民達は密かにアイラを噂した。「マローを連れ戻す」と、言ったアイラだが城から出た事もないのに、世間知らずの姫がどうやって連れ戻すのか、と。そもそもあんなか弱い女が、一人きりで生きていけるわけがないと。 口先だけの、身勝手な姫君。どうせ今頃何処かで野垂れ死んでいるか、王族の隠し砦が存在し、逃げ隠れたのだと。 そう噂した。 以前となんら変わらない、現実が待っている。焼け焦げた街を修復しようと、民は動く。だが、やる気が出ない。先導者が、いない。やり方が、解らない、上手く行かない。 希望が、ない。瞳に、光が戻ってこない。 それでも、一人、二人と。時間が経つに連れて、街中で声が上がるようになった。怪訝にその様子を窺う者もいた。辛うじて屋根の残った建物の下、雑魚寝している人々は騒がしくなってきた街を見やる。 何故かは分からないが、アイラ姫を待つ者達が増えてきたのだった、声を張り上げ「頑張ろう」「負けるな」「めげるな」と言って歩きまわっている。 一人では、無力。けれど、街の人々が全員集まれば、様々な職業についていた者達が集う。伏せっている人々に少しでも、と知恵者は薬草の調達をした。壊れそうな家を建て直すためには、大工と力仕事の得意な男が必要だ。女達は炊き出しをしよう、街から出て川に魚を取りに行こう。皆で作業して生き延びよう……。 生きる希望をなんとか繋いだ人々は、アイラを信じてみようと思った。姫だから、ではなく。
『それまで頑張ってください』
投げかけた言葉が気になった、信じたくなった。言われた通りに頑張ってみようと、思い直した。何かを信じて、徐々に皆にやる気が起き始めた頃。復興に向けての光が、ようやく灯った頃。 崩壊した街に、二つの旗が現れる。幻覚ではなかった、思わず涙ぐんで皆、見つめていた。 トライ王子のブリューゲル国の旗。 リュイ皇子のラスカサス国の旗。 共に軍隊を率いて、街にやって来たのだ。 惨状を見て、直様救援物資が配布され、怪我人の手当てに数名の医師が動き出す。雄雄しい二つの国の麗しい王子達に、民は平伏し嗚咽を漏らした。
「予感が的中した、やはり滞在しておくべきだった」
トライは地面に突き刺さっていた剣を、思い切り愛用の剣で切り下ろす。鈍い音がして、見事に突き刺さっていた剣は真っ二つになった。忌々しく見つめ、剣を収めれば。 静かなる怒気を含みつつ、後方から来たリュイに声を振り返る。
「リュイ殿はどうして?」 「遣いに出した者達から連絡が途絶えました、信頼している私兵です。有り得ないので発ちましたら」
滞在していた筈のベルガー及びトレベレス国の者達は居ない、死体すらない。ならば誰がどういった理由でこんな惨劇を起こしたのかは、誰にでも分かる。落下している武器の中には、ラファーガ国には存在しない紋章の剣やら矢がある。 三カ国の紋章が入り混じっているのだから、誰が敵かは、一目瞭然だ。
「アイラ姫の安否確認を急げ! 姫を見たものはいないのか!?」
トライとリュイは、無論それが目的だった。大事な姫を探して兵達を動き回らせるが、見つかるわけもない。もうここには居ないのだから。 そして、民達は怯えていた。城の小間使いやら使用人から、この二人の王子がアイラ姫を好いているらしい、との情報を聞いていた。二人の王子に、素直に言う事が出来なかったのだ。 ”姫は、暴言と暴行を加えて街から皆で叩きだしました”などと。 感謝しつつも、何度も喉から出そうになる言葉を皆、飲み込む。何れ、発覚するだろうが今は隠し通したかった。同盟すら組んでいないのに、懸命に民を救おうと躍起になっている二国の兵士達に申し訳なくて皆、ひっそりと項垂れる。
……あぁ、自分達はどうしてこんなにも、卑屈なのだろう。
アイラ姫の話をすれば、この救護などなくなってしまうのではないかと。それどころかたちまちに今度こそ、破滅させられるのではないかと。王族に無礼な振る舞いをしたのだから、極刑だろう。 民達は、震え上がった。だから誰も、言えなかった。 ようやくトライは呆けているミノリと、未だに起きないトモハラ、二人に出会う。簡易なテントに入り、ミノリを見つけた瞬間にトライは眉を潜めた。騎士であるミノリだが、民と共に動く事もなく横になったままだった。若く、力もあるので復興にはうってつけの人物なのだが。 腑抜けた、騎士が一人。殴りつけたい勢いで、トライはミノリの胸倉を掴む。
「おい」
トライの声に、ようやくミノリは目の焦点を合わせ、そして怯えた悲鳴を上げる。最も会いたくなかった人物はアイラだが、次にトライだ。奇声を上げて、引き攣った笑みを浮かべるしかない。
「どうしてお前達が無事で、アイラ姫が不在なんだ!? アイラは何処へ行った!? お前たちは何をしている!?」
