガキじゃないんだ、なんだこのオレの」

 女の裸体など、見慣れている。だが、一気に身体中の血液が沸騰した。今も前屈みだ、身体は素直である。
 名前を呼び、抱き寄せたかった。顔が火照る、アイラを思い出した瞬間に胸が痛む。
 欲しい。どうしてもあの娘が欲しい。
 呪いの姫君だとは解っているが、あれが欲しい。
 手に入れてはいけないと思うから、余計に欲しいのか。そう自問する。

「……違う」

 トレベレスは、自身に投げかけ、そしてはっきりと答えた。
 違う。
 最初から、欲していた。歯止めは呪いの姫君と知ってからだ、最初から気になっていた。傍に居るトライが疎ましく、羨ましく、嫉ましく。

「アイラ」

 トレベレスは、悩ましげに名を呼ぶと壁にもたれて荒い呼吸を繰り返す。口付けて、解った。確かに、魔性の姫だった。
 どうしても、抱きたい。欲しくて欲しくて堪らない、けれど。
 葛藤が続く、トレベレスは必死に壁を伝って移動し、結局料理人を叩き起こしたのである。

 部屋に戻ればアイラは惚けてそのままだった、タオルを纏ってベッドに座り込んでいる。まるで男を待っているような、艶やかな色香を放っている。
 逃げていないか些か不安だったが、そこに居た。
 居るには居たが、すらりとした美しい太腿が露になっており、少しずれれば秘所が丸見えだ。
 料理を運んできた料理人を物凄い形相で振り返ると、部屋から強引に締め出す。そのまま大股で近づき、怒鳴り声でアイラを叱咤する。

「な、何をしている! ドレスはどうした、男に肌を見せるな」
「え、は、はい、ごめんなさい」

 おたおたとタオルを脱ぎ、ドレスを手に取るアイラ。
 その間もトレベレスを意識せずに堂々と裸体を見せるので、トレベレスは眩暈がした。ようやく収まりかけた下半身が、再び復活である。

「だからっ! 年頃の娘が人前で堂々と裸になるなっ」
「ご、ごめんなさい」

 別に見なければ良いだけの話なのだが、赤面しながらトレベレスは強引にアイラにドレスを着せた。初めてドレスを人に着せた、脱がせたことは多々あったのだが。
 運ばれてきた夕食は豪華で、アイラは不審に思いつつもトレベレスと食事を摂る。

「美味いか?」
「はい。あの、トレベレス様、話を」
「食べてからだ」

 即答されたアイラは諦めて、一生懸命食事を喉に通す。
 久し振りのまともな食事だ、急いで用意されたものはどれも美味しく、味付けもアイラ好みな薄味である。目の前でトレベレスは果実を齧り、ワインとチーズを口にしているだけで後は何も語ろうとしない。
 オリーブオイルとニンニク、ベーコンの細切りに鷹の爪、ペペロンチーノベースだがたっぷりとレモン汁がかけてあるパスタに、カボチャのマリネのベビーリーフサラダ、ホウレン草のポタージュスープ。香りが良いので空腹を刺激した。非常に美味しく、アイラは夢中で食べ続ける。

「あの。外にデズデモーナが居るので、あの子にもご飯を」
「デズデモーナ?」
「漆黒の馬です」
「あぁ」

 トレベレスはデズデモーナを館に引き入れるように指示し、たくさんの飼葉を与えさせるよう外から人を呼ぶと、命令した。聞き終え、安堵し食事を終えたアイラは、今度こそ話をしようと正面に両手を広げる。

「マローの話を、します」

 ワインを飲んでいるトレベレスの傍らで、アイラは必死に身振り手振り、それまでの話をした。どうやってここまで来たのか、何故マローが必要なのか。自分が呪いの姫で皆に疎まれている為、国の復興にはマローが必要なのだと。
 微かにトレベレスは眉を寄せたが、沈黙してワインを口にしている。

「マローは、何処ですか」

 荒い呼吸で、アイラは語尾を強めてトレベレスに詰め寄った。風呂上りの香りは、まだ続いている。潤う唇が、トレベレスを誘う。
 舌打ちし、トレベレスは立ち上がるとアイラを避けるように窓辺へと移動する。
 射すような視線を背に浴びながら、トレベレスは何度も口を開きかけた、だが上手く言葉が出てこない。手に汗が吹き出る、どう説明すれば良いのか逸る気持ちを抑えて必死に考えた。

「あ、マ、マロー姫は。ベルガー殿と出掛けた。オレは置いてけぼりだ、行き先は知らない」

 苦し紛れの嘘だった、多少声色が冷静さにかけている。流石に迂闊だった、と唇を噛んだ。他にましな嘘はなかったのか。
 静まり返ったアイラ、そっとぎこちなく後ろを振り返れば。

「嘘です」

 直ぐ傍にアイラは立っていた、思わず反射的に悲鳴を上げそうになったトレベレス。

「マローは、その、トレベレス様に懐いてました。あの子、寂しがり屋なんです。ベルガー様と二人で出掛けるなんて、ありえません」
「そ、そう言われても本当のことで」
「それで、何処に居るんですか? そこへ行きます」
「ま、待て待て待て! つ、遣いを出してやろう、アイラ姫が滞在しているから戻って欲しいと書簡を送るから」
「本当ですか!?」
「あぁ、ほ、本当だ。それまで、ここで待つと良い」

 必死に取り繕う、些か不審に、それでも信じるべきかとアイラは困惑している。
 目の前にいるのは、あの日城を、国を崩壊させた人物の一人だ。アイラとて、トレベレスの行動は見た。トモハラを、ミノリを斬り捨てたのはベルガー及び、このトレベレス。
 それは、理解していた、しかし。
 復讐すべき相手だと、何度も言い聞かせた。だが。

「あの」
「何だ」

 上手く答えられるか不安で、トレベレスの瞳が泳ぐ。

「何故、ラファーガをあのように破壊されたのですか?」

 直球だ。原因を知らないアイラは、訊いてみることにしたのだ。
 言葉を飲み込むしかない、トレベレス。何故と言われても、マローを手に入れたかったからで。
 そんな理由で、目の前のアイラの気分を害したくなかった。
 が、トレベレスは、我に返った。
 何故、嘘を告げるのか。美しい娘だ、だが、呪いの娘だ。牢に入れれば良い、本当の話をしてやればいい。牢に入れてしまえば、誘惑されずに済むだろう。
 だが。
 トレベレスは無言のまま、不審そうに自分を見ているアイラを無理やり引き寄せると再び唇を重ねる。
 驚いてもがくアイラを、力で押さえつけ、唇を吸い続けた。
 こういうことだ、嫌われたくないのだ。
 手に入れたいと思ったのは、執着心なのか、好奇心なのか、それとも恋やら愛やら甘い感情なのか。

「っ、ふ……」

 唇を離す。赤面し濡れた瞳に唇、震える身体、首筋から立ち昇る甘い香り。トレベレスの血が逆流した、再び唇を塞いで、暫しの時。室内に、淫靡な粘着音が響き渡る。

「必ず、マロー姫をアイラの許に戻すから、少し、待て。ベルガー殿はオレよりも立場が上のお方だ」

 力が抜け、ぐったりとしているアイラを強く抱き締める。
 これ以上は、無理だ。離れられなくなる前に、離れなければならない。抱くことは、禁忌。自身の破滅を意味する。
 けれど。

「約束、です」

 アイラが小さく笑う。

「約束です、マローを、返してくださいね」

 腕の中で微笑んだアイラ、愛しい愛しい呪いの姫君。
 トレベレスは無言で頷いた、頷かざるを得なかった。すると、アイラはふんわりと、微笑んだ。優しいその笑みに、一瞬息が止まる。美しすぎる姫が目の前にいる。
 再び唇を奪い、露出した背中に指をなぞらせる。アイラが、声を漏らして顔を逸らした。
 禁忌を犯しても構わない、それでもそれでも、この娘が欲しいと願った。ベッドに優しく下ろして、着せたドレスを脱がせ始める。
 ぎこちなく不思議そうに微笑んだアイラの髪を撫でながら、トレベレスは愛しそうに何度も何度も口付けた。優しく優しく、懸命に抱き締めた、触れた。
 呪いの姫君の鳴声は想像以上に甘美なもので、脳を溶かせるようだ。
 トレベレスは、途中から意識がなくなった。
 焦がれた姫を手に入れた、手に入れてはいけなかったが、手に入れた。夢中で、身体に舌を這わせてきつく吸う。紅い痕が、白い肌に映えるのを見ると幾つも幾つも、つけたくなる。自分のモノだと、つけたくなる。