乱暴に首を絞めるように揺さ振るトライ、慌ててリュイがそれを止める。地面に落下したミノリは、苦しそうに咳き込んだまま何も語らない。ただ、震えていた。
「お前に任せただろう!? 姫を護れと告げただろう!? 何をしていた!?」
沈黙のミノリを見下し、不愉快そうにトライは踵を返しテントから出た。時間の無駄だと、思った。 勢いで布を上げたので、簡易なテントは木が揺らぎ、崩れ落ちる。リュイが同情の視線をミノリに送るが、その目の前でテントと消えていった。 崩れたテントが蠢く。 ミノリはトモハラを抱えて、久し振りにテントから出て、外の陽射しを眩しそうに浴びた。良い天気だった、空気が澄んでいた。 外の木に新緑の葉が生い茂っている。小鳥が、囀る。
「アイラ、姫」
眩しい豊かな緑色、アイラを思い出し、ミノリは涙を知らず零した。またあの笑顔を見つめていたくて、けれども出来なくて。もう、生きている意味がないと思いながらも、しがみ付くのは過去の恋慕。 アイラ姫に、会いたい。 トライの私兵が慌てて戻り何かを告げているのを遠目に見ていたミノリは、険しくなったトライを見てアイラが一人旅立った事を知ったのだろうと判断した。どのみち判明することだ、遅かれ早かれ。 項垂れて、ミノリは親友のトモハラを情けなく見下ろしていた。 もう、大丈夫だろうと思った。二人の果敢な王子が、二人の姫を救出するに違いない。アイラは、その時どちらを選ぶのだろうか。 親しいトライ王子だろうか、それとも歳の近いリュイ皇子だろうか。 関係のない話しだとばかりに、ミノリはトモハルの安らかな寝顔を見つめる。
「……お前の姫様、無事だと、いいな」
せめて、トモハラだけでも、幸せにと。ミノリは力なく笑うと、地面に横になる。久し振りに動いて、疲れてしまった。瞳を閉じる。 人々が、トライとリュイを頼り集まってきていたその時。夕刻になろうとしていたので、夜の指示を仰ぎに来ていた。 城から一つの影が、ゆっくりと伸びてきているのを皆見つける。
「アイラ、アイラ姫様は何処に」
まだ生存者が! 口々にそう叫ぶと、迎えに行き支えて連れて来た。 身分は分からないが、誰が見てもほぼ最高権力の法衣を身に纏っている老婆である。 クーリヤだ。元女王の親友にして、参謀。 クーリヤを知る者は、ミノリと目覚めないトモハラ。だが、トライとリュイとて、城内で姿は見かけたことがあった。 兵に向かわせ連れてこさせる、衰弱しているが、自分で歩けるのならば無事であると判断する。直様毛布で身体を包み、水を与えると干からびていた布が水を吸収する勢いで、三杯も飲み干した。 うわごとの様にアイラの名を呼ぶクーリヤに、皆怪訝に思う。トライとリュイも、顔を見合わせ神妙に頷いた。 城内で最も権威を誇っていたとさせる、元女王の側近クーリヤ。 妹のマローではなく、姉のアイラを捜し求める理由は。 トライもリュイも、薄々気付いていた。二人は、最初から解っていたのかもしれない。 げんなりした様子でトライは跪くと、クーリヤに告げる。
「アイラはマローを探して一人旅立ったそうだ。オレは直様後を追う」
兵から聞き得た情報だった、兵は、幼子が泣きながら「あの綺麗なおねえちゃん、戻ってこないの?」と街の隅で泣いていた事で、気付いたのだ。子供は、正直だった。 立ち上がったトライのマントを、クーリヤが掴む。支えられた身体を奮い起こし、消え入りそうな声で老女は呟いたのである。 衝撃的な一言に皆、硬直した。小さいはずの声は、周囲が静まり返っていたので、響き渡って皆の耳に届いてしまった。
「あの子が……正統なるラファーガの姫。繁栄の子を産む、次期女王。あの子さえ無事ならば、ラファーガ国はすぐに豊かな国へと戻ります。どうかどうか、水の王子よ。アイラ姫を救い出してください」
ミノリが、息を飲んだ。弾かれたように地面から起き上がった。 トライが、呆れて溜息を吐いた。迷惑そうに舌打ちし、怒気を籠めてクーリヤを睨む。 リュイが、哀しそうに瞳を伏せた。哀れみながらクーリヤと周囲の民を見渡した。 民達が、驚愕の眼でクーリヤを見た。もはや、何も言えなかった。 そして。
「マロー姫様は?」
震えるミノリの隣で、ようやくトモハラが目を覚ました。土を掴んで、懸命に腕で起き上がる。覚束無い足で立ち上がると、マローを探して名を呼んで、クーリヤに詰め寄った。民が見守る中、トモハラはトライとリュイに導かれて、クーリヤに糾弾する為に真正面に立つ。 キィィィ、カトン。 何処かで、何かの音がした。
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