「アイラ、オレは」
「トレベレス様! トレベレス様!」

 一線を越えようとしたその際に、ドアを叩くけたたましい音。思わず我に返るトレベレスは、上気した息使いの自分とアイラを見て、赤面した。ようやく、状況を思い出したのだ。
 ローブを乱暴に纏うと、ドアを開く。

「い、一体誰を囲ったのですか!? 緑の髪って、まさかっ」
「やかましい」
「誰です! まさか亡国の姫君では」
「表へ出ろっ」

 料理人が密告した、館に広まったアイラの噂。無論、トレベレスへの説教が開始された。次期国王だが、破滅をおめおめと呼び寄せてしまった王子に皆息つくまもなく言葉を浴びせる。
 その間、アイラは一人きり。気だるい身体をそのままに、天井を見つめている。そっと、頬に触れれば耳元にトレベレスの声が。びくり、と身体を引き攣らせて震える身体を抱き締める。頬が、熱い、身体も、熱い。もどかしくて、耐えられない。
 もっと、触って欲しかった。もっと、名前を呼んで欲しかった。あの瞳と、強引な腕が好きだと思った。
 そう、好きだと。
 アイラは、困惑してベッドの上にいる。年頃の娘が裸でいてはいけないというので、急いで脱がされたドレスを着てみる。
 胸が、苦しい。ベッドに倒れこんで、アイラは荒い呼吸を繰り返した。こんな気分は初めてだった。

 外は外で、大騒ぎである。

「あの姫、美しいですが、呪いの子を」
「解っている、抱かなければ良いのだろう?」
「あんな色香のある娘、四六時中傍に置いておいたらっ」
「自制心は強いつもりだっ」

 何処が、誰が! と叫びたくなる家臣達だが、ぐっと堪える。堪えるしかない、一応仮にも王子である。トレベレスはイラつきながら右往左往している、控え目に家臣が一人歩み寄った。

「本日はマロー姫の塔へ行く予定ですよ。似ていますし、良いではないですか」
「ちっ」

 テーブルの梨を壁に叩きつけると、部屋に勢い良く戻るトレベレス。
 似ている。身体が、顔が。
 アイラの代わりにしろ、というのだろうが、生憎”違う”のだ。
 代わりになるなら、もっと頻繁に通うっつーの! 悪態ついてみるが、代わりにするしかないようだ。下半身は、暴れたいらしい。

「アイラ姫、マロー姫を取り戻す為に書簡を書いた。信頼できる兵に渡しつつ、オレは、あー、情報を探ってくるから、ここに居てくれないか。必ず戻るから」
「本当ですか!? 解りました、大人しく待ってます」

 戻ってきて嘘八百を並べ立てる、疑いもせずにアイラはその言葉を信じた。その眼差しが純真で、傍若無人なトレベレスも胸が痛む。
 ようやく、以前城で見たような柔らかな笑みを浮かべたアイラに、思わず口付けをする。驚いたアイラだが、震えながらせがむように自らトレベレスにしがみ付いた。
 途中まで続きを再開し様か、と脳裏を過ぎる。が、離れられなくなりそうだったので、トレベレスは優しくアイラを放して髪を撫でた。

「数日で戻る、それまで皆に世話をさせるから、ここから出るな、いいな?」
「はいっ」

 トレベレスは、恭しくお辞儀をしたアイラから顔を逸らした。嘘をついた罪悪感が、初めて圧し掛かる。嬉しそうなアイラに、申し訳なくなってきた。


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